過去ログ第12編
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教会がなぜ開放されていないのか 投稿者:一信徒  投稿日: 9月24日(月)09時14分15秒

      「あきよしさん」が言われている中の事で他の宗派の教会はいつでも玄関が開いているというのを見ましたが、本当に何故セブンスデーの教会は安
      息日以外はいつ行っても玄関が閉まっているのですか?他の宗派はその点、素晴らしいことだと思っています。御霊教なんかは「24時間いつで
      もどうぞ」といつでも玄関は開けっ放し、好きなときに祈れるようになっています。以前御霊教の牧師さんに「不用心では」と伺ったところ「神
      の宮は私の財産ではありません。もしどなたかが<泥棒とは言いませんでした>もし教会の備品を必要としておられて持って行かれたなら、それは
      神様がその人に必要だから差し上げるのです」といわれました。私はこういう牧師が真の牧師だと思いますが。以前セブンスデー徳島教会のS牧師が
      泥棒に入られた時、直ぐに警察に被害届を出し、犯人が捕まったときには「厳罰に処して下さい」と言って地元の徳島新聞で皮肉たっぷりに記事に
      なったことを思い出しました。やはり教会はいつでも祈る場所として開放されるべきだと思いますが。
      特に終末の今の時期にはいつでも祈る場所が必要だと思いますが。



666 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月23日(日)20時57分46秒

      常駐読者さん

      ローマ教皇が666というのは有名ですが、ヒトラーというのもあるんですか。
      一般にこの種の数字の話しは、一般のクリスチャンは薄気味悪がって拒否される事が
      多いものですが。しかし、こういう数字に込められた意味について真正面から論じて
      いるプロテスタント(SDAではない)の本があります。これを読むと、こうした数
      字に込められた意味というのは決してトンでも冗談でもなく、シリアスなものである
      ことが明らかになるでしょう。その本は、

      Number in Scripture
      E.W.Bullinger
      Kregel Publications 1967,1969,1971,1973,1974,1975,1978,1980,..
      Grand Rapid, Michigan 
      ISBN 0-8254-2204-3

      結構人気があって、ほとんど2年おきに再版を重ねているようです。
      アメリカの神学校などでゲマトリアを論じる際のテキストに使われているようです。



お知らせ 2 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月23日(日)20時47分28秒

      当教会では、世界の終末が近づくに従って読者に活発な備えの準備をなされることを
      希望しています。それとともに悪の勢力の動向もある程度知りうる範囲で提供致しま
      すが、それを読んで嫌悪感を催される方にはあらかじめ陳謝おことわり申し上げます。
      聖書情報が悪の勢力の情報を上回る事はありませんので、念のため。

      さらに念のため断るならば、当教会ユダヤ教的律法主義、現代的修正福音主義、汎神
      論、宗教融合論などを一切排除していますが、タルムード、般若心経やバイブルコー
      ド等をして悪の情報と認識するスタンスにはありませんので、ご理解ご協力を願い申
      し上げます(カバラは悪ですが(汗))。嵯峨野教会は最後の時代の最も前衛的なア
      ドベンチスト教会を目指しています。できるだけ多くの知識を提供したいのはやまや
      まですが、こちらも脳容積に限界がありますので、あくまでも「出来る限り」という
      趣旨です。という事でよろしくお願い申し上げます。



お知らせ 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月23日(日)20時28分20秒

      ついにレビ記23章の解説をアップしました。
      SDA信徒のみならずSDA以外のクリスチャンにも一読をお願い申し上げるものです。

      http://member.nifty.ne.jp/GingaNet/leviticus.html



神なき里の教育 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月23日(日)20時01分47秒

      社会学者のジャック・エリュールは教育について次のように述べています。

      「教育は人生において有用でなければならない。今日の人生は技術(テクニック)である。従って
        教育は何よりもまず技術的(テクニカル)でなければならない。教育は技術家を作るという専門化
        された目標に向けられつつある。そしてその結果有用性についての現代的な基準に基づいて技術の
        あるグループのメンバーとしてのみ有用な個人、...そしてグループの構造と必要に従う個人を
        作る方向に向けられている。そのグループにとってインテリゲンチャは批判的機能を果たすという
        意味においてすらも、もはや模範でも、良心でも、活気を与える知的精神でもなくなるであろう。
        彼らは、技術の手段のしもべ、殆ど想像もできないほど従順なしもべとなるであろう。...そし
        て教育はもはや、人間啓発における、予測不可能で、心沸き立たせる冒険ではなくなり、技術的な
        人生の世界で役に立つ何か技術的なこと(人間関係も含む)への服従と奉公のための練習となるで
        あろう」(エンサイクロペデイア・ブリタニカ、1968)

      ちなみにこの本では「教育」を一種の「工学」と定義しています。その文脈で上の論を読むならば
      恐ろしい程ニヒルで正確な現代教育の趨勢の予想です。別に預言者ではなくても、教育がそれくらい
      荒廃するだろうとはある程度は予想が出来たと思いますが、この論は秀逸です。これが一面、神のな
      い教育の向かう当然の帰結であると考えられます。



