ひろば欄

 常々学級通信等で心血を注いで書いた文章などを、そのまま眠らせておくのはもったいないと感じていました。
 そんな時、J新聞の三山春秋に載った記事をきっかけに、J新聞の読者で創るページ「ひろば欄」に投稿する事を思いつきました。わざわざハガキに書いて出していた時代なら面倒くさかったのですが、今はメールで投稿でき2週間後位に新聞に掲載されます。話題がある限り投稿していこうと思っています。新聞に掲載されなかった作品も含めてここに紹介します。
 (注)かっこ内の題名が掲載されたときの題名です。また、元原稿が添削されている部分がありますが、ここでは元原稿を中心に載せておきます。


見たい題名のをクリックしてください。
題     名 掲載日時
65,桐一の敗戦に物言い(連帯責任にやりきれなさ) 平成20年8月23日掲載
64,不屈の投手・野茂英雄(不屈の大投手野茂英雄選手) 平成20年7月28日掲載
63,白詰草の秘密(白詰草の秘密) 平成20年7月7日掲載
62,タンポポからわかること(タンポポで分かること) 平成20年5月28日掲載
紫色の菜の花 平成20年4月20日投稿・掲載されず
61,三洋電機の発展を祈る(三洋電機にエール送る) 平成20年3月23日掲載
60,春高バレーは人生の縮図(人生の縮図春高バレー) 平成20年2月24日掲載
59,福田総理の脱カタカナ語(福田首相の脱片仮名語) 平成20年1月30日掲載
58,地球温暖化と金木犀の匂い(地球温暖化とキンモクセイ) 平成19年11月13日掲載
57,恩師に捧げる五十編(褒めてくれた国語の恩師) 平成19年9月13日掲載
56,桜の実は苦し(苦かった桜の実) 平成19年7月31日掲載
55,一滴の世界は神秘の世界(一滴の水に神秘の世界) 平成19年7月10日掲載
 川柳4度目の登場   〜ブレンドはコーヒーだけにしてほしい〜 平成19年7月1日掲載
54,土筆と杉菜の関係(ツクシとスギナ) 平成19年6月19日掲載
53,桑田投手の人生観に感動(勇気もらった前向きの言動) 平成19年4月7日掲載
52,結婚式今昔物語(結婚式今昔) 平成19年2月28日掲載
51,ことばの変漢ミスと勘違い(「変漢ミス」) 平成19年1月13日掲載
祝 50回掲載記念作品 理想のスポーツとは(理想のスポーツ) 平成18年12月31日掲載
 川柳3度目の登場   〜柴刈りが芝刈りになる桃太郎〜 平成18年12月22日掲載
49,修行の身に自主性は必要か(修行中の身に自主性は必要か) 平成18年12月5日掲載
 川柳2度目の登場   〜体脂肪もったいないが数値上げ〜 平成18年10月27日掲載
48,富弘美術館はシャボン玉(同名) 平成18年10月26日掲載
47,9・11から5年、世界は今(テロの背景) 平成18年10月6日掲載
46,関東平野のモロヘイヤ(王様の野菜モロヘイヤ) 平成18年8月31日掲載
45,いじめと戦争(同名) 平成18年8月13日掲載
44,突然の訪問者ネジ花(ネジ花と再会する) 平成18年7月18日掲載
 川柳初登場  〜ロスタイム無ければ勝ったはずなのに〜 平成18年6月27日掲載
43,山野草を育てる心(同名) 平成18年5月30日掲載
42,矢車菊の秘密(同名) 平成18年5月15日掲載
41,嫌いな言葉「キレル」(キレルは言葉遊び) 平成18年4月19日掲載
人間ドックと聴力検査 平成18年3月18日投稿・掲載されず
40,感激した三宅さんからのFAX(三宅さんから届いたファクス) 平成18年2月27日掲載
39,魅力ある男子バレーボール(魅力ある男子バレー) 平成18年2月8日掲載
38,バレーボールbP(掛け替えのない体験をした選手) 平成18年1月11日掲載
37,親知らずと平均寿命(親知らずと平均寿命) 平成17年12月28日掲載
36,とろけた新聞と人の温かさ(溶けた新聞と心のぬくもり) 平成17年11月18日掲載
35,上毛新聞が見本を示そう(上毛新聞が見本を示そう) 平成17年10月15日掲載
34,はま先生の言葉(よみがえるはま先生の言葉) 平成17年9月20日掲載
33,外国産の脅威(外来種の脅威) 平成17年8月30日掲載
大村はま先生を偲んで 平成17年8月9日投稿・掲載されず
32,アジサイの不思議(アジサイはなぜ青系が多いのか) 平成17年6月29日掲載
31,さらば炎の大関「貴ノ花」(さらば貴ノ花「炎の大関) 平成17年6月10日掲載
草取りも楽しくなる 平成17年5月3日投稿・掲載されず
30,発光する新しい信号機(新しい信号機と発光ダイオード) 平成17年4月20日掲載
29,スギ花粉は何のため(スギ花粉はなぜ飛ぶか) 平成17年4月13日掲載
28,人間ドックのすすめ(人間ドック私のドラマ) 平成17年3月1日掲載
27,血液型性格判断は止めよう(非科学的な血液型判断) 平成17年2月8日掲載
血液型性格判断に警鐘 平成17年1月10日投稿・掲載されず
26,ドドメは「土留め」(ドドメの語源「土留め」では) 平成16年12月22日掲載
25,カタカナ語の氾濫に思う(コンビニを万屋と呼ぼう) 平成16年11月22日掲載
24,イチローは努力の天才(努力の天才イチロー選手) 平成16年10月23日掲載
23,命のバトンタッチ(延々続く「命のバトンタッチ」) 平成16年9月5日掲載
22,ミミズの不思議な生態(ミミズ大量死は土の酸欠と猛暑) 平成16年8月16日掲載
21,ジーコ監督の魅力(ジーコ監督に大きな魅力) 平成16年8月4日掲載
アジサイの不思議 平成16年7月7日投稿・掲載されず
20,蛙の合唱に合掌(命の大切さ教えるのは) 平成16年7月5日掲載
19,解けたイヌノフグリの謎(イヌノフグリ謎が解けた) 平成16年5月31日掲載
18,ユーモアは思いやり(同名) 平成16年5月8日掲載
17,選抜高校野球の開幕に思う(選抜野球と入場行進曲) 平成16年3月13日掲載
16,最後のスキー教室(無くなっていくスキー教室) 平成16年2月27日掲載
ああ、無謀!のスキー教室 平成16年1月24日投稿・掲載されず
15,不思議な落花生(花が落ちて生まれたマメ) 平成16年1月29日掲載
 みんな違って、みんないい。 平成15年12月29日投稿・掲載されず
14,人間には見えないが昆虫には見える(昆虫にとっては紫外線は恋の色) 平成15年12月10日掲載
13,信頼関係さえあれば(信頼関係あってしかるなら効果) 平成15年11月12日掲載
12,トンボの命名由来物語(生徒に人気はトンボの語源) 平成15年10月7日掲載
11,彼岸花の誤解(ヒガンバナの誤解を解く) 平成15年9月30日掲載
10,この夏の思い出(二度の梅雨に露草乱れ咲き) 平成15年9月10日掲載
9,スポーツの感動に違いはない(与える感動は同じなのに・・・) 平成15年8月7日掲載
 アジサイの不思議 平成15年7月11日投稿(再度掲載されず)
8,柳葉姫菊と貧乏草(観賞用の花が今は貧乏草・・・) 平成15年7月18日掲載
 七変化の花・紫陽花  平成15年6月17日投稿・掲載されず
7,チビ黒田んぼ(田植えで学ぶ自然界の恵み) 平成15年6月21日掲載
 ハルジオンとヒメジョオン 平成15年6月1日投稿・掲載されず
6,スミレの果実(スミレにも果実がある) 平成15年5月24日掲載
5,風に揺れるペンペン草(ペンペン草の命名由来?) 平成15年5月13日掲載
4,雑草魂の嘘(「雑草」とは一体何なの) 平成15年5月1日掲載
3,大犬のフグリの秘密(フグリの秘密に生徒はニタニタ) 平成15年4月14日掲載
2,頑張ることは悪いこと(「頑張る」って悪い事なの?) 平成15年3月20日掲載
1,大変だったホトケノザ探し(同名) 平成15年3月4日掲載
 シクラメンは旋回する花? 掲載されず
 食べても安心、「シソ科」のホトケノザ(投稿処女作品) 掲載されず

食べても安心、「シソ科」のホトケノザ(投稿処女作品)
 七日付の三山春秋に、春の七草のホトケノザはキク科のタビラコの別称で、同じ名で有毒成分のある「シソ科」の植物があるから紛らわしいと書いてありました。
 これを見た読者の中には、もしや毒草を食べていたのではと心配した人もいたようです。案の定、生協のチラシの巻頭カラーで、紫色の「シソ科」のホトケノザが春の七草として載っていました。私の知る限り、この草に毒があるという記述のある図鑑は見た覚えがないのですがいかがなものでしょうか。
 シソ科のホトケノザの花は紫。葉を仏様の座布団に見立ててこの名が付きました。道ばたなどどこにでも生え、すぐ見つかるので多くの人はこれが春の七草と思って食べているようです。真冬から夏までほとんど一年中見られ、一月でも花が咲いているものがあります。食べられない草はほとんど無いので、食べても安心ですがあまりおいしくないようです。
 一方、キク科のホトケノザの花は黄色。普通はコオニタビラコと言います。これが春の七草のホトケノザです。ただし、これを見つけるのは容易ではなく、ロゼット型をした葉が地面にへばりついていて、一月には花は咲かないので、この葉だけで識別することは慣れた人でないと困難です。
 以前「七草がゆは自然の恵み」と題して高柳愛吉さんが七草をそろえるのに、一番大変だったのがホトケノザだと言っていた理由がこれでおわかりだと思います。
(注)この作品が掲載されなかった理由は「新聞投稿のきっかけ」を見て下さい。これが「大変だったホトケノザ探し」として再度投稿して、掲載されるまで様々な紆余曲折がありました。

シクラメンは旋回する花?(採用されず)
 シクラメン(cyclamen)の和名はブタノマンジュウです。饅頭をつぶしたような円形の塊茎を持っていて、それをヨーロッパでは豚の餌にしていたようです。
 牧野富太郎博士は、この花にふさわしくない名だとし、明治末期に新たにかがり火に見立ててカガリビ花と命名し、雅やかな名だと自画自賛していたようです。
 ところでシクラメンという言葉は、ラテン語の「旋回する」という意味で、英語のサイクル(cycle)と同じ意味です。なぜ旋回するという意味の名が付いたかと言うと、従来その円形の塊茎によるとされていました。
 しかし中村浩博士は、地中海沿岸に自生するシクラメンのつぼみが立つようになると、その花茎が螺旋形にねじれるのを見て、「これだ」と確信したようです。
余談ですが、病気見舞いにシクラメンを持っていった時に、シ・クラメンとは言わずサイ・クラメンと言うことがあるそうです。シという音(おん)が良くないので、シクラメンと言わずサイクラメンと偶然に言っていたのかも知れません。しかし、これはcyclamenをサイクラメンと読んだものか、意外とシクラメンの語源のcycleからきているのかも知れません。
 患者に対する気遣いが、偶然にもシクラメンの語源にまで及んでいることは非常に興味深いことではないでしょうか。

大変だったホトケノザ探し(同名)平成15年3月4日掲載
 先日の三山春秋に、春の七草のホトケノザが紛らわしいと出ていました。植物図鑑を調べてみると、シソ科のホトケノザの花は紫で、葉を仏様の座布団に見立ててこの名が付いたと書いてありました。道ばたなどどこにでも生え、すぐ見つかるので多くの人はこれが春の七草と思って食べているようです。大手スーパーでも、これを七草の一つとして売っていることがあるようです。
 ほとんど一年中見られ、一月でも花が咲き小さいサルビアの花のようで、子供は引っこ抜いて「チューチュー」と密を吸ったりもするようです。
 一方、キク科のホトケノザの花は黄色で、これが本家本元の春の七草のホトケノザのようです。ナズナにそっくりな葉が地面にへばりついていて、二月になっても花は咲かず、この葉だけで識別することは慣れた人でないと困難のようです。
 生徒のお母さんが新聞の記事を見て、本物の「ホトケノザ」が知りたいと言ってきたので、早速近くの田んぼに行ってみました。道すがらそこら中に紫色の「シソ科」のホトケノザは満開状態でした。
 ようやく田んぼに辿り着き、土手の土をなめるようにして探しました。しかし、なかなか見つからず諦めかけた時、ふと見るとへばりついた葉が、まさしく「仏様の座布団」といった感じで本物のホトケノザが見つかりました。
 本物の「キク科」のホトケノザ、みなさんも探してみてはいかがでしょうか。

頑張ることは悪いこと(「頑張る」って悪い事なの?)平成15年3月20日掲載
 岩手県が制作した「がんばらない宣言」の広告が人気だと、過日のJ新聞に載っていました。それにしても「頑張る」という言葉が何故(なにゆえ)にこれ程までに話題に上るのでしょうか。その謎を解く鍵は、頑張るという言葉のルーツに秘められている気がします。
 国語教育で知られる大村はま先生は著書の中で、「それは元々良くない意味でした。押し通してはいけないことを、無理矢理押し通そうとする、強情を張る。」そんな意味だったと書いています。さらに母から「頑張るな、女の子は特にそう。頑張ってはいけない。」と、何度も諭されたそうです。頑張るっていうことには罪悪感のようなものがあり、悪い事ってしみついていたといいます。
 昔の人は、頑張るということを恐れ、人に言われたら悲しみ、特に女の子が「頑張り娘だ」って言われることは、本当につらいことだったようです。それが今は人を励ます言葉になり、「頑張りや」と言われればそれは褒め言葉になっています。
 どうもNHKアナウンサーの「前畑がんばれ、前畑頑張れ」で変わったのではないかと思えてなりません。更に「が・ん・ば・る」という言葉の音が二つの濁音から成っていることも微妙に関係しているような気がします。
 頑張りすぎた某ハンバーガー店と、マイペースで頑張らなかった某ハンバーガー店、最後に笑うのはどっち?

