「マイナ〜アニメ館」
マイナーなアニメの感想など。
(御注意!ネタバレ有です)
 
千年女優  
年代: 2001年日本
監督: 今 敏


1)はじめに

 長い歴史を誇った撮影所の閉鎖を機に、一世を風靡したものの突如銀幕より遠ざかってしまった大女優を取り上げようと企画するプロダクション社長とカメラマンが、取材を通じて垣間見る邦画の黄金期と一人の女性の生き様を描く。
 「PERFECT BLUE」 の今敏監督作品。

 ”マイナ〜アニメ”というのは気が引けますが、御容赦を。



2)物語

 未来の月面。基地から宇宙船が飛び立とうとしていた。操縦するべく乗り込もうとするのは宇宙服に身を包んだ一人の女性。基地の係員は戻る事が出来なくなると止めようとするが、女性は受け入れない。宇宙船の操縦席で凛として前だけを見つめる女性。発進は目前に迫っていた。が。

 取り壊されてゆく「銀映撮影所」。かつて邦画の黄金期を支えた同撮影所も長い歴史を閉じようとしていた。これを機に同社のかつてのトップスター「藤原千代子」を取材するべく、隠遁先の山荘へと向かう映像製作会社の社長「立花」とカメラマンの「井田」。彼女は一時代を築いたものの撮影中に突如現場を離れ、以来この世界に戻る事は無かった。

 取材の二人を前にする藤原千代子は、齢を経てもなお美しく、取材陣を前に映画の想い出を語り出す。如何にして銀幕の世界へと導かれたのか、そこでの様々な出逢いや起きた事を。彼女をこの世界に招いたのは何だったのか、そしてそれが与えたものは。次第に熱くなる語り口に引き込まれてゆく取材陣の心はその時代、銀幕の中へと取り込まれてゆく・・・。


3)感想

 まず始めに、平たく申し上げてしまいますと、本作に関わった皆々様方は邦画に対して愛情と情景がおありなのだと感じました。特にかつて黄金期と呼ばれる時代があって、その折の輝きに対する想いを読み取る事が出来ます。

 物語は、突如映画界から去ってしまった往年の銀幕スターの想い出を軸に進みます。 何故、映画界に身を投じる事になったのか。そこでの出逢いや想い出。次第次第に映画の物語が想い出と融合し、勢いは加速されながらクライマックスへと収斂してゆきます。物語序盤にフェイントを与えておいて距離感を確保した上で物語を展開してゆく様は御見事です。
  なお、既に各所で言及されている事ではありますが、物語の大元となったのはタイトルのイメージからしても鋭い向きはお気付きでしょう、星野之宣「月夢」という感じで、これに「砂漠の女王」をほんの少し振りかけた雰囲気です(注記01)。映画は特にそうですし文化というものそれ自体が過去の積み重ねの上に成り立っていて、相互引用してゆくものですから、この件についてはそういう事もあるのか程度に留めておくのが懸命でしょう。触発されて新たな物語を紡ぎ出したという事ではないでしょうか。

 映像面ではアニメとしてはかなり密度の高い作品であると感じました。加えて、単に”リアル”である、という線を超えて”こういう感じ”と観る側が捉えているイメージを描いているかのような高い水準であるといえるでしょう。まず、現実を描いている場面の密度はとても高く、実写と見紛うばかりの時すらあります。かつての日本の風景が次々と描き出される様はある種郷愁のごときものを誘います。また、物語の中で架空の邦画が頻繁に登場しますが、”あぁ、こういう作品ありましたよね”という風情は、そのもののイメージを大切にしながら巧みに取り入れている感があります。あるいはかつての邦画に対する愛情とでも申し上げましょうか。
  様々な映像にアニメを投げ込むかのような実験的な部分があるのは、製作者側のある種の勇気と自信の表れかもしれませんが、興味深く観る事が出来ました。

 物語の内容と相俟った高い水準の映像描写は、アニメというものをそうであるが故に近寄る機会の少なかった向きにもお勧めできるでしょう。勿論、アニメが御好きな向きには安心して愉しめる一編です。
 本作は純然とした”日本の映画”つまり”邦画”といえるのではないでしょうか。




