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なぜ左岸の公有地が河川改修案に含まれないのか? 地元の地理を知るものにとって理解できないことなのだが、コレには単純だが深〜いわけがある。
河川課からの回答の前に、裏事情をバラしてしまおう
(^O^)
まず年表式に犀川の改修の歴史を振り返ってみよう(告示は河川台帳より)。
【簡単な犀川改修の歴史】――――――――――――
@昭和36年(1961)
第二室戸台風。金沢中心部浸水被害。
A昭和41年(1966)
犀川ダム完成
*この時点で70年に一度の洪水に対応。洪水量は第二室戸台風時。
B昭和41年(1966)
犀川河床掘削禁止指定(県告示430号)
*この指定の意味は、犀川ダム完成によって、犀川の治水は完成した。安全度は1/70年。もう川を触るな!ってことである。
しかし……。
C昭和42(1967)〜49年(1974)
「犀川総合開発事業」開始。「内川ダム」「浅野川放水路」に着手。
*「内川ダム」は浅野川の洪水対策。浅野川にダム適地がないため犀川支流の内川にダム建設。この頃、橋替わりに辰巳ダム建設浮上。
D昭和44年(1969) 鞍月用水堰堤から上流は災害護岸としてに整備(一部は昭和49年)
*この整備は、単純に老朽既設堤防を強化しただけ。堤防の高さは変えず、幅を広げ法面を強化。
E昭和45年(1970)
掘削禁止の部分解除/犀川大橋付近の工事(県告示306号)
*これは犀川大橋補強工事。
F昭和46(1971)〜47年(1972)
掘削禁止の部分解除/伏見川合流点まで工事(昭46.11.12県告示773号)
*犀川中小河川改修全体計画が作られた。安全度を1/100年にあげた(辰巳ダム建設不能の場合も想定)。この当時の河道計算など計画を策定したのが、「(株)INA
新土木研究所」である。
G昭和49年(1974)
掘削禁止を全面解除(昭49.9.10県告示589号)
*この全面解除で伏見川合流点から法島の鞍月用水堰堤まで工事を進めたことが分かる。期間は昭和55年までだった。
*しかし、計画に書かれている鞍月用水堰〜大桑橋までの工事は行われず、昭和53年度でこの全体計画による工事は終了。
――――――――――――
以上ような経過を見ると、ナギの会などの指摘で急浮上した鞍月用水堰上流整備の意味が分かってくるだろう。
この案、犀川水系流域委員会で検討されているが、現況河道断面や周辺土地利用状況を調査するため、予算措置と一定の期間が必要であるのだが、文字通りアッという間に計画案ができあがった。常識では不可能。何故か?
流域委員会の資料作成は全て、建設コンサルタント(株)アイエヌエーがおこなっている。この会社は、昭和47年の犀川中小河川整備全体計画書を作った創業時の社名「(株)INA
新土木研究所」である。つまり、提出された図面は、元々コンサルタント会社の手持ちの資料を元に作られたワケで、基礎資料は昭和47年当時のもの。現況河川断面の実測もせずに簡単に図面ができる秘密がここにある。当時から32年経った。河川周辺の公園化など住宅整備がすすんでいる。当時の計画を元にして、焼き直した案であるから、公有地の利用の発想は入るはずがない。【参考:(株)アイエヌエー(INA)の沿革】
流域委員会では、こうして作られた大きな図面を机の上に広げ、学識経験者が腕を組んであれこれ意見を言っている。不思議な光景である。玉井委員長も「河道内で整備をするのは河川整備の王道だ」と会議の冒頭に表明し、県にエールを送る。なんという学識者の世界であろうか?