大犬のフグリの秘密(フグリの秘密に生徒はニタニタ)平成15年4月14日掲載
 今どこの道端にも、青い小さな花が辺り一面に咲いています。春の訪れを知らせる「オオイヌノフグリ」です。高浜虚子の句に「犬フグリ、星のまたたく如くなり」というのがあります。千葉県の柏あたりでは、この花をホシノヒトミ(星の瞳)と呼ぶ方言があるそうです。
 フグリとは星がキラキラ輝くようなロマンチックな意味かと思ったら、とんでもありませんでした。丸い玉を2個並べた果実の形が、オス犬の股間にみられる陰のう(こう丸)に似ていることからついた名だということです。和歌山県あたりの方言「犬のキン・・」がそのものズバリで、フグリとはその古語にすぎません。
 この花の可憐な美しさに対して、この下品な名前を改めようと、学者によって幾つかの名前が考え出されましたが、とうとう一般には定着しなかったようです。
 早春の野に一面、星の輝くごとくに咲くこの花を、犬のキン・・などと呼びたくないので、私は毎年生徒に「ホシノヒトミ」と呼ぶように訴えます。しかし、生徒達はこの実を手の平に乗せて眺めてはニタニタと笑っています。
 さて、この花には秘密があります。夕方になると両側に離れてあった二本の雄しべが動いて、中央の雌しべの柱頭に寄ってきて、自家受粉(自分の雌しべに自分の花粉を付けること)をするのです。種の保存に対する執念を燃やすのです。日暮れ前に一度、植物の神秘の世界をのぞいてみてはいかがでしょうか。

雑草魂の嘘(「雑草」とは一体何なの)平成15年5月1日掲載
 春爛漫の今日、外に出てみるといわゆる雑草と言われる草花たちが、所狭しと咲き乱れています。ところで雑草とは一体何なのでしょうか?役に立たない草のことでしょうか、見た目がきたない草のことでしょうか、どこにでも生える草のことでしょうか?どうも考えれば考えるほど、はっきりとした定義はできないようです。
 しかし「どこにでも生える名前の分からない、名前を知らない草」のことを「雑草」と言っているようにも思えます。「名も無き草がひっそりと咲いていました」というような詩を見かけることがあります。これは正しくは「名前を知らない草」と言うべきです。もし名も無き草を発見したら、その草に自分の名前が付けられるでしょう。満さんが見つけたら「ミツルソウ」の名が付きます。
 巨人軍の新人王に輝いた投手が、好きな言葉は「雑草魂」と言って流行語大賞に選ばれました。踏まれても踏まれても枯れない、強い生命力の象徴が「雑草魂」として世間の人たちの共感を生んだのかも知れません。
 しかし、自分がその名を知らない草はみな雑草です。ならば、自分の無知をさらけ出している言葉が「雑草魂」かも知れません。踏まれて茎が折れたら、すぐに枯れる雑草も沢山あります。「オオバコ魂」ならまだわかりますが、漠然としたイメージだけで、どんなに踏みつけても枯れない草が「雑草」と考えるのは「真実」から非常にかけ離れたことではないかと思います。

風に揺れるペンペン草(ペンペン草の命名由来?)平成15年5月13日掲載
「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ペんペん草の実を見ていたら そんな日が 本当に来るような気がした」
 これは星野富弘さんの四季抄「風の旅」の中の、有名な「ペんペん草」という詩です。ペんペん草が風に揺れるのを見ていたら、「母の肩をたたきたい」という星野さんの叶わぬ願い、優しい心根が思わず涙を誘います。
 さて、毎年恒例の「春の草花調べ」の授業で、一年生の生徒にナズナのことをどうして「ペンペン草」と言うのですかと聞くと、あちこちで「ペンペン鳴るから」と言う答えが返ってきます。何がペンペン鳴るのですかと聞き返すと「葉っぱをむいて振ると鳴ります」と得意そうに答えてくれます。わざと「みんな良く知ってるねー」誰が教えてくれたの?と聞くと、口々に「お母さん、お父さん・・」
 そう言う私もずっと、果実(ハート型の葉に見えるもの)の柄をむいて耳元で振ると、ペンペンと音がするのでこの名がついたと思っていました。しかし、よく聞くとペンペンとは聞こえず、シャリシャリがせいぜいです。本当は果実の形が三味線を弾くバチに似ていることから、三味線の音色「ペペンペンペン」を連想してついたと言われています。別名「バチ草」とも言います。
 「情は人のためならず」同様、全く違う意味で覚えている人が実に多いことに驚かされます。

スミレの果実(スミレにも果実がある)平成15年5月24日掲載
 牧野富太郎博士の「植物記」という本を図書館で見つけました。その中の“スミレ講釈”という項に“スミレ名談義”という一章があり「スミレという名を聞けば、それがいい名で慕わしく感ずるのであるから、これはそのスミレなる名の起こりに対し盲目であるのがむしろ賢いのではあるまいかと思われる。なんとならば、実はひとたびその語源を知れば、どうもこの美名が傷つけられるような気がしてならないからである。スミレは、かの大工の使う墨入れの形から得た名で、それはスミレの花の姿がその墨入れに似ているからだというのである。すなわちそのスミイレのイが自然に略されてそれがスミレとなったというわけだ」と記されていました。
 スミレといえば花は誰でも知っていますが、果実など無いと思っている人も多いようです。花がしおれた後のスミレに関心を持つ人が少ないのか、花が可憐だと感心して終わりなのでしょうか。
 私の推測では、これには大きな理由があるようです。それは人の視線が高すぎてスミレの果実を発見しにくいという果実です。否、事実です。スミレの果実が下向きにできるので、上から見るとガクが邪魔をして見事に果実が隠れるのです。
 スミレの果実など見たことないという人は、視線を落とし、花が終わってしばらくたったものをつまんでみて下さい。見事なスミレの実を見つけ、今まで気がつかなかった自分に気がつくことでしょう。

(注)赤字の部分は新聞には「それは人の視線が高すぎてスミレの果実を発見しにくいということです。」に添削されていました。予想通り、新聞ではユーモアは通用しないようです。


お陰様で反響を呼んでます。平成15年5月30日掲載
「雑」にはない劣や悪の概念 T・K(T市・医師・66歳)
 雑草を論じる複数の投稿文を立て続けに拝読した。私も少なからず植物に興味があるので、投稿文に欠落していると思われる視点を私なリに補ってみたいと思う。
 雑誌とは「さまざまなジャンルの文章が同時に載っている書物」と定義でき、雑煮とは「さまざまな食材を一緒に調理した食べ物」と定義できる。つまリ雑とは「さまざまな物が混ざっている状態」と解釈でき、劣や悪や粗という概念はもともとなかったと思われる。
 ゆえに一種類の野菜だけが植えてある畑に何十種類もの草が同時にはびこると、一括して雑草と呼ぶのは当然である。農作物を育てる側は、雑草を邪魔者扱いにして目の敵にするから、どうしても雑草という言葉に悪いイメージが伴いがちである。
 植物図鑑には、数千種類の和名や学名から始まリ、○○科○○属○○亜種という詳細な分類の解説まで載っている。私たちが目にする植物にはすべて名前が付いている。ゆえに「名もない雑草」という形容は「私が名前を知らない植物」と言い換える方が正解でもあり、謙虚でもある。
 イヌフグリやペンペン草の命名の由来を解説した投稿文を拝読して大いに参考になった。今後も身の回りの植物を採り上げて、興味深い話題を提供していただきたいと思う。

名前覚えれば親しみもわく T・S(I市・農業・66歳)平成15年6月8日掲載
 最近雑草ということばが話題になっている。身近な植物でも特別な関心や生活に関係なければ、その名前を覚える必要もないからであろう。わたしも農作業のなかでたくさんの名を知らない雑草に接している。しかし、何かの機会に名を知り、名前の由来などを知ると簡単に覚えられ、親しみも感じられることがある。
 その中のひとつにキランソウことジゴクノカマノフタという野草がある。今の時期、畑の隅で紫の小花を咲かせるシソ科の地味な多年草である。あるとき図鑑で知り奇抜な名前なので一度で覚えた。以後、親しみをもって残すようにしている。
 五月二十五日付の「視点」でハルジョオンとヒメジョオンの見分け方が紹介され、二十八日付紙面で一部訂正が載っていた。この時期、人目につく野草なので多くの人々が目にしているはずである。わたしなりの見分け方を紹介する。
 「ハルジョオン」は二年草で茎の中が空洞。茎葉の基部が茎を抱くようにつく。開花前につぼみが垂れる。ヒメジョオンよリ花期が一カ月ほど早い。また、「ヒメジョオン」は一年草で茎のずいが詰まっている。
 ほとんどの学校図書室に置かれている保育者の図鑑では「ハルジオン・春に開花するシオン(春紫苑)の由来を記し、ハルジョオンとも言う」と併記している。ハルジョオンは「春女苑」、ヒメジョオンは「姫女苑」の漢字をあてている。
(注)二十八日付紙面の一部訂正は、私が直接新聞社に電話して訂正してもらったものです。


ハルジオンとヒメジョオン(採用されず)6月1日投稿
 星野富弘著「愛、深き淵より」の百十ページに次のようなくだりがあります。「病院にくる途中ヒメジオンの花をとってきてくれた。幼い頃畑の草むしりを手伝わされ、この根強い雑草には恨みの気持ちさえ抱いていた。しかし花瓶にさすと、あの役たたずな嫌われ者の花とは思えないほど美しくみえた。スケッチブックに描き留めておきたいと思った。花は全部上向きで咲いているのに蕾はしおれてしまったのだろうか、力なく下を向いていた。元気だった時のように上を向かせて描いてやろうと思ったが、思い直して下向きのまま描いた。」
 『ある日新聞にヒメジオンのことが載っていた。「ヒメジオンの蕾は下向きにつく」とあった。私はありのままに描いてよかったと思った。偉大な自然がつくったものを、私のような小さな者が手を加えようとしたことを、恥ずかしいと思った。』
 4月頃から咲くハルジオン(春紫苑)は大正時代に観賞用に輸入され、蕾が下を向き茎の中が空洞です。一方、春紫苑が枯れ始める6月頃から咲くヒメジョオン(姫女苑)は明治維新前に日本に入り、「柳葉姫菊」というたいそうな名前で珍重されたそうです。茎の中は空洞ではなく、蕾はすぐにピンと張ります。今ではどちらも生徒に聞くと貧乏草と言います。
 アンナとカナという双子の姉妹に、似ているからどっちがどっちでもいいとは言えないでしょう。混乱した方は是非違いを調べてみて下さい。

ひろば編集の方にお願い。今回の投稿文で「ハルジオン、ヒメジョオン、ヒメジオン」の記述については間違いの無いようにお願いします。
(注)採用されなかった理由は、編集者に注文を付けてヒンシュクをかったのか、または同じような話題が直前に投稿されてしまった事が原因と思われる。以後気を付けたい。

チビ黒田んぼ(田植えで学ぶ自然界の恵み)平成15年6月21日掲載
 朝からザーザーと雨音が響き、まるでそれは「ショパンの調べ」のようでした。といっても生徒には分かるはずもなく、とにかく田植えが延期になることはあり得ないということだけは分かっていました。
 私は生徒を連れて田んぼに向かいました。雨水で例年より水量が多く、ちょっと苗をさすと見えなくなってしまいました。私は糸をピンと張る役目で、大声で「さがれー」「植えろー」「もっと深く」「苗は2、3本でいいぞー」「アメーバを踏むなー」を繰り返し、ずぶぬれになりながら生徒も半ばやけになりながら、泥だらけもなんのその。懐かしの「ちび黒サンボ」ならぬ「ちび黒田んぼ」があっちにもこっちにも出現しました。私の「さがれー」の叫びに、思わずバランスを崩してそのまま尻からドボンと泥沼にはまった男子もいました。
 4ヶ月後に、生い茂った稲穂を刈る時の感動はすばらしいものです。中学生が田植えの経験から現代人が忘れかけている土の匂いに(臭いではありません)親しみを感じ、その土が育む米の大切さを実感することは本当にすばらしいことです。
 パンツまでびっしょりになった生徒も先生も沢山いました。どろんこになりながら、ずぶぬれになりながら、冷たい雨に震えながら、そして時に友達と戯れながら、泥水をかけ合いながらの田植えが無事に終わりました。次の日に熱を出して休む生徒はいません。いや、いないといいな・・・外はまだ雨。
(注)やっとユーモアが通じました。赤字の部分は分かる人には分かる面白さがあります。この文章はS中時代の田植えの経験を学級通信に書いたものです。かなり傑作だと自分では思っています。チビ黒サンボに引っかけてチビ黒田んぼと言ったのは屈指の言い回しと絶賛してます。「夢通信」に「THE・田植え」と言う原文があります。ついでに見てみて下さい。

七変化の花・紫陽花 平成15年6月17日投稿(採用されず)
 花びらが余りにも貧弱であることから、オーバーに当たる「ガク」を派手に変身させて、昆虫達を誘うように目立とうとしている植物があります。その一つが紫陽花(アジサイ)です。テッセンや沈丁花などとともに紫陽花は、花びらが退化しその代わりにガクが大きく発達しています。
 これらの花は、花びらが開いたものと見る人が多いのですが、実は花びらではなくガクが変身したもので、その真ん中に小さな本当の花があります。また、ドクダミの4枚の白い花びらに見えるのも実は水芭蕉と同じように包(ほう)と呼ばれるもので、本当の花びらは退化してありません。水芭蕉の白い大きな花びらのように見える包を取ったら、ただのマイクのようです。
 紫陽花の大きなガクは一体どうして赤や青に変わるのでしょうか?詳しいことはまだ謎のようですが、リトマス紙の色の変化とは反対に酸性の土壌で青色に、中性かアルカリ性でピンクか赤になるとされています。土中のアルミニウムが溶け出すと、元々赤い色素だったのが青く変わり、逆に中性やアルカリ性では、アルミニウムが溶け出しにくいので、本来の赤系のままになる傾向にあるようです。
 日本は火山国で雨も多いため、土壌が弱酸性なので、青系のアジサイが多くなり、外国では逆にピンク系が多いそうです。ミュウバンを埋めておくと一本の木にいろいろの色の花(ガク)がつくといわれています。一度お試し下さい。

柳葉姫菊と貧乏草(観賞用の花が今は貧乏草・・・)平成15年7月18日掲載
 星野富弘著「愛、深き淵より」の百十ページに、次のようなくだりがあります。「友人がヒメジオンの花をとってきてくれた。幼い頃畑の草むしりを手伝わされ、この根強い雑草には恨みの気持ちさえ抱いていた。しかし花瓶にさすと、あの役たたずな嫌われ者の花とは思えないほど美しくみえた。蕾はしおれてしまったのだろうか、力なく下を向いていた。元気だった時のように上を向かせて描いてやろうと思ったが、思い直して下向きのまま描いた。」
 実はこのヒメジオンと言っているのはハルジオンのことで、先日近くの市立図書館にあった同書には既に訂正してありました。星野さんも新聞の記事でハルジオンのつぼみが垂れ下がっていることを知り「偉大な自然がつくったものを、私のような小さな者が手を加えようとしたことを、恥ずかしいと思った。」と書いています。
 ところで、ハルジオンに代わって今満開のヒメジョオンは、明治維新前に観賞用として日本に入り、柳葉姫菊(ヤナギバヒメギク)というたいそうな名前で珍重されたそうです。つまり元々花瓶にさして眺めた花だったのです。今ではどちらも生徒に聞くと貧乏草と言います。
 星野さんが役立たずな嫌われ者と言っていた花が、当初は柳葉姫菊という名でもてはやされ、後にそこら中で咲き乱れるようになると貧乏草と言われ、雑草の代名詞のようになってしまう。人間の勝手さと同時に、雑草とは何なのかを再度考えさせてくれました。

アジサイの不思議 平成15年7月11日投稿(再度採用されず)
 今、日本の真ん中S市では市の花アジサイ(紫陽花)が見頃です。アジサイはガクを花びらのように派手に変身させて、昆虫達を誘うように目立とうとしています。テッセンや沈丁花などとともに、花びらが退化しその代わりにガクが大きく発達したようです。極小の花は中央にこっそり咲いています。
 一方、ドクダミの4枚の白い花びらに見えるものは、実は水芭蕉と同じように包(ほう)と呼ばれるもので、本当の花びらは退化してありません。水芭蕉の白い大きな花びらのように見える包を取ったら、それはまるでマイクのようです。
 ところで紫陽花の大きなガクは、一体どうして赤や青に変わるのでしょうか?詳しいことはまだ謎のようですが、リトマス紙の色の変化とは反対に酸性の土壌で青色に、中性かアルカリ性でピンクか赤になるとされています。土中のアルミニウムが溶け出すと、元々赤い色素だったのが青く変わり、逆に中性やアルカリ性では、アルミニウムが溶け出しにくいので、本来の赤系のままになる傾向にあるようです。
 日本は火山国で雨も多いため、土壌が弱酸性なので青系の紫陽花が多くなり、外国では逆にピンク系が多いそうです。ピンク系のアジサイが多い国では、アジサイのことを漢字で「紅陽花」と書くのでしょうか?
 不思議なことにアルミの化合物「ミョウバン」という物質を埋め込んでおくと、青やピンクのアジサイが混在して咲くと言われています。

