彼と彼の自虐的な晩餐
自分でも気付いていなかったが、かなり空腹だったらしい。スープが運ばれてくると、和希はその匂いだけで唾液を飲み込んでいた。
前菜であるタラバ蟹と貝柱のクレープ包みも添えられたサラダも絶品だっただけに、匂いだけでもかなり期待してしまう。
目の前に置かれたスープはマロンのクリームスープだ。栗の甘い香りが鼻をくすぐる。続いて、対峙する席には野菜のブイヨンスープが置かれた。
一つのテーブルに並べられた二つのスープ。それを比較したのか、向かいの席に座る男がこう漏らした。
「ああ、そっちの方が美味しそうだね」
「……交換しましょうか?」
「いや、いいよ」
そう言って、成瀬由紀彦は穏やかに微笑む。嫌味の無い笑顔なのだが、それが返って薄気味悪い。こう感じるのは自分の意識が屈折しているからだろうか。
目の前の成瀬は、生成りの柔らかな風合いのネルのシャツに、エンブレムの付いたブリティッシュ風のブレザーを合わせている。見慣れた鮮やかなグリーンのベストではなく、シックな色合いの私服でいるのだ、学園で見かける成瀬とは雰囲気が違っても不思議ではない。頭では理解しているのに、まるで知らない男と向かい合っているようで居心地が悪いのだ。
和希自身も、今日はラフなデザインのスーツを着てきた。ネクタイのいらない開襟のシャツを合わせ、あまり畏まった雰囲気にならないようにしたつもりだ。
冬場ながら天気も良い休日。テスト休みでも休日には違いない。そしてここは、都心から離れた片田舎のリゾートホテルに隣接されたドイツレストランだ。
和希は今更ながら思う。どうして俺は、成瀬と二人で向かい合って食事をしているのだろう……。
自分達は友人ではない。少なくとも、こういう親しげな付き合いをする関係では無かった。むしろ恋敵として常日頃から敵対していたはずなのだ。それなのに、何故こんな状況に……?
金曜日だけに、もっと遅い時間になれば店内はカップルで賑わうのだろう。だが今はまだ早い時間のせいか親子連れが目立つ。おかげで男同士で向かいあっている自分達も、さほど不自然ではない。
いや、自分達が二人だけであることが既に不自然この上ないのだ。ここに啓太がいたら、状況は違っていたのに……。
和希は今だ釈然としないのだが、これは現実なのだ。スープの美味しさがその証拠だ。
成瀬との会話は少なく、和希は早々にスープを飲み干してしまうと、空になった皿の上にスプーンを置いた。これはもう不用だ。スープ用のスプーンの隣にはもう一回り小さ目のスプーンがある。つまりメインの肉料理の前にもう一品運ばれてくるらしい。
「遠藤は、こういう店によく来るんだ? テーブルマナーにも慣れてるよね」
「……両親と一緒にね。テーブルマナーは、子供の頃うるさく言われるうちに慣れました。成瀬さんこそ、こういう店にはよく来るんですか?」
「このレストランは先月オープンしたから今日が初めてだよ。ここのシェフは父親の知り合いなんだ。うちはレストランを経営しているから、そのツテで招待されたんだよ」
「そんなところに、俺なんかを誘ってよかったんですか?」
「……ハニーが来れなくて残念だったね、遠藤」
そうなのだ。啓太も来るというから承知したのに、肝心の啓太が来られなくなった。おかげで成瀬と二人、こうして食事をするハメに陥っている。
最初から気乗りしなかったのだ。まず、ここの場所を聞いて和希は思わず聞き返した。食事をするだけに行くような近さではなかったからだ。
プライベートであったなら迷わず自家用車で出向いていただろう。だが高校生のフリをしている身では、自分で運転する訳にはいかない。電車やバスでの道行きは面倒だが、啓太と一緒なら小旅行の気分になれるかと思い承知したのに……。
それなのに、昨日のなって突然啓太が来られなくなってしまった。学生会のデータファイルを誤って削除してしまい、その復旧が終わるまで出かけることが出来ないというのだ。
『本当にゴメン! でも、和希は行ってくれよ。二人とも断ったりしたら成瀬さんに悪いだろ?』
自分のミスで学生会に迷惑をかけてしまい、啓太は相当切羽つまっていたはずだ。泣きそうな顔の啓太にそう頼まれて、断れるはずが無い。
それに、啓太が来られないと知ったら成瀬は食事の予約をキャンセルするかもしれない。そうなることを期待したのだが、成瀬は落胆しながらもキャンセルはしないという。
『ハニーはダメでも、遠藤は来てくれるんだろう?』
啓太と成瀬に挟まれて、断れるだけの冷徹さは和希も持ち合わせていなかった。
だからと言って、成瀬と寮から一緒に出てくるのは御免だった。和希はわざと市街で寄り道をしてから、一人でこのホテルへとやって来た。
