学校事務処理効率化実践講演会記録

平成16年7月8日(木)

森田村中央公民館

 

 宮崎の日渡と申します。よろしくお願いいたします。今、略歴を御紹介頂きましたが、私は、昭和54年、宮崎市の中心校小戸小学校に採用されました。ここは1,200人ほどの児童数を抱える大規模校でした。今はドーナツ化現象で400人の児童数になっています。そのあと、中学校を経て、今の職場にいまして、そのあとまた中学校に出て、ここも1,000人くらいの学校でした。最後の学校が五ヶ瀬町立上組小学校です。ここは宮崎市から一番離れた町で、日本で初めての中等教育学校ができたところです。初の中高一貫校として有名です。そこの町役場からかなり離れたところの小学校で、児童数が31人でした。1,200人の大きな学校から31人の学校まで県教育委員会も含め行ったりきたりしています。54年に学校に採用されまして、何もわからずに仕事を始めました。そして教職員課というところで仕事を7年ほどしているうちに、慣れてしまって学校のことを忘れてしまって、自分のしている仕事はどんなことなのだろうと思い出して、学校に帰ってみようと思ったわけです。自分の出した文書を学校で受け止めてみたら、何を書いているのかわからなかったという経験があります。そういった思いを持ちながらまた教育委員会に戻りまして、いつも係員には、学校はどうあればいいとか、職員はどうあればいいかということを伝えながら仕事をしています。今朝、宮崎を出てくるときは6時過ぎに31度あったのですが、青森に着いたら25度くらいでした。かなり宮崎と距離があるなあと思いましたが、青森の人と仲良くさせていただいておりますので、非常に青森には気持ちがあります。

それでは、資料に沿って話を進めてまいりたいと思いますけれども、今日は、「共同実施と人事評価」ということで、まず、人事評価のほうからお話をしたいと思います。ご存じの方がいらっしゃると思いますが、人事評価というのは平成13年の公務員制度改革大綱というものが閣議決定されて、平成18年度から新しい公務員制度を始めると、国は方針を立てています。この公務員制度改革大綱は、能力等級制度を実施しようというのが柱です。今の公務員制度はどういうものかというと、年功制と職階制という大きな原則があります。今日は時間がありませんので、これについて詳しくお話をすることができませんけれども、こういったものに替えて能力等級制度を始めようというものです。しかし、今まで親しんだ公務員制度を根底から覆しますので、いろんなところで軋轢がありまして平成14年には国会で法律が通過するという予定だったのですが、平成16年の通常国会が終わってもその法律はまだ国会を通っておりません。それほどまでに公務員の世界を大きく変える制度なのですが、18年の制度の施行そのものが危ぶまれている状況もあります。但し国は、今年度中の臨時国会で、能力等級制度を含めた新公務員制度を法律化して、18年には実施しようという準備をしております。

 能力等級制度というものが新しい公務員制度の基本なのですが、どういうものかといいますと、一人一人の職員をあらかじめ用意された等級に格付けする世界です。この何等級にするかというのが非常に大きな問題で、行政職では当初、8段階にしようということで国は準備を進めていました。すべての行政職員を1等級から8等級に格付けて、あなたは1の能力がある、あなたは3の能力があると格付けるという制度です。3の能力がある人はこういった仕事をしてくださいということで、それはいわゆるポストに反映されるという方法なのですけれども、私たちは事務職員ですので、この延長上で考えられるのでないかという気がします。一方、学校では、教員が主流を占めるのですが、教員もこれにあわせて何等級にしようかということを検討しなくてはいけないわけです。漠然と考えますと、「教諭」「教頭」「校長」の三段階ということは頭に浮かぶのですが、三段階よりももっと多段階ではないかということも考えられております。国が能力等級を何段階にしようかとか、それぞれの等級毎の能力はどういった能力ですよということをあらわす作業は今しているところですが、平成14年の地方分権一括法改正以来、地方分権というものが教育現場でも進んでいますが、教員の世界については各都道府県で設定をすることとなっています。なかなか都道府県というものも地方分権の前の集権時代の雰囲気を残していて、何もしなくても最後は国がやってくれるだろうと、あまり努力をしていないというのが大方の県の実情です。しかし、待っていても今後国は何もしないということだけは覚悟しなければいけません。

新しい公務員制度というのはそういうものなのですが、じゃあ何等級の能力があるのかという判定をするのが評価制度ということになります。今は評価制度がないのかというと、勤務評定という評価制度があります。これは昭和31年に法律が制定されました。当然、皆さん方も各学校の中で勤務評定を受けていますが、この内容をご存じでしょうか。そして評価の結果はご存じですか?いずれもわからないですね。今の日本の公務員の評価制度というのは表に出ないということを前提にして評価が行われています。結果も表に出てきませんし、評価の内容そのものも表に出ません。それがまた勢い余って評価制度そのものは形骸化して何にも使わないということをも前提とした評価制度になってしまっているということも言えます。これは、57〜8年間ずっと続けてきたことですので、それはそれで正しいことかもしれませんが、最近、社会情勢が大きく変わる中で公務員と一般県民との気持ちの乖離が進んでいるとか、学校の常識は世間の非常識だということがよくいわれるのです。公務員が非常に強い風にさらされているということが言えます。世の中が戦後から十数年前まで右肩上がりの社会でしたので、私たちの公務員制度に県民はどのような内容があるのかということに興味を持たなかったのです。しかし、バブルが崩壊して経済状況が悪くなって、賃金が減るというのを通り越してリストラということを目の当たりにしたときに、自分たちの公僕である公務員はどうであるのかということに対して、意識をし始めたというのが最近の流れかという感じがします。また、文部科学省は、教職員の評価制度について各県で考えてくださいということで、平成15年から3年間、すべての都道府県と政令指定都市に研究委嘱を行っています。そして平成18年までには完成させて、施行しなければいけません。都道府県もそうなのですが学校でもそういったことがよもや始まるはずがないと考えているのです。どうでしょうか、お集まりの皆さん方は、評価制度が1年と10ヶ月後に始まるということを意識していらっしゃいますか。まさかそういうことはこないだろうという感じもするし、あるとしてもどんなものかということに対してなかなか興味がわかないというのが現状だと思います。しかし、学校だけが、教育の世界だけがそういうものと全く離れたところで仕事をしているような感じがしていると県民は思い始めているということです。国の委嘱した評価制度とか、国の考えている公務員制度にしても突然出てきたものではないのです。