ちゃちゃです (^^) 投稿者:常駐読者(ROM1)  投稿日: 9月23日(日)15時01分34秒

      皆さまこんにちはROM1です

      マイクロソフトの預言に関しては牧師様も
      >メルマガから変なものを拾って来ました
      とおっしゃってますから,ネタとして書かれたんだと思います
      (堅いものから軟らかいものまでいろいろな話題があっていいと思います)

      >やっぱり「タロットカード」だの「Q33NY」だののネタはSDAとしても
      >キリスト教教会としてもおかしいんじゃない?という考えは変わりません。

      自分は三育でしたが聖書の時間に,ヒトラーだかなんだか忘れましたけど名前をいじると「666」になるだとか,その手の話をおおまじめに教え
      ていたような気がします。今考えると,その手の謎解き遊びに「神の真理」が込められているとは考えにくいですけどね。
      もし神が我々人間にメッセージを伝えたければ,そんなことしないでしょう(だって,あなた,大事な用件を伝えるのにわざわざ「なぞなぞ」
      で手紙をだしたりしますか? (^^))



Re: 終末について何か誤解しているような 投稿者:あきよし  投稿日: 9月23日(日)09時05分07秒

      私は終末に関するSDAの教えというのは「祈れ」「主を待ち望め」
      ということだと理解していました。それ以外に何か特別なことを
      しろというのではないけれど、終末と再臨の意識、いわば危機意識を
      持って生きろということだと。また、そこさえ抑えておけば必ずしも
      SDAのメンバーにならなくてもいいのでは、と考えています。
      他の教派のクリスチャンを(私がつい最近まで通っていたSDA教会の
      信者さんが毎回毎回するように)批判・非難する必要など全くないですよね。
      SDAの教会員であることが救いの条件なわけではないのですから。

      ちなみに私はいま通っている教会も(SDAではありません)日本国内ですが
      毎朝毎晩、玄関を開けています。私もできる限り(平日も)その教会を訪れて
      祈っています。Prayer Meetingで感じる祝福は、これまでどんな教会に行っても
      経験できなかったほどの素晴らしいものです。

      アメリカの霊的リバイバルについては、私の友人(アメリカ人)もメールで、
      「こんなことを言ったら変に思われるかもしれないけど、ある種の安堵感さえ
      感じている、多くの人がJesusに救いを求めるようになった」と言ってました。
      私も同じことを感じます。非常に誤解されそうな言辞ですのでなかなか人前では
      話せませんが…。

      やっぱり「タロットカード」だの「Q33NY」だののネタはSDAとしても
      キリスト教教会としてもおかしいんじゃない?という考えは変わりません。



終末について何か誤解しているような 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月22日(土)22時11分11秒

      あきよしさん

        >前に質問したことと関連しますが、そんな「ネタ」が本当にSDAと
        >関係があるのか?SDAの正規の教えなのか?ということです。

      「SDAの正規の教え」というのは興味深いお言葉です。SDAは聖書を信じる一宗教団体に過ぎません。
      ですから、聖書の教える所に従っています。当ホームページが説明する所は、聖書の最終メッセ
      ージを掲げるSDAの教えの見直しが目的であり、SDAの正統組織の説く所の基本教理の単純確認作
      業に限定されません。さらに誤解されることを恐れずに言えば、特に終末論に関しては、あきよ
      しさんが期待しておられるような正統教理などというものは事実上存在しません。SDAの終末論
      とはホワイトが大争闘の証と、ダニエル黙示録の基本釈義のみです。誤解してはいけません。そ
      れ以外にないのです。よって、それを実際の出来事にどのように適用されるべきなのかは、全く
      統一見解は存在しません。むしろ、世の中に終末の兆候として現れている出来事(「トンでも」
      といって一般の人達が留意する事を拒否しているものも含めて)を拾い集め、終わりが実際に近
      づいている事を説明するのが、警告者としてのアドベンチストの本来の使命です。ただ昔のSDA
      もTVが出来たとか、ジェット機が飛んだとか、そう言う事を引き合いに出して世界の終末が近
      いと講壇から説教して、それこそ「トンでも」とか言われて笑われたものですが、私はそれは笑
      われるべき事ではないと考えています。寧ろ、それから比べるなら現在の状況は、より逼迫した
      ものと考えるべきです。最近のSDAでは、オウムやその他の動機不純な終末を説く宗教団体と間
      違われる事を恐れたり、「トンでも」だと言われる事を恥じたりして、それこそ弱き者さんの言
      われたように、教会の中で終末を論じる事がタブーのようになっているようですが、それは望ま
      しい教会の状況ではないと思います。なぜなら終末がくるのは正統教理の問題だからではなく、
      聖書に述べられた事実だからです。サタンが呪術知識を総動員して捲土重来して間近までやって
      きているのがそれでおわかりになりましょう。