学園島から市街までバスで出て、そこから電車とバスを乗り継いで、更にバス亭からも少し歩いた。他の客のように車で乗り付けなければ、かなり不便な立地である。だが、リゾートホテルならばこれが常套なのだろう。都会の喧騒を離れる為に利用するのだから。
こじんまりとした欧風建築のレストランは、内装も家具も全て現地の物だと知れた。料理だけでなく、この店の全てにオーナーのこだわりが感じられる。
肝心のドイツ料理も最高だった。鱈とポテトのリゾット仕立ては、滑らかな下触りが心地よい。メインのコールルーラーデンはフランケン風で、和希がこれまで食べたことの無い味付けが施されていた。恐らく日本人の口に合うようアレンジされているのだろう。
「……どう? 口に合えばいいんだけど」
「凄く美味いですよ。今ばかりは、誘ってくれた成瀬さんに感謝します」
「それは良かった。この前から君にお詫びをしたかったんだ。この前……みっともないところを見せたからさ」
「あの事は、別に気にしてませんよ。誰でも自棄になることくらいありますから」
「君はよくても、俺の気が済まないんだよ」
成瀬は少しムキになっている。こういう時ばかりは成瀬が子供っぽく見えて、和希はこみ上げてくる笑いを懸命に堪えた。
あれは先週末だった。消灯時間も過ぎた夜中に、成瀬が和希の部屋にやって来た。負けてはならない試合に負けて自棄になっていた成瀬に、和希は驚きながらも自室に通した。
まるで、いつかの自分と立場が入れ替わったような状況である。成瀬は和希と話がしたかったワケではなく、隠し持っているであろうアルコールを欲っしていた。試合を観戦していただけに、買うz期もその気持ちが解らないでもなかった。
和希が差し出したビールを飲んで、些か酔った成瀬に和希は抱き寄せられて、キスされて……それだけだ。いつかのようにセックスに縺れ込むこともなく、朝まで一緒に眠っただけ。
ただ、酔っていた成瀬は目が醒めるまで和希を抱き締めて離さなかった。まるで子供のような行動を取ったことが気恥ずかしいのだろう。
「じゃあ、あの一件はこのディナーで帳消しってことで。それに俺、これでも子供をあやすのは得意なんですよね」
「子供って……。参ったな、遠藤には弟か妹がいるのか?」
「兄弟はいません。でも近所に小さな男の子がいて……その子と遊んでいたからかな」
その男の子は……啓太は、もう忘れてしまっているだろう。当然だ、その後アメリカに発った和希は手紙を送ったこともない。ただ時折、専門機関から送られてくる報告書に目を通していただけだ。
もし啓太に手紙を送っていたら、この状況は変わっただろうか。考えるだけ無駄なのに、そんな想像をしてしまう自分に和希は思わず苦笑する。
ふと、成瀬が自分を見て微笑んだ。何事かと思わず身構えてしまう。
「遠藤のそんな顔、初めて見たな」
「……どんな顔ですか」
「悪い意味じゃないよ。何だか、大人びて見えたっていうか……服装のせいかな」
「褒めていただいて光栄ですね。成瀬さんこそ、高校生には見えませんよ」
「うん、よく言われる。他所ならワインをオーダーするんだけど、ここは父親の知人の店だからね。残念ながらアルコールは頼めないんだ」
和希自身、成瀬が一緒でなければワインを頼みたいところだった。この料理に見合うドイツワインがワインセラーには眠っているだろう。考えただけで咽喉が鳴りそうだが、成瀬の前にいる自分は高校生なのだ。ワインのことは考えないようにして、香ばしいドイツパンを頬張るしかない。
次のデザートは数種類のジェラード。この店のオリジナルらしく、これまでのジェラードとは違う味わいで、口に含んだ瞬間思わず笑みが漏れた。美味しいと笑ってしまうのは自然の摂理のようなものだろう。
そして最後に和希はコーヒーを、成瀬は紅茶を飲んだ。料理の感想以外の会話は無かったが、雰囲気は悪くなかった。成瀬との食事なんて自虐的にも程がある。そう思っていたのに、美味い料理にほだされたらしい。我ながら現金なことだ。
いつになく成瀬の前で笑っていた気がする。啓太と一緒にいる時のように、ごく自然に笑えた。
だが、そんな気分も時計を見た瞬間に吹き飛んだ。精巧なスイス製のそれが示す時刻に、和希は自分の眼を疑ったほどだ。
「成瀬さん! まずいですよ、もうこんな時間だ」
「え? 本当だ……うっかりしてたな」
「バスじゃ、門限には間に合わないな……」
ゆっくりとしたペースで出てきたせいで、時間の感覚がズレてしまっていたようだ。どんなに急いでも寮の門限には間に合いそうにない。ホテルのフロントでタクシーを呼べば多少の時間は短縮出来るだろうが、どちらにしても、成瀬と共に門限破りの小言を喰らわねばならない。
「……とりあえず出ようか。俺、支払いを済ませて来るから先に出ておいてよ」