スポーツの感動に違いはない(与える感動は同じなのに・・・)平成15年8月7日掲載
 先日の三山春秋に、どうしても季節がら紙面は、高校野球の話題が多くなると書いてありました。高校野球では1回戦から群馬テレビで放映されます。他のスポーツでは決勝戦すら滅多にテレビ放映はありません。
 たった一人の野球部員は記事になりますが、たった一人の剣道部員が毎日一人で素振りをしているとか、ラグビー部員が足りなくて、他の部から借りてきて大会に参加したとか、そんな記事は滅多に出ません。
 高校生では野球の甲子園にあたるインターハイがあります。最近、偶然見に行って感動したのは、M高校の男子バレー部が創部以来初の決勝進出を決めた試合です。
 その立て役者の一人に小さなセッターの存在がありました。味方の選手がはじいたボールが相手コートの方へ飛んでいきました。そのボールを彼は無理を承知で、相手ベンチの向こうまで追いかけていき、スライディングまでしてボールを上げようとしました。その凄まじい気迫が味方選手の気持ちを燃えさせ、勝ちを意識して緊張していた選手は、普段通りのプレーをするようになりました。応援の生徒に聞いたらK君と言っていました。
 一方、相手チームのキャプテンは中学時代に父親が急死、高校進学後憧れの春高バレーに出場したと聞きます。天国で「よくやった」と涙を流しているかも知れません。野球以外のスポーツにも感動や悲喜こもごものドラマがある事を忘れてはいけません。

この夏の思い出(二度の梅雨に露草乱れ咲き)平成15年9月10日掲載
 十年ぶりの冷夏になった今年の夏。スーパーではもう脂ののった秋刀魚(さんま)が出回っています。その他にも夏を飛び越して、秋の魚が随分とれたというニュースもありました。
 隣の空き地には例年になく露草が、秋の七草のクズの太く長いつると、大きな葉と共に乱れ咲きしています。濃い藍色の花は梅雨(つゆ)の時期に一番よく似合うイメージがありました。この藍色の色素を顕微鏡で見ると、とがった針のような形をしています。王朝の昔はこの花の汁で布を染めたといいます。梅雨が二度来たような、今年の冷夏を象徴するような、まさしく「つゆくさ」の異常繁殖だったような気がします。
 先日、昔の仲間数人と会う機会がありました。冷夏でビールがはかどらないとか、うまくないとか愚痴をこぼしている者もいました。クリーニング屋の長男坊は、昔と変わらない愉快なしゃべり口で、時の流れを忘れさせてくれました。一方、長年勤めた大きな会社を突然辞めて、東京の小さな会社に再就職した友は、久しぶりの群馬への帰郷でした。今でも趣味で音楽活動をしている別の友に何でお前は会社を辞めたんだ、もったいないとさんざん言われて「お金じゃねえ、・・・」と言っていました。大きな会社で役付の彼は我慢すれば安定したいい給料をもらっていました。
 リストラの時代に自ら大きな会社を辞め、小さな会社に再就職した友に勇気をもらいました。そんな友にエールを送ります。

彼岸花の誤解(ヒガンバナの誤解を解く)平成15年9月30日掲載
 彼岸の頃になると、今流行の電波時計ならぬ生物時計がはたらくのか、早春のツクシの如く真っ赤なヒガンバナが待ってましたとばかりに、燃えるように咲き出します。一名マンジュシャゲとも言い、法華経の「摩か 曼陀羅華 蔓珠沙華」から出た名と言われ、摩かは梵語の大きいという意味で、美しさを強調したものといい、曼陀羅華(まんだらげ)は今の朝鮮アサガオを指し、また蔓珠沙華は梵語の赤い花を意味しています。花が咲く時には葉っぱが無く、花が枯れると葉が出てくることから「葉見ず花見ず」といわれます。
 墓地などによく生えることから、死人花・幽霊花などの方言もあり、また有毒植物であることから、舌まがりなどの名もあります。有毒成分は、鱗茎に含まれるリコリンと言うアルカロイド分をいうそうです。リコリンには鎮咳作用があり薬用にもなるそうです。
 実はこの有毒性を利用して、その昔ネズミ退治にこの球根をつぶして壁に塗ったりしたそうです。また田の畦などに多いのは、ネズミ防ぎに植えたものらしく、墓地に多いのもネズミや害獣から墓を守る意味から植えられたものと推測されます。
 こんな彼岸花の歴史を知らない人達は、真っ赤な花の色から不吉で縁起の悪い花、この花が咲くと家が火事になるとかいうデマまで信じてしまいました。活け花として用いられることもあり、その造形美はすばらしく、自然の妙味・芸術としか思えないほどです。

トンボの命名由来物語(生徒に人気はトンボの語源)平成15年10月7日掲載
 異常気象で生物時計も狂ってしまったのか、彼岸花が例年より十日以上早く咲き始め、近くの公園では赤トンボも早くから群をなして飛び始めました。
 中学校一年生の理科では、最初に春の草花調べを行います。その後「あなた達一人一人にも親の好みや願いなどが込められた名前があるように、植物にも名前があります」と言って名前の由来について考えさせます。その時、自分の名前についても考えさせます。親は自分の子どもに明るい子になってほしければ「明子」と名付け、運のいい子になってほしければ・・子と名付けるとか冗談交じりに考えさせます。
 次に動物名について例をあげ、ミミズは日光を嫌うので「日見ず」、目が見えないことから「目見えず」でヒミズかメミエズが変化してミミズになったらしい。猫は、ゴキブリは・・と生徒はいつの間にか名前に興味を持ち始めます。そんな名前の話で、生徒に最も人気の高いのが物語風にしたトンボの語源です。
 昔むかし、初めてトンボを見た人は、羽が透き通っていてまるで棒のような胴体だけが飛んでいるように見えました。ある一人が「棒が飛んでる」と叫んだらもう一人が「飛ぶ棒だー」と叫びました。それを聞いていた第三の人が「トブボー」か・・そうか、この虫をこれから「トブボー」と呼ぶことにしよう。こうして長い年月が流れ、いつしか「トブボー」は「トンボ」という音(おん)に変化し広まっていきました。

信頼関係さえあれば(信頼関係あってしかるなら効果)平成15年11月12日掲載
 先日の本欄で、親や教師が子供を叱れなくなった時、家庭と学校の秩序が崩壊する。子供を甘やかすと駄目になる。という「子供に厳しくは・・」を読み、次の日の「視点」で現在の教育現場はほめること一辺倒になりすぎていないかと危惧する「欠けている強い指導」を読ませてもらい共感しました。
 今、教育現場では子供の長所に目を向けできるだけ「ほめて」伸ばす指導が強調されています。しかし、子供が悪いことをしても叱らず、子供の機嫌取りをする親や教師が多くなっている気がします。厳しく叱ることは子供と真剣勝負をすることです。ほめることの何倍もエネルギーと勇気がいります。
 松下幸之助さんは次のように言っています。「間違いを正してやりたい、悪いところ足らざるところを鍛えて一人前の人間にしてやりたい、もっともっと実力を伸ばしてやりたい、そういう熱意、熱情のほとばしりが『叱る』という行為なのです。そういう熱意、真剣な態度が相手の心を動かし、心の底からの反省や奮起を促すのです。そして、叱る人間の人格とか人柄に部下を引きつけうる魅力があり、部下との間に信頼関係ができていることが重要になるのです」と。
 スポーツの世界でも高い目標を掲げ厳しい指導をしても、信頼関係さえあれば選手はついてきます。阪神の星野監督の、暴力的な一面だけを取り上げて批判するようなことが、教育界でも多くなっている気がしてなりません。

人間には見えないが昆虫には見える(昆虫にとっては紫外線は恋の色)平成15年12月10日掲載
 ある機器開発の会社が紫外線を99%カットして「昆虫の飛来防ぐ照明」を開発したという記事を見ました。昆虫が紫外線を目指して飛んでくるのを防止でき、試験結果では7割も飛来数が減ったということです。夏の虫に頭を悩ませていた人にとって朗報だと思います。
 先日の夕方、雨がザーっと降ったかと思うとすぐにやみ、かすかな陽射しが雲間からさしていました。ふと北東の空を見ると大きな虹ができていて、校舎の窓から思わず身を乗り出して見ている生徒もいました。
 ところで太陽光線は白色光ですが、これはすべての色の光が一度に人間の目に入ると色として感じられないだけです。プリズムを通ると赤、橙、黄、緑、青緑、青、紫の7色に分かれます。雨上がりに虹がよく見られるのは、空気中に浮かんでいる水滴がそのプリズムの役割をするからだといいます。
 また虹の赤色の外側には赤外線が、紫色の外側には紫外線があります。この二つの色は人間には見えませんが、昆虫には紫外線が見えるらしいのです。そして驚いたことにモンシロチョウの雌の羽は紫外線をよく反射し、雄はその紫外線を感じて雌を認識しているらしいのです。これを理学博士の小原嘉明さんは、著書の中で「モンシロチョウの花嫁衣装」だと書いています。
 人間には見えない紫外線の色が、昆虫達には魅力的な色、思わず目指してしまう色だということは何と不思議なことでしょう。

みんな違って、みんないい 平成15年12月29日投稿(採用されず)
 「人間はどうしてこうも比べたがる?一人一人違うのにその中で一番になりたがる?そうさ僕らは世界に一つだけの花。一人一人違う種を持つ、その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい。小さい花や大きな花、一つとして同じものはないからNO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」これは2003年に最も支持されたスマップの「世界に一つだけの花」の歌詞の一部です。
 去年は偶然にも、『若き童謡詩人の巨星』と称賛されながら、26歳の若さで世を去った金子みすずさんの生誕百年でした。「みんなちがって、みんないい」の言葉で有名な詩「私と小鳥と鈴と」がスマップの歌とダブって仕方ありません。
 「私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のやうに、地面(じべた)を速くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のやうに、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
 スマップの歌が大ヒットした理由をある評論家は「癒し」を越えて「許し」の世界が心を救ったのだと言っていました。スポーツの世界で最初からOnly oneだなんて言ってたら勝負になりません。それでは甘えの世界です。偏差値が人間の価値を表すかのような勘違いが問題なのであって、一つのことに一番を目指すことが悪いのではない。要は自分の出来ることを精一杯やればそれでいい。

不思議な落花生(花が落ちて生まれたマメ)平成16年1月29日掲載
 お正月に帰省する途中、仲人さんの家に立ち寄ることが恒例になっています。仲人さんは私の中学時代の恩師で、現在O町の小学校の校長先生をしています。広い畑では季節の野菜を作ったりしています。
 毎年心のこもった、もてなしをしてくれます。奥さんの手料理に紛れて、色黒の落花生がありました。それはスーパーで安売りの中国産ではなく、味に深みのある自家製でした。それを無心に食べている我が子に「どうして落花生って言うか知ってるかい?」と仲人さんが聞きました。「花が落ちて生れたマメ」という意味だよと親切に教えてくれました。
 ダイズ(大豆)、アズキ(小豆)、エンドウなどのマメ科の植物は、花が咲いたあとにマメが枝にぶら下がるようにしてできます。驚いたことに落花生は、黄色い花びらが散ると子房のつけ根の所がどんどん伸びて、垂れ下がった子房が土の中にもぐりこんでしまうそうです。その後も地上の枝につながっていて、枝から養分が送られ、やがて大きなヒョウタン形の落花生になるということです。
 その昔、殻付きのものを落花生、殻をむいて茶色い薄皮が付いたものを南京豆、更に薄皮をむいたものをピーナッツと呼んでいたようです。南京豆という名前は、ピーナッツが江戸時代、中国を経由して伝えられたことに由来し、中国から伝わったものには南京という言葉をつけていたようです。人も落花生も見た目ではなく味で勝負したいものです。

ああ、無謀!のスキー教室 平成16年1月24日投稿(採用させず)
 暖かい日が続いていたのが嘘のように、今年一番の寒波襲来。関越トンネルを抜けるとそこは別世界の雪、雪、雪。電光掲示板に只今の気温マイナス10度と表示されていました。
 私の担当は男子の中級班、間違っても初心者や生まれて初めてスキーをするなんていう生徒はいるはずもありません。ところが、リフトに乗るや否や下を見るとスキーの板が一つ。まさかと思ってリフトから降りると片足で待っている生徒あり。と思ったら、「先生めまいがします。」と血の気のひいた顔で震える生徒。
 更に不吉な予感は的中。リフトから降りた途端、転倒して起き上がれない生徒あり。聞けば生まれて初めてスキーというものをするという。それが何故か中級班。ああ、無謀!スキーをなめるんじゃねー。その生徒を初級班に行かせた後で、転倒してまたもや起き上がれず、待てど暮らせど来ない生徒。ああ、無謀!
 スキー3回目で上級班に入って、みんなの足手まといになり中級班に来た生徒。猛スピードで斜面で転倒し、10回転位しても平気ですと強がりを言う生徒。ああ、無謀!そして終盤、一息ついて休んでいる先生目がけて、すごい勢いで突進する生徒あり。あーと思った瞬間そのまま激突した生徒。ああ、無謀!
 こんな無謀な生徒達にとっては、さぞかし楽しいスキー教室だったに違いない。先生達にしてみれば、ああ無情!のスキー教室でした。数年前の楽しい?思い出です。

最後のスキー教室(無くなっていくスキー教室)平成16年2月27日掲載
 関越を抜けたらそこは白銀の世界。天気予報では、気温が下がり雪の確率70%。しかし、着いたら晴れて、気温が上がり汗だくだくでした。記念写真を撮るので3列に並べと言ったら横に3列のはずが、縦に3列に並んでいる女子。何を考えているんだとあきれました。
 生まれて初めてスキーをやる生徒もいて教える方も大変です。私は男子の初級班でした。スキーの板をはかせた途端、まだ何も指示してないのに滑り出す生徒がいます。おい、どこに行くんだと言ったら、僕にもわかりませんと隣の生徒に激突してやっと止まりました。
 真っ直ぐ立ってろと言うのに斜めに滑り出す生徒。まず転び方を教えようと説明する前に、前のめりになって危険な転び方をする生徒。止まってろと言っても、言うことなんか聞かない生徒が沢山いました。「先生の言うことを聞けなかった生徒は、後日三者面談の時に相談したいと思います」と言っても全く聞く耳を持ちません。
 スキーをハの字にして、プルークの練習で曲がれずに横のコース外に飛び出す生徒。私がその生徒に大丈夫かと声をかけているとそこに突然突っ込んでくる生徒。お代わり自由のカレーライスを食わなきゃ損とばかりに、何杯もお代わりする生徒もいました。
 生徒も疲れたかもしれませんが、教える先生の方はもっと疲れたかもしれません。そんなスキー教室も写生大会、球技大会と同様に中学校から消えつつあります。

