菊ちゃん七夕物語



俺、高見兵吾。

いつもの事ながら時間ギリギリの朝、廊下を孟ダッシュで走る。

「ヤベェ」

前方に菊ちゃんを発見して俺は、思わず足を止めた。

「またお小言でもちょうだいしたら、余計遅刻だ」

菊ちゃんをかわすには、一気に駆け抜けるより他ない。

俺は、深呼吸をひとつして、目を閉じ、一気に疾風のごとく菊ちゃんの脇を駆け抜けた。



「うん?」

どこか、いつもの菊ちゃんと違うようで、せっかく切り抜けたピンチをまた背負う覚悟で

菊ちゃんに近づいた。

「菊ちゃん・・・」

反応がない。

「菊ちゃん!」

今度は、耳元で呼ぶと、やっと気付いたようでポカンとした顔で見る。

「ど、どうしたんだよ。いつもの口から先に生まれて来た菊ちゃんじゃないじゃないか」

「何で、私より後で生まれた兵吾ちゃんに口から先に生まれたって分かるのよ!」

えらく機嫌が悪い。

「そ、そんなつもりじゃないけどさ。元気ないからさ」

「ごめん。実は・・さ。今朝・・」

「今朝?」

「ずうっと逢いたいって思っていた想い人を見かけたのよ」

「菊ちゃんの想い人!人妻だよ!警察官だよ!それが・・」

「いいじゃないの!心で想うのは自由よ」

「はいはい・・それでその想い人に思い切り振られたってわけ?」

「その性格変えた方がいいわよ」

「菊ちゃんに言われたくない。で、どうしたんだ?その想い人」

「それが・・人違いだったのよ」

急にしょんぼりする菊枝は、どう見てもいつもの賑やかな菊枝とはほど遠い。

「昔の・・・その恋人とか?」

俺も遠慮してトーンを落して尋ねる。

「嫌だ・・勘違いしているのね。坊やなのよ」

「坊や!ガキなのか!」

「ガキって!口悪い!そんじょそこらにいる子と同じにしないでよ!

そりゃ・・食べたいくらい可愛いのよ」

☆ マークまで目にきらめかせて菊ちゃんが言う。

「この菊ちゃんの恋煩いは、兵吾ちゃんのせいなのよ」

「ええっ!何で俺のせいなんだよ」

いきなり抗議されても思い当たるものがない。

「その坊やね・・・」

すると、菊ちゃんが、小声で俺の耳元でごにょごにょと囁いた。

「え!菊ちゃん!しゅん・・うぐっ!」

叫びだそうとする口を菊ちゃんの手が、ガバッと塞ぎに来る。

「大きな声出さないでよ。聞かれるとマズイじゃない」

「そんな事言ってもびっくりしたんだからさ。

菊ちゃんの想い人が・・・駿一・・・チビ西崎だって言うのか」

「そうなのよ。聞いてくれる兵吾ちゃん」

菊ちゃんの話は、こうである。

あの不思議な夜の出来事をどうしても菊ちゃんは、忘れることが出来ないらしい。

けど、西崎に打ち明けて事をややこしくするのも気が引ける。

かと、言って菊ちゃんは、もう一度駿一に逢ってみたいと想う気持が日増しに募り

今朝、チビ駿と年恰好もよく似た男の子を見かけて、後を追ったのである。

「今度逢ったら、遊園地になんかに連れて行ってあげたいし・・」

「それ、もう何度も俺が連れて行った」

「そうなの。じゃ・・・一泊旅行で温泉なんか・・・」

「それも行きました。ついでに俺の背中を流してくれて・・・それが可愛いのなんの・・

西崎から、全然想像も付かないんだ。それと・・・この前は、俺、日曜参観にも行って来た」

「何よ・・自分ばかり父親してるじゃない。ねぇ・・今度逢いたい!菊ちゃんも!

