魅惑!?の鉄道写真集

このページは、私が少年時代から青年時代に撮りためた旧国鉄の廃止ローカル線を中心とした鉄道写真等を披露するページである(ごく一部、私鉄も含む・・)。 このページを設けた目的は、ズバリ!“ヒット数稼ぎ・・”である。 
目的が“ヒット数稼ぎ・・”と下心が見え見えなので、かなりレアなモノも載せているよ・・。 
でも、本文・『日本百景』も見てね・・。 それと、路線の掲載順番が何の序列によるものかすぐにピンときた人は、かなり“濃い”(P・H12以上)『まる鉄』だと思うよ・・。  
鉄道写真撮影に関するアンケートを作ってみました。
宜しければ、御参加・御協力下さい。 〔筆者の回答はコチラ
      ※前アンケートサイトの終了に伴い改変


廃止転換1次対象線でバス転換路線 廃止転換2次対象線でバス転換路線 廃止転換3次対象線でバス転換路線
廃止転換1次対象線で第三セクター等移管線  廃止転換2次対象線で第三セクター等移管線  廃止転換3次対象線で第三セクター等移管線
第三セクター移管後に廃止となった線 区間の一部が廃止となった路線 私鉄線で廃止となった線
旧国鉄から経営移管された路線 区間の一部を第三セクター等に移管した路線 私鉄線で区間の一部を廃止した路線
私鉄線で第三セクター等譲渡線 JR線として存続する線 私鉄線として存続する線
海峡間を結ぶ路線の開通で廃止となった航路


美 幸 線〔北海道〕 白 糠 線〔北海道〕 宮 原 線〔大分・熊本〕 興浜北線〔北海道〕 万 字 線〔北海道〕
日 中 線〔福 島〕 湧 網 線〔北海道〕 深 名 線〔北海道〕 角 館 線〔秋 田〕 興浜南線〔北海道〕
添 田 線〔福 岡〕 相 生 線〔北海道〕 神 岡 線〔富山・岐阜〕 富 内 線〔北海道〕 渚 滑 線〔北海道〕
魚 沼 線〔新 潟〕 士 幌 線〔北海道〕 胆 振 線〔北海道〕 天 北 線〔北海道〕 標 津 線〔北海道〕
内 子 線〔愛 媛〕 三 江 線〔島根・広島〕 岩 泉 線〔岩 手〕 宮之城線〔鹿児島〕 羽 幌 線〔北海道〕
瀬 棚 線〔北海道〕 清水港線〔静 岡〕 幌 内 線〔北海道〕 名寄本線〔北海道〕 樽 見 線〔岐 阜〕
歌志内線〔北海道〕 上山田線〔福 岡〕 予 土 線〔愛媛・高知〕 倉 吉 線〔鳥 取〕 高 森 線〔熊 本〕
広 尾 線〔北海道〕 池 北 線〔北海道〕 只 見 線〔福島・新潟〕 大 隅 線〔鹿児島〕 木 次 線〔島根・広島〕
矢 部 線〔福 岡〕 足 尾 線〔栃木・群馬〕   妻  線〔宮 崎〕 越美南線〔岐 阜〕 越美北線〔福 井〕
釧網本線〔北海道〕 高千穂線〔宮 崎〕 名 松 線〔三 重〕 高 砂 線〔兵 庫〕 小松島線〔徳 島〕
松 前 線〔北海道〕 岩 日 線〔山 口〕 日高本線〔北海道〕 鍛冶屋線〔兵 庫〕 若 桜 線〔鳥 取〕
明 知 線〔岐 阜〕 飯 山 線〔長野・新潟〕 大 湊 線〔青 森〕 能 登 線〔石 川〕 五 能 線〔青森・秋田〕
肥 薩 線〔熊本〜鹿児島〕 北 上 線〔岩手・秋田〕 石北本線〔北海道〕 宗谷本線〔北海道〕 中 村 線〔高 知〕
信 楽 線〔滋 賀〕 札 沼 線〔北海道〕 参 宮 線〔三 重〕 花 輪 線〔岩手・秋田〕 米 坂 線〔山形・新潟〕
因 美 線〔鳥取・岡山〕 江 差 線〔北海道〕 芸 備 線〔広島・岡山〕 小 海 線〔山梨・長野〕 宮 津 線〔京都・兵庫〕
根室本線〔北海道〕 陸羽東線〔宮城・山形〕 牟 岐 線〔徳 島〕 指宿枕崎線〔鹿児島〕 左 沢 線〔山 形〕
土讃本線〔香川〜高知〕 大 糸 線〔長野・新潟〕 高山本線〔岐阜・富山〕 播 但 線〔兵 庫〕 山陰本線〔京都〜山口〕
予讃本線〔香川・愛媛〕 函館本線〔北海道〕 伊 東 線〔静 岡〕 北陸本線〔滋賀〜新潟〕 山陽本線〔兵庫〜福岡〕
東北本線〔東京〜青森〕 東海道本線〔東京〜兵庫〕 下北交通・大畑線〔青森〕 津軽鉄道〔青 森〕 三陸鉄道・北リアス線〔岩手〕
小坂製錬・小坂鉄道〔秋田〕 秋田内陸縦貫鉄道〔秋田〕 由利高原鉄道〔秋 田〕 くりはら田園鉄道〔宮城〕 銚子電気鉄道〔千 葉〕
小湊鉄道〔千 葉〕 長良川鉄道〔岐 阜〕 近鉄・北勢線〔三 重〕 近鉄・伊賀線〔三 重〕 近鉄・橿原線〔奈 良〕
近鉄・大阪線〔大阪〜三重〕 加悦鉄道〔京 都〕 三木鉄道〔兵 庫〕 北条鉄道〔兵 庫〕 別府鉄道〔兵 庫〕
島原鉄道〔長 崎〕 青函航路〔青森・北海道〕 宇高航路〔岡山・高松〕 トップページに戻る
’12・ 2・ 7
’12・ 4・27
’12・ 5・20
 『撮影旅行記集』に新作『オホーツク縦貫鉄道の夢めぐりのハズが・・』 をUP
 長良川鉄道の項目を新規に追加しました。
 大糸線の項目に写真を追加しました。


