mynikonf_t2.htm
 
ニコンFフォトミック 1962年製造

 

§§ ニコンFと私の出会い §§


 二十歳の頃、ボードレールの詩集『悪の華』に夢中になっていました。たぶん、学校の図書館でも詩集を読み漁っていたと思います。そのころ私のカバンの中にはニコンSPが入っていました。私の傍にひとりの男が近づいてきました。瀧澤芙司夫です。彼が言うのに、「今度、日本光学が一眼レフを出すということだ。あの保守的な三菱系の日本光学が出すからには、これからのカメラは一眼レフに取って変わるぞ」と言ったのです。1958年(昭和33年)のことです。その翌年6月にニコンFが売り出されたのでした。発売と同時に私はニコンSPを下取りに出してニコンFを手にしたのでした。
 それがニコンFとの出会いでした。ニコンFのファインダーを最初に覗いた時の感動は今でも忘れません。ニコンSPと異なり手の中にずっしりと納まるボディとファインダーに写る被写体、一眼レフの魅力の全てがニコンFの中に凝縮されていたのです。
 ただその後、再びニコンSPを手にすることはありませんでした。ニコンSPを見捨てたことは本当に愚かなことでした。40年たった今でも後悔しているほど愚かなことだったのです。
 それにしても、瀧澤芙司夫という男は大したものでした。その後、レンジファインダーのカメラは廃れて、カメラは一眼レフの時代に入り、現在に至ったいるのです。
 瀧澤芙司夫は、映画科を卒業して渡辺プロに就職、植木等のマネージャーをしばらくしていましたが、放送作家になるため青島幸男に弟子入りしました。フジテレビの「大人のまんが」、NTVの「シャボン玉ホリデー」などのシナリオを書いていました。
 その後、映画「トムとジェリー」の翻訳など、NHKテレビの洋画の翻訳などで瀧澤ふじおの名前を目にしました。
 私とニコンFとの出会いには、瀧澤芙司夫というひとりの作家が絡んでいるのです。
 
 ニコンFの成功の理由に、基本性能の高さとシステムとしての豊富なアクセサリーの充実、そしてフォトミックシステムの発展に負うところが大きいと考えます。
 ニコンFがその時代ごとに、最先端の測光システムを取り入れています。それがニコンFが一眼レフの頂点に位置づけてきたのではないでしょうか。
 ニコンFフォトミックは、当時のシステムから一歩進んだ外光式Cds内蔵のファインダーを採用して1962年4月に発売されました。それ以降も最新技術をもって、フォトミックT、フォトミックTn、フォトミックFTnと発展していきます。
 
 まだまだ続きます・・・・。





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