クリスマスを祝うのをやめよう
このアーテイクルは、クリスマスの風習の遵守は非キリスト教的であることを証明して心あるクリスチャンがいかなる理由があろうともクリスマスの風習を遠慮するように奨励する目的で書かれた。
たとえば誕生日を祝うのに、本人が一月生まれであるのに、他の人が八月に誕生日カードを送ったとしたら、カードを送った人は当人に対して失礼なことをしたことにならないであろうか。成熟した大人なら確かに誕生日を間違えられてもあまり気にしないかもしれない。しかし同時に成熟した大人ならその日ではないと知っていてわざわざ誕生日を祝うような事はするまい。たとえば3月4日生まれの人がいたとして、本人が3月4日生まれであるという事実があるのに、3月3日のほうが他のお祭りと一緒に出来るから都合がよいとして、第三者の都合と便宜が優先されて、その人の誕生日を3月3日として勝手に決めてしまうのならば、たとえそれが1日や2日の違いであっても、その人の人格と存在を無視したように解釈されて、失礼なことをしたということに言われることもある。世の中には確かに自分の誕生日など別に他の人に覚えられても覚えられなくても構わないと思う人々もあるが、そうであったとしても、やはり自分の誕生日を故意に間違えられるとしたら、余りよい気持ちはしないであろう。
聖書にはイエスキリストについての記録がのせられている。新約聖書によると、イエスキリストはパレスチナに進駐したローマ帝国が属領の人口を数えて税金を取るために、イスラエルの住民に強制出頭を命じたという記録がある。イエスの母となったマリア(ミリアム)はこの時身重であり、ナザレからベツレヘムにたどり着いたとき、町の宿が一杯だったので馬小屋に泊り、そこでイエスを生んだとある。世の中では、この日が太陽暦の12月25日であるとして、現在のクリスマスという習慣になっており、クリスマスに主イエス・キリストの生誕を祝わないのはクリスチャンではないかのように思われている。
しかしながら、ここで一歩下がって、新約聖書に記述されている記事を冷静に読み返す必要がある。まず第一に、いくらイスラエルが南の国であるとはいえ、12月の25日の頃の気候がこれらの出来事が起こるのにふさわしい自然環境が整っているかどうか吟味してみるがよい。イスラエル・パレスチナでも冬は雪が降ることがある。讃美歌にもあるように、ゴラン高原のヘルモン山は冬には雪景色を呈するのである。近くにあるそういう比較的低い山がそういう風に雪化粧をするとき、下界はどの程度寒いのか経験者には理解できるはずだ。決して「肌寒い気候」ではなく、事実寒いのである。とても粗末な布に嬰児をくるんで静かに、風通しのよい馬小屋の中で、牧童や東方の三博士の閲覧に耐えることが出来たとは思えない。しかも、この羊飼いの牧童たちは羊を養う野にその夜は野営していたのである。12月の末に牧童が野宿するのだろうか、またその頃は羊たちは夜には羊舎に収容されているべき季節ではないのかと疑ってみても間違いではない。また、ナザレからベツレヘムまでは直線距離でも100キロメートル程あり、こんな距離を寒風吹きすさぶ道をラクダか何かに揺られて妊婦がまともに旅が出来たであろうか。もう少し穏やかな気候の時でなければ、そういうことは出来ないのではないか?また、ローマがいくら横暴であったとしても、わざわざそういう真冬を選んで民を強制出頭させるようなことをしただろうか。彼らだって、12月の末は寒いとは思わなかったのだろうか。そういう疑問がいくつも湧き起こってくるのはあなたの状況判断力が正しい証拠である。
そこで聖書を振り返ってみよう。イエスが公生涯の働きにお付きになったのは30歳になった時からであるとされている(ルカ3:23)。イエスはその後3年半福音と神の掟の奥義を宣べ教えられて、それから十字架に懸かられた(ダニエル9:27)。つまり、イエスの生涯は33年と6ヶ月あったのである。イエスが十字架に懸かられたのは過ぎ越しの祭りの最後の日であった。これはユダヤ暦でニサンの月の第15日目ということになる。実際ユダヤ人は現在でもニサンの月の15日は過ぎ越の祭りである(現在クリスチャンが行っているイースターというのはこの過ぎ越しの祭りが変形したものと考えられる)。イエスが十字架につけられたのはこの前日の、第14日に過ぎ越しの子羊として屠られたと聖書は記している。(ヨハネ19:31、ルカ23:53・54、1コリント5:7)これからユダヤの暦に従って33年と6ヶ月前にさかのぼるとどういうことになるかというと、テイシュリの月の第15日目であるが、この日は今日の太陽暦ではおよそ9月か10月上旬にあたるが、ユダヤ暦ではまごう事無き「仮庵(かりいお)の祭り」である(