「成瀬さん、俺の分は自分で払います。お幾らですか?」
「構わないよ。俺が誘ったんだし。それに……」
「……まだ何かあるんですか?」
「遠藤のことだから、コレを言ったら怒りそうだなぁ」
「だから何ですかっ」
「このディナーは宿泊とセットなんだ。隣のホテルのツインルームだけど……だから料理だけの値段は解らないんだよ」
「成瀬さん、泊まるつもりで啓太を誘ったんですか!」
だから啓太は自分を誘ったのだ。そう気付いて、成瀬に対して猛烈な怒りが湧いてくる。
もしかしたら、啓太が来られなくなったのは中嶋の妨害だった可能性もある。啓太は自覚していないが、執着心の強い中嶋のことだ。この事を知って、啓太が出かけられないよう策を練ったのかもしれない。
和希が睨みつけたところで、成瀬は苦笑しただけで怯んではいない。相変わらずの笑顔でフォローしだした。
「ハニーにはちゃんと言っておいたよ。気をつかって《食事だけで帰りますけど、それでもいいですか?》って断ってくれた。ホント優しいよね」
「……俺は聞いてないんですけど」
「ハニーは君と一緒に帰るつもりだったみたいだから、言わなかったんじゃないかな? ここには俺一人で泊まろうかと思ってたんだ。それとも遠藤が泊まりたいなら、俺は構わないよ」
「せっかくですが俺は……」
「じゃあ、こうしよう。遠藤が泊まるなら、代わりに俺が帰る。それならいいだろう?」
食事に招待してもらった上に、成瀬一人を帰らせるのは気が引ける。だからと言って一緒に泊まるのは勘弁して欲しかった。今、成瀬と同じ部屋に泊まったら……どうなるか自分でも解らない。成瀬の存在に揺るがないでいる自信がないのだ。
「俺は帰ります。門限には間に合わないだろうけど、俺は無断外泊の常習犯ですからね。小言を喰らうのも慣れてますから」
「それは公平じゃないな。だから……これで決めよう」
成瀬は和希に向けて拳を差し出した。それがどういう意味か察した和希は、頷いて同じように拳を上げる。そして一呼吸置くと、お互いにこう叫んだ。
「最初はグー!」
「どうしてこんな事になるんだか……」
案内された部屋を眺めながら、和希は溜め息をついていた。脱いだ上着をソファに放り投げて、そこへと座る。
ツインルームとは聞いていたが、寝室以外にもリビングのあるタイプで結構な広さがあった。寝室は奥にあって、リビングからは見えないようになっている。ドアは無いがラタンのスクリーンが置かれていて目隠しになっているからだ。
落ち着いた色彩で統一された部屋には、都心のビジネスホテルのような虚無感は無い。豪華ではないが趣味の良い家具が置かれ、家庭的な気安さがある。プライベートで訪れていたなら、ゆったりと安らげたことだろう。
だが今、和希の心の中はとてもではないが安らげそうに無い。
ジャンケンで負けた成瀬は、最初に宣言した通り一人で帰途についた。歩いてバス亭に向かって行くのを見送りはしたものの、引き止めることはしなかった。
引き止めたら、成瀬とこの部屋に泊まる事を承諾したのも同然だ。一緒に泊まったら……恐らく、自分達は歯止めが利かなくなる。そうなるのが怖かったというのが本音だった。
思いがけない外泊だ。無断外泊は今更だが、これ以上寮長からの締め付けが厳しくなるのはマズイ。そう判断して、和希は秘書の一人に父親の振りをして寮へ電話をするよう頼んだ。察しのいい部下は適切な対応をしてくれるだろう。
だが、啓太には気をつかわせないようメールを打った。《バスに乗り遅れて帰れなくなったから今夜はこっちに泊まるよ。最悪だけど、でも料理は美味かった》と打って送信すると、携帯を放り出す。
ここにいても特にすることも無い。早々に寝てしまおうと、その前にバスルームへと向かった。
清潔なバスルームは淡い色合いの大理石で覆われ、緩い照明が眼に優しい。広い浴槽に満たして湯をバスキューブで白く濁らせ、和希はそこに身を浸してくつろいだ。そのまま眠ってしまえそうな心地よさだったが、フロントからの内線にそれは遮られた。
バスルームにも電話は設置されていたから、とりあえず裸のまま受話器を取る。
「はい、そうです。……繋いでください」
外線から、和希宛ての電話だった。慌てていて相手の名前は聞かなかったが、ここに自分が泊まっているのを知っているのは、さっきメールを送った啓太と、一人で帰っていった成瀬の二人しかいない。
案の定、受話器から聞こえてきたのは成瀬の声だった。電話で話すのは初めてだ。しかも自分は裸で、向うには見えないと解っていても居心地が悪い。
『……やあ、部屋は気に入ってくれたかな?』
「落ち着いていて良い部屋ですよ。成瀬さんを帰らせて申し訳ないくらいです」
『そう思ってくれるなら……ごめん、やっぱり俺も泊めてくれないかな?』
「…………はぁっ?」
