(2002.1.15〜2003.2.14分)

2002年1月5日 新しい年を迎えて、
あらためてホームページの準備のための練習をやろうとしたら、
思い出すのに30分もかかった。
でもしかたがないか。若くはないんだから。だけどちょっと、
駄目って感じもするよ。
まあ、そういわれても、一人で
やるしかないと決めたからやるしかない。
始めるということが、大切なのだ。

1月12日 ネット・リュミエールのロゴを考える。
ところが、フランス語のEに点が打てないんだよ。
どうしてもうまくいかない。どうして?
ところで、Eに点がないロゴだけど、
けっこう気に入ったものができたんだけど、
ここに貼り付けるにはどうやるんだろう?
出来ない?

なかなか軌道に乗るには時間がかかりそうだ。

もうひとつ問題というかミスを発見。
ネット・リュミエール 用のアドレスがあるといいよなと
マックの「iTools」でつくって、喜んでいたわけ。
それが、net1896@mac.com なんだよな。
わかる人は、もうわかったかも知れないが、
いま、リュミエールを調べていたら、こう書かれていた。

「1895年12月28日 パリのグラン・カフェ地下で
リュミエール兄弟が
発明したシネマト・グラフが有料公開された」

だから、net1896@mac.comではなく、net1895だよと、
がっかりしながら、ちょっと、直せないかとマックの「iTools」の
探索にでかけたが、メンバーにあたる部分で、
その訂正はできないことがわかった。
再登録すればいいのか、だけど、もう一度?
まあ、やればいいんだけど。
そこで、言い訳だけど、
登録の際に、すぐに思い出されたのが、あの「列車の到着」
だったから、一応、本にあたって、これが1896年の制作だ
と確認したんだよ。まあ、こうなったいうことです。
ですからメールは、net1896@mac.comにお願いします。

1月13日 昨日見た映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」について
書きながら思ったことを書こうとして、困った。
実は、今日からは、マックについてきたホームページ作成ソフト
「アドビページミル」に切りかえた。
そこで、悩んでいたのは、改行をすると2行空いてしまうことだ。
ここで、気を取り直して「マックガイド」にあたる。
書いてあった。「shift」キーを押しながら、
「return」キーを押すとうまくいく。そうか、
そうなんだよな。(いま、わかったところだから、ちょっと余裕。)
でもパソコンというのは、
そんなことの積み上げだということであり、
ここらのことを楽しめないといけない。
なかなかそうは思えないだけど。
さっきの続き。映画について書くということは、
これから、見ようとする人と見た人と区別して
書かれるべきだ、ということに、
これから、自分のサイトを発信するものとして気づいた。
ということで、これからはそんな工夫ができればいい。
「ページミル」を使ったから、貼り付けもなんとかできたよ。
ところで、リンクってどうするの?

1月14日 昨日の夜にリンクのやり方が何とかわかりました。一応ね。
今日は2日このサイトのために、
できなかったランニングをやりに
久良岐公園まで行ってきました。
1時間ちょっとだけど、昨日からの言い訳だけど、
日が差しているところを走りたいといって、
走るタイミングを見ていた。今日はうまく日にも恵まれました。
やっぱ走るといいことあるんだよな。
このサイトの構想をまとめることができました。
もくじ風のタイトルをいえば、
2001年12月.11月.10月.9月と時間をどんどん戻していく
マイ・バック・ページ」。
過去に見た映画作品を時系列で遡っていくページになります。
次が「
映画空間 シネマ・スペース」。
ここでは、2002年1月から見た映画を
順次貼り付けていくってな感じかな。
これは、できれば、
映画を語ることの、新しい展開ができたらいいんだけど。
3番目が「ネット・リミュエール通信」とおもったけど、
この通信がいけない、
まあ、これは理屈ではなく,そう感じたので、
ただの「
ネット・リミュエール」。
内容は変わらないわけだけど。
いま、こうして書いていることだよ。
もくじみたいなもの。
4番目は、「
映画入門」。
これは、3年前から書いて、
中断している100枚(400字詰め)の原稿を元に、
なんかできないかな。
いよいよ、5番目だけど。何が?うーん、
ほら、タイトルからして、映像がないのはおかしいではないか?
ムーヴィング・シアター」。
毎月1本は、つくっていく予定。
1分ものだって「映画」だよ。
最後に「
来る映画のために」。
これは、「映画入門」の最終章にもなるはずだから、
しばらくは登場できない。

1月17日 1月14日に映画「忘れられぬ人々」を見た帰りに、
本屋で「PageMill3.0でホームページ!」を買いました。
さあ、これで、技術的な問題がクリアできると喜んでいます。
「イケてるホームページたち」なるだろうか?
(コレって、この本の副題?)
まず、各ページのスタイルを決めなくてはね。
それと、「生活のリズム」も大事だな。
あ、そうだ昨日「ぴあ」で、
2月3日「横浜映画祭」のチケットを
買ったよ。何年ぶりだろう。
それと、今日うまくいけば、
「シネマ・下北沢」に行ってきます。

1月20日 昨日は「PageMill3.0でホームページ!」を
読みこんで、いちから、このサイトをつくり直すことにした。
歯医者にも行きました。これは、
一月に一回だけど、すごく嫌なことのひとつです。
今日はこれから、ちょっと撮影に出掛けてきます。

屏風ヶ浦駅で撮影した。
ビデオカメラを回すのは、
なんと一年ぶりかも知れない。
撮影時間1時間弱、フィルムは20分回す。
家に帰って編集しようとiMovie2を立ち上げるが、
すっかりやり方を忘れている。
そうなんだよな。iMovie2は、
使ったことがなかったという情けない話しになった。
前のiMovieは使ったことがあったのだが、
iMovie2してからは使ってなかったのだ。まいった。

1月27日 放送開始まで、一週間になった。
昨日は、横浜の野毛で飲み過ぎた。
どうも、たまに行く「野毛」は、
昔が思い出されるらしく、
ふらりと余計に立ち寄ってしまう店があるようで、
多く飲み過ぎてしまう。反省。

メイン・タイトルや各コーナーの色が
混乱していたものの調整を図る。
かなりシブイ感じに仕上がる。
これだって、また直すことができるが、
しばらくはこれで行こうと決めました。

iMovieの理解を深めました。ただ、
マイクで録音というのがうまくいかないんだよ。
これは、前のバージョンでもできなかった
ことを思い出した。
なにが悪いのか?わからない。
当面必要はないんだけど。
あとは、20日に撮影したものを編集すればいい。
タイトルは「電車の到着・プラットホーム」。
それと、あとは、
見た映画について書くという作業を
このサイトには貼り付けていけばいい。

2月2日 シネマ・スペースに2本追加し、
もう一度、そぞれの文章にはあたってみる。
じぶんのための「メモ」でもあるわけで、
この程度ということかな。
映画のことなので、記憶違いや思いこみも結構あると思うが、
これも、日付のあるコメントということで、
致命的な間違いについて修正が必要な場合は
わかるように載せていくつもりです。
さて、あとは、欲張らずに、
「電車の到着・プラットホーム」
を完成させればいいのだが、
1月29日にiMovie2のマニュアル買いました。
さまざまな疑問が解けていきます。
はやく買えばよかったのにねって感じではあるのだが。
どうも、ここが貧乏性でただできることは
それですませたいという気持ちは強いし、
マニュアル本はもちろん知っていること
も書いてあるのと、
また本も結構多いので選ぶのに困る
といことにもなる。
だけど、今回は知りたいことがいくつかあったので
そのことがわかるという最低の条件もあったし、
まあ、最初に手に取って見た絵がたくさんある
「目で見る1ステップ3分マニュアルiMovie2」を買いました。
2月4日
いよいよ発信日ですが、
昨日は、「第23回横浜映画祭」に久しぶりに出掛けていたので、
このサイトのために時間が取れないまま、
今朝を迎えました。
Quick Timek形式に書き出すと
画面は小さいし字幕も読めない。
弱った。

いま(20:30)、仕事からいま帰ってきました。
歩きながら、
「今日のところは、
ムーヴィング・シアターはあきらめよう」
と決めました。
どう見えるかも考慮して、
送り出す限界があるなら、
その条件にあわせた内容にすることも必要だ。

2月9日ムーヴィング・シアター」のテスト・パターン開始。

2月10日13:30 
なんとかトラブルを修正。
わかってしまえば、どうってことないんだけど、
この2月4日から今日まで正直に言って大変でしたよ。
仕事して、飲みながらだし、ふー、て感じ。
もちろん、まだ、まだ、わからないことが多いけど。
どうしても決めたことを守ろう
とかという義務感がでて、
なんとかしなくてはとか、
カンペキにしたいとか思ってしまう
のをなんとかできないのかね。
まあ、あとで思えば、それも面白かったということだけど。
だから、本当に動き出したのは、
昨日からで、
思っているイメージになったのが今ということです。

2月12日 更新していくのが、ちょっとこわい。
ホームページのシステムが
本当にわかったかどうか疑わしいのだ。
まあ、とにかく、
「シネマ・スペース」に3本追加しました。
まだ、毎日更新するのは難しそうだけど、
なんとかやれたらいいよね。

2月14日《リリイ・シュシュのすべて》について
書き終えて、
柳美里「ゴールドラッシュ」が
いまだに読みかけで、
村上龍「希望の国のエクソダス」
が読めないでいたことを思い出した。
村上龍の「共生虫」は読んだけどね。
この岩井俊二のインターネット小説も読んでいない。
この機会にどれも読んでおけるといい。
うーん、でも、
「マイ・バック・ページ」が増えていかないのもどうかね。

2月17日ネット・リュミエールの発信を開始して
ほぼ一週間が過ぎた。
思ったより難産だっただけに、
ほっとした気持ちも強くあった。
でも、これで、
やっとスタートラインに立ったということでもあるんだ。
さて、どう、更新していくかを考えている。
つまり、このサイトへのアクセス状況によっては、
もっと、うまい展開もありそうだが、
しばらくは、できるだけ、
コンテンツを増やしていく
ということに専念したい。
また、スタッフ、キャストなど新たなデータも
追加していきたいと思う。
映画はどうしても、
出演しているスターや一部の監督だけが
注目される傾向にある。
すべての映画ができるまでに
どのようなスタッフがどう関わったかを知りたい
という気持ちが強い。
そのとっかかりになればと思っている。
今日は「マイ・バック・ページ」に、
吉村公三郎監督特集(7本)と
今村昇平「神々の深き欲望」を追加しました。

2月22日今日は、2002.2.22と2がならんでいる。
特に意味はありません。
「マイ・バック・ページ」に3本追加しました。
明日は、「シネマ下北沢」に出掛ける予定です。

2月24日
「マイ・バック・ページ」に3本追加し、
これで、このときに見た吉村公三郎特集の
13本分を全て載せたことになります。

2月26日
この前から、捜していた
ジャン=リュック・ゴダールの
言葉がみつかった。
今回のサイトの発信のモチーフの一つになったものだ。

「わたしは現在50歳で、
すでに自分の人生を終えているわけで、
残りの30年ほどの年月は、こう言ってよければ、
50年たった元金のように、
自分の人生の利息を楽しみながら
すごしたいと考えています。
つまり、私は今、
自分の人生の利潤を引き出そうと考えているわけです」

このゴダールの言葉は、
「映画史をめぐって」(野崎歓)に
引用されていたものだった。
これを目にしたときは、わたしは49歳だった。(2000.6.18)
ゴダールがこんなことを言っていたのか、
奇異にも感じたが、あー、この50年か。
なんにもできないまま、ここまできてしまったな。
これから映画をつくりたい?こどもじみた戯言か、
また、また、ゴダールに先を越されていたな。
まいったな。などという感想をもって、
この年の6月23日には、
渋谷のユーロスペースで
「映画史」第部、
8月4日には、
お茶の水のアテネ・フランセで
「映画史」泄賠部をとおして見る。
この「映画史」について、語りたいと思いつつ、
断片的メモしか残せていない。
しかし、このサイトの発信そのものが、
ゴダールの「映画史」を
語ることでもあると今、考えている。
うーん、あれから一年半か。