公務員制度そのものをここで話題にしてもあまり意味がありませんので、教育の世界に話を戻して考えますと、(資料1P)第三の教育改革の時代と言われてかなり経ちますが、あまり新しい言葉でもないし、そんな言葉を使うこと自体も陳腐になってしまったかもしれませんが、これがいつから始まったかというと、だいたい平成8年の中教審答申くらいから現実的になってきた話です。これ以降、私達はいろいろな情報を新聞等で耳にします。それが、学校にいると職員は一つ一つがバラバラの情報として話題になります。たとえば、平成8年の答申は、それまでの教育課程の新しい学力感というテーマからゆとりの中で生きる力を育むというテーマに変えましたが、そのことが学校で話題になるのは当たり前のことですが、それ以外にもたとえば、職員会議が学校管理規則に規定されるとか、学校評議員会とか、不適格教員の問題とか、校長・教頭の民間人の登用の問題とか、いろいろ話題が8年以降出ています。それが学校にいると新聞情報なのです。校長・教頭に民間人が採用されたんだってねと、新聞情報なのです。不適格教員が研修を受けるんだってねと、新聞に出て、新聞のネタのレベルで学校でも広がっていくということなのです。これはすべて一つの流れというものがあって、すべてそれは中央教育審議会の中で答申されている問題だということを図式化しただけなのです。平成8年の中教審答申ではゆとりの中で生きる力を育むという答申が出され、そのためには学校を五日にしようとか、地域社会の教育力を向上させようとか、教育内容の厳選をしようとかいうことで、このゆとりという生きる力ということをテーマにいろいろなことが出されたのが平成8年の答申なのですが、この中でもゆとりの中で生きる力を育むということに対して、そのためには各学校の創意工夫と特色ある学校づくりが必要だということが言われているわけです。何校か経験されていると、学校の特色とか学校の創意工夫ということに学校が取り組みだしたのは、ここ4〜5年だということが、考えてみると思い当たりませんか。これは、創意工夫とか特色ある学校づくりというものが突然出てきたのではなくて、ゆとりの中で生きる力を育む、そのためには創意工夫が必要です、特色ある学校づくりが必要ですと流れてきているからです。さらに平成10年の答申では、そのためには学校の自主性・自律性を確立しなければ、学校の創意工夫とか特色ある学校づくりというものができないということで答申がなされました。そして、自主性・自律性を確立するためには、五つに項目が分かれていて、学校の裁量権限を拡大しなくてはいけないとか、学校の管理運営の組織を作り直さなくてはいけないとか、地域住民の学校運営への参画を求めなくてはいけないとか、校長・教頭の選考のあり方とか職員の資質向上を図らなくてはいけないとかいろいろ出ましたが、この中の一つに学校の自主性・自律性の確立のために学校の管理運営のあり方の見直しというのがあります。その中で具体的な項目として、学校の事務の共同実施というものがでている訳なのです。これは学校事務の共同実施が何のためかというと、自主性・自律性を確立するためなのです。それは何のためかというと、特色ある学校づくりや創意工夫を生かした学校運営を行うためである。それは何のためかというと、ゆとりの中で生きる力を育むためなのです。そのように、ずっと流れてきているのですが、学校の事務の共同実施に関して、学校事務の世界では、これもまた新聞情報で共同実施が始まるとかというレベルではなくて、共同実施というものがあるというレベルなのです。中教審は文部科学大臣の諮問機関ですので、答申されますとルール的には実施する、実行するというのが必要です。その証拠に、ゆとりの中で生きる力を育むという答申がでれば、それに応じた教育課程が組まれます。完全週五日制を始めようということがでれば、完全学校週五日制が始まります。地域社会の教育力、教育内容の厳選ということであれば、教育内容の3割カットということが実際に始まりました。ところが、その一つである学校事務の共同実施だけは、事務職員の間では、共同実施をやるかやらないかもうちょっと考えてみようとか、やらなくてもいいんじゃないかという感じを全国的には受けているという気がします。一番、自分たちに近いところだけ、学校事務は留保してしまったという感じがします。共同実施は、学校の自主性・自律性の確立するために答申の中に出てきたものだということです。

そして、12年の教育改革国民会議では、17の提案が出されました。これは大きく4つのことを言っております。一つめが教師の意欲や努力が報われ評価される制度を作ろう。地域の信頼に応える学校づくりをしよう。学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れよう。新しいタイプの学校を設置しようということだったのです。教育改革国民会議は法的拘束力を持ちませんので、報告しただけで終わったのですが、翌年には文部科学省は、21世紀教育新生プランという国の政策の中に入れることによって、国民会議の報告の内容を拘束力のあるものにしました。そういう意味では、国民会議の17の提案というものは大きな影響を与えた提案だと言えるかもしれません。この教育改革国民会議や8年、10年の中教審答申を受けて、それ以後も答申はさらに念を入れる形で、同じことを何回も答申してきました。たとえば、教師(教職員)の意欲や努力が報われ評価されるという部分では、新しい教職員の評価システムを作りましょうということで、15年の答申でもさらにでております。そして、信頼される学校づくりでは、授業の公開、学校評議員制度の活用、学校評価システムの確立ということがでています。学校評価システムというのはそれぞれの学校で進んでいますか?共同実施よりは進んでいますね。そのように、他のところについては、やらなければいけない。となり、自分のところになると、これはやりたくない気持ちになってしまうのです。15年の答申も非常に大きなものでした。新しいタイプの学校の設置の促進という国民会議の4つめの柱は、15年10月の中教審答申の中でさらに具体的に中間報告がなされ、本年の3月4日には答申がなされております。それはどういう内容であったかというと、地域が公立学校の運営に参加するシステムを作ろうということです。このことについては、先月、地教行法が改正されました。地域が学校運営に参画するための法的条件整備が終わったところです。公立学校の管理運営の民間への委託というものもでております。これも地教行法の対象になります。そして株式会社等の学校の設置と、この三つが大きくでたのですが、これは、社会的には非常に大きな影響を持ちます。地域のPTAにとって学校の管理運営というものは全く別な世界だったのですが、学校評議員の中で若干意見をさしはさむところができるようになり、学校の管理運営が、直接意見を言うとか、意志を決定する対象になったのです。地域住民が学校の管理運営に対して参加してきます。法的条件は整備できました。あとは市町村がその条件をクリアできれば、いつでもこの方法についてはゴーサインが出ます。あと一つが、公立学校の管理運営の民間への委託ですが、今の公立学校の管理運営は誰が行っているのかといいますと、もちろん学校は組織ですので、すべて校長と言ってしまえば終わりですが、じゃあ授業も校長がやっているかと言えばやりません。教員が分担してやっているわけです。じゃ学校の管理運営は誰がやっているのかというと、事務職員ではなくて校長だと、校長自身も言いたがりますが、これもやはり職の分担からいきますと、これを担う職員は誰かということです。学校事務職員が担っている部分なのですが、これが民間へ委託されるという可能性が出てきているのです。これは、共同実施という問題とは全く違います。共同実施はするかしないかというレベルではないし、やったとしても事務職員でやるのですが、この管理運営の民間委託となりますと、どこかのこういうマネジメントに長けた民間会社がA小学校の管理運営については私どもにお任せくださいと契約が成立すれば全部そこが行っていくわけです。これは、よく読むと本当の学校事務の危機はここにあるのではないかと思います。今、義教法の問題とかでていますが、これは国庫負担の対象になるかならないかという問題です。この是非は別にして、義務教育費国庫負担金を堅持するという意味では最大の危機を迎えているのが今年、来年なのですが、これは言い方を変えると、給料の半分を出していた国から、県が全額出すということです。そのために財政的基盤の小さな県では、定数削減につながるのではないかというのが、義務教育費国庫負担金の最大の事務職員の問題なのです。もらう給料も人の数も変わらなければ、どっちでもかまわないということになるかもわかりません。私達が義務教育費国庫負担制度の堅持ということを強く訴えているのは、市町村あるいは知事部局にその権限が行った場合に、定数減につながるのではないかというのが最大の懸念なのです。だから反対をしているのです。この問題というのは、給料減とか定数減の問題ではないです。あなた達は必要ないと言われる可能性があるのです。これは夢物語ではありません。

今私達が事務職員として考えなければいけないことは、職としての組織的な目標のことです。ずっと目標が同じではないはずです。以前の学校事務職員の目標は、「職の確立」ということであったのですが、「職の確立」を25年経っても求めていれば、個人の成長とか、職の成熟というものが何も変わっていないということが言えるかもしれません。少なくとも「職の確立」という段階はもう過ぎているという気がします。その時々にリアルタイムでたてた目標というものは、時間とともに目標もどんどん先に進んでいっている。一年、経験を積めば目標も一年先に伸びていくような気がします。どこまで行っても目標は新しい目標になりながら、いつまでもそこに到達することができません。10年前とか20年前に立てた目標については遙か昔にクリアできている。

そういった意味では、目標はクリアしながら、新しいものがどんどん先にできていっているものなのですが、今私達が目標にしなければいけないのは、私は個人的には16年3月の中教審答申が当面の目標です。それは簡単に言いますと、地域の住民や保護者が公立学校の運営に参加してきてもそれに耐えうる学校運営の基本を学校事務で作ることだという気がします。あと一つは、もし民間の会社が学校の管理運営について手を挙げた場合に、私達のサービスのほうが優れていると、比較して県民にわかるような学校の管理運営の技術を事務職員が作らなくてはいけないというのが、目標だと思います。ずっと昔の感覚に執着している人たちもいます。それはそれで個人の意識の問題ですので、それをどうのこうの言えるものではないのですが、それでは全体の職としてのあり方を見失ってしまう可能性があると思います。地域住民の参画した時代に対して、その規模・願いに十分耐えうる学校管理運営の技術と、民間会社が入ったとしてもそれに負けない学校事務の技術を提供することだと考えております。そういった意味では、共同実施の是非を議論する時ではないというところまで、私達を取り巻く社会は流動しているのです。もしかすると共同実施というものが、地域が参加する学校運営とか民間に対して負けない管理運営の方法の一つであるという意味では重要ですが、まだ、共同実施を目的にしているとか、共同実施が終着駅だということで私達が努力していく時代はもう終わったという気がしています。

