|
今から40数年前にワープしてみます。
二十歳の頃、ボードレールの詩集『悪の華』に夢中になっていました。たぶん、学校の図書館でも詩集を読み漁っていたと思います。そのころ私のカバンの中にはニコンSPが入っていました。私の傍にひとりの男が近づいてきました。瀧澤芙司夫です。彼が言うのに、「今度、日本光学が一眼レフを出すということだ。あの保守的な三菱系の日本光学が出すからには、これからのカメラは一眼レフに取って変わるぞ」と言ったのです。1958年(昭和33年)のことです。その翌年6月にニコンFが売り出されたのでした。発売と同時に私はニコンSPを下取りに出してニコンFを手にしたのでした。
それがニコンFとの出会いでした。ニコンFのファインダーを最初に覗いた時の感動は今でも忘れません。ニコンSPと異なり手の中にずっしりと納まるボディとファインダーに写る被写体、一眼レフの魅力の全てがニコンFの中に凝縮されていたのです。
ただその後、再びニコンSPを手にすることはありませんでした。ニコンSPを見捨てたことは本当に愚かなことでした。40年たった今でも後悔しているほど愚かなことだったのです。
それにしても、瀧澤芙司夫という男は大したものでした。その後、レンジファインダーのカメラは廃れて、カメラは一眼レフの時代に入り、現在に至ったいるのです。
瀧澤芙司夫は、映画科を卒業して渡辺プロに就職、植木等のマネージャーをしばらくしていましたが、放送作家になるため青島幸男に弟子入りしました。フジテレビの「大人のまんが」、NTVの「シャボン玉ホリデー」などのシナリオを書いていました。
その後、映画「トムとジェリー」の翻訳など、NHKテレビの洋画の翻訳などで瀧澤ふじおの名前を目にしました。
1982年には彼の作品「飛べ、京浜ドラキュラ」が野沢那智の演出で上演されています。出演は中尾隆聖、戸田恵子、水島裕、内田直哉さんたちでした。第9回公演の「飛べ、京浜ドラキュラ」は、その年の「ぴあ10」の上位にランクされた作品です。今や伝説のミュージカルとなったこの作品、ご覧になった方は果たして何人くらいいるでしょうか?この作品は、81と野沢那智氏主宰の劇団薔薇座との共同公演だったのです。今にすればとてつもない豪華なキャストでした。
私とニコンFとの出会いには、瀧澤芙司夫というひとりの作家が絡んでいるのです。
私の持っているニコンFは、ボデイナンバーが6441583・6518037・7046137・7096012・7308482の5台です。6519037と7308482がアイレベルのニコンFです。6519037はFの初期(三段階に分けるとして)の後半の製造となります。私の想像からNIKONのマークが文字ではなく富士山マークです。富士山マークの最後の製品だと想像します。そしてボディは黒です。富士山マークのF黒は数少ないカメラではないかと思われます。
まだまだ続きます・・・・。
|