「俺は大地の果てまで出かけてみた。 俺は水の枯れ果てるところまで出かけてみた。 俺は空がおしまいになるところまで出かけてみた。 俺は山のつきるところまで出かけてみた。 そして、俺は 自分の友でないものなど、ひとつも見かけなかった。」
〜 先日、子供が通う小学校のスキー教室に、ボランティア指導に行ってきました。 私の担当したのは中級クラス6人。 5人はそこそこ滑れたんですが、1人がかなり遅れ気味・・・。 マズイ、雰囲気悪くなるかな〜・・・マズイナ〜・・・大汗 でも、ビックリ、 その子に対して他の5人がぜんぜん非難しないんです。 「○○クン大丈夫だよ、うまいよ〜」って皆が言うんです。 午前のレッスン終了後、 グループ再編成会議があったんですが、 その前にその5人の子供たちが 「絶対に班変えないでね!」 って言うんです。 「僕タチ○○クンと一緒にやるんだから」って。 (他の学年では「△△クンを別のクラスにやって」と聞くことが多いのですが・・・) なんだか嬉しくてこっちも力が入り、午後のレッスンでは、なんとかその子もみんなと同じくらいまで滑れるようになりました・・・ホッ そして、こんなふうに感じました。 こどもたちに、まるで競争がなかった。 「みんなで楽しめればそれでいいじゃないか」とみんなが思っていた。 競争社会のエアポケットの中にはいったようで、私もホッとし、幸せな1日を過ごしました。 競いあって人を蹴落とすのでなく、助け合ってみんなで楽しむ。 ひょっとして、昔ながらの生活をしている原住民と呼ばれている方々と同じような気持ちだったのかとも思いました。 スキー教室終了後、慰労会の席で、こどもたちの担任の先生にこのことをお話ししました。 大変感激し、先生も涙を浮かべて、ともに喜んでくれました。
〜星空は眼で見るのではなくイマジネーションで観る。〜 お月さんといえば、昔から餅つきをしていると言い伝えられてきましたよね。 でも最近、私にはそれが「笑顔」に見えるんですよ。 何度見ても、同じなんです。 それで私も、その笑顔を真似してみる・・・。 そうすると、不思議なことに、 ふさいでいた心が、 ちょっと軽くなるのです。 車で走りながら、そんな幼い幸せを 発見しました。
ある日のこと。 何と昨日がクリスマス・イブと気が付きました。 幼い頃、貧乏だった我が家ですが、唯一この日は、裕福な気持ちになったのが思い出されます。 思い返すと、、、小学校5〜6年生くらいまで本当にサンタクロースがいると信じていました。 でも、私は一度もサンタさんにプレゼントをお願いした事がありませんでした。 担任のM先生は、よく童話の本の読み聞かせをしてくれました。 純心だった私は、いつも恵まれないかわいそうな子の話を聞くと世の中がみ〜んな幸せだったらいいのにな、、、と、 とても淋しい思いをしたのを覚えています。 そして、サンタさんに、、、お母さんがいない隣の席のカッちゃんやヨウコちゃんにノートと鉛筆のプレゼントが届きますように、、、と、真剣にお願いし、小さい手を合わせたのでした。 でも、、、プレゼントは届きませんでした、、、。 プレゼントをもらうのは、いつも決まってお金持ちの子か、勉強がよく出来た子でした。 私は、二人の淋しそうな顔を見て、何とか元気にしたいと思いました。 翌朝、早く登校し、、、 絵のコンクールで賞をいただいた時にもらった鉛筆に、赤いリボンを結んで カッちゃんとヨウコちゃんの机の中に入れました。 鉛筆を見つけたヨウコちゃんは、とても嬉しそうに私に見せてくれました。 ヨウコちゃんの笑顔を見て、ヨウコちゃんが喜んでくれたのがすごく嬉しくて、幸せいっぱいになったことを今も覚えています。 6年前の7月、小学校卒業後、久しぶりの同窓会がありました。 仲良しだったカッちゃんは、その1年前に胃がんで亡くなったことを知りました。 お嫁さんは同級生で、二人は、児童会の会長・副会長。 奥さんから、カッちゃんが私に会いたがっていたという話を聞きました。 そして、3年生の時の文集に「サンタさんからの贈物」と題して、あのクリスマスの日の、、、1本の鉛筆の思い出が書いてあるページを見せてもらいました。 二人でやさしかったカッちゃんのことを思い出し、、、泣きながら笑いながら、、、いつまでも いつまでもカッちゃんのことを話しました。 夕べ遅く、寒い中、、、ずっと夜空の星をを眺めていました、、、。 そして、、、これまで別れてきた人たち、、、友、、、身近かな人、 、ひとりひとりを思い浮かべ、、、ありがとう、、、ありがとう、、、と、ひとりで、充実したイブを過ごしました、、、。 ケーキもワインも無かったけれど、、、 たくさんの仲間に会え、、、最高のイブになりました、、、。