文部科学省の評価の委嘱を受けたのが15年からですが、宮崎県においては、公務員制度改革の大綱がでました13年の次の年の春から新しい教職員制度の構築というものを検討し始めています。私達は今、3つのテーマで仕事をしています。一つが、新しい教職員制度です。そしてあと一つが、新しい教職員評価制度です。そして、最後の一つが今年度から始まりました国立大学の法人化に伴う教員給与の独自給料表の作成でした。3つめの、独自給料表作成については、昨年度までに一定の成果を得ましたのでもう終わったのですが、今まさに努力しているのが、新しい教職員制度と新しい評価制度です。そして新しい教職員制度は国の国家公務員制度の構築というものをみて基本的なルールはあわせる必要があります。これにあわせて教員の世界というものを作り直す必要があります。事務職員の世界も作り直す必要がありますので、国の動きを横目でにらみながら作業を進めているのですが、いずれにしても新しい公務員制度が遅れても必要なのが教職員の新たな評価制度です。それで、私達は評価制度を前倒しで作業を進めてきました。今年度までに、学校の校長・教頭に対する評価制度が一定の結果を得ましたので、本年度から試行を始めました。このことを今日、説明する中で残る職員、教師、養護教諭、事務職員、栄養職員、特に事務職員の評価制度というものについて、一定の方向性を示すことができるのではないかと思い、今年度、宮崎で試行している管理職の評価制度について説明させていただきます。

資料2ページからです。現在の勤評というものは冒頭にもお話しましたが、誰が、いつ、どこで、どのようにして、どうなったのかというのが、すべてブラックボックスの中で行われています。この2ページからの資料は、先月、宮崎県内の全職員に配布した資料そのものを抜粋して持ってきました。現在の勤評の反省もこめて、今の学校現場の評価制度が抱える課題というものを、6つほど考えております。まず一つが、各職における目指すべき姿を明確にしていないために職務遂行能力を向上させることが難しいということです。各職というのは校長、教頭、教諭、養護教諭、栄養職員、事務職員のことを言っています。任命権者として校長の目指すべき姿を明確にしていない。事務職員の目指すべき姿を明確にしていないということに対して、まず反省をしました。そこで、新しい評価制度を作る際は、まず最初に各職毎の目指すべき姿というものをはっきりと明確に示そうということで作業を進めております。二つめが、頑張った職員とそうでない職員との評価が明確でない。そのために、給与や人事といった処遇に差が見られないために、やりがいをもつ職員が減少するということを考えました。これもいろいろと批難を受けた言葉の一つなのですけれども、今の国家公務員法や地方公務員法では、頑張っている職員も頑張っていない職員も一律に処遇するようにできております。これがいいことか悪いことかはわかりません。これを60年間、私達は続けてきました。そのために何もしなくてもというと語弊がありますが、何もしなくても一生懸命頑張る人も、年とともに給料が上がっていくという制度を作り上げた訳です。そして、それがあまりにも当たり前になっているためにすべてがそのような中で設計されています。ところが、一方、公務員の外の世界にでますと、これには歴然と差があります。しかし、県民、国民は、公務員は何もしなくても一生懸命やっている人も給料には差がなくてもいいんだよということは、許さない時代に突入しているということです。三つ目は、評価はありますけれども、自分の何がよくて、何を努力する必要があるのかといった点について、評価者である管理職と被評価者である一般職員との間にコミュニケーションやフィードバックがないために自らの能力開発の向上につながっていない。もし、まっとうな評価がされれば、もう少しこういうところを努力したらどうかということをはっきりと言われることが、努力につながるということで能力開発型ということを言っております。四番目が、各学校では年度初めに学校教育目標や重点事項というものをたてますが、その学校の目標が一人一人の教職員の目標や行動に反映されていない。学校目標というものが別にあって、自分の目標というものは学校の教育目標を具現化するための一つだということが連動していないということを反省しています。これを一緒にすることによって、組織の活性化や組織的な成果というものを生み出していこうと考えています。五つ目が、ここが一番批難を受けた言葉ですが、優秀な教員は早期に管理職へという流れが確立してしまっているために、優れた指導技術をもつ中堅やベテランの教員が教壇に立つ機会が減少している。同時に、管理職としての資質が曖昧になっていると書いてありますが、じゃあ、年配の教員は優秀でないのかということを逆説的に、私達はいわれて、謝った文章なのですが、言いたかったことは、校長、教頭になっていない年配の教員が優秀でないということを言っているのではなくて、それでは何が優秀なのかといったときに、今の学校は物差しが一本しかないのです。それは教育技術という物差しが一本しかないのです。子供に対する指導能力が非常に優れているからという物差しで、あなたは校長あるいは教頭になったらどうかということで、校長・教頭に向かっている。これが一般的な流れだと私達は感じています。ということは、優秀な教員というものは、子供たちにとっても非常に大切な存在です。その大切な存在を子供たちから引き離して、職員室や校長室に閉じこめてしまっているのです。もちろん、校長や教頭は、教育にいろいろと参加されているのでしょうけれども、少なくとも教壇からは離れてしまっているという制度です。優秀な教員というものはいつまでも子供たちの前に置くべきだと考えています。そして、校長、教頭になる人たちは、何が校長・教頭の目標であって、どういった能力が求められているということをはっきりと示すことにより、向き・不向きというものが出てくる。校長・教頭はやはり管理職である以上は管理職である。向いた方がなってください。子供たちの前で、優れた教育技術をお持ちの教員については、どうぞこのまま教員を続ける制度を作りましょうということで新たに作りました。それでは今までだって定年まで教員がいるじゃないかと、そうなのですが、そこで私達は仮称ですけれどもスーパーティーチャーというものを作りました。教師の中の教師、あの人はすばらしい教師だと誰もが認める教師がいますよね。そういう人たちは、何も校長・教頭にならなくてもいい。スーパーティーチャーという新しい制度を作って、校長・教頭と同じような処遇をすることによって、子供たちの前でいつまでもその技術に磨きをかけて、さらに子供たちにかえしてほしいという制度を作ろうとしています。六つ目が、公務員というものは降格することがありません。これは法律で厳に禁止されています。ただし、分限という降格制度はありますが、基本的に降格制度はありません。今あるのは希望降任制度で、希望した校長・教頭がもう一回教員になりたいというのであれば、どうぞという道は開けているのですが、強制的な降任はないのです。そのために管理職に一度任用されると、無難に職を全うすればいいという安定志向に管理職が向かい、職場の活性化につなげられない。全体的にこのような傾向に陥っているのではないかということを言っているのです。そのためにも能力に応じた任用を実施したいと考えているわけです。そして、校長になっても、なることが目標ではなくて、なってもさらにその先の校長としての目標値を示すことによって活性化していただきたいということを考えています。

六つの課題から、新しい評価制度はどうあればいいかということを考えてきたのが3ページにあります。新しい評価制度の基本的な考え方として、3項目考えています。この3項目は全職種共通の項目です。もちろん事務職員にも栄養職員にも当てはまる項目です。まず、一つめが教職員一人一人の職務遂行能力を向上させるための能力開発型の評価制度としたいということです。評価というとややもすると、管理的な要素が匂う訳なのですけれども、私達は新しい評価制度を構築する中では、管理的な要素は排除するように努めています。新しい評価制度は一人一人の能力を向上させるための能力開発型の評価制度にしたいということです。これは今、全国で先進的に新しい評価制度を導入している県が共通して言っている言葉です。でも、よく内容を見てみると、どこに能力開発型というところがあるのかなと、私は担当者としては疑問を持つのですけれども、私も同じような言葉を使っています。二つめが、透明性、納得性の高い評価制度としたいということです。誰が、いつ、どこで、なにをもって、どのように評価して、そしてそれがどうなったか、生かされたかというところまで、フルオープンの評価制度にしたいということです。三つ目が、今までは評価のための評価に終わっていたのですが、評価の結果は、研修・任用・異動・給与にまで生かすトータルなシステムとしたいということです。そのように、フルオープンで能力開発型の評価である以上は、評価結果はすべて反映をしたいということを考えています。この三つが基本的な考え方なのです。

