嵯峨野教会牧師の出立の由来



1975年三月にバプテスマを受ける。下の写真は洞爺湖。水温は水の最小体積の摂氏4℃。
雪が降っているのが写っている。この時の洞爺湖のキャンプミーテイングの受洗者は私だけ
であった。

温泉の浴場を借り切ってバプテスマ式をするつもりでのんきに構えていた当時の北海道教区
の教区長に「せっかく家族の反対を振り切って来たのであるから冷たい湖でバプテスマを受
けたい」と言った所、急遽、新名忠臣先生が代わりにこれを行うように命令されたのだった。
それは今思えば摂理であったと思う。
 


 

受洗直後の光景
実はこの場所の湖底はゴツゴツした火山岩で敷きつめられていて、ただですら歩きにくい所であり
その上に水が冷たくて、容易にバランスを崩して倒れそうになる所だった。それで、裸足は危険だ
というので、この二人は写真では見えないが、下駄をはいて湖に入った。洗礼を施した新名忠臣
牧師は足の感覚が無くなっていたそうだ。この時の事情は新名氏のエッセイ、「わが青春は主の
ために」(福音社刊 1980年)の175ページにも記されている。


 

下は、その時のバプテスマ直後に撮影された、キャンプミーティングの全体写真。前から
二列目の中央にいる文弱青年のように見えるのは、冷えた水から上がった直後の私。
この写真を非常にアポカリプティックにしているのは、私が意図しなかったのに、教団幹部
を両側に揃える様な真ん中に座らされていることである。誰の発案でこういう写真になったのか
今となっては覚えていない。ちなみに私に向かって左にいるのは、三育学院学長の新垣茂、
その隣は北部会長の横溝幸男、右隣は当時の北海道教区長西浦捷祐(翌年東京衛生病院
に左遷)、総務の曾根田健二、更に教団総理の岡藤米蔵、左端の起立者は売間正男三育フ
ーズ社長(敬称略)、という蒼々たるキャストだった。この教会でバプテスマを受けて最初に受
けた待遇がこの通りである。しかし、ヨセフの夢と同様に、これが私の前途にどのような困難を
来たすものになるかなど、この時は想像することすらできなかった。
 
 


 

矢印が嵯峨野教会牧師。服に"Jesus is coming again"と黄糸で自分で縫い取りをしている。
実は、なぜかこの時からユダヤ教のような帽子をかぶっていた。ちなみに左隣は洗礼式を行
った新名忠臣牧師。右隣は当時岩見沢集会所を切り盛りしていた鷲谷姉妹であり、右端の
鎮座ポーズは新名幹二牧師。その直後は現在仙台教会牧師になっている森博光氏で、当時
は神学生で帯広の文書伝道活動に奉仕しておられた。

撮影場所はキャンプミーテイング会場になった洞爺湖観光ホテル入り口前。
 


 

私の前後にも、別な場所でバプテスマを受け、その後数年の間、教会で交わった
兄弟姉妹もあった。しかしその魂の大半はいろいろな理由で失われていってしまった。
そうした人達の事を時々今でも思い出すと心が痛む。


嵯峨野教会牧師、及びファミリーの写真は後日漸次任意追加予定