以下の文書は天沼教会を中心とした長老グループが理事長の進退問題を教会機関紙「アドベンチストライフ」に曝してしまった教団理事会の醜態を憂慮した結果教団理事会に対して上奏された公開質問状です。嵯峨野教会牧師はこれを教会員のネットワークから入手しました。これは公開質問状で既に教会に流布しており、また、SDAの現状を知るのに有益である価値を認めて、ネット上でも広く掲示公開を行います。なお、当然ながら本文は原文のままであり、嵯峨野教会ホームページでは掲載にあたり言い回しや送り仮名などの校正を一切行っておりません。当文書のコメント及び解説は別ページに表示します。2003年8月25日 嵯峨野教会牧師 拝
教団理事長辞任勧告決議に関する件
このたび教団理事会が上記の決議をされたことを知り、私たち信徒は大変驚くと同時に、心から遺憾に思っています。教団総会で正式に選出された理事長を、任期中途で更迭するという大変重大なことを、教団の上層部が私たち一般信徒の全く知らない所で、内密に計画し唐突に決議したことに対して、私たちは大きな疑念を抱くとともに強く抗議するものです。教会指針に「教区および教団の組織において、すべての行政権限は教会員から生じる。」(p.147)とあり、また「教会の権威が教会員にあることを認め、」(p.34)と明記されています。教団の役員は教会員から教会行政の一般的業務の執行責任を委任されていますが、理事長の更迭というような重大な問題については、法律違反等緊急やむを得ない場合を除き、当然委任した教会員に計るべきです。しかるに理事会は、教会指針に保証されている教会員の基本的権利を認めずに、特別委員会を設置して、理事会の意に沿った答申を引き出した上で上記の決議をしたことは、理事会の権限を逸脱してはいないでしょうか。北太平洋支部総会の総理も委員会に出席し今回の教団理事会の決議を是認されたようですが、理事長に対する辞任勧告が規則に則った正当なものであるという根拠を明示すべきです。次の総会までは理事会が最高議決機関であることは承知していますが、もし今回のようなことが許されるのであれば、総会で理事長を選出する意味が無くなってしまいます。なぜなら、せっかく選んでも理事会の意に沿わなければ直ぐに更迭されてしまうのですから。わが教団のみならず上部機関までが、組織の最高責任者の選挙についてこのような認識しか持っていないとすれば大変残念なことです。
私たち信徒は、このように重大な問題は理事会が密室で論議すべきものではなく、信徒を含めた公開の場で関係者の弁明を公平に聞き、充分な論議を尽くしてから結論を出すべきものと考えます。私たちはこの件に関する理事会の措置について多くの疑問を感じていますので、下記の問題点について、速やかにその真相を明らかにされるよう、ここに要請いたします。
記
[1]辞任勧告の妥当性について
(1)教団行政諮問委員会の委員から、理事会宛に理事長の更迭を要請する文書が提 出されたとのことですが、この文書には一部の委員の名が記載されていないので、委員会の正式な答申とは認め難いと思われ、しかも内容が重大であればその取扱いには特に慎重を期すべきであるにも拘らず、理事会はなぜこのような私的文書を緊急動議として認め、決議を急いだのでしょうか。(2)「対話と圧力」が今や国際政治のキーワードになっていますが、SDAにもそのまま当てはまるようです。理事会は理事長との「対話」は、もはや不可能で「圧力」以外に方法は無く、しかもその「圧力」は「対話」を引き出すためではなく、理事の意向に沿わない理事長は解任すなわち「抹殺する」という、ブッシュ流の強硬姿勢のようです。謀略的な政治の世界ならいざ知らず、これが愛を語り赦しを説く牧師指導者の執るべき態度なのでしょうか。アドベンチスト・ライフ誌の「教団理事会リポート」を見る限り、今回の事件に関する理事会の対応は、キリスト者としての立場から考えて、全く妥当性を欠いていると思わざるを得ません。
[2]辞任勧告の理由について
下記の理由が考えられますが、今回の件については「教団理事会リポート」によれば、(4)だと思われます。(1)背任行為等法律または教団規則に違反する行為。