      ちなみに、アメリカの諸教会は、戦争が始まってから、毎日玄関を解放しておりまして、誰でも
      祈りたい人がやってきて祈れるようになっています。全米で霊のリバイバルが始まりつつありま
      す。こういう事を知らせないなら嵯峨野教会牧師は神によって罷免されるでしょう。

      コンビニが預言というのは寡聞にして知りませんでした。(苦笑)



私が言いたいのは、 投稿者:あきよし  投稿日: 9月22日(土)09時20分44秒

      前に質問したことと関連しますが、そんな「ネタ」が本当にSDAと
      関係があるのか?SDAの正規の教えなのか?ということです。

      何でもかんでも「預言」にしてしまえるのだったら、それこそ
      トンデモ本の世界です。じゃぁコンビニも「預言」ですか?
      セブンイレブンは7+11=18=666、LAW-SONですよ(汗;

      ホームページや掲示板の作者・管理人である牧師さまが記事を書いたり
      投稿したりなさる以上、それらはSDAの教えに関するもの、またbiblicalな
      ものであって欲しいのです。正直いって、ただでさえ(日本語では)教えや
      活動がよく分からない教団ですし、このサイトだけはSDAに関する貴重な
      情報源であると共にSDAの良心であり続けてほしいのです。

      こういうネタに関する牧師さまの投稿が「事象の冷静な分析」であるとは
      とても思えません。



笑っている暇は無いかもしれませんよ 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月22日(土)02時02分38秒

       >今回のテロは、何とWindows3.1当時から既に
       >預言されてたということなのですか?(汗)

      ウィンドウやIBM−PCを作った人が知らずにそういう文字コードにしてしまったということはあ
      り得ます。サタンの計画を擦りこんでしまったという訳です。そういう意味で、これは神の預言では
      なくサタンの「預言」です。というか犯行実行宣言だったのかもしれません。信じるか信じないかは
      それぞれの分で決めれば良い事です。信じたくない人が多いであろうと思います。しかし、事象は冷
      静に分析される必要があります。事実であればこれは聖徒の敵が最後の戦いに名乗りを上げて出て来
      たこと意味していると考えるのが順当です。もちろん事態が急迫しているのは言うまでもありません。
      各自、それぞれ聖書に立ち返って緊急の終末対策を始めて下さい。



Re: マイクロソフトの「預言」  投稿者:あきよし  投稿日: 9月22日(土)00時31分43秒

      …どうも最近、嵯峨野教会牧師さまの投稿が真面目なものなのか
      冗談なのか分からなくなって来ました(苦笑)
      そんなのまで「預言」って言うんですか?ホントに?
      とすると、今回のテロは、何とWindows3.1当時から既に
      預言されてたということなのですか?(汗)

      こういう本当に大事な時期に、そういう「トンデモ」な
      ネタは止めましょうよ。SDAのイメージ、どんどん
      悪くなるんじゃないかしら。過去ログ読む人だっているだろうし。



マイクロソフトの「預言」 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月21日(金)18時58分34秒

      ちょっと、他の医療系のメルマガから変なものを拾って来ました。

         > 1.World Trade Centerの住所の「Q33NY」をMSの「Word」で打ち込んで下さい。
         > 2.打ち込んだ「Q33NY」のフォント名を「Wingdings」に換えて下さい。

         この通りやってみて下さい。驚くべきものが見えます。今回の事件ははからずもMSにも
         気がつかぬうちに啓示されていたのです。



レス 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月21日(金)18時56分37秒

      >常駐読者さん

      般若心経ですか。あれは旧約聖書のソロモンの「伝道の書」に似ていると思いませんか。
      ソロモンは「空の空、一切は空である」といっていますが、玄奘法師の般若心経でも、
      「色即是空空即是色、受想行識亦復如是」と言っていますしね。

      >あきよしさん

      そうですね。ユダヤの宗教の世界も、確かにEvangelicalの範疇では
      とらえられませんからね。ただ、せっかく聖書を学んで洗礼を受けても
      馴れ合い組織の人間関係にからめとられて信仰の自由度を失ってしまっ
      たら大変お気の毒な事になると思います。そうならないようにして欲し
      いという願いを込めて嵯峨野教会を運営しております(^=^)。

      >弱き者さん

      ヒューマニズムというのは、ルネサンスの頃に芽生えていましたが、宗教改革後
      ドイツやフランスの哲学者たちがよってたかって開花させました。中世時代は民衆は
      カトリックによって聖書から遠ざけられていましたが、宗教改革で聖書が解禁になり
      啓蒙思想が無知蒙昧な民衆を中世カトリックの愚民支配体制下の思想活動の制約から
      解放するものとして各所で大歓迎されたのですが、皮肉な事にかえって人々の聖書へ
      の認識を再び人間中心の世界観の闇にそらせるものでした。ヒューマニズムというの
      は神を見失った神のない真っ暗闇の中で、人間の賛美を試みた豆電球の明かりの様な
      ものです。それが聖書信仰の世界に逆流して、今日各所で聖書理解に被害を与えてい
      ます。

      アメリカの言っている自由というのは、一般に自由主義世界の自由という意味でしょう。



追加質問です 投稿者:弱き者  投稿日: 9月21日(金)11時41分22秒

      アメリカ大統領は“自由”という言葉をよく用いています。どのような意味で“自由”という言葉を用いているのでしょうか?