ユダヤ暦カレンダーを参照されたい)(また、レビ記23:34を見よ)。これは偶然ではない。ユダヤ暦を見ると明らかなように、テイシュリの月の第一日はユダヤ暦の新年であり、この時はつのぶえを吹き鳴らして主なる神が来られることを告げ知らせるという掟がある。それから10日後にヨム・キプールという大贖罪日があり、この日は祭司が民の罪を清める為に聖所の中の至聖所に入られる日であった。こうして新しい年を迎えて、その月の第15日は「仮庵の祭り」であり、その時はユダヤの人々は家の外に粗末な掘っ建て小屋を建てて、そこで食事をし、かつて昔にイスラエルの人々がエジプトから救い出された時に、カナンの地に入るまで、粗末な宿営の生活をしたことを記念するためのものであると説明をされてきた。ところが旧約聖書ゼカリヤ書を見ると、驚いたことに、異邦人の人々でこの「仮庵の祭り」のためにエルサレムにわざわざ上ってこないならば、その頭の上に雨が降らないと記されている。ゼカリヤ書14:16ー19には『エルサレムに攻めてきたすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上ってくる。地上の緒氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムに上ってこない氏族の上には、雨が降らない。もし、エジプトの氏族が上ってこないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上ってこない諸国の民を主が撃つその災害が彼らに下る。これがエジプトの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上ってこないすべての国々への刑罰となる。』そこで読者は考えるだろう。「どうして我々がユダヤの『掘っ建て小屋』の祭りに敬意を払わないからといって雨が降らなくなるという刑罰を被るのか?それはあまりにもアンフェアではないか」と。確かにそれがただの昔のレトロのライフスタイルを偲ぶお祭りにすぎないのであれば、そういう不平を神の前に言ってもよい。
しかし、キリストがちょうどこの「仮庵の祭り」にお生まれになったというのであれば、それが意味する所は何であるのか一緒に厳粛に考えようではないか。まず、キリストがお生まれになって、牧童や東方の三博士達と謁見をしたその馬小屋自体が、「仮の庵」であったという事実に気がついてほしい。キリストは王の王、主の主であられたのに、きらびやかな宮殿で生まれずに、みすぼらしい仮の宿の馬小屋でお生まれになった。これは、イエスが、既に選ばれていたユダヤ民族の経験と御自分の生涯が共有されるべきものである事をはじめから証されたのである。しかも、それは預言者ミカの救い主メシアの到来の叙述を完璧に満たしていた。さらに、このイエスは8日後に祭司のところに連れられていって割礼を施された。いわゆる「献児式」である。ユダヤ暦に戻り、「仮庵の祭り」から丁度8日後に何があるか見てもらいたい。「仮庵」から8日目は仮庵の祭りの最終日であるが、これはまた同時になんと「シム・ハ・トーラー」(律法の日)である。この日はユダヤ人の新年の最初の月の一連の霊的意義を持つお祭りの中の最後の飾るものであり、我々を守ってくれて、祝福をもたらした律法が与えられた事を神に感謝するという日なのである。ともすると一部のクリスチャンには、福音を強調するあまりに、律法は我々を罪に定める厄介ものであったというような律法に敵対的印象を持って受け止められるが、ユダヤ人にはそういうネガテイブな律法観は全然存在しない。むしろ、「神の律法がなければ我々は砂漠の骨になっていた」、「律法が我々に命と希望を与えた」として賛美しているのである。こういうシム・ハ・トーラーの祭りの日に、イエス・キリストがやはり律法に従って割礼をお受けになったということは、イエスキリストが律法と一致した、言い換えるならば、ここに律法が受肉したのである。この事実は、後のイエスキリストの山上の垂訓にあるように、「私は律法を廃する為に来たのではない。廃する為ではなく、成就するために来たのだ」(マタイによる福音書5:17)という言葉とつながっている。それゆえに、イエスキリストは我々の律法そのものであり、福音そのものなのである。律法が廃されるならキリストが十字架にかかられる必要はなかったのである。イエスはまた、この同じシム・ハ・トーラーの日に人々にいわれた、『さて祭りの終わりの大いなる日にイエスは立って大声で言われた、「誰でも渇いているなら、私のところに来て飲みなさい。私を信じるものは、聖書が言っている通りに、その人の奥底から生ける水の川が流れ出るようになる」』(ヨハネ7:37)