「わたしは51歳の誕生日を迎えた。
残りの30年ほどの年月は
自分の人生の利潤をひきだし、
楽しみながら過ごすためにある。
このサイトは、その試みのひとつである」(川原雄三)

3月5日 3月3日に昔の友人、知人にこのサイトの案内を送付した。
インターネットなんか知らないよ
と思っている人にも
見てもらいたいと思い郵送にした。
つぎのような案内文になっている。

ホームページ「NET.LUMIERE/ネット・リュミエール」を開設しました。
これからやりたいと思っていることをひとりでも多くの人と
共有できればと思っています。
これが、その第一歩ですね。
5年先位を考える気持ちと
もっと早い展開もあるか
とか思っていますが、
このサイトそのものが映画だという展開から
「来るべき映画」がみえてくるというようなこと
を考えています。
しばらくは、
2002年1月を境に新たに見た映画を「シネマ・スペース」、
過去に見た映画を「マイ・バック・ページ」
として掲載していきます。
どちらも、事実として、何時、どこで、どう映画を見たのか
ということがポイントです。
わたしが見た映画の
日付のあるコメントが、
日付順のまま、積み重ねられてていく。
ときには、そのコメントに対する
注釈・修正が繰り返され、
さらに、いま、
今日という時間がそれらを包み込んで、
「ネット・リュミエール」が流れていきます。
是非、「ネット・リュミエール」サイトを覗いて見てください。

3月6日3月3日は、渋谷ですっかり飲み過ぎてしまった。
長年の友人であるST君と16時に渋谷で待ち合わせる。
時間に余裕があったので、遅まきながら、
「シネマソサエティ」と「シアター・イメージ・フオーラム」
の場所を確認する。
最近歩くことが苦にならない。
ビルとビルの間に残された昔の家屋や店など
見ているだけでも面白い。
思いがけず、神社があったり、
空き地になっていることなど確認し感心している。
ST君とは、今年初めて会うのだが
(そうか結婚したお祝いもしてないな。)、
吉村公三郎に彼が直接、接していた頃の話しを聞く。
今後の「ネット・リュミエール」の展開について話す。
大いに盛り上がる。
いままで、メールもインターネットも敬遠していた人にも、
ちょっと、「ネット・リュミエール」だけは、
見ておこうと思わせるサイトにできたらいいよね。

3月7日照明の岡本健一さん死去(2002.3.5)。享年87歳。
吉村作品では「越前竹人形」(page3)
「千羽鶴」(page9)
「夜の河」(page13)
「西陣の姉妹」(page14)があり、
他の監督では黒澤明「羅生門」、
溝口健二「雨月物語」「近松物語」などがある。
これらすべてのキャメラマンは宮川一夫である。
キャメラマン=照明技師=監督という映画が映画になるための
協働作業を思う。
また、今村昇平「神々の深き欲望(page10)で
照明を担当してる岩木保夫は弟子の一人だそうだ。

3月9日今週は仕事も忙しかったが、酒も飲み過ぎた。
なんだか心身ともに疲れた気持ちでパソコンに向かっている。
柳美里「ゴールド・ラッシュ」2月23日に読了。
村上龍「希望の国のエクソダス」を読み始める。
シネマ・スペースに2本追加。

3月10日昨日テレビでセレス小林の世界タイトル防衛戦を見た。
ボクシングの試合を見るのは久しぶりだが、
昼の3時頃に「特別番組」が組まれていて、
相手が21戦、21KO勝ちという話しを聞いて興味を持った。
試合は、2回でチャンピオンがダウンするなど、
スリリングな展開になった。5回ぐらいからは、
もうどちらが倒れてもおかしくないという打ち合いになった。
チャンピオンにも何度もチャンスはあったように見えたが
劣性のまま、8回の5度目のダウンでTKO負けとなった。
小林は口惜しかったのだろう。泣いていた。
ちょっと奇異に感じたのは、
解説者たちが「引退」ということを語っていたことだ。
小林は、試合後リングで相手に指を1本立てて
もう一度やろうと言ったよう見えた。
「特集」で小林は、妻に出会えたことで「日本チャンピオン」
なれたし、娘が生まれてたことで「世界チャンピオン」になれた。
人間は守るものがあることで強くなれると語っていた。
敗戦の口惜しさは見ているものにも強く伝わった。
リターンマッチを期待するのは勝手な言い分か。
今日は「マイ・バック・ページ」2本追加。

3月16日 今日は昨年の8月15日に見た映画を
「マイ・バック・ページ」に追加した。
Page19「太白山脈」のコメントで、
柄谷さんと吉本さん、そして大江さんからの引用を載せた。
それぞれの著書から受けた影響ははかり知れない。

大江さんについては昨年(2001年)、はたと気づいた。
この30年近くの間、本気で関わってはいなかったな。
「うーん、しまった」という感慨である。あわてて、
「あいまいな日本の私」を読んだ。

「祈り」について深く感じ入るものがあった。
(これは、無信仰の者が「祈る」ということの意味
を考えてきた大江さんのテーマでもある。)

そして、
いま年譜をみて調べると
ほんとうに熱心な読者であったのは、
1973年の書下ろし長編「洪水はわが魂に及び」
までだったんだとわかった。
この小説は、前年にあった「連合赤軍事件」をヒントに
執筆されたものであった。
いま、この「事件」の衝撃とともに、同時代に
「万延元年のフットボール」(1967年)から読み出し、
感銘を受けた大江さんの多くの作品たちを思う。

*
SPACE9「ココニイルコト」の表記などに
間違いがあったので修正しました。
突然、亡霊のようにあらわれた
「タイ」のKKからの指摘でした。
「夜空ノムコウ」の
「ノ」がひらがなの「の」になっていたこと、
スガシカオは作詞だけで、作曲は川村結花だったこと。
ついでに、映画タイトルの「ユリイカ」を正確に
「EUREKA」にあらためました。

3月17日 
今日から「ムーヴィング・シアター」は、
「風の音を聴く」として、
1997年9月につくったビデオを流します。
8ミリビデオで撮ったものをVHSに編集した作品
をパソコンに読み込んで、
手を加えずに、
QuikTimeに書き出したものです。
もとの映像の字幕が読めなくなるように、
映像も60パーセントぐらいその解像度が落ちる。
映画の始まりを追体験していく意味では、
映像だけでもうまく取り込めるといいと思っていたが、
皮肉にも音声だけはうまく取り込めている。
八ヶ岳高原に武満徹の音楽を聴きに行ったときのもの。
音楽は、武満徹:「そして、それが風であることを知った」
を使用している。

3月20日 今日から23日まで中国の大連・北京に行って来ます。

あわてて、清岡卓行の「アカシアの大連」を読んだ。
前に読んだと思っていたがどうも思い出せない。
妻を亡くし、詩人であった清岡卓行が小説を書いた。
それが、「朝の悲しみ」。そのあと、
この「アカシアの大連」を書き、
芥川賞を受賞する。1970年(48歳)だった。

夢のうちの奢りの花のひらきぬるだりにの市はわが遊びどころ(森鴎外)

3月20日-23日 中国(大連・北京)
30分遅れて成田を発った飛行機が
2時間後には「機材整備」のため成田に戻っていた。
なぜ代替便がすぐに出せないのか
必死に食い下がっていた中国人もいた。
もっともな話しだ。しかし、
とうとう20日は出発できなかった。
成田のホテルが提供される。
翌日の朝、今度は、「黄砂」の影響で大連空港に
着陸できずに引き返すことがあるという掲示がある。
あきらめも出てくる。中国には行けない。
(つづく)

(つづき)8時の予定が延びて、8時半すぎに離陸する。
すかさず、「黄砂」の関係で着陸できないこともある
というアナウンスがある。
なぜか、飲み物が勧められ、ワインを1本。
機内食が10時過ぎに出てきて、ワインをもう1本。
11時22分、大連空港の上空での旋回を始める。
視界がよくなるを待っているという。
うーん、これで成田に引っ返したら、
シャレにならないな。
1時間10分後(燃料の限界は、1時間だと聞いていたが)に
視界がよくなったということで、
着陸すというアナウンスがある。
一部で拍手が起きる。

隣にいた大連で語学教師をしているという
アメリカ人がいうには、
この航空会社の便が、
この日にフライト予定がないことから、
成田空港では早く出発させられ、
大連空港では、この時間まで着陸ができない
という事情があったからだという。
1時間後には着陸するというアナウンスがあって、
大きな拍手が起きると話していた。
まあ。言ったとおりになったのだが、
いままでに、
なんども引っ返すことがあったということも
事実であり、真相はわからない。
着いてからわかったのだが、
昨日は、もっと「黄砂」がひどかったので、
着陸ができなかった可能性は
大きかったそうだ。
いずれにしても、やっと中国に着くことができた。

3月23日 北京二日目の朝。5時に起床。
日の出はまだまだのようだ。
6時過ぎに、ホテルを出て歩く。
少し走ってみる。
やっと、念願の中国の大地を走る。
約1時間、ホテルの周辺を走る。
ホテル周辺の案内図には、
故宮や天安門などと書かれているが、
中国は広い。
戻れなくなるという不安(言葉は通じない)もあり、
ホテルの周りからは離れられない。
どこも真っ直ぐな道が続く。
大きな病院や建物の工事現場に急ぐ人たち。
車も動きだし、バスを待つ人たち。
少しわかってきたので路地に入ってみる。
確かに日常の生活が
動き出しているのがわかる。
また、大きな通りに出る。
走る前方にオレンジ色の大きな円が見える。
太陽だとわかる。
中国大陸に陽が昇るを見ている。

3月26日
中国へ行くことが決まってから、
ペースが乱れている。
少し時間を戻しながら補っておこう。

3月16日 イタリア映画祭の前売りを関内「ぴあ」で買う。
その前に磯子図書館で「アカシアの大連」を借りる。
午後、鎌倉近代美術館でクレー展。ST夫妻とHさんに会う。
「緑の中庭」「ロバのいる庭」などなど。
今回は、この「緑の中庭」という作品が印象に残る。
この「・・・の庭」という画家のモチーフで
映画も撮れないかと思う。


3月17日 中国行きの準備と買い物。
ちょっと、迷うが、夕方「シネマ・下北沢」に出掛ける。
映画「スワロウテイル」「千年旅人」を見る。
帰宅は23時過ぎる。
出掛ける前に、スガシカオ・FAMILYを聴く。

4月1日
今日から職場が変わる。

一昨日(3月30日)は職場の机の中身や残務整理をする。
立ったり座ったりして腰を痛める。
この一週間もよく飲んだ。すっかり疲れてしまう。
映画どころでない。

昨日(3月31日)は気分を変えて、ジャック&ベティの福寿さんに会う。
いつも会うと長くなるのだが、久しぶりでもあり、
このサイトや映画の話しをたくさんする。
いつも意欲的に新しい試みを考えているので
話していておもしろい。
横浜での興味深い映画の上映には、すべて福寿さんが
関わっているという印象だ。

たくさん話したなかでのひとつ。
「日本の公的機関では
映画が美術館の一部や図書館の中にあるとかなっている。
映画そのものとしてあつかわれていない
のはおかしい。」
これは、まったく同感である。
映画は文学でも絵画でも美術品でもない。
映画は映画である。

さらに「移動映画館」「基金」「ドイツの若い監督」など
の話しを聞く。
このサイトにもっとパワーをつけて、
福寿さんの上映企画などに連動できればと思う。

4月5日例年より暖かい4月を迎えている。
3月末の中国行きや4月1日の職場の異動に加えて、
3月17日に見た「スワロウテイル」に苦戦している。
そのため、「シネマ・スペース」と
「マイ・バック・ページ」もすすんでいかない。
中国の話しも止まったままだ。
「ムーヴィング・シアター」を
まだ見ていない人は、是非覗いて見てほしい。
動画なので、待ち時間が必要。
この「ネット・リュミエール」の
目標は映画をつくることにある。
映画製作への参加を呼びかけたいんだよね、本当は。

