9x9=81 2007年11月

森下システムの復活 (2)

  • 2007年11月5日

森下システム復活のきっかけとなった深浦流の一号局は1997年2月の▲深浦五段−▽佐藤八段戦、二号局が同年7月で、タイトル戦初登場は2002年12月の第15期竜王戦第四局▲阿部七段−▽羽生竜王戦。プロの公式戦で最も対局数の多い矢倉でどうしてこんなに歩みがノロいのか。

下表は棋界の流れと深浦流の出現具合を年度別に追ったものである。表中「矢倉局数」はプロ公式戦全対局のうち▲7六歩▽8四歩▲6八銀▽3四歩で始まったものの数である(序盤四手チャート参照)。

棋界の流れと深浦流の出現具合
年度 名人 竜王 矢倉局数 深浦流(年鑑収録分) 備考
1996 谷川 谷川 535局 0局 深浦流一号局(2月)
1997 佐藤 谷川 データなし 1局 深浦流二号局(7月)
1998 佐藤 藤井 513局 0局  
1999 丸山 藤井 380局 1局  
2000 丸山 藤井 388局 1局  
2001 森内 羽生 285局 0局  
2002 羽生 羽生 286局 4局 第15期竜王戦第四局
2003 森内 森内 251局 2局 第16期竜王戦第三局
2004 森内 渡辺 260局 1局  
2005 森内 渡辺 251局 2局  
2006 森内 渡辺 278局 ?局  

この表を眺めるとだいたい話が見えてくる。

まず、深浦流が出現した1997年のあとで矢倉の対局数が急に減っている。これは藤井竜王が登場して四間飛車が大流行したためである。そして藤井竜王の連覇が終わったところで矢倉の対局数はもういちど急激に減る。これは丸山名人が誕生していることから想像がつくように横歩取り▽8五飛戦法が流行したためである。つまり深浦流は、プロ棋士の興味が矢倉から離れていく時期に現れてしまったのである。

一号局の深浦現王位が当時は五段の「新進気鋭」にすぎなかったことと対局に敗れてしまったことも深浦流への注目を遅らす原因になったと思う。実際、一号局は後手が佐藤康光八段であったにもかかわらず将棋年鑑に収録されていない。

これらの原因に加えて1997年当時の矢倉では▲3七銀戦法が定跡整備の最中だったことも森下システムの復活を遅らせた。次回はそこのところを見ていく。

第20期竜王戦第二局

  • 2007年10月31日・11月1日
  • 渡辺竜王−佐藤二冠
  • 後手角交換向かい飛車
盤面図をとばす
後手:佐藤康光棋聖棋王
後手の持駒:角
 9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香v桂v銀v金v玉v金v銀v桂v香|一
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・v飛 ・|二
|v歩v歩v歩v歩 ・v歩 ・v歩v歩|三
| ・ ・ ・ ・v歩 ・v歩 ・ ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五
| ・ ・ 歩 ・ ・ ・ ・ 歩 ・|六
| 歩 歩 ・ 歩 歩 歩 歩 ・ 歩|七
| ・ 銀 ・ ・ ・ 銀 ・ 飛 ・|八
| 香 桂 ・ 金 玉 金 ・ 桂 香|九
+---------------------------+
先手:渡辺明竜王
先手の持駒:角

  第1図(▽2二飛まで)

佐藤二冠が考え出したと思われる、ゴキゲン中飛車模様からの角交換向かい飛車である。

二種類の佐藤流向かい飛車

佐藤流向かい飛車は二種類ある。ひとつは▲7六歩▽3四歩▲2六歩▽5四歩▲4八銀に▽3三角!とする形で一号局は2002年3月1日のA級順位戦▲森下八段−▽佐藤九段。もうひとつは本局の形で一号局は2003年9月4日の第11期銀河戦▲谷川王位−▽佐藤棋聖である。

前例は7局

竜王戦中継によると第1図▽2二飛までの前例は7局あるらしい。そのうち2局は「将棋年鑑」(一号局と2005年7月の第46期王位戦第二局▲羽生王位−佐藤棋聖)、1局は「名人戦・順位戦パーフェクト・データ」(2003年11月のB級1組▲中川七段−神谷七段)に収録されている。

竜王戦中継の解説と手元にある棋譜情報を合わせると前例の内訳は第1表のようになる。▲6八玉▽4二銀▲7八玉の銀冠が一号局、穴熊が中川−神谷戦、▲7七角▽1二飛▲2五歩が羽生−佐藤の王位戦である。

