2005年9月18日(日) 吉井川河口
時刻:17:00〜翌1:00
同行者:なし
場所:西大寺周辺の左岸側:吉井川緑地周辺
対象魚:セイゴ
天候:薄曇り、無風
潮:干潮〜満潮
前日残った900円分の青虫を手に吉井川河口に再挑戦。
「昨日はヒイラギの猛攻で退散したけど、夜なら大丈夫でしょ」
さて、現場に着いてみると潮が下げ止まり・・・干潟でしじみを採っている。
・・・まあいいか。今日は釣れようが釣れまいが、900円分の餌を消費するまで粘るつもりだ。
まずはコンパクト磯竿でスズキを狙う餌を狙ったが、干潮のため駄目な感じ。
・・・いや、活餌がこれ以上増えたら永遠に帰れなくなるので、はっきり言って釣れなくてラッキーだった???・・・
19時:暗くなったのでチョイ投げをやめて電気ウキでセイゴ狙い。これも駄目。
20時:潮が上げてきて足下の護岸が水没してきたのでぶっ込みに切り替え。
この頃、誰もいなかった河岸に電気ウキの家族連れが現れた。そこに地元釣り師が話しかけている。
「ここはセイゴが釣れる。潮が良いのでハネも来るかもしれない」
・・・ここも「いわゆる実績ポイント」らしい。でも今日の私にはそんなことはどうでも良い。
仲秋の名月に照らされた竿先に何となく目を配りながら、
虫の声を聞きつつ魚信用の鈴の音に何となく耳を傾けながら独り佇む。
要するにぼーっとしている
でも、「これですよ、これ!」
最近、ぼけっとしていることに堪えられなくなっていることが気になっている。
肝心な時に考えることって、本当はいつかどこかで既に考えていたことなんだと思う。
だから、ぼーっとしている時間の量と質こそがその人のCapacityなのである。
意識してぼーっとしている時間を作らなければならない。
でも「意識して」「作らねばならない」では全然ぼーっとしていないので本末転倒だ。
だから太公望は針をつけずに釣りをして、ぼーっとしている時間の質を高めていたのである。
凡人は針無しとはいかないけど、釣れにくい夜のぶっ込みこそ釣りの王道なのである。
(言い訳ではない)
さて、ところが、ぼーっとしている暇も無いぐらいに小さいアタリが連発する。
上げてみるとヒイラギだ。
それも、昨日よりも格段に大きい。
御丁寧にもハゼ仕掛けからスズキ仕掛けに合わせて外道もリサイズされているのだ・・・
アタリは微妙だし、かといって放置したのではセイゴが釣れなくなる。むしろ神経戦の様相を呈してきた。
22時頃、パトロールのお巡りさんが話しかけてきた。
そのタイミングで20cm弱のセイゴをGet。これでお巡りさんが俄然やる気に!
県警備品の懐中電灯で餌をつけながら良い調子で小型セイゴを追加する様子を見て、お巡りさん大喜び!!
23時頃の満潮潮止まり、お巡りさんが去るのと同時にアタリもなくなった。
その頃から隣の家族連れウキ師に小物が来だしたらしく、子供が俄然やる気になっている。
しかしこちらのぶっ込みは餌だけ取られて大苦戦。人間の子供も小魚も、一体何時に寝るのだろうか???
24時頃、下げと同時に再びアタリが始まり、今度はヒイラギ無しで小型セイゴが来る。
ただし餌は取られ続けるので油断はできない状態。
25時頃、餌切れで納竿
本日の釣果
セイゴ×8(最大19cm)、ヒイラギ×10(10cm程度)、ハゼ2(12〜13cm程度) 以上獲物
感想。
夜でも餌取りが多く大苦戦。でも、地味ながらそこそこ釣った。
納竿した25時頃、ボラのジャンプが止まり、川が静かになった。
帰らないでハゼを餌に粘っていたら、ひょっとして・・・
以上