4月7日
シネマ・スペースに2本追加する。
このところ映画館に出掛けていない。
なんとなく、週に1本というので
どうかなと思ってみる。
3月20日-23日 中国(大連・北京)の
つづきを書き加える。

4月11日マイ・バック・ページに2本追加。

4月16日
昨日、横浜・野毛にできた「横浜にぎわい座」の
こけら落とし興行、
春風亭小朝独演会に出掛ける。
「越路吹雪」の噺など、
いまテレビでは見られないものであり、
懐かしくもあり、おおいに楽しめた。
本格的な落語も聞きたかったけどね。
立川談志を5月2日から「連続5夜」開催なんていう企画は、
たんなる貸しホールではできないことだろうし、
テレビから離れて「大衆芸能」に直に触れるということはいいことだ。
一杯飲みながら、気軽にという場内の雰囲気はいいのだが、
席の間隔が狭くて、出入りがきつい。

マイ・バック・ページに2本追加。

4月20日マイ・バック・ページに2本追加。

4月30日 4月27日。父の具合が悪いので、
国分寺に出掛ける。なんとか持ち直したが、
まだ、油断はできない状況だ。
国分寺は、父が85歳、母が77歳の老夫婦の生活。
父が倒れて入院という展開に、
本人以上に母も気が動転している。
父が退院してからも、
ふたりの生活の「不安」は変わらない。
9日間の入院と退院後の7日間。
父の記憶に異変を生じさせながら、
もう死ぬんだ、最後だ、
という気持ちが葛藤している。
28日には、もう一人のじぶんの存在に
気づき、もう一つの世界から、
夢から醒めるように「現実」の世界に戻る。
「生きてるんだな。なかなか死ねないな。」と
笑って言えるようになる。

さて、いろいろなことが重なって、
平常なペースに戻れないでいる。
「ネット・リュミエール」も10日間、
更新できなかったが、
ここで、マイ・バック・ページに2本追加。
今村昇平監督や森谷司郎監督について、
いま、もっと言っておきたいことがあるように思えたが、
力不足でうまくいえないというもどかしさが残った。

5月2日
マイ・バック・ページに2本追加。

5月3日 昨日は、
横浜にぎわい座「最後の談志五夜」の第一夜。
正直に言って、わたしは、
特別に熱心な落語フアンではない。
「立川談志」の実演をこうして見るのは初めてである。
テレビでは最近見ないが、
「立川談志」への興味はかねてから強くある。
はじめの長い「まくら」で、
観客とののさぐりあいから、
「真紀子」「宗男」などの世相から、
手塚治虫の「火の鳥」の世界に言及したかと思うと
天皇制まで触れてみせる。
そのスリリングな話芸は、
落語という芸のあり方そのものを語っている。
「横浜にぎわい座」の今後についても、
ネタにして、憂えてみせる。
談志さんほどの芸があるんだから、
じっくり「噺」を聞かせればいいと思うのだが、
そうはいかないらしい。
どの世界で、
それなりの高い評価を得ても、
もうひとりのじぶんがいて、
「ダメ」をだすという「厳しさ」を語ってもいる。
それは、いまの時代の「不安感」や
「徒労感」を背景にしていると思える。

客はなにを求めているだろう。
軽く酒でも飲んで話しを聞く。
おもいきり笑えたらいい。
わたしにとっては、「浮世床」での
読んでいる本を声をだして
読んでみてくれといわれて、
読むとつっかえて読めない。
「姉川の決戦」場面なのだが、
本を見ないで声にだすとすらりといえる
という場面で、
本当に久しぶりに腹の底から笑った。
また、次の「付け馬」の「まくら」で、
「観客をユートピアに入れる」とか、
ルビッチの映画「生きるべきか死ぬべきか」42や
ワイルダーの映画「お熱いのがお好き」59と
原語で引用するなど、
さりげなくコメディ映画の系譜にふれていたのにも感心した。
笑いについて、わたしは、
「クレージー・キャッツ」「立川談志」「赤塚不二夫」など
から学んだ。
懐かしい笑いが随所に顔を出していた。

5月6日今日で連休も終わる。
3日から有楽町朝日ホールで開催されている
「イタリア映画祭2002」に出掛けている。
こうした映画祭の全作品を見るのは初体験だ。
プログラムを見て、
スコセッシ監督の昨年カンヌ映画祭で上映された
ドキュメントタリー「わたしのイタリア旅行」は、
是非見たいと思った。
さらに、これもドキュメントタリーだが、
「パゾリーニ、夢の論理」もおもしろそうだと、
紹介内容を見ていくうちに
9作品とスコセッシ監督作品の全てを
見てもいいという気持ちになって、
前売りの初日に9回券+特別作品を列んで買ってしまった。
いうなれば、
映画全てを映画として受け入れるという気持ちと
イタリア映画を見る4日間のツアーとしては、
安上がりで確実だと思えた。
横浜からの交通費も含めて、
16,000円弱である。

職場が変わるなど身辺に変化があり、
気持ち的な余裕が少しないのだが、
わたしのとって最終日である「イタリア旅行」
を大いに楽しみたいと思う。

いまわたしたちが「映画」を創るとしたら
どういう映画になるだろう。
「ネット・リュミエール」は、きたるべき
映画をめざす。

ここでの作品たちは、
単なる「商業主義作品」ではない。
それは、「映画史」を語るスコセッシ監督の
映画に対する真摯な課題を共有するものだ。
いつの時代でも困難がつきまとう人生。
そして、いまという時代を
生きざるをえない人間たち。
そんな人生の断片を映画にして
見せてくれる。
映画は人生そのものだ。

5月7日昨日「映画は人生そのもだ」と書いて、
「イタリア映画祭2002」に出掛けると、
「薔薇色のトラ」の
トニーノ・デ・ベルナルディ監督が上映後、
「わたしは、非商業的作家として、
人生で言えないことを映画でやってきた。
映画で人生を説明するつもりはない。
アメリカ映画は善悪をはっきりさせるので、
好きではない。」
という意味のことを語っていた。
映画作家としての
信念と自信が感じられた。
65歳になる小柄な監督は、
初来日ということで、
日本に来られた喜びを
全身で現していた。
溝口、小津と映画監督と
谷崎、三島など作家の名前をあげ、
日本でも映画を撮りたいと話す。

5月9日 5月1日に亡くなった知人のことを
妻から知らされ唖然とする。
5月2日付の神奈川新聞「事件簿」に、
「火災で男性死亡」という見出しで、
「男性は夫婦げんかのもつれから室内に
灯油をかぶりじぶんで火をつけた」とある。
49歳だった。気っぷのいい、しゃべりっぷりの
反面、繊細な気遣いのある好人物という
印象だった。
隣組で草刈りを終えて、
昼前から酒を飲み、
決まって数人が残って
昼過ぎまで飲んでいた一人だった。
その家族も知っている。
「どうして、何故?」という疑問が残る。
人間は他人には見えない闇を抱えて生きている。
しかし、今回の死はわたしにはどうしても
偶然が引き込んでしまった事故死
のように見える。冥福を祈る。

昨日のニュースで、
中国で北京発大連行きの飛行機が
海に墜落したという事故が
報じられている。詳細はわからないが、
日本人名が3名あるという。
3月22日にコースは逆だが、わたしも
大連から北京へ飛行機に乗っていた。
事故がどうめぐってくるかは
予測できないが、深酒し、
記憶のないことの危うさを思った。

ある日、目覚めて、
いつもとは違う長い一日を経験し、
まるで、24時間が50年の歳月にも感じられる。
知らずに、死を招き寄せて
しまった男の話。タイトルは「1968」。

5月15日 イタリア映画祭のコメントと
「マイ・バック・ページ」を
成瀬巳喜男監督「山の音」まで何とか一気呵成にやって、
糸井さんの映画企画にも参加してんなんてこと思っているうちに、
更新ができないという悪循環が始まっている。
毎日更新するということが大事だと思い直す。
でも、それに飲み過ぎた朝もあったりすると毎日の更新も大変だよな、
とすぐに、弱気になっている。
それと、最近走ることを忘れている。
これも、なんとかしたい。

10日に歯茎が腫れて、土日は鬱陶しさが続いた。
毎月1回行く「歯科」も連休が挟まってさぼったままだ。
これも何とかしなきゃね。

5月16日
「マイ・バック・ページ」に
吉田喜重の第1回監督作品「ろくでなし」と
斎藤武市監督、宍戸錠主演の「ろくでなし稼業」の2本を追加。
「ろくでなし稼業」の助監督に神代辰巳の名前がある

5月17日
とにかく、毎日の積み重ねということで、
「マイ・バック・ページ」に
川島雄三監督の遺作「イチかパチか」と
今村昇平監督の「にあんちゃん」を追加。
イタリア映画祭はもう少し待ってください。
なんせ、10本の映画を4日間連続で
見たという初体験だから記憶も保証の限りではないと、
ちょっと弱気になっている。

5月18日
大林宣彦作品「時をかける少女」(83)の原田知世、
澤井信一郎作品「野菊の墓」(81)の松田聖子、
溝口健二作品「祇園囃子」(53)の若尾文子、
黒澤明作品「わが青春に悔いなし」(46)の原節子、
増村保造作品「清作の妻」(65)の若尾文子、
中村登作品「古都」(63)の岩下志麻と
思いつくままに列記してみた。
監督と女優が気持ちよく出会った作品たちだ。
監督にとっても女優にとっても、
この時にしか撮れなかった貴重な映像である。
その瑞々しさは永遠だ。
チャン・イーモ監督作品「初恋のきた道」
(チャン・ツィイー 主演)も、
監督と女優が気持ちよく出会い、
二度と撮れない映像になっている。
「マイ・バック・ページ」に追加。


5月21日

お父さん、わたしが生まれたのは、東京の世田谷?」
「違うよ、杉並区。諏訪173。あ、違うね。杉並区関根町2番地。
そうか、違うよね。お父さんが生まれたのが、諏訪173。
新潟県中蒲原郡亀田町諏訪173
なんだ、最初に住んだ東京が杉並だね。」
娘が生まれたのは、横浜の山下町にあった病院だ。
Tさん家族に、逗子の海岸で会った。
わたしは、息子の彼女と先に海に来ていて、
Tさんには、妻はまだ来ないと言って
いる。Tさんの息子のK君は、
まだ小さいから夢なのかも知れない。
奥さんは日傘を差し、まぶしそうな目をして、
わたしがすぐには誰だかわからないみたいだ。
奥さんは言う。こんなに海が汚れている。泳ぐどころではない。
たしかに、海は汚れている。汚い。
海を見ていた目が、宙に浮いた。
カメラの電源を埋めるために、海岸を撮影技師と下見していたのだ。
なぜか、泊まっているロッジが、見えるところがいいという。
ここなどいい場所だといっていたところでTさんの家族が現れたのだ。
そうだ。汚い海から目が宙に浮いたのだ。
漁の専門家か、釣りの名人か。マグロを釣る餌になる魚が捕れたという。
仕掛けを拵えながら話す。
いま、これを、海に投げ込めば、まぐろが釣れる。
そう言っている男は見えるのだが、海は見えない。
船が走り出したのか、宙に浮いた目には、
右から左へ美しい海岸の光と影が動き出した。
停められ船、干された網など、ありふれた海岸の情景だが、
空気も、海の水も、淡いひかりに照らされて澄んでいく。
海に来てよかった。
ロッジに残してきた彼女は海を見ているだろうか。

