エレンGホワイトの「預言」の再検証
エレン・G・ホワイトの存在は現在のSDA教会内部において様々な議論を呼び起こしています。ホワイト夫人の書き著わした書物は「預言の賜物」と呼ばれていますが、「預言の霊の賜物」は黙示録に従うと最後の時代に神の戒めを守る人々に与えられると言うことになっています。そこからホワイト夫人の書物の存在をもってSDAが真の教会であると言うことを証明・納得させようとした組織的護教論が発生しています。一方それに対してSDA教会内部のリベラル主義者達は、何とかしてホワイトの証の文の権威が無効である事を証明しようと「スペクトラム」などに論陣を張っています。およそ後者の説は、ホワイト夫人の証の文は他の文学作品やニュースコメンタリーからの剽窃であるとか、ホワイト夫人が素行が悪かった事を例に挙げて預言者としての資格を疑問として糾弾しています。
彼女は預言者だったのでしょうか? そもそも預言とは何でしょうか?
彼女の生い立ちを簡単に振り返ってみましょう。エレンは1827年にメイン州のポートランドで生まれました。アミッシュで、世界的に著名なMasonとIlluminati、およびキリスト教に似せたその下部機関であるWatch TowerやMormon等の批判的研究者の一人である Fritz Springmeierが書いた"Be Wise And Serpent"という本の第1章に、エレン・ゴーハムが実は「ユダヤ人」であること等の情報が出ているそうですが、現在確認をとっています。彼女の生まれた当時はポートランドは田舎の町で、家の回りは広大な空間が広がっており彼女もそういう広々とした所に住むことを好むようになりました。まもなくメイン州もヨーロッパからの移民が押し寄せてきてだんだん人口密度が高くなり、家の前に広がっていたポートランドの浜辺も埋め立てられて鉄道の操車場にされてしまいました。そういう自然の広がりへの憧れが後にホワイト夫人を西へ(つまりカリフォルニアやオーストラリアへ)動かした伏線になっていると言われています。
彼女が9歳の時、近くの小学校に通っていましたが、学校の同級生に不注意に投げられた石が顔面に命中し、鼻を骨折して意識不明になると言う事故がありました。この時は意識が回復するまで3日もかかったと記録されています。意識が戻っても、小学校の教師から勉強の継続は不可能と言われて、そこで彼女は小学校を中退しなければなりませんでした。この時に彼女が一体どういう損傷を受けたのかは今となれば墓を掘り出して陪検を行っても特定できないかもしれませんが、この描写から判断する限り、静脈洞に感染を起こして、側頭葉内側を損傷した可能性が有ります。後の彼女の突発的な意識消失は従って側頭葉てんかん発作であった可能性があります。しかし、それは彼女が預言者にふさわしいかどうかには全く関係のない事です。
彼女が12歳の頃に、ちょうどウィリアムミラーによる覚醒運動と再臨運動キャンペーンがあり、いろいろなキリスト教の教派からも信徒や聖職者が関心を持って集まっていました。エレンも母親と一緒にその話を聞きに来ていたのです。この再臨運動のバックとなっていた思想は、旧約聖書ダニエルの2300年の後聖所が清められるという預言を、エルサレム再建許可命令が出された時から起算すると西暦1844年に当たるので、この時こそ待望のメシヤであるキリストが再臨するであろうという考え方でした。しかし、結論から先に言うと1844年のRosh Hashanaの時(ユダヤ暦に従った祭日)にはキリストは来られず、緊張して待っていた人は大失望を味わいました。そこで再臨運動は頓挫を来し、失望した多くの人々が信仰から離れて行きましたが、一方、自分達の聖書理解には間違いがあったか認識の詰めが甘かったのではないかと反省した人々は、ミラーの趣旨を引き継ぎました。(しかし、当ホームページの読者は既に気がついておられるように、2300年の起算点そのものが間違っていたので、1844年という年代には実は意味がなかったのです。)
SDA教会史では、ホワイト夫人が召される前に、ヘーゼン・フォスという者が預言者として召されたが、彼が招命を拒み、その結果彼女が預言をするように召されたという経緯が書かれています。つまり、ホワイト夫人はその時点では必ずしも彼女でなければならないとするプライム・チョイスではなかったという事です。これは大切なポイントです。つまり、神は世で力あると見なされている者のかわりに、弱くて世の中で軽んじられている女子を選んだのです。
