
昨日最後に寄った飲み屋で、松山っ子から「地元の人は絶対に行かない」と断言された“ターナー島”を見つけるのが今日のテーマだ。小説の中では「青嶋」、実名は「四十島(しじゅうしま)」で、ガイドブックには出ていない。夏目漱石を特集した本にあった大まかな絵地図のコピーだけが頼りだ。

東京に帰る飛行機は夜の7時なので時間はたっぷりある。心配していた台風は突然コースを変えて房総半島のほうに行ってしまった。今日も夏晴れの暑い一日になりそうだ。ゆっくり起きてからホテルに荷物を預け、目的地高浜まで行く伊予鉄道高浜線に乗るため松山市駅に向かう。ここは伊予鉄道のターミナル駅で駅ビルもあり、周辺は街一番の繁華街だ。坊っちゃん列車にも昨日ここから乗った。電車の時間を調べてから駅の地下街でうどん屋に入り朝食をとる。滅茶苦茶美味しいわけではないけれどハズレでもない。ただ注文した肉うどんの肉は豚肉じゃなくて牛肉で、そのうえスキ焼きみたいな甘辛味で煮てあった。これも所変わればということなのか。

腹ごしらえも終わって、さていよいよ出発。目指すは終点の高浜駅、乗車時間は約20分だ。小説で坊っちゃんが松山に着いた三津港も近いし、途中車窓からは、子規や漱石、虚子が遊んだという梅津寺(ばいしんじ)海水浴場なんかが見える。
高浜駅

時間帯のせいかガラガラの車内で座席に座ってゆっくり景色を眺めているとすぐに終点に到着する。駅の正面はフェリー乗り場で、駅で降りた乗客は私を除いてすべてそのフェリー乗り場を目指して歩いていき、私だけがひとり当てずっぽうに海が広く見える場所を探す。沖に見える中島にも昔、水軍の拠点があったと教えてくれた昨晩の男性から「とにかく行けばわかる」と言われたとおり、とにかく歩いていく。セメント工場の大きなサイロが視界を遮っているので回ってみると、それらしき小さな島が見えてきた。茶褐色の岩にへばりつくように松の生えた小さな島だ。

「・・・。向側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。・・・」(『坊っちゃん』夏目漱石)
それらしき島が見えてきた

さらに近づこうとして海に沿って歩くがケーブル工場のフェンスに邪魔されて進めない。工場の敷地を大きく迂回すると駐車場があって海まで行けそうなので無断で入っていく。すると海際に小さな祠がある。足早に近づいていくと左側にさっきの島が見えてくる。その祠の鳥居の横には句碑がある。
子規の句だ。

初汐や 松に浪こす 四十島

まさにこの島だ。間違いない。祠の裏に、海に突き出た小高い場所へ上る階段がある。
松山市内のいたるところで見かけた子規の句碑がここにも
だいぶ近づいてきた
左に危なっかしい階段が見える

階段を上るとそこは平地で、古い建築資材や錆ついた機械がほったらかしにされている。海側に木を切って景色が開けた場所がある。まっしぐらに歩いていくと突然目の前に海が広がり“ターナー島”が真正面に見えた。太い丸太が一本無造作に倒してある。ここが眺望ポイントというわけだ。

セメント工場のそばで見かけた酒屋まで戻りビールを買ってくる。缶ビールを開けて丸太に座り“ターナー島”を堪能しようするが、地面からの熱がむっとしてとても我慢できない。結局、立ってビールを飲みながら“ターナー島”に見入る。島は潮の流れの強い場所にあるようで、航行する船の周りにできるような波が終始立っている。
ターナー島

「・・・。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云っている。野だは絶景でげすと云っている。絶景だかなんだか知らないが、いい心持には相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見給え、幹が真直で、上が傘の様に開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲がり具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくい程平らだ。赤シャツの御蔭で甚だ愉快だ。出来る事なら、あの島の上に上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙っていた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれも這入ってるなら迷惑だ。おれには青嶋で沢山だ。・・・」(『坊っちゃん』夏目漱石)

「幹が真直で、上が傘の様に開い」た松は今はない。さっきの子規の句碑にも「句に詠まれた姿のよい松は枯れてしまったが、篤志家の手によって蘇りつつある」とあった。昨日の男性によれば、地元の小学校の先生が釣り船をチャーターして島によじ登り松を植え、その後も手入れも続けているそうだ。どんな松にせよ、ここまでやってきて“ターナー島”に松があるのとないのとでは大違いだ。その小学校の先生には心から感謝したい。

瀬戸内海の海は本当にきれいだ。かすかに緑がかって澄んでいて、その青緑に茶褐色の岩や砂浜が良く似合う。江ノ島の鉛色の海や真っ黒な砂浜と比べたら大違いだ。

午後、市内に戻り昼食に鯛飯を食べ、市電で街を一周したあと、お土産漁りをする。地元の醤油や宇和島のジャコ天、瀬戸内海の小魚の干物など。

帰りの飛行機は夜の7時過ぎだが、ちょっと早めに松山空港まで行き、ロビーで営業しているビヤホールに入って生ビールを飲みながら時間をつぶす。強烈な西日が大きなガラスの壁から差し込んでくるのでエアコンが入っているのにとても暑い。周りは出張帰りのビジネスマンばかりだ。大きな話し声とタバコの匂い。夢から突然現実に引き戻されたような感覚に襲われる。午前中に見たはずのターナー島や瀬戸内海の青い海が遠い昔に見た風景のように急速に遠ざかっていく。東京に帰って日常生活に復帰する前にすでにここで、「海の民」や「坊っちゃん」の世界から現代社会へ連れ戻されたというわけだ。そしてこれからその現代社会の象徴のひとつ、スピードすなわち効率性だけが取り柄の飛行機という憎むべき乗り物に1時間半ほどぎゅうぎゅう詰めにされて東京まで運ばれることになる。まったく酔わなきゃやってられないとばかりに生ビールをおかわりしに行く。
BEFORE / TOP PAGE
|