これは、昨日見た夢だ。気分的に余裕がないと夢を見る

5月23日
マイ・バック・ページ」に成瀬巳喜男監督作品「山の音」を追加。
横浜シネマ・ジャックの「個性派俳優特集」(2001.6.23-8.3)は
これで終わる
(始まりがこの「山の音」からだったということだけど)。
この後は、青山真治「月の砂漠」、
川瀬直美「火垂」と続く。
シネマ・スペース」が
2002.3.17で止まっているのが気になる。
イタリア映画祭という変則な展開が
ペースを乱しているわけだけど、
このところ走れないでいることも、まずいよな。

6月5日 昨日は
ワールドカップ「日本対ベルギー」をテレビで観戦。
2-2の引き分けは日本の善戦であるが、
でも勝負だから勝ちたいよね。
このワールドカップは始まったばかりだが、
特別なサッカー・フアンではないわたしにも、
ひとつわかったことがある。
それは、ヨーロッパ、アフリカ、南米、アジアと予選を
勝ち抜いた世界の国々が対等に闘っているということだ。
だから、アフリカのナイジェリア、セネガル、カメルーン、
南米のパラグアイ、エクアドルなど、
世界地図で位置を確かめ、あらためて、世界を再発見し、
日本以上に真剣にサッカーに取り組み、
日本よりも強い国がたくさんあることも
実感している。

さて、「イタリア映画祭2002」の5月3日に見た2本を
「シネマ・スペース」に追加しました。

6月7日一週間が経つのが早いと感じる。
結構毎日、いろいろあって、
1日の終わりには、酒を飲んでいるという展開が続く。
「イタリア映画祭2002」の5月4日に見た2本を
「シネマ・スペース」に追加しました。

6月8日「イタリア映画祭2002」の5月5日に見た3本を
「シネマ・スペース」に追加しました。

6月9日ワールドカップは、どうしても
「国とは何か」「国家と何か」ということ
を考えさせる。国と国が闘うといえば、どうしても
戦争を思い起こさせ、今日の「日本対ロシア」戦では
日露戦争まで引き合いに出されて語られる。
どうも、ここで混同しやすいのだが、あくまでも、
ワールドカップは、サッカーの試合でしかないし、
ただのスポーツであり、世界的なお祭りである。
だから、野球の阪神フアンに
とっての阪神が勝つことの意味と
日本チームが勝つことは同じ意味でしかない。
わかりきったことだが戦争ではない。
世界の報道も、ワールドカップの話題は、
アメリカではほんの少し、
北朝鮮では全く報道されていないという。
参加国は、32か国。参加している国々では、
はじめて日本を知ったという人もあるだろうし、
もちろん、日本が活躍すれば、
サッカーフアンの多い国では、
日本の評価は上がるだろうし、
それは、「国際映画祭」において、
日本映画が評価されグランプリ受賞なんていう
ニュースと同じようにうれしいものだ。
どちらも、世界水準を視野に技術などを磨き、
見るものに感動を与えるということでは共通しているし、
この舞台をきっかけに、
世界マーケットへ進出するという展開
も夢ではない。いうなれば、
国とか国家を超える世界的なイベントである。
大いに楽しめたらいい。

「イタリア映画祭2002」の
5月6日に3本を「シネマ・スペース」に追加し、
これで、10本全てをアップすることになる。
「わたしのイタリア旅行」では、30本の映画が取り上げられ、
「パゾリーニ、夢の論理」では35本の映画が登場してたことになる。
とにかく、この4日間の体験はくたびれたが楽しかった。
とりわけ、新しい発見としては、
「そんなのヘン!」のアントニオ・デ・ニッロ監督、
「ダヴィデの夏」のカルロ・マッツァクラーティ監督、
「薔薇色のトラ」のトニーノ・デ・ベルナルディ監督との出会いであり、
ぜひ、他の作品も見たいと思った。


主催者関係者へ。
列んで待つ方法は、なんとかできないだろうか。
また、「わたしのイタリア旅行」を見て
思ったのだが、
ロッセリーニ監督全作品の上映を
土日や祝日を使ってやってもらいたい。

6月13日
「マイ・バック・ページ」に2本追加。
青山真治「月の砂漠」と河瀬直美「火垂」の2本だ。
どちらも、仙頭武則がプロデューサーとして関わっている意欲的な作品である。
映画をつくろうとするものにとっては、
ここでの刺激をすぐに、
じぶんの「作品」に繋げるということをしていくことが大事だと、
あらためて思う。
映画のコメントなんか書いている場合ではない。
と、いいながらも、
この「マイ・バック・ページ」を加速させていきたい。

6月15日 
「マイ・バック・ページ」に2本追加。
「横浜シネマ・ジャック」では、
2001.4.21-6.22まで日本映画監督を特集し、
山中貞雄「人情紙風船」(37)から小沢茂弘「渡世人列伝」(69)までの
42監督42作品の上映を行った。
すべてを見ることはできなかったが、
いま、プログラムをみて数えると、23本見たことになる。
そのなかでは、特に
成瀬巳喜男「浮雲」(55)、小津安二郎「晩春」(49)、
中川信夫「東海道四谷怪談」(59)
の3本に圧倒される。

6月16日
「マイ・バック・ページ」に4本追加。
監督特集だから、ここでは、監督名を書いておこう。
森一生・三隅研次・内田吐夢・小林正樹。

6月18日
日本映画監督特集の上映に重なって、
「横浜シネマ・ベティ」では
「フランス映画の輝き、イタリア映画の誘惑」と
題する上映が、
2001.5.19-6.8まで行われた。
それは、「天井桟敷の人々」(45)から
「魂のジュリエッタ」(65)まで
13作品であり、
未見の作品が5本含まれていた。いずれにしても、
時間があれば全て見たい映画だ。
結果的には10本見たことになる。
そこで、
今日は「マイ・バック・ページ」に
ルキノ・ヴィスコンティ監督作品
「若者のすべて」(60)を追加。

6月19日今日は、
「フランス映画の輝き、イタリア映画の誘惑」から
マイ・バック・ページ」に
「冒険者たち」を追加。

6月23日昨日は草取りと庭の手入れを手伝う。
一部筋肉痛である。
一週間分の仕事と飲んだりも加えての疲労が残る。

「フランス映画の輝き、イタリア映画の誘惑」から
マイ・バック・ページ」に
「フレンチ・カンカン」「夜と霧」「ヒロシマモナムール」を追加。
さらに、「日本映画監督特集」からは、
中川信夫監督「東海道四谷怪談」、
本多猪四郎監督「マタンゴ」を追加しました。

6月24日先週、
ジャン・ルノワール監督の「フレンチ・カンカン」を追加しながら、
「フレンチ・カンカン」の魅力
についてもっとうまく言えないかと
試みたがうまくいかなかった。
そこで、20年以上前に読んだ「ジャン・ルノワール自伝」を
引っ張り出して、ページをめくる。
最終章「国家という名の遺物」。
これは、「大いなる幻影」のコメントに補足する。

それに、「素晴らしき放浪者」を加えて、
今日は、2本のジャン・ルノワール作品と
よくわからなかったアラン・レネ作品「ミュリエル」を
マイ・バック・ページ」に追加。

さらに、この「自伝」の訳者あとがきを読んで、
「フレンチ・カンカン」の魅力にも思い当たると同時に、
この「自伝」は「映画のすべて」を語っていると感じる。

6月26日ジャン・ルノワール監督「フレンチ・カンカン」の
魅力についてのコメントを追加した。
「マイ・バック・ページ」のpage48をもう一度見てください。

6月27日今日は、「日本映画監督特集」から、
川島雄三監督「幕末太陽伝」、
千葉泰樹監督「がめつい奴」を追加しました。

6月28日横浜シネマ・ベティで
2001.5.19-6.8まで行われた「フランス映画の輝き、イタリア映画の誘惑」と
題する上映から、
マイ・バック・ページ」に「天井桟敷の人々」を追加。
この特集もこれで終わる。

「今回見て、この世界的名作が、
すぐれた恋愛映画であったことに納得するとともに、
人間関係に、さまざまな三角関係を生じさせながら、
嫉妬心と虚栄心に苛まれることになることを繊細に描きながら、
なにもかも思いきり笑いとばそうとする映画の力が感じられた。
やはり、この映画は、まさに、映画の理想型のひとつである。」

6月30日
昨日は、ワールドカップの共同開催国である韓国で、
「韓国対トルコ戦」の3位決定戦が行われた。
2-3で韓国が惜しくも敗れたが、
うなだれピッチにしゃがみこむ韓国選手を
トルコ選手が手を差しのべ、
抱き合って健闘をたたえ合い、
さらに、片を組み、
観衆の声援に応えると自然にスクラムが横に長く繋がり、
両国の選手たちが一体となるという
感動的シーンが見られた。
まさに、これは、
国を熱狂的に応援するという「ナショナリズム」が、
国を超えて世界に繋がることが可能であることを示している。
もちろん、
ロスタイムで一点差に追いついたことにもあるように、
再三再四トルコゴールを脅かした韓国の執念、
少ないチャンスを
確実に点に結びつけたトルコの技術力の発揮などというように、
みごたえのある試合内容であったからこそ、
「感動的シーン」への展開が見られたのだろう。
今日は、横浜で、
「ブラジル対ドイツ」の決勝戦が行われる。

日本映画監督特集」から、
市川崑監督「ビルマの竪琴(総集編)」、
渋谷実監督「やっさもっさ」を追加しました。

7月1日「マイ・バック・ページ」は、
いつのまにか、一年前を通り越して過去を遡っている。
この何年間に映画を見て、
記録したメモをみると1998.2.28という日付がある。
少なくとも、そこまでは、展開できることになるのか。
今日は、
「日本映画監督特集」から、
溝口健二監督「山椒太夫」、
小津安二郎監督「晩春」を追加しました。

7月6日今日は、「マイ・バック・ページ」に「日本映画監督特集」から、
木下恵介監督「野菊の如き君なりき」、
成瀬巳喜男監督「浮雲」を追加。

うーん、「フレンチ・カンカン」、
「天井桟敷の人々」、小津の「晩春」、
溝口監督、そして、木下監督、
成瀬の「浮雲」とつづくと、
いくらでも「きたるべき映画」が見えてきていいはずだ。
映画をつくる展開へのベースとして、
この「
NET.LUMIERE」がある。

日本映画監督特集は、
1940年代、30年代と戦前の映画へとすすむ。

7月8日昨日は真夏のような暑さになった。
国分寺に出掛けるなど、忙しさは公私とも続いている。
気持ちのいい汗をかけるといいということで、
減量作戦を再開したい。

今日の「
マイ・バック・ページ」は
「日本映画監督特集」から、
稲垣浩監督「闇の影帽子」38、
豊田四郎監督「小島の春」40を追加。

7月12日
減量作戦が一日で終わりそうだ。反省。

今日の「
マイ・バック・ページ」は
「日本映画監督特集」から、
丸根賛太郎監督「狐が呉れた赤ん坊」45、
マキノ正博監督「待って居た男」42、島津保次郎監督「婚約三羽烏」37、
清水宏監督「按摩と女」38の4本を追加。
**
イタリア映画祭2002」以来、
シネマ・スペース」が増えていかないのも気になる。

7月13日
今日の「マイ・バック・ページ」は
「日本映画監督特集」から、
伊丹万作監督「巨人伝」38、
山本嘉次郎監督「藤十郎の恋」38の2本を追加。
伊丹万作は、1900年生まれで1946年に病死する。
日本映画を語るのに、
欠かすことのできない重要な存在である。
言うまでもないが、
伊丹十三監督(1997.12.20 64歳で自殺)の父親である。
20年以上前になるが、古本屋で、
伊丹万作の厚手の三冊からなる全集を買ったことを思い出した。
それは、わたしにとって、大変高価な買い物だった。
うーん、日本映画の「知」は、ここに眠っている?