Re: 受洗の意義を大切に学ぶ 投稿者:あきよし  投稿日: 9月21日(金)09時43分11秒

      嵯峨野教会牧師さま。

      受洗の意義についてお返事をくださりありがとうございました。

      私の疑問は、なぜSDAの洗礼は「イエスキリストを救い主として受け入れる」
      だけが条件ではないのか、ということでした。他の点(什一献金とか特別な
      預言者とか)についても受洗前に誓わねばならないというのは、それがどんなに
      SDAとしては当然のことであっても他の教派とは違うわけで、何というか、
      Evangelicalではないんじゃないかなぁ?と疑問だったのです。

      牧師さまのように明確に答えてもらえると、それに賛成か反対かは
      別にしてドコが問題点なのかが明らかになるので、本当に感謝しています。
      日本のSDA教会(バーチャルじゃない方の)牧師さんも、こんな風に
      ちゃんと答えてくれないかなぁ、ユダヤ教やカトリックや "Sunday Keeper" の
      悪口ばかり言わないで…。



Re:再びお答えしましょう 投稿者:常駐読者(ROM1)  投稿日: 9月21日(金)09時01分35秒

      嵯峨野教会牧師さま,皆さま,ご返事ありがとうます。

      >現代のヒューマニズムの価値観の物差しではかることはできない問題です

      結局,人間には理解できないというか人間の期待通りにはならないということですね。
      創世記にアブラハムがイサクを捧げる(刃物で殺す直前で止められる)エピソードがありますが,普通に考えれば自分の信仰のために弱い子供
      (しかも自分の子供)を殺めるなんて常軌を逸してますが,直前に止められなくてそのままイサクを生け贄として捧げていもそれはそれで神の
      御心だったということですね。
      ヒューマニズムの価値観で考えれば,愛とか慈悲深いとか一貫性があるとか,そういった形容詞を神につけることは人間の勝手な期待というこ
      とでいいんでしょうか。

      私はそのような考えです。

      神と人間の関係はたんに創造主と創られた“もの”でしかないと思っています。そう考えると何もかもすっきりします。(だけど何もする気が
      なくなりますが・・・)

      ヒューマニズムというか日本人(少なくとも私は)の心情からすると,般若心教のほうがよほど受け入れやすいかなとか,思ったりもします。

      だらだらと稚拙なことばかり書いてすみませんm(__)m
      いろいろ教えていただきありがとうございました。



いつ頃からですか? 投稿者:弱き者  投稿日: 9月21日(金)06時54分33秒

      嵯峨野教会牧師様、ヒューマニズムはいつ頃から出てきたのですか?またヒューマニズムが及ぼす悪影響について教えて下さい。



再びお答えしましょう 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月20日(木)20時39分37秒

      常駐読者さま

      神が宗教指導者に戦いを命じた場合、それに従う事はどうなのか、という質問ですか。

      聖書に啓示された天地創造の神を信じるものにとって、神の言葉がいかなるものであれ
      それに従う事が論理的帰結です。それが非日常的なものであれば、当然葛藤や当惑が生
      じます。そして、どうして神がこのようなことを私たちに命じられるのかと思う人も出
      てくるのは当然です。

      その場合、あなたは「戦闘」を命じた神の預言者の所に行って、「本当に神はそのよう
      な事を命じられたのですか」と確認に行くでしょう。そして、預言者がしどろもどろの
      答弁をしていたり、「神からのメッセージだ」というのは明らかに嘘くさいという証拠
      を握るなら、従わなければよいですし、その預言者を袋叩きにするなり、逆さ吊りにす
      るなり好きにしてよいと思います。しかし、それがやはり神から与えられたものである
      ということがわかれば、そうはしないであろうと思います。いずれにしても、これは、
      現代のヒューマニズムの価値観の物差しではかることはできない問題です。



Re:お答えしましょう 投稿者:常駐読者(ROM1)  投稿日: 9月20日(木)11時18分55秒

      嵯峨野教会牧師 さま,皆さま,こんにちは

      「聖戦」についてですが聖書から

      民数記31章
      さて主はモーセに言われた,「ミデアンびとにイスラエルの人々のあだを報いなさい。・・・モーセは民に言った,「あなたがたのうちから人
      を選んで戦いのために武装させ,ミデアンびとを攻めて,主のためメデアンびとに復讐しなさい。・・・彼らは主がモーセに命じられたように
      メデアンびとと戦って,その男子をみな殺した。・・・またイスラエルの人々はメデアンの女たちとその子供たちを捕虜にし,その家畜と,羊
      の群れと,貨財とをことごとく奪い取り,そのすまいのある町々と,その部落とを,ことごとく火で焼いた・・・(連れてきた捕虜にたいし
      て)この子供たちのうちの男の子をみな殺し,また男と寝て,男を知った女をみな殺しなさい。ただし,まだ男と寝ず,男を知らない娘はすべ
      てあなたがたのために生かしておきなさい。・・・(その後に奪い取った財宝や家畜などの分配の仕方などが細かに記されており,捕虜につい
      ては,「人または牛,またはろば」のような扱いです)