私はバイク店をやっています。 うちの店から商品を買ったお客さんでも、そうでない方も区別なく、タイヤの空気入れなんかはサービスにしています。ほんのちょっとしたことは、お金を頂かないことにしています。 中には、いくら要らないといってもお金を置いてゆく方も中にはいますし、時々茶菓子を持ってきてくれる方もいます。それは喜んで頂いてます。 私は、品物以外にお客さんに出来る限り“恩”も売りたいと思います。サービスと言う方もいますが、お客さんにはまったく言いません。 (こう書くと偉そうに聞こえますね、そう思ったらごめんなさい) 良い事をしてもらったら、良い事を、気持ちを誰かに返す。 (まるでペイフォワードだ) これでいいんですよね。 高校生の時に、バイクで北海道にツーリングに行きました。 小雨の中でパンク、見渡す限り何もなし。 道路の右側には牛ちゃん、左は海。 おまけに夕暮れ時でした。 パンクの修理道具もなく、途方にくれていた時に 同じツーリングの人達が、1台、1台と止まり6人の方々から 修理をして頂きました。 本当にありがたかったです。 いつか恩返しがしたいと思いながら十数年が過ぎたある日 友人と志賀高原へツーリングに出かけた時に、 頂上付近でバイクを押している人達がいました。 よく見ると前輪がパンクしていました。 そうなんです、やっと恩返しを出来る時が来たのです。 その後、この中にいた女性の方から手紙を頂きました。 「本当にありがとうございました。 初めてのツーリングでしたが、バイク仲間の素晴らしさを感じました」 確かこんな感じのことが書かれてあったと思います。 私はとても幸せな気持ちになりました。 ある方がこんな事を言ってくれました 「他力本願て言うのはね まじめに、こつこつと正直にやってると、人が黙ってても良くしてくれるんですよ。これが他力本願なんですよ。 何もしないで、ただお願いすることではないのですよ。」 忘れないようにしています。
毎朝、担任の先生が読み聞かせをしてくれた童話、 世界中の恵まれない子どもの話をたくさんしてくれました。 お母さんがいない施設の友達、、、 授業参観の時、とても淋しそうに見えました。 やさしかった保健室の先生、、、 私も人に目一杯やさしく生きていこうと思いました。 母の懸命に生きる姿、、、、 母を大切に、、幸せにしてあげたいと思いました。 仲良しだったヨシミちゃんは、いつも給食のコッペパンを半分以上残しました。 今のように何でも食べられる時代と違い、貧乏は当たり前で、、、それが、弟妹3人のおやつと分かり、、、やさしい思いやりを学びました。 そんな自分の周りの人たちから、たくさんのことを教えてもらった気がします。 たくさんのことを学び体験する中で、きっと私は幸せを感じていたのだと思います。 私には、、、働き者でやさしい母がいる。 ごちそうはないけど、、、三度の食事が食べられる。 学校に行くことができて、友達もいっぱいいる。 好きな絵や字を書くことも、校庭を飛び回ることも出来る。 でも、私の周りには、そんな当たり前のことが叶わない友達がいたのです、、、。 一年に一度のサンタさんのプレゼントは、そんな友達を励まして欲しい、、、お母さんのいないカッちゃんや、ヨウコちゃん、弟妹思いのヨシミちゃんに、、、プレゼントをあげて欲しい、、、お星様に向かってお祈りしました。 でも、、、その願いは届かず、、、 「私は、大きくなったらサンタクロースになって、世界中の恵まれない子どもにプレゼントをあげたい!」、、、と、文集に結んでありました。
私の幼い頃の思い出といえば、野球のまねごとに木登り競争、ビー玉遊び、そして柿の木に登って渋柿を食べたこと。 川で魚をヤスでついてとったり。山の中で子供が少なかったので、男の子も女の子も一緒に遊んでいました。 貧しくて遊び道具はほとんど買ってもらえなかったので、当時流行っていた、ダッコちゃんやフラフープなんかは羨ましくて遠くからみていました。 病院へ通院している時、駅の売店にぶらさがっているまりが欲しくて、通るたびに眺めていましたが、買って欲しいとはいえませんでした。 でも親は私の気持ちをちゃんと分かっていて、ある日、それを買ってきてくれました。 明日食べるものもないそんな苦しい時です。その時5年生だった私は、びっくりしたのと嬉しさで泣きました。 そして私がまりつきしているのを満足そうに見ていた親の姿が今でも忘れられません。 自分が親になってみて、その時の思いっきり無理をして買ってくれたその気持ちがよく分かるようになりました。
私の家庭は両親が共働きでした。
私の子どもの頃は、今と違って弟妹の面倒をみたりお手伝いはあたり前のことでした。 小学校3年の頃、朝起きると玄関や庭を掃いて、それからバケツに水を汲んで拭き掃除、そしてかじかむ小さな手で冷たい風の中、洗濯物を干して登校したのを覚えています。 私のその手は、いつもヒビで割れ、あかぎれが崩れて血膿が出る事もありました。 隣に座った友達に「あんたの手 きたない!」と言われ机を離されたこともありましたが、、、そのヒビ割れた痛みに比べたら多少のことは気になりませんでした。 そんな中で唯一、私の手を取って「よく働く子ね!」と言って、やさしく語りかけてくださった保健の先生。 休み時間、先生に呼ばれて保健室へ行くと、先生は白いボールにお湯をはり、その中に私の両手を沈め、そーとこすってくれました。 本当は染みて飛びあがるほど痛かったけれど、その温かさ、やさしさが嬉しくて先生にしがみついて わぁわぁ泣いたのを覚えています。 かじかんだ手が、ぽーと赤くなって、、それを白いタオルでやさしく拭い、そして軟膏をつけて包帯を巻いてくれました。 あれから長い月日が経った今、縫い物をしたり手紙を書くたび、そして握手をする時、ふと思い出す先生のこと。 天国にいる先生に何も恩返しはできないけれど、私にやさしく生きることの大切さを教えてくれた先生のことは、いつまでも忘れません。 季節が冬から春へ変わり、桜の木の下でお別れした以来、お目にかかることはありませんでしたが、
先生から学んだ「やさしさ・おもいやり・感謝の心」は、生涯色あせることなく生き続けることでしょう。 先生ありがとうございました。
私も周りの人にいっぱいやさしくして生きていきたいと思います。