
3ヶ月くらい前、神保町の本屋で「ちょっと面白そうだから」と取り上げたのが『東と西の語る日本の歴史』という本だった。作者の網野善彦という名前をどこかで見た覚えがあったので、家に帰ってyamazaki氏の「僕の読んだ本―IV 縄文的―」をもう一度見てみるとまさにその人だった。意識しないうちに影響を受けていたわけだ。この本を簡単にまとめると「日本という国は基本的に大きく違うふたつの文化圏、つまり東(=縄文)と西(=弥生)により成立し、その影響はいまだに残っている」というものだ(詳しいことはyamazakiに聞いてみよう)。「現在の日本史の主軸は西の歴史におかれているから東の文化をもう一度見直そう」というのが主な論点だと思われたが、私が興味を感じたのは「西の民は海の民、東は馬の民」という言葉だ。

西日本で「海の民」といえば瀬戸内海の水軍だが、水軍というと単なる「海賊」というイメージが強かった。しかし、江戸末期に勝海舟が坂本竜馬などを使って日本に海軍の礎を築こうとしたときに水軍の末裔からノウハウを授かったという話を最近になって読んだり、さらには水軍と所縁が深い瀬戸内海の豪族、河野家の血を引くという人と知り合ったりして、個人的に「水軍」への興味が高まっていた。水軍の舞台であった瀬戸内海で「海の民の航跡」を探すというのが今回の旅のもうひとつのテーマだ。

尾道から今治へはバスやレンタルサイクルで橋を渡って水軍の拠点のある島を巡ることができる。しかしガイドブックをよく読んでみるとどれも最近になって再現した、いわば観光用の施設のようだ。それとは逆に水軍とは関係ないが、船でしか行けない島に江戸時代の古い町並みが残っている場所があるらしい。「海の民の航跡」を探すのだったら船で移動するのが筋かもしれない。というわけで今日の予定はまず本州側の竹原を訪ねてから、大崎上島の木江、大崎下島の御手洗を訪ね、夕方に四国側の今治へ渡るコースにする。船の本数が少ないから本州側の三原で11時17分の高速船に乗らないと全工程はこなせない。台風が近づいているから島で足止めだけは避けたいところ。早起きしてホテルを8時まえにチェックアウトする。

8時に尾道駅に到着。次の電車まで約10分。ホームのうどん屋であわただしい朝飯を取り、なんとか電車に間に合い一安心する。周りは通勤客や通学の高校生ばかりだ。

三原駅に着いて乗り換えようとした時に自分の決定的な間違いに気づく。竹原に行く呉線は1時間に1本で次の電車まで40分以上もある。ここはパソコンで路線検索して分刻みで移動できる東京とは違うのだ。ペースを変える必要がある。作戦の練り直しのためホームのベンチにすわり船の運行表をチェックし、念のためフェリー会社に電話して現行の出航時間を確認する。そんなやり取りが終わって一息つくと、同じベンチの隅っこにちょこんと座っているおばあさんと目が合い会釈する。東京の言葉がホームに響いていたようだ。

当初予定していた船の次は竹原港から13時30分。のんびり竹原の町を歩いて昼飯を済ませればちょうどいい時間だ。島巡りは御手洗だけに絞ってのんびり欲張らずに行くことにする。
郷に入らば郷に従えということだ。

竹原は尾道と呉の真ん中ぐらいに位置し、ガイドブックによれば江戸時代に酒造、醤油醸造、製塩、廻船などで栄え、文人や学者も多数輩出した古都だそうだ。港から川を少しさかのぼった地区の豪商の家並みが保存されている。関東で言えばちょっと川越に近いかもしれない。確かにその地区は古い豪勢な日本の家屋が残されていて訪ねる価値は十分あるが、この地区を除くと竹原自体は今時の無個性な町並みなのにちょっとがっかりする。今でも醤油を作っているという醸造所の醤油をお土産用に買う。
竹原の古い町並み
「こじんまりした川越」?
立派な家が多い
暑いので観光客は少ない

昼の定食のために開けたばかりの小さな居酒屋に入って昼前から生ビールを飲み始める。お土産に買った醤油の話をすると、この辺では今でもいろいろ醸造所があって人によってあっちがうまいだのこっちの方がいいだの好みによって選ばれているそうだ。ひと飲みした後昼飯にまたうどんを食べ、船の時間まで少しあるので話に出たいろいろな醤油を探しにもう一度町を巡ってみることにする。

川沿いにもう一軒別の醤油醸造所を見つけ、ペットボトルの「コマイ」やつを買う。醤油の醸造所がひとつの町にいくつもあるなんて関東ではないことだ。これから訪ねる町でもちょっと醤油を探してみようと思う。

港にある船着場は小型フェリー用と高速艇用合わせて4つの乗り場がある施設で、乗船券売り場の横にエアコンの効いた小さな待合室がある。出船の30分前に着き、この待合室でゆっくりする。今朝三原駅で気持ちを入れ替えてから、焦っていろいろな場所を回ろうなどという欲がなくなったので心にも余裕が生まれた。周りはお年寄りが多い。ほとんどが地元の人のようだ。帰省する娘と孫娘を向かいに来たおばあさんなんかがいて、夏休みらしい光景が見られる。別のところでは「あなた○×さんちの息子さんじゃろ?」みたいにして会話が始まる。なんだか面白いことになりそうだ。
船を待つ人々

