操縦室の夕暮れ




 この写真は雑誌でみかけたものをスキャナーで取り込んだものです。画像の鮮度は再使用に耐えるものではないので、文章の引用のようなものとして掲載させてもらうことにしました。この写真を見ていると飛行機の上から見た夕暮れを思い出します。それは黄昏に染まっていく雲海だったり、暮れなずむ原野だったりします。雲の上の透き通った空の色に幻想的な深みが加わっていく一時でもあります。そこには地上を離れた静けさとともに、わくわくするような独特の気分があります。この気分は夕暮れそのものへの単純な反応ではありません。巨大なエンジンの低い音を聞きながら、地上では目にすることができない風景を眺めるている時、それを可能にする技術への快感が私の気分の基調になっているのです。技術にによって自分が拡張されることの快感でもあります。従って、操縦室の夕暮れの写真の与えるイメージは、雲海の上の山頂から眺める夕暮とはまったく違う性格のものになるのです。

 この写真に感じる気分は機械の形が思い出させてくれるもので、形への感情移入でもあります。形を感じることのなかに、こういった形への感情移入が含まれることがあります。このホームページは、いろいろな形にどういう感情を抱いたという私的な報告でもあります。この感情移入は、場合によっては形そのものを見ることを妨げることもあります。たとえば設計において形を感じるということが論じられていることは「設計された形の印象」で紹介しました。この場合の形を感じるということは、感覚を研ぎ澄まして客観的に捉えることから始まるのであって、感情は慎重に取り除かなければなりません。

 旅客機の機長に、たとえばパワー全開で上昇していく時など飛行機がよく頑張ってくれていると思うことはありますか、と質問した事があります。彼は彼の機械に対してとにかく冷静な判断を心がけている、というような答えでした。考えてみるとあたりまえですが、操縦に感情移入は邪魔ではあっても何の役にもたたないでしょう。飛行機が好きで機械工学科に進んだくらいの私は、飛行機を見ると憧れのような愛着のような独特の気持ちを持ちます。それは何の責任も無い第三者の立場にのみ許される趣味的な感情です。先程の機長でも、彼の責任から離れることが許される時には、彼の飛行機についてなにがしかの気分を味わっているかもしれません。それは高度な技術の集積であるジェット旅客機に対する技術的な満足感と、それを正しく操作する自分の技量と集中力への自負であるかもしれません。その場合にそういった気持ちが飛行機の姿に代表されて思い出されるのこともあるでしょう。

 こういった場合、形はそのものに意味があるというよりも、形がひとつの契機の役目を果たしていると考えられます。機械の属性がそこに現れているのではなく、自分の心が形に映っているわけです。機械を設計したり修理したり操作するのにはとりあえず無用な部分ですが、こういった形が導き出すもののなかに何かしら本能的とさえ言えるものが現れてくるように思えるのです。その一つは学問や技術などの持つ理性的で整然とした体系への志向ではないでしょうか。自分のことを振り返ってみると、そこには進歩への素朴な憧れも含まれているようのに思えます。

 小学校にはバスで通学でしていましたが、新しい形のバスが現れる度にわくわくしながら乗っては隅々まで見回したものです。そして運転席の目新しいメーターを運転手の横から飽きずに眺めていました。考えてみると、新しい形が生まれてはそれがさらに新しい形に変わることを繰り返し体験してきました。我々はこういった目新しい形にわくわくしながらも、あまりにそれが目まぐるしいことで消耗してしまっているところがあるのかもしれません。木造の校舎、年式の古い自動車などに惹かれる気持ちは、その形が感覚の更新を必要としない、もともと知っていたものだからなのでしょう。そこに一時的な安らぎを見出したとしても、結局それは長続きしないことの方が多いのかもしれません。

 新しい形は刺激的ではあっても、必ずしも快感を与えるものとは限りません。建築などでは形の持つこいった力が意識されているのだと思います。車や日用品なども同様でしょう。一方、私にとって身近な工業的な機械では、人の意識を映しだす契機となるという形のこのもう一つの機能が考慮されることはまずありませんし、また、必ずしも必要ではないと思います。ただ、そういった見方で整理されているわけではない種々の形が積みあがることによって、見る人の感情が混乱することはあると思います。殺風景だったり、いらいらしたり気分が滅入ったりすることになります。建物も一つ一つはそれなりに一貫した形であっても、沢山のものが雑然と集積してしまうと、それを見る時の感情がもつれてしまいます。もっとも、こういった整理されていない形でも、それに馴染むだけの時間が経った後は全体として安定した印象を生むようになるのです。





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1998年11月23日