川口町に神戸と同規模被災地が4ヵ所  新潟中越地震(4)


  震度7を記録した川口町へ行ってきました。

 震度7の烈震地域を見たいと思っても、広い川口町のどこに点在するのか、部外者の私などがノコノコ出かけて町役場に聞いたとしても迷惑をかけるだけ。正確な情報は得ることは到底出来ません。

 地元の川口町で7、8年前から高気密高断熱に取り組んでいる渡部建築。
 この渡部幸一郎社長さんは2級建築士。町から依頼を受けた建築組合員の一人として5日間、150棟から200棟の住宅被災状況を調査して回りました。
 外部のボランタリーの赤、黄、青の調査ではなく、被災証明書の基になる本格的な調査です。そうした調査と自社で建てた全ての住宅の垂直状態を精密に調査して回って、川口町で激震被害地域が4ヵ所あるということを目で確かめていました。

 その激震地の被害状況と、その中におけるSWの被害状況を調査するチームがトステムで組まれるという話を聞き、無理難題を言ってチームに参加させていただきました。

 調査チームはもっと早く出発する予定でした。しかし、ライフラインが回復しておらず、全ての人々は避難所生活を強いられ、避難勧告が解除されるまで帰宅出来ません。このため、あわてて訪れても施主から話を聞くことも、家の中に入ることも叶いません。
  そのため、調査日は震災発生から25日たった17, 18, 19日に、3班に分けて行われました。 私は、そのうちの17, 18日の川口町と一部小千谷市の調査隊にもぐりこませていただいたという次第。

 さて、当初新潟中越地震の全壊は400棟と言われていました。
 それが、11月19日現在では大規模な半壊まで含めると2915棟と当初発表の7倍強になっています。そのうち小千谷市が718棟、川口町680棟で全体の半分の48%を占めています。
 そして、調査対象戸数に対する全壊・大規模半壊の比率は長岡市10.3%、小千谷市12.8%に対して川口町はなんと30.0%にも及んでいます。
 震度7の川口町の被災が如何に大きいかが分かります。

 フォーラムに書きましたが、気象庁と県の地震計は各市町村にあり、各県下で60から100ヵ所程度あります。これとは別に防災科学研の地震計が25キロ間隔に全国に設置されています。各県に6から10数ヵ所程度。その防災科学研の小千谷市の地震計が震度7を記録したので、小千谷市も震度7だったというのが定説になろうとしています。

 しかし、日経アーキテクチュアで筑波大の境助教授は「防災科学研の小千谷の観測点から半径200m以内の150棟住宅を調べたら倒壊建物は2棟で倒壊率は2%未満。これだと震度6弱の被害。震度7だと30%以上の倒壊が常識なことを考えると、小千谷の震度7は2段階以上の開きがある」ということになり、説明がつかず困っています。

 そこで、境先生は何故小千谷市が震度7なのに倒壊が少なかったかを学問的に説明しょうと無理な理論展開をしています。そして出されている結論は私のような素人にも納得出来ないものです。(日経アーキテクチュア11.15号、21P参照)
 すぐ隣町の震度7の川口町の倒壊率が30%という現実が存在しているのですから、小千谷の被災状況から防災科学研の小千谷の震度計を疑ってかかる必要があると考える方が、筋が通っているように思われます。

 さて、今回は新潟から関越道路を通って小千谷に向かって走りました。長岡を過ぎると、棟瓦が墜落して屋根にブルーシートを載せている家が次第に目立ちはじめます。多いところは3割から4割もの屋根にブルーシートが…。
 そして、小千谷で降りて川口町へ。川口町の倒壊率が30%というから、町の中の17号の幹線道路を走れば軒並み被災家屋が見られるかというとそうではありません。たしかに築40年以上の改訂基準法以前の弱い建物の倒壊現場はあちこちに見ることが出来ます。しかし、その比率はせいぜい5%から10%程度。

 ところが、渡部社長に案内されて激震被災地域に入ると様相が一変します。
 最初に書いたように、渡部社長によると激震地域と言える集落が4ヵ所あるそうです。
 そのうちの2ヵ所を案内していただきました。

 最初に訪ねたのが越後川口駅から小千谷市寄りに17号を少し走り、右折して上がった丘陵地の武道窪という集落。
 窪という地名が付いているだけに、周囲には池が多くあります。したがって、丘陵地でありながら、もともと地盤が弱かったのだろうと推測されます。

 その武道窪の坂道の途中から十七棟ある建物のうち、渡部建築が建てたSWのM邸を除いて、残りの16棟の家が倒壊、焼失、ないしは倒壊寸前の有様。つまり赤いビラが貼られています。M邸だけが調査済みの青マーク。

 この武道窪で初めて軒とケラバの出の延べ100坪くらいの大きな古いセイガイづくりの民家の倒壊寸前の姿を目撃しました。高床で、一階のコンクリートはほとんど破壊していません。若干亀裂は入っていますが、特別に問題にするほどのことはありません。
 それなのに、一階の壁は1/10ラジアン程度傾いでいます。
 つまり3メートルで30センチ程度倒れています。
 二階はほぼ垂直ですが、通し柱が折れ、当然のことながら復元力はありません。

 この瀕死の巨体は、震度7の烈震に遭遇すると、如何に大きな柱を使い、大きな貫を入れようとも、それだけでは耐震性が確保出来ないという現実を雄弁に物語ってくれています。まさかという震度7に、欅の巨木もついに矢折れ、刃尽きてしまいました。しかし、相次ぐ余震にけなげに耐え、必死になって倒壊から免れようと最後の力を振り絞っています。
 「よく頑張ってきた。本当にご苦労さん!!」  
 雪が降る前に出来ることならば解体し、その古材の再活用を図ってやれたらと切望しますが、この混乱の中では叶わぬ夢かもしれません。

 もう一ヵ所の集落は、十日町寄りの田麦山。
 小学校を中心に約100棟の住宅が散在。
 ところが、小さな神社をはじめ多くの家が転倒したり、傾いだり…。中には築数年内という物件も多く散見出来ます。

 こここのSWのS邸の若ご主人によると「この集落には約100 棟の住宅があるが、帰ってきて人が住めるのはたった10棟程度。とても悲惨な状態です」とのこと。
 言われて、改めて歩いて見て回ると、若主人の言葉に嘘はないことが分かります。ローンを残したまま、多くの人が家を失いました。
 例えば300万円とか500万円を出せば、なんとか補修出来ると言うことであれば、頑張ってみようという気にもなります。しかし、90%の家は完全に倒れていないというだけで、修復出来る可能性はありません。

 テレビも新聞も、こうした烈震地の実態をあまり報道していません。渡部社長が案内してくれた烈震地は、阪神淡路地域と全く変わっていません。
 まさに震度7の烈震が、集落を突き抜けていったのです。

  不同沈下とか土砂崩れなどということなら、天災と諦めがつきます。しかし、高床の基礎がほとんど被害を受けていないだけに、震度7に耐えられなかった木造が恨めしく感じます。そして、片方に住める住宅があるので、私たちが頼んだ大工さんは手抜きをしたのではないかと、必然的に考えます。

 日本全国に、このような直下型の烈震の可能性があるという事実を川口町の4つの集落が示してくれています。