日本では、特許を無効とするのは特許庁の専権事項とされ、侵害訴訟を担当する裁判所は登録されている特許をいきなり無効なものとして扱うことはできない。裁判所としては、たとえ無効とされるべきであると考えた場合であっても、特許庁での審決を待つべく侵害訴訟の手続の進行を中止する(特許法168条2項)だけである。
米国では、これとは違っている。たとえ Patent and Trademark Office(「PTO」)が特許を認めて登録をしていても、侵害訴訟の場面でその特許権が有効とされるとは限らない。裁判所は、PTOによる何等の手続を待つまでもなく、登録されている特許を無効なものとして裁判をすることができる。
侵害訴訟の場面でいきなり無効を主張できることは、それ自体が、日本と比べた場合の米国の特許侵害訴訟の大きな特徴である。加えて、日米の特許制度の他のいくつかの相違を、これに結び付けて説明することができるように思う。当事者の採用するべき戦略の相違についても、同じように“無効主張が可能であること”に結び付けて説明できる点がある。
もちろん、こうした説明が米国でされているわけではない。米国では、無効が主張できるのはいわば当然であって、そうでない(日本のような)法制度を考えることはないため、そもそも“無効主張ができる”ことを特別にとりあげる可能性が無いからである。
これに対して米国では、まず、日本のような公開制度も公告制度もない。出願はPTOでの審査が済んで特許されて初めて公にされる。
さらに、無効審判に相当するものも従来は無かった。といっても、特許要件を充足しない特許が執行されてはならないのは勿論である。認められるべきでない発明に特許が認められてしまった場合のために、被告の側から特許要件を充たしていないことを主張できる機会を用意しておく必要がある。これは、侵害訴訟で被告が特許の無効を主張することができることによって達成されていた(後述のとおり、この点については現在もほぼ変わりがない)。また、確認の利益の認められる場合には、無効確認訴訟という形での主張も可能である。
再審査制度のみで侵害訴訟での無効主張に代えることはできないことは、これらの限定があることだけでも明らかである。
再審査の請求をPTOが審査し、一応の理由があると認めると手続を開始する。ここで、特許権者が答弁書を提出すると(特許権者以外の者が請求した場合を想定した)、請求人はこれに再反論することができる(304条)。この場合でも、それ以降は通常の審査手続と同じになり(305条)、特許権者とPTOとの間のやり取りだけがなされ請求人には関与の機会は無い。
特許権者が答弁書を提出しない場合には、請求人に再反論の機会が与えられることもなく通常の審査手続となる。すなわち、請求人には、最初の請求しか主張の機会が無い。通常、特許権者は、請求人に機会を与えないように答弁書を提出しないものと言われているので([グットマン]at 14)、請求人は、最初の請求だけしか主張の機会は無いものと考えなければならない。
(ただし、37 C.F.R. 1.550により、請求人にはPTOおよび特許権者の文書の写しが送付されることになっているので、これに基づいて情報提供(37 C.F.R. 1.291によるprotest)をすることで実質上の主張ができる可能性がある。PTOの実務において、こうした手段までもが実行不可能にされているのかどうかは明らかでない。しかし、いずれにしても、請求人には主張の機会が保障されているわけではないことには違いが無いので、ここではこれ以上は立ち入らないことにする。)
特許権者としては、新たな先行技術が(侵害者によって)示された場合に再審査制度を利用する意義がある。侵害訴訟において、審査段階検討されていない先行技術を根拠とした無効主張がなされると、登録された特許の有効性の推定力が実際上低くなるが(無効を主張するには一般的に明白かつ説得的な証明が求められるが、審査段階で検討されたことのない先行技術による場合にはこれを達することが容易になる[リンデマン事件])、再審査を経ることでこれを避けることができる。また、必要であれば、再審査手続の中でクレームを修正または追加して、新たな先行技術によって無効とされることのない(狭い、しかし侵害の主張のためには十分に広い)クレームを得ることができる。
したがって、再審査制度の設けられた現在でも、直接に訴訟の場面で無効とすることが、特許要件を満たさない特許がPTOで認められた場合に対する手当てとして主要なものである。
それでも、かなりの率で無効とされていることには違いない。この意味で、侵害訴訟で無効主張が許されることの意義は、相変わらず大きい。