選抜高校野球の開幕に思う(選抜野球と入場行進曲)平成16年3月13日掲載
 第76回選抜高校野球大会がいよいよ始まります。開会式の入場行進曲に選ばれたのはスマップの「世界に一つだけの花」です。
 昨年は偶然にも、若き童謡詩人の巨星と称賛されながら、26歳の若さで世を去った金子みすずさんの生誕百年でした。「みんなちがって、みんないい」の言葉で有名な詩「私と小鳥と鈴と」がスマップの歌とダブって仕方ありません。
 「私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面を速くは走れない。・・あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」(中略)
 スマップの歌が大ヒットした理由を、ある評論家は「癒し」を越えて「許し」の世界が心を救ったのだと言っていました。スポーツの世界で最初からOnly oneだなんて言ってたら勝負になりません。それでは甘えの世界です。甲子園で優勝を、高校サッカー初の日本一をと、スポーツの世界では特に一番にこだわってこそレベルアップもあるはずです。
 かつての偏差値が人間の価値を表すかのような、勘違いが問題なのであって、一つのことに一番を目指すことが悪いのではない。有森裕子さんが「自分で自分をほめてやりたい」と言ったのはNO.1を目指した結果、銅メダルを取れた自分に対しての言葉のような気がします。要は自分の出来ることを、精一杯やればそれでいい。

ユーモアは思いやり(同名)平成16年5月8日掲載(4月5日投稿)
 4月5日に、粕川村の文芸評論家の黒古一夫さんが「灰谷健次郎その『文学』と『優しさ』の陥穽」を発行したという記事が載りました。私もかつて灰谷さんの「兎の眼」を読んで感動したものです。
 ところで、ユーモアのある人は他人に対して思いやりがあることは間違いありません。ユーモアは人を和ませ、決して争いなど起こる雰囲気を作ったりしません。つまり、ユーモアは人に優しいのです。
 日本人は、欧米人に比べると決定的にユーモアが無いと言われています。生徒にはユーモアセンスを磨いてもらって、魅力的な大人になってもらいたいと願っています。
 「おじいちゃんハゲちゃびんやのにお風呂にシャンプーを持っていく」など、ユーモラスな詩が沢山のっている、灰谷さんの「一年一組せんせいあのね」をヒントに、今年も生徒に詩を作らせました。「○君、からだ小さいのに態度でかい」「おばあちゃん、『早く死にたいねぇ』と言いながら毎晩養命酒」等々。
 そんなユーモアが親、教師にも必要だと暗に教えてくれたのが、T市の最初の赴任校で出会った藤野昌久先生です。先日、その藤野先生から贈り物が届きました。教え子の山本あや子さんが40年前の中学時代の担任、藤野先生へ綴った交換日記です。『コキド・エルゴ・スム』という題名で発刊された中学生版「せんせいあのね」のような本です。
 生徒と教師とのふれ合いの原点を見る思いがして感動しました。

解けたイヌノフグリの謎(イヌノフグリ謎が解けた)平成16年5月31日掲載
 人生色々、出会いにも色々あります。良き人との出会いは、人を成長させます。一方、植物との出会いは人の心を豊かにしてくれます。
 先日、絶滅の危機にあるイヌノフグリに出会いました。それは教師になって20年以上続けている「春の草花調べ」の授業の時で、本物を見たのは初めてでした。
 高崎の方から「オオイヌノフグリとどこが違うのですか」と問い合わせの電話を頂きました。直径が一cm近くあるオオイヌノフグリは本紙の「花のいろいろ」でも紹介されました。俳句や詩の世界で“犬ふぐり”と詠まれているのは、ほとんどオオイヌノフグリのようです。草野心平さんも、咲きそろった花を“コバルトの盃に天の光を満たしている”と表現しています。
 生徒がニタニタする「ふぐり」という下品な名前が、どうして付いたのか疑問がありました。その謎がイヌフグリとの出会いで解けた気がします。
 日本に先に存在していたイヌノフグリの花は、直径が三から五mmの薄ピンク色で、オオイヌノフグリより花も葉も小さく、その存在に気付かないほど目立ちません。しかし、驚いたことにその果実だけは、まん丸と大きく太っていて、こっちこそ大きな犬のふぐり(睾丸)だと感動してしまいました。
 もしも、先にオオイヌノフグリがあったなら、星の瞳のような、この花の可憐さを表すような名前が広まっていたに違いないと、今回の出会いで実感しました。

命の大切さ教えるのは(蛙の合唱に合掌)平成16年7月5日掲載
 6月に入り、田んぼに水が入った途端、どこに隠れていたのか突如として蛙の合唱が始まった。
 遠い日の思い出でありながら、つい昨日の事のように良く覚えている事がある。私は、少し離れた田んぼまで自転車を走らせた。近くで拾ってきた空き缶に十数匹は詰め込んだろうか。空き缶のふたがないので一生懸命手で押さえていると、敵もさるもの、必死に脱獄しようと私の手に、力の限りの跳躍で体当たりしてきた。私はその圧力を感じながらも可哀想というより、嬉しそうだった。
 仲間の一人が爆竹に火を着けた。ドカーンと煙とともに見事に吹っ飛んだ。遠い小学校時代の思い出である。犠牲になったのは言うまでもなく蛙であった。今振りカエルと、よくもこんな残酷な事をしたものだと思う。
 しかし、この体験はいつしか真に生命の尊さを知る大人になるための、必修科目だったように思えてなりません。更に理科の授業でやった蛙の解剖で、臓器を切り離してただ一つ心臓だけが残り、その心臓が規則正しく脈打つ光景を見て、生命力の凄さを、生命の神秘を感じた。
 今は生命尊重とか動物愛護とかの理由で蛙の解剖は殆どしません。また、佐世保のような痛ましい事件が起こると尚更やらなくなります。
 かつて小刀で鉛筆を削っていた時代があった。しかし、今は危険だから取り上げる。危険なことはやらせない。危険なことをすべて排除して、命の大切さを教えられるのか疑問です。

アジサイの不思議 平成16年7月7日投稿(採用されず)
 今、日本の真ん中S市では市の花アジサイが見頃です。小雨の降る夕方、小野池あじさい公園に寄ってみました。八千株ものアジサイを見て驚きました。その中で、平沢川沿いに初めて見る不思議なアジサイを見つけました。随分大きくてまだ色づいていないのかと思ったら「白い貴婦人」と呼ばれるアナベルという品種でした。あじさい公園で唯一群生しているそうです。
 普通のアジサイはガクを花びらのように派手に変身させて、昆虫達を誘うように目立とうとしています。テッセンや沈丁花などとともに、花びらが退化しその代わりにガクが大きく発達したようです。極小の花は中央にこっそり咲いています。
 私は授業で、リトマス紙の色の変化を「みなさんは、青いリンゴが熟して赤くなるのは賛成(酸性)だね」と教えます。アジサイの花の色はリトマス紙の色の変化とは反対に、酸性の土壌で青色に、中性かアルカリ性でピンクか赤になる傾向があるとされています。
 その主な理由は、土中のアルミニウムが溶け出すと、元々赤い色素だったのが青く変わり、逆に中性やアルカリ性では、アルミニウムが溶け出しにくいので、本来の赤系のままになるということです。
 日本は火山国で雨も多いため、土壌が弱酸性なので青系の紫陽花が多くなり、外国では逆にピンク系が多いそうです。ピンク系のアジサイが多い国では、アジサイのことを漢字で「紅陽花」と書いても良さそうですね。

ジーコ監督の魅力(ジーコ監督に大きな魅力)平成16年8月4日掲載
 いよいよアテネ五輪が始まります。私はサッカーの五輪監督以上に、全日本のジーコ監督の人となりに、大きな魅力を感じます。
 現役時代ジーコは、ある大会でMVPを満場一致で獲得し、副賞に高級車をもらいました。その時、ジーコは関係者から車の値段を聞き出し、帰国後に自分の懐から車に相当するお金を用意し、それをチームメイトに分け与えたという話を聞きました。
 「控えの選手がいるからこそ僕たちは安心してプレーできる。僕がMVPを受賞できたのも、チームメイトのあらゆるサポートのお陰だ。あの車は僕だけのものじゃない。僕が代表で頂いただけだ」と友人に言ったそうです。
 ジーコは貧しい家庭に生まれながらも、夢を追いかけ世界のトッププレーヤーになりました。どんなに才能に恵まれようと、大きな壁にぶつかることがあります。しかし、「信念と目標さえ持っていれば、どんな障害にも打ち砕かれることはない」とジーコは著書の中で語っています。
 雑誌のインタビューで「楽しいという言葉の意味を誤解しないでほしい。人生は何かの目標に向かって、それを達成しようと懸命に努力するから喜びや楽しみが生まれてくる。サッカーも同じだ。一つでも上に行こうと全力を尽くす。これが一番充実感を得られること」だと最近の風潮に苦言を呈しています。
 アテネでそしてワールドカップで、厳しさを乗り越えた真のスポーツの楽しさをぜひ見たいものです。

ミミズの不思議な生態(ミミズ大量死は土の酸欠と猛暑)平成16年8月16日掲載
 10日付の本欄で「ミミズが日照りのアスファルトに沢山死んでいるのはなぜか」という疑問が載っていました。こんな時、専門書や図鑑を調べるよりインターネットで検索するのが一番です。ありましたありました。
 この疑問はダーウィンも悩んだようだとか、民話にも出てくるとか、何千年も前から繰り返されているとか。年に一度、夏の下弦の月の日に出てくるとか、嘘か本当かわかりませんが興味深い内容が沢山載っていました。
 ミミズはナメクジやカタツムリ同様に雌雄同体で、雄になったり雌になったりします。また、ミミズの糞が腐植土を形成し、植物の生長に大きく貢献していて、最近の研究では地上のほとんどの土は、すくなくとも、一度はミミズの体を通っただろうといわれているそうです。
 以前、子供電話相談室でもその理由を、「暑さそのものと、土の中の酸欠状態(一般的に固体の物質は高温の水によく溶けるが、酸素などの気体は高温だと空気中に逃げてしまう)で、夜のうちに出てきて、朝日が昇るまでに元の土に戻れなくなり、眼は見えない(ミミズの名の由来は、メ・ミエズ)ので、もう一度土の中にもぐり込むこともできず、強い太陽の光と熱で、短時間に動けなくなる」と回答者が答えたそうです。
 真夏の高温とコンクリートとアスファルトが、ミミズを死に追いやる原因になり、今年は猛暑で全国各地で、ミミズの死体が散乱しているようです。

命のバトンタッチ(延々続く「命のバトンタッチ」)平成16年9月5日掲載
 先日、教え子からメールが届きました。女児を出産し、今は退院して実家でなれない子育てに奮闘中とのこと。明るい子になって欲しいという願いと、お腹にいた時よく音楽に合わせて動いていたので“明音”と書いて“あかね”ちゃんとつけたそうです。最近流行の写メールとかで可愛い写真を一緒に送ってくれました。
 ふと彼女の披露宴でスピーチをしたのを思い出しました。教え子の結婚式ではスピーチを頼まれると、いつも「命のバトンタッチ」の話をします。
 自分の父と母で二人、父と母それぞれにまた父と母がいます。つまりお爺ちゃん、お婆ちゃんが合計で四人います。更にその父と母で八人,更に十六,三十二,六十四、百二十八、・・十代さかのぼっただけで千二十四人の父と母がいます。二十代では百万人を超え、三十代さかのぼると何と十億人を超えます。
 ある講演会で「自分の祖先が人類誕生から数えて約七十億の命になる。つまり七十億の命のどれか一つの命がどこかで途絶えていたら今、君はここに存在していないことになる」と聞いたことがあります。
 悲しいかな自分の親はいつか老いて死んでゆき、しかし自分の子供が生まれ、やがて孫ができと、「命のバトンタッチ」が繰り返される。自分が今生きているのは父と母、そして延々と続くそのまた父と母のお陰。両親に感謝、ご先祖様に感謝。
 スピーチの結びは「どうかご両親を大切にして下さい」でした。

イチローは努力の天才(努力の天才イチロー選手)平成16年10月23日掲載
 科学の素晴らしさを教えてくれた、科学雑誌『ニュートン』の編集長だった竹内均さんが今年四月に他界しました。最後の著作は「継続の天才−竹内均」という題名です。
 竹内氏は「人生の理想は自己実現である」と常々言っていました。好きなことをやり、それで食うことができ、しかもそれが他人によって高く評価される。正にイチロー選手の快挙は自己実現そのものでした。
 竹内氏は、自己実現をするためには「勤勉・正直・感謝を実行すればよい」と言っています。勤勉のポイントは「やれることからやる」で、成功をおさめた場合には、それを他人のお陰とし、失敗した場合にはそれを自分のせいにする事だと説いています。
 イチロー選手はインタビューで「とてつもない大記録も小さな積み重ねがあればこそ」と言っていました。これは竹内氏が言う、夢を実現するために今すぐ「小さい一歩」を踏み出しなさい。大きい夢と「小さい一歩」との間には無限の隔たりがあるように思われても、小さい一歩をうまずたゆまず続けると、いつしか「大きい夢」に辿り着けるものだという信念に共通しています。
 イチロー選手は、人生の理想「自己実現」を果たし、「努力の天才」でもあるとつくづく思います。細いバットの芯に小さなボールを当てるという特殊技能を持った天才が、努力の天才となって初めて実現可能な、シーズン最多安打を日本人として誇りに思います。

カタカナ語の氾濫に思う(コンビニを万屋と呼ぼう)平成16年11月22日掲載
 先日の新井秀さんの「視点」で述べられた、教育現場のカタカナ語の氾濫について非常に共感しました。趣味が園芸と言えばダサイと言われ、ガーデニングと言うとオシャレと言われる。
 昭和62年に当時中学2年生を担任し、英文和訳問題と題した自作のプリントを学活の時間にやらせました。野球編と日常生活編とに分かれていて、氾濫しているカタカナ語についてどのくらい意味を知っているかを問うものでした。野球編のストライク、ボールに始まり、ヒットエンドラン、フルカウント。日常生活編ではミートボール、イメージ、アクセサリー、サスペンスなどなど。
 生徒の日本語訳にはハンバーグを「挽き肉の丸め焼き」コロッケは「揚げジャガイモ・西洋まんじゅう」スクランブルエッグは「ゴチャまぜ卵」ポニーテールは「チョンマゲ」などと書いてありました。
 「誰(た)そ彼は」が語源の黄昏の方が、トワイライトよりも数十倍も情緒や風情があり、日本語の歴史を感じます。カタカナ語は本来の英語の意味を失い、言葉の歴史を失ったただの音(おと)でしかないような気がします。それがシャレて聞こえたり、カッコ良く思えたり、人から賢く思われると勘違いをしている場合が多くあります。分かりやすい日本語で表現できる人こそ本当に賢い人だと思います。
 さあ、みんなでコンビニと言うのを止めて、今日から万屋(よろずや)と言う呼び名を復活させようではありませんか。

ドドメは「土留め」(ドドメの語源「土留め」では)平成16年12月22日掲載
 小学生の頃、口の周りや舌を紫色に染めながら野球帽にドドメを集めていたら、白い帽子がドドメ色に染まりました。家に帰ると母親に、洗ってもなかなか落ちないと怒られました。
 さて、「ドドメ」とは「土留め」のことで「つちどめ」とも読みます。以前は土手などが崩れないように土留めとして、桑の木を植えたようです。すべてが桑の木だったわけではないようですが、桑の実の印象が強く残り、実の色が暗紫色だったことから、その色を「土留め色」と呼ぶようになったということです。主に群馬を始め、養蚕の盛んだった関東北部でよく使われていたようです。
 桑の実はラズベリーや木イチゴに似ていて、ほとんど黒に近い紫色をしています。初めは赤で、成熟するにしたがって濃い紫色になっていきます。
 色名事典にはドドメ色というのはないようです。しかし、ドドメ色=桑の実色ということで再び色名事典を調べると「マルベリー」という色があります。マルベリーとは英語でmulberryと書き、桑の実を意味します。
 それにしてもなぜ、桑の実と言わずドドメという言葉が好まれて使われたのか疑問です。ど忘れのように強調を表す“ど”が続いて、その語感の強烈な印象が、桑の実と言わずドドメと言わしめているようにも思えます。
 どちらかというと暗いイメージの色の代名詞として使われてきた、ドドメ色にただならぬ郷愁を抱くのは私だけでしょうか。

