十五夜と上野台の八幡神社の御遷座 編集子 2004/09/28(Tue) 23:58 No.153
28日は旧暦8月15日、十五夜である。十五夜にだんごやすすきの穂を供える習慣は都市部から広まったものらしい。この日の行事はもとは収穫の祭で、里芋や稲穂を供える地方が多かったとのことである。
この日に限って子どもたちは供えられた里芋やだんごを盗んでも良かった。いったん神さまに供えられたあとは、神さまから子どもたちへの恵みものとなったのだろう。(大人が里芋を盗む風習を聞いたことがあるがその場合は返礼のしきたりが決められていたという。)
旧暦8月15日は明治の初めごろまでは、深谷市上野台の八幡神社の例祭の日であった。八幡神社は江戸時代の初めの正徳年間に、上野台村と茅場村を知行地にもつ大久保氏が、社地を寄進提供し、茅場村の清心寺境内の八幡社を本殿の建物ごと運んで遷座し、上野台村の総鎮守となったものである。各字ごとの鎮守は別にあったのである。
上野台村旧記に字「鼠(根住)の七郎左衛門、六郎左衛門、八郎左衛門」の三人が「今の処へ引き移し奉る」とあるが、三人だけで引っ張れるものではなく、三人が高張り提灯を先頭にした大行列の責任者だったという意味だろう。
以来、村内氏子全戸をあげての三日間の例祭は盛大なものとなったが、熱中のあまり近隣に迷惑をかけたこともあったかもしれない。というのは、萱場村からの社地への遷座を「根住の三人で夜こっそり盗んできた」などという悪口もあるからである。「盗む」という言い方がされるのも、十五夜の日ならではの行事だからなのだろう。
(八幡神社の例祭は、現在は十月中旬)