そのためには評価制度がどうあればいいのかということで検討した結果が、3ページの下のほうになりますが、新しい評価制度の概要です。これも全職種共通です。現在の勤務評定に替えて、教職員一人一人が発揮する職務遂行能力を評価する職務行動評価と一年間におけるアウトプット、つまり業務目標に対しての達成度を評価する業績評価によって総合的に判断したいということです。新しい評価制度は職務行動評価と業績評価の二本立てでは考えています。上の三つを満足させる方法が、この二つだと私達は考えたのです。

それでは、その職務行動評価というものはどういうものかといいますと、@ですが、各職において、目標とする職務行動を明確に示したいということです。各職において目標にするものを示しますけれども、その示すものは行動として示します。この行動として示すというところが、私達の考えているところの新しい評価制度の一番の特徴です。例えば、リーダーシップを発揮しなさいという目標を立てたところで、どういうふうにすればいいのかというところがわからない、なおかつ、リーダーシップが高いとか低いとかという評価をする方も、基準がないために主観で2とか3に○をつけていくのですが、それではリーダーシップをどのようにすれば発揮していると言えるのかということを、行動であらわすという評価制度にしたいということです。目標を達成する過程ににおいてどれだけ目標とする行動を実践できたかという、行動実践評価ということで、客観性、納得性、公明性というものを高めたいと考えております。

あと一つ、業績評価というものがありますが、これは今、先行実施している都府県の評価制度がこれです。平成12年に始まりました東京都の目標管理方式の評価制度というものはこの部分を指します。年度の初めに校長が全職員に対してあなたの今年度の目標はどういうことですかということでヒアリングをして年度の終わりに目標に対しての達成度で7割だった、8割だったということで評価するのです。この業績評価が20の都府県で行われている評価の基本です。これを東京都では給料に反映させていますが、私達もこれは給料に反映させたいとは思っております。ただ一つ違うところは、昇給延伸に対して、私達は悪いところを見つけるための評価ということは考えておりません。能力開発型であれば、高い目標を示すことが、その目標に合致しますので、目標を示します。それに対してどこまで到達したかということで判断しますので目標をクリアした人は特別昇給、なにもしなかったとかだめだったという人がいたとしても、それは延伸はかけないということです。根本にあるのは能力開発型ということです。目標を示して資質向上につなげようということです。

 ということを考えていますが、新しい評価制度は三つの基本的な考え方を二つの概要で考えています。そしてその評価制度を本年度は職務行動評価について、校長・教頭を対象に試行を始めているのです。そのあと、教諭・養護教諭・事務職員・栄養職員の評価基準を作っていきます。それでは、校長・教頭の評価制度をどのように作ったかといいますと、5ページからです。私達が一方的に評価の内容とか基準を作ったのではありません。私達は、県教委の中にそのような組織を作ってはいるのですけれども、新教職員制度検討会議というものがあり、意見徴収機関、団体として、市町村の教育長の代表を入れた会議でも話しておりますし、市町村の教育長も小委員会を作って、月に一回ほど会合を重ねながら作っております。それ以外にも、県立の校長会、小中の校長会、県立の教頭会、小中の教頭会、県立の事務長会、県立の事務職員の研究会、小中の事務職員研究会、養護教諭部会、学校栄養士部会、そのような各職種の団体の方たちと、概ね一ヶ月に一回ずつ会合を重ねながら意見交換をして、学校現場の声を反映させる形で、評価の項目と基準の設定というものを作ってきたわけです。その中で、管理職について先にできあがりましたので、試行してるわけです。なぜ、管理職を先にしたかというと、管理職は評価をする人であるからです。評価をする人が早く育たないと、真っ当な評価はできませんので、今私達は、評価者である管理職の評価能力の育成に力を注いでいます。

 このような形でずっと検討を重ねてきたわけですが、それ以外にも昨年度は全教職員にアンケートをとりまして、どのような評価をしてほしいとか、誰に評価をしてほしいとかということで、項目を決めてアンケートをとりました。回収率は悪かったです。なぜ低かったかというと、何か書いたら罰せられるんじゃないかと噂が広まって書いて頂けなかったのですが非常に残念でした。

 6ページになりますが、これが評価制度を各職毎に構築するときの作業の手順ですが、教育委員会内部で検討します。そして、学校のそれぞれの職との意見交換を行います。それだけでは学校という世界から一歩も出ませんので、今回、管理職の評価項目設定については、民間企業の管理職に必要とされる能力も調べて、この三者をすりあわせることによって、学校の管理職の評価のあり方、評価項目の設定を行いました。その結果が7ページからです。すべての教頭から出された意見を集約したものです。これが、約7,000項目ぐらいあったのですが、これを集約したものが右側の言葉になります。それをカテゴリー化したものが、左側の枠の中の言葉になるのですが、17項目になります。経営に関するリーダーシップから自己管理能力までです。8ページが県立学校のすべての教頭から出された意見です。両方で1万数千件を超す言葉になってきたのですが、このように集約しました。9ページが、私達が内部で検討した校長・教頭に求められる能力です。10ページが、社会一般の企業の管理職に必要とされる能力の項目です。この三つの項目をすりあわせた作業が、11ページに書いてありますが、このようにあわせてみたところ、結論から言いますと順番の差はあれ、ほぼ項目は一致していたという結果です。そういうことでしたので、私達はさらに6項目まで絞り込みました。これが12ページになります。管理職に必要な職務行動項目の6項目ですが、やはり、創造的企画力とリーダーシップが核になる能力であろうと私達は考えました。そして、創造的企画力には外部折衝力が関連する能力、リーダーシップには人材育成力が関連する能力、そしてこれらの基盤となるものが管理運営能力、セルフマネジメントであろうということで、6項目に絞りました。13ページに、この6項目を一覧にしてますが、この6項目ではつかみが大きすぎますので、さらに14の小項目に分けました。創造的企画力はビジョン構築力、先見性、発想判断の柔軟性、情報収集能力。リーダーシップは方向性の明示・浸透、組織構築力と以下、14項目ありますが、例えばこの14項目の中でビジョン構築力で校長・教頭の能力を見させて頂きますと言ったところで、これでは客観性に問題がありますので、まず言葉の定義を行いました。ビジョン構築力とは、学校の目標を明確化し、具体的実行計画を策定する能力です。以下、14項目すべてを定義づけました。しかし、いくら定義づけても、主観の評価から一歩もでることはできません。これでは今の勤評と全く変わりません。項目が違うだけであって、例えばビジョン構築力の定義を並べて、1から5まで数字を並べて、どれですか○をつけてくださいと書いて、3が普通、4がやや優れている、5が優れている、2がやや劣っている、1が劣っていると、校長に○をつけてもらったとして、校長になぜ3なのですか、なぜ4なのですかと聞くと、4だから4なんだという言葉しかでてこないのです。じゃあ2,3人校長を並べて同じ人を評価させると、3だったり4だったりするのです。どうして違うのかというと私がみたらこうなんだということで、これは主観の世界なのです。これが、今の日本の法律で定めている勤評の限界だと言うことなのです。これに対して新しい評価制度を構築しなさいといわれておりますので、私達は手をつけたということだけなのです。