7月16日
今日の「マイ・バック・ページ」は
山中貞雄監督「人情紙風船」37である。
「日本映画監督特集」の最後になる。
いま、気がついたが、
この「ネット・リュミエール」にとって
100タイトル目であり、
「マイ・バック・ページ」の最初が、
まあ、偶然だが、山中貞雄の「河内山宗俊」だった。

少したちどまって、
考えたいこともあるのだが、
もうしばらく、
この「マイ・バック・ページ」を加速させていく。
次は、「増村保造」特集である。

7月20日
今日から「学校」が夏休みなる。
いつのまにか夏になっていたという感じか。
昨日の「N歯科」は、久々にハードだった。
金曜日は「N歯科」と決めた。

今日の「
マイ・バック・ページ」は、
増村保造監督「大地の子守歌」76「千羽鶴」69である。
戦前の映画から、増村映画にとんで、次は、ウオン・カーウァイ(王家衛)だ。

7月24日熱い夏が始まった。
マイ・バック・ページは、ウオン・カーウァイ(王家衛)の「花様年華」00。
97年の「ブエノスアイレス」次ぐ作品だ。
ウオン・カーウァイの作品について考えながら、
気の利いたことを言っておきたいと思い、
アップするのに時間を要している。
映画は自分で撮ってはじめて映画だよと思わせる監督だ。
それは、「ゴダール映画」は、見るもの誰にも映画を撮ってみたい思わせるのだが、
ウオン・カーウァイは、それを実践しているように見える。
ウオン・カーウァイの映画にとって、
トニー・レオンという役者、
クリストフアー・ドイルというキャメラマン、
そして「音楽」が重要なフアクターであることは、
言うまでもないが、映画は撮ってみなくてはわからない。
映画はスリリングな生き物だ。

7月25日「大島渚」の登場である。
私にとって「大島渚」は特別な意味を持っているのだが、
しばらくはこうした断片的な対応になる。
大島渚については「マイ・バック・ページ」
page10「神々の深き欲望」
の中で触れている。
奇跡的なカンバックを果たした
「御法度」99は、
予想を超えて十分刺激的であった。
もう、3年が経とうとしている。
うーん、大島渚について語る機会を逸したままか。
マイ・バック・ページを加速させる。

7月26日
今日の「
マイ・バック・ページ」は
赤い天使」66と「盲獣」69の増村映画2本を追加。

7月28日金曜日は「N歯科」と決めて、
一昨日もハードでした。
昨日は国分寺。
今日はマンションの組合総会が無事終了し、
理事長職任期満了となる。
まあ、なんとかひとつひとつクリアーしながら、
合間に、酒も飲んで仕事もし、
今朝は気分よく、少しだけど走ったよ。
とりあえず、もういちど、この「夏の減量作戦」?と言ってみる。

今日の「
マイ・バック・ページ」は
日本の黒い夏 冤罪」00を追加。
作品としては、評価していない。
しかし、熊井啓に対しては、
「松本サリン事件」を題材に映画をつくる確たる思いとともに、
強力なスタッフを結集させ、
映画をつくりつづける方法論に対し、
敬意を表したい。でも、やっぱ違うんだよね。
こちらも、もっと力をつけて、やって見せないとね。

8月3日
昨日は金曜日なので「N歯科」に行く。
「入れ歯」になるかのどうかの境目だから、
ここで、悪い歯茎を治療するということらしい。
局所麻酔をするのだが、ハードである。
左上、右上、右下とやっている。
来週は、左下ということになるのか。

さて、「
マイ・バック・ページ」のアップ
が遅れている。
「増村映画」にウォン・カーウァイ、
大島渚の一本とそして、
熊井啓の一本が挟まったところで
止まっている。
次は、増村映画に戻るのだが、
どうも、一本や二本をアップするだけでは、
うまくないという気持ちもあって、
まとめて、アップしたいと思う。
先を見ていくと、増村映画に
「新藤兼人レスペクト」
という近代映画協会50周年
と「三文役者」公開記念がクロスしてくる。
増村=新藤コンビといえば、
「刺青」「華岡青洲の妻」「清作の妻」などの傑作がある。
増村が、はじめて助監督についたのは、
溝口健二監督の「楊貴妃」55「赤線地帯」56である。
一方、新藤兼人には、
「愛妻物語」51や
「ある映画監督の生涯、溝口健二の記録」75があるように、
二人の出発点には、「溝口健二」の存在がある。
また、新藤兼人は、
戦前から美術を担当し、
溝口の
「忠臣蔵」41では、
建築監督(美術監督は水谷浩)として加わっている。
また、溝口と増村の繋がりでは、
製作者=永田雅一、
女優=若尾文子(溝口作品では「祇園囃子」53「赤線地帯」)
が浮かぶ。
うーん、増村映画に新藤兼人、
溝口健二か、
それに、吉村公三郎と思い浮かべながら、
映画は、「映画作品」の一本一本にあたっていくしかない
とあらためて思う。
次の「
マイ・バック・ページ」は
「増村映画」を少しまとめてアップする予定。

8月4日今日の「マイ・バック・ページ」は、
page81「妻二人」から、
本格的にあらためて論じてみたい「
清作の妻
までの「増村映画」の8本をアップしました。
増村さんなんて知らないという人のために、
page74「大地の子守歌」にある「紹介」を載せておきます。

マ2001年3.3-4.20まで「若尾文子と増村保造」と題して
増村保造監督作品が40作品上映された。
もう少し、監督のプロフィールを紹介しておこう。
1924年8月25日生まれ。
旧制第一高等学校、東京大学法学部卒業。
1947年、大映の助監督募集に合格し、
他方で東京大学文学部哲学科に再入学、学業と仕事を両立させて1951年に卒業する。
1952年、ローマの映画センターに送った論文が合格し、
イタリア留学。
帰国後は溝口健二監督作品の「楊貴妃」「赤線地帯」、
市川昆崑監督作品では「処刑の部屋」「日本橋」「満員電車」に助監督としてキャリアを積み、
1957年に「くちづけ」で監督デビューしたのが33歳。
1986年11月23日脳内出血で亡くなるまで57本を監督する。享年、62歳。

8月9日
「マイ・バック・ページ」に増村映画5本と
「新藤兼人レスペクト」から「母」を1本追加しました。

8月11日「マイ・バック・ページ」に増村映画4本と
「新藤兼人レスペクト」から「原爆の子」「鬼婆」「悪党」「人間」を4本
と新藤兼人「三文役者」の1本を追加しました。
「鬼婆」で100ページ目を数える。日本映画が多いとあらためて思う。
特集としては、「吉村公三郎」「増村保造」「新藤兼人」と続いて、
次は少し先になるが、
「黒澤明」「深作欣二」へと進んでいくことなる。
また、まだ、登場していない監督を挙げれば、
ジャン=リュック・ゴダール、
アッバス・キアロスタミ、
エリック・ロメールなどなど。

うーん、「シネマ・スペース」が
5月の「イタリア映画祭2002」で止まったままというのは、
バランスが悪いよな。
新しい映画では、
「光の雨」「KT」「ピンポン」
「海は見ていた」「猫の恩返し」など見たいと思うがなかなか見られない。

8月12日
「マイ・バック・ページ」に増村映画「青空娘」「くちづけ」の2本と
相米慎二「風花」、青山真治「EUREKA」の2本を追加。
今回、これで、
増村映画を20本アップしたことになる。

こうして、4本の映画を並べてアップし、
「きたるべき映画」を考える。

8月13日「横浜シネマ・ジャック」では、
2000.12.30-2001.3.2まで
「男優対女優」と題して、
男優では、「嵐寛寿郎」から「市川雷蔵」、
女優では、「山田五十鈴」から「浅丘ルリ子」まで、
日本映画の42作品が特集上映された。もちろん、全部は見ていないが、
今日の「マイ・バック・ページ」は、その特集から
藤純子」「高倉健」「渡哲也
司葉子」「田宮二郎」「若尾文子」の6本を追加。
多彩な顔ぶれになった。
藤純子の「引退映画」、70年「やくざ映画の傑作」、日活末期の「渡哲也」、
成瀬巳喜男の「遺作」、初登場の山本薩夫、川島雄三の「大映作品」。

8月14日
9日(金曜日)からの夏休みも終わる。
この間、「マイ・バック・ページ」25本をアップした。
どの映画たちも貴重だが、とりわけ、
青山真治監督「EUREKA」には大いに触発されるものがあった。
わたしには、2001年のベストワンである。

○増村映画の「処女作」、そして「二作目」という展開は、
映画が内容やストーリーを超えて「映画」になる「力」が
存在することを見せてくれている。

○マキノ雅弘監督「昭和残侠伝 死んで貰います」は、
フィクションとしてある映画のひとつの「映画の夢」を
忠実に実現している「傑作」である。

○新藤兼人作品からは、
映画をつくる方法やスタッフのあり方など含めて、
その「時代性」とともに、
なにがなんでも自力で映画をつくるんだという執念を強く感じる。

毎日走れる環境をつくろう。ということで、少しづつ始めています

さて、次回の「マイ・バック・ページ」は、
篠田正浩、今村昇平、そして、
ゴダール「はなればなれ」が登場します。

8月17日
先日、ほんとうに、遅ればせながら村上龍の
「希望の国のエクソダス」を読了。
二年前(2000.7.20発行)の作品だが、
2002年6月開催のワールドカップに「事件」の
展開をあわせてもってきているので、
やっぱり、せめてワールドカップ前に
読んでおかなくてはいけなかったと反省もし、
でも、中学生の不登校は、いまだに減ってはいないし、
自殺者が多いことも変わらない。
「この国には何でもある。だが、希望だけがない。」と
2002年6月に中学生に語らせ、
さらに、2008年には、
環境への配慮や地域通貨を導入した
人工的な気持ちのいい都市を実現
しつつあるという展開は、多くの示唆
を含んでいる
(一方で「欲望」が希薄化していることも指摘している)。
続いて、芥川賞受賞作の吉田修一
「パーク・ライフ」を読了。
いま、生きていることのかすかな「希望」のようなものが語られている。
これぐらいに書き込めば評価されるの?
映画でいえば、「ココニイルコト」に近いか。

さて、今日の「マイ・バック・ページ」には
篠田正浩監督「暗殺」、
今村昇平監督「にっぽん昆虫記」、
ジャン=リュック・ゴダール監督「はなればなれ
」の
3本をアップししました。

8月18日昨日は国分寺の行き帰りに、
長嶋有「猛スピードで母は」を読了。
最近見た映画でいえば、
イタリア映画「そんなのヘン!」を思い出した。
それは、離婚とか、こどもから見た「親」が描かれている
ということもあるが、
こうした題材と方法で「作品」になるんだなという感想だ。
作者がその内容に切実さを感じていることは
よくつたわってくる。
映画「GO」「ココニイルコト」「ウオーターボーイ」
を評価するように、
この「「猛スピードで母は」は評価できるし、
この母親の「りアリティ」は新鮮だ。
いま、「GO」の母親(大竹しのぶ)が思い浮かんだ。
小泉今日子で映画化したらいいかも。

読むこと、見ること、書くことをバランスよくやっていきたいものだ。

さて、次回の「マイ・バック・ページ」は、

市川
監督
「おとう60
キャス

岸恵

8月20日今日の「マイ・バック・ページ」には
市川監督「おとうをアップしました。
NET.LUMIERE」発信開始のちょうど、
一年前(2001年2月4日)に見た映画
ということにります。

8月23日
何故か、錦之助の「信長」になった。
今日の「マイ・バック・ページ」には、
「風雲児・織田信長」をアップしました。
昔は、「きんちゃん」といえば、中村錦之助のことであり、
そののちには「きんちゃん」といえば、萩本欽一のことになった。
日本には、無数の「きんちゃん」がいるのだろうが、
いわゆる「スター」としての「きんちゃん」は、
中村錦之助だけである。21世紀の「スター」を考える。