これに対して訴訟での判決には、そうした対世効は無いのが普通である。一般的に訴訟は、紛争について相対的解決をもたらす。判決効はその訴訟の当事者の間にのみ及び、他の者との関係は、それに拘束されるものではない。
この一般的結論は日米を問わない。第三者による判決の援用は、英米法では、伝統的に“判決に拘束されない第三者が自己に有利な方向にだけ援用することになるのは相互性に反するから認められない”と説明されてきた(もちろん、独自にその内容を主張し立証すること、及びそのために判決を利用することは許されたが、裁判所はそれに拘束されるわけではなかった、ということである)。
したがって、この原則によるなら、“無効とする判決が出されても、それはその訴訟の当事者間にのみ拘束力を有するものであり、他の者との関係ではその特許が無効となるわけではない”ということになる。
しかし、当事者以外の者が判決を援用することが許される場合もあり、そうした類型は拡張されつつある。特許侵害訴訟での特許を無効とする判決が援用できることは、この一例で、ブロンダータング事件連邦最高裁判決(1971年)によって認められることになったものである。
そこで現在では、無効との判決が下されると、その訴訟と関係のなかった者も判決を援用することができる。この結果、手続保証が充たされていた限り、誰に対する関係でも実際上その特許は無効ということになってしまうのである。すなわち、特許を無効とする判決には事実上の対世効があることになる。この意味でも、特許の効力の確定について民事訴訟の果たす役割は大きい。
ここから、多数のクレームを連ねる必要が生じる。無効とされるおそれが無いのなら(日本のように)、クレームは単に広いほど良く、独立クレームに限定を付加した従属クレームを設ける意味はない。しかし、無効とされるおそれがある場合には(米国のように)、狭いクレームにも意味がある。広いクレームは、無効とされる危険性が高いからである。広い独立クレームとともに、様々な限定を加えた従属クレームを設けておくべきことになる。
比喩的に言えば、拒絶理由通知に応じての補正と同じことを、“広狭様々なクレームを用意しておいて、その上で侵害訴訟の場面で裁判所がそのうちの一定のところまでを無効とする”ことで果たしているのである。出願人としては、これに対応して、裁判所で一定のクレームが無効とされることをあらかじめ想定して、多数の従属クレームを用意しておく必要がある。
[ローゼンベルグ]は、クレームの記述の仕方について、次のように言っている: 「様々な広さの数多くのクレームを一つの特許出願中に設けることが適正な実務であると一般的に考えられている。そのうちで最も狭いものは、実施例そのものまたは好適具体例に符合したものとする; 最も広いものは、先行技術が許す限りにおいてできるだけ広いものとする。広いクレームについては、特許庁での手続(course of prosecution)において知られなかったまたは見過ごされていた先行技術を理由として訴訟において無効とされることが、それだけ高い可能性であり得る、ということを心得ておくように。」
もちろん、こうしたクレーム作文法が無限定に濫用されたのでは、クレーム制の意義が失われてしまうから、その限界が論じられている。[リプスコム]は、クレームの数が、発明の性質および先行技術の状況から見て不合理に多い場合には、それだけで拒絶の理由となり得る、とする(at 458)。
しかし、訴訟で無効とされる可能性のある米国の制度では、こうした予備的なクレームを作成しておくことをある程度は許さなくては、特許権者のリスクが余りに高いものとなる。そこで、上記引用部分で[ローゼンベルグ]が説くように、ある範囲で従属クレームを連ねることは正当なことであるとされているわけである。
この状態は、別の言葉では“PTOで認められた特許についても、どこまでが権利範囲なのかが確定しているわけではない”ということにもなる。もちろん、ここまで言うのは極端ではあるが、その傾向があるには違いない。
同項は「コンビネーションを対象とするクレームにおける各要素(element)を、特定されたファンクションを実現する手段(means)またはステップとして(具体的な)構造(structure)・素材(material)または動作(acts)を記すことなく表現することが許される、この場合のかかるクレームは、明細書中に記された相当する構造・素材または動作およびこれと等価なもの(equivalents)をカバーするものと解釈される。」と規定する。
