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足洗いの湯

2002年夏、中尾高原に足湯 (足洗いの湯) が完成しました。
天気の良い日は、北アルプス・笠ヶ岳連峰を望むことができ、夜には星空も眺められます。


焼岳の麓から中尾高原の横を通り、蒲田川へと合流する川を足洗い谷と言います。
この谷には古くから昔話が言い伝えられています。そのお話をご紹介したいと思います。
(中尾の足湯は、この昔話をもとに「足洗いの湯」と名づけられました。)





足洗谷(あしあらいだに)の狼


 『こりゃあ、えろう遅うなってしまったなあ。』

 一人の男が、一重ヶ根(ひとえがね)の村のはずれを、星明りをたよりにトットと歩いておった。中尾のもんじゃった。
 真っ暗な杉林を足早に通り抜け、神坂(かんさか)の薄明かりを川向に眺めながら、男は、

 『神坂も過ぎたし、そろそろ蒲田(がまだ)の明かりが見えてきても良い頃じゃが。』

と思っていっそう速く歩き出した。じゃが、蒲田の明かりはなかなか見えてこなんだ。
 と、その時、背筋のへんを冷たいものがスーッと走った。何かに見据えられているような気がして、思わず立ち止まってしまった。あたりは森閑としていて、物音一つしないばかりか、先ほどまでは星が空一面に輝いていたのに、いつの間にか数えるほどしか見えなくなって、真っ暗な闇夜になっていた。
 通い慣れた道とはいっても、こうも背筋が冷たくなっては、とてもとても速く歩くわけにはいかなくなってしまった。

 『背筋を冷たいものが走るときゃぁ、獣か何かがじっと見据えておるげな・・・。こりゃあ、狼でも出おったに違いない。よわったことになりおった。なまじ弱ったいな振りしておりゃ、きっと襲いかかってくるにちがいないで、負けん気出して、一生懸命歩かにゃあ。』

 『こりゃあ、間違いなしに狼じゃ。狼は人を襲う時には後ろから前へ、前から後ろへと飛び越し、そのおりに人間の目に飛びかかると聞いとったが・・・。そうじゃ、狼めが飛び越せんように、木の枝を頭の上にかざして歩くこっちゃ。』

男はさっそく鉈をぬいて、木の枝を切り、枝の先をはらって、頭の上にかざして歩き出した。休むわけにはいかない。一歩でも二歩でも先へ進もうと、男は必死に歩き続けた。
 やがて、地獄平に近づくと、背丈をこすような薄の続く原っぱへでた。もうすぐ谷も近いはずじゃった。

 『ありゃあ、あっちこっちでバサバサ、ゴソゴソと音がする。さては狼も4・5匹に増えてきたに違いない。急がにゃえらいことになるぞ。』

 そう思った男は、無我夢中で走り出していた。


 どれくらい走ったじゃろか。

 『もうこれ以上は、とても走れん。』

と持った頃、ようやく谷の水音が聞こえてきた。この谷を越しゃ、中尾まではたいしたことはない。しかし、ここからは急な登りで時間もかかる。とても走るわけにはいかない。

 『なんとかせにゃ、なんとかせにゃ。』

と考え出したが、いい考えはいくら待ってもうかんでこなんだ。

 『こうしておっても仕方がない。とにかく、この谷を渡らんことには。』

と思って、男は谷水の中に足を踏み入れた。
 その時、谷水の冷たかったことったら。今まで動転していた気持ちが、スーッと落ち着いて、心臓の音も急に小さくなっていくような気がした。

 『そうじゃ。』

男はとっさにあることを思いついた。
 そして大声で、

 『やれやれ、やっと家についたぞ。この谷水で足を洗って入らにゃあ。』

としゃべりだした。そして今度は、狼のいる方へむかって、

 『お前たち、こっちは村の仲間がおおぜいいるとこじゃ。もうこわいことはないぞぉ。』

と叫んで、ゆっくりと足を洗い、腰の手ぬぐいを抜いて足を拭き、ようやく立ち上がって、あたりを見回してみた。
 するとどうじゃろう。さっきまであんなに執念深くついてきた狼の姿が、全然見当たらない。そればかりか、もうそこらへんにいるような気配は、少しも感じられなくなってしまった。狼達は、男の話と身振りから、村の中まで入って来てしまったとおもったのじゃろうか。さっさとそこから引き返していってしまいおった。

 『やれやれ、助かったわい。』

 男は安心して歩き出し、しばらくしてようやく我が家へたどり着くことができた。


 次の朝、中尾の衆に夕べのことを話すと、

 「よう機転がきいて、うまいことを考え付いたもんじゃのう。無事で帰れてなによりじゃ。よかった。よかった。」

 「ほんとじゃのう。」

 「どうじゃ、みなの衆、これからあの谷のことを、足洗谷(あしあらいだに)と言わまいか。」

というような訳で、それから人々は、この谷を、足洗谷と呼ぶようになったのじゃった。


                             “かみたからの昔話” より