『カッコ良く帰ろうとしたんだけどさ。バス亭に来たら、もう最終のバスが出てるんだよ。駅まで歩いてたら門限どころか終電にも間に合いそうに無くて』
「それで……今、どこにいるんですか?」
『とりあえず、そっちに向かって歩いてるところ。……あ、雨が降ってきた』
「あの……とにかく部屋に来て下さい。一緒に泊まっても構いませんから!」
『……良かった。そう言って貰えて嬉しいな。じゃあ、また後で』
これで追い返せるだけの冷徹さは……持ち合わせていない。
バスルームに窓はなくて、外の景色は伺えない。成瀬は雨に気付いて走り出していたようだが、ここに来るまで濡れなければいいのだけれど……。
「どうしてこうなるんだ……」
成瀬とここに泊まったら、どうなるか解らないというのが本音なのだ。一度寝ているから、快楽を忘れていないから……成瀬に惹かれているから、もし成瀬に迫られたら断れない気がする。
少し冷えた身体を温めるつもりで浴槽に浸っていた和希は、考え事をしていて時間の感覚が解らなくなっていたようだ。慌ててシャワーを浴び、タオルで髪を拭っているとドアベルが鳴った。
思いのほか早くて驚いたが、スポーツマンの脚力なら当然かもしれない。あとフロントを通さず直接やって来たのだろう。和希は大急ぎで服を着て、ドアを開ける。するとそこには、上着と髪を濡らした成瀬が苦笑いを浮かべて立っていた。
「すみません。風呂に入ってて……」
「俺の方こそ、ごめんね。……何だか格好悪いな」
「そんな事はもういいですから、入って下さいよ。……雨、かなり降ってるんですね」
「ああ、いきなり降ってくるから参ったよ」
成瀬はブレザーを脱いで頭から被ってきたのだろう。それでも、長い髪やシャツまでがしっとりと濡れている。湿ったシャツやブレザーはフロントに預けた方がいいかもしれない。
不意に、成瀬の手が和希の髪に触れてきた。ほんの少し触れられただけなのに、思わず身を強張らせてしまった。だが成瀬はそれに気付かなかったらしく、笑いながらタオルを差し出してきた。
「遠藤……髪、まだ濡れてるよ。君ももっとよく乾かした方がいい」
「俺より、成瀬さんは自分のことを気にして下さいよ。そのシャツも脱いで下さい。ブレザーと一緒に、フロントでクリーニングを頼んできます」
「預けるのはいいけど、着替えなんかあったかな?」
「バスルームに、ローブならありましたよ。それとも寝室に何かあるかも……」
和希もまだ見ていなかった寝室に二人で向かって……ほぼ同時に呆然とした。
和希は知らなかった。そして、成瀬も知らなかったらしい。寝室のベッドが、キングサイズのダブルベッドだったことを……。
幸い、着替えは用意されていた。ベッドカバーの上にハウスウエアが二着並んでいる。大人二人でも余裕で寝られるベッドの広さと、色違いの着替えが、いかにもカップル向けの部屋だと語っている。
この、あからさまにお膳立てされた光景に、和希の口調が無意識のうちに成瀬を責めるようなものとなっても仕方ないだろう。
「……成瀬さん。これって……」
「……お、俺だって知らなかったよ! 寝室はツインルームだって聞いてて……そうだ、フロントに聞いてみよう!」
「それは後でいいですから! 成瀬さんは、まず風呂に入って身体を暖めてください。指先なんか……こんなに冷え切ってる」
和希が指先に触れると、成瀬は少し驚いたような顔をした。そういえば自分から成瀬に触れたのは初めてだったかもしれない。
いつもアクションを起すのは成瀬。それを拒むのが自分。抱き締めるのも、キスするのも……セックスも。そんな役割を作り上げることで、この関係を突発的な事故のようなもののとして片付けてきた。
「じゃあ……お言葉に甘えるとしようかな」
「遠慮しないでいいですよ。ここは俺の部屋じゃない」
「そうだね。……ところで遠藤」
「はい?」
「俺が風呂に入ってるうちに、帰ったりしないでよ」
「……帰りませんよ。第一、帰りたくても、もうバスは無いんでしょう」
そう返したものの、先に釘を刺されて和希は途方に暮れた。一方成瀬は余裕の態度で、和希にウインクまでして浴室へと向かう。
自虐的な晩餐の後に、まだこんな顛末が待っているとは思わなかった。
「やっぱり、選択を誤ったか……?」
途方に暮れても、やがて和希はやるべき事を思い出した。成瀬の服をクリーニングに出すべくフロントに掛け合った方が良いだろう。
だが、受話器を手にしたがプッシュポンを圧す指先がぎこちなくしか動いてくれない。やたら動揺している自分が情けない。
だが和希の自虐的な夜は、まだ始まったばかりだった。
部屋がツインではなくダブルだったのは、本当にホテル側の手違いだったらしい。