(2)法律・規則等の違反ではないが、道義的責任をとるべき言動。
(3)職務遂行が困難な肉体的または精神的な健康状態。
(4)理事長としての職務遂行能力や資質の欠如。
上記(1)、(2)、(3)の理由であれば、教団規則によってもまた常識的にも辞任勧告は当然の措置であると考えます。しかし(4)が理由だとすると、疑問が生じます。なぜなら、(1)、(2)、(3)の理由は、就任前には存在していなかったか、あるいは存在していてもその事実が判明していなかったと思われるので、判明した時点で辞任を勧告するのは当然のことです。しかし(4)の理由は、就任前からすでに明らかであったはずですから、責任は選ばれた理事長よりも、むしろ理事長を選んだ側にあるというべきです。現理事長の能力や資質は、その長年にわたる牧師、教区長、教団総務局長 としての過去の実績を見れば明らかであり、理事長としての適性は容易に判断できたからです。この故に、理事会が指摘した(4)が辞任勧告の理由だとすると、役員推薦委員や総会代議員は、候補者の適性を審査する重要な義務を怠ったことになり、その責任が問われます。しかしこれは理事会が総会の最重要決議を覆すことになり、組織として安易に許されることではないはずです。また総会終了の時点で前委員や代議員はその任を解かれていますから、結局誰にも責任を執らせることは出来ません。従って(4)を、更迭の理由にするのは無理ではないでしょうか。
私たちは理事長選挙の結果について、総会が人選を誤ったと否定的に見るのではなく、肯定的に見る必要があると思うのです。賢明な推薦委員や代議員が祈りのうちに理事長候補者を慎重に審査した結果、多くの欠点を承知の上で、現在の閉塞状況を打破するためには必要なリーダーと判断して、あえて選任したものと私たちは理解したいのです。理事長に指名された指導者が、私たちの期待した人物ではなかったとしても、選挙によって選ばれた以上、そこに見えざる神のみ手を信じるべきだと私たちは思うのですが、これは間違いでしょうか。もし間違いだと言われるなら、神のみ手を選挙結果以外のどこに信じたらよいのか、聡明な先生方にぜひ教えて頂きたいのです。
私たちは選挙の結果を謙虚にそして積極的に受け止めることが、選挙制度を採っている組織の一員としての義務であると考えます。
なお、上記(1)〜(3)の理由によって理事長の更迭が必要な状況が発生した場合を想定するならば、理事だけの密室謀議ではなく信徒を含めた公明正大な対策が採れるように、リコール制度の導入を検討されたら良いのではないでしょうか。
アドベンチスト・ライフ誌の「教団理事会リポート」によれば、「理事長のリーダーシップのあり方および行政の混乱の責任」が問われたとあります。更迭が法律または内部規則違反など明白な客観的理由ではなく、「リーダーシップのあり方」というような主観的な理由に基づいて行われることは、大変危険です。なぜなら「リーダーシップ」については、いわゆる日本型と西欧型との相違も指摘されており、どの型を採るかは、現状認識の視点や程度によって、議論の分かれるところだからです。
「和」を重視する「日本型リーダーシップのあり方」から見れば、現理事長に問題があることは事実でしょうが、「ドライ」な「西欧型リーダーシップ」が、危機に際しては特に必要なことも否定できません。対立する両者に言えることですが、異質な者を排除する発想では、改革は成功しません。組織運営上の「和」は、「斉唱」ではなく「合唱」のハーモニーの中にこそ存在するのです。異質な者同士の柔軟な「対話」による解決を両者に強く求めるゆえんです。
理事会が柔軟路線を拒否して、どうしても現理事長の責任を問いたいのであれば、これまでの歴代の理事長のリーダーシップのあり方も同時に問うべきです。もし歴代の理事長が、リーダーとしての透徹した先見性と卓越した行政能力そしてひたむきな情熱を持っていたならば、SDAの教勢や財政状態がこれほどまでに落ち込むことは無かったはずではありませんか。組織の長たる者は、すべて結果責任を執るべきであるからです。実績の低迷を他人や環境のせいにするのは、指導者としての責任感の欠如を示していることにほかなりません。
