>ROM1さん
ヒューマニズムについては、一応嵯峨野教会ページのQ&A(下のリンクをク
リック)の質問番号#59に簡潔な説明を行っています。それを読まれて、さら
に疑問があればまた、ここに質問をお寄せください。よろしくお願いします。
http://member.nifty.ne.jp/GingaNet/SDAQ&A.htm
話をそらせるつもりは全くないのですが、ここでひとつみなさんにも考える別なテーマを一個
ぽろりと差し上げましょう。それは、クリスチャンの戦い、信仰の戦いとは何かという事です。
一般に、この世界の戦争でもそうですが、おのれの信じる正義が信じられないものは戦う事が
出来ません。それならば、クリスチャンの戦い、信仰の戦いという場合、一体何を正義と信じ
て戦っているのか?この機会に深く考える必要があります。山形けんじ氏も先のアドベンチス
トライフの投稿記事の中で「この機会に戦争と平和の問題について熟考」するべきだと書いて
いますが、実は優先順位からゆけば、信仰の戦いについて再検討/反省を行う方が、先です。
信仰の戦いとは何か、何を正義と信じて何と戦っているのか、それをそれぞれ考えて見てくだ
さい。
よく、信仰の戦いは自分との戦いだ、最大の敵は自分なのだ、としたり顔で説教を行っている
人もみかけますが、これも気をつけて頂かないと、自らを内省的にダラダラと追い詰めて、歪
んだ自己否定や個性の破壊、自己認識の崩落を来す事があります。キリスト教会信徒のなかに
精神分裂病を増やす一因となっています。真の信仰者の戦いは、そういうものでは決してあり
ません。戦うべき相手は何か、何を目的として、何をなし遂げる為に戦っているのかという明
確なビジョンがあります。
アメリカの正義、教会の正義が一段落したら、そちらに続けてもいいですが、一応予告まで (^=^)
預言の実地解釈 投稿者:嵯峨野教会牧師 投稿日:11月22日(木)18時57分07秒
>欄版さん
おっしゃっていることは非常に面白いと思います。まず、「明らかに聖書と整合する形で
アメリカの正義が直接神から啓示されない限り」というのが目を引きます。一面、しるし
を求めておられるのだと思いますが、どのようなものであれば、これは神からの啓示だと
知れるのか、まずそれをお尋ねしてみたいと思いますが、いいですか。
イエスがアメリカとアフガンとどちらの側に存在されるかという設問はナンセンスである
と思います。イエスは悲しむものと悲しまれます。どちらの勢力に属しているかは関係が
ありません。
黙示録の預言の解釈は、我々も研究している所ですが、タリバンに爆弾を落としたからと
いってイスラム全体に打撃を与えていることになっているのか、そのあたりがわかりませ
ん。サウジアラビアは内部で足並みが乱れていますし、シリアやリビアすらも玉虫色です。
預言の研究には、慎重な世界情勢のモニターが必要です。事実おっしゃるようにソビエト
連邦は滅亡しましたが、ロシアは存在します。また社会主義者、共産主義者も、中国や日
本にまだ掃いて捨てる程生き残っています。価値観の過激な相対化のなかで、何が神の摂
理なのかを見極めるのは必ずしも容易なことではありません。しかし、イスラエルの民は
はどうしてダビデのために戦うことが出来たのでしょうか。それはダビデが神に選ばれて
油注がれたものであることを信じていたからです。我々もまた、神に選ばれて油注がれた
者が、神に導かれて正しい判断を行うことが出来る様に教会をあげて祈っています。です
から我々も合衆国が正義を行っていることを信じることが出来ます。もちろんサタンが使
うかもしれません。事実、前政権はサタンのあやつり人形でした。しかし、神もサタンの
策略を用いてでも神の正義とみこころをなし遂げられます。粗暴なローマ帝国やバビロン
を用いてでも神は地に裁きと正義をなし遂げられるでしょう。それが信じられるならば幸
いと存じます。
小羊のような獣は先の獣の命でソビエトを崩壊させた。こんどはイスラームの力を奪う。まさに今天から火を降らせアフガンを焼いている。EGW書物によ
っても黙示録の研究によっても牧師様が正義というアメリカはサタンに用いららているのです。
黙示録13:11-14
わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして、先の獣の
持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。また、大いなるしるしを行って、人々の
前で火を天から地に降らせることさえした。さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお
生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
(無題) 投稿者:欄版 投稿日:11月22日(木)14時01分26秒
私が書いたのは牧師様の書かれたアメリカの正義であって聖書の正義ではありません。牧師様の書かれたアメリカの正義は相対的であると申しているので
す。現在において明らかに聖書と整合する形でアメリカの正義が直接神から啓示されない限り、今回のアフガン攻撃におけるアメリカの正義とはアメリカ
の一方から見た相対的正義だと申しているのです。イスラームの側においても相対的正義があると考えられます。(テロは別として)聖書がアメリカの正
義を支持していると言うのは言いすぎです。現在誤爆でタリバンと無関係で亡くなった方や家を失った方もアフガンでは少なからずいると現地から報告さ
れています。この悲惨な現状において私の知っているナザレのイエスなら強大な力を振るうアメリカ(9/11に亡くなった遺族の側近くにはナザレのイエス
は当然おられる。)ではなくてアフガンの苦しむイスラム教徒の中にこそ存在されると思います。
>欄版さま
正義は相対的なものでしょうか。聖書はそう教えているでしょうか。確かにいろいろな派閥の主張を
見続けていると基本を忘れて相対的な判断で正義を論じてしまう事はあります。しかし、正義は聖書
の神の戒めにあります。我々は神を信じてそのみ言葉を疑わないのが信条です。いろいろな相対的な
正義の氾濫するなかで神の戒めを高く掲げなおすのが残りの教会の使命であると考えます。
>ROM1さま
そうです、カルトです。事実、村上良夫氏もSDAはカルトだと言っています。しかし、実はSDA
だけがそうなのではなく、カトリックを含むすべてのキリスト教会はカルトの定義を満たしています。
「カルト=悪」という認識はマスコミの作った歪められた認識であると最近私も反省を致しておりま
す。オウム真理教と我々の教会がカルトとして決定的に違うのは、我々は神の聖書の霊感のみ言葉を
持っているが、オウムは持っていないということです。カルトだから悪なのではなく、神のみこころ
を行わないから悪なのです。聖書には、一人息子のイサクを焚祭の犠牲に殺してささげるようにと命
じられたアブラハムが信仰でそれに従おうとした証があります。現代のヒューマニストなら、神は絶
対にそんな命令をするはずは無い、だから無視すると言うでしょう。アブラハムは命令の内容からそ
の命令が神からのものか悪魔からのものかを判断したのではなく、神から与えられたという信じられ
る根拠があったから信じて従って義とされ、自分とイサクの命を得ることが出来ました。預言者サム
エルは残虐な異邦人の王アガグを連れてきて、民の前で自らノコギリをもって挽き殺しました。平和
主義の人なら「やめて〜」とでも言う所でしょうが神の清潔の要求する所がそれほど高かったからと
理解すれば納得出来る事です。勝ち誇っていたゴリアテはイスラエルの神を高らかに呪い罵ったので、
ダビデの正義の怒りを買い打ち倒されて、首をはねられて死にました。ダビデがゴリアテが憎くてし
ょうがないから殺したのではなく、懲罰として倒されたのです。人にさせず神がすればよい、と言い
ますが戦いとは人間が導かれて行うものです。伝道も天使がするのではなく、人間がすることになっ
ているのと全く同じです。神がなせと言われることを行って後悔しない者は幸いです。
>弱き者さま
戦いに召されて人を殺して来る勇気があるなら、出て行って、福音を伝える事はもっと簡単ですよね。
福音を伝えない人たちが「殺すな、謝罪しろ」と言っているのが、今の日本のキリスト教会だと聞い
ていますが、そうなんですか。
牧師様,弱き者様,皆様こんにちは
私にはどうも理解しにくいことがあります。
一つは「ヒューマニズムと聖書は相容れないものなのか?」ということです。
ヒューマニズムが危険だと警告されておりますが,ヒューマニズムの定義は?
人道主義ということでいいですか?
