塚越 梦羲(Tsukakoshi Bougi)プロフィール

雅号:「梦羲(ぼうぎ)」
意味: 梦=夢 羲=
王羲之(書聖・王羲之を夢見る)

1948年6月・東京生

2005年4月まで
「日本書道会」理事長
及び「産経国際書会」
評議員
2008年6月より 日中文化交流の会・日本代表
2009年5月 銀座月光荘にて「和の会」展・開催



<自己紹介文>

私が「書」を始めたのは、多くの先生方と少し違っています。
小さい頃から字は決して上手ではなく、授業の「お習字」は嫌い、
しかも始めたのは20代後半からでした。

正直言って、掛け軸や襖などに書かれている「筆文字」を眺めた時、
一体それらに何の意味があるのかさえ解らなかったのです。

ある時「亡き母」が「仮名文字」を習っているのを見て、とにかく
その行為が何であるのか解りたい。と言う興味で始めたのです。
「文字を書くのが上手になりたい」という希望ではないのです。

ただ、書く事は好きだったのかそれからは古典の臨書などに興味も
持ち、周りの生徒達より熱心だったようで「雅号」はもちろん昇段
から師範獲得までは夢中でやりました。(10年位は経かりましたが)

ところが、そこまで進んで来て見つけたものは「目標を失った自分」
でした。本来の目的に、なにも達していない事が解ったのです。
つまり、町の「お習字」の先生になっただけだったのです。

偶然にも15年前、今の「師」に認められて本格的に学びはじめ
「書は伝統と創造を繰り返すこと」
「書は一生涯、創作可能な自分との戦い」などの言葉が
私を大きく励まし、目標が生まれ、
新たな夢に向って挑戦しつづけております。



<私の書論>

書の創作を目指した時から、漢字の持つ構造性に魅了された。
文字の原初を遡っていくと、古代がなぜ、ここまで豊かな造型の
意匠を達成しているのか、圧倒されている。

私もこのような古代文字への取り組みから
現代書としての昇華を目指して制作活動を繰り返しております。
まだまだ歴史・伝統のもつ重みには足もとにも
およびませんが、このように表現の繰り返しを重ね終る事を知ら
ない、書作品と言うものは芸術とは呼び難く、
大書家の一節を引用させていただくと、
「自己の生気そのものの表現であり、個性を超えた非個性の
暗示である「神」に到達する事である。」

一般の方々に私の書論を持ち出す時、誰でも知っている諺で、
「温故知新」。この言葉はそのまま、書作に当てはまる所が
多い。言い替えれば、書家は「伝統と創造」を粘り強く繰り返し、
より豊かな創造を心がけるべきである。
つまり「書は創造されるものであるが、芸術ではない」と思う。

1960年代くらいから、前衛書道が生まれました。
それ自体を非難するものではないが、苦々しく言い替えれば
それらはきっと芸術と言って良いのでしょう。

こんなところで難しい話は止めて、まだまだ未熟な
私の自己紹介をさせていただきました。
 


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