その次第 (第一部)
1979年、セブンスデーアドベンチスト教会信徒でアマチュア考古学者であったロン・ワイアットがエルサレムで契約の箱を発見したという話をご存知であろうか。彼はテネシー州ナッシュビルのアドベンチスト病院の手術室で働く職員であったが、息子達と折を見てエルサレムに足を運んでいた。
それは一つの不思議な体験から話しがはじまった。1978年に彼がエルサレム(イエルシャライム)を訪れて、いわゆるカルバリーの丘の近くを歩いていた時に、突然、彼の左腕が自分の意志とは関係なく、ジスキネジア(DYSKINESIA)のように持ち上がり、地の一角を指した。しかも、自分の声で
”That's Jeremiah’s Grotto、and the Ark of the Covenant is buried in there”と言った。彼はこの短い時間の間、自分の声も左腕もまったく自分でコントロールすることができなかった。そのような不思議な出来事はただ一度だけ起こった。
(其はエレミヤの咽喉なり、契約の箱の埋められける地ぞ)
エルサレムは古代イスラエルの首都であったが、その後歴史の変遷に伴って、土砂の上に様々な建造物がその上に次から次へと建て上げられていったものである。ロンとその息子達は、その近傍でこれまで一度も発掘されたことのない場所を掘ってみようと思い立って許可を得て垂直に掘り進んだ。実はその場所はゴルゴダの丘だった。

彼は自分の息子達とエルサレムに出かけていって、漬物石のような大きな丸石が混じってそれまで積極的な発掘が躊躇されていたところを掘り、大量の土砂を取り除けてゆくとそこに岩の断崖面が現れた。

硬い崖の岩石表面には巨大な頭蓋骨を思わせるような不気味な穴があり、彼はここが、発掘の場所がイエスの磔刑場となったゴルゴダの丘の辺りといわれる場所であったことを考えると、まさにこの写真の特徴的地形がこの崖の上をゴルゴダ(頭蓋骨)の丘と呼ばせていたのだと考えた。そこからさらに垂直に掘り進むと、断崖から下のような板状の石が水平に突出しているのが見つかった。一体これは何なんだろう?と思いながら、さらに掘り続けた。

これから、更に掘っていくらもしないうちに、また今度は水平な岩盤にぶち当たった。それは異様に巨大な岩のように見えたが、よく見ると、そこに真四角に彫られた石が真四角に彫られた岩盤の穴にはめ込まれるように挿入されていた。それから9フィート離れた所が一段低くなっていて、そこには3つの同様な穴があいていた。

