![]() |
![]() |
日本でありながら、日本ではないその食文化。それを知るには沖縄の歴史的な背景を知る必要がありそうだ。 |
| ■沖縄の歴史 | |
| 沖縄の料理は、同じ日本でありながら和食とは食材も料理方法も異なる独特の文化を持っています。これを知るには、昔の琉球王朝時代に遡ります。 | |
●12世紀から14世紀にかけて。12世紀と言えば、日本は鎌倉時代。 その頃、沖縄の各地にリーダーが現れ互いに勢力抗争を繰り返すようになります。そのリーダーたちの勢力は沖縄本島の北部・中部・南部に分かれ、それぞれの土地にお城を築くのでした。 15世紀の始め、その争いに終止符を打った「尚巴志(しょうはし)」は、その3つの勢力を統一し、今の那覇市の西側・首里に城を築き、ここに「琉球王国」が樹立されたのでした。 | |
![]() | |
| 15世紀前半、南海の孤島に一つの王国が誕生した。その名を「琉球」という。中国を始め、日本、朝鮮、そして遠くは東南アジアの国々との交易で栄え、実に個性的な文化の華を咲かせた。やがて、その華やかな歴史も薩摩によって支配される・・・・・・。 | |
| 琉球王朝が確立される以前の1372年、当時建国間も無い中国「明」の洪武帝から、当時の沖縄本島の3つの勢力のうち、中部の「中山王」のもとに、「明」への貢物を差し出すよう使節団が訪れました。この「貢物」を差し出すということは、「明」との主従関係を締結するということであり、「明」は当時、中国皇帝を頂点とする世界秩序(これを冊封体制といいます)を作り上げるためのネットワークを拡大しようとしていて、沖縄もその一員に加えようとしたのでした。琉球王朝成立後、沖縄は「琉球王国」としてその冊封体制の仲間入りを果たすことになります。 | |
![]() |
貢物を贈るということは、一見支配下に置かれるように思われますが、それ以上に中国皇帝から国として認められるだけではなく、大きな経済的なメリットがありました。中国への貢物を運ぶ船を「進貢船」といいますが、その進貢船は中国からの帰りには、中国の特産品を満載して戻ってきたのです。そして又、その関係は「明」を中心とする広いネットワークを利用して朝鮮、日本、東南アジア各国との活発な外交・交易を展開することが出来るようになりました。 この頃の沖縄(琉球)は実に平和な社会を形成しており、礼儀を尊び、決して人に危害を加えるようなこともなく、武器を持たない民族として成り立っていました。「守礼門」に表されるように礼儀作法を守る国だったのです。唯一自分の外敵から身を守る方法として編み出されたのが「空手」でした。素手で相手に立ち向かうことが許された方法なのでした。 このような平和で豊かな王国として形成された「琉球王朝」も、1609年薩摩により侵略され薩摩の植民地と化すまでの450年間でその華やかな文化は幕を閉じるのです。 |
|
| |
| ●宮廷料理−中国からの使者を迎えるための料理− | ![]() | |
| この頃のこうした中国との活発な交流は、やがて中国政府から使者が訪れるようになり一部の中国人は琉球に定住するようになります。そのために那覇の一区域に中国からの来賓を迎える「迎賓館」や住まいを提供する建物を築きます。そして、それら賓客をもてなすための「料理」を作ることになります。相手が中国中央政府からの来客ですから、今の東京の「迎賓館」のように技術の粋を結集した料理だったに違いありません。それも中国人の口に合うものを考えたのでしょう。それが「琉球宮廷料理」として今に伝わるものなのです。それはその当時の中国料理や日本料理を中心に、東南アジア諸国の食文化の影響の中からオリジナルな料理へと移り変わったものであったと推測されます。 右の写真は「東道盆(トゥンダ-ブン)」と呼ばれる宮廷料理の代表的な料理。いわば琉球料理のオードブルというところ。 | ||
| この「東道盆」には「みぬだる」(豚肉を黒胡麻にまぶして蒸したもの)や、魚の昆布巻き、魚の天婦羅、花イカ、かまぼこなどが盛られていました。その他に「大平(おおひら)」と呼ばれるカステラ風蒲鉾や海老、山芋料理、椎茸、その他の料理を盛り合わせたものがあるようです。その他に、ミミガーの和え物、ジーマミー豆腐(ピーナッツで作る豆腐)、ラフテー、中身のお吸い物、いなむどぅち、なども宮廷料理の一部だったようです。 右の写真は「豆腐よう」と呼ばれる、豆腐を発酵させて作るチーズのような味わいのもの。中国から伝来した中国名「腐乳」という珍味。 |