和希が電話でその旨を伝えると、数分後にはフロントマネージャーがわざわざ部屋までやって来た。丁寧に詫びつつ、フルーツの盛り合わせを置いていった。
こうしてホテル側は手違いを詫びてくれたが、代わりの部屋は無いという。シングルとツインすべて満室。あるのはこのダブルの部屋だけで……これは陰謀ではないかという気さえしてきた。
フロントへ持っていくつもりだった成瀬の衣類も、ついでに持ち帰られてしまった。やることのなくなった和希は、ソファに座ってフルーツの山を眺めるしかない。
「……マジ帰りたくなってきた」
だがここで帰って、逃げたと思われるもの癪なのだ。それに成瀬だけでなく、啓太にまで嫌な思いをさせかねない。意味もなくリンゴを掴むと、和希は深い溜め息をついた。
成瀬はまだ浴室から出て来ない。冬の雨に濡れて冷えていたから、十分暖まったほうがいいだろう。それでなくとも成瀬は、膝の故障がクセになっている。
学園にとって成瀬は将来有望な生徒なのだ。在学中に何かあっては元も子もない。こうして気にかけてしまうのは、理事長という立場上当然だろう。
「……そういえば、先週の試合を落としたのも、あの故障が原因だったな」
先週の対抗戦は、啓太と一緒に和希も観戦した。
勝てるはずの試合だった。誰もがそう思っていたゲームは、成瀬の負傷による棄権で幕を下ろした。実力で負けたのならともかく、故障が原因ともなると、あの夜の成瀬が自棄になっていた気持ちは十分理解出来る。
試合には負けても、成瀬は主将の顔で部員の前では冷静に振舞っていた。だが、それが剥がれ落ちたところを和希は見てしまった。和希の知る、軽薄で隙あらば手を出してくるプレイボーイの顔でもなかった。
どれが本物の成瀬なのか、和希には解らない。
だが、テニスに対する熱意は本物だ。高校生でありながら国内ランキングに名前を連ねるだけあって、才能も技術もプロにも引けを取らない。
コートでプレイする成瀬は常にアグレッシブだ。自信に満ち溢れた性格がそうさせるのか、不利な状況でも攻めの体勢を崩そうとはしない。
恋愛に対してもそうなのだろう。そうでなければ、あれだけフラれ続けても啓太に迫れるワケがない。そして好きでもない自分を……あんなふうに抱いたりしない。
余計なことを思い出して、和希はそれを払い除けようと手にしていたリンゴに噛り付いた。
「……あー、暑かった」
やがて、浴室のドアが開いて成瀬が出てきた。だらしなく羽織ったローブの合わせ目から、逞しい胸元から腹筋へのラインが覗いている。
長い髪を下ろし、タオルで拭っている。短めの袖から伸びた腕も逞しいが、無駄な筋肉がないせいか太くはない。しなやかな隆起が美しくさえある。
「狭いバスは久しぶりだから、のぼせるかと思った」
「冷蔵庫にミネラルフォーターがありますよ。それとも、コレでも食べますか?」
「……何だい、それ」
「この部屋の手違いのお詫びだそうです。それと、成瀬さんのハウスウエアは大きめのサイズに交換してもらってあります。濡れた服はクリーニングに出しましたから、それを着て下さい」
「ああ、ありがとう。……遠藤って気が利くなぁ」
ベッドの上に並んでいたハウスウエアは、男物でも成瀬には窮屈だったはずだ。身長は自分とそう変わらないが、成瀬の体格は胸囲のある欧米系に近い。
寝室で着替えてきた成瀬は、また雰囲気が違った。ハウスウエアといっても要するにパジャマ代わりだ。よくあるシャツタイプの上下だが、少しサイズが大きかったらしい。サイズが合わずとも、成瀬が着ていると雑誌モデルのようなのだが……。
何だか、大きめの服を着た子供のようなのだ。和希はこっそり笑ったのに気付かれたようだ。成瀬は冷蔵庫から出したミネラルウォーターを口にしながら、憮然とした口調で言った。
「遠藤、笑ってないで君もサッサとこいつに着替えたらどうだ?」
「俺は……寝る前に着替えますよ」
「君だってもう寝るんだろ。風呂だって入ったんだから」
「寝る前に、このソファを何とかしないと。リクライニングを倒すと、簡易ベッドになるそうです」
和希はソファから立ち上がると、試しに背もたれを前後に動かしてみた。だが勝手が違うのか動く気配は無い。やがて反対側に成瀬が手をかけ、両端から同時に動かすと背もられはバタリと広報へ倒れた。
「ふーん。狭いけど、寝られなくはないかな」
「予備の羽根布団がクローゼットの中にあるそうです。俺、見てきます」
「遠藤……君ってホントに世話好きだな」
「そうでもありませんよ」
自分の寝床の支度だからこそ、だ。
さっき聞いていた場所に予備の布団はあった。和希がそれを抱えて戻ると、成瀬は強引に和希の腕から布団を取り上げてしまった。
そして自分で敷いたのか、ソファカバーの上に布団を下ろして整える。枕代わりのクッションも添えられて、これで準備は万端だ。