 小項目毎に定義をつけましたが、ここで客観性を高めるために、先ほどの基本の概要の一番目ですが、行動で目標をあらわしたいということを言いました。そういうことで説明をしますと、ビジョン構築力の定義は、学校の目標を明確化し具体的実行計画を策定する能力なのですが、この能力を目標とする行動を言葉で表した訳です。すべての14項目を目標とする非常に高い行動指標、標準的な行動指標ということで、三段階であらわそうとしました。そのことを私達はレベル評定と呼んでいます。結論から言いますと、20ページです。これが宮崎県の今年の校長・教頭の評価表そのものです。ビジョン構築力の標準的な行動は、「前年度の問題点をどう解決していくかという具体的なビジョンをたてている」というような行動をする人は、標準的で2ですというふうにつけるわけです。高い行動を示すものはレベル3です。それは「昨年度の課題のみでなく自らの理念や行動指針を明確に示し、解決に向けての具体的なビジョンを職員から情報を収集したうえでたてている」ということで、これは高い行動だということで3です。この定義の目標値となりうる非常に高い行動というものがレベル4です。「長期的視点に立ち、地域や学校をどう変えていくかという視点から幅広く意見を示すとともに、自らの行動指針や解決に向けての具体的ビジョンを学校内のみならず地域にも具体的に示し高い信頼を得ている」ということで、行動であらわします。思っていてもだめです。やっていくらというものです。潜在能力ではなくて、顕在能力で評価しようというものです。実際にして頂いて効果を出さないと評価はできませんということです。

 14ページですが、そのようにすべての項目を行動で三段階にあらわしました。2が標準なのですが、やはり評価していく上で、標準に達しない職員が出てきます。それは、レベル1ということで、レベル1を設けたのですが、先ほどの表を見て頂ければわかりますが、レベル1には行動の欄がありません。達しないものは1というだけであって、どのように達しないという行動であらわす必要はないということです。目標値に向かってどれだけ達成できるかということが私達の気持ちの基本ですので、下に向けてのことは言葉としてはあらわしてありません。このように行動であらわしたというものが、新しい、私達が考えている評価制度の大きな柱なのです。二つめの柱というものが、15ページです。二つめの柱は誰が評価をするのかという点なのですけれども、これについて私達は多面評価という方法を用いました。どういうことかといいますと、従来、校長は市町村教育委員会が評価します。勤評で、主観で評価します。教頭は教育委員会が評価しますが、最初に校長が評価します。上司が評価をするというのが従来の形です。私達はこれに対して、多面的な評価というものが必要であろうということで、図で示したのが16ページからになりますが、校長の評価をする際には、市町村教育委員会が先ほどの評価表で一次評価者となります。しかし、市町村教育委員会が校長を評価する際は、評価表で一方的に評価するだけでなく、地域住民や保護者、そして教頭を含む全職員からの参考意見をとらなければいけないということをルール化したわけです。ただし、地域住民や保護者については、まだまだ直接、校長・教頭はどうですかというには地域社会が成熟していないという判断をしましたので、地域住民や保護者については今後、その方法については具体的なものを作るとして、検討課題としましたけれども、しかし、地域住民や保護者がどう考えているかということについては十分に耳を傾けてくださいという一項目を入れています。ただし、所属の職員については、同じ法律がもとの職員ですので、校長をどう見ているかというものはペーパーでいただこうということで、24ページです。これは、全職員に配られる校長の評価シートです。全職員に評価シートを配って、校長を評価し、それが教育委員会に届けられますので、教育委員会はこれを参考にして評価するというシステムを作っております。非常に厳しいです。謝っている訳ではないのですけれども、何を言いたいのか本音を教えてくれということで回っていたのですけれども、聞いてみると、評価制度というものは逃げられないことなのだということは理解しております。ただ、評価項目がなかなか読み取りにくいということで不満もありますし、中には、ストレートになぜ私が職員から評価されなくてはいけないのだということで、文句を堂々という校長もおりました。この評価シートは全職員からとるのですが、記名でとります。臨時的任用職員からもとったのです。なんでおれが臨時職員から評価されなければいけないのだという人もいましたけれども、じゃあ、あなたは臨時職員には正職員と同じ期待をしないのかと言いました。同じ仕事をしてくれということで学坦もさせているでしょと話をしました。同じ期待をするのであれば同じ評価をもらってもいいのではないかということです。

17ページは教頭の評価です。教頭については校長が一次評価、市町村教育委員会が二次評価、県教委が最終調整しますが、校長や市町村教育委員会が教頭を評価する際は同じように地域住民や保護者に対しては参考意見を求め、所属職員には同じペーパーが配られますので、全職員が校長と教頭を評価するということです。そして、この評価の結果で、あなたは校長の能力がある、教頭の能力があるということで、校長任用が始まります。試験は今年度から実施しておりません。評価結果ですべて校長任用、教頭任用をするということです。なおかつ、恐ろしいことに17ページなのですが、新しく校長・教頭になりたいという人がいますが、この人も全職員の前で明らかにさせます。もう希望調書出させたのですけれども、出るのは毎年出るのですけれども、その人たちも先ほどの評価表で評価されるとともに、また全職員から評価されるのです。A教諭が教頭になりたいといったときに、さっきの評価表を全職員に配り評価していくのです。それで、校長たり得るか、教頭たり得るかということで参考意見も募集しているのです。非常に厳しかったのですが、もし皆さんがそういう立場に立ったときに手を挙げますか?今までは、誰が受けるかというのをご存じでしたか?たまに知らないことがありますよね。宮崎では、行ってきますということで評価ももらって行ってくるのです。試験はないのですが、ある学校では校長が職朝のときに、職員を立たせて、教頭を希望しているので評価してくださいというわけです。このように非常に厳しい時代を迎えております。結論から言いますと昨年と変わらない人数の人が手を挙げてくれました。非常に厳しい制度を作ったのですが、現場に対して感謝をしております。校長の説明会で、希望者が減るのではないかとか、職員間の信頼を分断するのではないかといわれたのですが、それに立ち向かって、校長・教頭の職の目標に向かって、みんなからも望まれる人がいいのではないかと話したら、変わらない人数が手を挙げてくれたということで、非常に感謝しております。なおかつ、手を挙げてくれた人の中に、事務職員もいます。栄養士もいます。そういう世界になってきているのです。しんどい意味でオープン化された一例かとは思いますが、ありがたいと考えています。最終的な評価表の完成型というものは来年から始まりますが、まず、全職種毎に評価表を作ります。今年は管理職の職務行動評価を作ったのですが、来年からは全職種の職務行動評価表を作り評価していくのです。そして評価するなかで、非常に高いハードルを越した上で、管理職の評価表のところに近い傾向を示した職員については、「あなたは管理職の評価表を受ける能力がありますが、どうですか」ということで声をかけます。ですから、手を挙げる必要はなくなります。来年からは、教諭の評価表、事務職員の評価表を評価する中で、事務職員で非常に管理的能力が高いと思われる職員については、管理職の評価表を受ける能力がありますけれどもどうしますか?と声をかけて、受けるのであれば受けていただいて再評価をして、先ほどの評価表で、ある特定の点数以上になれば校長になってもらう。という構想を考えています。事務職員の評価表は、今、作っていますが、なぜ管理職の評価表を時間をかけて説明したかというと、作業を進めている中で、管理職の評価表と教師の評価表は全く違います。管理職の評価表は教師のそれと全く違うという姿勢を示すことによって、教諭の延長ではないということを私達は示したいのです。もっと学校にマネジメントの発想を取り入れたいということを、これで示しているわけです。校長の仕事というものはあるはずです。一人一人の能力を伸ばして、そして学校を活性化して、最終的に子どもに還元する能力なのですよと、コンダクタの能力ですよということをこの評価表で伝えています。、教師はそれではいけません。教師の評価表というものは、現実的な子ども達に対する指導能力を問う評価表になりますが、その中でも管理的な項目というものを数項目入れて、ここで非常に高い職員については、校長・教頭はどうですかということを言うわけです。なおかつ、指導的な能力が非常に高い職員については「スーパーティーチャー」とう評価表も作っておりまして、スーパーティーチャーの評価表を受けてみませんかという仕組みになります。事務職員についても職のあり方から、今見直しております。そして、非常に管理能力の高いと思われる職員については管理職の評価表で再評価して校長・教頭への道を用意しているということになります。旧来の評価からいきましても、宮崎では二人の事務職員経験者の教頭が出ておりますので、校長も政策的な意味の校長ではないです。客観的な能力で選ばれた事務職員経験の校長・教頭が出てくるのも間近だという気がしています。他県のことを言うと悪いのですけれども、どうも政策的なところで事務職員を校長・教頭に採用したりする可能性がありますが、宮崎では能力本位で評価表で選びますので、どこにも隠すところはないのです。

