■巨星墜つ!! 忘れられぬ語録 (杉山英男先生追悼編)


  もう1ヶ月になります。

 「胃が重い」ということで、何回か診断を受けられていた先生が、胃ではなく膵臓ガンだと判明したのが一昨年の11月。そして、昨年の4月に手術をされました。
  一応手術は成功したということで退院されましたが、ガンが転移していたことが発覚、そのショックが原因で2月に逝去されました。泣くに泣けない口惜しさ。その中で私が先生から聞いた貴重な語録を、追悼の言葉に代えて記しておきます。

 「驚きましたね。壁倍率は6倍しかあげられないけど、実質は8倍もあるんですよ。どうしょうもないほど強いのです」


 先生に最初にツーバィフォーの実物大耐震テストをお願いしたのが1972年。建築研究所の庭でアメリカの大工さんが建てたデモハウスでの引張りテスト。菊池重昭、野口弘行、鈴木秀三等の錚々たる面々が実験を行って下さいました。
  その翌年、群馬で内壁に12mmの石膏ボードを貼って再度実物大実験を行い、さらに綱島でブレース入りのツーバィフォーでも実験を行っていただきました。
  この言葉は、群馬の実験のデーターを見ながらの発言です。
  坂本功先生や有馬有禮先生はこうした実験に立ち会う機会が少なく、当初データーをお持ちではありませんでした。その差がその後に大きく影響してきたと感じます。
  杉山先生が一番木造の「実力」を知っておられました。

 「たしかに盤による水平力の剛性にポイントがあるけど、最終的には壁が支えているのだから壁工法でいいのです」  

 ツーバィフォー工法のオープン化を勝ちとった時、なんと命名したらいいかという話になりました。私はプラットフォームを直訳して「盤工法」と呼ぶべきではないかと提案しました。建設省の救仁郷局長はウッドフレームの原語から「枠組工法」と呼ぶべきだと強調しました。
  その時、杉山先生は「枠組壁工法」というネイミングを提案され、その理由を説明されました。誰も先生に反論できるだけの理論武装がなく、これが正式名称となりました。

 「日本とアメリカでは木材の許容応力度の体系が違います。諸先輩の偉業を一方的に否定することは出来ません…」  

 住宅金融公庫がスパン表を作る段になって、作業をしていた新井信吉氏が苦労されたのは日本とアメリカの許容応力度の違いでした。短期荷重は日米とも200キロですが、長期荷重はアメリカがS造・RC造・木造とも150に対して日本はS造・RC造が133キロに対して木造は110キロ。
  日本の建築学会はともかく古色蒼然。物事を変えようとすると著名な諸先輩の業績を否定することになります。このため、杉山先生は見えざる圧力の中で大変に苦労されました。
  そして、公庫の若手がある程度アメリカに準じた長期荷重でスパン表を作成したのを見て見ぬ振りをされました。あと10年も経てば日本の木質構造業界が立ち上がってくれ、訂正されるだろうという判断だったと思います。
  しかし、先生の願いは叶いませんでした。私が何回も叫んでいるように業界がだらしないため木造の長期荷重値は変わりません。2001年の基準法改正で、公庫のスパン表が改悪され、20%も余分にコストがかかるようになったのです。
  杉山先生の粋な計らいを理解出来る者が、木軸業界にもツーバイフォー業界にもいなかったのです。嗚呼……。

 「日本の木造住宅の歴史は2000年あるというけど、その大部分は大貫工法だったのですよ。筋違入りの在来木造と呼ばれているものはたった80年の歴史しかないのです」  

 先生に「日本の在来木造の利点とツーバィフォーの利点をミックスした工法の開発が必要ではないですか」と聞いた時「貴方の言う在来木造とは大貫工法のことですか」とたしなめられました。大貫工法こそが日本の在来的な伝統工法であって、筋違入り木軸は関東大震災以来のものに過ぎないのだと厳しく教えていただきました。
  もちろん、先生は筋違いを否定なさっていたのではありません。大貫工法の構造力学を知らずして「2000年の伝統」などと口走っている愚かさを指摘されていたのです。
  そして、民家建築の耐震性について先生ほど系統的に研究され、分かり易い指針を残された学者はおられません。「地震と木造建築」は先生の業績の中でも光っています。

