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●富山県生まれ 住宅ジャーナル編集長だった1969年に、日本人としてはじめてアメリカの住宅産業を系統的に調査して「アメリカの住宅産業」(新建材新聞社刊)を出版して反響を呼ぶ。 ●1972年、全国のビルダー約100社を集めて日本ホームビルダー協会を設立、常務理事に。 ●1973年に有志を集めてツーバィフォーの「ホームビルダーシステムT型」を開発、建設大臣認可を得る。 ●しかし、個別認定では限界があるため、ホームビルダー協会が中心になって「ツーバィフォー工法のオープン化運動」を展開。1974年に日本の建築業界では初めてのオープン化工法を獲得。 その年、住宅金融公庫の「枠組壁工法標準仕様書」の作成に協力。 |
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●1975年、アメリカから大工さんを呼んできて、日本全国11ヵ所で建て方実演を主催 |
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●1977年、初期のタウンハウス団地の開発普及のため全ての企画とプラン面に携わる |
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●1976年、ツーバィフォー建築協会が設立したためホームビルダー協会を退任。 ホームビルダー研究所長を経て、(株)藤和の専務取締役に就任。 ツーバィフォーの技術力、商品開発力を武器に年商7億円にすぎなかった地場ビルダーを7年間で年商100億円のビルダーに育てる。 だが、メインバンクとオーナー社長の「売上げ200億円へ」という急激な拡大路線で優良な経営内容が急速に悪化。改善策が受け入れられず余儀なく同社を退社。 |
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●商品開発では、常に最先端を走り続けた… 1980年に誕生したこのデザインは、今迄の常識を破るもので瞠目を集めた ![]() |
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1982年、東京で初めて採用されたペアーガラスの断熱サッシの家 |
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1983年、日本で初めてルーフバルコニーを開発し、大ヒットとなった![]() |
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1984年、外壁に210を使い、彫の深い立体的なデザイン手法を開発 |
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1984年、日本で一番美しいと絶賛された本格的アーリーアメリカンを完成![]() |
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1985年、今迄のアパートの常識を破るファッション性の高いデザインで、全国から注目を集めた![]() |
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1986年、石造を思わせる重量感と初の円形階段、ブラインドシャッターが話題を呼んだ![]() |
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●1989年、ついに東京でR2000住宅の第1号が誕生 |
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関東地区R2000住宅第1号の玉置宏邸 |
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| R-2000住宅の試験的なモデルハウスで多面的な空調換気試験を行った。 関東地域で第1号の3階建てR-2000住宅 |
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●1990年、R2000住宅の日加技術提携の調印式 |
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●1993年、ウィスラーでのR&Dワークショップで研究発表し坂本先生等と一緒に受賞 |
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●1996年、ナイス株式会社の支援を得て、14人の高気密住宅のベテランとR2000住宅専門のナイスハーティホームを設立、専務取締役となる。 |
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| ●1997年、ダイキン工業との提携で除加湿機能付き換気システムを開発するとともに、手造りの「通信」を発行し、全てのお施主の生の声を収録して大好評を呼ぶ。 | |||||||||
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●1998年、前経団連会長の豊田章一郎が当社のモデルハウスを視察、1999年に個人として当社へ出資、建築現場と完成現場を視察 |
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●2000年、ISO9001を取得 |
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●2002年、ハーティホームの専務取締役を退任。高気密健康住宅研究所を設立。ネットフォーラムを開設。 |
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