天沼臨時総会の「別紙10-1」
解説付





 
 
 
「別紙10-1」の解説

これは、SDA教団の最大のスキャンダルと言われる理事長罷免謀議の行われた先の2003年天沼教会の臨時総会の直前に、三育学院学長から、罷免の槍玉に上げられた当時のSDA教団理事長に宛てられた手紙です。

これは、神の教会の中で地位を利用し、不正で陰険なはかりごとが実行された例として、教会はこのような陰険な組織工作を受容しないという明確な意思表示をして、教会の品位を守るために公開されることとしました。

手紙は全9ページに及び、これはそれぞれ光学スキャンで取り込まれ、モニターで読みやすいように拡大表示されています。それぞれのページの上にある赤い帯は、この文書の提供者の情報を表示していた部分を塗りつぶすためのものです。黒い下線や丸囲みは教団職員が既に書き付けていたもの、赤鉛筆の囲みは嵯峨野教会牧師がつけたものです。第9ページの朱色の丸囲みは、嵯峨野教会牧師が心を鬼にして読者に注意を喚起させるために施したものです。
 

この文書は三育学院学長の高橋義文氏が2003年10月8日付けで当時のセブンスデーアドベンチスト教団理事長の金城けんゆう氏に送ったメールであるとされます。天沼における緊急臨時総会が10月26日であったことを考えると、これは会議の直前に送りつけられたものです。内容は、大きく二つに分けると、(1)理事長辞任要求を出すのは三育学院の楢葉移転問題とは何の関係もない、という言い訳がましい主張と、(2)金城氏が教団理事長にふさわしくないことを言い聞かせる冗長な説明、です。

冒頭に、高橋氏は、「これは公開文書ではない」と断っていながら、「別紙10ー1」と表示されているように、これは理事会で公開されました。個人的なメールだと断りながら、実はこれは既に他者に閲覧されています。しかも、これは「立ち会っていただくという意味で、数名の方々に見ていただく事と致しました」とあり、結局これが緊急理事会の際に大量にコピーされて自己正当化のために全国から集められた理事に配られることを意図されていました。それゆえ、これはもはや個人的なメールとは見做されず、高橋義文氏の希望通り、より多くの客観的第三者によって読まれ、評価されるべきものであると考えられました。しかも、この文書のオリジナルは今年になって教団のゴミ箱に捨てられていたものを、心ある職員が発見し届けたものです。資料として配られた原本を乱雑に遺棄する教団執行部の杜撰な管理責任放棄の運営姿勢にも問題がないとは決していえません。従って、このメールを改めて教会員の前に提示することは、二重三重の意味で譴責であり、我々の教会の運営をあり方をシリアスに再考させるものとなると思われます。当資料は教団から捨てられたので嵯峨野教会が永久保存を行います。

高橋義文氏は、まず、袖ヶ浦移転問題が理事長罷免運動の原因となっているという指摘を、「事実と異なる、見当違いである」と弁明もなく一方的な主張をして、以後、そのような疑惑を表に出すなと言いながら、以後の主張を進めています。そのあたりは眞に虫が良いですね。

しかし、実際に、現状の経済力で教団も三育学院も、袖ヶ浦の旧キャンパス用地を買い戻す経済的基礎体力はなく、さらに、教団に困難な買い戻しを正当化するだけの明確な将来ビジョンを持っていた者はなかったのです。この状況は、理事長が金城から白石になっても変わりはなく、教会員から購入の理由を尋ねられた白石は、しどろもどろになって「これは我々教会の夢だからだ」としか答えることが出来ませんでした。この状況で金城理事長が教団内部で激しく対立するポイントは他には見当たりません。さらに奇妙なのは、高橋義文氏の以下の手紙の文を見ても、何の問題で意見が対立して理事長が職責に相応しくない応答をしたのかは何一つここに書いていません。そういう理由で、袖ヶ浦問題が理事長罷免のアクションと無関係という説明はまったく疑わしいです。

高橋義文氏は、そこで、金城理事長の辞任要求の理由は、「もっとはるかに根本的な、もっとはるかに本質的な、もっとはるかに深いところにあります」(原文のママ)と言って、それからひたすらとらえどころの無い精神論に話を逸らせています。新名氏の説明を、自分からは何の説明もせず、ひたすら非原則的非客観的非学問的ともったいぶった形容詞を並べて切り捨てているだけで、説明責任も果たしていません。口だけなのです。

それから数ページにわたって、高橋は、問題点を指摘するのに直截な言葉を使わずに、「(金城先生が)お気の毒に思われてなりませんでした」とか「なんともやりきれない気持ちになりました」という主観的なセンチメントを語り、「もっとも、(金城)先生のお気持ちは理解できるつもりです」とか「教会員に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです」だの「(金城)先生は、いったいどこに立っておられるのでしょうか」「私は総会の場で先生と議論はしたくない、するべきではない、とずっと思いつめるように考え続けております」というような、文弱文学青年が、いちいち言わなくてもいいものを、さも人の心を察しているような勿体つけたポーズを取るのに余分なページ数を費やしながら、脈絡も一貫性も無い主張で金城けんゆう氏の理事長不適格性を揶揄しています。これは圧巻です。人格障害の患者の作文にも酷似しています。このような脈絡の無い思考を問題点の「客観的で妥当性がなくてはならない」(第一ページから引用)議論と混同するような人を牧師に神学を教える立場に置くのがふさわしいのかはもっと真剣な再検討がなされるべきではなかろうかと懸念します。