一日一緒にいたいのよ!ねぇ?兵吾ちゃん・・だめ?」

「それは無理だ」

「どうしてよ」

「時のトンネルが開くのは、いつか分からない。

俺の気持とあいつの気持がお互い呼び合って重なった時にしか開かないんだ」

「そうよね。あの時は、偶然何かが起きただけよね」

いやにがっかりする菊ちゃんに俺は、つい口任せに言ってしまった。




「短冊に願いを!たまにはいい事言うじゃない!ありがと!

ちょうどいいわ。駅前の広場にこーんな大きな笹が用意されていて

短冊を書いて吊るしてもいいのよ。

毎年、兵吾ちゃんが早くいい父親になれるようにって書いてあげていたけど

今年は、菊ちゃんのお願いを書くわよ。駿ちゃんと逢えますようし・・菊枝」

菊枝は、コロリと態度を変えて行ってしまった。

七夕が近いから短冊に願いを書けば叶うかも知れないと言っただけである。

子供じみた考えだったが、まさか菊ちゃんがあんなに喜ぶとは思いもつかなかったし

第一、 それより何より駿一に逢いたいなんて菊ちゃんが言い出すなんて俺には

晴天の霹靂だった。

その日は、俺の方が何だか居心地が悪くて、まともに西崎の顔を見られなかった。

あの駿一が、成長すると・・こうなるんだ。

そりゃ、西崎は、ハンサムだし、ガキの頃と変わらず刑事に似合わぬくらい言葉使いも丁寧だ。

それに寂しいくせに変に強がっているところは変わらない・・って事は

あんまり変わっていないって事なのか?いや、でも・・やっぱ全然別人だよな・・・



「高見さん、何か用ですか」

いきなり西崎に言われ、俺は、飛び上がるほど驚いた。

「別に用なんてないさ」

気づかれないように何食わぬ顔で短く答えた。

「そうですか。それならあまり人の事じろじろ見ないで下さい。気味悪いですから」

「ああん!!おまえな!」

やっぱ!別人だ!どこで間違えれば・・・こうなるのか!

誰か教えてくれよ!



