■地場建設業が地域と雇用を守るため農業を始める


「建設帰農のすすめ」(米田雅子著、中央公論新社)は面白く、考えさせられる。
  一年半前に、同じ著者の書いた「建設業の新分野進出」(東洋経済)を読んだ時は面白くもおかしくもなかった。公共事業が縮小し、急激な発注減で苦悩している地場中小ゼネコンの「もがき」としてしか捉えることができなかった。新分野へエントリーするという気概が伝わってこなかった。

 ところが今度の著書は、エントリーの範囲を農業に絞り、17の具体例を挙げている。そして、成功例が出始めており、地場ゼネコンのトップの意欲が伝わってくる。
 つまり、ベンチャー物語。だから面白い。

 日本は土建国家。
 1994年の建設市場はヨーロッパ15ヶ国で83兆円。アメリカが69兆円なのに対して日本はなんと93兆円。

 そして、2000年の時点でみても、日本の建設業の就労者は653万人で、就労人口に占める比率は10%を越えている。
  アメリカ、イギリスが7%、フランスが6.5%ということを考えると、明らかに過剰であり、将来は450〜500万人に縮小してゆくことが当然のこととして考えられる。

 日本がこのような土建国家になったのは、(1)戦後インフラを整備しながら高度成長をしなければならなかった (2)国内の格差是正のために中央から地方への富の分配が公共事業という形で行われた (3)経済政策の手段として公共事業が使われた、ことによる。
 
  とくに地方にとっては1985年のプラザ合意が大きな転換点となった。貿易不均衡を是正するために円高誘導と内需拡大を日本は世界に約束した。
  この円高の影響をもろに受けたのが林業。安い輸入材が、日本の山林の維持管理が難しくなった。そして、外国から安い農産物も輸入されるようになってきた。
  と同時に、内需拡大という名のもとに始まった地方公共投資の拡大が地方の風景を一変させた。

 つまり、林業と農業が衰退し、建設業が異常な規模にまで膨張した。バブルで地方に開発ブームが起こり、リゾート、ゴルフ場、空港、長大橋などビックプロジェクトが目白押し。工事現場にはいくらでも仕事があった。
  かくて、林業や農業で生計を立てられなくなった多くの人が建設業に移動した。

 日本では圧倒的に兼業農家が多い。
 農業の裏作に建設業があった。
 長男は農繁期だけ親の手伝いをして、あとは建設業に勤めた。このため、日本の農業従事者の80%近くが65才以上の高齢者で占められるようになってきている。

 建設業の過剰雇用と農業従事者の高齢化と後継者難。
 これが、日本の地方の現実。
 経済のグローバル化ということで、工場は東南アジアへ移転している。大都市だと建設業から他産業への労働人口移動は難しい問題だが、なんとかなる。
 しかし、地方には受け皿となる産業がない。
 あるのは、農業と建設業と観光関連程度。したがって、地場ゼネコンは従業員を簡単にリストラすることが出来ない。それこそコミュニティ全体から総スカンを喰ってしまう。

 そこで、窮余の一策として考え出されてきたのが地場ゼネコンの農業へのエントリー。
建設業が農業へエントリーするには、大きく分けて二つの形態があるという。
 一つは建設会社のままで参入する形態。
 もう一つは農業生産法人という別会社を作っての参入。

 建設会社のままで行える農業は、農作業請負業と施設栽培だけという。
 農作業請負は農家である必要はない。農地を所有する必要がないから規制は受けず、誰でも参入出来る。
 施設栽培とは農地を使わずに行う水耕栽培。モヤシ、シイタケ、ネギ、トマトなど施設の中での栽培。

 農地を使う場合は、農業生産法人を作る必要があるという。しかも役員の過半数以上が農業関連従事者。農外者からの出資比率は1/4以下、などという厳しい規制がある。特区などによりこの規制を緩和しようという動きはあるが、地場ゼネコンが農業にエントリーするのは容易ではない。

 こうした中で、著者によるとすでに全国で120社がすでにエントリーを果たしているという。主な地域は北海道、東北、中部、北陸、山陰などの積雪単作地帯。国土の均衡ある発展のスローガンのもとで、公共事業が比較的多く配分されてきたところである。
 これらの地域は気候や地理的な条件に恵まれず、産業の立地が進んでいない。そして、急激な公共事業の縮小。座して待つわけにはゆかない。ともかく歩きながら考え始めた。そうした事例が17社紹介されている。参考までにその中の三社を取り上げてみた。

●芙蓉建設の農業コントラクター事業(北海道・美幌町)
  芙蓉建設グループは運輸部門を含めて美幌を代表する地場企業。中川庄一社長は町の商工会議所会頭を兼ねており、地域の雇用にたいして強い責任感と使命感を持っている。
  農産物価格の低迷と離農、遊休地の増大から「このまま農業を放置しておくわけにはゆかない」と1993年に3000万円でアグリビジネスサポート会社を発足させた。
  農村整備の土地改良で機械とオペレーターを保有しており、こうした資源を活かして農家の作業を手伝おうというわけ。当然ビジネスにならないという反対があった。しかしホクレンや自治体などに積極的に働きかけた。そしたら、単に栽培や収穫という作業だけでなく運搬、貯蔵、農機修理、堆肥製造などさまざまな仕事が頼まれ、農協の選別工場の運営も委託されるようになってきた。
  現在では地元の4農協を中心に酪農家搾乳以外の90%以上の作業を請け負っている。牧草862ha、デントコーン137haの刈り取り、運搬、サイロへの貯蔵など。
畑作関係ではニンジン、たまねぎ、ジャガイモを中心に集荷、運搬、選別、積み込み、出荷など。
  農作業の委託単価は建設に比べて60%と低いが、大規模化で採算がとれ、2003年には1.7億円まできた。数名の出向社員と75名のパートを雇用するまでになってきている。

●蒲野建設の有機肥料で野菜作り(岩手・山形村)
 人口3500人の内陸山地。蒲野建設は事情があって1998年に堆肥工場を買い取った。
  製材所から排出される広葉樹の皮を細かく砕いたのを90%、近隣の畜産農家から集めた牛糞10%を混ぜて10ヶ月屋外で熟成。それを屋内に移しバクテリアを活性化させるため40日間撹拌して堆肥をつくる。完熟した堆肥は害虫を寄せ付けず、病気に強い。それだけでなくビニールハウスの土壌をほかほかに柔らかくしてくれる。
  この土でとれたホウレンソウが好評で三越でも売られるようになった。そこでハウスを36棟に増やす一方、近隣の30軒の農家に熟成肥料を販売し、出来た大根、ピーマン、トマト、キャベツなどを「アグリがまの」のブランドで出荷、2004年には総額で7000万円を見込めるまでになってきている。

●三矢工業のウッドチップや無農薬トマト(長野・北佐久)
  1999年にウッドチップリサイクル事業を立ち上げた。建設現場で出る伐採木の枝葉や根株を移動粉砕機でチップにする。それを炭と木酢液にしてしまう。万博や空港関連で大量の孟宗竹が中部より持ち込まれて黒字化を果たした。
  次に無農薬栽培のプロの紹介を得てビニールハウスのトマト栽培を始めた。このトマトが好評で東京青果市場で好評を博し、軽井沢などのレストランにも出荷している。
  建設は工事進行状況を写真で記録する。それをトマト栽培に応用した安心と信頼のトレーサビリティが好評の基。