撮影旅行記集    『○鉄の旅』を旅行記にしてみました・・
  鉄旅 ・・ 『オホーツク縦貫鉄道の夢めぐりのハズが・・』 UP
 非鉄旅 ・・ 『オチャメな・・鹿島槍・冬道顛末記』 UP
各旅行記の最下部にアンケートを設置
しましたので御協力をお願いします。
筆者とっておきの迷!?作写真の展示室です。
山岳・風景・鉄道風景などを展示しています。
宜しければ、お茶濁しにどうぞ・・ 〔1/ 31更新〕
鉄道系サイトサーチエンジン・鉄ネット
鉄ちゃん必見!?のHP案内・Rail Search
鉄道系サイトサーチエンジン・てつまにネット
初心者からコアなファンまで
鉄道サイトを探すなら
鉄道検索D
INTERNET総合鉄道部 
(Rail Searchさんのメインサイトです)
鉄道・旅行・登山を扱った
『100の質問』に答えてみました。
このページの親サイトです 
いわゆる、メイン(トップ)ページですね・・
あまりにも還元率が悪いので載せちゃいました・・
鉄道・山岳・風景写真・旅行ガイドなどを集めた
日本百景(親サイト)のリンクページです
自己紹介・撮影機材など あまり見ない方がいいかも・・
このページの御感想とお問い合わせにどうぞ・・
当サイトは、画面サイズ 1024×768(市販の普及版PCサイズ)をフルサイズでご覧頂いて横スクロールが出ない状態にしております。 これはサイト内容と画像の質を維持する為の事ですので、御理解をお願い致します。

当ページはリンクフリーです。 相互リンクも大歓迎です。 掲載写真の原版に対するお問い合わせや、相互リンクなどの御連絡は掲示板の方へお願いします。




美 幸 線 びこうせん 〔北海道〕

《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止転換年月日 廃止時運行本数 ’83年度・輸送密度<人キロ/km>
         営業係数
転換処置
美深〜仁宇布 21.2km ’85・ 9・17 4往復 32  /  4780 名士バス

