■古い民家が何故壊されているのか?

 今週は、民家再生リサイクル協「民家再生の魅力」(相模書房)、松井郁夫著「木組みの家に住みたい」(彰国社)、篠田暢之・森幹治の対談「気配を活かした住宅建築」(戎光祥出版)を続けて読み、民家讃歌と古い木造崇拝に、少し疲れを覚えました。

 私は民家が大好きです。
 しかし、高校生まではその民家に住んでいたので、良さよりも苦い想い出の方が多く、無条件で讃美する気になれません。

 ご案内のように、富山県は日本一住宅の規模が大きい「家道楽の県」として知られています。私の育った砺波地方は、屋敷杉に囲まれた100坪以上の農家住宅が、点々と展開しています。

 自宅は小さかったのですが、隣近所、親戚や友人の家はそれこそ典型的な田の字型の大きな農家。
 子供の腕では抱えきれないほどの太い欅の大黒柱。お座敷に鎮座する小黒柱。黒ずんだ大きな貫。そして暗い土間。

 畳は、普段は座敷の隅に積み重ねられていて、お祭りとか冠婚葬祭以外は敷かれることはありませんでした。普段は板のままか、コザの上での生活。

 つまり、家が大きいのは、自宅で冠婚葬祭の儀式を行うためであって、生活を楽しく豊かにするためのものではなかったのです。毎日の生活は、広大な続き間の座敷を避け、狭い寝床といろりの間と土間で行われていました。ほとんど陽がささない空間。

 そして、いろりにしてもお膳で食べる食事の場所にしても、各人の座る位置は決められていました。
 最上等の席はもちろん父親で、次が長男と決っていました。私のような末っ子は、いつも母親の脇で、それでも嫁さんよりはいい席順。
 うっかり、近所に遊びに行った時や親戚に祭りに招かれて行った時でも、座る場所は指定されました。それ以外の席に座ってはならないという不文律が郷全体にありました。

 民家は、家父長制度を具体的な形で示したものでした。
 今では、封建主義といっても、誰もその実態を体感することは出来ません。想像することすら不可能です。敗戦とともに、民主主義が封建制度を吹き飛ばしてくれました。
 それと同時に、かたくなに守られてきた家父長制度が瓦解し、民家は形骸化しました。

 民家は、生活を守るというよりは、家父長制度に立脚して冠婚葬祭を中心とした先祖と家系を守るための儀式の場だったのです。民家は、実際に住んでいる人間にとって、決して住みやすい場でも、心を癒してくれる場でもなかったのです。

 悪い想い出を列記します。
 まず、なんといっても便所の臭いとウジ虫。 
 どの家でも、便所の位置は玄関脇の東北の角と決っていました。
玄関に立つと、便所の強烈な臭いがしました。
 
 そして、男女で分けられておらず、男女とも肥壺の中にします。このため、大の時はしぶきが上まで跳ねてきました。女性の血が混じっていることはザラ。

 何よりも我慢が出来なかったのは、夏には肥壺がウジ虫で覆い尽されること。それがハエとなって、家中を飛び回ります。どんなにハエ取り紙を置こうが、茶碗はハエで覆われます。

 その次に困るのが入浴。
 いわゆる五衛門風呂。それも、沸かすのは月に3度程度。このため、風呂を立てた時は、隣近所がもらい風呂に来るし、行きました。
風呂は、土間の一角にあって、何も仕切りがありません。脱衣室ももちろんありません。
 陰毛が生えはじめる年になると、これには困りました。

 そして、冬はいつも目を真っ赤にしていました。
 囲炉裏の火と風呂の火から出る煙が、家中に充満しているのです。子供の頃は煙くてポロポロ涙を流し続けていました。
 しかし、囲炉裏を離れると寒くて凍え死しそうです。
 らくだの股引を履き、足袋を履き、袷やドテラを重ね着しても、寒くてなりません。泣きながら囲炉裏にしがみついているしかなかったのです。

 そして、井戸のない家も多く、壺の組み水を使って料理をし、洗いものは外の川でしていました。このため手はしもやけになり、足はアカギレで痒くて痛いこと。我慢、我慢の毎日。

 昔の民家は最低100年の寿命がありました。
 つまり、どんな家も山を持っていて、そこに杉、桧、欅、ヒバなどを植えていました。そして、木が十分に育ったのをみて伐採し、そのまま天然乾燥させていました。
 天然乾燥した材木を大工さんが一年がかりでカンナやチョウナ、ノミを使って刻み、建てました。

 茅葺き屋根の家は30年に一度程度、部落の人が総出で手伝って葺き替えました。竹でつくった槍の先に穴をあけ、そこへ縄を通し、外にいる人と中に居る人とで茅を編むのを手伝ったことがあります。

 富山は雪国で昔は積雪2メートル以上もありました。それなのに瓦屋根の家も多かったのですが、鉛直荷重には十分に配慮されており、雪下ろしをするので雪で家が潰れたという話は一度も聞いたことがありません。
 しかし、物心がついてからの十数年間の間に、火事で家が消失するという痛ましい事故が、村で数件あったのを記憶しています。火事に対して弱く、どんなに注意していても避けられないのが昔の民家の悲劇。被災家族はそれこそ不幸を絵に書いた状態…。

 戦後、福井と新潟で大地震がありましたが、幸い富山は地震に見舞われず、古くて大きな民家は今でも健在です。しかし、これは杉山先生がいみじくも指摘されているように「幸い直下型地震がなかったから助かっているのであって、民家が地震に強いとは絶対に言えません」ということだと思います。

 その100年以上もたった民家が十数年前からしきりに解体されるようになってきています。
 家の中の水が凍る寒さに我慢が出来ず、冠婚葬祭用の使い勝手の悪い間取りに困窮し、子供の頭が鴨居にぶっかるからです。

 そんな親戚の生の声を聞き、現実を見ているから、美しすぎる民家讃歌にはどうしても抵抗感を覚えという次第。