By 松本 直樹
5年前のときの冒頭と同じことを書いておきます(4年前も3年前も一昨年も、昨年もそうでした)。「私が出席した研究会で、私が後から思ったことをメモしておきます。レポーターの話は必ずしも書きませんし、また書いた場合でもそれはレポーターの著作権? に属する話なので、副次的な範囲に留めます。そういうこともあって、また私が誤解している可能性もあるので、レポーター名や他の発言者のお名前は、イニシャルだけにしておきます。」
ご意見などご連絡はメールでホームページの末尾にあるアドレスまでお願いします。上記のように、他の方にご迷惑の及ぶことの無いように考慮している積もりですが、たとえイニシャルだけでも出しては困るとか、そんなことは言っていないとか、むしろ実名にしてくれとか、ご要望がありましたら何でもご連絡ください。可能な限り従います。
東京弁護士会の勉強会でレポータをしました。FM復調器事件最判(判決文のテキストコピー)と関係のあるような話です。
ブログの方で、こことここで、木村先生との往復書簡で、まとめを書かせていただきました。
牧野先生のレクチャーで、とっても盛況でした。
称呼・観念・外観の類似は、基礎付けるもので、それらに基づいて、総合判断として類似判断がされる、というのが現在の判例法、と理解しました。かつてはこれと違って、どれか一つでも認められると、それで原則的には自動的に類似の結論とされていたのですね。それだと、選択的に、たとえば称呼類似自体が要件事実と言うことになります。これは昔のことで今は違うというお話ですが、質問者からのコメントでは、審査実務では結構昔に近いような場合もあるかのようにも言われていました。どうなのでしょうか。
小僧寿司のケースに見られるような、取引状況を考えに入れる、という話の関係で思ったことですが、攻守が入れ替わると、類似かどうかが変わる、ということになりそうです。実際上それで良いとは思うけれど、「類似」という言葉を改めて考えると、ちょっとヘンともいわれそう、と思いました。
無効の抗弁(104条の3)をめぐって、いろいろなお話を伺いました。近時の判例など、自分の不勉強を感じました(さすがに昔のやつは知っている話ばかりでしたけど)。H19.2.27(多関節装置)やH21.2.27(クリップ)の訂正の可能性を扱ったケース、読んでおかなくては。
K先生の特徴的な議論として伺ったのは、“明らか要件を104条の3についても読み込もう”というご見解です。最近見たものとして、木村先生の疑念を思い出しました、「『すべてを裁判所へ。』こんなに急進的にやっていいのだろうかと、少し不安である。」とのこと、通じるものがあります。104条の3が「飛躍」だったとした上で、それを批判的に見て、侵害訴訟での無効判断を余り果敢にやるのはどうか、とのご指摘です。
特に原告代理人になった時を思えばまったく賛成のご意見ですが(その立場なら当たり前ですけど)、それでどうなるのかについては、疑問が残ります。中止を増やすことを考えるべきなのでしょうか。中止ならまあいいとも言えますが、それ以外は(明白に無効ではないとして請求認容判決をしてしまうのだと)、たとえば再審の可能性を考えると、“明らか”ではないとした時にどうすることで事が上手く運ぶというのか、よく分からなくなります。そんなことはないですよね、キルビー最判前だって認容していたわけではないのですから。
以下は、箇条書き的に:
・法改正をし過ぎでしょう、というご指摘。これもちょうど木村先生のブログを思い出しました(私も不躾なことを書きましたが)。不競法についてですけど。異議制度の復活という議論もあるとのことで、その関係で、あれはなくしたのが拙速だったではないか、ということ。平成6年になくなったものを復活させるわけで、なぜ止めたのかなあ、と思っているうちに、復活の議論がされているわけで、ついて行けない、とおっしゃっていたけど、もっと率直に表現するなら、拙速に過ぎるということですね。じっくりと時間をかけてやっていただきたい、とのこと。もっともです。
・無効の抗弁があるにもかかわらず、無効審判が、それも後々でもあり得ることからの問題点、のご指摘。かねがね思っていた点です(ここなどで。)。
・自由技術の抗弁説のサポートに、ボールスプライン最判(均等の最判の)の判示を、とのご指摘。ちょっと難しいように思うのですが。つまり、ここは、仮定的な技術的範囲を否定しているだけなので、現に成立している特許について言う話ではないと思います。もっとも、そういう場合には特許無効に違いなく、それで請求棄却なので、それでイイのだと思うのですよ。その結論を否定するわけではない。
連日の、侵害訴訟での無効判断の関係の話題です。今度はO先生のお話を伺いました。本日は、再審の可能性の話を中心に(ちょうど昨日は話がそこまで十分に行かなかったという感じなので、続き、と言えそうです)。
議論を伺っていて、意外に感じたほどに、後の無効審決の場合の再審に否定的な方が多かったですね。昨年、東弁でM先生のレポートでの同様の話の時とは、ずいぶんと違う印象です。人が違うからか、時期が違うからか。両方でしょうかね。それも、本日の否定論は裁判官の方々が多かったことを思うと、私のあの事件はかなり惜しかった、という感じがしています。
まあ、あの事件は、確定判決の時期がキルビー最判後ではあるものの、104条の3よりは前だった、というところが大きいのかも知れません。少なくとも、現時点での見方としては、104条の3以降のケースに対しては先例価値無し、と考えたいですね。
O先生のお話は、実に学者らしく論理的に場合分けを検討されていています。なので逆に、“そんなことしないだろう”という突っ込み所も沢山ありますが、いや、そこが良いところです。新鮮なターミノロジーも満載で、「プロ無効」とか「別世界説」とか。「プロ無効」は言い得て妙ですね、まったくそう思います。ただし、現行法がプロ無効だと言い切ってしまうと、現実に多くの場合に原告が負けとされてしまうわけですから、少なくとも原告代理人になった場合には、困ります。「プロ無効にも見える法制」と呼びたいです。また、「別世界説」というのは、民訴で普通の相対的解決というのはそういうものなのですから、わざわざ言わなくて良いのではないでしょうか。いや、そういうアンチテーゼとして使うターミノロジーなのかな?