 「ツーバイフォーという言葉を使い始めたのは私だと自称する人が大勢いますが、鵜野さんでいいですね」

 住木センターの「住宅と木材」誌に昨年まで127回に亘って連載されていた「杉山英男の語り伝え」は注目を集めた好読物でした。残念ながら12月号で絶筆となりました。
  数年前「誰が一番先にツーバィフォーと言い出したか」と同誌で問題を提起され「集めた資料から判断すると鵜野さんということになります。いいですね」と電話がかかってきました。
  私の記憶では木場の旦那衆が先に使っていたように思います。私は「ウッドフレーム・コンストラクション」と堅い翻訳語を使っていました。したがって、ツーバィフォーという言葉を普及させた張本人であることは認めますが、言い出しっぺではありません。そのことを細かく書いて先生に速達で送ったのですが訂正されず、杉山先生から「あなたです」と名誉ある認定をいただいたというのが真相です。

 「その壁が丈夫かどうか、建て起こす時に大工さんが一番分かっています。グラグラなものは耐震性がありません」  

 吹き抜け部分でバルーン工法の強度をどのように判定したら良いかを先生に訊ねました。各階毎の壁の開口部比率や耐力壁については公庫の仕様書に書かれていますが、吹き抜けのバルーン壁については書かれていません。
  そして、バルーンではなく胴差しで処理する怪しげなパネル工法が横行してきたので、耐風問題も含めて先生に教えを乞いにゆきました。
  その時「胴差しで処理したものや、バルーン壁の弱点はどこにあるかを一番知っているのは大工さんです。グラグラの壁を大工さんに建て起こさせてはなりません。一体化していて頑丈で大工さんが納得出来るものでなければなりません。構造計算だけでことが足りるという考えは間違っています。設計者はもっと謙虚になり現場の声を聞き、現場に明るくなってゆかねばなりません。直下型の地震は怖いですよ。現場軽視のパネルがあったら変えてゆくべきです」と明言されました。
  これが、木質構造のトップの先生の言葉です。
  観念論ではなく真理を突いていて感動を覚えました。

 「今春、私はエイジ・シュートを達成しました。まだまだやり残したことが一杯あります。問題があったらどしどし教えて下さい。新しい問題は若返らせてくれるので喜んでお手伝いします」


 エイジ・シュートとはゴルフ用語で自分の年令と同じスコアでラウンドを回ることを指します。素人ではめったに出来ない珍記録。それを2年前の春に先生は達成されました。つまり77才の時、77でラウンドされたほどのスポーツマン。
 それを話す杉山先生は好々爺そのもの。大変にうれしそうだったし、元気でした。
 それから3ヶ月目に膵臓ガンが判明。もし、その時に先生にお会い出来ていたら、何が何でも手術は避けるように働きかけ、各氏から教えて頂いた方法や食事療法を先生に試してもらえたはず。しかし残念ながらその機会はありませんでした。

 新潟中越地震では阪神淡路大震災で得られなかった貴重な情報が入手できました。この資料は坂本功先生でも正しく解析することは難しいのではなかろうか。とくに、セイガイと呼ばれる民家建築の損傷の程度や2500ガル以上の烈震地での新木質構造の強度については、杉山先生以外には正しく分析し、世の人々に正確に解説出来ないはず。これこそ杉山先生の仕事と考え、情報報告に参上出来る日を楽しみに待っていました。
 それなのに、先生は帰らぬ人となられました。
 74年前の北伊豆地震に比べ中越の民家は如何に丈夫であったか。そして、先生が提案された新しい「木質構造がどれほどの威力を発揮したか」を是非とも知って頂きたかった。

 日本の木質構造を蘇生させた杉山先生。
 私達ビルダーは、これからも先生の遺産と教えを守り、素晴らしい住宅を提供し続けてゆきます。本当にお疲れ様でした。 
 どうぞ安らかにお休み下さい。そして今までどおり温かく私共を見守ってやって下さい。心からお願いいたします。