第1表 佐藤流角交換向かい飛車の前例(全7局)内訳
▽2二飛の後 局数 勝敗 先手玉形
▲6八玉▽4二銀▲7八玉 2局 後手2勝0敗 銀冠,穴熊
▲6八玉▽4二銀▲2五歩 1局 後手0勝1敗 不明
▲6八玉▽4二銀▲7七銀 1局 後手1勝0敗 不明
▲7七角▽1二飛▲2五歩 1局 後手1勝0敗 壁銀7八玉
不明 2局 不明 不明

なお、竜王戦中継では▲6八玉以下の前例が後手の3勝1敗であることから「後手の勝ちやすい戦型」と解説しているがこれは誤りである。このくらいの対局数でそんなことは言えないし、3勝のうち少なくとも神谷七段の1勝は最終盤の逆転によるものである。

盤面図をとばす
後手:佐藤康光棋聖棋王
後手の持駒:角
 9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v玉v桂 ・v金 ・v金 ・v桂v香|一
|v香v銀 ・ ・ ・v銀 ・v飛 ・|二
|v歩v歩v歩v歩 ・v歩 ・ ・v歩|三
| ・ ・ ・ ・v歩 ・v歩v歩 ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五
| 歩 歩 歩 ・ ・ ・ ・ 歩 ・|六
| ・ 銀 桂 歩 歩 歩 歩 ・ 歩|七
| ・ 玉 金 ・ ・ 銀 ・ 飛 ・|八
| 香 ・ ・ ・ ・ 金 ・ 桂 香|九
+---------------------------+
先手:渡辺明竜王
先手の持駒:角

  第2図(▽8二銀まで)

先手はやはり銀冠か

本局は渡辺竜王の第11手▲7八金が新手ということだがそれで特にどうということもなく、第2図まで結局銀冠となった。

先手の左銀は7七に上がると後手が高美濃に組んだとき7三桂で狙われるので8七銀とするのが自然である。今後のプロの対局でも本線はコレになるだろう。

個人的には▲7八玉▲6八金型から左銀を6六に出るようなことを考えてみたいんだけどそれこそ後手の勝ちやすい戦型になっちゃうんだろね。

初手から第1図・第2図までの指し手

▲7六歩▽3四歩▲2六歩▽5四歩▲4八銀▽8八角成▲同銀▽2二飛(第1図)▲6八玉▽4二銀▲7八金▽2四歩▲7九玉▽6二玉▲8六歩▽7二玉▲8七銀▽8二玉▲7七桂▽9二香▲9六歩▽9一玉▲8八玉▽8二銀(第2図)

真部流位取り三間飛車

  • 2007年11月27日
盤面図をとばす
後手の持駒:なし
 9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香v桂 ・v金 ・ ・ ・v桂v香|一
| ・v玉v銀 ・ ・ ・v飛 ・ ・|二
|v歩v歩 ・v金 ・ ・v角v歩v歩|三
| ・ ・v歩v銀v歩 ・v歩 ・ ・|四
| ・ ・ ・v歩 ・v歩 ・ 歩 ・|五
| ・ ・ 歩 ・ 歩 ・ ・ ・ ・|六
| 歩 歩 銀 歩 ・ 歩 歩 ・ 歩|七
| 香 銀 ・ 角 ・ ・ ・ 飛 ・|八
| 玉 桂 金 ・ 金 ・ ・ 桂 香|九
+---------------------------+
先手の持駒:なし

  第1図(▽6四銀まで)

格調高く位を張る

三間飛車で、後手でいえば▽5三銀型から第1図のように▽6五歩▽6四銀と位を張る指し方を真部流という。11月24日に亡くなった真部一男九段が愛用したことからこの名で呼ばれる。対左美濃・対居飛車穴熊に有効な作戦である。

羽生の頭脳にも載っている

真部流という呼称をはじめて見たのは「三間飛車道場 第一巻」(2004年6月)の編集後記だったと思っていたが、それより十年も前の「定跡外伝」(1993年12月)に解説があった[1, 2]。第1図から▲6九金に▽5五歩▲同歩▽同銀で既に後手が良い、らしい。このほか「羽生の頭脳 4」(1992年10月)にもこの形が載っている[3]。

成立は1980年頃か

三間飛車道場によると「二十年以上前、真部一男八段が愛用」ということで、1980年頃、居飛車穴熊が威力を見せるなかで30歳前後の真部九段が試みた形だったのだろうと思う。

残念ながら将棋年鑑に「真部の真部流」の棋譜は残っておらず、当時では大山十五世名人がタイトル戦で指しているのが目立つくらいである(1981年の第22期王位戦第二局・第四局)。真部九段が先か大山名人が先かは不明。

