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■ 福寿草                                   福寿草の花をクリックして。
福寿草


 植物名を漢字で書くのはご法度だが、フクジュソウは「福寿草」と書いた方がこの花のイメージによく似合う。「元日草」とも呼ばれ、正月の床飾りとして松竹梅などの添え花にこの花を飾る習慣は、江戸時代から今に伝えられている。春の陽を受けて黄金色に輝いて咲くこの花が、おたから(小判)を彷彿(ほうふつ)とさせたところから、江戸の人々も、縁起のよい花として珍重していたことが想像される。
 ところが福寿草はもともと正月に咲く花ではない。江戸の人々が元日草と呼んだのは、この花が咲きだす現在の立春(2月4日ごろ)のころが、旧暦の正月であったためと思われる。
 
 年末、店頭に出回る開花した福寿草は、1カ月前に株を掘りあげ、高温多湿のむろや温室で開花だけを急激に早めた促成もので、これを「ふかし」という。よく絵やモチーフに描かれる福寿草には葉が見られないが、多くはこのふかしによるものである。
 福寿草はキンポウゲ科の多年草で、本州では主として日本海側の山地の明るい林中に、北海道では平地の山林に多く自生する。自然の開花は、東京標準で立春ごろから、自生地では、雪どけを待ってふもとから群落をつくり、残雪をめざすように咲きあがる。雪や凍土を押しあげ、割るように咲く姿はたくましく、黄金色の花はまぶしいほどに美しい。まさに春の訪れを告げる報春花にふさわしい。
 
日本の福寿草は江戸時代初期に園芸化され、後期には100種以上の品種があった。戦争をはさんで一時期絶えてしまったが、埼玉県の一部の生産者によって保存、育種が営々と受け継がれ、現在でも40種以上が出荷されているという。
 
かつて北関東の山野は、栽培熱の高まった江戸の人々を熱狂させた福寿草の自生地であったが、近年乱獲が進み、そのころの面影はない。今では観光目的の植栽が昔の名残を伝えているが、なにかわびしい思いがする。(サカタのタネ 酒井久雄)
(この記事は98年3月2日の産経新聞に掲載されたものです。)
  





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