さて、こうしたことは、多数の公文書を時間経過で追いかけていく中で次第に分かってくる。本来の市民社会は、こうした情報を行政が率先して公開し、広く市民の中で議論が進められるのが普通の社会であることだ。犀川水系を巡って開かれている一連の会議は、行政の手の中にある資料を学識経験者に小出しにし、その枠の中で「議論させる」。市民からの意見にも答えずという姿勢では、立派な肩書きを持った学識経験者が参加してもまともな案など出来るはずがない。その結果について誰も責任をとることはない。金沢駅前ですすむ奇妙な工事と同一の構造である。
◆以下、ナギの会情報公開日誌から再掲
―――2003.8.28(木)―――
公開された膨大な量
本日、公開されたもの。48の簿冊。厚さ5〜20pのものまで様々。
昭和47年の犀川中小河川全体計画書に基づいて工事が行われたものの全てと、犀川雪見橋の資料。
いやはや大変な量であった。ケース7個にびっしり。公開するための事務も、一応全部に目を通して、非公開すべき個人情報や金融機関関係資料に目隠しをしなければいけないから大変だったろう。
担当職員に敬意?を表して、全部見ようと覚悟を決めた。まず年度の新しいものと年度の古いものを確認した。鞍月用水下流堰工事と犀川大橋下流の掘削などが出てきた。
工事は、鞍月用水油堰の下流から始まっていた。
一定の長さを持った河川工事は、水の流下を考えて下流から行うものと思っていたが逆だった。
とりあえず、必要なコピーを頼んできた。三ケ用水や犀川大橋付近、雪見橋などの資料など。
いろいろおもしろい発見があった。河川工事前の犀川の写真などもたくさんある。肝心の全体計画に載っている鞍月用水上流の河川工事はなかった。全体計画による河川工事ではないのだろう。別途請求してきた。
雪見橋の資料で流下能力を検討していた。当時は未整備区間で将来計画もないのに、1230t/secの計算をしているのだ。図面では、現在の流れている河床にあわせてすっぺりと削れば
1230t/sec 確保される計算だった。堤防(道路)まで、50p。(後日、資料掲載)
たくさんの資料を見ながらふと気がついた。こうした河川工事に係る資料は、本来河川台帳に記載されていなければいけないものだ。先日県で確認した河川台帳は、和48年調整となっていた。これはおかしい。
河川台帳は、河川の戸籍のようなもので、施行された河川工事や認可された諸権利などを記載しておくものだ。今年の年頭、金沢市が河川台帳を作成しておらず「金沢市、おまえもか!」と書いたが、「石川県、やっぱりおまえもそうだったのか!」と言わなければいけないだろう。担当は水政係。
工事が終わった後その内容を書き込んでおけば、台帳を見るだけで基本的な内容は分かるのだ。
とりあえず、必要なコピーを頼んできた。
【公開された簿冊名】――――――――――――
犀川河川改修工事(中小)全体計画書
昭和47年度 犀川中小河川改良工事
昭和47年度 都市河川環境整備事業犀川河道整備工事
昭和47年度 都市河川環境整備事業犀川河道整備工事(2工区)
昭和47年度 都市河川環境整備事業犀川河道整備工事(3工区)
昭和48年度 犀川中小河川改良工事
昭和48年度 犀川中小河川改良工事(2工区)
昭和48年度 犀川中小河川改良工事(3工区)
昭和48年度 犀川中小河川改良工事(4工区)
昭和48年度 犀川中小河川改良工事(5工区)
昭和48年度 犀川中小河川改良工事(6工区)
昭和48年度 犀川中小河川改良工事(7工区)
昭和48年度 都市河川環境整備事業犀川河道整備工事
昭和48年度 都市河川環境整備事業犀川河道整備工事(2工区)
昭和49年度 犀川中小河川改良工事(1工区)
昭和49年度 犀川中小河川改良工事(3工区)
昭和49年度 犀川中小河川改良工事(4工区)
昭和49年度 犀川中小河川改良工事(6工区)
昭和49年度 犀川中小河川改良工事(7工区)
昭和49年度 都市河川環境整備事業犀川河道整備工事
昭和50年度 犀川中小河川改良工事(2工区)
昭和50年度 犀川中小河川改良工事(4工区)
昭和50年度 犀川中小河川改良工事(5工区)
昭和50年度 犀川中小河川改良工事(6工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(1工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(2工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(3工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(4工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(5工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(6工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(7工区)
昭和51年度 犀川中小河川改良工事(8工区)
昭和51年度 犀川環境整備(河道整備)工事
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(1工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(2工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(3工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(4工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(5工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(6工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(7工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(8工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(9工区)
昭和52年度 犀川環境整備(河道整備)工事
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(犀川転倒堰・上部工制作据付)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(大野庄用水路蓋版工)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(中村、高畠、泉用水路蓋版工1工区)
昭和52年度 犀川中小河川改良工事(中村、高畠、泉用水路蓋版工2工区)
河川占用許可 犀川城南大橋(※金沢市申請の雪見橋の許可申請)
以上。
―――渡辺 寛
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