8月25日今日は、4本の外国映画である。
横浜日劇で「新春2本立」第2弾、3弾と銘打たれたものだ。
話題の洋画は、この「横浜日劇」の2本立で見ることが
できたらいいという気持ちがあるが、
どうも、いつもは、うまく見られないことのほうが多い。
「マイ・バック・ページ」に、
リドリー・スコット監督「グラディエーター」(ラッセル・クロウ)、
ジョン・ウー監督「M:i-2」(トム・クルーズ)、
ジョン・タートルーブ監督「キッド」(ブルース・ウイルス)、
クリント・イーストウッド監督「スペースカーボーイ」の
4本を追加しました。

8月27日
今日の「マイ・バック・ページ」には
マキノ雅弘監督「人生とんぼ返り」
(森繁久弥)、
成瀬巳喜男監督「おかあさん」(田中絹代)をアップしました。

9月1日中上健次(1992.8.12)が亡くなって10年になる
という「文芸別冊・中上健次」を拾い読みし、
いつ頃から熱心な読者ではなくなったのか
と思い返していた。
年譜をみると、
1983年(37歳)の「地の果て 至上の時」までか、
と思い当たる。
詩人である正津勉のエッセイ「夏の一日」に
痛く感じ入っている。
いま、生きていれば56歳。
中上健次の根源的な過激性は不変である。
中上健次という「文学者」としての存在は、
しばらく、忘れていた臨場感を呼びさまし、
刺激的であるとあらためて思う。

さて、「マイ・バック・ページ」は
小津安二郎監督作品「麦秋」をもって、
2001年に見た映画131本にコメントしたことになる。
この「麦秋」から、もう一度逆にたどって
みたいという気持ちもあるが、
この年の9月11日にアメリカで起きた「同時多発テロ」と「戦争」の
衝撃が、あらゆる映画(表現)
を吹き飛ばしてしまった「事実」を想起するにとどめ、
いままでどおりに、
時間を遡るという原則に立って、
たんたんとこれからも、
2000年、1999年と行けるところまで行きたいと思う。
一方、「シネマ・スペース」では
「イタリア映画祭2002」で止まった状態がつづいているが、
それは、言い訳っぽく言えば、
いま、現在どうしても「見たい映画」が
「うまく上映されていない」ということかもしれない。

今日の「マイ・バック・ページ」には
マキノ雅弘監督「昨日消えた男」
(長谷川一夫)、
「丹下左膳」(大河内伝次郎)、
「決闘高田の馬場」(阪東妻三郎)
溝口健二監督「祇園囃子」(木暮実千代)、
吉村公三郎監督「偽れる盛装」(
京マチ子)、
そして、小津安二郎監督「麦秋」(
原節子)の6本をアップしました。

9月8日
昨日は、国分寺に行く。
前日から、85歳になる父が、自力で歩けなくなり、
声も出なくなったという。
確かに顔色もよくなく衰弱している。
掛かりつけの医師に診てもらい入院することになる。
*
さて、「マイ・バック・ページ」は、2000年12月に突入し、
深作欣二監督「バトル・ロワイヤル」、
エドワード・ヤン監督「ヤンヤン 夏の思い出」の2本をアップしました。

9月17日 
9月12日に「父の容態が危ない」との連絡があって、
あわてて職場から国分寺に向かう。
16時30分頃に病院に着くと、やや持ち直しているという。
夜は兄と交替で父の様子を看る。
その後、予断を許さないという状況は変わらないが、
昨晩、横浜にもどる。

9月29日 9月18日17時54分肺炎のため父永眠(享年85歳)。
母の誕生日だったことも偶然か。
9月21日通夜、9月22日葬儀。
すべてが初めて経験することで戸惑う。
「お寂しくなりますね」
というご近所から「言葉」が心に残る。
映画「東京物語」を思い出す。

10月6日 
9月6日の夜に、飲みながら、
「宇多田ヒカル結婚」というニュースを聞く。
その夜久しぶりに夜中まで飲み、
7日には、予定どおり国分寺に出掛ける。出掛ける前に、
兄から「父の様子がおかしい」と電話があった。
まずいなあ、という思いをもって電車に乗る。
このところ、急ぐ気持ちがあるときは、
横浜駅から東海道線で東京駅に出て中央線で国分寺に下る。

その日午前中に入院ということなった。
その後、結果的には、酸素吸入を外せないまま、
9月18日に亡くなる。この日は、
前日の小泉首相と金正日総書記の会談において、
日本人拉致を認め謝罪したと大きく報じられ、
新聞の見出しには「拉致、8人死亡5人生存」とある。
歴史的に衝撃的なニュースと「父の死」が重なった。
いま、「宇多田ヒカル」「父の死」「拉致問題」
「よど号乗っ取り事件」などの言葉が
頭の中をめぐっている。

さて、やく1か月ぶりの「マイ・バック・ページ」は、
横浜シネマ・ジャックにおいて、
20世紀の日本映画ヒットパレード「愛染かつら」から
「ナビィの恋」までと題され42作品(2000.10.28〜12.29)が
上映され、そのうちの2作品、
曽根中生監督「天使のはらわた 赤い教室」、
村川透監督「白い指の戯れ」をアップしました。

10月12日今日の「マイ・バック・ページ」には
チャン・イーモウ監督「あの子を探して」

ジャン=リュック・ゴダール監督「気狂いピエロ」をアップしました。

この「気狂いピエロ」は、
「映画入門」として書こうとしていた
ものの部分である。
今後もこのように、
中途で終わっている「映画入門」の内容が
クロスしてくることになる。

10月15日
1999年1月「深作欣二特集」、
同年4月「黒澤明特集」に向けて、
「マイ・バック・ページ」を加速させていく。

今日の「
マイ・バック・ページ」には
坂本順治監督「顔」をアップしました。

10月19日今日の「マイ・バック・ページ」には
アンソニー・ミンゲラ監督「リプリー」、
ローランド・エメリッヒ監督「パトリオット」の2本をアップしました。

10月20日
今日の「マイ・バック・ページ」には、
はじめてテレビで見た映画が登場します。
まあ、もともと、テレビドラマでもあったということで、
監督=
本広克行/脚本=君塚良一/主演=織田裕二の「踊る大捜査線」。
そして、もう1本が、
ヴィム・ベンダース監督「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」 。
こう書いてきて、どちらも、
結構楽しめた映画だったよなという
記憶がよみがえってきている。

10月23日今日の「マイ・バック・ページ」は
ペドロ・アルモドパル監督
「オール・アバウト・マイ・マザー」をアップしました。

10月31日
10月26日付けの夕刊(朝日)に、
ジャン=リュック・ゴダール監督が
第14回高松宮殿下記念世界文化賞(日本美術協会主催)を
受賞するために36年ぶりに来日し、
23日には日本で初めての記者会見で、
1時間半にわたって独自の映画論を語ったとある。
是非、すべてのやりとりを聞いて見たいと思った。

この記事にも、
「日本には溝口、黒澤、小津、成瀬といった
数人の映画作家は、存在したが、
その国が何のかを表現する『日本映画』は
存在しなかった」、
大島渚監督の『青春残酷物語』は
「真の意味でのヌーベルバーグの最初の作品」であり、
「私やトリフォーより2、3年前に、
大島監督は既存の映画と全く違う映画を作っていた」、
新作『私たちの歌』にふれ、
「・・・これ以上のことを言葉で表現できるなら、
つくる必要はないですね」など、
大変興味深い発言が紹介されている。

わたしにとって、ゴダールの『映画史』など、
うまく読み解けない課題のままであるが、
@「映画を映画として享受し、映画を映画としてつくる」という原則と、
A世界レベルの普遍的作品が日本映画には存在したが、
「日本(日本人)という現実を映画として
語った世界レベルの映画がない」と、
ゴダールは言っているんだと思う。

今日の「マイ・バック・ページ」はトニー・ケイ監督  
アメリカン・ヒストリーX」と
ゴダール監督「気狂いピエロ」の2本を追加。
「気狂いピエロ」は、
page137「気狂いピエロ」の
まえがきのようなものだが、そのままアップしました。  

1月3日今日の「マイ・バック・ページ」は、
2000年8月5日-9月1日に、横浜シネマ・ジャックで
開催された第7回平和映画祭
全作品をアップしました。偶然すべてを見ることができた。

エイアル・シヴアン監督「スペシャリスト-自覚なき殺戮者-」、
フランチェスコ・ロージ監督「遙かなる帰郷」
今井正監督「キクとイサム」、
熊井啓監督「サンダカン八番娼館・望郷」、
サン・ペキンパー監督「戦争のはらわた」、
ジョン・フォード監督の短編ドキュメンタリー映画「ミッドウエイ海戦」「真珠湾攻撃」、
岡本喜八監督「激動の昭和史 沖縄決戦」、
そして小津安二郎監督「風の中の牝鶏」となっています。
この小津映画を「平和映画祭」に加えた見識は素晴らしい。
戦後の小津映画の多くの登場人物たちは、
まさに「戦争」の影を引きずッている。
その中でもこの「風の中の牝鶏」は異色である。
こうした終戦記念日の8月に、毎年、
横浜で開催される「平和映画祭」は貴重だ。

ゴダール監督の「その国が何のかを表現する『日本映画』は
存在しなかった」という発言へのコメントの続き。
これに対して、小津映画が戦後の
日本の夫婦や家族の有り様を丁寧に描いているし、
溝口、黒澤、成瀬だって、
家族や夫婦、男女関係などを通じて、
十分に日本を描いているではないか
と反論したくなるところだ。

ゴダールはフランスやイタリア映画と較べて言っているのだが、
それは、戦後日本が、「アメリカ占領」下で
スタートせざるを得なかったことなどとも関連する。
ゴダールも認めるように、「日本映画」は、
その映画表現が世界的レベルまで高められ、
優れた映画作家も輩出したが、
世界の中での日本文化は、いまだに、
十分理解されてはいないということなのだろう。

それは、じぶんのことをいえば、
映画を通じて外国映画を見て、
映画を映画として理解できたとしても
十分にフランスやイタリアを理解できたとは言い難いし、
外国映画への「批評」の困難性を痛感してもいる。

うーん、映画を映画として見て、
その美しさや豊かさを享受し感動することが大切なんだよ。

どこかで、ヒチコックが言っていたという言葉
をここに書いておこう。
「観客を本当に感動させるのは、
メッセージや演技などではない。
観客の心を打つのは、純粋に映像表現そのものなのだ。」

11月10日
11月3日、6か月ぶりに「映画館」に出掛ける。
坂本順治監督「KT」と
森田芳光監督「模倣犯」の2本を
「横浜シネマ・ジャック」で見たので、
久々に「
映画空間 シネマ・スペース」をアップしました。
「KT」に触発されて、
60年代、70年代の私の記憶に
残る年月日を思い出しながら調べてみた。
マイ・バック・ページ」も、
どこまでたどることになるのだろう。
1965年、わたしは14歳(中学3年)、
日韓条約の反対運動は記憶にある。
次回の「マイ・バック・ページ」は、
大島渚監督「日本春歌考」(
1967)の予定。

1965年ベトナム戦争(アメリカ、「北爆」開始)、
6月東京で佐藤榮作内閣と朴正煕政権は
両国内の反対運動を押し切って日韓条約に調印 、
1966年中国・文化大革命、6月29日ビートルズ来日、
1967年10月8日羽田闘争(京大生の死)、
1968年10月21日国際反戦デー・新宿騒乱、
1969年1月18日、19日東大闘争、
9月30日赤軍派「東京戦争」、
11月5日大菩薩峠で武闘訓練の赤軍は53名逮捕、
1970年3月31日赤軍派日航機「よど号」ハイジャック、
11月25日午後0:15三島由紀夫自決(享年45歳)、
1971年9月16日三里塚第二次強制執行、警官3名死亡 
1972年2月17日連合赤軍幹部森恒夫、永田洋子逮捕、
2月19日連合赤軍浅間山荘で銃撃戦 
3月7日連合赤軍リンチ殺人発覚、
4月16日川端康成自殺(享年74歳・1968年ノーベル賞受賞)、
5月30日テレアビブ空港乱射事件、岡本公三逮捕、
1973年1月1日森恒夫東京拘置所で自殺、
そして、
1973年8月8日金大中拉致事件