“ミーンズ+ファンクション”クレームの場合には、クレームだけでは、ファンクションしか記されていないわけだから、無限定なものに見える(=どんな手段を使ってもクレームの規定するファンクションを実現しさえすれば十分であるように見える)。だからといってなんでもその範囲内とされるわけではない。同項によって、明細書中の実施例に記されたところと等価な範囲に限定される。明細書の記述を見てそれと等価なものを考えて、それで初めてクレームの記載の意味がわかるのである。すなわち、権利範囲を画するクレームの機能を弱めているものと言える。
電気回路の発明等の場合、構造的に説明することは難しいので、“ミーンズ+ファンクション”クレームが使われることが多いようである。そこで、現代の技術動向に従って重要性を増している。この状態も“PTOによっては権利範囲が確定されていない”ということであると理解できよう。
これに対して米国では、特許が登録されても、有効性も権利範囲も確定しない。どちらについても、侵害訴訟を担当する裁判所に残されているところがある。まず効力について、対世的な有効性の点を含めて、通常の民事訴訟の決するところが大きい。また権利範囲についても、訴訟で初めて明らかになるという面がある。総じて、PTOでの手続との比較において侵害訴訟の裁判所が(また、そこで代理人弁護士が)果たさなければならない役割が大きい。
均等論を否定するのも、同様である。権利範囲の確定も特許庁の職域であるとすることによって、権利範囲についての見解の相違が原因となった紛争を防ぐことができる。近時、米国から日本の特許制度に対して“均等論を殆ど認めず、請求の範囲の記載との関係での権利範囲が狭い”という批判がされるが、こうして考えてみるならこの批判には的外れな面がある。すなわち、“狭いように見えるのは、権利範囲の確定を特許庁での手続に全面的に委ねているからで、制度を全体として見れば不当ではない”と言える可能性がある。
(余談であるが、こうした日米の相違は、実は、特許制度についてに限らないとも思われる。日本では、何ごとにつけても、訴訟に至らない段階での行政庁の役割が大きい。これに対して米国では、一定の範囲では紛争が生じて裁判所が処理することになることが、制度的に当然のこととして予定されている。)
すなわち、特許が適切に広い「請求の範囲」の記載を有している必要がある。これを十分かつ精密に達成しなければならないとすると、弁理士の仕事は大変に難しいものとなる: イ号が示されてもいない申請の段階で、厳密な構成要件的解釈をとったとしても適正な広い範囲で侵害が認められるようなクレームをドラフトしなければならない<注5>。
この難しさは、次のような譬で考えることができるだろう。EPROM(消去可能プログラマブルROM)を含んだ回路の発明があったとする。実例ではUVEPROM(紫外線照射によって記憶の消去をするEPROM)を使っているとしても、クレームに「UVEPROM」と書いてしまうと、EEPROM(電気的に消去ができるEPROM)のイ号は侵害とできない。十分に広い権利を得るためには、ここは単に「EPROM」とするべきである(先行技術との関係で許されるなら)。EEPROMの実用性が高まっている近時の技術動向からすれば(いわゆるフラッシュメモリーとして)、この違いは重大であろう。
EEPROMのイ号を見た後でなら、「EPROM」とするのは容易である(HTML時の注: なお、拙稿「『先発明主義』の内容」で説明したように、先発明主義の米国においては、イ号を見た上でクレームを作成することが一定範囲において可能である)。しかし、UVEPROMの実物だけを見てクレームをドラフトする時にそこまで考えるのは、易しくはないであろう(さすがにこの例では、「UV」の限定は過剰であることに気が付くのが普通であろうが、これと実質的に同じ場面でありながら気付かないことは、大いにあり得るように思われる)。さらには、バッテリーバックアップしたRAMなども含ませる必要があるかもしれないが、そうしたものまでを考え尽くすのは、かなり困難なことであろう。
また、特許庁での審査が広い「請求の範囲」を許すものであることも必要である。すなわち、明細書に記された実施例の有する特徴の一部を記載していない“広い「請求の範囲」”を許す可能性があることが前提である。“パイオニア発明であるために、広くても先行技術を含まない「請求の範囲」が書けるのであれば、広い「請求の範囲」でも許される”というのであってこそ、発明の価値に応じた妥当な権利範囲を与えることができる。後から侵害訴訟の場面でその範囲が拡張されることはないのであるから、これが認められなければ、発明の重要性に応じた広い権利を得る機会は無いことになるからである。