大辞林から「〔humanitarianism〕人間愛の立場から人々の福祉を図ろうとする思想態度。博愛・平等、人権の尊重、平和・無抵抗主義などを特徴とす
る。ヒューマニズム(人間尊重主義)の一形態」
このような考え方は危険ですか?これは国,人種,宗教の違いをこえて尊重しないといけないことだと思うのですが。
もう一つは「カルトとの違いは?」ということです。
カルトとは既成社会の概念からは受け入れ難い宗教として,このような宗教団体の中には反社会的な行動をとるものがありますよね。
神の命令で人を殺すことはこれにあてはまりませんか?十字軍だって聖地奪回という神の命でイスラムにひどいことをしたわけですよね。
神が人々を戦いに召されるのなら,各々の信仰に基づいて銃を手にしてください。
神から直接,戦えと言われた人がいたら教えてください。
それは自分が考えたこと,誰かの言ったことではありませんか?これこそ人間の勝手な自分に都合のいい考え方という点で「ヒューマニズム?」というか
「自分イズム?」ということになってしまわないでしょうかね???
難しいですね (^_^;)
私は「汝の敵を愛せ」という言葉のみにとらわれ、戦いは全て許されないものであると考えていました。しかし、嵯峨野教会牧師さんの言葉から聖書に立
ち返った時、大切な事に気づきました。
主は人々を戦いに召される事があるという事実を再認識しました。
それは旧約聖書に立ち返れば一目瞭然です。
ヒューマニズムに陥っている場合、この事実を否定しようとするでしょう。
私達は知らず知らずの内にヒューマニズムに陥る危険性があります。
それだけ、教会内にヒューマニズムが浸透してきているのです。
今一度、聖書に立ち返り聖書における真実を知りましょう。
>神が戦えと言われた時には、その命に忠実に従って勝利し、敵を殺戮し、住民を老若男女
>を問わず殺しました。
これがまさにカルトになりませんか?
今回の自爆テロやオームのサリン事件と同じプロセスになっている気がします。
(それぞれが信じる神の命令を忠実に行うという意味で)
人間ですから間違うこともあると思います。神の命令だと勘違いすることはないでしょうか?殺してしまってから間違いに気が付いても遅いので,すくな
くともお互いの命,生きる権利は尊重しないといけないと思っています。
>「人を殺さなければならない事があるのか」
人を殺さなければならない事がホントにあるのなら,神が直接命を奪えばいいのです。
前にも書き込みましたけど,旧約聖書にはイスラエルの戦争の歴史が記されており,牧師様のおっしゃる通り,神の命令で戦争が行われています。このあ
たりは全くわかりません。人知ではわからないことなのでしょう,きっと。
牧師様アメリカが一枚岩でないようにイスラームも一枚岩ではありません。スンニー派、シーア派
があるだけでなくスンニー派の中でもハナフィ学派、フンバル学派、シャフイ学派、その他もろもろ、シーア派にも12イマーム派やその他にも派があるで
しょう。イスラームの中にはイスラームとして生きているアドベンチストもいます。9月11日のテロに対して心を痛めているムスリムもおります。ところで
アメリカが正義と断言出来ないのは彼らが直接神からアフガンの爆撃を命令されていないからです。そこには常に相対的な正義しか無く、神の正義を振り
かざすにはあまりにも鎮撫です。現在与えられた啓示にたよれば神の正義は戦争擁護には無いと思いますが...。
欄版さん
イスラムが堕落したキリスト教会への懲罰として与えられた様なものと書かれていますが、
もちろんそういう一面はあります。事実9/11の出来事があって、アメリカの教会は一度に
リバイバルを起こし悔い改めの祈祷会が開かれました。
アメリカの正義という場合、アメリカを、決して一枚板の集団としてそこに正義を付与し
てはいけません。そうしないと欄版さんやジョイさんのような誤解のもとになります。ア
メリカといっても、単なる共和党対民主党、保守対リベラルの対立ばかりではなく、もっ
と複雑な状況を呈しておりまして、LAタイムズの超リベラルから、リベラルグローバリスト、
リベラルネオコングローバリスト、ネオコン保守本流、極右、宗教右派、リバータリアン、
極左、アイソレーショニスト、世界政府グローバリスト、サザン・トラデイショナリスト、
ナチュラリスト、保守系カトリックなどと枚挙のいとまの無い程のおびただしい集団が有り
互いにしのぎを削っています。神はバビロンやペルシャをたててでも神の摂理を行わせま
したから、今になって神がこの中のどれを用いて正義を回復されるかを信仰を持って期待
して見ていてもよいと思います。神がそういう形で世界の国々の大争闘をご覧になってい
る以上はアメリカの回復する正義は永続するものであると考える必要はありません。一過
性のものです。我々に出来ることはただアメリカが神に選ばれた国としてその所定の使命
を全うすることを祈りによって支え支持するのみなのです。端的な話、全米的な日曜休業
令が出て、神を恐れる指導者がいなくなる時まではアメリカの正義を信じていてよいと言
うことです。
http://www.sda.or.jp/life/2001/12/3680.html
一応、重要なポイントなので、確認の為にもう少し説明を補足します。
つまり、これは聖書において「人を殺してもよいのか」という質問を行う事になります。
人を殺しても良いかと聞かれたら当然答えは「ノー」であり、それは問題ではありませ
ん。問題は「人を殺してもよい場合があるのか」または「人を殺さなければならない事
があるのか」という事です。これに関する答えは慎重を期さなければなりませんが、そ
の答えは否定的ではありません。神は殺すなかれの戒めを与えた民に戦闘を命じ、危急
時の規定の違反者に死を要求されました。人の命は神に与えられたものですが、生殺与
奪の権を持たれるのは神です。そしてその基本的認識は今日でも原則的には変わりがあ
りません。イスラエルの民はこの神に従って荒野を旅しました。そして、イスラエ
ルが王国を築いた後も、イスラエルの民は神の命じられる所に従って歩む時には祝福さ
れ、その道から離れて姦淫や偶像礼拝に走った時に呪いを受けました。民の罪の故に戦
いをしなければならなくなり、王が立てられ、サウル、ダビデと戦いの歴史が続きまし
た。神の戒めを守り、国を清く守る為に戦いを命じられる事がありましたが、神が戦え
と言われた時には、その命に忠実に従って勝利し、敵を殺戮し、住民を老若男女を問わ
ず殺しました。そしてそれは神の命に従っている限り正しい事でした。今日のヒューマ
ニズムはそういう神の命令というものが存在する事を考慮しません。それは一面よしあ
しであり、突拍子もない狂気から社会を救っている面もありますが、他方で、旧約の世
界の世界観は今日には通用しないものとして否定しています。しかし、この世の世俗の
現実は旧約の時代も現代も本質的には何の違いもありません。「神の民」にとっても神
に徹底的に従うという意味においては、旧約の時代もキリスト以後の時代も何の大きな
違いも無いのです。例のアドベンチストライフの論説の中で山形が「問題は究極的に歴
史を導くものは政治でも軍事力でもなく、神のみことばであるという事実に私たちがど
れだけ徹底的に追求して行けるかということである」と述べていますが、我々は神の摂
理の中で召されたものがそうすればよいと考えています。戦わないで祈るものはそのよ
うに召されればよし、銃を持って戦う様に召されるものがあればそれでよしという徹底
した信仰です。それでよいと考えるべきです。ですから、セブンスデーは平和主義だな
どと言い切ってしまっては神のみこころを見失ってヒューマニズムで是々非々を論じる
様に堕ちてしまいますが、そうなってしまってはよろしくありません。そうではなく、
神の召命と摂理に従って進むべきことを是とするべきと存じます。
現在のアフガンでの戦争も神がアメリカに正義を置いておられるとは思えない。黙示録を研究するとイスラームの出現は堕落した教会を戒めるために用い
られたものです。いわばバビロンにメネ・メネ・テケル・ウパルシンと書いた神の指。この連中(イスラーム保守派)が消えれば、13章の悪魔の僕の2
匹の獣が活躍し始めるのではないですか?先の獣は復活し、小羊のような獣は天から火を降らせることさえするでしょう。
太平洋戦争の時に出征した辰口青年の話に質問が無いのが不思議です。
誰か、どうして辰口さんは戦争に行かなければならなかったのかとか
そういう質問がこれまでの所どなたからも一件も出されておりません。
これから出てくるのかもしれませんが、そういう事には関心がないの
か、目をそむける傾向があるのか、と斟酌します。山形俊夫氏の世代