内陸部の美深とオホーツク沿岸の港・枝幸を短絡し、札幌への貨客輸送の強化を目的として建設された路線。
しかし、道路の整備と沿線地域の過疎化で、建設計画そのものが頓挫した。

『オホーツク縦貫鉄道構想』を掛け声に計画路線の全通を訴えた時の美深町長氏が、東京で“日本一の赤字線”
を逆手に取っての切符販売や、『お見合い列車』などのイベント列車を走らせた事は有名。
廃止選定基準期間の営業係数は、3859とダントツのワースト1。 そのような中で国鉄再建法が施行され、真っ先
に廃止対象の一次候補に指定される。

廃止対象の指定がされた後も興浜線と合せて第三セクター化する『オホーツク縦貫鉄道構想』を掲げ、全線開通
による存続を目指したが、経営コンサルタントの試算で「黒字に転換する可能性はない」と断じられ断念、その後
の存続運動は空洞化し、1985年9月に廃止された。 なお、廃止された現在は、廃線跡を利用したトロッコ施設が
稼動している。

未成線区間は大部分が完成していたが、開通間近という所で国鉄再建法により工事が凍結される。
また、廃止問題が浮上する直前には、既に路盤が完成して後はレールを敷設するのみであった北見枝幸〜歌
登を先行開業させる案も取り沙汰されたが、興浜線や越美南・北線のように分断されたままとなる事を危惧した
地元民によって全線一括開業の要望が強く出され開業を見送った・・という経緯がある。

この未成線だが、無人の原野地帯に壮大な鉄道軌道の築堤などが残り、廃線跡探索のメッカとなっている。 
ちなみに、未成線区間の第二大曲トンネルは、道道120号線の『天の川トンネル』として転用されている。


         左 辺渓〜仁宇布 924D
        右上 美幸線 列車標示サボ
        右下 仁宇布駅入場券

   上 在りし日の仁宇布駅
        レンタサイクルや宿案内など
              かなり“営業努力”をしていた・・
   下 撮ってて良かった・・  仁宇布駅名標・・
きちんと除雪され、駅ホームも美しい立派な駅だった“日本一の赤字線”の終着駅・・   仁宇布にて・・

 『終』と記された車止めが先が無い事を物語る・・

                            上2枚 美幸線乗車証明書の表裏 中興部駅で偶然駅員氏にもらった・・
                            下3枚 明らかに同時作成の名士バス・美深駅・美幸線終点の仁宇布のスタンプ・・

  項目トップに戻る       トップページに戻る



白 糠 線 しらぬかせん 〔北海道〕

《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止転換年月日 廃止時運行本数 ’79年度・輸送密度<人キロ/km>
’83年度・営業係数
転換処置
白糠〜北進 33.1km ’83・10・23 3往復 123  /  3077 白糠町営バス

沿線の炭鉱(雄別鉄道・上茶路坑)及び、森林輸送を目的として建設された路線。
本来は足寄までの計画線で、上士幌を経て札幌へと短絡する高速鉄道の構想もあった。

1964年に上茶路まで開通。 しかし、炭鉱は1970年に閉山。 その2年後の1972年に既存の区間までが完成
したのだが、赤字運営が予想された為に開業を渋った国鉄に対し、時の運輸大臣の命令という形で異例の延
長開業がなされた。

しかし、建設目的の主軸だった炭鉱の閉山で離村が相次ぎ、延伸はおろか既存線の存続も危ぶまれる程に
過疎化が進行する。 この状況により国鉄再建法の施行を待つ事なく、北進までの延長開業と同時に延伸工
事が凍結された。

終着駅の『北進』は、北に向かって線路が延びる事を祈って名づけられた・・というエピソードがある(元々の
字地名だという説もあるが・・)。 この『北進』駅は、“何もない終着駅”として有名。 
1980年からは、営業係数ワースト1の“日本一の赤字線”。 ちなみに1980年は、営業係数が3077であった。

沿線が同一市町村(白糠町)にある事で廃止転換交渉が容易な事もあって、1983年10月に廃止転換路線のト
ップを切って廃止された。 全通から僅か11年という短命の路線である。
その為か、真新しいコンクリート橋脚が線路の伝った場所の至る所で見られる。