血液型性格判断に警鐘 平成17年1月10日投稿(採用されず)
 昨年の暮れ、放送倫理・番組向上機構(NHKと民法で設立された、放送番組による人権侵害を救済するための第三者機関)が血液型と性格を結びつけた番組に対し、自粛を求める異例の要望を出したという記事が載りました。一番の理由は「非科学的で、差別に通じる危険がある」ということでした。
 番組はA型は几帳面でB型はマイペースなどの決めつけや、レッテル張りを行う内容で、単なる視聴率稼ぎに見えます。いかにも血液型ごとに性格の傾向があるかのように、芸能人に演出させ、更に意図的に大学教授を出演させ「権威づけ」までして信じさせようとしていました。
 これまでいろいろな研究者が、血液型と性格の因果関係について調べましたが、結局は無関係という結論が出たということです。その証拠にアメリカインディアンという種族はすべてO型であり、ABO式血液型で性格が決定するなら、彼らの性格は1種類のはずですが、実際にそんなことはないのです。
 血液型にはRh式、MN式をはじめ、数十種類の測定法があります。さらに、ABO式でA型といっても実は1種類ではなくてA1、A2、B型にもB1、B2などの型があり、さらにAmとかBmなど様々な変異型が存在するそうです。
 性格は遺伝より、むしろ環境が大きな要因となって形成されるものです。血液型差別が子どもたちの心に刷り込まれ、それが、イジメや差別の潜在要因になったとしたら恐ろしいことです。
*なんと投稿した翌日の1月11日にHさんの「差別につながる血液型と性格」が掲載されてしまいました。先を越されてしまったことで苦労が水の泡。しかし、諦めません。

血液型性格判断は止めよう(非科学的な血液型判断)平成17年2月8日掲載
 今年は例年になく遅い初詣になりました。子供がおみくじを引きたいというので引かせたら、二人とも凶でした。その直後に引いた若いカップルも二人仲良く凶で、顔を見合わせてがっかりした様子でした。その時ふと見ると、普通のおみくじの隣に「血液型おみくじ」というのがありました。
 昨年の暮れ、放送倫理・番組向上機構(NHKと民法で設立された、放送番組による人権侵害を救済するための第三者機関)が血液型と性格を結びつけた番組に対し、自粛を求める異例の要望を出したという記事が載りました。一番の理由は「非科学的で、差別に通じる危険がある」ということでした。
 先日の細井さんの指摘にもありましたが、血液型にはRh式、MN式をはじめ数十種類の測定法があります。さらに、ABO式でA型といっても実は1種類ではなくてA1、A2、B型にもB1、B2などの型があり、さらにAmとかBmなど様々な変異型が存在するそうです。
 数ある血液型測定法の中で、ABO式に限って性格と関係があるというのはどう考えても非科学的です。その証拠にアメリカインディアンという種族はすべてO型で、ABO式血液型で性格が決定するなら、彼らの性格は1種類のはずですが、実際にそんなことはありません。
 血液型によって性格が決まるなら、教育は必要ありません。親や教師の地道な教育が、子供の性格に最も影響を及ぼすということを、今こそ再認識すべきではないでしょうか。

人間ドックのすすめ(人間ドック私のドラマ)平成17年3月1日掲載
 先日、人間ドックに行ってきました。中和反応で、硫酸と水酸化バリウムを混ぜてできる白い沈殿が硫酸バリウムと教えます。その時に、人間ドックの胃検診の話をします。
 まずげっぷを発生させる(胃を膨らませる)発泡剤を飲まされ、げっぷをしないで下さいと言われます。そんな無茶苦茶な要求をされ、うっかりげっぷをすると、もう一回飲まされます。
 いよいよ、硫酸バリウムを飲む時が来ました。一瞬うまいと思った次の瞬間「オエッ」とします。それを飲み干すと宇宙遊泳の始まりです。体の向きをあちこち変えながら、逆さまになりながら、バリウムがトップントップンと胃袋の中で踊ります。こうして楽しい?宇宙遊泳の旅は無事に終わり、二錠の下剤をもらって飲みました。
 今度は聴力検査です。耳をすましていると「ピー」と鳴ったので素早く右手でボタンを押しました。ところがその直後から私のお腹が「ゴロゴロ」と絶叫し始めます。よりによってこんな時に、バリウムが早く外に出たいと訴えかけてきました。その悲痛な訴えに「ピー」という音はかき消され、係りの人にもう結構ですと言われ外に出ました。もしかして私の診断書に「難聴」と書かれてしまったかも知れません。
 私の尊敬する先輩や同僚、そして親友の奥さんまでもが、若くしてガンで亡くなりました。生きている奇跡を少しでも持続させるため人間ドックに行きます。来年はどんなドラマが待っているか楽しみです。

スギ花粉は何のために(スギ花粉はなぜ飛ぶか)平成17年4月13日掲載
 「ハクション」今日もまたくしゃみと共に目覚める。去年が楽だった分、今年は目にくる鼻にくる喉にきます。スギ花粉には長年苦しめられてきました。考えてみれば花粉とは、何のためにあるのでしょう。
 花というものは、元来人間の目を楽しませるために咲くものではなく、生殖の目的で咲くものです。つまり子孫維持の大目的のためです。花は科学的には生殖器にほかなりません。
 花が実を結ぶためには、雌しべに花粉がついて受粉が行われなければなりませんが、この花粉を運ぶのは主に昆虫です。このような花を虫媒花と言います。そこで昆虫の気を引くために美しい花びらで着飾り、昆虫を誘惑する香りを発し、好物の甘い蜜まで用意するのです。
 ところが杉などの風媒花では、小さな花粉を遠くまで飛ばし、受粉しやすくするため花粉は軽く、飛びやすいようにギザギザや、ゴルフボールのように凹面があったりします。その飛距離は80q以上、強風に乗ると200qとも言われています。
 風媒花は美しく着飾る必要がないので綺麗な花びらなどありません。桜の花見に興じる人は沢山いますが、杉の花見をする人がいないのはこのためです。
 この様に、虫の助けを借りずに受粉させようとする植物は、大量の花粉を作り、それを風に運ばせて受粉させるのです。受粉できる確率が低い分、大量の花粉をまく必要があります。そのため、また今日もあちらこちらで「ハクションの嵐」が巻起こるのです。

発光する新しい信号機(新しい信号機と発光ダイオード)平成17年4月20日掲載
 黄昏時、赤い光だけが地上に届き夕焼けが赤く見えます。止まれの信号を赤に決めたのは、一番遠くまで届く光の色だからと生徒に教えます。それにしても最近、県庁や前橋警察署前をはじめ、やけに見やすい信号機が増えています。以前から色々なランプなどに使われていた、ブツブツに見える発光ダイオードの信号です。
 そんな折、所ジョージさんの番組で特集がありました。発光ダイオードとは、電気を流すと発光する半導体という約0.2ミリ角の部品を透明な樹脂が包んでいるもので、特徴は省電力と長寿命だそうです。従来の電球に比べ消費電力が5分の1位で、年1回電球交換が必要だった信号機が、発光ダイオードだと寿命は5万時間以上で10年以上切れないそうです。
 発光ダイオードの光には、紫外線が含まれないので虫が寄ってこなかったり、美術館などの展示物が色あせなくなるそうです。また、発光ダイオードは光そのものに色がついていて、消灯しているのに点灯して見える危険がありません。半導体に使われる元素によって色が変わるそうですが、青色だけはなかなかできなかったようです。
 話題の青色発光ダイオードの発明で、赤緑青の「光の3原色」が全て揃い、3色全てを光らせれば白に、またテレビのようにあらゆる色が表現できるようになりました。
 科学の面白さを実感できる発光ダイオードが、教科書から消えてしまったことに疑問を待たざるを得ません。

草取りも楽しくなる 平成17年5月3日投稿(採用されず)
 先日、ある奉仕作業に参加しました。一番の目的は生い茂った草取りです。楽しいとは言えない草取りも、草花と友達になると少しは苦痛ではなくなります。人との出会いも最初は名前を覚えることから始まります。名前も知らない関係では永久に友達にはなれません。
 さて、バックネットの周辺の草取りから始めました。そこにはスズメノカタビラが一番多く、在来のミミナ草を追い出さんばかりのオランダミミナ草、種がパチパチはじけるカタバミ、ツクシとの関係が非常に興味深いスギナ、ちょっと背の高いギザギザの葉っぱのノゲシが数本。また、一本だけハルジオンもありました。子どもが貧乏草と呼んでいる草です。6〜7月あたりを境にヒメジョオンに入れ替わっていますが、子どもはそれに気付きません。
 場所を移して視線を落とすと、花穂の先がサソリの尾のように巻いている、キュウリグサが一面に生えていました。キュウリグサの花は直径が2mm位であまりにも小さいので、どこにでも生えているのにあまり知られていません。実は、花屋さんで売っている勿忘草はこの花を巨大化したようなものです。ちょうどスミレの花を化け物のように大きくしたパンジーと同じ関係です。人間は勝手な動物で、自然の花を巨大化して楽しむ風潮があります。
 帰り道、菜の花の黄色、大根の白い花、紫色のオオアラセイトウ(花大根と言っている)の3色の対照が見事でした。

さらば炎の大関「貴ノ花」(さらば貴ノ花「炎の大関」)平成17年6月10日掲載
 元大関貴ノ花が逝ってしまいました。貴ノ浪の断髪式で、久しぶりに見た二子山親方のふらつく足取りと、変わり果てた顔にまさかの予感がしました。
 今でも鮮明に覚えています。小学校6年の時、校庭の芝生で貴ノ花ごっこをしたのを。それは昼休みに友達と相撲をとりながら、残った残ったと言いながら、わざと相手に投げられてそれをしぶとく地面すれすれで残すというものでした。
 私は「俺は男だ」「我ら青春」のような青春ドラマや「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」のようなスポ根アニメに大きな影響を受けました。しかし、貴ノ花の相撲そのものに最も大きな影響を受けたようです。
 昭和46年5月場所で大鵬を寄り倒して引退に追いやった相撲。47年1月場所、北の富士との大一番で「つき手」と「かばい手」とに解釈が分かれ、差し違えた木村庄之助が7日間の出場停止処分になった大物言いになった相撲。空前絶後の座布団乱舞の初優勝。高見山と投げ合い、わずかにマゲが早くつき顔面血だらけになって負けた相撲も鮮明に覚えています。
 最も感動した一番は、47年5月場所12日目の大関「清国」戦です。清国が貴ノ花の左足を取って絶対有利の体勢になり、貴ノ花は片足一本で残り、そこから見事に上手投げで逆転勝利した相撲です。
 どんなに土俵際に追いつめられても、不利な体勢になっても決して諦めない。貴ノ花の相撲は私に人生の極意を教えてくれました。

アジサイの不思議(アジサイはなぜ青系が多いのか)平成17年6月29日掲載
 今、日本の真ん中S市では市の花アジサイが見頃です。今年も小雨の降る夕方、小野池あじさい公園に寄ってみました。八千株ものアジサイを見て驚きました。その中で、平沢川沿いに初めて見る不思議なアジサイを見つけました。随分大きくてまだ色づいていないのかと思ったら「白い貴婦人」と呼ばれるアナベルという品種でした。あじさい公園で唯一群生しているそうです。
 普通のアジサイはガクを花びらのように派手に変身させて、昆虫達を誘うように目立とうとしています。テッセンや沈丁花などとともに、花びらが退化しその代わりにガクが大きく発達したようです。極小の花は中央にこっそり咲いています。
 私は授業で、リトマス紙の色の変化を「みなさんは、青いリンゴが熟して赤くなるのは賛成(酸性)だね」と教えます。アジサイの花の色はリトマス紙の色の変化とは反対に、酸性の土壌で青色に、中性かアルカリ性でピンクか赤になる傾向があるとされています。
 その主な理由は、土中のアルミニウムが溶け出すと、元々赤い色素だったのが青く変わり、逆に中性やアルカリ性では、アルミニウムが溶け出しにくいので、本来の赤系のままになるということです。
 日本は火山国で雨も多いため、土壌が弱酸性なので青系の紫陽花が多くなり、外国では逆にピンク系が多いそうです。ピンク系のアジサイが多い国では、アジサイのことを漢字で「紅陽花」と書いても良さそうですね。

大村はま先生を偲んで 平成17年8月9日投稿(採用されず)
 特集「はま先生の言葉」を読み、名著「教えるということ」を読んだときの感動を思い出しました。昨年「大村はま97歳」という番組を見たばかりだったので、突然の訃報に驚きました。番組の中で、車椅子に乗りながらも衰えない情熱に心を打たれました。
 意味不明のカタカナ語が氾濫する昨今、やさしい日本語の組み合わせで、どこまでも深い表現ができることを、はま先生は教えてくれました。親、教師を戒める話にも説得力があります。
 「やればできるんだ、やらないからできないんだ」とよく言うが、やってもできない事がある悲しみ、それを忘れたくありません。真心を込めてやれば何でもやれるというものではない。人生の先輩として、やれない悲しみを胸に持って、子どもを励ましたいものです。
 また、「やる気がないから駄目なんだ」こう言われるとやる気がなくなってしまうでしょう。やる気が起こるのも一つの力、努力できるのも一つの才能ではないかと思います。やる気を出そうと思えば出るものと決まっていないのです。様々な工夫でそのやる気を引き出すのが、親や教師の役目と説いています。
 更に「“劣”の子どもに親切にすればいい先生で、教師の務めを果たしていると錯覚し、それに酔ってしまう先生が多いのではないか。難しいことであるが“優”の子どもも上へ上へと力を伸ばしてこそ教師である」と厳しい。はま先生のご冥福をお祈りします。

外国産の脅威(外来種の脅威)平成17年8月30日掲載
 夜のプロ野球ニュースを見たら、外国人ピッチャーが好投し、打のヒーローも外国人でした。最後まで日本人の活躍は全く映し出されることはありませんでした。
 一方、大相撲ではモンゴル出身(30人以上いる)の朝青龍がまた優勝。殊勲賞にブルガリアの琴欧州、敢闘賞がグルジアの黒海でした。情けないことに日本人力士は善戦どころか休場ばかり。そのうち騒動続きの貴乃花親方も、苦し紛れにアフリカの原住民をスカウトして、黒海に対抗して黒山とかのしこ名の力士を誕生させるかも知れません。
 スポーツ界に体力・運動能力に勝る外国人が増加の一途を辿っていることは寂しい限りですが、昆虫界にも得体の知れないヘラクレスオオカブトとかの外国産が、急激に日本中で売られ始めたことに危惧を感じます。
 長い間植物防疫法によって国内への持込みが禁止されていましたが、1999年に「害虫に該当しないカブトムシ・クワガタムシ」として一部の種を事実上輸入解禁してしまいました。心配なのは外国産のクワガタやカブトムシが野生化した時です。
 考えられることは在来種の生息環境を奪い、雑種交配により「種」が消滅してしまう危険を生み、また外来種に付着して持ち込まれたダニなどの寄生虫あるいは病原菌によって、免疫力のない日本のクワガタやカブトムシが全滅してしまう危険性もあります。手遅れになる前に、予防策を真剣に考える必要があると思います。