に教会の牧師が殆どいないのは、戦争で戦死したからだと正直に認め
てほしいですね。
ジョイさま
ただ、読めば聖書的ではないのが明らかと思っていたので、私からコメントが無いのが残念と言
われたのは少し意外でした。それならば、簡単にどこが聖書的でないのか説明致しましょう。
>実際問題として「汝、殺すなかれ」との神の戒めを知る者が、「敵を愛し迫害する者
>のために祈れ」とのキリストの教えに従う者が、はたして武器を持って戦闘に参加で
>きるのであろうか。
イスラエルの民は当然十戒を受けていましたが、神の命にしたがって戦いに出て行きました。
キリストの教えに従うものが戦いに参加出来ないとするならば、よって非聖書的であるのが
すぐ理解するのに難しくないと思います。
>キリストは、大祭司の僕に切りつけたペテロに対して「剣をとるものはみな、剣で
>滅びる」とたしなめられたのである。
神に戦えと命じられていないのに、人間の感情や判断から勝手に戦いに出るものは祝福されま
せん。このペテロの故事はその事を教えているのに過ぎません。旧約でも、神に出て行って戦
えと言われた時に戦わず、行くなと言われたのにアイの要塞に戦いに行って惨敗して泣いて帰
ってきたイスラエルの民の話があります。
>非暴力主義により黒人差別社会を変革したキング牧師は「私たちは、暴力による報復
>によってこの問題を解決することはできません。
もちろんこれはイエスの言われた言葉ではなく、キング師が言った事ですが、一応コメントする
なら我々は憎しみによって戦うのではなく、神の命令があるなら戦います。ただそれだけのこと
です。
>イエスは、今もなお『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』と語りかけておられます。
>私たちは愛をもって憎しみにこたえなければならないのです」と述べ、
と書いている部分だけは、その通りで特にコメントする必要はなかろうと思います。
>「私たちの家に爆弾を投げ、私たちの子供を脅迫し、私たちを半殺しにするならしなさ
>い。それでも、なお私たちはあなたがたを愛するでしょう。だが、承知していて欲しい
>のです。私たちは苦痛に耐える力によってあなたがたに打ち勝つであろうということを。」
これは聖書の言葉ではなく、山形の個人的な思想を仮定上の空想の人物に語らせている言葉に
過ぎませんが、果たして、爆弾を投げ込まれ、脅迫され、命を脅かされても正義を語らず反撃
しないクリスチャンになりなさいと言っている様なもので、こころもとないものがあります。
恐らくは、信仰の戦いというものを自分の内面世界だけに投影するとこのような徹底的な内向
き自虐の姿勢になってしまうのだろうと察せられます。こうした世界観で聖書理解をしている
といつまでたっても信仰の戦いの正しい理解が得られません。いずれにしても山形説の「聖書
的根拠」は、非聖書のヒューマニズムの価値観に基づいている事を指摘しておきます。そう考
えると、教会の中にどういう思想が入り込んできて今の教会の流れを作ろうとしているのかが
少し展望をもって開けて来るのではないかと思います。
山形先生も意見に共感します。「聖書的な説明ではないというのが嵯峨
野教会の公式見解です。」とのことですが、聖書的な根拠は、山形先生
はきちんと申し上げておられますし、私も、この掲示板では申し上げま
したが、そのことに嵯峨野教会牧師殿のコメントがあまり無いように見
受けられるのは残念です。
イエスは、今もなお『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』とは、『目には目を
下に、セブンスデーアドベンチストは「平和主義」を堅持するべきだという趣旨の
対立する意見を紹介します。書いた人は山形謙二という方です。一応こういう意見
もあるという事で公平を期して紹介します。平和主義がアドベンチストの伝統だと
言っていますが(そこは先にいなくなったあきよしさんの見解と一致しているよう
ですが)、この平和主義が一体どこから発生したのかの説明はこれにはありません。
かなりヒューマニズムに偏っていて必ずしも聖書的な説明ではないというのが嵯峨
野教会の公式見解です。
山形案についての疑問、コメント(賛成反対問わず)などがありましたら、やはり
ご遠慮なくここにお寄せください。
http://www.sda.or.jp/life/2001/12/3680.html
下のリンクをクリックしてください。ニュースです。
セブンスデーの人が、預言のCDプログラムを廉価で配布しています。
これは聖書の預言を広く知ってもらう為のコンピュータープログラムで
プログラムと連動する為に、なんとKing James Version の新旧約聖書
とStrongのコンコルダンスを丸々内蔵し、それだけで300ドルくらいす
る筈のものを、なんと1ドルで配りまくっています。それだけの廉価で
供給出来るのは、教会の人の献金であるとしています。(注:アメリカ
の教会員は、日本とは違い、教会やカンファレンスだけでなく、献身的
な信徒伝道団体に什一献金を行っています。)
私も無料配付の為に早速一括購入を申し込みました。
みなさんももし可能ならば、下のリンクから情報を参照し、お買い求め
ください。欲しいけれども、日本からは注文が出来ないという場合は、
私の方にメールでご相談ください。対処します。
あきよしさん
ようやくセブンスデーの本質を学ぶ事が出来たところでお別れとは何となく哀しいものがありますが、
また気が向いたおりにでも、いつでもオープンにしておりますので、遊びに来てください。
どうぞお元気で。生水を飲んだり、風邪などひかぬようご自愛ください。ではでは、(^=^)/~~~
短い間でしたがお世話になりました。さようなら。
繁栄しているから正義なのではなく、正義を行ったから祝福されて繁栄したと考える
と理解出来るようになると思います。アメリカの歴史は戦いの歴史でした。アメリカ
大陸の発見、メイフラワー号によるピューリタンの移住から始まり、南北戦争に至る
まで、アメリカの精神文化の発達の歴史は戦いの歴史でした。それは、拙い人間が拙
い信仰をもって与えられた場所で最大の正義(ピューリタニズム、奴隷解放)を追い
求めた結果でした。世俗的な人間達が一方で西部開拓のゴールドラッシュやインデア
ン虐待に明け暮れていたあいだ(こうした人達が西海岸のリベラルや不道徳の温床に
なりましたが)、清い人達は正義を実現する為に身を粉にしていたのがアメリカとい
う国です。その結果祝福の約束を決定的にしたのは、1800年代初頭のアメリカの
ニューイングランド地方を中心にして始まったいわゆる「大覚醒運動」です。これに
よりプロテスタント教会は覚醒し、聖書の原則に立ち戻る教派が続出し、聖霊降下運
動がおこりました。預言の研究も盛んになり、その結果、セブンスデーアドベンチス
ト教会が導かれて誕生しました。つまり、十九世紀のアメリカの大覚醒運動は、ダビ
デの王となるためのサムエルによる油注ぎに相当したと信じられます。国として聖霊
の油注ぎを受けたのは、少なくとも過去三百年を振り返ってみてもアメリカ合衆国だ
けであるという事実は厳粛に受け入れられなければなりません。そして、その聖霊の
油注ぎを受けた新生国家アメリカは、20世紀に入って、二度の世界大戦で戦い勝利
をおさめました。最近のサンケイ新聞の調査で民主党のルーズベルトが真珠湾攻撃を
誘導させて戦争の機会を求めたという汚い陰謀を暴露していましたが、だからアメリ
カが正義のない汚い民主党の国かというと、たとえばそれをもってアメリカの正義を
否定する結論を出すなら必ずしも正しくありません。なぜなら、神は悪人をも用いら
れてアメリカを戦わせたと考えられるからです。不義なルーズベルトがそうしなくて
も神はアメリカが戦って世界の秩序のリーダーになるように導かれたと考える事がで
きます。最近のアメリカはクリントンの時代になってアメリカ主導の「グローバルス
タンダード」とやらを唱える様になり、少し奢っています。アメリカが祝福されたの
は神の摂理であり、それに便乗して覇をとなえるようになるのは、あくまでも人間で
す。こうした知識は、Foreign Affairsというアメリカ外交思想方針を論じている定
期雑誌を読むとますます確信が深められると思います。英語の読める人は、へたな神
学雑誌などよむより64倍ためになりますので、お勧めします。
聖書にかえって、アメリカの様に油を注がれて、神に用いられて、戦う為に召された
人が何人いるか数えてみると、よい聖書研究になると思います。やってみてください。
メルキゼデク、
ダビデ、
キュロス、
ギデオン、
女預言者デボラ、
サムソン、
...........