廃線となってからしばらくは、沿線最大の駅である上茶路はその軌道を利用してのトロッコ遊戯施設となってい
たようだが、数年前に駅舎が解体されてからは放置されて密林化し、その所在が判らぬ程に自然回帰が進ん
でいる・・との事である。 鉄道のあった“一つの世代”の誕生から朽ち果てるまでのシーンが、この廃線跡に凝
縮されているのである。


        左 雨の北進駅を発車する534D
        右 上茶路駅舎
      左 茶路川を渡る534D 上茶路〜縫別
      右 北進駅名標
   左 北海道の路線らしい雰囲気の中で・・ 
                     532D 上茶路付近
  右上 上茶路駅で販売していた北進ゆき乗車硬券
  右下 白糠より茶路ゆき乗車硬券
 左 廃止10日前の北進駅・・  
    えっ、なぜオメーはこの時期にそこにいる?って・・
 右 『何もない終着駅』で有名な北進駅

白糠線の駅名標  仮乗降場も1つあった・・   駅舎のある駅は上茶路のみ

  左 上茶路駅に掲げてあった列車時刻表・・
           ブレてるけどかなりの貴重画像だよ・・

  右 上茶路駅に停車中の一番列車・・

  左 AE-1の絞込みレバーをいじった後に
     シャッターを押すとこういう画像となります・・
                救済したけど画像ボロボロ・・
                        縫別〜茶路

  右 哀愁漂う宵の上茶路駅ホーム・・

                 左 おわかれ白糠線記念乗車券
                 右 白糠線内車内補充券(左は手書き式・右はパンチ式)

     秘密のツボを必死に掘り返したらあったよ・・
          北進駅のスタンブ・・ 白糠駅に置いてあったものだけど・・

  項目トップに戻る      トップページに戻る




宮 原 線 みやのはるせん 〔大分県・熊本県〕

《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止転換年月日 廃止時運行本数
恵良〜肥後小国 26.6km ’84・12・ 1
’83年度・輸送密度<人キロ/km>
         営業係数
転換処置 豊後森〜肥後小国  3往復(土曜4往復)
豊後森〜宝泉寺   下り2本・上り1本(内 1往復は休日運休)
109  /  1860 大分交通バス

熊本の菊池までの計画で建設された路線。 1937年に宝泉寺まで開通。 太平洋戦争の激化により、不要不急路
線として建設中断。 開業区間も休止され、金属供出の為レールを剥がされた経歴がある。 
戦争終了後の1948年に復活、1954年には肥後小国まで延伸開業している。 

高原地帯を伝い素晴らしい車窓風景を魅せ、宝泉寺温泉や筋湯、麻生釣高原など観光資源も豊富だったのだが、
沿線は“九州のチベット”と称される程の人口稀薄地域であり、地元の人でさえこの路線の名称を“みやはら線”と
誤読するほどの認知でしかなかったので、廃止の流れは止められなかったとみるべきだろう。

そのような訳もあり、1980年の国鉄再建法では廃止対象の第一次候補に指定される。 
実際に沿線では“あきらめムード”が漂い、これといった反対運動はなかったようである。
それどころか、廃止を早々に決め込んだ地元郵便局より『ふるさとの思い出・宮原線』と題した記念切手やタトウ、
絵葉書セットが、全国の鉄道マニアに向けて売り出される有り様であった・・。 結局、1984年12月に九州廃止路線
のトップを切って廃止バス転換となる。 

路線に架かる陸橋は、九州に見られる西欧文化の色濃い眼鏡橋型のアーチ橋で、資材不足の折の建設という事も
あって梁に竹を使った“竹筋コンクリート”である事も有名。 これらの陸橋は、国の有形文化財に登録されている。 
終着の肥後小国駅跡は、現在『道の駅・おぐに』となり、鉄道記念館も併設されている。


  左上 1日に数度・・ 
      思い出したように列車はやってくる・・
                        麻生釣にて・・

  右上 峠の停車場でひと休み・・  麻生釣にて・・

  中下 朝もやをついて上り始発列車がやってくる・・
                        麻生釣にて・・

  右下 我が国では九州のみに見られる
                       眼鏡橋を渡る・・ 

  左 肥後小国駅に227Dが入線する・・
      この列車は折り返して最終列車というには
            早すぎる16:43発の228Dとなる・・
  右 名峰・湧蓋山を望む線内きっての撮影スポット・・
                 臨6226D 麻生釣〜北里