はま先生の言葉(よみがえるはま先生の言葉)平成17年9月20日掲載
 教師を目指していた学生時代、大村はま先生の名著「教えるということ」に出会い、「仏様の指」という話に身が震えるような感動を覚えました。上毛新聞で特集された「はま先生の言葉」を読み、その時の記憶が鮮明に蘇ってきました。親、教師にとってこれ以上の教育の原点を示唆する話は無いのではないでしょうか。
 昨年末「大村はま97歳」という番組を見たばかりでした。ビデオにまで録画して持っていましたが、今年4月の突然の訃報に驚きました。はま先生は番組の中で、車椅子に乗りながらも、衰えない情熱で生徒に語りかけていました。その光景に熱いものが込み上げてきました。
 意味不明のカタカナ語が氾濫する昨今、易しい日本語の組み合わせで、どこまでも深い表現ができることを、言葉の果てしない力を、はま先生は教えてくれました。親、教師を戒める話にも説得力があります。
 「やればできる、やらないからできないんだとよく言うが、人生の先輩としてやってもできない事がある悲しみを胸に持って、子どもを励ましたいものです」と思わず共感してしまう。
 また、「やる気がないから駄目なんだ、こう言われるとやる気がなくなってしまうでしょう。やる気が起こるのも一つの力、努力できるのも一つの才能」と訴えかけ、様々な工夫でそのやる気を引き出すのが、親や教師の役目と説いています。生徒を「優劣のかなた」に導いた、はま先生のご冥福を心からお祈りします。

J新聞が見本を示そう(J新聞が見本を示そう)平成17年10月15日掲載
 以前、「コンビニを万屋と呼ぼう」という投稿をしました。これは氾濫するカタカナ語に対する私の怒りからでした。しかし、その後も意味不明のカタカナ語は増加の一途で、最近ではコラボとかいうのが流行っています。
 環境省ですら公募で「夏のビジネス軽装」を「涼しい、格好がいい」という意味の「クール」にビジネスの「ビズ」を組み合わせ「クールビズ」と言い、今ではウォームビズと言っています。
 5日付のひろばで松井さんが「全国テストより国語教育確立を」でカタカナ語が濫用されていて、思考や理解が深まるのかと疑問を投げかけ、豊泉さんが「フリマと蚤の市」で人の血を吸うノミを英語で「フリー」と言うのが、自由の意味になってしまったと分析し、カタカナ語氾濫のご時勢に警鐘を鳴らしていました。
 それに対し7日の記事で、国立国語研究所の中間報告として外来語の言い換えの提案が載っていました。特に役所ことばに多いカタカナ言葉を改める動きが出てきたことは前進です。
 そこで提案ですが、J新聞が先駆的にカタカナ語を極力使わない努力をしてみてはどうでしょうか。「キーパーソンに聞く」より「鍵を握る人」の方が万人に優しいはずです。講談社の日本語大辞典にもキーパンチャーは載っていますが、キーパーソンはありません。難病のパーキンソン病を連想さえします。新聞こそ最も日本語を大事にしてもらいたいと願う限りです。

とろけた新聞と人の温かさ(溶けた新聞と心のぬくもり)平成17年11月18日掲載
 今年「赤いシリーズ」のドラマが復活して話題になりました。かつての主役は、伝説の人になりつつある山口百恵さんです。
 先日、25年前のベストセラー「蒼い時」を偶然本棚の奥に見つけました。目次に新聞配達という文字を見つけ、読み返してみると百恵さんが中1の夏休み、朝の4時から約2百軒を歩いて配ったという内容が記されてありました。読んでる途中「はっ」と高1の時のほろ苦い思い出が重なりました。
 大粒の雨がトタン屋根に落下する音で目を覚まし、急いでカッパを着て自転車で1時間15分、約百軒の旅が始まりました。慣れた手つきで新聞を縦に二つに折り、ポストのない家の玄関先に飛ばした次の瞬間、フワっと戻ってきて水たまりにボチャン。あわててタオルでふき取ってそっと置いていきました。
 しかし、悪いことはできないものです。自転車のスタンドがぬかるみで倒れていて、前の籠に入っていた新聞の一部が水たまりに。目の前が真っ暗に、新聞はとろけそうになりました。その新聞を、戸の隙間からそっと入れようとした瞬間、ガラガラと戸が開いて、「ご苦労様」の声。「ちょっと、ぬれちゃったんですけど」と苦し紛れに言うと、「いいですよ」と返ってきました。
 百恵さんは水たまりに落として叱られたが、私は叱られなかった。後ろめたい気持ちを引きずりながらも、救われたその一言に、人の心の温もりを感じ、今でも胸がじんときます。

親知らずと平均寿命(親知らずと平均寿命)平成17年12月28日掲載
 先日、職場の同僚が親知らずを抜いて熱を出しました。親知らずの語源は「乳歯が抜けた後に永久歯が生えてくるが、親知らずはいきなり生えてくるので、先に生える乳歯を親と見立てて、親がない歯だから。」という説もありますが「親知らずが生える頃にはもう親がいない」というのが有力のようです。
 17歳から22〜3歳で親知らずが生えた時、既に親が亡くなっているなんて、最近発表された日本人女性の平均寿命85.59歳(20年連続で世界一)男性の78.64歳を考えると信じられない気がします。
 そんな矢先、サッカー日本代表がアフリカのアンゴラと対戦し、アナウンサーがアンゴラの平均寿命は40歳と言ったとき、はっとしました。調べたらアンゴラでは内戦などで、今でも地雷が一千万個以上あり、しかもマラリアなどで5歳までに命を失う子も多いということです。
 20世紀初めに欧米諸国で平均寿命が50歳を超えた時、日本人の平均寿命は30歳代の後半を低迷していました。平均寿命が男女とも50歳に達したのは昭和22年で、欧米におよそ50年遅れたそうです。それが今から20年ほど前、日本人の動物性タンパク質と植物性タンパク質の摂取比率が1対1になった時、日本は世界一の長寿国になりました。
 結婚の早かった明治から大正にかけて、平均寿命が40歳から45歳の時代に「親知らず」という言葉が生まれたと考えると、親知らずの語源の謎が解けた気がしました。

バレーボールbP(掛け替えのない体験をした選手)平成18年1月11日掲載
 12月24日から全国都道府県対抗中学バレーボール大会に、女子のスタッフの一員として参加させてもらいました。この大会は将来の全日本選手を発掘する目的で始まりました。
 T崎、M郷、M橋、F岡、T根から12人の選手が集まり、9月から4ヶ月間ほとんど土・日・祝日は日帰りの遠征や山梨・長野・神奈川と泊まりの遠征でした。11月からは毎週水曜日の夜7時から9時までS中の体育館を借りて練習しました。
 結果は初戦に勝ち、次に全国から有望選手を集めた、話題のNTドリームスにもストレート勝ちし、予選を1位で通過しました。途中出場したある選手は、絵に描いたようなブロックを決め、思わずガッツポーズを取り「やったー」と大きな声を出しました。その姿にすべての苦労が報われた気がしました。しかし、決勝トーナメント初戦で敗れてしまい、選手は目を真っ赤にして泣きました。
 上位進出の夢はかないませんでしたが、選手は掛け替えのない経験をしました。保護者の応援もピカイチでした。全国対抗キャラクターコンテストで、日本一となった本県マスコットの『ゆうまちゃん』の着ぐるみを着て、汗だくになって応援してくれた父親がいました。保護者会長さんの細かい心遣いがありました。
 H監督の下、選手・スタッフ・保護者が一丸となって充実した4ヶ月間でした。県中体連を始め、バレー協会そしてすべての応援してくれた人たちに感謝します。

魅力ある男子バレーボール(魅力ある男子バレー)平成18年2月8日掲載
 1月29日にGアリーナに春高バレーの準決勝・決勝を見に行きました。広い駐車場がどこも一杯で、まだまだバレー人気も捨てたものではないと嬉しく思いました。
 男子はM高校が初優勝しました。31日のスポーツ欄の熱気球「○○バレー21年目の春」を読み、同世代のバレー指導者として共感しました。
 私も昭和58年、T市の中学校に新採用教員として赴任し、そこで新設してもらった男子バレー部が、1年生1人と、3年生5人という悲惨な状況の中で半年で廃部となりました。バレーボールは女性だけのスポーツではない、男らしい魅力あるスポーツだと訴えても、生徒は見向きもしてくれませんでした。次の学校で男子バレー部の顧問になれましたが、7人いた3年生が最後は3人になりました。その3人と手ぶらで撮った卒業アルバムの写真を今でも大切に持っています。
 ソフトボールで通算171勝した三宅豊さんが殿堂入りしました。三宅さんは野球の女性版としか解釈されないソフトボールを、男子がやることは更に偏見があり、その偏見との闘いが自分の歴史だと言っていました。
 バレーもソフトボールも、女子スポーツのイメージが強くあります。しかし、男子のそれはスピードとパワーで女子とは全く違う競技のような魅力があります。激減する男子バレー部員を増やすため、底辺の拡大とM高校のような、伝統校に立ち向かう新興勢力の台頭を期待します。

感激した三宅さんからのFAX(三宅さんから届いたファクス)平成18年2月27日掲載
 2月8日のひろばに私の「魅力ある男子バレー」が載りました。その中でソフトボールもバレーも女子スポーツのイメージが強く、その偏見を取り除くことは大変で、三宅さんはその偏見と闘い続けていると書きました。
 それに対して突然、三宅さんからFAXが届きました。殿堂入りのお祝いの様子を、新聞で見たばかりだったので、思わず感激してしまいました。三宅さんは中学時代は野球部で、高校に入ってソフトボールを始めたそうです。野球だけがスポーツであるかのように皆が錯覚していた時代に、ソフトボールははっきり言えば女女しいスポーツのように思われ、ショックを受けたそうです。
 野球のボールは小さくて、滅多にバットの芯に当たりません。その点で野球は非常に難しいスポーツです。そこでボールを大きくし、ピッチャーは下から投げることでバットに当たる確率が増します。ソフトボールは集団のレベルに応じて、誰でもが楽しめる競技に改良されたスポーツと言って良いと思います。
 ママさんバレーのイメージで男子バレーを見たり、レクリエーションのイメージで男子ソフトボールを見てしまうのは間違っています。一度本物を見たら驚くに違いありません。
 甲子園出場が決まると莫大な寄付金が集まりますが、春高バレーに出場が決まっても資金集めは困難を極めます。日本のスポーツ界がもっと一人一人に合った、多様なスポーツを選択できる時代が来ることを願ってやみません。

人間ドックと聴力検査 平成18年3月18日投稿(採用されず)
 今年も人間ドックに行ってきました。昨年は硫酸バリウムを飲んだ直後に聴力検査があり、お腹の絶叫で音が聞き取れなかった苦い経験をしました。今年は運良く先に聴力検査があり、ピーという音をしっかり聞くことができました。検査表を見ると低音を1000Hz、高音を4000Hzとしてどれくらいの大きさで聞き取れたかを調べていたようです。(年齢と共に高音が聞き取りずらくなるそうです)
 Hz(ヘルツ)とは音の高さを表し、物体が1秒間に振動する回数のことです。太鼓をたたいて皮に手をあてると、皮がふるえているのがわかります。また、手で皮を押さえてたたくと音は出ません。つまり音が出ているものは、全て振動しているということで、振動数が少ないと低い音、多いと高い音になります。
 イルカが聞こえる音の範囲は約150〜15万Hz、コウモリは千〜12万、犬15〜5万、猫60〜6万5千、人は平均で20〜2万Hzと言われています。そう言えば昔テレビドラマで、吹いても何も音がしない笛に、なぜか犬がやって来るというのを見ました。その時は不思議で仕方ありませんでしたが、人には聞こえない高い音が、犬には聞こえるということだったのです。
 今年も人間ドックは無事に終わりましたが、バリウムが足りなくなったと言われ、追加でバリウムを飲まされたことは誤算でした。その後、白銀の世界を見つめながら、健康の有り難さを噛みしめました。

嫌いな言葉「キレル」(キレルは言葉遊び)平成18年4月19日掲載
 最近「ちょっとしたことにも感情を抑えきれないで激しく怒り出すこと」を「キレル」と言って、マスコミが好んで使っていることに、私は不快感を持っています。テレビ番組でも「まじギレ」とか「逆ギレ」という言葉をよく聞きます。過日の三山春秋にも、堪忍袋の緒が切れた赤穂城主の行動は今風に言えば「キレル」がぴったりだと書いてありました。
 しかし、キレルという言葉の語源が凧の糸が「切れる」なら合点がいきますが「堪忍袋の緒が切れる」の「切れる」から来ているのなら大いに疑問が残ります。堪忍袋とは、怒りを必死に抑える理性のようなものです。そして、ぎりぎりの我慢の蓄積でとうとう緒がはち切れてしまった状態を「堪忍袋の緒が切れた」と考えるからです。
 「我慢できない、我慢を知らない子供達」と言わず「キレル子供達」と表現するのは、言葉遊びとしか思えません。学者まで、最近の子供に忍耐力が無くなった原因はと言わず「キレル」原因は低血糖状態とカルシウムなどのミネラル不足で、理性を司る大脳皮質の働きに障害が生じているからだと言っています。
 ちょっとしたことにも感情を抑えきれないで激しく怒り出すことは、実は辞書の癇癪(かんしゃく)の説明です。今の中高生は精神的に未発達で、動物的に逃避するか逆に攻撃に転じるという点で、幼児と同じ傾向があるということです。これからはキレ易い子を君は「癇癪玉」のようだねと言ったらどうでしょうか。

矢車菊の秘密(同名)平成18年5月15日掲載
 最近、鯉のぼりを掲げる家も少なくなってきました。鯉のぼりの季節になると決まって目立ち始めるのがピンクや青の矢車菊(ヤグルマギク)です。案の定、その名も花の形が鯉のぼりの柱の先につける矢車に似ている事からついたようです。ヤグルマソウと言う人がいますが、矢車草はユキノシタ科の別の花のことです。
 ヨーロッパ原産のキク科の1年草で、ヨーロッパでは麦畑によく生え、英名はコーンフラワー。コーンとは小麦のことを指すそうです。ドイツの国花で、学名のセントウレアはギリシャ神話のケンタウルスが、この植物の葉で傷を癒したという伝説からつけられたものだそうです。古代エジプトのツタンカーメン王の墓からも発見された由緒ある花です。
 ある時私は、矢車菊の中心部に立っている、色の濃い柱状のものに触れてみました。その時です。びっくりすることが起きました。その先からモコモコと白い粉のようなものが吹き出てきたのです。早速帰ってから調べてみました。何と、雄しべが刺激されると、内部にできた花粉がトコロテン式に外へ押し出される仕組みだと、ある本に書いてあるではありませんか。
 よく訪れるミツバチ類が蜜を吸いに来たついでに接触し、それが刺激となって花粉が吹き出し、ハチの体に花粉が付いて受粉の手伝いをさせるということです。自然の妙味に感心するばかりです。皆さんも矢車菊の中心部を触ってみてはいかがでしょうか。