|ダビデは王として戦うために召された者であったので、神殿の
|建設には召されませんでした。
と言うのは、もちろんそのとおりでしょう。
ですが、だからといってアメリカが戦うために召されているとは
とても思えません。
勝てば官軍と言う言葉が、日本にはありますが、この世的な繁栄を
しているからそれが直ちに正義と直結するものなのかどうか。
ROM1さま
正義を守ろうという動機は怒り(義憤)があっても構わないと思います。怒る事すらもなければ
正義を守らないでしょう。単にやられたらやりかえすという単純報復ではなく、なした事につい
ての責任をとるというのが人間関係の基本です。汝の敵を愛せよというのは責任を追求する事も
含まれています。ダビデはサウルを愛していましたが、サウルと戦いました。神は悪人をも愛し
ておられますが、悪人を滅ぼされます。聖書の神の愛というのはそういう文脈で語られてこそ意
味があります。
アメリカの「正義」もご指摘の様に必ずしも純粋なものであるとは言えません。不純な動機もか
なり混じっているでしょう。しかし、不純なダビデの正義を祝福された様に、神はアメリカの正
義を祝福されています。どうしてそんな国が祝福されているのか、不公平ではないかと、私に抗
議されても私は必ずしも満足な理由を答えることは出来ません。誰がどういう理由で祝福されて
いるのかは、一面神秘なベールで覆われている事すらあるからです。
アメリカが二十世紀に祝福されてきたのは歴史的事実であり、誰も否定する事が出来ません。も
ちろんこれがいつまでも続くという訳ではないと思います。ホワイト夫人も、アメリカの背教が
起こる事(心霊術、日曜休業令など)を証の文に明示しています。アメリカの正義が祝福される
のはその時が来るまでと理解するのが順当です。
今回のアメリカの行動についてだけに話を限定すると,普遍的な正義なのかは?です。
やられたから,やりかえしてるだけじゃないですか?すごく非聖書的な感じがします。「汝の敵を愛せよ」って普段は言ってますよね。
アメリカの行動の源は“怒り”じゃないんですか?“正義”とは,ちと違う気がするなぁ。
こんな記事を掲示板で拾ってきました。
たとえばセブンスデーアドベンチストが戦闘的な教会である事を
社会にアピールするのは、こうした事に対して政治的な運動を起こして
戦うのではなく、祈って、こうした不法が起こらない様に神に求める事です。
(総引用開始)
(引用)夫婦別姓法案を参院に提出
参院野党の民主、共産、社民三党などは十三日午後、夫婦が結婚の際に希望すれば旧姓
を名乗ることができる選択的夫婦別姓制度導入を柱とする民法改正案を参院に提出した。
同改正案は、先の通常国会にも提出されたが、廃案になった。同案には選択的夫婦別姓
制度のほか、(1)別姓夫婦の子供の姓は、出生の際に協議で決める(2)結婚可能年齢を
男女とも十八歳にする(3)嫡出子と非嫡出子の相続分を同一にする−などの内容も盛り
込まれている。(引用終)
私、しつこくこの話題に噛んでるくせに、この項目(3)が入っていること、
うかつにも知りませんでした。「別姓法案」なんていう呼ばせ方、ほんとに
うまいですねえ。(選択的な)戸籍上の別姓に(3)もあわせて、まさに婚
姻制度解体法案だったんですね。
子供に責任はないから、非嫡出子(婚外子)への相続差別は人権侵害だとの
主張も、確かに耳にしますが。私見では、相続というのは、受け取る子供側
だけの問題ではなく、それを授ける大人側の問題でもあって、子供側だけの
視点で考えるのも、間違っているように思います。別姓よりも、婚姻制度の
実質を解体するのは、こっちのほうがよっぽど強力に、後でじわじわ効きそ
うな気がしますよ。これについて、保守派政治家が、はっきり声を上げてい
るの、聞いたことないんですけど。「婚外子差別」「人権」「平等」とか言わ
れて、びびってんでしょうか。相変わらずぴりっとしないことですね。
(総引用修了)
これは一例です。
みなさんは、神の民が眠っているばっかりに、日本国の政治と道徳が腐敗して混乱
しているのだという認識はお持ちですか。もしそうでなければ、今日からそういう
風に考えてください。
もしよろしければ、先のダビデとアメリカの比較についてのご意見をお願いします。
ついてゆけない、ぜいぜい、ひいこら、と言っている所のお願いで申し訳ありませんが。
(^=^)
嵯峨野教会のメインページからの「創造論科学的再評価ページ」へのリンクが壊れていたの
を貼りなおしました。当ページは創造論を健全に復活させる事によって、教会のリベラル神
学(バルト、ブルトマン、ニーバーなど)を破壊する為に活躍中で、一般のキリスト教会か
らも多数のリンクによる紹介を受けて、嵯峨野教会よりも多くのアクセスカウント(3万件)
を達成しました(MJの180万アクセスカウントには及びませんが)。セブンスデーからは
進化論を受け入れる人が一人もいなくなるようにという願いを込めて作られています。是非
ご利用下さい。
ところで、嵯峨野教会には既に、こういう戦争観に関する議論が将来発展する事を見込んで
既に、関連する証をビルトインしていますが、お気づきになっていますか。嵯峨野教会メイ
ンページから、「辰口青年の証」を見つけて、クリックしてください(下をクリックすると
一発ですが)。まだこの証を読まれていない人はお目通し下さい。驚くべき証です。日本で
は教会でこれが広く一般の信徒に語られる事が殆どありませんでした。どうして語られなか
ったかを今になって振り返ってみれば、恐らくお分かりになろうと思いますが、辰口青年の
証を語る事が、日本のSDA教会の戦前のありかたに触れられたくないと思う人達にとって
タブーであったという事です。辰口青年の証はいまこそ甦ります。
http://member.nifty.ne.jp/GingaNet/tatsy.htm
私もジョイさんのいわれるように、日本にいる間はそういう聖書の深い所が
よく見えませんでした。平和反戦主義、人道主義の影響が強い日本の教会では
そこまで読み取るのは確かに難しいものがあると思います。
しかし、イエスキリストも右の頬を打たれても、脅迫を受けても臆せず敵のいる
所にひたすら進まれて神の御心を行いました。そして勝利しました。彼の武器は
他でもなく祈りだったのです。祈りとは、何も出来ない無為で弱い人の選択肢と
みなされていますが、これは実は刀剣よりも鋭い武器であると聖書は教えていま
す。みなさんの教会で祈りは戦闘の実行であると教えていますか。祈りから比べ
ると核も鉄砲玉も非力なものだと教えていますか。もし教えられていないなら今
聖書を開いて学んでください。イスラエルの民はヨシュアが祈っていた時にだけ
勝利することが出来たのです。
私も少しついていけないなと感じます。
右のほほを打たれたら、というイエス様の言葉。
右のほほを打たれても左を打たれても自分の信じる道を進めとは、
初めて聞く解釈でした。その後に続く、敵を愛し自分を迫害するものの為に
祈りなさいと言うイエス様の言葉などを見てそんな解釈は私には出来ません。
敵を愛しなさいと言う文字通りの意味にしか取れません。
正直言ってイエス様私には出来ませんと思います。
しかしイエス様は自分の言葉どおりに、それを十字架で見せたのではないでしょうか?