      長々と引用してしまいましたが,これが「神が命じられた戦い」でしょうか?
      異邦人の戦い方とどこが違うのか私にはよくわかりません。
      (神の御心は私にわかるはずもないということかもしれません)

      >聖書には「聖戦」という概念はありません!
      >戦いそのものを、聖化する言葉はないのです

      結局,イスラエルの兵士や一般人がそれぞれ個別に神から啓示を受けたのではなく一人の指導者モーセを通して命令されたわけで,一般イスラ
      エル人にとっては「モーセの命令=神の命令」であるわけですよね。
      現在でも,国や宗教団体(オームのようなカルトから正統なキリスト教も含めて)の指導者の命令は神の命令と考えてテロや戦争を起こすこと
      をどのようにお考えですか?

      もし,皆さんがモーセの時代のイスラエル人であったらモーセの言葉に従って戦争に行きますか?もし,皆さんが熱心なカルト信者であってそ
      の指導者がテロまがいの行為をすることが神の御心だといわれたとき,それに従いますか?

      幼稚な疑問なのかもしれませんが,いろいろ教えてください(ほんとにわかりません)



受洗の意義を大切に学ぶ 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月20日(木)10時33分31秒

      あきよしさん

      結局、そういう風な疑問を持たれる根本的な理由は、教会がバプテスマの意義を余り深く認識
      していないからであろうと思います。他の教会はともかく、セブンスデーアドベンチスト教会
      では一般に、教会員となる条件としてバプテスマを要求しています。それは会衆に加わる条件
      とは厳密に同一ではありません。会衆に加わるだけなら求道者でも許されています。教会員に
      なるということは神が教会に与えられたメッセージと使命を受け入れるというのが原則的意義
      です。しかしときどきその意義は誤解されて、単に教会活動にコミットメントを持つ約束であ
      るかのように理解されます。もちろん教会活動に協力してくれるのは大いに結構な事なのです
      が、その前にイエスキリストを救い主として受け入れるのがバプテスマを受ける条件です。自
      分がコミットメント出来る時に教会員になり、自分の都合でそれができないならならないとい
      うような性質のものではありません。しかも、バプテスマは教会に忠誠を誓う約束ではなく、
      神に従う約束なのです。これをわからないで親が勧めるとか、兄弟が順番にバプテスマを受け
      たから自分は次だから受けるとか、そういうよくわからない理由でバプテスマを受けて貰って
      も困るものがあるわけです。バプテスマとは清めです。キリストをメシアであると受け入れた
      信仰告白としてバプテスマがあり、その結果、教会に加わり籍を生じるのに過ぎないのであり
      ます。教会員になってもバプテスマの意義を知らない人が多いので、そのあたりの認識が混乱
      しているのは事実として認めざるを得ないところです。

      一方、この教会の中には、自分の子供が神さまを求めて、バプテスマを受けたいと希望しても
      受けさせない親があります。その理由は、子供に安息日問題を回避させて、学業が終了するま
      で、洗礼を遅延させるというものです。そうなると、問題は、一体この人はいつキリストに献
      身する決意をしたのか、あとからバプテスマを受けたと言っても、そのバプテスマを受ける時
      点で献身を決意したという意思表明をする事自体が、既に神を欺き続けて来た自己欺瞞を上塗
      りしているのではないかという気も遠くなる様な峻険な葛藤をもたらします。これは実に悲惨
      な選択です。嵯峨野教会牧師はいずれのセブンスデーアドベンチストの親にもそのような事を
      して子供に対して罪を犯さないように厳粛な教育指導が行われることを希望しています。



SDAの洗礼について質問です。 投稿者:あきよし  投稿日: 9月19日(水)02時15分33秒

      こんにちは。
      掲示板の過去ログを読んでました。

      嵯峨野教会牧師さまの

      >私たちは信仰の根拠を教会や集会の人間の交わりに置いてはいけません。
      >あくまでも教会というのは神の定められた人の集まってみこころを行わしむる
      >一システムに過ぎず、そこには清められた人とともに、そうでない人々も
      >出入りします。礼拝する場所に一緒にいるからといってその場に居合わせる
      >人々が自動的に清められる訳ではないのです。(中略)あなたを
      >救うのは教会との関係ではなく、神との個人的な関係であれば
      >なおさらのことだとおわかりいただけるであろうと思います。

