イタリア・ギリシア見聞録

イタリア・ギリシアのツアーに友人と行ってきました。

2001.04.09〜2001.04.18

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ミラノ観光

7:30にモーニングコールがかかったが、すでに起きて身支度を整えてあった。 9:00に出発なので、7:30起床では余裕がない。
朝ごはんはホテルのレストランでビュッフェ形式だが、日本のそれとは違い、あまり料理の数がない。

今日は、午前中はミラノ市内観光だ。

まずはスフォルツェスコ城の見学。とりあえず写真撮るか。パシャ。ジーーーー。あ…私は前日の成田エクスプレスに乗るあたりから写真を撮り始め、空港だの機内食だの、ホテルの部屋だの撮っていたので、もうフィルムがなくなってしまった。添乗員さんの説明を皆が黙って聞く中、私のカメラのフィルムを巻く音が鳴り響いていた。
城の中のステンドグラスが繊細で美しかった。また写真。
ツアーの観光なので、あまり立ち止まったりはできない。

イタリア語

城の敷地内に小さな売店が出ており、お土産が売られていた。
友人は商品の一つを指差して、「ポッソ・トッカーレ?」と聞いた。手に取ってみてもいいですか?という意味で、お店の人はうなづいた。

おおっ友人の初イタリア語がちゃんと通じている!!
友人は用意周到な人で、旅行前からガイドブックとイタリア語会話の本を熟読していた。
おかげで、挨拶や単語だけでなく、簡単な文も言えるようになっていた。
私といえば、旅行直前までかなり仕事が忙しく、毎日帰宅が深夜になっていた。
「とにかく寝たいよう。はやく解放されたいよう」という思いばかりで、イタリア旅行にむけて下調べをする余裕がなかった。
そのため、「『お願いします』は『ぺルファヴォーレ』だよ」と教えられたにもかかわらず、その直後の友人あてのメールに「それじゃあプレファボーレ!」などと思いっきり間違えて書いてしまい、「君、やる気あるの?」と怒られていた。
そして友人が見ているNHKイタリア語会話の講師ジローラモさんのこともいくらたっても覚えられず、「ジェラーモ」さんとか「ジオラーマさん」などと呼び間違えていた。
最終的に覚えられたのは挨拶と「ノンカビスコ(わかりません)」だけだった。
友人が言うには、イタリア語はカタカナそのままで、発音しやすいらしい。確かに、その後も友人のイタリア語は通じまくって、聞き返されたり、怪訝な顔をされることは一切なかった。
自由行動の多いツアーだったので、私ももっと勉強していけば良かったと後悔した

感動する心

町へ出てドゥオモ、オペラ座、などの外観を見た。
どこかの教会の中も入った。薄暗いが天井が高く、ステンドグラスがたくさんあった。
周辺の建物は石造りで良い形だが、町は道が狭いせいか、ゴミゴミしているように感じた。おまわりさんが二人いた。かぶっているヘルメットだか帽子だか、ちょっと縦長の丸みを帯びたデザインで面白い。良く見ると片方は女性だった。男性も女性も同じ制服なのだな。日本では婦人警官はスカートだけど、スカートじゃ動きにくいよね。

昼食はミラノ風リゾットとカツレツ。
カツレツは本来なら牛肉を使うのだが、このころ牛の病気が流行っていたため、豚肉が代用されていた。
ツアーで連れて行ってもらうお店はたいていおいしくないものだが、ここも同じだった。「まぁ、こんなもんか」程度。にもかかわらず、同じテーブルにいた女の子二人が「おぉいしい〜!」と声を上げたのには驚いた。「こんなにおいしいもの初めて食べる!」といった様子で感動している。そうか…若者にはおいしいのか…私はぜいたくになってしまったのだな…としみじみした。あとで話したら、友人も同じように感じていたらしい。歳をとるというのはさみしいものだ。いつまでも感動を忘れないようにしたい。

電話で緊張

食事の後、ヴィットリオ・エマヌエーレU世アーケードを案内される。色々なお店が連なっている商店街で、とても有名なところらしい(よく知らない)。
でも、大勢でゾロゾロ移動していたので、よく覚えていない。

そのままミラノの街中で解散となった。このあとは自由行動で、自力でホテルに帰らなければならない。
なんというか…はじめての自由行動が、イタリアの中でもかなり治安の悪いミラノというのが恐ろしい。
添乗員さんと別れる前に、テレホンカードを買ってもらい、まずは公衆電話から家に到着の電話をかけることにした。
友人と二人だけになると、周囲の人が皆悪い人に見える。
「電話をかけている間にすられる」という被害例を思い出し、一人が電話をかける間はもう一人が周囲に注意する係をすることにした。
な、なんだってこんな緊張感の中電話をしなきゃなんないのさ。しかし、ビクビクきょろきょろしている私達は逆に挙動不審だったかもしれない。
イタリアのテレホンカードは使い始めるときに角を切り取るのが日本とは違って面白かった。電話のかけ方は簡単だった。母が電話口に出て、「あら〜!イタリアから??まるで町内にいるみたいによく聞こえるね!」と素朴に感動していた。ふっ…。

散歩で緊張

このあと、先ほど外観だけ紹介されたドゥオモに上ることにした。
ドゥオモとは、寺院の塔のことで、イタリアの各町には必ずその町のドゥオモがある。護国寺ってことかな?
徒歩で行くコースとエレベータを使うコースがあり、料金が別だったが、もちろんエレベータを使った。こんなところで体力を消費してはいけない。
大きくて、立派な教会だった。
ゴシック様式とやらで、非常に繊細な修飾がされている。何本も塔があるが、そのほんの先っぽにも細かい飾りが彫り込まれている。
教会の屋根まで登れる。もちろん囲いはあるが、かなり高い位置からミラノの町を見下ろせる。

ミラノの町をちょっと歩く。
といっても、ブランドものを買うでもなし、あまり目的はないのだが。
それにしても街中を歩いていると、ひどく緊張する。どこからスリにやられるかと、ビクビクしてしまう。
唯一、大きなデパートの中では少し安心できたので、道を確認するときなどはデパートの中でガイドブックを開くようにした。

地下鉄で緊張

ホテルの最寄駅で地下鉄を降りたはいいが、改札からどの出口へ行ったらいいか、よくわからない。他の乗客はどんどんいなくなり、改札付近には人が少なくなった。
すると、友人が「ねぇ…あの人」とささやいた。見れば、背の高い若い男性が離れたところから私達のことを見ている。なんで!?誰か待っている待っているふうでもない。明らかにアヤシイやつっ!そう判断して、私達はともかくその場を離れた。
ああ、コワイよ。コワイところだよミラノ!

地上に出て、ホテルを探した。
壁の落書きなどを見ると、やはり風紀の乱れを感じる。
かなり難儀したが、なんとかホテルにはたどり着いた。ガイドさんの書いてくれた地図は結果的に見ると実際とちょっと合っていなかった。
皆さん精力的に出歩いていて、夕食も外に食べに行ってしまったが、私達はもう歩く元気はなかったので、ホテルのレストランですませた。味は今一つだった。
かなり気疲れしたので、二人とも少々無口だった。

 

〜つづく〜


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