『黄土の夢』 の作り方

ザ・メイキング・オブ『黄土の夢』 その1

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「『もし一六四六年、清帝国に攻め込まれて劣勢となった南明の軍事支援要請に、徳川幕府が応じていたら』というIF歴史シュミレーション小説を、鄭成功、徳川光圀、柳生十兵衛、由比正雪をキャラクターに据えて書いてみないか」と水を向けられ、「やります!」五里霧中で走り出す。

約2カ月後、基本のたたき台として作成したメモ。

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あらすじ

第一部

鄭成功の誕生(二四年)

父、鄭芝竜と明国、朱印船貿易

ドルゴンの活躍(+ヌルハチの死 二六年)から、明崩壊の四四年まで

四六年の援軍要請

 

第二部 激闘編

日本軍出陣! 日本軍の陣容、明国に与えられる牢人部隊の創設(厄介払い)

 

第三部 死闘編

ラスト 牢人の華南移住。但し中華思想の中で、二代、三代目には完全に現地化。元が明に取って替わった時も、モンゴル色一掃とモンゴル人、色目人の同族結婚を禁止する。

 当時の海外日本人町でも、婦人の移民が少ないため、第一世代は畳から雪駄、醤油まで日本から持ち込んだが二・三代で、すぐに現地に同化(日本人としての意識無し)

若干、明と日本の関係が良好に推移するも結局、後世の歴史に目立つ変化なし。但し、親中親日の観念・理念が残るため、心性史的には巨大な足跡を残す(現代でも残っているような脱亜入欧≠フような観念は生まれないのでは……さてはて)。

心性……イマージュや心的表象の体系、さまざまなシンボルの総体。人々の行動の仕方、世界の中での自己認識のあり方を統御する。

 

 

年表

一六〇〇年 関ヶ原

〇三年 徳川開府

一二年 キリシタンの禁

一五年 大阪夏の陣

 

一九年 ヌルハチ サルフ山の戦いに大勝 後金建国

二四年 鄭成功生誕

二六年 ヌルハチ没 寧遠城攻略の途上に紅夷砲で負傷、そのまま

二七年 大宗ホンタイジの平壌攻略

二八年 明の農民反乱の拡大(王嘉胤の挙兵)

 

三十年 シャムの山田長政の暗殺

三二年 内モンゴル制圧

三三年 日本 鎖国令発布(三三、四、五、六、九年の五段階で完成)

三五年 モンゴル八旗の創設

三七年 島原の乱

四二年 漢軍八旗の創設

 

四四年

明滅ぶ 李自成の農民反乱軍、二日で北京攻略(四十日で清に追われる)

呉三桂 清と結んで、山海関を開放 清軍の華北制圧

「薙髪令」全国民に鞭髪を強要(すぐ撤回)

南明亡命政権 南京の福王

清の南下政策

 

四五年

「薙髪令」の再布告(髪を留めるものは、頭を留めず)

南京の福王政権が倒れる(五月ピッタリ一年間)

浙江の紹興に魯王政権

福健に唐王政権(鄭芝竜・成功が参加)

 

四六年

南明の参将林高の書状と口上の覚書(書状は鄭芝竜の命を受けた武将周雀之の援軍を求めるもの)

幕閣紛糾する内に、清の定国大将軍ドドの華南作戦発動(十日の大劫略、軍民八十万の虐殺)

唐王が処刑され、鄭芝竜は清に降伏

広東の桂王政権(永暦帝) 李自成、張献忠の残存部隊と合流(ようやく南明の漢民族知識層と住民の挙国体制を)

 

四八年 鄭成功の援軍要請

 

五〇年 清 二度目の華南作戦(広州を落とし、桂林を突くも、湖南では敗北)

 

五一年  四代家光の死、由比正雪の乱

 

五七年 孫可望、帝位を狙って失敗、清に走る

 

五八年 清 三回目の華南作戦

 

五九年 永暦帝 雲南よりビルマへ逃亡

 

六一年

鄭成功の台湾攻略(艦艇五百隻、二万五千の精鋭部隊でオランダの城塞ゼーランディア城を落とす)

鄭成功の援軍要請(日本、安南、ジャバ、フィリピン、ローマ法皇まで国書を)

清「遷海令」で貿易はおろか、漁業も禁じる(内陸二十キロまで無人地帯に)

永暦帝 ビルマ側に捕縛され、清へ

 

六二年 鄭成功の死

 

 

キャスティング

主役 

鄭成功

清  ドルゴン

明  呉三桂

日本 徳川光圀 由比正雪

 