それから暫く経ったある日。

「菊ちゃんが駅で足を捻挫した!」

「そうなんのよ。まぁ大した事ないらしいけど、念のために一日入院するらしいわ」

玲子の話によると

今朝、改札口で何かに躓いて転んだのである。

その時に足首を捻挫した菊ちゃんをちょうど居合わせた克子先生が自分の病院に

連れて行ってくれたらしい。

気になったが、その日は、立て続けに事件が起き、菊ちゃんの見舞いどころじゃなかった。

おまけにその日は、俺は非番だった。

「高見さん、菊枝さんの見舞い、俺が行ってきますよ」

西崎が、そんな俺の気持ちを察して言ってくれた。

「じゃ・・頼むか。菊ちゃんには、いつも世話になっているからさ。悪いな」

「いえ。俺もお世話になっていますから」

「食われないように気をつけろよ」

「高見さん、いくら何でも菊枝さんに悪いですよ」

西崎は、笑顔を残して帰って行った。



克子先生の勤務する病院に一泊する事になった菊枝は

痛み止めに貰った薬が利いて、先ほどから頭がぼんやりとし始めていた。

眠気も押し寄せる。

日がすっかり落ちたのか、カーテンから差し込む月の明りが、仄かに白く室内を照らす。

ふと誰かの気配で菊枝は、目を覚ました。

「大丈夫・・」

誰かが、喋った。

気遣って小声で話し掛けてくる声は、子供の高めの声だった。

「おばさん」

菊枝は、瞬きをひとつして目を開いた。

「駿ちゃん!」

自分をじっと見つめている二つの瞳とばったり出会った瞬間、菊枝の口から飛び出す名前。

「菊枝おばさん、大丈夫?足痛くない?」

「うん!痛くない!それよりどうしてここが分かったの」

「これ・・見つけたの」

駿一の手に一枚の短冊が握り締められていた。

駿ちゃんにもう一度逢えますように・・・菊枝

「今日、学校で七夕飾りを作ったんだ。

駅前のお店の人が、僕たちの作った七夕飾りを飾ってくれるって先生が言ったので

皆で持って行ったんだよ。他にも大きな七夕飾りがあって、順番に見ていたら見つけたの。

これ・・・菊枝おばさんの書いた短冊だよね。ごめんなさい。黙って・・僕、持って来ちゃった」

「いいのよ!駿ちゃんに見つけて貰っておばさん嬉しいんだから。でも、ここがよく分かったわね」

「うん。おじさんに聞いたんだ。

おじさん、今日、お仕事で来られないから僕に行って欲しいって・・・」

「兵吾ちゃんが・・・そう言ってくれたの」

「うん。菊枝おばさん、ほんとに足痛くないの」

「痛くない!駿ちゃんの顔見たらどこかへ飛んで行っちゃった」

「よかった。これお見舞いだよ」

駿一は、もう一枚の短冊を菊枝に見せた。

「きくえおばさんの足が 早くなおりますように しゅん一」

「僕が飾っておくからね」

「駿ちゃん。ありがと。もうすぐ七夕なのね。晴れるといいね」

菊枝は、起き上がると駿一の体を抱き寄せた。

「起きちゃだめだよ」

「いいのよ。こうしている方が、おばさん嬉しいんだから。

おばさん・・ね。もう一度駿ちゃんに逢いたいって・・・ずっと思っていたのよ」

「おばさん・・僕もだよ」

「え?駿ちゃんも」

「うん。だから今日、ここへ来たんだよ。菊枝おばさんに会いに」



兵吾が言ったように、短冊に書いた願いが、不思議な扉を開けてくれたのだろうか。

菊枝の想いが、遥か時を越えて、駿一の心に届いたのであろうか。

「あれからずっと気になっていたのよ。

おばさんが出すぎた事をして、せっかく忘れようとしているお母さんの事を

思い出させてしまったんじゃないのかなって。ずっと心配だった・・・」

「ううん。僕もおばさんにもう一度ありがとうって言いたかったんだ」

「駿ちゃん・・」

菊枝は、絶句した。嬉しさと安堵が、涙になって流れ落ちた。



普段の菊枝から想像もつかない涙もろい菊ちゃんであったが・・・

そこは菊ちゃんである!立ち直りも素早い。

「でもさ。せっかく来てくれたのに、どこにも行けないなんて菊ちゃん、悔しい」

「どこにも行かなくてもおばさんにまた会えてお話できたから・・僕、嬉しいよ」

「うん!そうだよね。また会えたんだから、おばさんもメチャクチャ嬉しい」

「足が治ったら遊びに行こうね」

「うん。うん。おばさんの家にも遊びに来て欲しいわ」

「いいの」

「いいに決まってるじゃない」

「うん!きっと行くよ」

もうすぐ七夕である。

少し早いが、織姫になった気分さながら菊枝は、小さな彦星をもう一度抱きしめた。



あくる日、気分もすっきりと目覚めた菊枝は、克子の許可も出て退院の運びとなった。