しかし、権利範囲の点では、裁判所の期待する程のものが達成されているか疑問である。イ号を特に示されることもないままに十分に広いクレームをドラフトすることは、極めて難しい。これができているとする根拠は乏しい。
そのうえ、行政庁の能力の限界を考えると、改善することは極めて難しい。現状でも、特許庁での特許申請の処理はパンク寸前である(あるいは、既にパンクしている)。
パンクの原因としては、出願件数や特許庁の対応力が直接に問題であることは間違いない。しかしこれらに加えて、以上で論じてきた日本の裁判所の期待するような(または、裁判所の判断の仕方を前提とした場合に、全体として妥当な特許権の保護が与えられるために必要となるような)、効力についても権利範囲についても完全に依拠するに足りる特許を発行しないといけないとすると、これも十分にパンクの原因となり得る。すなわち、特許庁の分担がこのように過剰なものとなっていることが現状の一因であろうし、また逆に、今より精緻な特許付与手続を実現することはパンクしている現状からすれば不可能と考えるべきである。
こうした“役割分担”を考える視点からは、他の示唆も生まれる。多くの特許は、紛争の原因となることもなく存続期間を満了する。にもかかわらず、すべての特許について精密に処理しておくというのは、なるほど紛争の予防にはなるが、エネルギーの無駄遣いであるとも言える。そう考えると、米国型への移行も不可避かもしれない<注6>。しかし、これは、安定性や予測可能性のためには望ましいことではない。
これと対比してみると、米国の制度は、まず有効性の判断を侵害訴訟の裁判所に大きく委ねており、これに起因して、権利範囲についても裁判所での調整が必然的なものとなっている。権利範囲が裁判所で調整されることは、有効性の判断がなされることを唯一の理由とするものではないことは明らかであるが、一因と見ることはできる。
米国の侵害訴訟は、PTOで決着を付けられることなく持ち越されてくる事項が多いのだから、当然に複雑なものとなる。有効性が争われるし、権利範囲についても侵害訴訟の場面で初めて本当に確定する。さらに、既に述べたこうした事項に加えて、独禁法的な観点から特許権の行使が許されないとされる場合(patent misuse)など独特の抗弁もあるから、ますます多彩なものとなる。
日本でならば、無効主張ができるのは特許庁での無効審判手続に限られるから、作戦にバラエティは無い。
米国では、すべてが裁判所での手続にかかってくる。もちろん、あらゆる構成を(場合によっては選択的に)並べて主張してもよいのであるが、そういった主張の仕方は良策でないことが多い。特に陪審制の場合は、陪審員の理解を妨げることになりかねない。ここに、作戦を立てる必要と難しさがある。
同じことが、権利範囲の広狭についても言える。ある業種の会社に対して勝訴の実績を重ねて行けば、同様の製品を造っている同業他社に対する後続の訴訟でも勝てる可能性が高まる。反対に、非侵害とされてしまうと、後続の訴訟で勝つのは難しくなる。
こうした後続の訴訟への影響力は、米国では(legalな請求についてどちらか一方の当事者が選択すれば)陪審制がとられるために一層強まる。陪審員は、従前の訴訟の結果といった周辺事情に影響されやすい。判決であれば大体は証拠とできるのに対して、和解契約は、他の理由によることもあるから誤導のおそれがあるので証拠とできないことがむしろ普通ではあるが(また、何にしてもその証拠価値は低いものとはされるが)、それでも使う術はいくらでもある(こうした「テクニック」については拙稿「陪審トライアルのテクニック」(『パテント』1992年9月号)を御参照いただきたい)。
そこで原告特許権者としては、“弱い被告”を捜すことになる。もともとが、“簡単に和解して金を支払ってくれるなら、これに越したことはないから”ということからも、原告としては“弱い被告”を捜しているものであるが、しかしそれ以上に、そうしなければならない合理的な必要性が“実績づくり”のためにあるわけである。
米国で特許侵害訴訟を提起されると、これに対応するのにはかなりの費用が必要となる。敗訴となった場合の賠償額も、近時多用される仮想交渉でのロイヤルティ率を算定する方式のもとでは、驚くほどの額が認められる場合がある。こうした事情から、それなりの額のお金を払って和解するのが賢明であるように見えることが多い。いや、単に「見える」というだけではなく、少なくともその事案の解決のためには実際に賢明であることが多かろう。それなりの額の和解金といっても、万一の敗訴の場合の賠償金額よりは遥かに小さく、また、訴訟に対応するための弁護士費用も和解金額と比べられる程のものになることも珍しくはないからである。
