阿波踊りとは・・・

 阿波踊りは徳島県を本場とする祭りである。阿波踊りの起源については諸説あるが、一番有名なものは、戦国時代末期の1585年(天正13年)に蜂須賀家正が徳島城を築き、その落成祝いに無礼講の踊りを場内で行ったというのが始まりであるという説である。その400年の歴史を持つと言われる阿波踊りは、かつては『阿波の盆踊り』と呼ばれていたが、1928年に昭和天皇御大典奉祝・徳島市制記念に郷土史家の林鼓浪によって『阿波踊り』と命名された。今のような阿波踊りの形になったのは戦後で、民衆のエネルギーの発散の場として、徳島県の観光資源として、規模を拡大しながら現在に至っている。

  詳しい阿波踊りの歴史についてはhttp://www.topics.or.jp/awaodori/ などを参照してください。

 阿波踊りは基本的に「連」と呼ばれる集団による行進形の踊りである。街頭や演舞場を隊列を組んで流して踊ること(これが一番多い)や、路上などで円を描いて、その輪の中で隊列を変形させたりした演出を凝らした踊りをすることもある。また演出を凝らした踊りはショーアップされたステージで行われることもある。

 一つの連を構成する要素は、「踊り子」と「鳴り物(お囃子)」である。踊りは「男踊り」と「女踊り」があり、男踊りはゆかたやハッピを着て鉢巻や頬かむりをし、女踊りは丈の長い浴衣に鳥追い笠をかぶり踊る。女が男踊りをすることはあるが、男が女踊りをすることは無い。鳴り物は「三味線」「笛」「鉦」「締太鼓」「大太鼓」「鼓」などで構成されている。鉦や太鼓の打楽器が二拍子のリズムを刻み、そのうえに三味線と笛がメロディーを奏でている。このような構成の踊り子と鳴り物が「高張提灯」を先頭に隊列を作って踊るのである。また盆踊りの東京音頭やたんこう節のような民謡系の踊りとはリズムや踊り方が全く違い、高度な技術を要する踊りである。

 一連の構成人数は小規模な連でも30名ぐらいから、大規模な連になると200名を超えるところもある。だいたい50名から100名ぐらいが標準的である。例えば100名の連であると30名ぐらいが「鳴り物」、残り70名が「踊り子」になるような人員配分となっている。この連の数が徳島県には約800あると言われている。徳島市の阿波踊り開催期間4日間でのべ900連が踊る。高円寺では約60連が踊りを繰り広げる。

 その多くの連の中で、人々の注目を浴びている連を「有名連」と呼ぶ。この有名連とは、一年を通じて阿波踊りで活躍している、踊りの技術がプロである連である。徳島ではこの有名連は阿波踊りの協会に所属している連(一部を除く)を指している。現在徳島県には「徳島市阿波踊り振興協会(16連)」、「徳島県阿波踊り協会[徳島市](17連)」という協会があり(カッコ内の連数は2001年時点)、これに所属する33連と所属ではないが名の通った連数連が有名連と呼ばれている(もう一つ、徳島県阿波踊り保存協会がありここに所属する9連も有名連と呼ぶ場合もある。)。高円寺の阿波踊りにも「高円寺阿波踊り連協会」という組織があり、これに属する22連が高円寺の有名な連となっている。さらに企業が企業名を連名にして参加している連を「企業連」、学生が学校名を掲げて参加する連を「学生連」と呼ぶ。また、阿波踊りを踊ったことがない観客も「にわか連」と呼ばれる飛び入り歓迎の連に参加することができる。このように様々な人が参加できる特徴を阿波踊りは有している。