ほふり場に連れて行かれる子羊のように。
ローマ帝国のなかで迫害されても、キリスト教徒が増えていった
のは、肉食動物と草食動物の関係のように、力においてはかなわなくても
繁殖力において勝る草食動物のようなものだと思っていました。
いざ、自分の命が危険にさらされた時に、そんなことが出来る自信はありませんが、
アーミッシュのようなスタイルに正直言って憧れています。牧師さんの信仰に対して
何も言うつもりはありません。その点はお含みおきください。ただ、セブンスデーが
戦争に一番協力的だと言う断言は、私自身の聖書から得ている思いと比べれば、
遠く隔たりを感じますし、牧師殿の言う正義がいまだに理解できません。
追加ですが、当嵯峨野教会のバーチャル長老の故清野長老から語られていたエピソードによると
当セブンスデー教会の三育学院学長であられた山形俊夫先生は、三育学院が官憲によって閉鎖さ
れた後しばらく見えなくなりましたが、終戦直後にアメリカのアドベンチストの米軍属の人がジ
ープで楢葉の三育学院の跡地に乗り付けてきたときに、山形俊夫先生がいっしょに日本軍の士官
装束を身につけて来られたのを目撃されています。戦前のアドベンチスト教会もある程度日本の
大陸進出政策に協力を行いましたが、結局天皇を神と認めないとという所が癇に触ったらしく、
結局お取り潰しになりました。そうならなければ、このエピソードから察する限り、日本のアド
ベンチストも日本の為にやはり戦っていたであろうと思います。山形先生も恐らく南洋の孤島で
骨になっていた筈です。
あきよし様
ご存じでないかもしれませんが、真珠湾攻撃があって最初に米軍に組織的に協力した
キリスト教会はカリフォルニアのセブンスデーアドベンチストのカンファレンスです。
ロマリンダの医学部の歴史をひもといてみると、この医学部が太平洋戦争開始直後に
練兵訓練を積極的にカリキュラムに取り入れた事がわかります。アドベンチストの青
年はむしろ進んで志願して太平洋戦争に従軍し、もちろん衛生兵ばかりではなく、歩
兵や戦闘部隊の兵卒としてでも参加しています。ドイツでは、セブンスデーの信徒が
積極的に徴兵に応じ、スターリングラードの戦いでは多くのSDAの牧師がナチスの
ドイツ兵として戦場の露と消えてゆきました。ですから、この教会が本質的に戦争を
回避しないのは明らかです。
セブンスデーアドベンチストが教える所は信仰の原点回帰です。現代の平和ボケの世
界観から、聖書の戦いの時代に我々を引き戻しているのです。それを時代錯誤と呼ん
ではいけません。なぜなら、聖書ははじめから我々は戦いの世界に住んでいる事を教
えているからです。イスラエルの民が戦いながら困難な荒野の道を歩んだ歴史を今ま
た我々も繰り返そうとしているのです。それを理解する事が大切です。
嵯峨野教会牧師さま。
SDAが、その意味で本来「戦闘的」ということに関しては異論はありません。
しかし、ここ数日間の掲示板における話題はそういうことではなく、
人と人とが殺しあう戦争についてではないのですか?
うーん、どうも最近、牧師さまの投稿についていけない…。
セブンスデーアドベンチストは実は最も戦闘的なキリスト教会なのです。
この教会は聖書理解を極限まで突き詰めるのが伝統でしたので、本当に
真面目に聖書を読んでいるクリスチャンはセブンスデーの教理に目覚め
その結果セブンスデーに移籍してきましたので、この教会は一昔は、他
の教会から「信徒泥棒」という有り難いあだ名を頂戴しておりました。
今日、セブンスデーを信徒泥棒と言ってくれる教会はほとんどありませ
ん。一昔は獅子の様に聖書を読んで敢然と前進していたのに、今では病
気の豚のように漫然としています。中には自分の教会が他教会から信徒
泥棒とよばれることに羞恥心を感じて、そう呼ばれない様にしようとす
ら言っている者があって、私どもを嘆かせております。
そうではありません。セブンスデーは在来プロテスタントで最も保守的
かつ先鋭的な聖書解釈をもって他教会に斬り込んでゆく先遣隊として召
された教会です。どなたもその事を間違わないでください。
つい先週末に下の本を出版いたしました。本書の目的は
患者と患者をかかえる家族、および学校、社会の一般人を対象に
てんかんの社会的認知を上げることです。お目汚し頂けますと幸いです。
題名:「てんかんQ&A」
出版社:日本文化科学社
ISBN4-8210-7314-5
定価:1900円+TAXです。
著者名:藤井正美・長谷川寿紀
教会にてんかんの患者さんをかかえている所では必読です。
あきよしさん
>SDAはもともとpacifistだったのでは?
誰かそう言っていましたか?
アメリカの正義とその適用範囲/限界を理解するには、聖書歴史の理解との対比
を行う事が必要です。次のように考えると、アメリカの今日置かれている正義が
どのような意味を持っているのか、またそれは、一体どの程度永続性があるのか
が理解出来るようになるはずです。
まず第一のポイント、
(1)不信仰のイスラエルの民の上にサウル・ダビデの王国が建てられたように、
不信仰の世界の民の上に今、アメリカ合衆国が建てられています。
(2)ダビデが神の民の為に戦う事の為に召されたように、アメリカもまた世界の
中で、正義の秩序の為に戦うよう召されています。
(3)ダビデの王国がやがて姦淫や偶像礼拝に走って、堕落し、倒れたように、
アメリカ合衆国もやがて(既にというか)堕落し、背教し、倒れるでしょう。
過去において、こうしたアメリカの役割と同様な役割を担った国として、
ネブカデネザルのバビロニア、アケメネス朝ペルシャ、アンテイオコス朝シリア、
ローマ帝国があります。世界の覇権(ヘゲモニー)を担っている国は、それを
持っていない国の国民からはやっかみと羨望と嫉妬の目で見られて、その意義を
冷静に評価されない事が多いですが、実は、覇権とは、上のような聖書歴史との
対比から考えてみれば、摂理の内に神によって選ばれた事を意味しているので、
厳粛です。
(追記:別件で石原都知事に激励のメールを出しておきました。)
さて、みなさんのお集まりになった所で、まず次の事を考えて頂きたい
と思います。ダビデがエルサレムの神殿の建設を行う事が許されなかった
のはなぜか、ということです。ダビデはサムエルから油を注がれて神の
選びにより王となりましたが、神殿の建設はダビデの次のソロモンに
委ねられました。それは、ダビデが血を流しすぎたからです。
歴代上22:8にこう書いています。
「ところが主の言葉がわたし(ダビデ)に臨んで言われた、
『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。
おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、
わが名のために家を建ててはならない。
つまり、ダビデは王として戦うために召された者であったので、神殿の
建設には召されませんでした。ダビデは、ゴリアテからはじまって、神
の国を建てるためにおびただしい戦いを行い、血を流してきました。我
々は、それを見て、なんとかして戦わずに平和的に事をなし遂げる事は
できなかったのかというなら、それは全然的外れなコメントになってし
まいます。なぜなら、聖書の世界のパラダイムは現代の表面的平和愛好
主義のパラダイムとは異なっているからです。
それはみなさんどうお考えになりますか?
戦うべきときには覚悟を決めて命をかけて戦わなければなりません
という状況があることは、私も同意します。ですが、今回のアメリカの報復が正義
だということには同意できません。
無論アメリカ国民は、理不尽な暴力によって神から頂いた命を無残に失うことに対し
正当防衛を行使する権利はあると思います。
牧師様,皆様こんにちは
あきよし様ありがとうございます
>全クリスチャンを代表するものでは決してありませんし、
>キリスト教教団の公式見解なわけでもありません。
そのとおりで,ちょっと感情的に“キリスト教は”などと書きましたが訂正します。
私自身も今回の件では当事者でないし被害にあった方の心境は想像しかできません。
いい解決方法も思いつきませんしね。祈るだけでしょうか。
>ところで、ROM1さんは英語の聖書をお持ちですか?
学生の頃に英語の勉強のつもりで買ったものがあるので,久しぶりに読んでみます。
牧師様,皆様,またいろいろとお考えを聞かせてください。
#ROM1さま。
> 私はどうしても理解できません。
> 皆様どう思われますか?