訂正の可能性を問題とする裁判例について、訂正に時間がかかるものか、それで射程がどうか、という議論もかなりされていました。
o先生が、クレーム解釈が当初の想定よりも広くなったがために、後から無効を主張したくなることもあるのでは、といったご指摘をなさっていました。場合によってはもっともな話ですが、また、余り心配することはないようにも思います。請求を棄却する手段として特に狭い解釈があるだけで、それ以外に大きく変動するようなことはないように思いますから。それで、最終的に請求が認められないような場合に、そう意地悪なことを裁判所かすると考える必要はないように思いました。
O先生のお話を伺いました。「倍増計画」として、事件が多いのが良いというのを前提としたお話ですが、まず、知財事件といっても訴訟であるからにはそれは紛争を意味してるわけで、ただ多ければ良いという話ではありません。こういう意味では、基本コンセプトからいろんな反論があり得るお話です。が、私は、基本的には倍増を目指すべきというのはもっともなご提案だと思います。アメリカやドイツと比べて、あまりにも少なすぎる現状ですから、これは単に紛争が少なくて良いということではありえず、権利保護が不十分な状況にあると理解しなければいけないと思われるからです。
だって、余りの少なさなのですよ。東京地裁が年に100件、大阪が多分50件くらい、という話だったのですが、この100件は35条対価事件を含んでいるとのこと。これに対して米国は2800件とトンデモない数字です。
確か、平成の初め頃に150件くらいだったのが、数年間で倍増くらいになったはず。それが元に戻ったどころか、さらに減っちゃったんですね。米国との数字の違いは、本当にすごいです。でもまあ、そんなものかも。『日本の殺人』を見ると、殺人事件は50倍くらいですからね(関係ないけど)。
第一の、成功事例を知らしめる必要がある、という話は、確かにもっともなことではあります。でも、実際日本では、知らしめるべき成功事例が少なすぎるかも知れません。そこに難があります。日亜化学の例は確かに成功例と言えそうですが、ほかにどれだけあるか、難しいです。
第二の、プロセス特許を行使しよう、というアイデアは、これももっともと思いました。無効になりにくいから良い、というのは、現在のキルビー判決以降の侵害訴訟の原告の難しさに対して、確かに適切な示唆です。注目する理由として十分に合理的です。
原理的にプロセス特許の難点は、侵害立証の難しさにあったわけですが、これに対しては明示義務や証拠開示などのサポートが出来ています。侵害立証が難しいというのは、無効主張も難しいことになりますが、そちらは変化がありません。そうすると無効になりにくいというメリットだけが残る、という方向へ変化してきていると理解できます。これは説得的な話だと思います。
明示義務の話が出た中で、制裁はないけれど、とおっしゃっていたので、ちょっと質問してみました。明示義務(104条の2: 具体的態様の明示義務)というからには、それを果たさないで単に否認というのでは、否認として扱って貰えない、のではないでしょうか? 極論では。
しかし、こういう考えは一般的ではないようですね。O先生にそう言われましたし、後からY先生にも「個性的」と言われました。もちろん、これで決着を付けるような事態は、ちょっと想像しにくいのは確かで、そういう意味では特殊な話なのは認めます。
でもしかし。条文で「...否認するときは、相手方は、自己の行為の具体的態様を明らかにしなければならない。」と、「ならない」というのですから、本当にそれを果たさないのなら“否認になっていない”と言うのは、そうおかしくもないと思います。少なくとも、審理を進めさせる後ろ盾として、そう言えるのは望ましい事と思います。
で、I部長からは「地裁の人たちに言っておきましょう。」と言われましたが、.....本望です。少なくとも、「そういう説もある」とはウソでなく言っていただけるかと思います、現にここに居ますから、Hi。
こういう考えは、他では見たことがなかったのは(少なくとも見た記憶がないのは)事実なのですが、私自身は以前から考えてきたことです。04年の担保研修の時の冒頭およびこの項「6. 当てはめ判断と要件事実、さらに」に、こうして書いています。そこで書いたとおり、「あくまで私の試論です。」なんですけれど、悪くないと思うのですがねえ。
でも、これで直接に結論を下すという機会が普通にあると思っているわけではありません。あくまで、極論というか、純粋理論というか、そういう話です。それでも、審理を進めさせるための裁判所からの指導の後ろ盾としては良いんじゃないでしょうか。