これが評価の全体像なのです。先ほどちょっと言いかけましたが、事務職員の評価表が完成したときには、管理職の評価表とベクトルは同じ方向かなと思います。全項目が一緒だという気はしませんが、どちらかといいますと管理職の評価表は言葉を換えれば、教諭の評価表より事務職員の評価表に近いのではないかという気がしています。これは今から断言できるのですけれども、そんな評価表を作りたいということなのです。先ほど冒頭に、マネジメントの発想とか学校の管理をする上で事務職員が担わなければいけないということを言いましたが、そういった意味ではこのベクトルは、管理職と事務職員は同じだと考えています。今年の秋には事務職員の評価表ができます。そして、これは全国的に発信したいと思っておりますので、是非ご覧になって、宮崎で考えている新しい事務職員像というものを見て頂ければと思います。ただし、その時には違和感があるかもわかりません。校長や教頭がこの評価表を見て違和感を持ったように、学校事務職員の方達も違和感を持つかもしれませんけれども、少なくとも宮崎では事務研と調整しながら評価表を作っていきます。他県の方から見るとちょっと違うと思うことがあるかもしれません。私個人的には、事務職員の目標値というものは、ここ数年で大きく変わってきております。私が採用された26年前の自分が学校事務として目標としていた事務職員像とは大きくかけ離れたところを今は目標としているということです。是非、学校の評価というものもありますけれども、この教職員一人の評価というものは身近な問題です。評価の是非は、もう話をしている場合ではありません。是非を話していてて、是非のままで終わってしまってはいけないということを言っているのです。共同実施もそうなのです。共同実施の是非を、いつまでも問うている訳にはいかないのです。共同実施をして、あるいはしなくて新しい学校の管理運営を考えたときに、どちらが対抗できるのかと考えたときに、共同実施を是非のままでその時代を迎えたときは、学校に一人配置でそれに対抗する力をつけなければならないのです。宮崎では、政策的に、これはまとめることによって、その力を学校事務につけようと、そして学校の管理運営の要として働いてもらおうということで共同実施に着目して全県下の実施を今年の四月から始めたということです。宮崎で進んでいるかというと、中には全然すすんでいないところがありますが、目標値はすでに定まっているということです。評価についても、是非の論議は入り口では必要ですけれども、いつまでも評価から公務員の世界は逃げることはできません。評価は必要がないと逃げることができる絶対的に自信がある政策的決定があれば、何もこんな大変なことはする必要はありませんが、評価が逃げられないもので、必ずやってきて、しかもそれが期限を決められているものだとしたら、何もしなくて最後に大慌てをするのか、時間を充分かけていいものを作るのか、どちらかを選択するべきだと考えます。今、いやがって最後に大変なことになるのか、今、努力して、自分たちに合った評価制度を作るのか、そういう判断の時期だという気がします。評価を受け入れるか受け入れないかという時期ではありません。平成18年というのが国全体の方針として決まっていますので、残されている時間は一年と十ヶ月です。先延ばしして、二年と十ヶ月、三年と十ヶ月というのはできるかもしれませんが、百年先延ばしすることはできません。是非、こういうことにも学校現場で関心を持って頂いて、県教委が政策として打ち出したときには、同じレベルで参加できるような体制・意識というものを学校で作っていければいいなと思います。

ここまでで、評価のことについては終わりますけれども、共同実施について少し、宮崎の紹介をさせて頂きたいと思います。28ページですが、ご存知のように宮崎では今年度からすべての学校で共同実施を始めました。共同実施をなぜ県が政策的に導入したかというと、もちろん平成4年に共同実施を発想したのが宮崎県であるというのもそうなのですが、その平成4年に、学校事務の今後のあり方というものの検討を始め、学校事務は学校経営の要として位置づけるということを県教委として宣言をしたのです。そして、そのためには皆さんの英知を貸してくださいということで、よく言われます、平成4年から3年間の、21世紀を目指す学校開発事務事業というものを始めた訳です。ただ、これも平成6年と10年前でして、まだまだ古い時代の名残がいっぱいありまして、私達の政策が学校にどこまで反映されたかというのは、甚だ疑問です。早すぎたために定着がなかったのですが、半ば暴力的に進めたところもあります。今はそれが実を結んだということが言えるかと思います。その中でも出てきた問題なのですが、共同実施にはあと一つ目的があります。これは結果論かもしれませんが、義務教育国庫負担の話を冒頭にしましたが、この負担から外れる可能性があると、何が怖いかというと定数削減が怖いということを言いました。それ以外に怖いものはないのだと思います。給料を出すところが変わるというだけで、人がいなくなるということが一番の問題なのです。もちろん現職員はリストラされることはありませんので、そういった意味では自分たちに関係ないからどちらでもいいのじゃないかという発想も成り立つかもしれませんが、私達の職というものはやはり、同業者がどれくらいいるかということが力になりますので、後輩が採用されなくなるということは、職そのものの存亡に関わるということでは非常に大事です。定数を守るということは非常に大事です。過度な定数は問題なのですけれども、私は共同実施をする中で、文科省が平成11年から加配をつけました。ここに着目をしたわけです。これは平成10年の中教審答申を読んでいないと、文科省が共同実施をしたら加配をやるよというふうに理解をしてしまいます。しかし、平成10年の答申は、共同実施をやってくださいと言っているのです。それに対して、やるかやらないかの是非論から始まったままずっときているのがこれも一つの問題なのです。そして11年には中教審答申を後押しする形で文科省が、共同実施をやるところには加配をしますよというところまで、共同実施をすることを誘導するとこまできたのです。そこで、私は、まさか国が加配をくれるとは思っていませんでしたけれども、加配をくれるといった瞬間にこれだと思ったのです。加配はもらうだけもらおうということで、手をつけました。結果、45名の加配をもらっています。もちろん青森県も26名の加配をもらって多い方です。宮崎の話をしますと、小中学校の事務職員は約400の定数があります。これに対して万が一、義務教育費国庫負担法から適用除外になったとすると、先ほど言ったように行政の圧力は定数減に向かいます。400から一割削減を受けたら360になるのです。これは非常に問題です。その前に宮崎は45を獲得したのです。445に今しているのです。それから一割削減されたら400です。削減は怖くないのです。青森もそうなのです。でも、私はそういうところに身を置いている職員として、400人という職のグループを40も引くことはあり得ません。これは致命的な削減です。こんなことはしないと思います。削減しても400に対して10とか20だと思います。10減らすのでも県という行政圧力はものすごい努力が必要なのです。ましてや400のうち20も減らすとなったら財政当局は相当勇気が必要です。でも、45まで私達はOKなのです。一割減らしてももとの鞘におさまります。そういうった意味では青森も四百数十名の中から26を確保しているということは、20も減らすということは相当厳しいです。あまりいい言い方ではありませんが、万が一、26減らしてももとの鞘です。そういったこともあるということです。共同実施はしてほしいというのが私の気持ちなのです。それは先ほども言いましたように、新しい学校の経営というものを考えたときに、共同実施が今のところ考えられる唯一の対抗方法かなという気がしている訳なのです。なおかつ、最近話題になっている義務教育費国庫負担適用除外についても非常に大きな力になりうると考えています。

これは前段ですが、28ページからは宮崎の共同実施の実施要項ですが、これを今年大きく改正をしました。31ページを見て頂くとわかるのですが、要項の新旧対照表を載せてあります。旧に対して新の方が少なくなっているような印象がありますが、これは後で見て頂くとわかりますが、共同実施の内容を個々の職務から大きな掴みに変えています。今までは、途上でしたので具体的な内容を示してきましたが、今年の実施要項からは目的を「複数の学校が共同で事務業務を処理する共同実施により、学校管理運営全般に対する支援やより効果的・効率的な学校運営および自主・自律的な学校運営を目指すものとする」としています。小さな業務をごっそりとはずしました。これは学校の事務が共同実施をすることによって学校の管理運営の要であるということを、要項の中でだめ押しをしたということです。学校事務職員が、学校の管理運営を担わないと学校はアップアップの状態なのです。長い間、教員は自分たちがそういうことをすることによって慣れてきたのです。いつの間にかそれが、変な言い方ですが、ステータスになっていたのです。例えば、教員が教務主任になったときに忙しくなったと言いますが、何が忙しくなったかというと授業が忙しくなったのではなくて、教務が行う事務が忙しくなったというのです。ということは、事務をするということをステータスにするような本末転倒のイメージを与えている可能性があるのです。それでは教務主任が忙しいと言いますけれども、教務主任がやっている事務をみてください。事務室でできる事務が大半です。もしかして事務職員がして当然かなと思う仕事まで、教務主任にさせているという現状です。これも、学校事務職員一人ではなかなか大変ですけれども、共同実施をして効率的にやると行えるということが言えます。共同実施を、是非、今までの既成概念にとらわれずあらゆる角度からどうアプローチできるのかということを考えて頂くと、新しい共同実施の方向というものが見えてくると思います。