「ここは嵯峨野教会牧師さんのホームページなのだ」
ということを常に念頭に置いておくことが大切だと思います。
私は嵯峨野教会牧師さんの信仰を云々するつもりもないし
そんな資格や権利もありませんが、しかし牧師さんの意見が
全クリスチャンを代表するものでは決してありませんし、
キリスト教教団の公式見解なわけでもありません。
このホームページは、漫然と教会に通っているだけでは
何年かかっても得られないSDAに関する情報が満載で、
その意味では非常に貴重ですし、牧師さんの真摯な姿勢にも
本当に頭が下がります。
しかし、あくまでも彼の見解、彼の意見、彼の証しです。
常に聖書に立ち戻るべきだと思います。
ちなみに私が現在通っている教会(SDAではありません)は牧師を
はじめメンバーの多数がアメリカ人で(他の国から来ている人もいますが)
礼拝も英語で行われますが、誰一人として「アメリカが勝ちますように」
みたいなことを祈ったり言ったりしません。「どの国が勝つと
いうことではなく、ただ御国(Your kingdom)が来ますように」と
祈っています。一生懸命に祈り、聖書を学んでいます。
テロの犠牲者に対しても、アフガニスタンで死んでいく人たち
(軍人、民間人を問わず)に対しても、みんな本当に心を痛めています。
また、私のアメリカ人の友人(←SDAです)も、 Sep.11以降
特に頻繁に黙示録に言及したり"end times"という語を口にしたり
しますが、しかし「アフガニスタンで戦うのが、戦争を行うのが、
神の意志だ」などとは決して言いません。
私はこの友人をあらためて尊敬しています。
ところで、ROM1さんは英語の聖書をお持ちですか?
私の意見ですが、お読みになるなら英語の聖書のほうが
断然イイです。現代の英語で書かれているものを。
NIVとかNKJVとか。そんなに高価なものじゃないですし。
ていうか、日本語の聖書より安いんじゃないかしら(笑)
本当ならギリシャ語もおすすめしたいけど、さすがにそれは…(汗
#嵯峨野教会牧師さま。
SDAはもともとpacifistだったのでは?
でも私ばかり答えを書くのは申し訳ないので、
他の意見もまずは聞いてみたいと思います。
他の理事会出席者のみなさん、ご自由にご発言
下さい。
牧師様,皆様こんばんは。
とりあえず,こうやってのんきに書き込めることに感謝ですね。
「聖書の歴史は戦いの歴史」の投稿を読ませていただいて,正直,“まじっすか?”という感想です。
>戦うべきときには覚悟を決めて命をかけて戦わなければなりません
>私も導きにしたがって神に銃を取れといわれるなら信仰の戦いの延長として喜んでアフガニスタンに行くでしょう
問題解決の方法として戦争は正しいのですか?
いくら相手が異邦人であっても,破壊,殺人をしてもいいんですか?
戦争でどちらが正しいかなんて,意味がないですよね?勝った方が正しいことになるんだから。原爆も悲惨な戦いを終わらせるための神の計画だったと?
こういう方法でしか問題を解決できない神って,いったい?
私はどうしても理解できません。
皆様どう思われますか?
今回の戦争(誤爆も多い空爆)=アメリカの正義=キリスト教の正義ということなら,キリスト教に対して嫌悪感を覚えます。
>ところで、先のNYの被災者への募金をアドラーが集めていますが
黒柳たまねぎおばさんをみてUNICEFのほうに募金しちゃいました。
「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」というのは、ひたすら戦わず、相手が危害を与えるなら
甘んじて受けろというような意味に解釈されています。無抵抗主義を主張してインド革命を指導
したガンジーは、イギリスに留学中キリスト教を学び、その素晴らしさに圧倒されました。しか
し彼はあえて圧政者の教会のキリスト教徒になる事をいさぎよしとせず、弱者であった民衆のた
めにヒンドウー教徒と名乗りました。そして彼もまた「右の頬を打たれなば、左の頬をあらわす
べし」のキリストの教えを実行しました。つまり、ガンジーに教えられたインド人は、イギリス
人の搾取に抗議して、落ちこぼれた塩をカップですくいに行きました。はじめは少数のインド人
だったので、イギリス兵はあわれに思って見下していましたが、だんだん塩を拾いにくるインド
人が山のように押し寄せてきました。イギリス兵は、こうしたインド人の老若男女を殴ったり蹴
ったりして追い払おうとしましたが、「右の頬を打たれなば」とガンジーに教えられたインド人
は、イギリス人を殴り返すなどの逆襲をせず、何度殴られてもまた起き上がって、また塩拾いの
列に戻って行きました。つまり、ガンジーは、右を打たれても左を打たれても、ひたすら正しい
事を信じて進めと教えたのでした。
恐らくキリストが言われた言葉の真意を最も忠実に実行したのはガンジーであったと思われます。
キリストは決して自虐思想を教えたのではありません。
こないだ山形大学医学部に講演に行ったときに、22年ぶりに再開したクラスメートの
人たち(医学部教官)に息抜きに面白がってもらうために、経験した笑い話などを書い
て上げた所、医大のホームページに掲載されました。安息日の戦いの後で初めて共に笑
ったという訳です。なお、文中のリンク、画像は私には無断で彼らがユーモアの応答と
して貼り付けたものです。彼らは今では第七日安息日の事を日本の社会の中で最もよく
理解した人々になっているのです。
http://www.id.yamagata-u.ac.jp/MID/YamagataStory.htm#sono1
Here is a missing link.
http://member.nifty.ne.jp/GingaNet/harajuku.htm
毎日新聞インターネット版の記事にこんなものがありました。
>500人規模の大留置場、JR原宿駅近くに建設検討−
>−石原慎太郎知事
> 石原慎太郎知事は2日の定例会見で、JR原宿駅近くに取得した一等地に、
>500〜600人収容可能な大規模留置場建設を検討していることを明らかにし
>た。築37年と老朽化した原宿署の移転に合わせて併設する予定で、石原知
>事は「今後も警察署の建て替えに合わせて、留置場を拡充・整備していく必要
>がある」との考えを示した。
> 都財務局によると、土地は96年に国から防災施設整備用地として約2万4
>000平方メートルを296億3000万円で購入、原宿署の移転の他、都職員の
>災害待機宿舎などの建設が計画されている。
> 石原知事は「平均留置人数はこの10年間で2・5倍。どこの留置場も満杯」
>と説明。地元住民は建設に反対しているが、石原知事は「地域のエゴだと思
>う。腰縄をつけて100人、200人(の留置人)をゾロゾロ束ねて歩かせるわけ
>ではない。冷静に考えてもらいたい」と述べた。
原宿駅近くの一等地といえば、まさに中央教会のある所です。これは、セブンスデーアドベンチストが
その場所で刑務所伝道(Prison Ministry)
を始める事が出来るかもしれない絶好のチャンスです。「原
宿の墓標」にも私が書きましたが、長い間、一体何のためにある教会になってしまったのかと思っていた
原宿ですが、これでこの教会を用いて再びよい証を立てる事が出来るかもしれません。セブンスデーアド
ベンチストは、地元に率先して留置場の誘致に賛成しましょう。これは、素晴らしいプランです。
私も石原氏にメールを出しておきましょう。
リベラルで軽いキリスト教会は「反戦」なんかを叫んでいますが、よくよく考えてみるならば
聖書の歴史は戦いの歴史であり、それは今日まで続いているということを知らなければなりま
せん。もちろん戦争を奨励したり煽ったりするのは神の言葉の趣旨ではありませんが、戦うべ
きときには覚悟を決めて命をかけて戦わなければなりません。こういう世界観の認識がセブン
スデーアドベンチストに限らず、特に戦後の日本のキリスト教会では失われてきています。こ
れは信仰の認識が成熟した結果では決してありません。アメリカの世界総会では本部がワシン
トンDCにあるという理由からではありませんが、常に信徒にアメリカ合衆国大統領とその政
府閣僚のために祈る事を奨励しています。彼らが正しい判断で国の舵取りをする事が出来るよ
うに、その責任が重大であるからです。このような祈りの奨励は、あの不倫とリベラルと不節
操のかたまりのようであったクリントン政権の時ですら続けられました。戦いというのは、理
不尽であり、一面なぜこのようなことが起こるのか、なぜ人が死ぬのか、と数限りない疑問を
人々に呈しますが、一方で神がそれを公平のために求められる事があります。神の摂理による
戦いというものがあります。サタンがそうするように誘導したものがあったとしても、神はそ
れによってすらもみこころをなし遂げられるでしょう。私も導きにしたがって神に銃を取れと
いわれるなら信仰の戦いの延長として喜んでアフガニスタンに行くでしょう。
ところで、先のNYの被災者への募金をアドラーが集めていますが、日本ではどれくらい集ま
りましたか。こちらでは550ドル集まりました。
ここで、政治的な話をすることは私としても本意では有りませんので、そのことについては
これ以上はナにも言いますまい。ただ、一つ聞いておきたいのはアメリカのセブンスデーアド
ベンチストは、合衆国大統領の正義の戦いの決断を全面的に支持しています。という記述。
これは、多くのセブンスデーアドベンチストがそう思っているということなのか。それとも教団
として何らかの決断をくだしたのか、ということ。もし後者であれば、それが、聖書の教えと
どう合理性をとるのかということ。
正当防衛なのか、神がそう命じておられるという解釈なのか、別な理由なのか。
それを知りたいと思っています。
>アメリカのその場限りの中東政策に対する反省はアメリカ国内ではないのですか?