  上 宝泉寺駅折り返しの路線唯一の『通勤』列車
  下 最後の夏をゆく宮原線の高原列車・・
                        麻生釣〜北里
ローカル線の光と影・・ 223D 麻生釣付近

   左上 明日なきローカル線のたたずまい・・ 町田駅

   左下 1日の乗降客“100人ちょっと・・”の線内最大駅・宝泉寺
        しかし周囲は九重の奥座敷と呼ばれる温泉街・・
         街外れの土手を行く鉄道と駅だけが時代より取り残されていた・・

   右下 折り返しの一番列車を待つ駅名標・・
            上下併せても10に満たない列車本数なのに朝は早い・・
  

   右 野積みの石造りにトタン屋根・・ 
                   ほとんど山小屋・・
   左 山峡の秘境駅の雰囲気を欲しいままに・・
                     いずれも 麻生釣駅 

   左 高原列車が朝霧の中をついてやってきた・・
   右 県境の急坂を喘ぎ登った気動車の息つぎ場所・・  
         どの列車も2〜3分は停車していた・・
                      いずれも 麻生釣にて・・

           線内きっての美しいアーチ橋を魅せる廣平橋梁をゆくキハ53・・
                     2004年に国の登録有形文化財の指定を受けた・・との事    
                               廃止になってからその遺構を惜しむ・・ それは人の業なのか・・    麻生釣〜北里

        北里駅の改札口・・  この画像はかなり貴重だと思うよ・・
                   この駅の創生期は有人駅だったみたいだし・・
線内で最も有名な幸野川橋梁をゆく      北里〜肥後小国

肥後小国駅の思い出・・

かつての駅通りは集落街の外れにポツネンとあって、町に住む人で
さえ『みやはらせん』と誤読する程に忘れ去られた存在だったのに、
今や駅跡は道の駅となり、国道が交差する街の中心となっていた

駐車許容台数以上にやってくる車、
ガラス張りのギラギラしたドーム型の道の駅施設、
御土産物屋に名産品売り場や人気のアイスクリーム・・、
その脇にほんの僅かに駅跡だった事を示すモニュメント・・

過ぎ行く時の無常を、ここでも違う形で見せつけられた・・

   左上 宮原線記念乗車証

   左中 肥後小国駅と宝泉寺駅入場券

   右上 さよなら宮原線記念乗車券

   右中 さよなら宮原線記念入場券

   右下 宮原線沿革など・・

  上 肥後小国駅に置いてあった北里駅
        ・「北里柴三郎博士誕生の地」スタンブ
  下 宝泉寺駅と肥後小国駅の「国鉄線」乗車券
   上 本家の肥後小国駅のスタンブ
                 は何かショボい・・
   下 北里記念館のスタンプは博士が男前・・

   左上 北里駅の跡はモニュメントに様変わりしていた・・
        その前は改良された国道となり、車は目もくれる事なく走り去る
                  これを目にした時、「夢の跡」を彷徨う自らがいた・・

   右上 駅への階段は天井が引き剥がされて「通路」となっていた・・

   左下 “竹筋”コンクリートによる施工であったアーチ橋
                        宮原線の有名な撮影地だった・・

  項目トップに戻る      トップページに戻る




興 浜 北 線 こうひんほくせん 〔北海道〕

《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止転換年月日 廃止時運行本数 ’83年度・輸送密度<人キロ/km>
         営業係数
転換処置
浜頓別〜北見枝幸 30.4km ’85・ 7・ 1 6往復 111  /  2201 宗谷バス

『オホーツク縦貫鉄道構想』の主軸を担う開拓路線。 名称の通り、興(興部)と浜(浜頓別)を結ぶ路線の北から
の延伸線である。 沿線は多くをオホーツクの海際を伝い、灯台の立つ断崖や流氷など風光明媚な路線であった。
観光資源としては、北見神威岬やウスタイペ千畳岩がある。