32ページは、やはり共同実施は複数の学校を巻き込みますので、地区別協議会というものが必要です。そして、全地区の校長・教頭、教員の理解が必要ですので、地区別協議会の設置を義務づけています。これに時間をかけてしまうと大変なことになりますので、うまくまわるようにということで作ったのですが、これも毎年、少しずつ簡単に簡略化しながら作っておりますが、全職員で理解を進めてくださいということを書いております。そして34ページですが、これはまだ表に出ていないのですが、宮崎では76地区共同実施がありますが、その中で加配は45ですが、配置基準を変えることによって、加配数を56にしました。76分の56が加配の対象になったのですけれども、その時に20の共同実施組織は加配を受けられませんので、どこに加配をつけようかということを私達は評価した結果でつけています。ということは、この評価表は逆にみると、この視点というものが共同実施の目標値になる可能性もありますので、そういった意味では、こういう項目でみているということを直接はいいませんけれども、こういうことをいろんな言葉の中に織り交ぜながら共同実施の実施要項とは別の目標値を現場に伝える方法をとっています。このような方法で共同実施の加配の評価をさせて頂きますということをオープンにしたいと考えています。56の加配を宮崎ではやっているのですけれども、私はこの作業をやるときに今までの事務職員の配置基準を変えることから始めました。一番の根っこにあったのが、一番下と上の問題です。国の標準法では、3学級の4分の3について定数が措置されています。そして宮崎では残りの4分の1を県単で配置しております。これが下の方なのです。つまり2学級以下の学校には事務職員が配置されないということなのです。小中学校の特定学級以上は複数配置というのがありましたけれども、まず、上と下について着目したわけです。3学級で事務職員がいらなくて4学級では必要かということは、非常に議論の的になるわけです。なおかつ、上の方は35学級という大規模学校であっても二人配置なのかという話題があるわけです。各学校の各共同実施の組織の業務の質量というものを洗い出しました。そして質量に応じて配当しようということで配置基準を作り直しました。その結果、今、宮崎では、6校ほど3人配置という学校が出てきました。もちろん、下の方は削ってしまったところもあります。30学級を超す学校となりますと、私も十数年前にいたところなのですが、1000人を超す学校で、県費事務職員が私を含めて二人で、市の職員が二人、PTAが3人いましたので、7人の事務室を構成していたのです。7人ともなると県立学校並みなのです。県立学校は、県費、市町村費をあわせて県費ですので人数が多いように見えますけれども、やはり着目するところは市町村費も取り入れながらみていかなければならないということを言いたかったわけです。組織的には、大きな学校はなんら県立学校と遜色のない規模を誇っているはずだということです。7人もいると指揮命令とまではいいませんが組織的な構築というものが急がれます。そういうことで共同実施の組織の責任者という言い方をして、最近は共同実施主任といいますけれども、共同実施主任については特別な研修を実施しております。マネジメントの研修というものを実施しておりますし、そして教育事務所については、何か学校に伝達するときには、なんでも校長・教頭はやめてくれということを言っております。共同実施主任を集めて、共同実施主任がその組織内の学校長に伝えるというルールを確立してくれということで、一つの学校での効率化です。5校の校長が集まるのと、共同実施主任が一人来て、伝達を聞いて5校に返すのとでは、効率化が進んでいますのでこういったルールというものも作り上げています。あと、県としては、諸手当の認定権を宮崎では、平成8年に学校に委任しています。8年に学校へ委任したときには、校長に委任しているのではないのです。事務職員に最初から委任しました。ただし、事務職員でも「事務主幹」という職種について委任したのです。事務主幹がいない学校については校長へと委任したのです。8年から100%始まっていますが、昨年度から共同実施組織内の諸手当の認定権は、共同実施の責任者に委任するというのが各市町村で始まりました。県が指示をしているわけではありません。その結果、学校レベルでいくと76%の学校が諸手当の認定権は共同実施の主任がやっています。市町村ベースでいくと60%の市町村が共同実施の主任に諸手当の認定権を委任しています。各学校長はそういう事務からほとんど離れている訳です。なおかつ予算の配当も各共同実施の主任に配当し始めた市町村が出てきております。そして市町村の財務会計の端末を、共同実施の中心校に置く市町村も出てきております。予算と認定権が二つの大きな柱として共同実施に出てきておりますので、今後さらに別な角度から新しい権限というものも出てくる可能性があります。

最後ですけれども、各種規程等というところを少し説明したいと思います。先ほどから言っていますように、共同実施を平成11年から始めました。その前段階として、平成8年から76の地区で事務の共同組織というものを先に作りました。それが今の共同実施につながっています。こういうことをいくらやってくれと言っても、文書とか研修とか指導では動かないということは、身をもって知っています。よくきく指導、全く受け入れられない指導というものがあるものです。私はこれについては一番最初からルール化しようということで取り組んでいます。1ページが延岡市の例ですが、学校管理規則の例です。県内このような学校管理規則をもつ市町村が出てきました。16条からですが、学籍事務・権限委譲・共同実施組織・事務主任・自己評価・保護者・予算配当・予算委員会・予算執行・会計監査・集金・文書・公印・情報・事務処理と都合20条くらいあるのですが、すべて事務組織に対する学校管理規則の改正が終わったということです。学校管理規則レベルで共同実施という言葉が明確に示されているという例がこの延岡市の例です。まず学校を取り巻く規則としては一番上位にあります学校管理規則の中で共同実施をしっかりと唱ったということです。なおかつ今まで、1条も明記されていなかった学校事務のことについても、学校管理規則の中で条文をいっぱいさいています。これは職の確立そのものなのです。全国的には事務職員の職務の確立というときに、職務標準という手法で職を確立する方法が主流になっております。この方法が悪いとはいいません。それもいいでしょう。でも、標準はあくまでも標準なのです。どこかに絶えず逃げ道を与えているということで、私は、こういう役割を担ったときに、職務標準表を拒否しました。規則を作りましょうということで学校管理規則に明記しましょうとして作ったのですが、4ページは、その走りとして平成8年に作りました学校事務処理規程です。この中で事務主任の行う事務内容を指定事務ということで12項目指定しました。学校管理規則につながる2番目の規則として学校事務処理規程というものを全市町村で制定を終えております。第3条をみてみますと、情報・文書・公印・財務会計・学籍事務・就学事務・給与・旅費・服務・福利厚生・公務災害・各種調査統計の12項目が、事務主任の職務内容ですよということで、はっきりと書いております。そして、これだけでは内容がわかりませんので、例えば、ページが飛びますけれども、13ページに情報取扱基準案というのがありますけれども、これは県が出したときには案だったのですが、市町村ではそのまま基準になっています。これが4ページの第3条の1に合うところなのです。情報取扱基準というものがあって、この中に、例えば第4条ですが、情報取扱責任者と情報取扱主任という項目があるのですが、情報取扱責任者は校長です。情報取扱主任は事務主任ということで、事務主任を明確にその職務に位置づけております。これも、学校においてはひとつの基準です。その次のページからは文書分類について規則が載っていますが、これは全県下統一したものです。18ページは、文書取扱要領案というのがありますが、これも市町村では文書取扱要領と平成8年から制定されたのです。その第4条をみますと、文書の管理者は校長で、処理責任者は事務主任であると書いてあります。20ページは、その時に出ました、文書の決裁伺い書とか受付の書式なのですけれども、この中でも、校長・教頭にも決裁権があるのですけれども、ルールとして文書取扱主任を必ず通るようにしています。23ページにその文書処理経路図が書いてあります。22ページには文書分類表も出ています。保存年限等も全県下統一したものとして載せてあります。32ページは公印取扱要領なのですけれども、これも全市町村で制定されておりまして、第4条に公印の管守者は校長である。公印の取扱主任は事務主任であると書いてあります。宮崎県では平成8年から公印を強制的に事務室に持って行った訳です。校長は決済印(自分の私印)を押すだけです。終わったら、事務室にきて公印をお願いしますということで、決済印をみて正しく浄書されているかを確認して公印を押すという行為が宮崎では平成8年から事務室で行われるようになったということです。まだまだ、こういうことをし始めても、学校によって人によって差はありますが、私達が言い続けているのは総合的に学校経営の要として位置づけるためにはどのように支えるべきかということで、一つのパーツとして公印とか文書とか、管理規則の中、予算の中、集金の問題とか、そういうものすべて外堀を埋めていくように、制度として事務室、事務職員のあり方を構築してきたということをお話したかったのです。これに最近は共同実施という新たな方法が付加されて、その能力がさらに高まったということをお伝えしたかったのです。だからといって、明日電話をして、ちゃんとやっているかというととんでもないという学校があるのも否定はしません。ただし、制度は制度です。制度を守っているかどうかというレベルの話になるだけであって、するかしないかという話ではないということです。是非の話はもう終わっているということです。あとは個人が制度のとおりにやるかやらないかという問題です。ここまでの制度をみて、これは事務職員のやる仕事ではないという判断をする県があれば、それはそれでそういう制度を作ればいいのであって、宮崎では、学校経営の要と言い続けたということをお伝えしたかったということです。

