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「ニコン SP」の発表とその反響
昭和32年(1957)9月、まずアメリカのシカゴで、つづいて同月、東京とニューヨークで同時に発表会を開催した。
発表時の国内小売価格は、「NIKKOR-S・C 5cm F1.4」レンズ付で 9万8000 円(ケース付)であった。
国内では、東京のほか4都市で報道関係者やカメラ販売店を対象に発表展示会を催し、「「ライカ M3」以後、初めて特殊ファインダーなしで各種レンズの使用できるカメラが「SP」において実現した」(「写真工業」誌32年11月号)などの評価を得た。
アメリカでも「ニコンS2」のときと同様、3大写真雑誌である「ポピュラー・フォトグラフィ」誌、「モダン・フォトグラフィ」誌、「USカメラ」誌が、独創的なファインダー機構、高性能のフォーカルプレーンシャッター、モータードライブなどの特徴を高く評価した。
また、全米に放送網をもつ NBC は、テレビカメラの前に立った 長岡 社長を「日本のカメラは、いまやドイツのカメラに対して勝利をおさめた」と紹介した。
昭和33(1958)年4月から10月にかけて世界40か国が参加したベルギーのブリュッセル万国博覧会に当社も出品し、「SP」は、ニッコールレンズ、光学ガラスとともにグランプリを受賞*した。 ニコンのホームページ「遡るニコン史」より
ニコンSPでの撮影が始まる
手元に1冊のアルバムがあります。昭和35年(1960)に作ったアルバムです。最初のページに平安神宮でのキャビネ大の写真が貼ってあります。平安神宮の写真は昭和34年の夏です。まだ新幹線もなく、どこの観光地に行っても、いまでは想像もできないほど人の姿は疎らでした。
2ページからは伊豆大島の写真、次が井の頭公園と豪徳寺でのポートレートです。これが私のニコンとライカのアルバムの始まりでした。
当時、私はフイルムの現像、焼付け、引伸しと自分の手でやってました。ですので、ベタ焼きのアルバムが今も残っています。そのベタ焼きのアルバムを見てみますと、「ニコンSP」のフイルム1本目の撮影の日付は、1959年5月27日から5月30日となっています。豪徳寺と井の頭公園でのポートレートです。2本目のフィルムの日付は、6月15日から6月30日、国立西洋美術館の前でポートレートを撮っています。ちょっと驚いたのですが、撮影レンズが105mmなのです。
それで疑問に思っていたことが説けました。最近になって分かったのですが、当時ニコンSPの値段は9万8000円でした。ところが私の頭の中には、ニコンSPを買った時14万円ほど支払った記憶があるのです。今日(2000年12月)、アルバムを見ていて分かったことなのですが、ニコンSPと一緒に105mmの交換レンズも買っていたのです。
フイルムの3本目は公園とアパートの室内でのポートレートです。4本目は7月23日、鎌倉で撮影しています。5本目が7月26日と28日、天橋立でのポートレートです。6本目が京都東寺と平安神宮と知恩院、7本目が7月30日31日で清水寺、銀閣寺、金閣寺、広隆寺の弥勒菩薩が撮影されています。8本目が7月31日から8月4日で奈良東大寺、9本目が8月5日、東大寺2月堂、法隆寺、9本目がやはり法隆寺、10本目は8月6日薬師寺で撮影していました。
この撮影の被写体は、いまのカミさんです。昭和15年生まれのカミさんですから、この昭和34年(1959)は19歳の時でした。
ニコンSPの10本目の撮影は神戸です。そのベタ焼きの中に学生時代の友人神原氏の姿がありました。学生時代に作った演劇の演出をした男です。11本目は昭和34年の9月14日、世田谷赤堤のアパート、12本目は10月15日で世田谷豪徳寺のアパートです。ということは、ここで赤堤から豪徳寺に引っ越ししていたのです。13本目、14本目、15本目と小河内ダム、鳩ノ巣の渓谷でのポートレートが映っています。
16本目は昭和34年12月1日から27日までの写真です。上野動物園とクリスマスのケーキを切っている写真、それと興味ある写真はテレビドラマのタイトルの写真です。
そのドラマは「私は貝になりたい」です。フランキー堺が演じた主人公が死刑を宣告されたアップの写真が写っていました。
20本目に友人たちの写真が写っていました。海田・テレビ局報道部長、坂本・宝石店経営、光岡・宣伝会社社長、瀧澤・放送作家、それに故猪俣公章・作曲家たちの面々です。学生手帳の写真を撮った覚えがありますから、これがそれなのかもしれません。
23本目に芦花公園、徳富蘆花の家の写真が写っています。24本目は35年6月4日でS氏、O氏、そして私の3カップルでの日光ドライブの写真です。当時の飛んでいた私たちのすごい写真が写っています。現在、S氏は日本薬剤師会々長、厚生省中央薬事審議会の審議委員をやっています。
このニコンSP(シリアルNO.6217149)のシャッター幕はチタン幕です。当初は布幕で、昭和34年5月頃からチタン幕に変わっています。標準レンズとしてニッコールN、50cm F1.1(外爪)が付いています。1950年頃から官民一体となって新種光学ガラスの研究開発がおこなわれていて、日本光学工業でも新種ガラス4枚を使用した開放F値1.1という最も明るい大口径レンズを発表しました。レンズ構成は6群9枚の変形ガウスで、各レンズ面にマゼンタとアンバー色のコーテングを使い分けています。