その他

儒教(陽明学と朱子学)中国思想の系譜(+道教、仏教など)

東南アジア(朱印船貿易とヨーロッパ人の活動)

牢人(四十万! 再就職等で二十三万五千という学説も。但し、小物や家族を含めると実数は六倍)

楠流軍学(江戸時代の軍学)

琉球・台湾の問題

 

『鄭氏の一党』

>>鄭芝竜(四〜六一年)福健の出身 和名は平戸一官、又は老一宮 字は飛黄 マカオで洗礼を受けたという説あり、クリスチャン・ネームはニコラス 息子、成功と通じた疑いで処刑、一族皆殺し

>>日本人妻 田川七左衛門の娘 小むつ?

>>鄭成功(二四〜六二年に三十八歳没)平戸生まれ 幼名は田川森(しん)又は福松 和籐内?

南明の唐王に、明王家の「朱」の姓を賜り、成功と改名。五八〜九年の北伐で、南京に迫るも大敗。

>>息子の経、孫の克爽(爽は左に土部付き)

 

『明』漢民族国家

>>神宗万歴(まんれき)帝(一五七二〜一六二〇年、十歳から在位)明滅亡の序曲 地下宮殿「定陵」の造営と万歴の三大征(モンゴル、播州の乱と豊臣秀吉の朝鮮侵攻)

名宰相、張居正の大改革と対象をなす放漫な親政 宦官の横暴に端を発する民衆暴動

 

>>泰昌()帝?

 

>>天啓(てんけい)帝(二〇〜二七在位)

崇禎(すうてい)帝 天啓帝の弟。十〜四四年。息子を逃し、一五歳の娘、長平・昭仁公主を刺殺して、万歳山で自縊。付き従うは、宦官一人。三十四歳。

内憂外患、斜陽の明を救わんと一人相撲。宮廷の派閥争い、軍の腐敗、干ばつ

 

>>妖人 魏忠賢(宦官のボス、?〜二七年)崇禎帝によって鳳陽へ追放の途上で自殺 この権勢下で官僚・知識人の一部有識者で構成された東林党が弾圧され、宦官が全国で出鱈目の限りを尽くす

 

『南明の亡命政権』

四四年 南京の福王(翌年五月に崩壊)東林派と宦官の争い 悲運の国士、史可法の憤死

四五年 浙江の紹興に魯王

   福健の唐王(翌年に処刑)

四六年 広東の桂王、後に永暦帝 呉三桂に追われ、雲南からビルマまで逃げて捕らえられる

左良玉 八十万の私兵を抱える? 不明!

 

『反乱軍』流賊・闖賊〜民衆反乱軍

>>王嘉胤(?〜三一年没)二八年に富民の蔵から食糧を盗んで官憲に追われて、盗賊団を結成。部下の裏切りで殺される。三六営、二十余万の大所帯に

>>高迎祥(三六年捕縛)以下、二つに分派

>>李自成(四五年、湖北、九宮山の自警団に殺される)、軍師の李厳、残虐な劉宗敏(孔明、関羽の知勇?)、規律正しい解放部隊の李厳、宋献策。一時は歩兵四十万、騎兵六十万 北京で皇帝に

>>張献忠(四六年末に敗死)

 

『漢軍八旗』明の裏切り者

>>呉三桂(十二〜七八年)山海関の最強部隊、四四年に清側に 字は月所、長白 約一万の甲兵と一万二千の緑旗兵を指揮し旧主、南明諸王家を討伐 雲南の藩王に。

愛妾の陳円円、昔の上官だった洪承疇(しょうこうちゅう)

>>尚可喜(広東の藩王)

>>耿仲明(四川の藩王)

 

『後金→清』混血国家

>>大祖 ヌルハチ(?〜二六年没)姓は愛新覚羅(金族を意味する)

>>大宗 ホンタイジ(皇太極一五九二〜一六四三年)ヌルハチの第三妃イェヘ=ナラの子(八子)

>>長男ホーゲ(豪格)ドルゴンの圧力で登極辞退

>>八男フリン(福臨)後の順治帝(三八〜六一年没)四三年に六歳で登極、五一年より親政

 

ドルゴンまたはドルクン(一二〜五十年にカラホトンで三十九歳没)ヌルハチの第四妃ウラ=ナラ氏(アバハイ)の子供(十二子)

二八年蒙古を討ってメルゲン=ダイチン(賢明なる戦士)の称号

三五年チャハルのエジェイを降伏させ、元伝国の玉爾を得る(=三六年大清の国号へ)