結局、これを丁寧に読み返して、高橋義文氏は一体何を言いたかったのかと吟味してみると、やはり、何かの対立する見解の相違があって、それに対する応対の仕方が高橋氏の側にとってまったく気に入らなかったという結論でしかありません。それを、不愉快だと言って苦情を言えば済むことだったのか、金城理事長をやめさせる程のものであったのかという説明は何も無く、教会の内部で何が理由でそういう峻険な対立を来たしたのかという説明は少なくとも高橋氏の説明ではまったくなされておらず、或いは意図的に省略したものと思われます。

あとは、読んでみるとわかりますが、「理事長はかくあれかし」とばかりの陳腐で中身の無い精神論の執拗な開陳で終わっています。曖昧な精神論という棍棒で金城氏を殴りつけているのがこのメールの本質です。これが一体、どこが本質的で、はるかに深いのか、普通の読者には理解しがたいものがあります。しかも高橋氏はこのメールを「立ち会っていただくという意味で、数名の方々に見ていただく事と致しました」と自信満々で公開しているのですが、こんなナンセンスな精神論を思い詰めて憔悴したセンチメンタリストの主張に立ち会っても納得させられる権威が感じられないというのが正直な感想であります。

今回の罷免劇が起こるかなり前から、三育学院の学長の家には、金城氏をよく思わない教団元幹部とか学校関係者が出入りして物々しい雰囲気であったと学生と職員から目撃されています。高橋義文氏が今回の出来事の裏方コーディネイターとして普段にないほど積極的に立ち回っていたのです。しかも、その謀議の指南役が、故金澤氏であったようです。これについては更に状況証拠として、教団機関の非公式な場で、金城のひき下ろし工作の陰謀の計画を打ち明けられた近藤光顕牧師が「信徒からの信頼を失う危険が大きいので思いとどまるように」と忠告致しましたが、高橋は聞かず、かえって「やるからには必ず勝つ方法でやる」と豪語したという証言を三育学院内部関係者から得ています。同じ情報は、本人からも間接的に嵯峨野教会に寄せられています。

ですから今回の謀議も実は高橋義文の一党が周到にはかったものであるのは、明らかなのですが、少し長くなりましたが最後に一つとどめを刺すという意味で、本文書のどうにも見過ごしにならない致命的な問題点を一つ指摘しますと、この手紙の最後に私が朱色で囲んでありますように、高橋義文氏自身が金城けんゆうの理事長の資質を問題にしてこれだけの誹謗中傷の言辞を叩きつけておきながら、理事会の前にも後にも直接会うことなく、話し合いも議論もせず、罷免工作を行ったと言う事です。この卑怯さは金字塔ものです。聖書には何と書いてあるか、高橋義文氏が読んでいないと困るので、ここに引用を行いますと、

1テモテ5:17-21 
い指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。
聖書は、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」また「働き人がその報酬を受けるのは当然である」と言っている。
長老に対する訴訟は、ふたりか三人の証人がない場合には、受理してはならない。
罪を犯した者に対しては、ほかの人々も恐れをいだくに至るために、すべての人の前でその罪をとがむべきである。
わたしは、神とキリスト・イエスと選ばれた御使たちとの前で、おごそかにあなたに命じる。これらのことを偏見なしに守り、何事についても、不公平な仕方をしてはならない。

地方にはもっとひどい素行の悪い牧師が赴任してきても「神によって立てられたなら逆らう事は出来ない」等といって教会員は忍耐して来たと言うのに(私も忍耐しましたが)、かたや高橋義文氏は学長と言う地位を悪用して、神の摂理で立てられた理事長を、尊敬も払わず、正当な理由を証言できる証人もいないの訴えを起こし、人に見えないところで理事長罷免工作の企画立案者になって教会を混乱に陥れた罪は小さくありません。これでよく、「教会員に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです」なとどいう恥ずかしい御託が平気で言えたものであると驚くばかりで、そこにも高橋氏の教会運営倫理の欠落が垣間見られますが、上の聖書のみ言葉に従いますと、こうして文書10-1が出てきて、明らかな不正が確認された以上、私も神とすべての人の前で高橋学長の罪を謹んで咎めさせていただこうと存じる次第です。

いずれにしても、学院の移転の利害をめぐって、なりふりかまわぬルール違反の造反劇を行った責任は明らかにこのあたりにあるとみられています。混乱を発生せしめた確信犯である高橋義文学長の責任は看過できません。
 

 




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