美幸線と結び道央を短絡する計画もあり、先述した『オホーツク縦貫鉄道構想』によって網走〜稚内を結ぶ第三
セクター開業の立案もなされたが、毎年数億単位の赤字が見込まれる事が判明し断念。
その後の廃止運動は空洞化し、1985年7月に路線廃止となる。 恐らく・・であるが、“復活させたい廃止路線”の
中では1の支持を集める路線であろう。

北見神威岬の灯台の下を車輪を軋ませながら伝う列車の面影は、今でもローカル線ファンの心を虜にしている。
あの思いを抱いて灯台下の廃線跡を見ると、無常感に苛まれる思いが募る事だろう。
斜内山道を直接貫くトンネルが開通して国道238号が短絡され、岬灯台を並走していた道路が国道から“ただの遊
歩道”に転落した事も、訪れる者に無常感を一層強く抱かせるのである。

私の唯一の心残り・・としては、この路線の撮影名所・北見神威岬灯台で『流氷と列車』の写真を撮ることが叶わな
かった事であろうか・・。 もう廃止になって永い時がたったが、この線を思い返す事であの時の幼さが頭を過るの
である。


   左 小吹雪の中、斜内山道をゆく926D  
                       斜内〜目梨泊
   右 北見神威岬灯台をめぐる列車・・
                 922D  斜内〜目梨泊

   上 流氷があればなぁ・・
   下 北見枝幸方面を撮ると道路が入っちまう・・  いずれも 斜内〜目梨泊
         上 正午前には小吹雪となっていた・・  斜内〜目梨泊
         下 北見枝幸駅・駅名標  ・・撮ってて良かった

  上 20数年前に鉄道が通っていたというのは幻だったのか・・
  下 海は何も無かったかのように穏やかだった・・  北見神威岬にて・・
   名も無き野花が時の無常を見守っていた・・ 
                          旧 斜内駅跡

           北見枝幸駅の思い出・・

   左上 ディスカバー・ジャパンの北見枝幸駅スタンプ・・
   中上 弓ヶ浜や千畳岩・三笠山などの
               郷土観光名所を描いた手彫りスタンプ・・
   中下 北見枝幸駅入場券
  
  右  興浜北線車内補充券(パンチ式)

  項目トップに戻る       トップページに戻る




万 字 線 まんじせん 〔北海道〕

《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止転換年月日 廃止時運行本数 ’83年度・輸送密度<人キロ/km>
         営業係数
転換処置
志文〜万字炭山 23.8km ’85・ 4・ 1 5往復 158  /  2807 北海道中央バス

沿線の炭鉱からの石炭の搬出を目的とした、典型的な運炭路線。 万字炭山付近の炭鉱住宅跡の廃墟は、石炭
ラッシュに踊った時代の証明であろう。 途中の朝日駅跡付近に、炭鉱(朝日坑)の坑道跡が見られる。 
また、美流渡駅跡付近も、出炭施設の残骸が至る所で見られる。

炭鉱の閉山により沿線が急激に寂れ、また沿線には何ら目立った観光地もない事から1980年の国鉄再建法では廃
止対象の第一次候補に指定される。 だが、廃止を阻止して存続を諮る材料は全くといっていい程になく、反対運動
も盛り上がる事のないままに1985年4月に廃止バス転換された。

万字駅の造りは、駅舎から階段で下る特異な構造で知られていた。 現在は、駅舎に簡易郵便局が入っている。 
全く関係ない話題だか、万字集落にある寺(萬念寺)で、供養された人形の髪の毛が勝手に伸びる“お菊人形”の怪
奇現象が取り沙汰された。 また、万字線の万字の由来は、付近の炭鉱経営者の家紋が『卍』であった事に由来して
いる・・との事である。 


   左 万字炭山発行の万字ゆき乗車硬券
   右 雪に埋もれた炭鉱住宅跡の廃屋が
                    閉山を物語る・・
                  934D 万字炭山付近

    左 炭鉱の閉山により往時の面影もなく
           悲哀の漂う終着駅・万字炭山にて・・
    右 雪に埋めつくされる広い構内・・ 
             もう不用な設備と断じられた証・・