      というお言葉に感動しました。

      そこで一つだけ質問なのですが。SDAの洗礼について。
      洗礼式の風景をネット上で見たことがありますし、式の時に
      どのような質問をされるのかも見聞きしていますが、どうも
      印象として、SDAでは「は洗礼を受けるイコールSDAの教会員になる」
      という感じがするのです。この私の印象(理解)は正しいのでしょうか?
      もし正しいなら、その儀式の理由は恐らく「SDAこそが真の残りの教会
      だから」ということなのでしょうが、しかしこれはやっぱり、どこか
      変なのでは?というのも、他の教会では、確かに洗礼を受けた後に
      その教会のメンバーになるのが殆どのケースでしょうけれど、しかし
      「洗礼イコール教会員or教団員になる」ということでは決してない
      筈ですし、事実そういう印象をSDA以外では持ったことがありません。
      「Jesusを救い主として受け入れます」と公に証するのが
      洗礼だと思うのですが(←表現が適切ではないかもしれませんが
      私の言いたいことは分かっていただけると思いますm(..)m)、
      「什一献金を捧げますか?」とか「EGWを預言者として認めますか?
      (そう明示されなくても、その質問の意味としては)」など、
      しかも洗礼の前に質問され、それらに対する受洗者の"Yes"の答えの
      後に洗礼が行われるというのが、どうも理解に苦しむのですが…。



お答えしましょう 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月18日(火)20時15分52秒

      それでは何人か人もお集まりになったようなので説明致しましょう。
      まず、知り置かなければならない重要なポイントは、

       聖書には「聖戦」という概念はありません! 
      戦いそのものを、聖化する言葉はないのです。

      従って、戦争とは、人間やサタンの引き起こした矛盾の帰結する所で
      あって、あくまでも葛藤なのです。神が行えと言われた戦いですら聖
      なる戦いとは言っていません。キリストとサタンの善悪の大争闘です
      ら、これを聖なる戦いと見なしません。イスラムで異教徒を滅ぼす(聖絶)
      することが聖なる戦い(ジハード)だといっているのは聖書的でも神
      の意志でもなく、単に人為的な行為の自己正当化の為に分限を踏み越
      えてその様に定義しているのに過ぎません。十字軍の自己聖化の論理
      も同様の人間の作ったアーチファクトです。戦争をするということは
      泥にまみれる事だという事実を認めたくない人間が見栄でそうしたの
      でしょう。聖書が戦争行為を聖化していない以上、他者から攻撃され
      た時に自衛のために反撃を行うことはあっても聖ではありません。そ
      れを行う事が自体が間違いではない状況下においても、やはり聖では
      ないのです。

      聖書の世界の戦いとは神に命じられて行うものであり、自分に戦意が
      あるから行うというものではありません。その証拠に、イスラエルの
      民が自分達の判断で起こした戦いは悉く敗北しています。またイスラ
      エルの古い歴史で見られるカナンの他民族の絶滅行為は、聖絶と俗に
      言われますが、上の理由により、これは全く聖なる行為でもなんでも
      なくただ神の意志により命じられた事を行ったまでに過ぎません。神
      の命令、みことばは聖であっても、其れに従って行う事がずべて聖で
      あるという訳ではありません。今日のヒューマニストはこれをもって
      古代のイスラエルが蛮行を働いたとか、神は残忍であるとか非難して
      いますが、それは昔の聖書の時代の考え方を理解していない所から起
      こる誤解であるばかりか、今の考え方が昔の考え方に勝っているとい
      う偏見からのものでしょう。人間の意志よりも生ける神の言葉をとる
      かの行動の倫理規範と価値観の違いなのです。

      今日、それと同じ行動倫理規範とパラダイムで戦争を正当化できるか、
      と尋ねられるなら、私は、現行の人間のパラダイムで世界が安定を維
      持しているように見える中で、神の啓示される所に従うしかないと答
      えましょう。

      ちなみに私は自分がバプテスマを受ける直前に、牧師から洗礼を受け
      る前に何かどうしてもわからない質問はないか?と尋ねられた時、こ
      の弱き者さんと常駐読者(その1)さんがした全く同じ質問をしまし
      た。その時の牧師は答えられませんでした。



パレスチナ人 投稿者:欄版  投稿日: 9月18日(火)00時05分24秒

      パレスチナ人と言う言葉の定義は難しいです。カナン人と現在のパレスチナ人は歴史的、人種的に、かなり違います。パレスチナとはぺリシテ
      人の土地と言うラテン語からきています。第一次と第二次ユダヤ戦争によりユダヤ人は国家を失いました(約1900年ほど前)そのあとこの
      土地をローマ人たちはパレスチナと呼んだのです。それでヨーロッパの国々ではパレスチナという言葉が現在まで、使われるにいたるのです。
      現在のパレスチナ人と言う言葉は大まかにいって
      1947年にイスラエル国が建国されたさいに、色々な理由で難民となったアラブ人を指します。