四八年に皇父、摂政王と称される(=兄ホンタイジの妻、順治帝の母を妻にする)

定国大将軍ドド(?)ドルゴンの同母弟

 

『西洋人』カソリックのイエズス会士

マテオ・リッチ(一五八二年マカオへ)

アダム・シャール(一五九一〜一六六六年 ドイツ人)三三年に北京へ 天文台の長

フェルビースト(二三〜八八年 ベルギー人)六十年に北京へ 三藩の乱(七三年)に軽量砲を開発

 

『江戸幕府』

>>徳川家光(四代、五一年に四八歳の没)

>>徳川綱吉(五代、十一歳で将軍に)

>>副将軍 光圀(二八〜一七〇〇年)二代水戸藩主 幼名千代松 唐名権中納言から水戸黄門

典型的な開明君主とされた(寺社仏閣の復興、殉死の禁止、水道、貧農救済、産業の開発、巨船快風丸による蝦夷の探検、大日本史の編纂)

 

『御三家』

家康の子を祖とする親藩大名、殿中の席次は大廊下上部屋、「国老」の称号、宗家に世継ぎなくば受け継ぐ権利を

>>紀州頼宣(よりのぶ家康の十子)紀伊と伊勢松坂五五万五千石

>>水戸頼房(十一子の頼宣が開祖) 常陸国三五万石

>>尾張義直(家康の九子) 尾張、美濃の一部、信濃の木曽山六一万九千五百石

 

『大老』

大家老の略、豊臣政権の五大老が始まり、十万石以上の親藩から非常時に選出、将軍に上申、可否の建言を行い、将軍も従うを得ないぐらいの力

>>酒井忠勝

 

『老中』

>>松平伊豆守信綱(智恵伊豆?)

>>阿部忠秋(牢人所払いを止めさせる)・重次父子

>>井伊直考(唯一の出兵無用論者)

 

『朱子学者』

>>林羅山(一五八三〜一六五七年)儒学者、本名は又三郎信勝、羅山は号、字は子信、幼名は菊松、僧名は道春。僧門を飛び出して、二五歳で幕府に出仕、徳川家康・秀忠・家光・家綱四代の顧問に。

若い頃は、陽明学の理気一元論の引かれるも四十代に保守的な朱子学の理気二元論に転向。五経に訓点を施し、兵法、老荘、国文学と幅広い関心も

>>林春勝(羅山の三男、家光に近い顧問)

 

『大名』やる気満々

>>立花宗茂

>>板倉重宗(京都所司代)

 

『役人』

>>石谷貞清(北町奉行、在職九年間に七百人、退職して死ぬまでに三百人の牢人就職の世話)

慶安四年の落首に「すたりもの 武芸の沙汰に素牢人 橋の出店に河岸の小屋掛」

 

『浪人』生活苦

>>由比正雪(楠流の軍学者)

>>丸橋忠弥(宝蔵院流の槍の妙手、弁慶か朝比奈の力)

>>金井半兵衛

>>吉田勘右衛門

>>河原十郎兵衛(小石川の塩硝蔵の番人、爆破物の使い手? ムチャすれば……)

 

『船主』

中国筋の亀井

西国大名の島津、加藤、細川、有馬、松浦

京、堺、長崎、大阪、江戸の商人

在日外国人の大物の三浦按針、ヤン・ヨーステンなど

 

参考資料

 伝統中国の完成 中国の歴史4 講談社現代新書 岩見宏・谷口規矩雄著 講談社

物語中国史(下) 佐藤鉄章著 河出書房新社

中国五千年(下) 陳舜臣著 平凡社

 

鎖国 日本の歴史十四 岩生成一著 中央公論社

元禄時代 日本の歴史十六 児玉幸多著 中央公論社

徳川将軍列伝 北島正元編 秋田書店

国性爺合戦 古典文学全集十九 近松名作物語 横山青娥編著 ポプラ社

 

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解説

これはもう、出だしも出だし(^_^;。

正直、簡単な年表を作成、使えそうなキャラクターを列記することによって当時の世界をおぼろげながら理解し、くらげのようなアウトラインを頭の中に作り始めたころです。

実際、主役にするつもりだった鄭成功は脇役となるし、ほとんど使わないキャラクターが目白押し。あらすじの一部と二部は、間延びを押さえるために一つの話しになります。

理由は、「このまま、単に歴史をなぞるだけでいのか」、「物語としてのプラス・アルファが必要だ」という編集さんのアドバイスを受けて、日本国内の事情、倒幕陰謀をからめることにしたからです。

 

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以下、次号にて