「さて……。寝床が出来上がったところで、俺は眠らせてもらうよ」
「あの、成瀬さん?」
「さっき言ったよね、君にお詫びをしたいって。俺はここで寝るから……遠藤、君はベッドを使いなよ」
和希にそう言って、成瀬はサッサとソファに寝転がってしまった。横向きになって羽根布団を被っているが、長い手足がどうも居心地悪そうだ。
そこで寝るつもりだった和希は、呆気に取られたまま立ち尽くすしかない。
「……じゃあ、遠慮なくベッドを使わせてもらいます。でも、そんな寝方で転がり落ちないで下さいよ」
「寝相は悪くないよ。遠藤、君も知ってるだろ?」
寝転がったまま、頬杖をついた成瀬が自分を見上げている。浮かべている微笑には挑発の色があった。
自分と成瀬は二度《接触》を持った。勢いだけの性行為と、ただの抱擁。成瀬は今、敢えてそれを思い出させようとしている。
成瀬の挑発するような態度に、和希は思わずこう返していた。
「俺は……あのベッドで一緒に寝るくらい構いませんよ。ただし、成瀬さんが何もしないって約束してくれるならですけど」
「せっかくだけど遠慮しておくよ。多分ムリだから」
「無理って……」
「じゃあ、おやすみ」
真顔でヌケヌケと言った成瀬に、和希がまた呆気に取られずにいられない。そうしているうちに成瀬は頭から布団を被ってしまい、ただ長い髪だけを覗かせている。
何もしないのは、無理。……前言撤回だ。成瀬はアグレッシブというより、ただのケダモノだ。そんな結論を弾き出した和希は寝室に向かった。
ベッドのスプリングは硬くなく柔らかくなく良い具合だ。けれど、今日は色々とあったせいか、なかなか寝付かれない。暗がりの中にいるせいか時間の感覚も曖昧になってくる。
成瀬はもう眠ったのだろうか……。
そんなことを考えていると、不意にゴトリと妙な物音が聞こえた。空耳ではない。成瀬のいる向うの部屋から聞こえたそれに、和希はベッドから起き出すと足音をさせないように歩み寄る。
天井のライトは灯さず、サイドボ−ドのスタンドを灯す。薄明かりの中、和希はそこに信じられないものを見ることとなった。
「な……成瀬さん!」
和希は夜中だということも忘れて、思わず声を上げていた。何しろ、ソファで寝ていた成瀬が床に寝転がっているのだから、驚かずにはいられない。
さっきの物音から察するに、ソファから転がり落ちたのは明らかだ。にもかかわらず、成瀬はクッションを抱き締めて熟睡している。和希は成瀬の傍に座ると、その顔を軽く叩いた。
「ちょっと……成瀬さん、成瀬さん!」
「ん……何だい遠藤、もう朝かい?」
「まさか。起したのは、成瀬さんがおかしなところで寝てるからですよっ」
「……あれ? 俺、どうして床にいるんだろ」
「転がり落ちたに決まってるでしょう! 結構すごい音がしましたからね。特に痛いところは? どこも打ち付けたりしてませんか?」
「……うん、大丈夫だよ。じゃあ、おやすみ……」
「ちょっと成瀬さん!」
曖昧に答えながら、成瀬はクッションを抱いて眠り込んでしまった。和希は本気で呆れ果てたが放置するのも躊躇われて、成瀬の腕を掴んで立ち上がる。
「抱き癖の上に、寝汚くもあったのか……」
長い腕を自分の肩に回させて、和希は成瀬を引きずるようにして寝室へと向かう。身長もウエイトも成瀬のほうが勝っていることを恨めしく思いながらベッドまで運ぶと、かなり荒っぽく転がした。
グイグイとこれまた荒っぽく端に押しやり、布団を被せた。ベッドから転がり落ちても今度は無視だ。
そう決意して、和希もベッドに寝転がった。今のが結構な運動になったから、ようやく眠れそうだ。隣に寝転がっているのは……クマだ。デカいクマだと思えばいい。
だが、布団を被りなおそうとした時だ。布団ではなくクマが……いや、眠っているはずの成瀬が和希に覆い被さってきたのである。
気が付くと、和希の身体は成瀬の両腕によって囲われていた。そして薄暗がりでも解る端正な顔が、間近から自分を見下ろしていた。
「な……成瀬さん? ……さっきのは狸寝入りですか」
「そうでもないよ。さっき遠藤に蹴られてるうちに目が醒めたんだ」
「……それで? この体勢はどういうつもりですか」
「さっき、同じベッドで寝たら何もしないでいるのはムリだって言ったはずだけど。もう忘れた?」
「……覚えてますよ。でも成瀬さん、あなたが好きなのは俺じゃなくて、啓太でしょう?」
和希はわざと冷めた口調で尋ねる。成瀬は少し驚いたような顔をしたが、やがて微笑さえ浮かべてこう返してきたのだ。
「うん、そうだね。でも遠藤、それは君も同じだろ。それに俺は……君のことだって好きだよ。ハニーとは違う意味で興味がある。だから付き合おうとまで言ったんじゃない」
