■何故建築物の被害が少なかったか  新潟中越地震(1)



 テレビや新聞が「新潟県中越地震のガルは1200で、阪神淡路大震災の800よりはるかに大きかった。実質震度は6強以上ではなかったか」などと言ったり、書いたりしました。
 一日に震度6が3回あっただけでなく、震度4以上が20
数回あった。その後も余震で震度6が二回もあった。
 避難住民の数は10万人に及び、それ以外の車上やテントの避難を含めると大変な数になる。
 そして、NHKなどは丸一日中地震のニュースを流しています。

 しかし、そのニュースで私だけでなく多くの人が、新潟中越地震は規模といい被害といい、阪神大震災に匹敵するものではないのかと想像をたくましくしたと思います。

 地震の被害があった時、災害救援は時間を争います。
 また住宅の被害診断のボランタリーは1週間以内に入らねばなりません。新潟中越地震でも住宅各社から派遣された建築士のボランタリーが二人一組で四日目から診断して回っていました。
 報道されているように立ち入り禁止の危険住宅、要注意住宅、検査済みの安心住宅という具合に診断します。

 私のような勉強が見当ての者は、すぐ飛んでゆく必要はありません。交通や通信を妨害するなどで手足まといになります。阪神淡路大震災の時は2週間後でも1ヶ月後でも、十分に勉強することが出来ました。

 ところが、マイスターホームは長岡市の取引先の資材業者の資材散乱現場の片付けに、1ダース以上の人間が上越経由で翌日にゆき、道中ではそれほど倒壊した家を見なかったと伝えてくれました。
 また、六日町のトビアホームの桐生社長からは十日町市へは車で行けるし、倒壊現場で交通が遮断されているようなことはいないという報を受けました。ただ、川口町とか小千谷市へ行こうとすると、道路が寸断されており、往復に大変な時間がかかったとのこと。

  今回の地震で私が最も知りたかったことは2つ。
1つは大貫工法の民家建築がどのような被害をうけているのかということ。

 ご案内の方も多いと思いますが、塩沢町、六日町、十日町市にかけて「セイガイ」とよばれる軒の出とけらばの出の大きな民家住宅が数多く存在しています。

 何回も紹介しますが、杉山英男先生の「地震と木造建築」には1930年に起こった北伊豆地震を調査した東工大菅哲夫氏の調査記録が紹介されています。
 その調査記録によると震度6、マグネチュード7.0の地震で、民家住宅の全半壊の被災率45%だったと記しています。

 十日町市では震度6強の地震がありました。
先の著作を何回となく読み返していたので、当然のことながら十日町のセイガイの一部は倒壊しているだろう。私の頭のなかにいくつかのセイガイの家の姿がチラ付きます。どんな形で、どこからどういう順序で倒壊しているだろうか。
 それこそ想像をたくましくしていました。

 2つ目は、盤工法の実際の被害と揺れはどんなものであったのか、その実際を見て、実体験を聞くことです。理論ではなくいつも震災の現場に教えられるものが転がっています。それを集めたい。

 震源地にたどり着くには長岡から南下する方法と、六日町から北上する方法がありますが、セイガイ建築物を見ることが大きな目的の1つですから、当然のこととして六日町コースを選びました。

 関越自動車道路の下りは月夜野から長岡まで閉鎖しています。月夜野で降りて17号を北上します。道路は驚くほど空いています。そして、長いトンネルを抜け、湯沢へ出ました。
 多分ここらは震度5強の揺れがあったはずです。古い家や作業小屋などの1つか2つは倒壊していていいはずだと思うのですが倒壊は見あたりません。

 中にはかしいでいるなと思えるものもありますが、助かっています。遠くの丘の上では地滑りの跡は皆無で、もちろん被害を受けた住宅は見かけません。
 こんなことを書くと、不見識だと怒られると思いますが、拍子抜けしてきたのは事実です。

 そのうち、当然のことながら1つの事実に気づきました。瓦屋根がほとんどないのです。昔は茅葺き屋根が多かったのですが、今は軽い金属製です。

 このあたりは、日本で有名な豪雪地域。
 積雪2メートルは当たり前。
 このため、3寸とか3.5寸という柱は使っていません。最低でも4寸で、普通の注文住宅は4.5寸。いいものは5寸の柱を使っているそうです。
 屋根が軽く、柱が太い。
 このため、古い家でも震度5強には倒れなかった。

 セイガイの家は、5寸以上の柱を使っています。
 震度6強の揺れがあった十日町市に近づいても、セイガイ建築はもとより普通の住宅もほとんど外観からは損傷を見ることは出来ません。
 倒壊した大貫工法の現場に遭遇することは不可能だということが分かりました。
豪雪地のがっちりした民家は、震度7でないと倒壊しないと言えるようです。

 これが、昨年の宮城県北部地震の全壊住宅約900戸に対して新潟中越では約400戸と半分以下、半壊は宮城の約2200戸に対して1/5の約440戸という少ない数字になっています。

 十日町市内は、トピアホームの桐生社長に案内していただきました。一部迂回するところはありますが、街の中は自在に車が走れます。
 そして、30軒から40軒に1軒ぐらいの割で、ブルーシートがかかっている建物を見かけます。ガラスの破損などのようです。完全に倒壊した古い木造も2、3ありました。これは倒れるべくして倒れたもので、何1つ勉強になりません。

 最も被害を受けていたのは3階建てのブロック造。こんなものがあったというのが不思議。また、4階建てのビルの鉄筋がむき出しになっているものや、店先で営業している店舗など、どちらかというとRC造の被害が目立ちました。

 阪神淡路大震災では壊れたり、横転していない住宅や建物を見つけ出すことが困難でした。

 しかし、十日町市では被害を受けている建築物を探すことが困難です。
 避難指定地の学校周辺にはそれらしい緊張はありますが、市内を走っている限りでは余震におびえる被災地だという気がしません。
 震度7と6強では、こんなにも大きな差があるのかと愕然とさせられます。

 しかし、一旦車を停めて古い住宅街に入ると、危険とか注意という札を貼った家が目につきます。
 倒壊はしなかったが、外壁などが落ち、内部の建具やタイルが割れたり、折れたりしています。
 いつ余震がくるか分からないので、こうした家の中へ入ってゆくのはなかなかの勇気が必要でした。夜中はとても入れたものではありません。
 これが10万人を越える避難者となっています。