さて、こういう聖書の厳粛な背景があるのであるから、イエス・キリストが12月25日の年末の季節ではなく、太陽暦で9月か10月の秋の「仮庵の祭り」の時にお生まれになったというのは、ほとんど確定的である。そうであるなら、どうして主の誕生日がユダヤの「仮庵の日」から12月25日になったのか振り返ってみよう。実は、この日にちの変更の仕掛け人は、ローマ帝国のコンスタンチヌス大帝であった。彼はキリスト教を公認したと知られているが、彼がイエスキリストの誕生日を偶像の太陽礼拝の日に任意に宛ててしまった。彼自身はキリスト教の信者の力を政治的に利用しようとしただけの太陽礼拝教(ミトラ教)の異教徒だったのだ。ということは、その後のクリスチャンは、事もあろうに、主なるイエスキリストの誕生日を以後約1700年もの間、気がつかないままコンスタンチヌスの政治的な便宜のために、間違って祝ってきたということになる。人間の誕生日ですら、間違った日にちを祝うなら心証を害したり、失礼なことと見做されるというのに、それを救い主なるイエスに対して行ってきたのである。いかなる神学的辞句を弄しても、クリスチャンにとって、この未必の過誤の継続を正当化するのは困難である。
ちなみに、プロテスタントの一派であるセブンスデー・アドベンチスト教会は、その教会の「女預言者」と称されるエレン・G・ホワイトが「各時代の希望」という書物の中で、クリスマスは異教由来であるから、この教会の兄弟姉妹はクリスマスを祝ったりしないようにと勧告し、かつ「仮庵の祭り」に敬意を払うように述べたが、そうは述べたものの、キリストが実際にお生まれになったのは「仮庵」であったとは述べられておらず、明らかに、そこまでは気がつかなかったのではないかと見られる。19世紀のセブンスデー・アドベンチストのみならず、一般のプロテスタント教会の教会員達に伝統的ユダヤの祭礼の知識がなかったのであるから無理もないが、わかっていたら、そこまで踏み込んで勧告していただろうとは容易に察せられる。実際、この宗派では現在では、クリスマスを「伝道の目的」として、サンタクロースまで繰り出して祝っているが、キリストのお生まれになった日がもはやこの日ではない以上、そういう事をしても何の益もないことが明らかである。
主イエスの誕生日を僭越にも変更してしまったコンスタンチヌス大帝は、実はもう一つ驚くべきことをしている。それは、彼が、「主の日」である第七日の安息日を、週の第一日目の「日曜日」に変更してしまった事である。したがって、クリスチャンは、主イエスの誕生日を誤らされただけでなく、主の創造の記念の日である安息日までも違う日がそうであると信じさせられて過去1700年間も延々とやってきたということになるのだ。
聖書には「仮庵の日」に宮に上って祝わない異邦人の国や王の上には雨が降らない、と記された。もはや、このふつつかな説明を読まれた読者にはお解りのことであるが、それは主イエスが「仮庵の日」にお生まれになったことを喜んで祝福しない人々の上には聖霊の雨が降らない、ということである。それは、上にあげたゼカリヤ書の聖句の「仮庵の祭り」の文字列を「イエス・キリスト」と読み替えてみれば改めて理解できる事だ。クリスチャンの教会がこの事実を一刻も早く悟り、出来れば本年からでも、少しずつ思いを改めて、自分の教会に祝福の聖霊の雨をもたらす様になることを切に希望する。ある教会はクリスマスの風習は異教徒の日本にキリスト教を紹介する伝道の機会として有益であると主張しているが、それは節度の無い便乗主義というものであり、そのようなことを言うキリスト教の牧師は一様に恥を知って悔い改めるべきである。間違ったキリスト教のイメージを与えて宣伝することが「伝道」の為に益になると考えるべきではない。
この文書の所在をみなさんの教会の兄弟姉妹の方々に広く知らせてあげてください。(リンクは御自由にお張りになって結構です)
参考文献
★クリスマス粉砕同盟規約
(著者のBJ氏からのリンク許可取得済み)
実は、クリスマスの歴史は浅い。キリスト教とも関係のない、アメリカの「歳末商戦」のための祭として始まった。1867年12月24日は『R・H・メーシー百貨店』が真夜中まで営業した最初のクリスマス・イヴとなり、1日の売り上げとしては新記録の6000万ドルを売り上げた。1923年、大統領がホワイトハウスの芝生に立てられたクリスマス・ツリーに明かりを点ずる行為を始めた時、それは「公式行事」に格上げされた・・・(神保隆見:12月24日)
(著者の神保氏からのリンク許可取得済み)
