かんもん北九州ファンクラブ『ひろば北九州』/2008年03月号 ....作成:2008年02月28日/杉原健児

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私は将棋指し、ひたすら真っ直ぐ
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日本将棋連盟棋士・九段 森下 卓

 曽根東小学校六年の十二歳
で上京して、今年で三十年に
なりました。昭和五十三年秋、
花村元司先生の弟子として将
棋のプロを目指して修行する
ため、故郷を後にしましたが、
この時が人生で最初の分水嶺
となりました。      
 北九州での十二年間は山、
川、海と豊かな自然に恵まれ
た曽根で暮らし、伸び伸びと
遊び、その楽しさ、面白さは、
これ以上ない最高の日々でし
た。周囲に山も海もなく、塾
や習いごとに追われている小
学三年のわが長男の生活と比
べると、申し訳ないほどです。 
 竹馬川には、ザリガニを取
りにしょっちゅう行きました。
夏休みにはカブト虫やクワガ
タを取りに貫の山に入りまし
た。いつも怪我をしていまし
たが、大怪我をしなかったの
は運がよかったのでしょう。 
 周防灘が引き潮の時、海底
に敷設してあったコンクリー
トの道を、自転車を押して島
に渡ったこともありました。
さんざん遊んだのはよかった
のですが、帰りには潮が満ち
ていて参りました。自転車が
ボロボロになりましたが、友
だちも皆無事だったのは幸運
でした。
 ソフトボールにも熱中しま
した。上手くはなかったので
すが、体格的に恵まれていた
ので、当たれば飛ぶタイプ。
一番きつかったのは、味方の
ヤジでした。エラーでもしよ
うものならボロクソです。将
棋という完全な個人競技の世
界に進んだのは、あのヤジの
影響かもしれません。   
 将棋を覚えたのは昭和五十
二年の冬休み、四年生の終わ
りでした。プロとしては遅か
った分、猛烈に熱中しました。 
 そして、昭和五十三年の秋、
奨励会というプロ棋士の養成
機関の試験を受けたら合格し
たのです。どうせ受かるはず
はないけど、記念にと受けた
のでした。受かった後のこと
は私も両親も考えておらず、
大騒ぎになりました。私とし
ては好きな将棋で東京に行け
るという願ってもないことな
ので、絶対に行きたいと頑張
りましたが、まだ小学生です。
両親は困惑し切ったようでし
たが、七十歳の祖母が後見人
として一緒に上京してやる、
と後押ししてくれました。 
 上京してからの三十年です
が、二十五歳くらいまでは将
棋に負けて腐ったり嫌になっ
たりはしたものの、将棋ひと
すじの日々でした。ところが、
二十六、七歳ごろから少しず
つオカシクなりました。将棋
がすべてではなくなり、時間
もエネルギーも精神も、何も
かもが散漫になり、身も心も
生活も贅肉とガラクタだらけ
になりました。      
 昨年十一月、JT杯戦・日
本シリーズで優勝しました。
実に十六年ぶりの優勝です。
平成三年、二十五歳で朝日オ
ープントーナメントで優勝し
た時は、勝つのが当たり前と
思っていました。自信過剰だ
ったのかもしれませんが、そ
う確信できるだけ将棋にすべ
てを打ち込んでいました。 
 それからの惰性と散漫の歳
月。そして、昨年春、遂に病
気で死にかけました。幸い完
治したのですが、流石に堕落
し切った私も深く考え込みま
した。やっぱり自分には将棋
しかない。将棋指しは将棋に
限ります。将棋が一番です。 
将棋にマイナスなガラクタは
すべて捨て、身も心も贅肉を
削ぎ落として将棋にすべてを
集中する。これが今後の私の
生き方です。       
 随分、無駄を重ねてきまし
たが、三十年前の原点に戻り、
ひたすら真っ直ぐ将棋ひとす
じに進みます。ますますのご
声援をお願いします。   

かんもん北九州ファンクラブ『ひろば北九州』/2008年03月号