山野草を育てる心(同名)平成18年5月30日掲載
 S村の山草会主催の山草展に行ってきました。この山草展は既に20年以上も続いており、今回が45回目でした。植物の魅力、山野草の魅力が県内各地からこれ程までに沢山の人達を引きつけていることに感激しました。桐生やもっと遠くから、わざわざS村にまで来る人がいました。常連さんも沢山いると聞きます。
 会員の方が丹精込めて育てた75種類の山野草を、一鉢一鉢じっくりと見て回りました。まるで海の波しぶきのように見える「タツナミソウ」、船のイカリに見える「イカリソウ」、本物の鈴虫が止まっているかのような「スズムシソウ」がありました。そして、初めて見た実物のヤグルマソウは、なるほどその葉が矢車のようでした。
 品種改良による絞り模様のサクラソウや、色とりどりのオダマキもありました。東紅とつけられたサクラソウは花びらの形がまるで雪の結晶のようでした。身近な植物では、田んぼに行くと見られる、ムラサキサギゴケの寄せ植えが印象に残りました。
 希少な高山植物を盗掘する人達がいる昨今、会長のHさんは「山野草を自分で育てる経験が、山野草を大切にする心をつくる」と言っていました。山野草と友達になる第一歩は、やはり名前を覚えることだと思います。
 「名もない花には名前を付けましょう」という最近のヒット曲に、名もない花なんて見つかるはずないと、反抗したくなるのは私だけでしょうか。

突然の訪問者ネジ花(ネジ花と再会する)平成18年7月18日掲載
 梅雨の晴れ間にふと見ると、狭い庭のわずかな芝生に憧れのネジ花を発見しました。思えばその存在すら知らなかった学生時代、キャンパス内の芝生にまさしく「ニョキニョキ」と生えるネジ花に出会いました。
 1つの花の直径はたった5mmほどで、花が螺旋状にねじれながら茎につくのでネジ花という名前がつきました。案の定、学名のSpiranthes(スピランテス)も「螺旋の花」という意味でした。それはまるでDNAの螺旋構造の説明図のようにも見えます。最も進化した植物と考えられているラン科の植物で、よく見るとカトレアのような形で、ランの仲間であることに納得がいきます。
 ところで植物の蔓の巻き方は、アサガオは右巻き(下から見て)というふうに植物の種類によってほぼ決まっています。不思議なことに、植物界全体では右巻きが圧倒的に多いのですが、その理由は分かっていません。蔓ではありませんが、ネジ花の花のつき方は右巻き左巻きほぼ同数で、私が大学時代見つけたものでは左巻きの7回転半が最高でした。
 螺旋状に並んだ小さな花は下から上へ咲き登り、「頂上に達する頃に梅雨があける」と言われています。その逆にハチが上から下へ螺旋状にぐるぐる回りながら蜜を吸っている姿が今でも印象に残っています。
 関心がなければ、私たちの目に永久に見えないネジ花が、そろそろ梅雨の終わりを告げているように見えます。

いじめと戦争(同名)平成18年8月13日掲載
 名誉県民になった星野富弘さんは、新春てい談で「自分を中心に自分を知ってもらうんじゃなくて、まず相手を知ろうとしてほしい。相手を受け入れることで、いじめとか、そういう思いは出てこないと思う。」とメッセージを送っていました。
 いじめとは「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的かつ執拗に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの。」と定義されています。感じ方に個人差があり、客観性に欠け、強い弱いは逆転することもあるので非常に分かりづらい面があります。
 単なる悪ふざけがいじめに見なされたり、ただの喧嘩が疑わしい目で見られたりもします。片方の言い分のみを通すのがいじめで、双方の言い分がぶつかり合うのが喧嘩であると言えます。教師がいじめを「喧嘩」として見過ごしたり、親が喧嘩を「いじめ」として大騒ぎするのも仕方ない面があります。
 星野さんは「私は小さな草花を描いている。知らないときは気が付かず、踏みつけて歩いていた。でも小さな草花や虫をよく観察していたら、いろんなすごいものを持っていることがわかった。その美しさ、すごさに気づいたら、踏みつけて歩けなくなってしまった。人間も同じ。相手を知らないから傷つけることもできる。それが戦争に発展するのだと思っている。お互いの理解が大切」とメッセージを結びました。
 イスラエル問題もいじめも根っこは同じに思えてなりません。

関東平野のモロヘイヤ(王様の野菜モロヘイヤ)平成18年8月31日掲載
 3年前の夏のある日の食卓。思わず「雑草」と言いたくなるような、見た目の悪い街路樹の葉っぱのような謎の野菜がありました。さっとゆでて鰹節をふりかけ、味ぽんをかけて食べようと箸でつまんだらそのヌルヌルネバネバに驚きました。これがモロヘイヤとの出会いでした。
 ネバネバは『ムチン』という成分でオクラやなめこ、里芋などの「ネバネバ野菜」に含まれる水溶性の食物繊維で、コレステロールや中性脂肪を低下させる働きがあるそうです。その他にもカロチンとカルシウムなどの各種ミネラルが豊富で、万病に効く緑黄色野菜の王様と呼ぶ人もいます。
 最近どこのスーパーでも売っていますが、日本では1984年に本格的に導入された野菜だそうです。古代エジプトの王様の難病がモロヘイヤのスープで治ったという伝説があり、それ以来モロヘイヤをアラビア語で「王様の野菜(ムルキーヤ)」と呼ぶようになり、それが訛りMulukheiya(ムルーヘイヤ)となったのが語源のよ
うです。関東平野とは全く関係ありませんでした。
 今、家庭菜園のわずか1uの範囲にモロヘイヤの苗が育っています。凄いのは葉を切っても切っても、脇から新葉が生えてきて何度も収穫できることです。食べて健康に良し、その生命力・再生能力の不思議さも味わえ一挙両得です。

9・11から5年、世界は今(テロの背景)平成18年10月6日掲載
 先日のNHKの番組で「テロ多発・アルカイダの実態」をみました。家族をアメリカ軍に殺され、その恨みを晴らすためといってタリバンに加わる人が増えている様子が描かれていました。
 家族を失い、独りぼっちになった自分の将来に、夢も希望も全く持てなかったら自分は生きていても仕方がない。全てを奪った相手に対して「自爆テロ」で仕返しをしてやりたいと考えたのでしょう。アルカイダのビンラディンを応援する人の中には、家族を始め、何の罪もない人、女性や子供が理不尽に殺された恨みを晴らそうという気持ちを持っている人がかなりいるということです。
 かつて戦禍の子供達の悲惨な状況を見て、トットちゃんこと黒柳徹子さんが絶句したことの一つに人形爆弾の話がありました。幼い子が人形を抱きしめた途端、それは爆発する仕掛けでした。戦争が地雷や人形爆弾を作らせたのです。
 土佐弘之さんも本紙で、脆弱さが生む暴力性が世界内戦化をつくり出したと書いています。ブッシュ大統領が脅威となる他者に対して、容赦なく暴力を振るう形で対応してしまったことが、日本でもいつテロが起こるかという不安を作り上げてしまった気がします。

富弘美術館はシャボン玉(同名)平成18年10月26日掲載
 念願の新・富弘美術館に行って来ました。季節を彩る木々、山の緑とそれを鏡のように映し出す草木湖の景色が絶妙に調和し、それに溶け込むように美術館がありました。中に入るとその創造的な作りにびっくりしました。
 まるで大小のシャボン玉がくっついたように円形の展示室があり、順路を間違えて迷い込んだと思ったらそこは小展示室でした。展示室の一つ一つが希望や勇気を与えてくれるシャボン玉のようでした。
 富弘さんは、平気で踏みつけていた道端の草花の素晴らしさを、絶望の淵からはい上がる過程で知りました。私も運命の悪戯で理科教師を目指す過程で、その奥深さに気付きました。精巧な花のつくり、生殖のための巧妙な知恵、名前の由来の面白さと、知れば知るほど植物の世界の無限の広がりを感じました。
 既に5百万人を超える人が訪れた、富弘美術館の魅力は一体何なのでしょうか。富弘さんがスーパーマンではなく、自分と同じ弱い人間であったということでしょうか。
 シャボン玉が綺麗な虹色に輝き、やがてはかなく消えていく。それは人生そのもののようです。はかないからこそ、今を精一杯生きることの大切さを、富弘さんは私達に教えてくれているようです。

修行の身に自主性は必要か(修行中の身に自主性は必要か)平成18年12月5日掲載
 東京国際女子マラソンで、高橋尚子さんが3位に終わりました。日本陸連の部長は「指導者がいれば客観的に判断できるが(独力は)調整のさじ加減が難しい」と指摘していました。思い出すのはかつての師匠、小出監督の言葉です。
 「私は、選手の自主性を信用していない。それは甘えや厳しい練習からの逃避であることが少なくないからである。修業している者に自主性は必要ない。自主性に任せるくらいなら、指導しない方がましだ。私は喜んで指導者を辞めてやる」とまで言っていました。
 最近の風潮で、自主性イコール個人尊重と錯覚し、価値の分からぬ子供に選択させる場面も増えています。一方で強制や管理は良くないと言う人がいます。果たして、そうでしょうか。
 個人を尊重するとは、その人が持っている能力を尊重することです。自分だけでは引き出せない可能性を、教師や指導者が引き出してあげることです。
 小出監督は、たかだか八十年の人生の中で、修行できる時期はきわめて限られている。その限定された時期を、「自主性に任せてあげる」指導者のもとで、「自主性に任せていただきます」という形で過ごしてしまったら、実に不幸なことだと言っています。

理想のスポーツとは(理想のスポーツ)平成18年12月31日掲載
 過日の井上さんの「世界バレーに身長別導入を」に同意見です。まだ、世界が本気でバレーボールを始めていなかった頃、日本が金メダルを取りました。その時より今のレベルの方がはるかに高いと思います。
 しかし、世界が本気になったら身長差はどうにもなりません。日本人で身長が2mを超えて運動神経もいい選手は滅多にいませんが、欧米では2mを超える人がその辺の道端で歩いています。能代工業で天才と言われた田伏選手も、NBAで2m級の選手に取り囲まれてどうにもなりませんでした。背が大きいだけで有利なスポーツは、個人の努力が報われない点で不満です。
 また、貧しいアフリカの国でも、子供達が裸足でボロ切れを丸めたサッカーボールで、凸凹の空き地でサッカーをしています。サッカーはボール一つでできる点で普及率が高いと言えます。そんな凸凹の空き地で野球はできません。野球が世界に普及できない大きな理由は、難しすぎることと道具が高価なことです。豊かな国の人しかできません。また、松坂選手のようなピッチャーが試合を左右する割合が大きすぎることです。
 全身運動で、身長や体格の差に関係なく、努力が報われるスポーツが理想だと思います。

ことばの変漢ミスと勘違い(「変漢ミス」)平成19年1月13日掲載
 漢字能力検定協会が面白い変換ミスを募集する“変漢ミス”コンテストの結果を発表しました。年間変漢賞1位は、会議の資料を焦ってメールしたら「遅れてすいません。回答案です」が「遅れてすいません。怪盗アンデス」というミス変換でした。
 他に「話に困った司会者」が「歯無しに困った歯科医者」、ゴルフで「ラフにハマってしまって」が「裸婦にハマってしまって」、「リスト表を送ります」が「リスとヒョウを送ります」などがありました。前年の1位は「今年から海外に住み始めました」が「今年から貝が胃に棲み始めました」でした。
 日常生活でも勘違いや、思い違いがよくあります。「予断を許さない」は「油断を許さない」、「的を射る」は「的を得る」などです。また桃太郎で、お爺さんが山に芝刈りに行くことに何の疑問もありませんでした。大昔にお爺さんがゴルフ場を経営していたのでしょうか。
 正しくは「柴刈り」で【たきぎに適した雑木(の小枝)を探しに行くこと】です。燃やすための雑木の小枝のことを「柴」と言うのです。
 年末に友人にメールで「飲み過ぎに注意しろよ」と打ったつもりが「飲み過ぎに注意四郎よ」になって思わず大笑いでした。

結婚式今昔物語(結婚式今昔)平成19年2月28日掲載
 久しぶりに教え子の結婚式に出席しました。大きなホテルのロビーに入ると、全面ガラス張りの向こうにディズニーランドが見えました。驚いたのはそのロビーの奥で、日本語の達者な牧師さんが「アーメン」とか言って、そこが教会式場になっていたことです。
 昔は神前結婚が主流で仲人さんがいましたが、最近は教会で仲人さんはいません。昔は披露宴ものんびりしていましたが、最近は目の前に出された料理を一目散に食べないと、どんどん片づけられてしまいます。
 中三の担任の私と、小一の時の担任の先生が招待されていました。小一の時の担任の先生がスピーチで「国語でタンポポの話が出てきたら、早速タンポポの綿毛を一つ見つけて持ってきてくれました」と当時の思い出を語っていました。
 理科離れが危惧されている昨今、そんな好奇心を持ちすぐ行動に移せる子どもが減っています。この世の中に当たり前のものは一つもありません。それが何でも当たり前と思って、疑問すら持てない子どもが増え、ただ入試によく出る問題を塾でやり、学校で居眠りという生徒もいます。
 帰り際、新婦の独身の友人に「ただ待っていてはダメ、行動しなさい」とアドバイスしました。

桑田投手の人生観に感動(勇気もらった前向きの言動)平成19年4月7日掲載
 桑田真澄投手が、メジャーを目指したことについて聞かれ、「最初に憧れたのが20歳の頃。あれから20年近くも経って、諦めていたマウンドに上がれるのだから、人生何が起こるか分かりませんよ」と答えていました。
 その桑田投手がメジャー昇格かという時、審判と接触してけがをし、開幕メジャーの夢が絶たれました。しかしこの時も「野球も人生も何が起こるか分からない、これをプラスに考えていくしかない」と言っていました。既に異例のハイペースでリハビリに取り組み始めたと報道されています。
 若い頃はいわゆる野球馬鹿で「投げる不動産屋」とまで陰口を言われました。その桑田投手もいつしかプロ中のプロと言われるほど人間的に成長していました。「努力は人を裏切らない」という綺麗な言葉がありますが、現実は裏切ってばかりです。
 「一所懸命にやれば何とかなるほど世の中甘くないって事は、大人が一番よく知っている。必死に努力してもどうにもならないこともある、それが普通で当たり前だって事の方を教えるのが教育だ」ってビートたけしさんは著書の中で語っています。
 人生はまさしく「人間万事塞翁が馬」。桑田選手に教えられ、そして勇気づけられました。

土筆と杉菜の関係(スギナとツクシ)平成19年6月19日掲載
 早朝、家の近くを走りました。竹藪にさしかかるとホーホケキョーとウグイスの求愛の声?が聞こえました。一方、どこに行ってもスギナが生い茂っていました。
 「ツクシ誰の子スギナの子」という言葉のように、ツクシが大きくなるとスギナになると思っている人がいます。スギナの語源は杉のようだから杉菜、あるいはどこの節を継いだか当てっこする遊びから継ぎ菜がスギナになったという説もあります。
 地下茎が長くはい、早春にツクシと呼ばれる胞子茎を、次いで緑色のスギナと呼ばれる栄養茎を出します。正確には、ツクシと言う名の植物はなく、ツクシとはスギナと言う植物の地下茎から地上に出る、胞子を作るための特別な茎のことなのです。
 ツクシの穂から緑色の粉が煙のように大量に出てくるのが胞子です。この無数の胞子が発芽してスギナになるのですからスギナだらけになるのも納得できます。
 顕微鏡で生徒に見せたら「何だこれ変な形してる、クモみたい」そして、その不思議な生物(胞子)に息を吹きかけた瞬間、「キャー」と悲鳴を上げた生徒、思わず飛び上がってびっくりした生徒、「うわー、動いた」と言って興奮する生徒。理科室は興奮のるつぼと化しました。