SDA教会史では、ホワイト夫人が眞の預言者である証拠として(野崎氏の「最後の真の教会」に書かれていますが)、預言者は呼吸をしないとか、目を開けているが反応しないとか、重い聖書を十数分も持ち上げ続けていたとか、いろいろ書かれていますが、こうした特徴は側頭葉由来の複雑部分てんかんの症状であると考えられます。それに、こうした所見を預言者であることの証拠とするならば、預言者はてんかん発作を起こさなければならない事になってしまいます。実際に聖書の預言者がてんかん持ちであったという証拠は皆無です。パウロも手紙において預言の賜物を自ら求めるように健康な信者に対して薦めているのであり、野崎氏の述べた預言者の判断基準は全然正しくありません。
また、預言の賜物が与えられたのがホワイト夫人だけであったとする前提的考え方は大いに再検討を必要とするものであると考えられるのです。なぜならば、ホワイト夫人以外にも預言の賜物を受けている人々がSDAのグループの外にも存在しているのではないのかという可能性を排除できません。
エレンGホワイトのさまざまな発言に教会の中でいろいろな尾ひれが付けられています。ホワイトの著作が剽窃であるとか、教養のない馬鹿女が書いた駄文を回りの人が気を遣って一生懸命修正粉飾していたのだという説を主張している人々もいます。確かに教団組織として、ホワイトの預言者としての権威を守るためにさまざまな人為的工作を行った事は事実であり、それは正しいことではなかったという主張は正しいと思います。少なくともそれは教団教会組織が世界の前で悔い改めなければならない罪です。ところが、ホワイト夫人が誤ったインフォメーションを受けて、それに対する神の回答として幻を受けてケロッグを譴責したという事件、ケロッグから汚い方法で金を騙し取ったとかいうエピソード、若いときに淫乱礼拝行為を指導していたとかいう事などを挙げてEGWは倫理的にも預言者失格であるとする主張もあります。教団のホワイトの預言の霊の権威を否定したい一部の指導者は、そういう事柄をならべて隠し議題として温存していても、すぐにこれらの事実を公表するとエレンGホワイトを心から信じて間に受けている「未熟」な教会員にショックを与えるとしてあえて事態を説明するようなことはせず、むしろ年配の信仰者が死亡して徐徐に教会が世代交代するのを待って正式に「脱ホワイト宣言」に持ち込もうというハラです。その為には今教会員がこのホワイト夫人の預言者性の問題を真剣に反省して成長するのを見るのは望ましくないと考えているのかもしれません。しかし、次の段落から述べるように、そこから、ホワイト夫人の預言者の資格を完全に失効させるという結論を導くのはまったく考えが甘チャンなのです。
そもそも旧約聖書創世記にはアブラハムの事について、「いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません(創世記20:7)」として彼を預言者としています。しかしアブラハムが自らを預言者と称していたわけではなく、単に神に従ってカルデヤのウルを出て来たのに過ぎませんでした。またサムエル書上の10章には発狂してダビデを追ってきた悪王サウルがサムエルの所に来て突然神の霊が下り、預言を始めて、「もとからサウルを知っていた人々はみな、サウルが預言者たちと共に預言するのを見て互に言った、「キシの子に何事が起ったのか。サウルもまた預言者たちのうちにいるのか(10:11)」と言わせています。このように預言者とは、まず第一に神がその時に応じて霊を下らせて起こすものであるという認識を持つ事が必要です。またホワイト夫人がデユオニソス的な乱交パーテイをしていたのが逮捕されて警察の取り調べ調書にも残っているというクレームもあるらしいですが、それの真偽はさておいて、事実であったとしても、ダビデが淫乱心を起こして他人の妻を犯し、さらにそれを自分の物にするために夫を謀殺したという事実があったにもかかわらず、神の前に悔いくずおれたがゆえに(罪の厳しい懲罰は免れませんでしたが)国の王として立てられていた事を考えるなら如何ほどの問題と言えるでしょうか。今このSDA教会の中から婚前交渉をしていてその罪を悔い改めていない者を排除する事にしたならば、恐らく中年以下の若い教会員の半分はいなくなる事でしょう。よってホワイト夫人の罪をもって彼女から預言者の資格を剥奪しようとする者は、まず自分の教会員の半分を糾弾して教会から放逐するべきです。