しかし、和解をするにあたっては、長期的な影響までを十分に考えるべきである。よく言われることであるが、弱腰の和解をすると“組しやすい相手である”と他の者からも狙われることになる。特に、原告は“弱い被告”を捜しているのだから、それも合理的行動としてそうしているのだから、こうした和解の悪影響は大きいと考えなければならない。不適切な和解をすると、原告を呼び込んでしまい、無用な訴訟の相手をさせられることになる。
また、本稿6.1で指摘のところを裏返して言えば、安易な和解の悪影響は、その特許の“実績”を重ねさせることによって自社だけでなく同業他社にも及ぶ。これも考慮に入れるべきである。もっとも、こうした悪影響は、他社との競争条件を中心に考えるなら、むしろ歓迎されるところかもしれないが。
競争条件を重要視する場合には、さらに積極的な対処をすることもある。和解の条項の一つとして、一定期間以内に他の一定数の会社とライセンス契約を締結することまたは(一定数の会社に対して)訴えを提起することを条件として盛り込むのである。こうすることで、自社だけがロイヤルティを支払うという事態を避けることができる。また、そうした訴訟で特許が無効とされれば、自分もロイヤルティを支払う必要がなくなる。
こうした変化の理由は、根源的には、各国の技術水準の発展段階の推移にあるのであろう。ほんの少し前までは、米国の技術水準は、少なくとも“技術の遺産”たる性格を持つ特許権については、ヨーロッパとの関係では優位に立っていたわけではない。したがって、特許権の保護は弱いことが望ましかった。それが現在では、状況が変わってきた、ということであると思われる。
本稿の問題意識は、[松本重敏]による「特許制度」は「特許付与」と「特許保護」の二面に分けて考察できるという指摘(1頁)に由来する。同書は、「特許付与」を無効処分も含めて行政庁に専属せしめ「特許保護」だけを裁判所に委ねるドイツ方式(日本を含む)と、両者をともに裁判所に委ねる旧フランス方式とを両極端とし、英米の方式を「特許付与」のうちで「特許権の設定」を行政庁の専権としながら「特許無効」については裁判所の権限とするという中間の類型であるとする(58頁)。ドイツ方式と英米方式とを比較するなら、ドイツ方式では「特許付与」を無効処分を含めて全面的に行政庁に専属させているから、「特許無効」を裁判所の権限としている分だけ英米方式の方が裁判所の役割が大きい、ということになる。
この役割分担という観点から、中心限定主義と周辺限定主義を見直すことができる。すなわち、中心限定主義のドイツでは権利範囲の確定において裁判所の果たす役割が大きいのに対して、(かつての)米国の周辺限定主義ではこれが小さいということになる。
こうした視点からは、現状は極めて自然に見える。元来の米国の制度は、特許無効の点では裁判所の役割が広いのに、周辺限定主義として権利範囲の確定については裁判所の役割を狭いものとしているわけで、無理な組合せと言える。すなわち、このように英米方式ではドイツ方式に比べれば(特許無効の点で)もともと裁判所の役割が大きいのであるから、必要があるなら(発展段階の推移という“必要”が考えられる)、その裁判所の役割の大きいという状態が「特許無効」に限らず権利範囲の確定についてまで広がるのに何の不思議もない。3で説明したところは“こういう変化が周辺限定主義の体裁を保ったままで進行している”ということである。
なお、現状の説明を考えた場合にも、「特許発明の寄与力」に応じた権利範囲が与えられるべきであるとの同書の基本的な指摘には、いささかの異論を生ずるものでもない。この点の議論を本稿の視点から深めるためには、4.3および4.4でその端緒を示したように、どのようなクレームが作成されているのかを実際的に研究する必要がある。今後の課題である。
[グットマン]at 17以下。
同論文によれば、再審査制度は一般的には特許権者の側の武器であり、被告の利用は例外的な場合に限られるとのことである。