「勝手なこと言わないで下さいよ! 俺は、あなたなんか好きじゃない」
「でも……俺のキスは嫌いじゃないはずだよ」
囁くような言葉に反論するよりも先に、和希は唇を塞がれていた。
いや、反論なんか出来ないのだ。成瀬のキスは……嫌いじゃない。柔らかく重ねられる唇も、絡められる舌も、一度ハマったら抗えなくなる。
押さえ込まれているとはいえ、抵抗すれば逃れられただろう。そうしなかったのは……自分でもどうかしていたとしか思えない。
だが、ダイレクトに肌へと触れてきた手に和希は正気を取り戻した。何とか成瀬を押し退けて起き上がると、出来るだけ冷静な声で言った。
「……成瀬さん、いい加減にしてくれません?」
「あれ? この前は、コレで落とせたんだどなぁ」
「この前は酔ってたんですっ」
「じゃあ、今夜も酔わせてしまえば良かったな」
苦笑した成瀬は、不意に真顔になった。再び抱き寄せられたかと思った途端、耳元で囁かれる。
「あのさ、遠藤。今夜だけでいいんだ。今夜だけ……俺に付き合ってくれないかな?」
「成瀬さん……それはどういう意味です?」
「今夜はちょっと特別なんだ。だから、遠藤が嫌がっても……無理矢理にでも抱くよ。出来ればそんな事はしたくないけど、それくらい遠藤が欲しいんだ」
「そんな! 勝手なこと言われても、俺は……」
「我慢しようと思ったんだけどね。そろそろ限界なんだよ」
苦笑交じりの声がやけに痛々しい。こう感じるのは同情なんだろうか。同情なんかしていられる状況ではないのに、どうして自分まで苦しくなるんだろう。
いつも強引な迫り方はしても、成瀬は嫌がれば退くだけのスマートさを持っている。その成瀬が初めて見せた荒々しい態度に、和希は茶化すことも出来ない。
成瀬の腕が次第に強くなってきて、無理矢理にでもといった言葉が本気であることを知らしめてくる。だが、そうすることは成瀬にとっても本位ではないはずだ。こうなると、追い詰められているのは自分なのに、同時に悪者になった気分になってくる。成瀬が本気なら、逃げるのも同等の本気にならないと無理ということか。
だとしたら、自分は逃げられない。ここから逃げ出すのは不可能だ。
これこそ自虐的だとは思うが、和希は諦めてしまうことを選んだ。意志の弱い自分に溜め息をつくと、無意識のうちに緊張していた身体の力が抜けた。
「……今夜だけ、ですからね」
「遠藤?」
「どうせ初めてじゃないんだ。今夜は付き合いますけど、だからって俺はあなたのモノにはならない」
「うん、それでもいいよ。俺は……君が好きだからね」
何だかんだ言っても、抱き合うのは初めてじゃない。一度寝てしまったせいでボーダーラインが曖昧になっている。だから成瀬を受け入れてしまった。
自分に言い訳をして、和希は成瀬のキスを受け入れた。
キスだけで体温が上がっている。やっぱり成瀬のキスはクセモノだ。
合意を得たことで、成瀬は本当に嬉しそうに和希のウエアを脱がしていく。そんな様子が癪で、和希はピシャリと成瀬の手を払った。
「……シャツは脱がなくても出来るだろ」
「まあ、そうだけどさ。俺は肌を触れ合わせたから……遠藤が嫌なら、こうさせてもらうよ」
「ちょっと、成瀬さん……えええ?」
成瀬は自分の髪を束ねていたゴムを取り払うと、それで和希の両手首を束ねてしまった。だが所詮はゴムだ。外そうと思えば簡単である。
「はい、これで遠藤君は拘束されてしまいました! これで遠藤の気が済むとは思わないけど……俺に無理矢理されたって思っていいからさ」
「拘束って、こんなもので?」
まるで子供騙しだ。ヤワなゴム一つで拘束もあったもんじゃない。だが、和希は両腕を頭上に持ち上げられると途端に自由は利かなくなってしまった。
成瀬のキスが降ってきた。唇や耳に。首筋から鎖骨、胸元へ。全身にスタンプを押すような軽いキスだ。唇の愛撫はくすぐったいようでいて、痺れるような感覚がわき上がってくるのだ。自ずと唇から漏れる声を、和希は懸命に堪えた。
「ん……はぁ……っ」
「声、殺さなくてもいいよ。ここは寮じゃないんだから、誰にも聞かれない」
「俺、が……嫌なんだよ」
「でもね、遠藤。そういう顔は止めたほうがいいと思うな。挑発的っていうのかな……意地悪したくなるよ」
うつ伏せにされたかと思うと、腰のラインをたどるように、尻の奥の窪みにまで何かが滴り落ちてきた。匂いから察するに、洗面所にあった乳液か何かだろう。サンプルの小袋があったのを思い出す。
何も無いよりはカラダへの負担が軽いだけに有り難い。だが、こんなものを忍ばせていたあたり、成瀬がこの部屋にやって来た時から、この行動を起こすつもりだったらしい。
「あ、あぁ……っ」
「この前は酔ってたから痛くなかっただろうけど……俺も、気をつけるからね」
「バカ……っ」