11月11日思いがけなく、シナリオを読むことなった
大島渚監督「日本春歌考」(1967)が
「マイ・バック・ページ」に登場です。
たまたま、「日朝会談」「拉致被害者の帰国」そして、
「KT」を見たこともあって
60年代後半を振り返っている。
こちらの事情としては、
書きかけて中断している
「映画入門」のエッセンスがクロスしてくるため、
この「日本春歌考」の記憶をたどることになった。
1967.2.11紀元節復活

大島渚監督「日本春歌考」は
ゴダールの「気狂いピエロ」とともに、
わたしの映画の原点である。

11月19日
かならずしも、いいペースとは言い難いが、
まあ、こんなところだろうか。
今日は「シネマ・スペース」に
木下恵介監督「楢山節考」「陸軍」の2本を
アップしました。

12月2日
新たに見た映画への展開としてある
「シネマ・スペース」に、
日本映画の古い作品がくるということはどうもうまくないな
という気もしてきたり、
見てすぐにアップすることも簡単ではないことに、
あらためて思い当たりながら、
11月26日に恒例の「利休庵」の会から、
楽しくスタートした忘年会等の日程調整も大変です。
昨年できなかった「ふぐを食べる会」は優先させたいと、
一昨日とにかく店に電話し予約しました。
今年は、あと高校時代のクラス会が「吉祥寺」と
久しぶりに会うなつかしい会が「相模大野」と
盛りだくさんになってきています。

うーん、読んでおきたい本もたまってきているな。
飲み会を減らせばいいのにねと声がするけど、
そうだよなといいながら、
どうも反省が足りない。
そんなこんなで今日のアップはありません。

ネット・リュミエール」としては、
やはり「
マイ・バック・ページ」を
もっと加速させることだよね。

昨日は、神奈川県民ホール小ホールで行われた
笠井叡(かさい・あきら)の
「オイリュトミーの時間」(ことばと音楽でダンスする)
と題した「舞台芸術講座」
に出掛ける。

12月4日今日は「シネマ・スペース」に
溝口健二監督・田中絹代主演の
「夜の女たち」をアップしました。

2月5日
昨日引き続き、「シネマ・スペース」に
中村登監督・山田五十鈴主演の
「我が家は楽し」を
アップしました。

12月7日今日は「シネマ・スペース」
成瀬巳喜男監督・山田五十鈴の「歌行燈」、
「マイ・バック・ページ」には「ゴダールの映画史」
をアップしました。
「映画史」はこの「NET.LUMIERE」の
生みの親でもあるが、
不十分なコメントに終わっている。
見てから2年以上経ったことになるのか。
いずれ本格的に論じてみたいとは思う。

客観的な事実などの確認を除いては、
「映画」そのものに自力で向い合うことを原則として、
この「ネット・リュミエール」の展開がある。

12月8日
今日はジョン・レノンが殺された日である。
「ビートルズ」について、
何かいってみたいという気持ちから、
「ビートルズ映画」が、
わたしの映画にとっては、もうひとつの原点であると思い出す。

「宇多田ヒカル」の歌について
書いてみたいと
3枚目のアルバム「DEEP RIVER」聞いて思い立ち、
9月に「First LOVE」「Distannce」
の2枚のCDを買ったところで、
おやじが死んだ。

今日は「マイ・バック・ページ」に
黒澤明監督・三船敏郎主演の
「用心棒」をアップしました。


「ムーヴィング・シアター」
更新されていない
という指摘もあり
気にしています。

12月12日師走を迎えて、
今年も読んでおきたい
と思っていた本が溜まってきた。
本を読む時間と
運動する時間をつくるには、
酒を飲む時間を減らすしかないか。
まあ、いずれも楽しんでできたらいいよね。
さて、今日は
「シネマ・スペース」
渋谷実監督・山田五十鈴出演「現代人」をアップしました。

12月13日今日は「マイ・バック・ページ」に
「グレン・グールド 27歳の記憶」をアップしました。
この映画を見た後しばらく、
グレン・グールドの
CDを聴いていたことを思い出した。

いま、手元にあるチラシに、
矢野顕子が書いている。
「私の女友達のひとりは、
小さい時にグレン・グールドの
コンサートに行ったことを
宝物のように大切にしている。
この映画見たら、
私達だってきっとそのように思うことだろう。
・・・・・・」

矢野顕子の歌も
最近は聴いていない。

12月16日忘年会的飲み会が続く。
どうも酒の飲み方がいまだに若いときの気分と変わらないようだ。
押さえて飲むことができない。
13日は同僚の女性が退職するという話しでは、
じぶんの勤めてきた過去を振り返る。
14日(討ち入り・吉祥寺)の高校時代のクラス会では、
確実に30年以上前の記憶をたどっている。話しは尽きない。
その夜国分寺に行く。一人住まいになった
母とは母が生きてきた時間(78年)
のすべてが会話の対象になる。
いずれも会話は弾み盛り上り大いに楽しむ。
なぜか、酔いが醒めて
ぼんやりした記憶の中では
「さびしさ」が残っている。

12月17日
左のCONTENTSにある下線が引かれたタイトルに
見覚えがあったら、
クリックしてみてください。
このサイトは、
「ネット・リュミエール」
「シネマ・スペース」
「マイ・バック・ページ」
「ムーヴィング・シアター」

の4つの構成になっています。

さて、今日は
「シネマ・スペース」
川島雄三監督:森繁久弥、山田五十鈴出演「暖簾」、
「マイ・バック・ページ」
韓国映画の「八月のクリスマス」をアップしました。

12月21日今日から3連休。
体を動かすことから始めよう。映画にも行けたらいいよね。
さて、今日は
「マイ・バック・ページ」
アッバス・キアロスタミ監督「風の吹くまま」、
ラッセ・ハルストム監督「サイダーハウス・ルール」
をアップしました。

12月22日昨日は
走ろうとして外へ出たら雨が降っているので、
しかたなく部屋に戻る。
そのとき、今日はすごく寒い日だと気がつく。
仕方なく家事や身辺整理しながら、
横浜で見られる映画のチェックをする。
「たそがれ清兵衛」「アイリス」「エメリ」
「ギャング・オブ・ニューヨーク」そして
、横浜シネマ・ジャックでは、
エノケン、シミキンなどの
「喜劇映画」大集合が始まっていると確認し、
年内に1本は見たいよなと弱気になっている。
だから、昨日は「散髪」と電球などの買い物だけになる。

夜のフジテレビで「中国から贈りもの」を見る。
張麗玲さんという中国人女性の
ドキュメンタリーなのだが大変感銘を受ける。
1967年に生まれ、16歳で北京で映画女優として活躍し、
その後、アメリカに留学したいという希望を持つ。
しかし、両親から「アメリカは遠いから日本にしなさい」
ということで21歳のときに日本へやってくる。
日本語は日本で学びながら学芸大学大学院を卒業する。
突然、1995年12月8日に「フジテレビ」を訪ね、
ビデオカメラを貸してほしいと申し出る。
日本へ留学してくる中国人たちのドキュメンタリーを撮って、
中国のテレビ放送で流したいという。
ここから、このドキュメンタリーが始まる。

張麗玲さんという中国女性のパワーがどこからくるのか
とにかく圧倒される。
それは国籍、年齢、性別を超えて、
その人を突き動かすものがあるのだろう。
また、ここに登場する日本人も素晴らしい。
そして、「奇跡」をおこす。
張麗玲さんの作品が、
中国で放送され大反響を呼ぶ。

さて、今日の
「マイ・バック・ページ」は、
スティーブン・ソダーバーグ監督「エリン・ブロコビッチ」。
「全米史上最高額の和解金を手にした女」を
ジュリア・ロバーツが演じる。
3人の幼い子供を抱え、
仕事も金もないという窮地に立たされたアメリカ女性が
「奇跡」をおこす。

12月26日22日と23日はうまく走ることができた。
24日のクリスマス・イブには、
昨年の小田和正の「約束」のような
番組がなかったが、
22日の夜中に録画した糸井重里
との対談を交えた「矢沢永吉」コンサートを見る。

さて、今日の
「マイ・バック・ページ」は、
再びというか、最初に見た「ゴダールの映画史」である。
どうも、ゴダールについては書くことは
難しいとあらためて思う。
うーん、「ゴダールの映画史」を
テキストやビデオを見て
十全に語りたいという思いは2年越しなるのか。

12月27日今日の「マイ・バック・ページ」は、
市川崑監督「どら平太」、
サム・メンデス監督「アメリカン・ビューティ」の
2本をアップしました。
とにかく、映画館で見た映画すべて
を載せていくという原則でここまできた。
タイトル数では、
「マイ・バック・ページ」が164本、
それに「シネマ・スペース」の36本を加えて
200本になった。

素っ気ない短いコメントから、
やに長いコメントととばらつきがある。
長くなるとどうも読みづらいという声もあるのだが、
もうしばらく、このままで、
1998年ぐらいまで遡ることにしたい。
映画館で見たすべての映画について
日付順に載せていく
という原則も変わらない。

12月29日
12月25日(23時30分・TBS)に
今年も、小田和正の「クリスマスの約束」
をやっていたことに気づく。でもどうなの。
また今年もやりますという企画ではないよな。
見られなかったことの負け惜しみです。
この日は「笑っていいとも!・クリスマス・特大号」
で「友達の輪」259組一挙公開
を全部見て遅くなったと思いながら、
あわてて寝てしまった。

12月28日には、松任谷由美と吉田拓郎の
今年行われたコンサートをBSで見る。
記憶に鮮明に残っている曲や詞のイメージに
出会って懐かしく思いながら、大いに楽しめたのだが、
どこか違うよなという印象も残った。

さて、今日の
「マイ・バック・ページ」は、
2000年3月25日から5月19日まで
横浜シネマ・ジャックで
「さよなら松竹大船撮影所」と題され、
「愛染かつら」から「釣りバカ日誌」
まで(38作品)の特集上映からです。
なかなか全部は見ることができないわけだが、
今回は9本しか見られなかった。

まず、今日は吉田喜重監督「秋津温泉」をアップしました。
もっと内容に踏み込まないといけないのだが、
松竹撮影所の映画をつくる力の
充実ぶりを十分堪能できる映画である。

12月30日今年最後の「ネット・リュミエール」です。
明日から国分寺、茨城に出掛けて1月3日に横浜に戻ります。

この「ネット・リュミエール」は、
ゴダールの映画史のように展開させながら、
映画をつくりだす運動のベースにしたいというのが、
わたしの「希望」である。
しかも、
それが資本と国家に対抗する運動としてあるということだ。

今日の
「マイ・バック・ページ」は、
「さよなら松竹大船撮影所」から、
大島渚監督「日本の夜と霧」、
篠田正浩監督「乾いた花」の2本をアップしました。
吉田喜重監督とともに、
三人は「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼ばれる。
若くして監督に昇進し華やかなデビューを飾る。
その後次々に松竹を退社し、
「独立」することになる。
三人とも「撮影所」で映画を学ぶことが
できた最後の世代である。

そして、「松竹」にとどまり、
「大船撮影所」最後の作品を撮ることになる
山田洋次監督も同年代である。

2003年1月3日
昨年は、結果的に36本の映画しか見られなかった。

今年の正月も穏やかな天気に恵まれたが、
久美子の体調を考慮し、
茨城には行かないで2日に横浜へ戻る。

今日の
「マイ・バック・ページ」は、
「さよなら松竹大船撮影所」から、
小林正樹監督「黒い河」、
川島雄三監督「学生社長」の2本をアップしました。

1月4日「きたるべき映画」を思う。
今日の
「マイ・バック・ページ」は、
諏訪敦彦監督「M/OTHER」、北野武監督「菊次郎の夏」の
2本を追加しました。
2本とも「いまどう映画を撮るのか」という課題を
「映画」そのものから発想して見せるということを自然にやっている。