一滴の世界は神秘の世界(一滴の水に神秘の世界)平成19年7月10日掲載
 中学一年生の理科で水中の微生物を観察しました。選りすぐりの池の水をスライドガラスに一滴落とし、顕微鏡で見るとそれは神秘の世界。最新のデジタル顕微鏡をテレビにつなぐと大画面でゾウリムシの体が二つに分裂する寸前の光景をとらえることができました。
 先日の三山春秋で話題に上ったレイチェル・カーソン女史は「もしも私が、子どもの成長を見守る妖精に話しかける力をもっていたら、世界中の子どもに、生涯消えることのないセンス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見はる感性)を授けて欲しいと頼むでしょう。この感性は、大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私達が自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、変わらぬ解毒剤になるのです。」と言っています。
 一滴の中に数え切れない微生物が生きている。一滴が人間にとって日本の広さに匹敵するなら、ビーカーの水は微生物にとっては宇宙かも知れません。微生物のミクロの世界の神秘を知った時、また一つ世界観が変わるかも知れません。
 水田にできる緑色の膜を見て、この膜が「ミドリムシ」その物であり、そこに神秘の世界を想像できる心を持ちたいものです。

サクラの実は苦し(苦かった桜の実)平成19年7月31日掲載
 今、スーパーでは日本産とアメリカ産のさくらんぼ競争が盛んです。「さくらんぼ」とは元々桜の実の愛称で、正しくは桜桃(おうとう)といいます。桜と桜桃は先祖が一緒で、桜をおいしい果実がなるように品種改良したものが桜桃です。
 6月中旬にドドメ色に熟し、美味しそうに見えたソメイヨシノのさくらんぼをかじってみたら、一瞬甘いかと思った次の瞬間「おえっ」とその耐えられない苦さに吐き出してしまいました。その苦さは口中に広がり、しばらく消えずに残っていました。
 桜桃は主に西洋実桜(せいようみざくら)という木で、さくらんぼの収穫は気候的に適した山形県が70%以上を占めます。国産では今が旬の「佐藤錦」「ナポレオン」「高砂」などの品種があり、輸入ものはアメリカンチェリーとして出回っています。
 桜の花見は日本の国民的行事ですが、花が散った途端ほとんど誰も見向きもしなくなります。葉桜になった後、人知れず着実にミニサイズのさくらんぼができます。日本人は勝手なもので、その実を観察する人は滅多にいません。
 ここでもセンス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見はる感性)を持ちたいものだとつくづく思いました。

恩師に捧げる五十編(褒めてくれた国語の恩師)平成19年9月13日掲載
 私は読書嫌いで、小学校から高校まで一冊として最初から最後まで読み通した本がありません。マンガですら絵が止まっていてつまらないと読みませんでした。そんな私が国語が得意なはずはなく、五段階の通知表でたいがい三でした。
 夏休みの宿題に必ず出る読書感想文は大の苦手でした。いや、読みもしないで書くのですから至難の業です。毎年「野口英世」のあらすじを書いて出していた友や、中三で「おむすびころりん」を書いてきた教え子の苦悩がよく分かります。
 しかし、そんな私を中学校三年間国語を教え、後にO町の教育長もなされた小林○○子先生はほめてくれました。「あなたはいつかきっといい文章が書けるようになる」と。
 山田洋次監督は「青春時代にいくつほめられたかで、人間の人生は決定するような気がする」と言いました。また、武田鉄矢さんは著書の中で「ほめられた人の心の中には、金の鉱脈ができるんだよ。“自信とやる気”という金の鉱脈が。」と言っています。
 三山春秋の記事をきっかけにひろばに投稿するようになり、昨年の大晦日に掲載されたのがちょうど五十編目でした。ご無沙汰の小林○○子先生に感謝の気持ちでこの五十編を捧げます。

地球温暖化と金木犀の匂い(気球温暖化とキンモクセイ)平成19年11月13日掲載
 早朝の田んぼ道、燃えるような彼岸花の赤が網膜を刺激し、鳥のさえずりとコオロギの声が鼓膜をやさしく振るわせる。そしてトドメは嗅覚を襲う金木犀の香り。鼻が詰まっていても「そんなの関係ねぇ」ほどしっかり匂いました。これ以上の季節感はないある秋の1日でした。
 昨年は9月20日に匂い始めた金木犀が、今年は10月4日が匂い始めでした。匂い前線の通過は昨年より2週間遅れた事になります。彼岸花も咲き始めが遅く10月中旬まで田んぼと墓の周りに咲き誇っていました。
 千葉県柏市の人がブログで10月5日に金木犀が匂い始め、昨年は9月21日に開花したと書いていました。ちょうど1日違いには驚きました。ちなみに、金木犀は中国から奈良時代に持ち込まれて以降、日本では主に挿し木で増やされました。そのため国内の金木犀の遺伝子情報はほぼ同じで、同じ地域ならばほぼ一斉に開花するようです。
 また、金木犀の木には雌雄があり、日本の金木犀は雄の木ばかりで実がなりません。金木犀の開花は桜と同様、気温が大きく関係しているようです。この夏の猛暑、残暑に代表される地球温暖化の影響で、平年より2週間遅れて匂い始めたようです。

福田総理の脱カタカナ語(福田首相の脱片仮名語)平成20年1月30日掲載
 相変わらず意味不明のカタカナ語が氾濫し、最近では「空気がよめない」をKYと言ったり、SM3(海上迎撃ミサイル)という略語にはドキッとしました。カタカナ語に加え略語の氾濫も目立ちます。
 「安倍総理にはカタカナ語が多く、ピンとこなかった」と言う指摘に対し、福田総理が就任後初の所信表明演説で、「脱カタカナ語」で低姿勢演説を行ったという記事を見ました。
 安倍前首相の所信表明演説では「戦後レジーム」「カントリー・アイデンティティー」など109のカタカナ語を用いたが、福田首相が使ったのはわずか26語。そのうち地域名や一般的に用いられるカタカナ語が20語以上でした。総裁選で掲げた「ストック型の社会」も「持続可能社会」と改め、カタカナ語の撲滅に腐心したという内容でした。
 今の福田内閣で、難病のムコ多糖症患者を救済し、年金や薬害肝炎などの難問に立ち向かう舛添厚生労働大臣が正義の味方に見えます。私利私欲に溺れてきた過去の政治家や官僚に比べ、遙かに期待できる福田内閣だと思います。
 国民に分かりやすい日本語で、細やかな気遣いのできる福田総理だからこそ、平成20年という節目の年を明るくしてくれる期待を持ちます。

春高バレーは人生の縮図(人生の縮図春高バレー)平成20年2月24日掲載
 今年も春高バレーを見に行きました。一番の楽しみは年に一度しか会えない、ここに来れば会える人達との交流です。年賀状で「今年も春高で会いましょう」と書いてくれた知人と観戦しました。
 女子の決勝は28年ぶりのT女子高校と名門T大付属高校でした。中学校時代にG選抜選手だったメンバー12人が、それぞれ6人ずつ両校に分かれて進学しました。高校に行ったら「春高の決勝で会おうね」と約束し合った選抜大会で、ぐんまちゃん(ゆうまちゃん)の着ぐるみを着て応援していたお父さんが、センターコートの娘を見つめる姿が印象的でした。
 一方、男子はW監督率いる常勝I高校と、S監督率いるM高校でした。誠実な人柄と情熱を併せ持つ二人の兄弟対決に感動しました。
 場内を一周すると様々な人に会いました。それは年に一度の同窓会のようであり、また人生の縮図、人生模様を感じます。春高バレーを見て、元気になって帰っていく人達も沢山います。 T女に1−2で破れたK高校の監督は、王者K商業男子バレー部を支えたT監督です。退職して、畑を耕していたT監督が人生の悪戯で女子校の監督になり、いつの間にか強豪校になっていたことに感動しました。

三洋電機の発展を祈る(三洋電機にエール送る)平成20年3月23日掲載
 バドミントンのオグ・シオ(小椋・潮田組)がオリンピック出場を決め、三洋電機ラグビー部は創設48年目にして初の日本一に輝きました。1960年ラグビー部創設の年、偶然にも私はA町に生まれました。幼少の頃から休日は「三洋グランドで遊ぼう」が合言葉のようでした。
 私が成人した頃、外人さんを見た記憶は殆ど無く、バブルの時代をきっかけに日本一外国人の多い町で有名になってしまいました。三洋電機と共に発展してきた町の居酒屋に入ると「こうしてお酒が飲めるのも三洋さんのお陰です・・」と大合唱が聞こえました。
 1918年(大正7年)に松下幸之助氏と共に松下電器を創設し、戦後独立し三洋電機を創設したのが井植歳男氏でした。井植氏は完成したばかりの新商品を見て製造担当者に「ご苦労さん。ええもんができたな。さあ、今日からこの商品が売れなくなるような新商品をすぐに作ってや」と言ったそうです。一瞬の停滞も許されない厳しい競争社会を物語る名言です。
 天国で歳男氏が「ラグビー部ようやったな。さあ、今度は会社が液晶テレビや○○が売れなくなるような新商品をすぐに作ってや」と言っている気がしてなりません。郷土の三洋電機にエールを送ります。

紫色の菜の花 平成20年4月20日投稿・掲載されず
 春爛漫の今日、野草観察の絶好の季節です。最近気になる花があります。菜の花に似ていて大根の花にそっくりな紫の花。標準的な和名はオオアラセイトウ。別名ムラサキハナナ(紫花菜)、ショカツサイ(諸葛菜)、ハナダイコン(花大根)、シキンソウ(紫金草)とも言います。
 中国原産の帰化植物で江戸時代には栽培されていて、戦後になって全国に広がり野生化しました。20 年以上前には「花大根の種を差し上げます」などという投書が新聞に載る
くらい皆が欲しがっていたようですが、今ではありふれた「雑草」になってしまったようです。しかし、群生すると綺麗でそれはまさしく紫金草です。
 紫花菜のハナナ(花菜)とは、黄色い花の咲く菜の花のことで、つまり紫色の菜の花という意味になります。また、ムラサキハナナは別名「平和の花」・「ピースフラワー」と呼ばれています。これは中国の南京ゆかりの花であり、日中戦争時の悲惨な経験を繰り返してはならないという願いを込めて呼ばれるようになったとのことです。
 菜の花の黄色、大根の白い花、オオアラセイトウの紫の3色の対照が、春爛漫の平和な日本を象徴してくれることを願ってやみません。

タンポポからわかること(タンポポでわかること)平成20年5月28日掲載
 先日、タンポポの戦いという投稿を見ました。受粉せずして種を作ったりする外来種に、繁殖力では日本のタンポポは歯が立ちません。県内でも在来の関東タンポポ・蝦夷タンポポ・白花タンポポ、外来種の西洋タンポポ・赤実タンポポの5種類は確認できますが、交雑による変種が多く名前の特定は難しくなりました。
 タンポポの名前の由来には諸説ありますが、民俗学者の柳田国男さんはタンポポの古名の鼓草(ツヅミグサ)から来ていると著書の中で述べています。茎の両端を細く裂き水につけると、反り返って鼓の形になるので「タン・ポポン」と鼓の音を連想して付いた名だと言っています。
 外国産のタンポポは、ガクのように見える総苞外片が下に反り返っていることで日本産と区別できます。更に褐色の種子なら西洋タンポポ、赤褐色なら赤実タンポポと区別できます。今では外国産のタンポポが、都市化のバロメーターになっています。
 以前ひろば欄で白いタンポポを見つけて、何か不吉なことが起こるのではと心配された投稿を見ました。九州ではタンポポと言えば白花が主流ですが、関東でも白花タンポポが増えつつあるという話を聞きました。ここにも地球温暖化の影響が出ているような気がしてなりません。

白詰草の秘密(同名)平成20年7月7日掲載
 幼い頃、広い野原で戯れる女の子達が、白詰草(クローバー)の花で花かんむりや腕輪や首飾りを器用に編んでいたのを覚えています。最近、全く見なくなった懐かしい光景です。
 先日、21葉のクローバーを育てることに成功したという記事を見ました。一方、秋田のタクシー運転手が雨天以外の毎日、近所の野原などで「四つ葉」を探し、金品ではなく四つ葉のクローバーを乗客にプレゼントして7千本を突破したというニュースを見ました。
 かつてベニバナという植物は、黄色い花なのになぜ紅花というのか疑問でした。あるテレビ番組で受粉すると黄色から紅色に変化すると知りました。実は白詰草にも似たような秘密があります。それは花が下の方から順番に咲いて、受粉のすんだ順に下向きに垂れていくということです。
 群落をよく見ると、小さな花が上向きや下向き様々であることに気づきます。ピョコンと真上に1つだけ残った花を見ると、受粉してない最後の生き残りかと感慨にふけります。また、茶色く下向きに枯れた花びらの中で、サヤエンドウのような果実が熟し、中に1mmにも満たない種子が入っています。野に出て小さな小さな白詰草の種を見つけてみませんか。

不屈の投手・野茂英雄(不屈の大投手・野茂英雄選手)平成20年7月28日掲載
 現役引退を決めた野茂投手は、「4月に3年ぶりにメジャー昇格を果たして納得したのか」という問いに「そんなことは全然ない。引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、周りに迷惑をかけるだけだと思った」と答えました。 「悔いが残る」という言葉に野茂投手らしさを強く感じました。
 日本での地位も名誉も捨て、大リーグ最低年俸からスタートし、メジャー7球団を渡り歩き、栄光の陰で数多くの挫折も経験した野茂投手。ひじの手術や突然のトレードや解雇という逆境を乗り越え、不死鳥のように這い上がる姿はリストラ世代に勇気と希望を与えました。
 近鉄入団から18年、大リーグで10年以上にわたって活躍し、日米通算201勝、奪った三振は3千を超えます。両リーグで無安打無得点試合の偉業も達成しました。本塁打のメジャー記録を持つボンズは「お金も名誉も関係なく、自分の夢を実現するために、危険を冒してメジャーにやってきたノモには脱帽だ」と言いました。
 本県のペガサスを始めとするBCリーグも、野茂投手の存在無くして設立してなかったかも知れません。

桐一の敗戦に物言い(連帯責任にやりきれなさ)平成20年8月23日掲載
 甲子園で桐一が初戦で負けました。鈴木主将は「一人ひとりが全力でやった。みんな悔いはないと思います。甲子園で試合ができたことを感謝したい」と目を赤くしながら話し、先発の田中選手は「やじられるかと思ったが、拍手をもらえてうれしかった」と甲子園の人情、スタンドの温かさが心にしみたといいます。
 多発する通り魔無差別殺傷事件の責任をとって、日本選手団は同じ日本人として、北京オリンピックの出場を辞退すべきだという人がいたら笑われるだろうか。
 単独行動の許されない戦時中の名残が、今でも連帯責任という形で残っているのかも知れません。その考えが、日本社会を支えてきた一面があったにせよ、規範意識のない、人の痛みがわからない人間が増えている昨今、その有効性に疑問が残ります。いかなる指導でも防げない事があります。
 近年、部員の個人的な非行に対して、高野連は連帯責任に問う目安を緩和し、その方針から桐一の出場が認められましたが、選手の心の動揺がチャンスであと一本が出なかった一番の原因のように感じます。
 純粋に懸命に努力している選手の夢を、連帯責任という名の下に奪ってしまうこと、監督の辞任にやりきれないものを感じます。

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