ちょっと質問の時間が少なくなったのですが、以上で終わります。

 

司会;質問を受け付けたいと思います。ご質問等がありましたら、挙手の上、学校名、氏名をお話になってから質問をしてください。

 

秋田県 石山;秋田の方も厳しい情勢がありまして、いろいろお尋ねしたいと思いましてきました。とりあえず一つには、宮崎県は56人の加配をとって義教費がおかしくなっても怖くはないと、そんなふうに発言されたようですが、そうすると加配となった職員というのは、正規職員として採用されているのかどうかを伺いたい。一つには、秋田の方も共同実施をちょっとはやっています。とても青森県、宮崎県には及びません。すべて非常勤の職員をもって加配をしていつでも首を切れるような状態での加配ということで、我々としても仕事の要としてのパワーをつけるよう工夫はしているのですけれども、非常勤ということで、一年単位で替わっていくものですから、その人にどのくらいパワーをつけていこうかと組んでも、また来年どうなるのかなという思いがあれば、なかなか取り組めないことがあった訳ですが、そういった意味では宮崎では、しっかりした人を採用してがっちりしているのかなという気がしましたので、加配が正規の職員であったのかどうかということをお聞きしたかったのです。

 立ったついででなんですが、秋田の方でも、非常に厳しい状況でして、是非を問うてる時代ではないということで、共同実施を超えて、学校事務センターというものができまして、もっと進めるという話も聞こえてきております。いろんな各県の状況を学びながら、是非を問うてる時代ではなくなったと、今日、聞いてて思ったのですが、いろんな形で勉強していきたいと思い出席しました。

 

鰺ヶ沢二中 高橋;先ほど、宮崎県内の6校で3名配置というお話をしていたのですけれども、独自の配置基準を作られたようなのですけれども、ちょっとさらりと流れ過ぎたような気がしましたので、もうちょっと詳しく、独自の配置基準を作った趣旨、基準の中身、それに対する県内の反応とかそういうところをちょっとお話願えればと思います。

 

講師;まず、56の加配とおっしゃいましたけれども、45です。そしてあと一つ、私の言い方が悪かったのですが、定数削減がきても怖くないというのは、ことばのあやです。やはりいやです。やはり定数はいっぱいあった方がいいです。いろんなことを発想するためには必要だということが言えますので定数削減は怖いです。それで、臨時的任用職員であるのかということですが、まず、加配という考え方なのですけれども、よく学校では、例えば生徒指導加配がついたとしたときに、特定の人を指さしていうのです。たまたまその年に異動してきた人をみて、生徒指導加配の○○先生というのです。加配という考え方は個々について行くものではないのです。全体として一人増えたということであって、特定されないのが加配であると考えています。共同実施の加配でも、宮崎としては45という定数が増えただけであって、45を400に足した訳ではないのです。全体が445の定数を私達は配っているだけなのです。445の中に45の加配を含んで私達は配置をしているという考えなのです。よく共同実施の中で、加配がきてよかったねと話をすると、うん、よかったというのですが、じゃああなたは加配じゃないのかというと、私は本物で向こうは偽物だという人がいるのですけれども、二人のうちどちらかが加配であるということであって、どちらか一方が加配(あるいは正職員)であるという分け方は違うと思います。まず加配ということのとらえ方は、定数全体であるということです。それがどういうところに影響を及ぼすかというと、45をつけたのだから45は取ってもいいのではないかという発想に近づくと思うのです。そういう普段の気持ちにつながるのだと思うのです。だから45はいつでも剥がされてもいいような人事にしようかなという政策に結びつくのは、定数に対して必ずいつも45がコブのように上についているのだという気持ちだと思うのですけれども、全体として加配も含めたものが定数だという気持ちを持たないといけないような気がします。これはもう自分で思わないとどうしようもないことなのですけれども、そのように私は思っています。それにもまして、もともと宮崎県は臨時の多い県なのです。定数のうちの一割が臨時なのです。これは九州の傾向なのですけれども、青森にしてみると驚きだと思うのです。定数を臨時で一割も食っているというのは。逆に私達は、ぎりぎりまで定数を正職員でくっていることはどうしているのだろうと驚きなのです。でもそれになれてしまっているために、絶えず一割の臨時を取っておこうというのが、九州の教育施策につながっているのです。私個人的には不満なのです。10%ではなくて、3〜4%という率まで下げる必要があるという気持ちはありますけれども、やはり県の財政当局は一割は臨時でという流れを作ってしまったのです。宮崎は教員も一割が臨時なのです。もともと最初から欠員で臨時をとっているのではなくて、産休・育休も含めて教員は一割が臨時なのです。そういった意味でそういった話をすると宮崎もやはり臨時かという話になるかと思います。ご期待に添えないかもしれません。しかし、定数というのは全体で、もし削減が始まれば臨時を切るのではなくて、退職不補充とかの方法はいろいろあるかと思いますけれども、それは今後の問題です。ないことを今から考えてもどうにもなりませんので今は考えたくないのです。

それと定数の配置の問題ですが、今年の定数の配置は上と下をカットしました。余剰人員といってはおかしいのですけれども、余した人間を加配に持ってきたという感覚なのですが、これは今年度限りの方法であって、私の最終的な目標というのは、17年度から考えていたのですが市町村の強い反対にあって、今年妥協をしてしまったのですが、来年度の目標は共同実施組織毎に定数を配置するというのが目標です。例えば森田村には5人、鰺ヶ沢町には7人というふうに、定数だけを配当する方法を来年は考えています。その方法を、7人をもらった市町村が、やはり今まで通りA学校にはAさん、B学校にはBさんと一人配置をするのか、それともみんなをあつめて共同実施を考えるのか、それとも秋田のようにセンター方式をとるのか、いろんなバリエーションを市町村で考えてくれというのが宮崎ではここ3年間言い続けていますので、市町村では共同実施のパターンは、自分たちで考えるというところまできているのです。去年も、たいへんな発想をした市町村がありました。それは、一つの学校に一人の事務職員を配置するというのは変わりません。但し、それを半年ごとに回していくという発想をした市町村がありました。相談も受けました。私はいいですよといいました。いいですよというのは、そうしなさいということではなくて、市町村が考えることですので、考えるのでしたら応援はしますといいました。しかし、現場の声きいてものすごい反対にあいましてポシャリましたけれども、そこまで市町村は共同実施のパターンを自由に考えるように力がついてきているのです。今年の定数の加配の方法は途上です。