閉山で廃墟となった炭鉱住宅と同じ命運を辿る明日無き運炭路線・万字線・・    万字炭山付近にて・・  

       シヴい所を・・とのコメントを仰せつかった
                    万字炭山駅手彫りスタンプ・・

  項目トップに戻る      トップページに戻る




湧 網 線 ゆうもうせん 〔北海道〕

《路線データ》 営業区間と営業キロ 廃止転換年月日 廃止時運行本数
中湧別〜網走 89.8km ’87・ 3・20
’83年度・輸送密度<人キロ/km> / 営業係数 転換処置 中湧別〜網走   5往復
中湧別〜佐呂間 上り1本
177  /  2322 網走バス
北見バス

『オホーツク縦貫鉄道構想』の主軸を担う路線。 1935年に中湧別・網走の両端から建設が始まり、1953年
に全線開通した。 網走湖・能取湖・サロマ湖といった海跡湖をめぐるように伝う風光明媚な路線であった。

だが、1960年代から始まったモータリーゼーションの進行や沿線の過疎化で利用客は減り続け、1980年の
国鉄再建法では第二次の廃止対象路線に指定される。 一時は名寄本線や興浜線が掲げる『オホーツク
縦貫鉄道構想』にも名を連ねたが、コンサルタントの試算で「毎年数億の赤字が出る」と断じられてからは
反対運動が下火となり、「JRに引き継がせまい・・」とする国鉄の思惑通りに、JR引継ぎの僅か10日前の1
987年3月20日に廃止バス転換された。

この路線が廃止になった事により、観光地への玄関口の役目を果たしていた網走駅が途中駅然化し寂れ、
また網走市街もバス等を利用する観光客からは単なる国道の通過点でしかなくなり、同様に過疎化し寂れ
ていく・・という現実もある。 また、転換バスも非常に割高で利用客は減少しており、転換バスの撤退も新
たなる問題として浮上しているという。

線路跡は、海跡湖を伝うサイクリングロードとして活用されている。 また、芭露・計呂地・卯原内の各駅跡は
鉄道記念館となり、また数駅の駅舎が集落の集会場に転用されるなど、鉄道跡の遺構・遺跡は数多く残って
いる。


   上 原野をゆく湧網線列車  
               東富丘(仮)〜北見富丘
   下 “寿”印入り北見平和駅乗車券・・
湧網線お別れ列車を見送って・・  東富丘(仮)〜北見富丘

  上 湧網線最終日のおわかれ列車
       最初で最後の6両編成だったのかも・・ 
                       東富丘(仮)にて
  下 ウサン臭い『紅葉橋』の橋の上から狙う・・
                    紅葉橋(仮)付近にて
全く無人地帯・・という訳ではないのだけれども・・ なぜか利用客がジリ貧だった湧網線  仁倉付近にて・・

                   左上 かなり立派な・・ 北見共立駅舎
                   右上 民家もあれば踏切もある・・  ごく普通の田舎風景をゆく路線だった湧網線・・   仁倉付近にて
                    下  最初で最後の花形列車・・  拙い写真だが撮ってて良かった・・   東富丘(仮)〜北見富丘

3枚とも  最後の力行・・
上2枚  東富丘(仮)〜北見富丘 、 下1枚 仁倉付近  

  1日上下4本しか止まらない東富丘に
      この日6両編成の列車が止まる・・
          その列車の名は『さよなら湧網号』・・
    鄙には惜しい立派な無人駅・仁倉  
                 石炭ストーブもあった・・
  『紅葉橋』は手前に架かる
    欄干がガードレールのウサン臭い橋だった・・
        紅葉橋(仮)の物置小屋・・もとい待合室


     上  湧網線さよなら乗車記念証

    左中 ホタテの形の沿線駅入場券セット

    左下 湧網線沿革

    右下 湧網線駅員配置駅の記念スタンプ(中湧別・計呂地・佐呂間・常呂)


    浜佐呂間から常呂ゆきの乗車券と
                   佐呂間駅の入場券
網走駅の「さようなら湧網線」スタンプ


常呂駅観光旅行記念の絵入り入場券

  項目トップに戻る      トップページに戻る