御推薦の被告による利用法は、“侵害訴訟で負けた後に再審査を求める”というものである。エチコン事件によれば、たとえ特許を有効とする判決が下されていようとも、その訴訟の敗訴被告を含めて、なお再審査を求めることができるので、被告としては負けた後の“起死回生”の手段にできる可能性があるというのである。ただし、訴訟が確定してしまった場合には、その既判力との関係がどうなるのか定かでない(同論文も、差し止められてしまう可能性の関係からではあるが、上訴が係属中に再審査を請求することを薦めている)。日本では、被告敗訴の判決の後に無効とする審決が下された場合には再審請求ができるとされるが(民訴法420条1項8号の「判決の基礎となりたる」「行政処分が後の行政処分に依りて変更せられたるとき」に該当するとされる)、米国で同様の手続が可能かどうか明らかでない。
同論文によっても、再審査を初めから請求することが妥当な戦略となることが、まったく無いとされているわけではない。被告が侵害を主張された営業を既に止めていて差止めが問題とならず、かつ、現状のクレームが1つとしてそのままでは再審査を通過しないものと確信できる場合には、初めから再審査を請求することも考えられる、とのことである。
なお、同論文の説明によれば、再審査制度は、迅速で低廉な手続としようとの考えだったのが行き過ぎて、このように不十分なものとなってしまったようである。
また、再審査手続と無効とする判決との関係であるが、上記のエチコン事件判決によっても、全部のクレームを無効とする判決が確定した場合は再審査手続は終了となる。本文中で説明したとおり、 ブロンダータング事件判決によって事実上対世的に無効が確定するので、もはやそれ以上は再審査手続を行う意味がないからである。 本文に戻る
従属クレームを設けることは昭和50年法でも可能であったが(「実施態様項」として)、本稿で議論しているような意義はあり得なかった(注3で検討した“無効審判の場合の意義”すらもあり得ない)。というのは、必須要件項が無効とされる場合には、それに従属している実施態様項も運命をともにするものとされていたからである([葛和]16頁)。昭和62年法になって初めて、各項が独立して無効審判の対象とされることになった。そこで、ここでは昭和62年法をひいた。
昭和50年法での従属クレームの存在意義は、昭和62年法の従属クレームに比べても一層疑問であるが、実は、これは日本だけのことではなく、韓国や台湾など極東地域一般に見られるようである。[ヘルフゴット]によると、これらの国々および東ヨーロッパならびに南アメリカの幾つかの国では、独立クレームが特許要件を満たさない場合には、それの従属クレームも当然に特許されないことになる、とのことである。これは、従属クレームは独立クレームを拡張するものであるとの理解によると説明されている。旧法下の日本は、この典型であったとされる。 本文に戻る
無効審判の可能性を考えるなら、僅かには意義があるかもしれない。
登録後も、請求の範囲を縮減することは訂正審判によって可能であるが、訂正審判が無効審判と必ずしもリンクされないことからすると(国際出願に固有の理由に基づく無効の審判の場合には、184条の15第2項で、訂正審判の審決があるまでは無効の審決がされないことになっているが、一般の無効審判については同様の規定が無い)、あらかじめ狭い従属クレームを備えておくことにも意義があり得る。縮減する訂正が(訂正審決で)許される前に無効とされてしまう可能性があるからである。
しかし、普通は無効審判の方が時間がかかると思われるし(訂正審判の方では縮減であることを確かめるだけである)、無効審決が確定する前に訂正が認められれば十分なのであるから、抗告訴訟ができることを考えれば、これが現実に問題となることは極めて希であろう。
したがって、無効審判の可能性を考えてもやはりなお、狭い従属クレームを用意しておく必要性は殆ど無いものと思われる。 本文に戻る
本稿では、日本での「請求の範囲」が決定的なものであることを強調する格好となった。しかし、このことは、米国特許権の取得にあたってのクレームのドラフトの重要性を否定するものではまったくない。(被告の立場から見て)クレームによる限定が必ずしも決定的ではないのは、例えば従属クレームを駆使したドラフトがされていればこそであり、そうした工夫なくしては十分に広い権利を獲得することはできない。
近年、米国の特許権の取得件数の上位が日本の会社によって独占されるという顕著な現象が続いている。それが真に有意なものであるためには、十分に工夫されたクレームがなされている必要がある。この点で、問題が無いわけではないようである。1992年8月10日付けの「The National Law Journal」の「Japanese Are Stung On Patents」と題する記事は、日本からの出願は、数量は多くしかも高い水準の技術に基づくものであるのに、適正な権利を確保するための配慮が十分には払われていないことが多く(1件あたり500ドルのリーガルフィーしか使わない「mailbox filing」が象徴的なものとして語られている)、どれだけ役に立つか疑問があるとしている。 本文に戻る