以下、蛇足的付記:
さて、本作においては二つほど触れた方が宜しいのではという点がございます。

 既に語り尽くされている事かもしれませんが”この内容だったら何故実写で撮らないの”という視点についてです。
 1900年代後半あたり(?)で既に”リアル”な描写ではある程度の水準に達していたアニメは、同じ物語ならば海外では特撮を用いた実写で製作されるような作品をも輩出するようになりました。「人狼」はそういった作品の一つですし、「WXIII 機動警察パトレイバー」もそうです。あるいは「PERFECT BLUE」は、その物語からも実写で撮った方がなどと当時一部で話題となったそうです。
 本作はある種、その問いへの解答になっているのかもしれません。娯楽として完結する物語を紡ぐにあたって、劇中の現実と映画を垣根なく描写できるアニメという表現手法を敢えて選択したのだと、捉える事が出来るでしょう。
 なお、先に挙げた二作品はおそらく海外であればアニメで製作する利点は殆ど見出せないのではないでしょうか。ですが日本ではそれがアニメで製作されてしまいます。穿った見方をすれば日本では実写で撮る事が困難ななにかがあるのやもしれません。そして、そうして出来上がった作品をも含む、かつて”漫画映画”と揶揄された”アニメ”は今や海外で評価されている、ということになるでしょう。
 対して「リング」に端を発した”ホラー・ブーム”や昨今のいわゆる”若手”の台頭など、かつての悲しい時代からは想像も出来ない程、現在の邦画には活気があります。ですが果たしてそれほど活力が戻ったのか、とみれば否定的にならざるをえない部分もあるのではないでしょうか。本作が邦画へのオマージュで彩られているというのは、これらの状況を踏まえれば意図はされていなかったのでしょうけれども結果としてある種の
アイロニーとなっている事は、残念ながら否定できないでしょう。
  よって、繰言になりますが、本作は”アニメだからという”視点を持った向きには逆に観て頂きたい一編ですし、一種の応援歌として邦画が御好みの向きにもお勧めできるのではないでしょうか。


 また、物語についても一点。本作は、その娯楽性を重んじた内容、即ちありがたそうな考えなどのようなものが無く一時を楽しく過ごす為のものとしてまとめられている物語と、アニメという表現手法の利点を生かした映像という二つの点で、とても”映画らしい”と呼ぶに相応しい作品に仕上がっています。これは穿った見方をすると、例えばヒットして評価が高まるとややもすると説教口調に傾いてしまいがちな、恐らくは製作する側に携わる向きの御仁方への一種の苦言となっているように捉えられるかもしれません。
 もともとアニメ(や漫画)といった分野は古典的かつ社会的に認知、既に位置付けをされている”主流の文化の分野”(メインカルチャー)に対する傍流、つまりサブカルチャーでした。これが高い人気を得るに従ってメインに擦り寄ってゆくのか、あるいは手招きされるのかは判りませんが、一目置かれるようになると格付けされたかのような状態すなわち”大家”あるいは”大御所”になるようです。
 この事自体”地位向上”あるいは”収入の増加”といった大義名分・実利面もあり一概に無碍にはできないのですが、こうなった場合に”高邁と思しき”何かが含まれるようになってきたり、あるいは豪華な画面ではあるけれど何か物足りない作品が散見する状態になる場合が少なくありません。あるいは、娯楽として観客に楽しんでもらおうとする部分が減ってしまった状態と言い換える事が出来るかもしれないでしょう。そしてこれは作品にとって嬉しい状態とはいえなさそうです。この点でも、意図はされていなかったでしょうけれども本作は一種のアイロニーになってしまっていると言う事が出来そうです。
 この点でも、本作はかつて娯楽の王様と呼ばれた映画を極めて真っ当に継承していると捉えられ、多くの方々にお勧めできるのではないでしょうか。


4)必要ないと思いますが一応の注記

01)星野之宣「月夢」はヤングジャンプ・コミックス「妖女伝説」第一巻に、「砂漠の女王」は同じく「妖女伝説」第二巻に収録。 星野之宣はベテランの漫画家。劇画調の絵、手堅くも動きのあるコマ割と構図は既に紙面に展開される映画。SFと民俗説話や怪異譚を主に取り上げる。ハードSFに於いては恐らく日本屈指の作家、漫画に限定すれば最高峰の一つと捉えても差し支えないかも。
「月夢」:永く齢を重ねているという八百比丘尼を取材するライターとカメラマンが出会う怪異譚。竹取物語を基にした仄かに悲しい、でもなにか癒される一編。
「砂漠の女王」:機知と美貌で名だたる男を虜にし歴史に名を残すクレオパトラを主人公に展開する物語。


記述:2002-10-04