→その場限りの中東政策というのは旧クリントン政権に対して言ってやって下さい。民主党
政権によりアメリカの外交政策は確かに不信と損害を被りました。
>タリバンを育てたのは他でもないアメリカではなかったのでしょうか?
→この認識は違うでしょう。アメリカが育てたのは、ソビエトに反抗したアフガニスタン民族
主義者であり、タリバンはソ連との戦いが終わってから入ってきた外人部隊です。アフガニ
スタンの国民の利害を代表しない寄生政権です。
以上の問題をもっと深く議論したいかたは、下のリンクの掲示板、またはNIFTYのアメリ
カンフォーラムであるFAMERICAの第4番会議室にお願いします(私が参加しています)。
ここでは、一方的なようで申し訳ありませんが、単にアメリカの決断を信頼して支持して下さ
るよう依頼を申し上げるにとどめたいと存じます。
ジョイさん。これは受け入れるかどうかは、あなた次第です。これを受け入れなければ教会
から除名されるとか譴責処分を受けるという性質のものではありません。これは教会の意見
です。異なる意見を持っている教会があろうことは十分承知で述べています。また、セブン
スデーアドベンチストはアメリカの行いがすべて正義であるとは申し述べておりません。誤
解の無いように願います。ですからここでタリバンが云々という事柄を持ち出されても意味
がありません。
|今回のテロ事件をきっかけに教会が再び覚醒し、悔い改め
|の方向に向かって行く事を期待したいと思います
と言う点についてはそのとおりだと思います。しかし、
|嵯峨野教会をはじめ、アメリカのセブンスデーアドベンチストは、
|合衆国大統領の正義の戦いの決断を全面的に支持しています。
とは、私は受け入れがたいですね。
アメリカに正義があるのか?私は非常に疑問を持っています。
ここまで、アメリカに対する憎悪を持たらせるにいたった、アメリカのその場限りの中
東政策に対する反省はアメリカ国内ではないのですか?タリバンを育てたのは他でもない
アメリカではなかったのでしょうか?
イエスの教えは、目には目を持って報復する負の連鎖を断ち切れ、ということだと理解
しています。確かに、右のほほを自分が打たれた時に、左のほほを出すことが出来るのか
自信はありません。でも、そうありたいと言う気持ちは持っています。
去る9月11日の事件から、アメリカのセブンスデーアドベンチスト教会が変わってきています。
テロ事件を再臨の前兆であると真剣に受け止め、アメリカ国内各地のカンファレンスでは黙示録
ダニエル書の研究を教会、組織をあげてリバイバルに取り組もうとしています。こうした動きは
ミッドウエストなど、保守的なアドベンチストの所を中心に起こりましたが、それが今西海岸の
リベラルな地方にも及んでいます。ロマリンダのある南カリフォルニアでも保守派が巻き返して
終末論の真剣な受容を教会に要求しています。教会にリベラル神学がはびこって信徒を欺いてき
たのは非常に悲しむべき事でしたが、今回のテロ事件をきっかけに教会が再び覚醒し、悔い改め
の方向に向かって行く事を期待したいと思います。
嵯峨野教会をはじめ、アメリカのセブンスデーアドベンチストは、合衆国大統領の正義の戦いの
決断を全面的に支持しています。
韓国のキリスト教会が強いのは純真一途で、聖霊を大切にしているからです。セブンスデーアドベンチストは
ともするとカリスマ的な活動を悪魔の所業のように見なして批判する人達がいますが、冷静に考
えるなら、もし彼らの「聖霊」が本物の聖霊であるならば、第七日安息日を聖別して守るように
教えるはずです。そして事実そうなってきています。メシアニック・ジューでも聖霊を軽んじる
理性神学優位の教会よりも、ペンテコステやカリスマ派から入ってきて、土曜日の安息日の真理
に戻って来る人の方が多いのです。そういう聖霊の導きに多大なリスぺクトを払っている韓国の
教会は強くなって当たり前という性質をもっています。ところが、最近はそういう教勢の繁栄に
奢りが出てきて、ホワイト夫人の証の文の勧告や第七日安息日を軽んじたりする者が現れ、教会
に不興を招いているとの由。
そういえば、私が日本の医学部を安息日の理由で中退して、ロマリンダに来たときも、韓国人の
アドベンチストから「そこまでする必要はないのだよ」と言われて鼻白んだ事があったのを思い
出しました。もちろん韓国の教会の名誉のために言うなら、韓国の信徒がみんなそういう風に考
えている訳ではありません。ただ、その時私は韓国もいずれは日本が堕落した道を追うようにな
るのは時間の問題だという印象を得ました。
聖霊を軽んじて、服従の意志を自ら放棄するものは、繁栄の絶頂にあってもネブカデネザルのよ
うに零落します。こころしたいと思います。
数日の滞在でしたし、言葉の壁もあって深いことが分かったわけではありません。
200名ほどの教会でした。牧師は毎朝、祈祷会があるのだといい、毎朝の祈祷会に
数十名の出席があるといっていました。
行った週のの安息日にバプテスマがあり、さらに来週バプテスマを受ける人たちの試
問もありました。毎週のようにバプテスマがあるのだといっておりました。
私は安息日の午後に、証をしました。ルカ22:31,32を引用した時に、私の中を
突然大きなものが突き抜けたように感じました。主の悲しみ、祈りが、大きな波のよう
に押し寄せ、涙が止まらなくなりました。
一緒に行った日本人はまあ照れくさそうな笑みを浮かべましたが、文化の違いの性もあ
るのでしょうが韓国人は、一緒に涙を流して肩を組んできたりしました。
まあ、それだけの体験ですけどね。
カリフォルニアは色々な意味においてアメリカの文化を影響してきました。ハリウッド
映画も南カリフォルニア、フリーセックスもカリフォルニア、キリスト教会の堕落もカ
リフォルニア、家庭の破壊も、ウーマンリブに伴う夫婦別姓の自己主張もカリフォルニ
ア、狂信的な環境保護運動、動物愛護運動、捕鯨禁止運動もカリフォルニアを中心とし
た西海岸、ホモ・レズの厚かましい自己主張もカリフォルニアと、一般に既成価値観や
道徳の破壊はカリフォルニアを中心にして、西海岸から合衆国を東遷する傾向がありま
す。今世紀、特に過去30年間の近年では航空機による人間の移動が盛んになって、カリ
フォルニアの文化の堕落は、間を飛ばしていきなりニューヨークやフロリダなどに転移
する傾向があります。カリフォルニアからはじまる文化破壊はもちろん日本にも影響を
及ぼしています。日本の人達は、ともするとカリフォルニアをアメリカの象徴のように
錯覚していますが(一部マスコミが作ったもの)、決してそうではありません。しかし
日本から旅行する人は西海岸が近いので、それがアメリカだと思って帰って行く傾向が
あり、非常に残念に思っています。カリフォルニアの堕落が、アメリカを東に走るだけ
ではなく、太平洋を西に渡って秋津島に影響を与えているのを見るのは眞に慙愧に耐え
ません。そして皮肉な事に、セブンスデーアドベンチストの医科大学や主力カンファレ
ンも、カリフォルニアにあるというのは歴史の皮肉と言って良いでしょう。
思えば、私も昔日本から渡ってきた所がカリフォルニアだったので、英語のハンデイや
文化の違いによるカルチャーショックがあった事以上に、道徳のレベルの目
もくらむような違いに愕然となって苦しんだ記憶があります。
この事実をもっと日本人は知るべきなのであります。教会がリベラルなのも
カリフォルニア、現代の人種差別もカリフォルニア、日米を太平洋戦争に引きずり
込んだのもカリフォルニア、軽薄な芸能を大量生産して世界を堕落させている中心
もカリフォルニアだという厳粛な事実です。そして日本のセブンスデーは西海岸の
堕落した教会の生きかたを模倣している傾向があると指摘されています。
ミシガンや東の教会ではホワイト夫人の原則に忠実で安息日を守り、終末の警告を
行い、日曜休業令の準備も教会員にさせています。そういうことを不必要とばかり
