|
1975年頃、Jos(リードギター)、Ernest(ベース)、Paul(ドラム)の3人は、Steely
Dan、Eagles、Peter Frampton、Moody Blues
などのコピーをしていたが、やがて自分達の音楽の興味が、シンフォニックロックにあると気づき、自らで曲を作るようになっていく。Saga
というバンド名に決めたのも、この頃だった。 Jos の曲作りの才能はこの頃から際立っていて、欠けていたキーボードに Guido
を加えた後、Paul のリードボーカルで、79年、Crossroad Studio にてアルバム "To Whom it Concerns"
が録音された。やがてライブでのボーカルとして Tom de Jong
を受け入れると、彼らは魅惑的なステージをいくつもこなした。 しかしそれは長く続かず、80年代の初めに Tom と Guido
が脱退したので、バンドはまた以前と同じ、キーボード奏者のいない状態に戻ってしまう。そこで、Ernest が猛レッスンの後、キーボードに移行。かわって
Jos がベース担当となった。 Jos のダイナミックなベース、Paul の完璧でちょっと変わったドラム、Ernest
のメロディアスなキーボードの円熟した組み合わせに、リードギターの Nico Bakker、ボーカルに Ton van Kesteren が加わった
Saga は、よいコンサートを行うが、やがて Nico も Ton もバンドを離れていった。 1983年、Saga
はついに解散する。Paul はいくつかほかのバンドでドラムを続けていたけれど、Jos と Ernest
はすべての楽器、機材を手離し、長い長い間、演奏はしなかった。
そして、1998年の夏。休暇でフランスにいた Ernest は、Genesis を聴いていて刺激を受け、ちょうど Paul
が今でもドラムを楽しみながら続けていることを聞くに及んで、"うずうず"する。時をおかず、Ernest
はシンセサイザーを買い、レッスンを始める。 当初、Jos はバンドの再結成にあまり興味を示していなかったが、一年ほどたったある日突然 Jos
はベースと12絃アコ−スティックギターを持って現れ、その瞬間からすべての金曜日の夜が確保された・・・ US のために。 Jos
は次々に新しい曲を作り、毎金曜日にそれらを仕上げていく。出来上がった曲は、Jos の自宅居間で録音され(ドラムはスタジオで後取り)"The
Wizard of US" と名づけられたデモCDが作られた。この中の数曲を再録音していく過程で、エレクトリックギターの必要性を感じた彼らは
Peter に依頼。Peter はほどなく US に正式加入する。 こうして "A Sorrow in our Hearts"
はリリースされた。(6曲中5曲は Jos がリードボーカルをとり、1曲は Paul である。Ernest がリードボーカルのパートもあるが、声が
Jos にあまりにもそっくりなため、気をつけて聴いていないとわからない)
ほどなく、次のアルバム作りに取り掛かった彼らは毎回スタジオを借りるのは面倒だからと、自分たちのスタジオを作ることにした。Paul
宅のガレージを改装して作られたスタジオは、小さいながらも充実していて、"The B'SUS"(Blood, Sweat and
US)と命名された。 新しいアルバムの録音の前に、Jos がベースとギターに専念できるようにと、Stephan
がボーカルとしてUSに参加。"Eamon's Day" は2003年前半期に録音、リリースされた。 "Eamon's Day"
はあらゆる国で評価が高く、売り上げは伸び続けた。そんな中、US は2003年11月に、オランダ北部の Progfarm
のフェスティバルに出演し、満員の聴衆の前で満足のいくライブを行った。彼らはステージでの演奏を十分楽しんだ。 Jos
は次のアルバムのための曲を着実に作り続けており、US
は2004年2月、3枚目のアルバム作りに入ったところである。
|