海はとても静かだ。4年前に見た天草の海を思い出す。海面からいきなり隆起した山のような形の島々がお互いに迫っているので、海は山間の広い道路のように見える。これなら小船でも島伝いに自由に移動できるだろう。まさに「海の民」か。船は路線バスのように入り江の小さな集落に立ち寄り人々が乗り降りする。どの島も今では海際に車が通る道路が整備されているようだが、昔はそんなわけにはいかないだろうから、船が主要な交通手段であったであろう。今でも小さな造船所が目立つからそれはあまり変わっていないのかもしれない。
こんな集落が点々としている

約40分で終点の大長(おおちょう)に到着。御手洗までは歩いて15分ほどだ。船着場にあるコインロッカーには40リットル容量のリュックが入らないので切符売り場の女性に他にないかと尋ねると事務所に置いていきなさいという。この人はさっき船のタラップみたいなものも運んでいたから一人でこの船着場を切り盛りしているのだろう。

まったく寅さんにでも出てきそうな大長の入り江に架かる橋を渡り御手洗目指して歩いて行くが、昼日中とても暑いせいもあり人がほとんどいないし車もめったに通らない。

「風待ち・潮待ちの港として江戸時代に開かれた町、18世紀後半の町屋から昭和初期の洋館が並び、その町並みは島人によって守られ今に伝わる」という御手洗の町。いちおう今でも船着場はあるのだがなぜか日に数便しか船が行き来しない。

車の通る海沿いの道から一歩入ると、突然いつの時代だか分からないような小道に入る。町全体を八の字に歩いて約40分くらいの町なのだが、古くて面白い建物だらけだ。江戸時代の遊郭、明治時代の映画館、古い木造の医院、床屋。真夏の一番暑い時間帯なので人とめったにすれ違わない。八の字コースを方向を変えて2周したが観光客はひとりも見かけず、たまに出会う地元の人は目をあわせて必ず挨拶してくれる。
御手洗の古い町並み(その1)
御手洗の古い町並み(その2)

午前中に立ち寄った竹原はどちらかという箱庭的というかテーマパークっぽかったけれど、ここは本当に人が生活したまま古い家が残されている。医院でさえそうだし、床屋なんか映画のセットのようだ。そしてまたここにも醤油の古い醸造所がある。
古い医院
右から左へ「レントゲン科」ともある
床屋。古いポストとよく似合う

江戸時代の遊郭は入り口の扉が半開きになっていて、中には誰もいなくて、自分で電灯をつけて中を見てまわれるようになっている。もちろん無料だ。入り口に記名帳があるので開いてみると、この日の記入はひとりだけだった。東京中野区の女性だ。記名帳の横には、何日分か置きっぱなしのような寄付の小銭が置いてある。
遊郭
遊郭の中

日に何便かの船しか寄港しないような不便な、今では観光以外では忘れ去られたようなこの小さな町に江戸時代には遊郭があって、明治時代には映画館があったということが本当に不思議に思える。陸上交通にたとえれば主要街道の宿場みたいなものだったのだろう。「西の民」という海で繋がっていた人々の成り立ちは、鉄道や車という陸上の交通手段、果ては飛行機という恐るべき現代の移動手段のせいで見る影もないのか。

次の今治行きの船は4時22分でこれに乗り遅れると夜の7時までない。船着場のそばに喫茶店が一軒あったほかは飲み屋もない場所で時間をつぶすのはつらそうだ。早めに大長の港に戻る。

広島から来た少し大きめの双胴船に乗る。船の航路はおおむね穏やかな海原が続いているのだが、潮の満ち引きのせいでところどころ、島の狭まったところに渦を巻いている。今治に近づいたあたりでは船が激しく揺れるほどだった。

5時前には今治に着き、昨日予約したホテルまで歩き荷物を置いて街に出る。街には人気がない。適当な飲み屋を探しながら今治城まで行って戻るが月曜日のせいか開いている飲み屋もほとんど見かけない。飲み屋はないのにここにもまた醤油の醸造所があったりして驚く。

しょうがないので、旅行会社に勤める友人がくれた雑誌のコピーを見て老舗だというヤキトリ屋に電話して場所を聞く。幸いにも営業していて割りと近くなので寄ることにする。無事たどり着いたその店はテレビや雑誌でもよく紹介されるらしく壁に切り抜きがはってあるし、常連らしいお客もたくさんいて古くて雰囲気のいい店だ。家族や親戚で店を切り盛りしているようにも見受ける。カウンターに座って、鉄板で焼く珍しいヤキトリや「ザンギ」と呼ばれるちょっと辛い唐揚げをつまみにビールを飲んで本日の晩飯とする。明日はいよいよ松山、そして道後温泉。
今治城、「日本有数の海岸平城」だとか
ヤキトリとヤッコ。
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