■ベンチャーの主役は常に変化してきている (3)


 1963年から1978年までの15年間が住宅業界では最大のベンチャー時代だった。

 ベンチャーの設立には3つのタイプがあると経済同友会は言っている。(北城格太郎編「ニッポン起業学」日本実業出版)
(1) スピンオフ型  親会社から分離する形
(2) スピンアウト型 親会社から独立する形
(3) 独立系型    大企業と関係ない形

  大部分は(1)のスピンオフ型であった。
 ナショナル、旭化成、ハイムをはじめ東レ、新日鐵などのほとんどがこれであった。
 (2)のスピンアウト型はセキスイハウスなど限られていた。
 そして(3)の独立型も多かった。
 ダイワ、ミサワをはじめとして一旗組がわんさといた。

 ただし、この時期は「特認時代」。
 建築基準法38条により、在来工法以外は建設大臣の特認を取る必要があった。そこで、我も我もと特認を取り、あたかも建設大臣の認定を得た「特別に優れた特許工法」であるかのように喧伝した。

 部品の共通性のないクローズドな工法が横行し、日本の住宅建築費のコストダウンに結びつかず、それぞれの工法ごとに営業力を持っていない工務店を囲い込み、指定工事店として系列化を進めた。この悪しき風習は未だに続いていて、いたずらに建築センターなどの官組織を太らせている。
本来は改革の主対象であるべき。

 このように、この時期にベンチャーを起業するということは「特認工法を持つ」ということと同意義であった。したがって、構造を中心とした認可業務に精通している技術者を擁していない限り起業出来なかった。また、特認をとるために必要な実験とか書類一式を整えるためには最低2000万円近くの費用がかかった。その費用の捻出が出来ないものはベンチャーに名乗りをあげることが出来ない。営業的な要素よりも工法に比重が置かれた時期でもあった。

 こういった状況の中で、1974年ツーバィフォー工法がオープン化され、1976年にツーバィフォー協会が設立されて全国的に活動の輪を拡げていった。

 私の口から言うのは自画自賛でいやらしく感じられるが、日本でオープン工法を勝ちとり、確立したのは後にも先にもこのツーバィフォーしかない。
 そして、ツーバィフォー工法がオープン化したことにより諸外国から木質構造に関する貴重なデーターがどっと日本へ移入され、日本でも木質構造の本格的な研究と検討が始まった。
 かくして、日本の木構造は安物資材を前提にした在来軸組から大脱却を遂げつつある。

 剛金物工法もオープン仕様としていたなら、公庫の標準仕様書に明記されて誰でも間違えることなく自由に扱える。そして、おそらく今頃は木軸工法の過半を占めていたであろう。オープン化というのは、業界全体で取り上げるべきものであり、その波及効果は大きい。しかし、そのことを自覚している業界のリーダー不在が淋しい。
 何度も強調するが、日本の木造は建築基準法の施行令のために冷遇されている。木材の許容応力度の長期荷重の評価が諸外国に比べて異常に低い。しかし、そのことを真正面から取り上げるリーダーがいない。本当に淋しい!!

 さて、ツーバィフォー工法がオープン化されたことによりベンチャーの主体が変わってきた。

 1つは、大手不動産業者のツーバィフォー業界へのエントリー。三井不動産の成功例は、三菱、住友、東急をはじめとしてほとんどの不動産業者をベンチャーに駆り立てた。

 2つは、地場のビルダーのエントリー。特認工法を持たなくてもツーバィフォーで差別化出来る。しかし、工法だけでは勝負が出来ない。必要とされる商品力と営業力が乏しいためになかなか目立った成功例は出てこなかった。しかし、徐々に地場に根を張るビルダーが生まれてきた。

 3つは、プレハブなどで営業力を身に付けた者が、その営業力を武器にスピンアウトする例が増えてきた。特認工法を開発しなくてもツーバィフォーと在来木軸で戦える。
 こうしたプレハブ育ちの営業マンが各地でもてはやされるようになってきた。提携ローンではなく銀行独自のローン制度が普及しはじめて、プレハブ育ちの営業マンの活躍の場が拡がっていった。
 在来木軸では東日本ハウスからのスピンアウトが東北地域で目立った。
 しかし、プレハブの営業システムが一巡し、常態化したら彼等の存在意義が薄れてきた。営業トークやシステムで他社と差別化が出来なくなってきたからである。こうして一時の営業マン全盛時代は去った。

 4つは、三井ホームのコンサルタント設計事務所群の独立。
 三井ホームは、最初から設計業務とインテリアコーデネィト業務をアウトソーシングとしてきた。このため、目先の利く設計士は三井ホームの高額物件での営業ノウハウと施工のシステムを体得した。
 そして、東京、名古屋、福岡などの大都市で、有力な顧客をOB客として独立するものが目立った。とくに三井ホームがツーバィフォーのプレハブ化に舵を切り、高額所得者層からより低額所得者層へ比重を移した時に、有力設計事務所の三井ホーム離れと独立化が一気に加速。

 こうしたスピンアウトした反乱軍に三井ホームは大切な高額物件客を奪われて成長神話がストップし、転落を早めた。
 一時は、三井ホームからのスピンアウトの設計事務所関連がそれぞれの地域で隆盛を極め、地場のリーダー企業になるのではないかとさえ考えられた。

 ところが、こうしたベンチャーは次第に活力を失ってきた。
 彼等は、三井の高額物件に対する営業、デザイン、インテリアのシステムと手法には精通していた。しかし、三井ホームは高気密高断熱とかエコロジーとか健康性ということに関しては一周も二周も遅れたランナーに過ぎなかった。

 折角いち早くR-2000住宅に接しながら対応を誤ってしまった。それだけでなくツーバィフォー協会とカナダ政府との契約を一方的に破棄させツーバィフォーの地場ビルダーに損害を与えてしまった。こうした愚策のために三井ホームにはノウハウの蓄積がない。

 このため、世の中が省エネとかエコロジーへ大変動したのに三井ホームそのものと三井ホーム育ちのベンチャー群はついて行けなかった。対応する知識とノウハウがない。かくて賢明な高額所得者は高気密高断熱のベンチャーを選択するようになった。
 性能が優れている上で、デザインセンスのよいオリジナリティな住宅を選ぶ時代となった。

 ベンチャーの主役は常に変化してきている。