「行政混乱の責任」について、私たちはその具体的内容を知りませんが、多分理事長の独断的なリーダーシップに対する反発だろうという想像はつきます。しかし、現理事長のこのような資質は周知の事実であったことは前述のとおりであって、それを今更あげつらうのは、天に唾するようなものではありませんか。理事の方々は本当にご自分の行為が天に恥じないものであると断言できる確信があるのでしょうか。実は指導者がこれまで執ってきた態度こそが、「行政の混乱」どころか教団全体に混乱と停滞とを招き、信徒に不安と不信とを抱かせているとお考えにはなりませんか。
[3]「油注がれた者」の権威について
教団の理事長は、教団理事会の「議長」であると同時に、SDA教会並びに各事業部門を統括し、内外に対してその責任を負う代表者です。たといベストな人選ではなくベターなものに過ぎなかったとしても、あるいは反対意見があったとしても、多数決の原則に従って総会が承認した以上、神が批准された「油注がれた者」とみなすべきではありませんか。理事長の考え方や指示命令が、神の戒めに基本的に違反していない限り、具体的な運営面での方法論や見解の相違があったとしても、各理事は理事長の基本方針に従ってこれを補佐するのが組織の常識だと私たちは心得ています。信徒理事ならともかく、役職兼務理事は特にこの点を厳格に遵守すべきです。この点を教団の役職者が十分認識していないところに、SDA組織の「甘えの構造」があるように思われてなりません。理事長の考え方にどうしても賛同できない理事は、自ら静かに身を引くべきであって、理事長に辞任を迫るのは筋違いであり、「油」を注いだ神への反逆ではないでしょうか。もちろん理事長は理事会の意向を受けて行政権を執行すべきですが、理事長職は単なる司会役ではないのですから、他の理事よりも一段と強力なリーダーシップを発揮すべきことは今更言うまでもありません。もし誤ったリーダーシップをとれば必ず実績となって現れるのですから、任期満了の時点で容赦なく総括し、その責任を徹底的に追及すればよいのです。過去において、指導者が当然執るべき責任を執らなかった事例を私たちは知っています。(それにしても5年の任期は長過ぎます。世界総会との調整もあるでしょうが、役員の任期は4年にすべきです。今回の事件は5年という非常識とも言える長い任期が、気短な指導者達の焦りを誘ったのかも知れません。)
一般の企業においても、就任した代表取締役が改革の方針を打ち出したら、全取締役はたとい内心では不服であっても、これに従わなければならないし、従いたくなければ自ら辞任し組織を去るのが常識であることは、ゴーン社長の率いる日産自動車の例を見るまでもなく明らかです。教会は一般企業とは違うと言う人もありますが、組織の運営方法や意思決定の仕方では共通点があり、特に役職者としての責任の執り方については、教会は企業から多くの点を学ぶことができるように思います。
[4]SDA教団運営上の問題点について
今から3年前、白石理事長の頃に、金沢守恭責任役員がアドベンチスト・ライフ誌に教団運営上の具体的な問題点について、組織の根幹にかかわる大変重要なことを指摘されました。その要点は次の3点でした。● SDA組織の官僚化による「無責任症」
● 談合体質的「委員会病」
● 教会員の「無関心症候群」
私たち一般の教会員は行政運営にかかわっていないので、具体的には分かりませんが、教団理事であり責任役員でもあった金沢兄の証言は、まさに核心を突いたものに違いないと思います。教団の機関誌に問題点が公表されたのだから、教団は当然その改善策を講じられたものと私たちは信じていました。ところが今回の事件で教団は3年前に指摘された問題点を全く改善しなかったことが明らかになりました。実は指導者のこの怠慢こそが組織運営の混乱を招いている元凶だと私たちは考えるのです。下記の現状は金沢兄の3年前の指摘と完全に符合します。
● 最高責任者である理事長の命令に従わない無責任な官僚的行政担当者。
● 密室談合で異質な者は理事長でさえも排除しようとする委員会や理事会。
● これらの事実を見せられて、ますます「無関心症候群」に落ち込む教会員。
