鈴木式部
鈴木式部、早く父を失ひ幼にして家を嗣ぐ。性質温良にして学を好み、詩を善くす。
曾て江戸に遊学せしも、朞年ならずして召還せられ物頭(歩卒頭)となり京都に在勤す。此時容保公の京都守護職勤務中なり。
式部は天性蒲柳の質にして、衣に勝へざるか如く自哲瀟酒の美少年なり。藩中敦盛を以て称せらる。
其京都に在るや、黒谷の某寺院に寓せり。此寓所より皇居まで、禁門守衛の往復には常に兵士を率いて岡崎村を過ぐ。村に酒店あり、家に妙齢の少女あり。店傍に井戸あるを以て、時人之を井戸の端の美人と呼ぺり。
其女、式部の風姿を見て恋慕の情に堪へず、暗に秋波を送り、情を寄すること屡々なり。式部は之を顧みず、女懊悩して殆んど狂せんとするに至れり。
式部人をして其主人に告て之を戒しむ。主人大に耻ちて深く陳謝し、爾来女を檻禁して外に出てさらしむ。
式部、時に年十九。期満ちて帰国し、再び藩校に学ぶ。既にして戊辰の役あり。依て式部は上京せんとして、途次江戸に至れば偶々藩公の東帰に蓬ふ。是を以て式部は曾津に帰りて命を待つ。時に幕臣林正十郎(維新後欽次と称す)江戸を脱し来たりて彿式兵法を教授し、又学校を設立して生徒を養成せんと欲す。之に由て式部は学校奉行副役を命ぜらる。然れども当時敵軍四境に迫り、国勢急を告ぐ。故に学校は自ら廃棄せらる。
式部開城の後、江戸に於て謹慎を命ぜらる。
明治三年、一般藩士と共に赦に蓬ふ。式部は元来報国の念深く、其自由の身と為るに及び、奇功を奏せんと欲し、嘗て師事する所の廣澤安任に謀て曰く、僕横濱に赴き外国人に接近して文明事業を学ばんと欲す。先生吾が為に其便を謀れと。
安任乃ち知人の横浜弁天通に住ずる貿易薬種商源太郎なるもの(源太郎は曾て江戸昌平黌に学び後商人となり、支那貿易を専らとす。文久元年、曾津に大火あり。安任の居宅も亦類焼の厄に蓬ふ。因て此火難を救はんが為め源太郎を誘ひ来りて薬種人参を償はしめ、其口餞に依り、家族一時の急を救ひ得たる事あり)に式部を紹介す。
式部、漢籍の造詣あり故に横濱に於て清人と取引を為し、傍ら洋籍を学び、頗る之を通ず。偶々源太郎病に罹りて歿す。子なし、濁り未亡人あるも、親戚等の頼るぺきものなし。式部深く之を愍れみ、其営業を助けたり。
未亡人は式部の伎倆あり、且つ容色の秀麗なるを慕び、之が配たらんと欲し、屡々之を挑む。式部色を作して曰く、余は亡主人の恩義を憶ひ、之に報いん為め努力今日に及ぺり。然るに卿は之を思はず、敢て色情を以て余を陥いれんと欲す。余義に於て絶たざるを得ずと。未亡人之を聞て且つ愕き、且つ恐れ、百方陳謝せり。
式部其改俊の状を見て姑く此に留りしか熟々思ふに、身は是れ亡国の臣なり。官帑に依り海外に遊学することは得て望むぺからずと。乃ち意を決し、独力外遊を試みんと欲し、爾来金策に汲々たり。
然れども為す所法規の外に逸し、貨幣贋造の嫌疑を受け、遂に囚れて獄中に死す。