このレンズは普通の標準レンズと同じようにバヨネット・マウントの内側に装着しますが、強度の問題から、のちにマウントの外側に取り付ける方法に変更され、そのレンズと区別する意味から「内爪」と呼ばれています。
内爪の5cmF1.1は首が細く重いのでガタがきやすかったため、外部バヨネットを使用する外爪式のレンズが1959年に発表されました。それがこのレンズなのです。レンズのコーティングがより近代化され、やや青みがかったナチュラルな発色がします。このレンズは今ではよほどのことがない限り目にすることがなくなりました。
そのニコンSシリーズ用には、21mmから1000mmまでの大陣容の高性能なニッコールレンズ群が用意されていました。一眼レフ用も含め現在までニッコールレンズ中で最高の明るさを誇るレンズがニッコールN50mm F1.1レンズです。このレンズはマウントの形状により内爪と外爪と呼ばれる2種類が存在します。製造番号は119600番から始まり、121000番台であり、生産本数はスクリューマウントのものや欠番を除くと約1200本といわれています。また、約1000本が生産され、内800本くらいがニコン用で他の200本あまりはスクリューマウントであるという説もあります。
内爪式レンズの爪が弱くてガタ来やすいため外部バヨネットを使用した外爪式の新鏡胴を持ったレンズが1959(昭和34)年より登場しました。このレンズは光学系は内爪式レンズと全く同じです。製品番号は140700番くらいから始まり、約1800本の生産といわれていますが、欠番などを考えますとそれより少ないのでしょう。
現在では50万円以上 もする非常に高価でかつ珍しいレンズとなっています。またこのレンズ専用のたぶん50mmレンズ用として世界最大サイズのフードには、30万円以上の値札がつくようです。ちなみに、このレンズの発売時の価格は5万5000円、当時のサラリーマンの1年分の給料に近い金額だったのです。
このレンズが発売されたのは、昭和31(1956)年2月のことでした。"世界初" と "世界一" は逃したものの、F1.2 より明るい超大口径レンズは、昭和28(1953)年発売の「ズノー 5cm F1.1」(帝国光学工業株式会社、後のズノー光学工業株式会社)に次いで二番目の登場でした。ますます超大口径レンズの開発競争が激化し、遂に F1.0 を超える超大口径レンズまで登場する事になります。当時、これら時代の申し子達は "人間の眼よりも明るいレンズ" というキャッチフレーズで世界中のフォトグラファーたちを沸かせたものでした。
「ニッコール 5cm F1.1」の光学系を設計したのは、当時設計部第三数学課の課長技師・村上 三郎 氏です。村上 氏は第三夜で取り上げた「W-NIKKOR 3.5cm F1.8」(昭和31(1956)年9月発売)の設計者・東 秀夫 氏の右腕的存在でもありました。
日本の名設計者は一般に知られる事がありませんが、その足跡は数々のパテントと報告書によってたどる事が出来ます。村上 氏はこの超大口径レンズの発明を1957年に特許出願し、1958年に米国特許(U.S. PAT.)を取得しています。この超大口径レンズが新しいレンズタイプの発明として認められたのです。
このレンズの開発は、F1.1 という明るさを有するが故に困難を極めました。幾度にも及ぶ設計変更、再試作を繰り返し、二年に及ぶ開発期間を要したそうです。
当時の設計者の光線追跡計算の道具と言えば、そろばんと対数表です。気が遠くなるような膨大な計算量と時間。強靭な精神力と、より優秀なレンズ設計への意気込みが、当時の設計者を支えていたに違いありません。(「ニッコール千夜一夜物語」より抜粋)
このカメラのケースは、F1.1レンズ取り付け用の速写ケースです。F1.1のレンズを収納できるように前蓋が5センチ特大になっています。それに加えてニコンメーターも収納できるように前蓋の上部が膨らんでいます。F1.1のレンズの収納部分が大変頑丈に出来ていて、外からの衝撃を保護してくれます。ですから、どうしてもこのケースが必要でした。しかし、このケースがなかなか手に入れることが出来ませんでした。やっとの思いでeBay のオークションで手に入れましたが、このケースは、何せ半世紀前の皮ケースです。前蓋の折れ曲がる部分が弱く、まともなケースがなかなか見当たりません。このケースも折れ曲がりの部分が切れ離れていました。早速、皮クラフト店に持ち込み綺麗に修理していただきました。ちょっと50年前のケースとは思えません。目下、恐る恐る使っています。
このカメラケースは、ニコンSP、ニコンS3との併用のケースとなります。
2008年3月、50年ぶりに沖縄の土を踏んできました。50年前、学生時代にはパスポートを持って行かなければならなかった日本でした。持って行ったカメラは、50年前と同じニコンSPです。デジカメCOOLPIX5400と併用しました。
フイルムを現像、ニコンSPで撮った写真、その画像の切れ味の良さ、それはもうニコンSPの素晴らしさそのものでした。
まだまだ続きます・・・・。
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