![]() | |
|
| ||
| ●庶民料理。−今も日常的に食される沖縄料理− | |
![]() |
宮廷料理に対して「庶民料理」があります。一般的に琉球(沖縄)料理という場合、この両方のことを言います。庶民料理は貧しい生活の中から工夫して生み出された料理が多いということですが、ところが実際のその特徴は「豚肉」を使用した料理が多いということでしょう。そして、その豚の頭から足の先、内臓に至るまで余すところ無く使用するのです。この幅広い豚の調理法は琉球料理の大きな特徴と言えるのではないでしょうか。 でも、その豚肉と同じぐらい利用される食材があります。それは「豆腐」です。豆腐は植物性蛋白質の代表ですね。炒め物には必ずと言ってもいいほど、豆腐を入れて調理するのです。そして感心するのが「昆布」。昆布は北海道などの寒い地域で採れるものです。この昆布の消費量は何と日本一。昆布は出汁をとるのと同じに食物として扱います。宮廷料理の中に「昆布巻き」があるぐらいですから15−16世紀ごろから沖縄に入っていた事になります。どうやって伝わったかは色々な文献を見ても載っていません。多分当時の日本との交易で移入してきたのでしょうが、実に不思議です。 そして、ゴーヤーに代表される緑色野菜もとても良く食べられるものです。いずれにしろ、沖縄料理の底辺に流れるものは「医食同源」の思想。例えば「フーチバーじゅーしー」と呼ばれるよもぎ入りの雑炊なんかはまさにそのさいたるもの。沖縄料理の中心は「豚肉料理」ではあるのですが、それと同じに食される多くの料理は、実にバランスが良く、沖縄が長寿の邦と呼ばれるのはその辺から来ているのでしょうね。 |
| ●沖縄そば | |
![]() | |
| ●足ティビチ | |
![]() | |
| ●豆腐チャンプルーとゴーヤーチャンプルー | |
| ■このように、琉球料理の歴史は琉球王朝に由来する。 | |
| 琉球王朝時代と言えば、忘れてはいけないものに「泡盛」があります。泡盛は当時の東南アジアとの交易によって、タイからもたらされたものです。多分もともとはタイで作られていたお酒を持ちかえったのが始まり。ですから今でも泡盛の原料となる「米」はタイの米を輸入して作っています。タイ米でないとあの味が出ないのだそうです。 どうですか。日本料理との違いが少しはお分りいただけましたでしょうか。料理というのは一つの「文化」です。「所変われば品変わる」ように、土地土地によって食べ方が違い、料理方法が変わります。それはまさしくその土地の歴史に由来します。ですから「旅」をしてその土地の食べ物を口にする行為はまさしくその土地の文化や歴史に触れることですね。 ときどき、本土からの旅行者の中に、「沖縄のメシはまずい」と怒り出す方がいます。お怒りになられてもこれが沖縄の料理。料理を否定すると言うことは沖縄の文化や歴史を否定されるのと同じ位の意味がそこにあります。何故これが沖縄の料理なのか、その背景を知ることも旅行をするひとつの意義なのだと思います。 最近になって(この10年ぐらいでしょうか)、少しづつ沖縄が日本社会に「認知」されるようになってきました。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌など多くのメディアに沖縄が取り上げられ、そしてスピード、マックス、安室奈美恵など沖縄出身のタレントの活躍が一層それをバックアップしているように思います。観光地・リゾート地として多くのお客様が訪れるようになりました。ただ、沖縄が今ブームの波に乗っているからという理由だけでなく、本当の意味で沖縄をご理解いただけたなら、嬉しいですね。そして、沖縄の料理がもっと認知されてもっと多くの方々に食していただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。本当に自然な料理、食材自体の持つ味を生かした料理・・。だから素朴で見た目に派手さはありませんが、人間にとって健康を維持するためのバランスの良さが際立ちます。中国から伝わった「医食同源」こそ、食事の原点なのですから・・・。 | |
|
|
|
|