しかし、何よりも悲しくそして不思議なことは、これらの事にかかわった全ての方々が、日頃は異口同音に神のみ名を語っていることです。私たちの信じる神は、異質な者を排除する神ではなく、受容して下さる神であることを、ぜひ再確認したいものです。信徒に対して赦しの愛を説く前に、まず牧師でもある指導者ご自身が赦しの模範を示して下さることを切に願うものです。
[まとめ]標記の件に関する教団理事会および行政諮問委員会の措置は、一般信徒にとって誠に理解し難く、遺憾極まりない事件です。私たちの総意で選んだはずの最高責任者をこのような手法を用いて更迭することは、一種のクーデターであって、キリスト教会が執るべき手法では断じてないと私たちは確信します。
本来このように重大でしかも微妙な問題は、教会外の人にも読まれるライフ誌に掲載すべきものではなく、教会内部で徹底的に論議すべきものではないでしょうか。いま偉い先生方がなさっていることは、夫婦喧嘩を近所中にふれ回り罵り合っているようなもので、信徒として真に恥ずかしく、居たたまれない気持ちです。
この事件がSDA教会の名誉を内外に対して著しく傷つけたことについて、関係者の釈明だけで終わらせるべきではなく、特別委員会を設置して、現在及び過去の地位の上下に関係なく厳正な処分を検討すべきものと考えます。もし現在の教団に自治能力も自浄能力も無いのであれば、改革案として教団理事の構成比率を「教役者5対信徒5」(理事長は教役者)にするよう教団規則等の改正を強く要望します。もしこのような抜本的改革が不可能ならば、最終的には残念ながら、自治権を持つカンファレンスの組織を解体して、自治権の無いミッションに組織変更する以外に、選択肢はないと思われます。
私たち一般信徒にとっては、自治権があるために指導者同士が主導権争いを演ずるカンファレンスよりも、このような争いが起こり得ないミッションのほうが遥かに良いと思います。教団行政は世界総会(北太平洋支部)が指名する専門家に任せて、全ての日本人牧師は本来の伝道活動に専念していただくほうが、お互いにとって幸せではないでしょうか。 極端な意見と思われるでしょうが、ドラスチックな改革を行わない限り、問題の先送りで終わるであろうことは過去の歴史が証明しています。
私たちの主張の聖書的な根拠は、背信したサウル王に対してさえ、「主が油を注がれた者に向かって、手をのべ、罪を得ない者があろうか」(サムエル記上26:9)と言ったダビデの言葉です。理事長は、神が直接任命した旧約時代の王とは違い、神から委ねられた権限に基づき教会員が任命したのですから、任命権者である教会員(教会指針によれば根源的な意味では理事会ではなく教会員)に対して忠誠を誓う義務があります。この義務を果たしているか否かを最終的に判断するのは教会員のはずですが、現状はその当然の権利を行使する機会が殆ど与えられていません。教団上層部の密室談合的行政運営に私たち信徒はいつまで耐えなければならないのでしょうか。
いろいろな事を述べましたが、真実を知らないために誤解している点が多くあると思います。だからこそ理事会は私たち信徒に無用な誤解を生じさせないために、もっと信徒を信頼して開かれた教団運営をして欲しいのです。心ある教会員は教会行政に対し決して「無関心症候群」に陥ったのではなく、その再生を心から願いまた行動することを明らかにするために、私たち教会員有志は正直な気持ちを隠すことなく表明し、ここに公開質問状として提出しますので、ご回答を速やかに下さるよう要請する次第です。
以 上
2003年8月 日
青 木 克 彦 (天沼教会員)
津 嘉 山 薫 (天沼教会員)
三 尾 喜 作 (仙台教会員)
堀 和 雄 (天沼教会員)
(五十音順)
上記の公開質問状にある金澤守恭氏の発言とはこれです。
http://www.sda.or.jp/LIFE/2000/09/3244.html
金澤氏の発言を牽制するために掲載された発言。
http://www.sda.or.jp/LIFE/2001/01/3366.html
こんな事をしている間に裏で三育学院学長が理事長にあてていたハラスメント
http://homepage3.nifty.com/newSDA/bessi10special.html