江戸時代、現在の上野公園には、寛永寺の堂塔伽藍が、整然と配置されていた。現在の噴水池周辺(竹の台)に、本尊薬師如来を奉納する根本中堂、その後方(現、東京国立博物館敷地内)に本坊があり、「東叡山の山主である」輪王寺宮法親王が居住していた。寛永寺本坊の規模は三千五百坪(約十一.五ヘクタ−ル)という壮大なものであったが、慶応四年(一八六八)五月の上野戦争のため、ことごとく焼失し、表門のみ戦災を免れた。これはその焼け残った表門である。明治十一年、帝国博物館(現、東京国立博物館)が開館すると、正門として使われ、関東大震災後、現在の本館を改築するのに伴い、現在地に移建した。門の構造は切妻造本瓦葺、潜門のつく薬医門である。薬医門とは、本柱が門の中心線上から前方にずれ、本柱と控柱を結ぶ梁の中間上部に束をのせ、その上に切妻屋根を乗せた門をいう。なお、門扉には、上野戦争時の弾痕が残されていて、当時の戦闘の激しさがうかがえる。 |