ホワイトが眞の預言者であるかどうかは、その勧告がなした結果を見ればわかります。まず、ホワイトの勧告に従ってセブンスデーアドベンチスト教会が立てられたのは、教会内外の誰の目から見ても明らかです。はじめに与えられた神の勧告に従った結果、この教会が、安息日第七日を信じ、健康の原則を再興し、霊魂不滅説が非聖書的である事を明らかにし、メシアの再臨を強調するという、ユニークな教会として生まれました。ホワイトのこの貢献なしに、この教会はそもそも存在しなかったのです。たとえ悪王の国であってもサウルのイスラエルであったように、この教会は多少頼りない、教会の権威に訴えがちな優柔不断で小心者の預言者であったとしても、曲がりなりにも神の言葉を伝達し、みこころを行わしめた預言者であったという事には間違いがありません。また、最近日本でも盛んになっているように、EGホワイトの健康の原則の勧告を受け入れてそのまま実行しているような、「ニュースタート」と言われるようなプログラムを行う人々がいますが、これらの人々は健康的にも向上し、肉体と信仰の両方で祝福されています。しかも、今日の公衆衛生の知識はエレン・ホワイトの勧告が予防医学的に正しかった事を裏付けています。ホワイトが偽預言者であれば、彼女の言葉を受け入れて従ってもこうした祝福が起こるはずがないのです。
ここにホワイト夫人の証の文をめぐる Adventist 教会の態度の中にみられる公然とした矛盾の一つを切り出してご覧に入れましょう。
ホワイト夫人が預言の霊を持っていたことを教会の権威の源としていながら、一方で解釈の時代制限をつけている事が、SDAが最後の真の教会であるとするクレームの信頼度を自ら落としている事に気がついている教会員はどれほどいるでしょうか? 具体的に、SDA教会の人々は「ホワイト夫人のメッセージはその時代の人々の文化や生活習慣の背景があって書かれたもの」と考えていますが、しかし、ホワイト夫人の預言の言葉の有効性がその時代によって既に左右されていると言うことを認めるならば、過去においてホワイト夫人を通して教会に預言の賜物が与えられた事実がその当時の信者の一群を「残りの民」として選ばれたという事実があっても現在のSDAの信徒の集まりが「残りの民」として数えられている保証にはならなくなる事を認めなければならなくなるのではないでしょうか。言い替えるなら、預言の霊の賜物の有効性が時代によって隔離されてしまっているのではないかと言うことです。この預言の霊の時代隔離説には、イスラエルの民が神から律法を与えられて、その祝福は従うものに何世代もの間続いたではないかと言う反論があるでしょう。しかしながら、イスラエルの民は,ちょっと2、3世代前のメッセージすら解釈を朝令暮改に変更するSDAの民と異なって、「モーセの律法は与えられた時代が異なるから我々には当てはまらない」とは絶対に言わなかったのです。その点で明らかにSDA教会はイスラエルの民と比べて与えられた賜物を忠実に継承する事が難しい状況にあると言い得ます。継承出来ないなら恵みが隔離されても文句は言えないのです。
今の場合、SDAの預言理解は、預言の賜物の与えられた先をホワイト夫人一個人のみに帰すことを前提としておりまして、それでいてメッセージに時代の普遍性が無い所では彼女の言葉を容赦なく切り捨て、抽象的な精神論の部分ばかりを持ち上げてきたように見えます。もし我々がホワイトのメッセージを神の賜物と信じていながら同時にメッセージの有効性に時代制限をつけるなら、過去のホワイト夫人の預言の賜物が現在のSDA信徒になんら特別な益を与えていないことになります。しかもホワイト夫人の精神論が在来のプロテスタンテイズムと思想的に大差がないならば、SDAは他教会と同等同質になってしまい、ホワイトの精神論すらも預言として与えられる必然性を喪失するでしょう。その結果、現在のアドベンチストがいまだ特別な教会である理由がなくなります。SDA教会は本当に特別なのか?というシビアな反省がなされなければならないと思います。したがって我々の教会が預言の賜物を所持している事実を主張するならば、我々はホワイトの預言に時代の適用制限がない事を受け入れるか、または、SDA教会(または残りの教会)の預言者はホワイトで終わりになるはずがないという常識的推論を認めるかのいずれかの選択をしなければならないのです。第三の選択があると主張するなら神と預言者を欺くことになるのではないかと懸念すらされます。しかし、ホワイト夫人を一方的に否定するのは、一方的に持ち上げるのと同様に既に神を欺いているのです。
