§§ パーレットと私の出会い §§|
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ある朝、目を覚ましたら枕元に1台のカメラが光っていたのです。パーレットでした。私の生涯で一番うれしかったと言ってもいいくらいの出来事でした。そして、それは父から私への最初で最後の個人的なプレゼントでした。 小学校6年の時、写真クラブを作ったのです。クラス担任の本田先生と私のたった二人の写真クラブでした。まだ、あちらこちらに空襲の焼け跡が残っている昭和24年(1949年)のことでした。やがて、カメラの世界にのめり込んでいきました。小学校の6年の時から中学にかけて、むさぼり読んだ本がアルスの「アルス写真大講座全20巻」だったのです。 六櫻社(小西六 →コニカ)のパーレットは、1925年、KODAK VPKとピコレットの長所を兼ね備えた国産の初の127ロールフィルム量産カメラとして六櫻社から発売されました。その後改良を重ねながら1947年頃までの二十数年間に数多くのパーレットが作られのです。小西六の有名なヘキサーレンズのついたモデルもあります。 1925年といえばライカI型が誕生した年でカメラはまだ乾板フィルムを使う大型が主流でした。実用的な小型カメラはいつの時代にも嘱望されてたのです。この時代、手軽に写真を撮る第一歩は小型カメラを手にすることでした。パーレットは写真愛好家に歓迎され、多くの愛好者がいたようです。 しかし、私の撮った写真と父の写真を見比べますと、子供の目にも画像の鋭さ違いが一目瞭然でした。それは当たり前のことなのです。単眼レンズのパーレット、フイルムはベスト版なのですから、テッサーレンズのセミイコンタと比べられたら堪りません。 父の写真機はZeiss Ikon のセミイコンタ。レンズはテッサーの75mm、少しづつカメラのことが解ってきた私に「テッサー」というレンズの凄さが解りかけてきたのです。そして、「テッサー」という名前が私の頭の中で「宝玉」というものに置き換えられていったのです。 やがて、私のこころがパーレットを離れ、イコンタへと傾いて行くのに時間はかかりませんでした。 ちなみに、カメラレビュー誌がその創刊号(1977年10月)で、選定した「日本のカメラ名機50選」で選ばれたカメラの順位で、1位 ニコンF、2位 パーレット、3位 マミヤシックスとなっていました。なお、この特集で名機を選んだ方法は、29人の写真家、カメラ研究家、材料商の方に1人10機を推薦してもらい、投票総数の多い順に50機を選定していました。 まだまだ続きます・・・・。 |
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