「これでいいんだよ。」
「やってみなければわかんないよ。」と
映画をつくろうとするものへの
「メッセージ」にもなっている。

1月5日
正月休みも今日まで。
読みかけの本を少しでも読みたいと思っていたが、
なかなか進まない。

今日の
「マイ・バック・ページ」は、
「さよなら松竹大船撮影所」から、
吉村公三郎監督「暖流」、渋谷実監督「気違い部落」、
小津安二郎監督「東京物語」、
五所平之助監督「かあちゃん結婚しろよ」の4本と、
そして、トム・ハンクス主演・
フランク・ダラボン監督
「グリーン・マイル」を加えて5本アップしました。

結果的には「松竹大船撮影所」について
語るほど見ることはできなかったが、
映画が紛れもなくその時代を映し出す
鏡であることがわかる。

「撮影所」論は「スタッフ」論へと展開される。

1月7日今日の「マイ・バック・ページ」は、
ジム・ジャームシュ監督「ゴースト・ドッグ」をアップしました。

1月10日
今日の「マイ・バック・ページ」は、
堤幸彦監督「ケイゾク/映画〜Beaautiful Dreamer〜」
をアップしました。

1月11日こうして毎日更新しつづけることがいいよな。
さて、明日は川崎に映画を見に行く予定です。

今日の
「マイ・バック・ページ」
2000年1月-3月に
横浜シネマ・ジャックで上映された
「市川雷蔵映画祭」(60本)
から、
見ることができた最終プログラムの
森一生監督「薄桜記」、
安田公義監督「博徒一代血祭り不動」の
2本をアップしました。
「薄桜記」は、ちょっと寂しいコメントになっているので、
「ビデオ」で見直して、追加しようかと思いましたが、
「市川雷蔵」のビデオが他にも何本かあるので、
いつかまとめて見て掲載できればいいのかと考え直し、
そのままにしてあります。
また、「博徒一代血祭り不動」(1969)は
雷蔵の遺作となったもので、158本目の作品です。

1月13日
昨日(1月12日)深作欣二監督の
訃報をテレビのテロップで見る。
享年72歳。うーん、
前立腺がんだと発表されたときにも、
どうも、これも間に合わないかという
嫌な予感がしていた。
わたしにできることは、
「深作欣二論」へ向けて、
「マイ・バック・ページ」を
加速させるしかない。合掌。

今日の
「マイ・バック・ページ」
ドイツ映画(
トム・ティクヴァラン監督・脚本)
「ラン・ローラ・ラン」をアップしました。

1月15日12日、13日に、
昨年の11月から開催されていた
「映画美術監督 木村威夫の世界」
(川崎市市民ミュージアム)に出掛け、
映画も4本見た。
いずれ「シネマ・スペース」に登場することになる。
できれば、
18日、19日(最終日)にも
出掛けるつもりだ。

13日は、市民ミュージアムの隣にある
「とどろきアリーナ」が
成人式の会場となっており、
振り袖姿など多くの「成人」が見られた。
奇異に感じたのが、
会場の周りを右翼の宣伝カーがまわっていたことだ。
そして、随所に現役の政治家の幟が立てられていた。
しばらくして、なるほど、
いつもの見慣れた光景なんだと納得した。
新「成人」が「政治」や「国家」を
どう考えるのかと問われているわけだが、
成人式をターゲットにした右翼も政治家も
ただ「効果」をねらった旧「商売人」としか映らない。

月16日
「映像では描けない宇宙観、世界観に
文章で肉薄するのが仕事です」
「昔の名前で書いてますとか、
過去の焼き直し作品では、
文学の可能性は追求できない。
小説家はプロの山師。
一人で鉱石を掘り当て、研磨し、
デザインしなければいけない。

言葉のハイテクを使って、さらに奥底を
ほじくっていきたいんです」(丸山健二)
1月12日付神奈川新聞で
近著「月は静かに」について答えている。
最近の作品をなかなか読めないでいるが、
いつもながら、その発言には勇気づけられる。

今日の
「マイ・バック・ページ」は、
キルギスタン共和国の映画
あの娘と自転車に乗って」をアップしました。

1月17日今日の「マイ・バック・ページ」は、
中江裕司監督「ナビィの恋」をアップしました。

月18日
今日の「マイ・バック・ページ」は、
ベルナルド・ベルトリッチ監督「シャンドライの恋」
をアップしました。

1月19日今日の「マイ・バック・ページ」は、
テレンス・マリック監督
シン・レッド・ライン」をアップしました。
読み直してみて、「このままでいいのか」と少し迷ったが、
そのままにした。

映画を見るというのは、
ひとつの行為であり、どう見たかというのは
その時の見る側のさまざまな状況にも左右される。
だから、見る側の一回性としての意味として
書かれた「記録」と「映画批評」とは違うものであるが、
「映画批評」は映画を見るという行為からしか始まらない。

 1月21日
18、19日と「映画美術監督 木村威夫の世界」
(川崎市市民ミュージアム)に出掛けた。
また、映画を4本見たことになる。
映画の上映の後に、
木村威夫さんの話しが聞けたのは貴重だった。
ただ、帰りのバスが待たされるのは
何とかならないだろうか。

今日の
「マイ・バック・ページ」は、
M・ナイト・シャマラン監督
「シックス・センス」をアップしました。

1月23日今日の「マイ・バック・ページ」は、
黒澤明が遺した「シナリオ」でつくられた
小泉堯史監督「雨あがる」をアップしました。
「映画批評」はきちんと「シナリオ」にもあたってみる
ということが必要なんだよ
という思いを新たにするとともに、
役者も含めて「黒澤組」スタッフの力を思う。

月26日
今日の「マイ・バック・ページ」は、
ケン・ローチ監督「マイ・ネーム・イズ・ジョー」、
そして、ビデオで見た
ジェーン・カンピオン
監督「ある貴婦人の肖像」、
さらに、風邪をひいて
ビデオで見た映画など」を
アップしました。これで、2000年が終わり、
「マイ・バック・ページ」は2年間分を
アップしたことなります。

1999年は、エリック・ロメール、
黒澤明、深作欣二などが登場します。

1月31日2003年の1月も終わる。
29日に昨年できなかった「ふぐを食べる会」をやる。
毎年この日にやろうと決める(1月最終週の水曜日)。
今月どうも例年より寒いという感覚と
酒を飲んでいたことしか思い出せない。
もっと「軽快に走る感覚」を取り戻そう。

さて、今日から
「マイ・バック・ページ」は、
1999年12月へ突入です。
ジョン・ダール監督「ラウンダース」、 
ブライアン・シンガー
監督「ゴールデン・ボーイ」の
2本をアップしました。
新聞で紹介された記事を読んでいたのを思いだして、
「ゴールデン・ボーイ」を見に出掛けたのだが、
どうもどこの映画館か記憶が曖昧だ。
大井町か大森あたりだろうか。ハッキリしない。

2月2日昨日朝起きて、テレビのスイッチを入れると、
テレビ放送を開始(1953年2月1日2時)して、
50年という特別番組がNHKで始まっていた。
突然、動く「山口百恵」の映像が飛び込んできて驚く。
テレビという「映像」文化の中で育ったものにとって、
興味深い「特別番組」(16時間生放送)であり、
まさに自己史と重なる。
じぶんの50年を考える。
「何をやろうとして何ができて何ができていないのか」
50年前の日本の貧しさを思う。
50年、40年前の子供たちの映像は、
その貧しさを語るとともに、目の輝きが印象に残る。

グランドフィナーレを迎えた夜の12時少し前に、着陸直前の
スペースシャトル「コロンビア」の交信が不能となったというニュースが
テロップで流れる。

「初心に帰る」という言葉が
今日ほど実感されたことはない。

2月3日
昨年から気にして、
机に積んである読みかけの本
を少しづつ読んでいる。

「映画美術監督木村威夫の世界」で
見た映画について整理しているのだが、
なかなかすすまない。
映画美術が優れていることと、
その映画の評価とは必ずしも一致しないということが、
どうもうまくいえない。
だから、優れたスタッフを集めたから、
いい映画になるという保証はないということなども、
あたりまえなのだが、
そこをもう少しうまくいえないかと思っている。
「何故、いま、この映画を撮るのか、
と問うことから映画は始まる」と言ってみる。

2月4日発信開始1周年。
左のCONTENTS下、
ネット・リュミエールをクリックすると、
2002年1月から2003年2月3日まで順に
経過が見られます。
「マイ・バック・ページ」が192、
映画空間シネマ・スペース」が36と
合わせると200本超える。
これからも、
確実に本数を増やすことになるだろうが、
「きたるべき映画」に向けた展開が、
見えてこない。
毎月1本のペースでつくっていくつもりだった
「ムーヴィング・シアター」
更新できていない。まあ、しょうがないか。
一周年をひとりで祝う。

2月5日今日は「マイ・バック・ページ」に、
日本映画3本、森田芳光監督「39 刑法第三十九条」、
原田真人監督「金融腐蝕列島」、
そして大島渚監督「御法度」をアップしました。
この年の前半で黒澤明作品をまとめて見ているので、
どうしても黒澤作品とくらべて見ている。

2003年2月7日
今日は
「マイ・バック・ページ」に、
シェカール・カプール監督「エリザベス」、
篠田正浩監督「梟の城」をアップしました。
2本とも、うまく出会えていない映画だけに、
アップするのは、気がひけるが、
いままでのルールどおり
「映画館で見た映画全部」ということでいく。

映画を見て、映画が映画になっていくという瞬間に
立ち合うことが、映画を見る快感であり、
まさに至福のときを生きることになる。

映画は多くの費用と労力をもってつくられる。
多くの善意の人たちが支えている。
ひとつの映画が出来上がれば、
たくさん感謝の気持ちに包まれて映画は映画館にかかる。

映画の評価として、「つまらない映画だが、
音楽が素晴らしい。美術が見事だ。」ということがある
のかと疑ってみる。
すると、すぐ「そういう映画もあるよね」
という声が聞こえてくる。

文学や絵画など、あらゆる表現について語ることは、
受け手が「うまく出会う」ことから始まる。
出会い方にはいろいろあるよ。

 2月10日川崎市市民ミュージアムで開催された
「映画美術監督木村威夫の世界」
で見た映画8本をまとめて
「シネマ・スペース」にアップするため
準備中である。

今日は
「マイ・バック・ページ」に、
ビデオで見た「
山猫」(1963)をアップしました。
 監督はルキノ・ヴィスコンティ。この映画は
映画館では見過ごしたままだ。いままでに、
ヴィスコンティ映画は「若者のすべて」がある。
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2003年2月11日
今日は「マイ・バック・ページ」に、久しぶりに、
京橋のフィルムセンターに出掛けて見た
岡本喜八監督第一回作品「結婚のすべて」と 
鈴木清順監督「暗黒街の美女」の2本をアップしました。
これで、ちょうど200ページ目になります。 

2月13日
できれば、
毎日更新したいと思っているのだが、
なかなか難しい。
「シネマ・スペース」には、
「木村威夫の世界」での8本の映画が、
そろそろ掲載できそうだ。
最終日に見た「親鸞」と「空海」まできたのだが、
なんだか、映画から離れて、
「ふたりの日本人」に対する興味がつきない。

2003年2月14日
2月11日に「マイ・バック・ページ」が
200ページになったことを喜んでいる。
なんどか言っているが、
1999年の前半では、
「横浜シネマ・ジャック」で深作欣二特集と
黒澤明特集を見ている。
そこに、向けて、
「「マイバックページ」をさらに、
加速させていきたい。



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