コーヤン流へと続く

▽5三銀型三間飛車は大山名人の兄弟子である大野源一九段が優秀性を知らしめ[4]、その発展形である真部流を大山名人がタイトル戦で指し、これに藤井システムの要素を加えた応用形を大山名人の弟子である中田功七段が「コーヤン流」として指し継いでいる[5]。

将棋の型はこうして発展していくのである。

森下システムの復活 (3)

  • 2007年11月30日

森下システムは天敵だった雀刺し深浦流が有効とわかって復活したが、深浦流の現れたのが3七銀戦法全盛時だったため時間がかかった、という話の続き。

盤面図をとばす
後手の持駒:なし
 9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香v桂 ・ ・ ・v玉v角v桂v香|一
| ・v飛 ・v銀v金 ・v金 ・ ・|二
|v歩 ・ ・v歩 ・ ・v銀v歩v歩|三
| ・v歩v歩 ・v歩v歩v歩 ・ ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・|五
| ・ ・ 歩 歩 歩 ・ 歩 ・ ・|六
| 歩 歩 銀 金 ・ 歩 ・ 歩 歩|七
| ・ ・ 金 ・ ・ 銀 ・ 飛 ・|八
| 香 桂 角 玉 ・ ・ ・ 桂 香|九
+---------------------------+
先手の持駒:なし

  第1図(▽7四歩まで)

加藤流・森下システム・3七銀戦法

第1図は現代矢倉の24手組とでもいうべき局面で、ここで▲6八角から玉を囲うのが森下システム、すぐに右銀を上がるのが3七銀戦法、早い段階で▲2六歩と突いて結果的に第1図で▲2六歩とするのと同じ形になるのが加藤流である。

これら三つの戦型について将棋年鑑に収められている局数を第1表にまとめた。

矢倉主要戦法の変遷

この表から加藤流→森下システム→3七銀戦法→森下システム復活という流れが見えてくる。

  1. 1980年代はじめ、中原−加藤の名人戦は飛先不突矢倉の研究合戦となった。いずれは▲2六歩と突くことになると判断されたようで、その後の主流は加藤流となった。
  2. 羽生世代が現れた1980年代終わりごろ、「あとでよい手はあとまわし」の思想のもと加藤流は廃れ、森下システムと3七銀戦法が指されるようになった。「あとまわし」をより徹底した森下システムが1990年代前半の主流となった。
  3. 1994年「雀刺しショック」により森下システム壊滅、3七銀戦法が主流となる。
  4. 深浦流は1997年2月に一号局が指されたが、3七銀戦法全盛期だったためその効果が確認され注目されるようになるまで五年以上かかった。

進行中の第20期竜王戦(渡辺竜王−佐藤棋聖棋王)は第一局と第五局が矢倉で、第一局は森下システム、第五局は3七銀戦法だった。今後はどうなっていくのだろうか。

第1表 矢倉主要戦型の変遷(将棋年鑑収録局数)
年度 名人 竜王 加藤流 ▲6八角 ▲3七銀 備考
1980 中原 3局 0局 0局  
1981 加藤 6局 0局 0局 飛先不突矢倉の名人戦
1982 谷川 20局 0局 0局  
1983 谷川 15局 0局 1局  
1984 中原 45局 2局 2局  
1985 中原 63局 2局 5局  
1986 中原 48局 1局 3局  
1987 谷川 18局 0局 2局  
1988 谷川 9局 3局 1局  
1989 中原 羽生 3局 1局 5局  
1990 中原 谷川 3局 13局 12局  
1991 中原 谷川 5局 48局 23局  
1992 米長 羽生 9局 43局 27局  
1993 羽生 佐藤 11局 48局 18局  
1994 羽生 羽生 4局 7局 57局 森下−米長戦(6月)
1995 羽生 羽生 1局 1局 46局  
1996 谷川 谷川 0局 0局 42局 深浦流一号局(2月)
1997 佐藤 谷川 2局 4局 43局 深浦流二号局(7月)
1998 佐藤 藤井 0局 1局 26局  
1999 丸山 藤井 3局 6局 14局  
2000 丸山 藤井 4局 3局 15局  
2001 森内 羽生 5局 3局 10局  
2002 羽生 羽生 2局 7局 15局 第15期竜王戦第四局
2003 森内 森内 1局 3局 17局 第16期竜王戦第三局
2004 森内 渡辺 1局 1局 15局  
2005 森内 渡辺 0局 11局 15局  
2006 森内 渡辺 ?局 ?局 ?局