放擲している西海岸のようであっては、終わりの時にひとたまりもありますまい。
釜山の教会はどんな様子でしたか。
もしよろしければお書き下さい。
おっしゃるとおりだとすると、なんかショックですね。
釜山にある教会を去年訪問しましたが、とてもそんなふうには見えなかったのですが。
韓国の信徒によると、韓国のセブンスデー教会は一般に熱心であると言われていますが、
それは恐らく日本と比べるならその通りであるが、アドベンチストの使命と聖書の原則
にしっかり立っている人は一部分で、大部分は、かなりリベラルになっており、安息日
は土曜日にこだわらなくてもよいとか(ここでも某氏が言っていましたが)、聖書の創
造の記録は字義どおり取らなくても良いとか、ホワイトの勧告に従わないでバルトやボ
ンフェッファーの神学を教理の一部のようにしているような人とかもあるのだそうです。
決してニュースタートを実行する熱心で誠実な人達が必ずしも多数ではなく、かえって
まともなのは一部分なのだ、ということでした。
韓国の状況を知っておられる方がありましたら、ご自由に補足して下さい。
ジョイ様
アメリカではホワイト夫人の証の文の著作権は完全に放棄されています。つまりそれを誰
が引用しようが、翻訳しようが全く自由になっています。ですから、版権の問題は全くあ
りません。日本語訳の著作権版権も伝道のために放棄されて欲しいと思います。既に放棄
されているならよいですが。
ついでながら、口語訳聖書の版権が来年あたりに切れるはずです。そうなると口語訳の版
権は存在しなくなりますので、出版物における自由な引用が可能になります。嵯峨野教会
では新共同訳の聖書は問題が多いので勧めません。白石先生は、プロテスタント教会の殆
どが新共同訳を使っているからSDAもそうしなければならないといって無理やり教会の
聖書を新共同訳化しましたが、事実は、プロテスタントの殆どの教会の末端の福音原則的
な信徒は口語訳か新改訳を使っており、新共同訳をつかえと音頭を取っているのはエキュ
メニカルかぶれの教会中枢と神学者だけという状況です。そういうプロテスタント諸教会
の中でもSDAが最も早期に新共同訳を率先して採用したというのが寧ろ不自然であると
指摘されます。新共同訳聖書はゴミ箱に棄てて口語訳か新改訳に戻りましょう。
それから、ジョイさん。お気づきになっておられると思いますが、当ホームページと掲示
板は、ページアクセスカウンターの検出結果が示すように、かなりアクセス頻度が多くな
っており、姉妹ページの創造論再評価ページやメシアニックページなどからも流れ込んで
いる人が多いと思います。その中に更に2chも講読している人も少なくないと察せられ
ます。ですから、ここの発言もそうした人達によく見られているのは仕方がないと割り切
って下さい。
しかし、ここで発言すると2チャンネルに偽者が現れると言うのは不思議なものだなと
思います。以前にも私の名前で、書き込んだ人がいました。
その発言も90%同意できるような発言だったので、あえて何も言いませんでしたが。
私は固定ハンドルと、名無しで、荒したと言う無実の罪を着せられてから、2ちゃんねる
の交わり、発言を基本的に信用していません。2チャンネルで発言するJoyはここで発言す
るジョイではないと言うことだけ宣言しておきたいと思います。
ほんとですか?
版権はどうなっているんですか?
韓国の教会は交わりを持ったことがありますが、日本の教会と違って
パワーがあったように感じたのですが。韓国の教会がスランプだとは思いませんが
そこら変動なんでしょうか?
ホワイト夫人の書いた「各時代の大争闘」がなんと韓国の長老派教会から出版されました。
セブンスデーとかそういう名前を一切出ていませんが、内容だけで十分現代のキリスト者
の必要に通用するというので、発刊されました。「大争闘は暗い、無気味」とか言って敬
遠している一部アドベンチストとはなんという違った認識でしょう。
長老派の教会から出されたホワイトの大争闘は、現在はハングル文字版しかありませんが
そのうち中語版もやはり長老派から出る予定です。セブンスデーがスランプに陥っている
間に神は他の器を立てて御心をおこなっている証拠です。
今日ほど、SDAであることを試されている時代はないと思います。
十九世紀に始まったこの教会は既に新しい世紀の到来を2度経験し
教会の神学も次第に初期の純粋さから変化を受けています。
日本とは違い、アメリカではセブンスデーの4世5世の時代になっ
ており、セブンスデー1世というのは寧ろ希少価値になっています。
そうであったとしてもアメリカの場合、4世5世の教会員は寧ろ進
んで世の中に飛び出して揉まれて来る人が多いというのが日本とは
大いに異なる所です。日本の場合は固まってしまって、世界を見る
視野が狭くなり、社会の常識が通用しなかったり、逆に社会の非常
識をあたかも常識のようにしたりしていることがあります。
狭い社会に生きていると当然、人間関係のバランス感覚も歪んでき
ます。そうなるとセブンスデーであることが社会に対して、本来あ
るべき姿を提示出来なくなるのではないかという問題が生じるでし
ょう。私はセブンスデーでバプテスマを受けてかれこれ26年になり
ますが、同時にメシアニック・ジューでもあります。いつか自分の
事を公に詳しく証しなければならない時が来ようと思いますが、な
んであれ、みなさんもそれぞれ型にはまらないでアドベンチストの
使命を実行して頂きたいと思います。
村上氏の本の徹底した書評執筆は多忙につき来月に持ち越しと致し
ます。待っている人には申し訳ありませんが、お知らせまで。
この教会は「解放の神学」を支持するのか否かと、ある方から尋ねられました。
解放の神学とは、戦後、第三世界で爆発的に広がったキリスト教神学で、キリ
スト者は貧しい者を解放する使命を持つということを教えています。
セブンスデーアドベンチスト嵯峨野教会は「解放の神学」を支持しません。な
ぜならば、これは聖書に階級闘争の史観を持ち込んだキリスト教とマルキシズ
ムの折衷思想であり、非聖書的であるという理由です。この場をもってそのよ
うに申し上げます。
なんでしょうね 投稿者:嵯峨野教会牧師 投稿日:10月20日(土)23時24分15秒
>ジョイさん
サーバーから来た手紙では、ウイルスの種類などの詳細は述べていませんでした。ただ大きな
被害にあったとだけありました。みなさんもお気をつけ下さい。
>欄版さん
メールアドレスは今開けている本掲示板のページの一番下にも書かれています。
>皆さん
ホームページの更新が遅れていますが、果報は寝て待てではありませんが
いましばらくお待ち下さい。
では私は今から教会に言って参ります。
ところで、ウイルスの攻撃と言うのは、NIMDA ですか?
今はもう印刷していません。キリスト教図書目録にも載っていません。在庫だけです。だからもうすぐ手に入れることが出来なくなるでしょう。貴重な資
料になるでしょう。それからビデオと奇麗なパッチワークと牧師婦人からの手紙有難うございました。宜しくお伝え下さい。牧師様E-mailアドレス教えて
下さい。コンピュータがトラブったのでアドレスがありません。
村上良夫氏のこの本は、アマゾンの通販には登録されていませんでした。
ISBN4-400-42660-2 で検索しましたが、まったくヒットすらもしませんでした。
彼は読者対象として、アメリカ文化、歴史、に関心を持つ研究者学生を念頭に置
いているように、本文に書いていましたが、それならばもっとそちらの方に販売
努力をしたであろうはずなのに、妙です。
当嵯峨野教会読者の皆さんの中でこの本を読まれた方もあると思いますが、読後
の感想があれば、お気軽にお寄せ下さい。私は下に述べたように、この本は資料
的価値を高く評価しますが、結論に問題ありと断定します。
アドラが今回被害にあったNYの復旧救援の為に募金をしています。
もよりの教会で受け付けていると思いますので、志をお願いします。