イスラムの気持ち 投稿者:欄版  投稿日: 9月17日(月)23時53分23秒

      ジハードとはアラビア語の努力と言う言葉から来ています。力を尽くし命を尽くしアッラーの道のため努力することがジハードの元々の意味で
      す。堕落したモダニズムをイスラム社会に持ち込むアメリカはシャイターン(サタン)の手先だとイスラム原理主義は考えているのだと思いま
      す。この世にアッラーに喜ばれるイスラム国家を樹立させることは何にもまして重要になる訳です。イスラムにとって外敵に命がけで挑みイス
      ラム信仰を貫くことはムハンマドが言った4番目の功徳です。



是非・・・ 投稿者:常駐読者(ROM1)  投稿日: 9月17日(月)10時11分20秒

      >弱き者さん以外の方で、その答えに関心のある方がいらっしゃいましたら、一言書き込んで下さい。

      関心あります

      宗教や主義の違いが相手を攻撃する大義名分として成り立つのか疑問です。まぁ今回はテロの犯人に対する制裁が目的ですけど。
      共産は悪い奴ら,イスラムは異教徒,アフガニスタンは悪い国とかそんなことは立場の違いだけでどちらが正義とは言えませんからね。
      旧約聖書にはイスラエルの戦いの歴史が書かれていて「主が命じられた・・・」ということでけっこうひどい虐殺をしてますよね。いくら異教
      徒だって殺したり土地を奪ったりするのはダメだと思うのですが。
      それとパレスチナ問題ですが,もともとカナン(パレスチナ)にはパレスチナ人が住んでたわけですよね?そこをモーセが神からの啓示で(言
      葉は悪いですが)侵略したように思えるのですが,そのへんは皆さんどう解釈されてますか?
      (私は詳しく調べたわけでないので勘違いしているところもあるかと思いますので,ご教授よろしくお願いします)



非常に良い質問です 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月17日(月)02時46分39秒

      >弱き者さん

      あなたは良い質問ばかりしてくれますねえ。(ふう)(^=^;
      私はこの質問に対して一瞬のうちに答える事が出来ます。
      しかし、私はその答えをできるだけ多くの人に説明した
      いと思います。すみませんが、弱き者さん以外の方で、
      その答えに関心のある方がいらっしゃいましたら、一言
      書き込んで下さい。数名の常駐読者がいることを確認し
      た上でお答えしたいと思います。せっかくのネット資源
      を有効利用したいと思います。



アメリカのテロについて 投稿者:弱き者  投稿日: 9月16日(日)20時49分17秒

      嵯峨野教会牧師様、今回“聖戦”と言われているものは人間的な意図からきており、“主の戦い”とは異なるという事ですか?  
      また、お尋ねしたいのですが、今アメリカは報復へ向けて戦闘態勢を整えていますが、武力による報復をどのように思われますか?聖書はあな
      たの敵を愛せよと教えていますが・・・。裁きは神様が下されるものだと思うのですが。いかがですか?



聖戦について 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月16日(日)20時23分17秒

      あきよしさんの解説書にもし「正確」な定義が書いてあれば、お願いします(笑)。
      結局、異教徒を抹殺するのは神のみこころであるという意味で「聖なる戦い」とい
      う極めて単純な意味であろうと思います。そしてこれは、言うまでもなく、列王記
      下の20章15節にある、
 

      「ヤハジエルは言った、「ユダの人々、エルサレムの住民、およびヨシャパテ王よ、
       聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられる、『この大軍のために恐れてはな
       らない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いだ
       からである。」
      の「主の戦い」とは全く意味が違います。



聖戦とは? 投稿者:弱き者  投稿日: 9月15日(土)17時13分14秒

      イスラム側は、アメリカが戦いを仕掛けてきた場合、聖戦(ジハード)として命をかけて立ち向かえといっているそうです。この“聖戦”とは
      普通の“戦争”とはどのように違うのでしょうか?“聖戦”の定義はあるのですか?



みなさん、すみませんが 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月14日(金)21時36分53秒

      8月24日から9月2日迄の期間の、当掲示板のログが消失してしまいました。
      掲示板の回転ペースが早くなったので、脱落してしまったのです。
      どなたか、お持ちの方は、ログに収録して記録として残しておきたいと
      思いますので、上のメール宛に送って下さると幸いです。

      さて、嵯峨野教会ホームページ掲示板の増設の件ですが、今無料掲示板
      に適当なものがないので、有料掲示板も検討しています。いずれにして
      も当ホームページの読者に掲示板の料金を負担させるとかいうことは絶
      対にありませんので、ご安心下さい。(^=^)



みなさん 投稿者:嵯峨野教会牧師  投稿日: 9月14日(金)19時33分58秒

      来週の18日は、Rosh Hashana (イスラエル暦の新年)です。
      イスラエルには2種類の暦があり、これを新年にするものと過ぎ越しの祭りを新年にするものがあります。
      いずれにしても、これは王の王である主がやってこられる日であり、角笛を吹き鳴らして祝います。
      Rosh Hashanaの10日後の9月27日には、贖罪日(Yom Kippur)が来ますよ。この日は聖所の研究
      のところで出てくる悔い改めの日です。今月は忙しい月です。ただでさえ忙しいのにテロ事件はあるは
      戦争体制になるはで、ほんとに師走みたいです。