この四角のプラグ状の穴を塞いでいる石を取り除けたところの写真が下である。大きな木の杭が差し込まれたような穴である。しかも、みるとこの穴の側方(写真では上方「Earthquake crack」と書いてあるところ)に大きなひび割れがあったが、これは何か地震か何かで出来たようなひび割れであった。
四角いプラグ状の石を取り除いた内部。角材でできた十字架をはめこむ穴だったとみられる。
結局、これらのものの位置関係を図に描くと下のようになる。ロン・ワイアットは、この岩盤の穴はキリストの十字架が設置されたゴルゴダの丘の場所であり、この穴の上にはめられた真四角の石は穴の封印のためにあつらえられたものであり、その上に棚のように水平に張り出したテーブル状の岩は、キリストのはりつけの後のかなり初期にキリスト教徒がつくった祭壇なのではないかと考えた。現在、キリストのはりつけの跡と称して聖墳墓教会とやらが通称「ゴルゴダの丘」の上に立っており、ギリシャ正教とローマカトリック、エチオピア正教、アルメニア正教などが、その場所の所有権をめぐって対立しているのであるが、ロン・ワイアットの発見が正しいとすると、彼らはどうやら全然とんでもない違う場所をキリストの十字架にかかられた有り難い場所として思い込んでいたということになる(これはなんと滑稽なことであろうか)。しかも発見したロン・ワイアットはセブンスデーアドベンチストの教会員であった。これは一体何を意味するのであろうか。
この場所を掘っていた時、テイベリウスの治世(紀元14年〜37年)のローマ貨幣をみつけた。
また、紀元70年以降にはローマは十字架刑を執行していないことがわかっている。
更に驚くべき事は、ロン・ワイアットの属していた教会の人々は、彼の発見を信じなかったということである。
驚くべき第二部
ロンワイアットはまずこうして、キリストの十字架が立てられた場所を正確に同定したものと思われた。しかし、あの不思議な体験を思い返し、一体ここに契約の箱があるというのは一体どういうことなのか、と彼は思い悩んだ。とりあえず、彼はゴルゴダの丘の下に何があるのかを調べることにした。ゴルゴダの丘は全体に岩山であり、水流で浸蝕されたところが穴が空いて、不気味にも頭蓋骨の眼窩のように見えたのでつけられた名前であると考えられた。ということは、この岩山の下に同様のメカニズムで作られた自然の洞窟があるのではないかと期待してみた。事実、その岩肌をチーゼルとハンマーで砕いて無理矢理掘り進んでみると、ぽっかりと壁が崩れるようにして、中に自然の洞窟があるのがわかった。しかし、それは洞窟と言うよりは迷路状の「洞穴」というようなものであり、大きなミミズかモグラが通った道のようなもので、狭く、屈曲しており人一人通るのすらも困難を極めるものであった。ワイアットはこともあろうに、この岩山の内部にある自然浸蝕でできた穴をひとつひとつシラミ潰しに調べて行くことにした。当然の事ながら、そこには何もあろうはずがなかった。しかし、この中の洞穴のうちのどこか一つにも過去に人が来た形跡がないかを這うようにはいって調べた。甚だしい所では直径40センチ程度の穴の中を何メートルももぐって行く事もした。途中で土砂が崩れたりしたら、戻ってこれなくなるばかりか、酸欠になって死んでしまうという高度な危険を伴う探査だった。こうしてまた1年以上の歳月が過ぎた。ワイアットは病気になってうなっている息子達をテネシーに残して一人でエルサレムにやってきた。20人ばかりのアラブ人の土方アルバイトを雇って、ゴルゴダの丘の中の穴という穴をすべて調べようとしたのだ。こうして運命の1982年1月6日午後二時、彼はわずか17インチの岩穴を見つけて中に進入した。みるとそこにはなぜか手のコブシ大の石が積まれているようにみえた。片手で懐中電灯を照らして片手で石を取り除けながら進んだ。そうすると、石の向こうにポカッと穴が空いて、そこに何か木で出来ているような大が置かれているのが暗闇の中に照らされた。しかも、その上には何か動物の皮で作られたような被いがかけられていた。その木は相当傷んでいるのがわかったが、見るとなんとその周りには金の箔が残っていた。そうなのだ、これは聖所の什器だったのだ!
その上に岩の亀裂が見えた。その場所は既に彼が発見したキリストの磔刑の地点の真下であることがわかっていた。その亀裂のところになにやら黒いものがこびりついており、同じ物が点点と残っていた。何かと思ってとってみて、彼は愕然となり、全身が震えた。それは血だった。凝結して古くなって黒くなった血だったのである。黒くなって固まっているとはいえ、腐りもしないで今までそこに残っていたとは!
ロンワイアットはこの凝固血をサンプルとして自分の働くアドベンチスト病院に持ち帰ったらしいが、その結果は明らかにされていない(もし知っている人、情報を持っている人がいれば連絡の事)。彼はこの発見をただちには人に知らせなかったが、その後、時が来たと思って少しずつ話し始めた。SDA教会の内部での反応は極めて冷ややかなものであった。それどころか、その話を講演会でしにいった先とか伝道地で、「教会員」からの罵倒を受けたり、暴行を受けたのだと言う。その彼も昨年、「急速に突然広がった癌のために」急死してしまったという。本当は、もう一度調査隊を編成してそこを調べたかったのであるが、今はとりあえず、その場所はロン・ワイアットによって入り口が封鎖されたままになっているという。
ロン・ワイアットが作った内部洞穴走行地図
穴から出て来るロン

ロンがどうにか撮影した契約の箱のある洞穴の内部。動物の皮がかけられているが
その下に人工の構造物が見える。右の絵は彼の想像でなぞった構造物のアウトライン。