こうしたホワイト夫人の預言の霊の賜物の存在を否定しようとする教会内の議論は、過去に於けるホワイトを利用した教会権威の確立のための強引な人為的操作の反動であるというのは、ほぼ間違いがありません。すなわちホワイト夫人の言葉は、神のメッセージの部分も、霊感のない日常会話や教会機関誌の投稿文の部分も、見境いなくまぜこぜにされたり、編集や粉飾の手が入れられてしまったという状況において、発足間もないアドベンチスト教会がホワイトに与えられた聖霊の権威を傘にして自らの人間的教会の権威を建て上げるのに都合よく利用していた、そこで今になってその反動が来て自ら批判的になっているのだという解釈です。もしそういうことであればホワイト夫人の預言の霊の言葉は既に人間的に不純にされており、彼女の霊感の言葉から神のメッセージを読み取るためにはセブンスデーアドベンチスト教会の成立以前にさかのぼらなければならないことになるでしょう。あるいは、私たち自身が神から預言の霊を受け取らなければならなくなるかもしれません。神の権威は、教会の権威に影響されてはならないといういうことです。
これらの事実はアドベンチスト教会の内で既にふるいが始まっていることを示しています。
このコラムに関するご意見をお寄せください。それに従って、ここにそのフィードバックと更に深いホワイト夫人に関する考察を追加して行きたいと思います。エレンGホワイトの実際の発言、ボケカス雑誌「スペクトラム」のコメント、日和見教団やふぬけ世界総会のコメントも当ページに徐徐に追加して行く予定です。本来は教団が、SDAの教会員、求道者のみなさんの信仰意識を高めるためにこれ位の事をしなければなりませんが、現状ではどうもしてくれそうもないので、バーチャル嵯峨野教会牧師である不肖なる私がその光栄ある務めをここに開始します。ご意見の送り先は、下のEメールバナーをクリックしてください。なお、お寄せ下さる意見はすべてここに公開しますが、原則として希望がない限り意見発信者の実名は一緒に掲載しない方針です。
この記事へのフィードバックの紹介とそれに対する嵯峨野教会牧師のコメントのコーナー!
パンパカパーン! お待ちかね、ホワイト夫人は完全無欠な偉人だったと信じる人と、ホワイト夫人は偽預言者であると言って彼女を切り刻む人々を、両方仲良く冷静に頭を冷やさせるコーナーです。さて、最初のお便りは、Aさんです。
「拝啓、嵯峨野教会牧師様。私はホワイト夫人に失望しました。彼女は、最近になって、自分の見た幻の記述を自ら削除しておきながら「私は自分が神から与えられた啓示を何一つ余す所なく書き綴った」と英語の巻頭言で主張しています。これはホワイト夫人が嘘をついていたという事にはならないでしょうか。その詳細は次のリンクのホームページに書かれています( http://www.truthorfables.com/index.html )。こんな嘘をつく人は預言者である資格がないと思います。どうですか?」Aさん。よくぞおっしゃいました。そうです。嘘をつくのは罪であり、それだけでも預言者の資格が剥奪されるのに十分です。しかし、もしこれが嘘でなかったとしたら、他にどういう可能性があるのか考えて下さい。つまり、もし、ホワイト夫人が自分の言った事を覚えていられないほど記憶力が悪かったのではないか、とか。また、「私は自分が神から与えられた啓示を何一つ余す所なく書き綴った」とする巻頭言が、ホワイト夫人の書いた原稿を編集するする者がいて、この者が、ホワイト夫人の教会の中での権威をなんとか高めようとして、文章の人間的操作改変の過程で混入したものであるが、ホワイト夫人の英文解読力が実はほとんど無かったために、自分であとで修正された文書も読んで理解できず、従ってそういう文章が追加された事も悟りようがなかったのではないか、という可能性です。この件について、説明を少し追加します。EGホワイトは先述の投石の後遺症で記憶力も低レベルであり、てんかん発作もわずらっていたと考えられます。記憶力も言語能力も、もう一歩で廃人同然となるレベルであったのだと思われます。ですから、自分の言った事を簡単に忘れるような人であったと予想されます。また、SDA組織内部の反ホワイトグループから突き上げられるので、それに対抗して、ホワイトを擁護する中央組織の取り巻きが、いろいろな策を弄して彼女の教会の預言者としての権威を守ろうとしてきたのが、結局今のように各所でボロが出て来ている訳です。SDA教団は「こんな記憶力の悪い、脳障害をもっている人であるが、にもかかわらず神はこの人を教会を導く預言者として召されたのだ。その事実を受け入れますか!?」と教会員の前で隠し続けてきた真実の事実を突きつけて、事態の厳粛性を問うべきであったのに、それをせず、見栄と体裁ばかり繕って問題との対峙を先送りして来たのが現在のこの教会のホワイト夫人の権威をめぐる内部闘争という結果になっているのであると考えます。
フィードバックがあれば、どんどん追加して行きます。
ご遠慮なくお寄せください。嵯峨野教会牧師 拝