こうした難しさに立脚した批判は、皮肉にも、ドイツの中心限定主義の立場から、米国の周辺限定主義に対してかつてなされたものと同じである。[松本重敏]126頁は、米国の周辺限定主義を基礎付ける議論の説明に続けて、「これに対して、(ロ) の中心限定主義は、右とは反対に、そもそも発明思想の定義づけは、将来の生起すべきあらゆる侵害形式を予測することが不可能である以上、その保護範囲を確定するものとして完全な記載を出願人に強いることは、それ自体無理なことであるとの認識に立つ。」としている。
この指摘のとおり、「完全な記載」は難しいことであるが、それを少しでも可能ならしめるという意義が「先発明主義」には存在すると見られること、拙稿「『先発明主義』の内容」(『発明』1994年3月号および4月号)で論じたとおりである。 本文に戻る
[村上]69頁は「裁判所において広いクレーム解釈を行うためには、特許侵害訴訟で特許無効が争えることにならなければ整合性が保てない可能性がある。」と指摘している。本稿の論旨の運びとは裏返しであるが、共通の背景認識によるものと思う。
米国通商代表部(USTR)は、いわゆるスペシャル301条(19 U.S.C. 2242)に基づき、知的所有権が適切に保護されていない国のリストをつくっているが、日本はこの監視国のリスト(watch list)にあげられている。この理由の中心は、審査に長期間を要するということにあるようである([パワーズ])。ここからすると、“広いクレーム解釈が可能になるように有効性を争えるようにする”という方向よりは、“審査期間を短くするために有効性を争えるようにする”という方が現実的かもしれない。 本文に戻る
<引用判例>
[エチコン事件]: Ethicon, Inc. v. Quigg, 849 F.2d 1422. 引用箇所
[ブロンダータング事件]: Blonder-Tongue Laboratories, Inc. v. University of Illinois Found., 402 U.S. 313 (1971). 引用箇所
[リンデマン事件]: Lindemann Maschinenfabrik BmbH v. American Hoist and Derrick Co., 730 F.2d 1452 (Fed. Cir. 1984). 引用箇所
<引用文献>
[葛和]: 小栗昌平監修『詳説改善多項制・特許権の存続期間の延長制度』(発明協会 1988年). 引用箇所
[グットマン]: Charls Guttman & Kenneth Rubenstein, Reexamination and Litigation Can Make Patent Weapons for Patent Challengers and Owners, The Journal of Proprietary Rights Vol.3 No.6 (1991). 引用箇所 引用箇所
[パワーズ]: Matthew D. Powers, Japanese Intellectual Property Law, The Journal of Proprietary Rights Vol.3 No.3 P.8 (1991). 引用箇所
[ヘルフゴット]: Samson Helfgott, Claim Practice Around the World: A Comparison of How Inventions are Claimed, The Journal of Proprietary Rights Vol.4 No.4 P.9 (1992). 引用箇所
[松本重敏]: 松本重敏『特許発明の保護範囲』(有斐閣 1981年). 引用箇所 引用箇所
[村上]: 村上政博『特許・ライセンスの日米比較』(弘文堂 1990年). 引用箇所 引用箇所
[リプスコム]: Ernest Bainbridge Lipscomb L, Walker on Patents, Vol.3 (Lawyers Co-op, 3rd ed. 1985). 引用箇所
[ローゼンベルグ]: Peter D. Rosenberg, Patent Law Fundamentals, Vol.2 P.14-45 (2nd ed. 1991). 引用した部分の原文は次のとおりである:
「It is generally regarded as sound practice to present in an application for a patent a number of claims of varying scope. The narrowest should correspond to the specific working example or preferred embodiment; the broadest should be as broad as the prior art will permit. Bear in mind that broad claims are more likely to be invalidated in litigation because of prior art unknown or otherwise missed in the course of prosecution.」 引用箇所 引用箇所
日本の特許においてクレームの数が限定されているのは、現実的には料金の問題が大きな原因となっているであろう。クレームの数を増やすことは、特に有効期間後半の年金に、決して無視できない金額の増加をもたらす。これが、実際の出願においてクレームの数を減らす積極的な理由になっていると考えられる。(追記(1999年4月15日): 侵害訴訟における無効判断と多項制そして年金の関係でこうした問題点について論じた。) 本文に戻る
連邦最高裁が均等論を認めた判例として周知のグレーバー事件(第一判決 Graver Mfg. Co. v. Linde Co., 336 US 271 (1949), 第二判決 339 US 605 (1950))は、実はこうした“段階的なクレーム”に一部欠けるところがあったものを均等論という形で救済した事例であると見ることができる。
グレーバー事件で侵害が問題となったジョーンズ特許(USP 2,043,960)は、電気溶接に関するもので、特定の組成のフラックスを使用する技術を内容とする。
最高裁が均等論を認めたのは、フラックスをクレームする第18クレーム以下について、「アルカリ土類金属の珪酸塩」が構成要素とされているところ、イ号にはマンガン(アルカリ土類ではない)の珪酸塩が含まれているのみであるのに、これを均等として侵害の成立を肯定した点である。この判断において、有名な function, way, result の同一性の要件が示された。
この均等を論じる部分以外の背景事情は見過ごされがちであるが(最判の判決文にも記されているのだが)、実はジョーンズ特許にはもっと広いクレームもあった。第1クレーム以下の方法クレームは、アルカリ土類金属の珪酸塩という構成要件は存在しておらず、マンガンの珪酸塩しか含んでいないイ号でも文言を充足するものであった。ところが、この方法クレームは、広すぎるとして無効とされたために、残ったクレームとの均等が問題となったのであるが、広すぎるといっても、先行技術があってそれとの関係で無効とされたというわけではない。第1クレームをはじめとする方法クレームにおいては、適切な流動性と適切な電気伝導度を有する珪酸塩を使うとしかされておらず、具体的にどんな金属の珪酸塩を使うのかについての特定がまったくなされていなかった。このために、十分なクレームでないとして本件第一審裁判所によって無効とされた(控訴審はこれを破棄して有効としたが、最高裁第一判決はこの部分について控訴審判決を破棄して第一審を支持した; これは、控訴審の判断基準の問題でもある(米国連邦裁判所の控訴審は法律審であり、限定的な見直ししかできない))。先行技術との関係では、こうした方法クレームですら有効性を否定されるものではなく、マンガンの珪酸塩の場合を含むクレームをすることはもちろん可能な技術状況であった。
こうした点を考えに入れると、グレーバー事件とは実は次のような事件だったのである。特許権者はイ号製品(の類のもの)についてクレームをすることを放棄していたわけではなく(ましてやイ号を含むクレームができなかった場合ではなく)、単に“イ号を含む中間的な広さのクレームを用意していなかった”というクレーム作成上の瑕疵があった; 第一審裁判所は、広い方のクレームを無効としながらも、結論としては均等論を認めるという形で救済し、最高裁もそれを是認した。
以上、藤芳寛治「グレーバー判決の見直しについて」(『パテント』1996年11月号2頁)参照。 本文に戻る
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