「兵吾ちゃん!」

病院の玄関で兵吾が待っていた。

「菊ちゃん!無事退院おめでとう」

「大げさね。足首をちょっと捻挫しただけなんだから」

「せっかく迎えに来たんだから、そう言うなよ」

「兵吾ちゃんが迎えに・・。まさか201でじゃないでしょうね」

「名誉の負傷じゃないんだからマイカーです。ただし、西崎のマイカーを借りて来たけどさ」

「じゃ・・西崎君に来て欲しかった」

「俺は・・さ。いつも世話になっている菊ちゃんの見舞いに来れなかったから

今日、代わりに来たのじゃないか。西崎は、昨日、来てくれただろうが」

「来てくれなかたけど」

「え?そんなはずないだろ。俺が頼んだら、快く引き受けてくれて・・」

「でも来てないものは来てない」

「ほんと?寝てたんじゃないの」

「失礼ね!ちゃんと起きてたわよ。

その代わりに、うふふふ・・駿ちゃんが来てくれて・・・」

「ええっ!今、菊ちゃん!何て言った」

「だから、駿ちゃんが来てくれたのよ」

「ははは・・・それはない!やっぱ!菊ちゃん、寝ぼけていて西崎を駿一と間違えたんだ」

「間違えてない!」

「けど・・・あいつが時のトンネルを越えて会いに来るのは、俺にだけだ」

菊ちゃんは、まだ不服そうだったが、素直に俺の・・じゃなく西崎のマイカーに乗った。

「兵吾ちゃん!ちょっと寄って欲しい所があるのよ」

途中で菊ちゃんが、突然思い出したように言った。

「どこ」

「駅前よ!」

「駅前」

「そう!七夕飾りがあるのよ」

「あぁ!菊ちゃんが短冊を飾るって言ってたよな」

俺は、急いで車を駅前に走らせた。

「ちょっと待っていて」

一人で降りた菊ちゃんは、何か探している様子だったが、暫くすると俺を呼びに来た。

「兵吾ちゃん!ちょっと降りて来て!見せたいものがあんのよ」

「けど、駐車違反になるぞ」

「大丈夫よ!すぐだから」

「いいのかよ!警察官がそういう事言ってさ」

ぶつぶつ言いながらも俺は、菊ちゃんの後に付いて行った。

「ほら!ここ」

「え」

「約束したのよ!昨日、あの子と」

「まさか・・・」

俺は、驚きのあまり続きの言葉が出てこなかった。

菊ちゃんが指差す先に短冊が揺れている。



「きくえおばさんの足が 早くなおりますように しゅん一」



その隣に菊ちゃんが書いた短冊が仲良く風に揺れている。

「嘘じゃなかったでしょう」

菊ちゃんを庶務課まで送ると、俺は、急ぎ足で西崎を探した。

朝のコーヒーをデスクで飲んでいた西崎を無理やり廊下に連れ出す。

「何なんですか!高見さん」

少々むくれて西崎が言った。

「おまえ・・昨日、菊ちゃんの見舞いに行かなかったのか」

一瞬、たじろいだ様子だったが、すぐいつものクールな顔に戻り答えた。

「ええ。急用が出来ましたので。ぁ・・でもちゃんと代理に行かせましたから」

「だ、代理って!」

「・・・」

「誰だよ!」

俺を無視して歩き出した西崎に尚も俺は、しつこく問いただす。

「西崎!」

「大きな声出さなくても聞こえていますよ。俺の・・・」

「おまえの・・・?」

「だから・・・分身ですよ」

「分身!」

衝撃を受けてポカンと西崎の顔を見る俺に、相棒は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「待て!西崎!ちょっと・・まだ話が!」

西崎は、俺の呼ぶ声を無視して刑事部屋へ消えた。



まさか?

誰かに見られたらどうすんだよ!

いや・・もっと重大な問題がある。

何故だ!何故・・俺を経由しないで直接菊ちゃんの元へ駿一が現れたんだ。

「だから・・短冊の願いが叶ったのよ。それ教えてくれたの兵吾ちゃんじゃないの」

ギョッ!!菊ちゃん!

何時の間に後ろに来ていた菊ちゃんが、俺には、織姫さまに見えた朝だった。



もうすぐ七夕ですね。

あなたの今年の願いは、なんですか?

たまには、子供のように短冊に願いを書いてみませんか?(笑)

年に一度、乾ききったこの社会に生きる私達も

遥かな時を越え語り伝えられて来た

織姫と彦星の雄大な銀河を舞台にしたラブストーリーに

思いを馳せるのもいいかも知れない。

                    2003.7.1     


                                       




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