レッドカード! この発言は先のものと同じ理由で削除されました
続き 投稿者:山田 久  投稿日: 9月14日(金)19時54分18秒

      注目点8は『もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエス』を通らなければ神の安息には預かれない点です。罪人である私にはこの方を通らな
      ければ天地創造の神の業に預かることは出来ません。
      注目点9は『4:16 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。』
      と言う点です。これが『聖霊のバプテスマ』です。『時宜にかなった助け』とはキリストでありキリストを証しする聖霊です。『恵みの座』に近づくと
      は至聖所にはいることを意味し神の国、御国、パラダイス、天国、新しいエルサレムとも言います。至聖所にはいるとは『インマヌエル』つまりキリス
      トが父なる神とひとつである様に私達もキリストとひとつになると言う事です。『黙示禄1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司と
      してくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。』とある様に私達は『黙示禄20:4 彼らには裁くことが許され20:6 第一の復
      活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリス
      トと共に統治する。』のです。また『黙示録21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなっ
      た。


レッドカード! この投稿は致命的な聖書誤読警告無視の発言のため削除されました
続き 投稿者:山田 久  投稿日: 9月14日(金)19時53分59秒

      注目点5は『安息日の休み』が神の民に残されていると言う点です。
      注目点6は『神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。』の意味は神の創造の御業に信仰によっ
      て預かる者は神と共に『安息日の休み』にはいると言う意味です。なぜなら『神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていた』からです。つまり
      『神の安息に預かる』事は全ての神の業が天地創造の時に既に完成していた事を信じる事なのです。よって私自身は、私に対する救いのみ業も天地創造
      の時に完成していたと信じるのです。そう信じる事によって『今日』私は神と共に『安息日の休み』に永遠に入るのです。そしてその信仰は毎日続きま
      す。しかしこの休みは週に一度やってくるものとは違います。この週に一度の安息日はこの完全な神の創造の業を神の民が忘れない為に神が定め民にも
      聖別せよと命じた記念日でしたが本体は『創世記2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさっ
      た。』とある様にこの『安息』にあるのです。なぜならモーセもヨシュアもまたその民も週に一度の安息日は守っていましたが神はハッキリと『4:5 そ
      して、この個所でも改めて、「彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない」と言われています。』と言っている様に本体の『この安息』に預かっ
      ていなかったからです。
      注目点6は『神の安息にあずかった者』だけが『安息日の休み』に入れるという点です。しかしここには義務とか服従と言う価値観は存在しません。ただ
      感謝と喜びの世界です。つまり『安息に預かる事』と『安息日の休み』は同じ事なのです。しかしなんべんも言う様に安息のない安息日は全く意味が無
      いのです。創世記2の2にある『安息の休み』に『神と共に休ま』なければ意味がないのです。
      注目点7は『創世記2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。』とある様に神の安息に預か
      ったものはこの毎週やってくる安息日も多いに感謝し祝いますが、この日だけが安息日とは考えていません。神と共に休めなかった神の民はモーセやヨ
      シュあと共に荒野をさ迷い毎週やって来る安息日によって慰めを受けていましたが、『今日』御声を聞いて安息に預かる者は『神と共に休ん』で永遠の
      安息に入るのです。つまり永遠の命を得て神の国に住むと言う事です。
 



レッドカード! この投稿は上の理由により削除されました。
へブル人への手紙 投稿者:山田 久  投稿日: 9月14日(金)19時52分33秒

      へブル人への手紙
      3:6 キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。
     (中略)
      4:4 なぜなら、ある個所で七日目のことについて、「神は七日目にすべての業を終えて休まれた」と言われているからです。

      注目点1は『安息に』と書いてある点です。『安息日』とは書いていない。
      注目点2は『神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。』と書いてある点です。つまり全ての神の仕事がこの時点で完成していたと言
      う意味です。全てと言う意味は文字通り全てであり聖書に書いてある神の業の全てです。

      4:5 そして、この個所でも改めて、「彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない」と言われています。
      4:6 そこで、この安息にあずかるはずの人々がまだ残っていることになり、また、先に福音を告げ知らされた人々が、不従順のためにあずからなかった
      のですから、
      4:7 再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、/「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、/心をかたくな
      にしてはならない」とダビデを通して語られたのです。

      注目点3は福音を福音として聞いた者が『安息に預かる』訳ではないという点です。『安息に預かれる』者は福音を福音として聞いて従順に従ったと言
      う点です。これが『信仰』です。
      注目点4は『今日』と言う点です。過去でもなければ未来でもない、丁度『今』と言う意味です。つまり『安息』は過去のものでも未来の事でもなく『
      今』に意味があるのだという点です。ここには『何日目』とか『何曜日』とかの区別も全くありません。

      4:8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。
      4:9 それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。
      4:10 なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。




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