滑らかな液体で濡れたそこは、成瀬の長い指を飲み込んでいく。自分のカラダの一部なのに、和希はまるで自由が利かないことがもどかしい。
成瀬の指が体内で動かされる。痛みは無いが、慣れるまではいい気分がしない。せめて吐き気を催さないように……甘い声を上げたりしないように、和希はただ浅い呼吸を繰り返す。
だが、そのうち和希は自分から求めるように腰を突き上げている自分に気付いた。そんな緊張が伝わったのか、成瀬が顔を近づけて尋ねてくる。
「酷くしてないつもりだけど……平気?」
「……んなこと、聞くな……や、ああぁ……っ」
「そうか、ここがイイんだ?」
カラダの奥の感じる部分、前立腺を刺激されたことで、突き抜けるような快楽に思わず声が上がった。
そんな和希に、成瀬はオモチャを探し当てた子供のように笑うと、集中してそこを刺激する。緩やかな動きなのに、津波のような快楽が湧き上がってくるのだ。
「や、だ……はぁ……っ」
「じゃあ、どうして欲しいのかな? 俺はね、遠藤が望むことしかしないよ」
「嘘だ……もう止めろってばぁ……!」
後ろだけを刺激され続けて、精神的にも体力的にも辛かった。早く楽になりたい。もっと明確な快楽が欲しい。そんな思いが羞恥心を上回ってくる。
和希の思いを感じ取ったように、成瀬は愛撫していた指を抜くと、和希の身体を仰向けに返した。逞しい裸体と、すでに張り詰めた性器を曝した成瀬が見下ろしている
「そろそろ、俺も限界なんだ。入れても……いい?」
そう言って成瀬に、和希は両足を大きく開かされた。恥ずかしいとか見られたくないとか、そういう感情はもうない。今はただ昂まった欲望を解消させたいだけだ。
和希が頷くと、硬く熱いモノが下肢に押し付けられた。愛撫によって慣らされた部分に、ゆっくりと挿入されていく。指とは比べ物にならない圧迫感と快楽に、何かに縋りつきたかった。
「や、……成瀬さ……んっ」
「ゴメンね。もう、全部入ったから……動いてもいい?」
「いいから……もう、焦らすなってば……っ」
「じゃあ、もっとヨクしてあげるよ」
下肢を繋げたまま身体を起されて、揺さぶられた。和希の手首はゴムで束ねられたままだけに、腕はダラリと下ろしていた。
だが、こんなふうに揺さぶられたら堪らない。
「あ、あぁ……いや、もう……」
「まだダメ。楽しいのは、まだ……これからだよ」
「この……バカ、野郎っ!」
「そういう口の悪い遠藤もいいね。もっと……何か言ってよ」
「うるさいっ……早く、しよろよぉ……」
和希は無意識のうちに、ゴムで戒めてあった腕を自分で払って、成瀬の背中に腕を回していた。
汗ばむ筋肉の隆起を指先で感じる。熱い体温が、鼓動が掌から伝わってくる。自分を抱いている、成瀬という男を初めてマトモに見たような気がした。
「……初めてだよね。自分から抱きついてくれたの」
成瀬のそんな嬉しそうな笑いがまた少し癪に障って、和希はしがみついた背中に容赦なく爪を立てた。
和希が成瀬と共に寮に戻ったのは昼近くになってからだった。食堂が終わるのではと焦ったが、何とか昼食にはありつけそうだ。
バタバタと着替えて食堂に飛び込むと、啓太が駆けつけてきた。ちょうど食事を済ませたところらしい。
「あ、和希ぃ!」
「ただいま啓太。学生会の仕事、どうだ?」
「仕事は中嶋さんに助けてもらって何とかなったよ。それより……和希、成瀬さんとケンカとかしなかった?」
「してないよ。子供じゃないんだから」
「それならいいんだ。俺、二人っきりにさせちゃったから、心配でさ」
そう、啓太が来なかったおかげで微妙な展開になったワケで……だが自分で判断しての展開なのだから、和希は苦笑するしかない。
一晩付き合っても、抱き合っても……自分と成瀬の関係は変わらない。ただカラダを繋げただけで、感情は置き去りになっている。
今はまだ、そんな関係でしかいられない。それ以上進むわけにはいかないのだ。
「それより啓太。これから成瀬さんに誘われた時は、行き先とか予定をよーく確認しろよ。お前のこと、まだ狙ってるみたいだからな」
「成瀬さんのアレはもう習慣って感じだけど……。でも誕生日くらい、お祝いしてあげたいじゃない」
「……誕生日?」
「そう、成瀬さんの誕生日」
アッサリと言い切った啓太に、和希は咄嗟に返す言葉が出なかった。
成瀬の誕生日なんか知らない。実際、昨日も成瀬はそんなことは一言も言わなかった。だからプレゼントなんて用意することもせず、むしろディナーを奢ってもらったくらいで……。
いや、成瀬はこんなことを言っていた。《今夜はちょっと特別なんだ》とか……。
成瀬のくすぐったくなるような甘い声を思い出して、和希は眩暈がしたような気がした。だが、それならあの言葉の意味と、昨夜の成瀬の行動が一致するのだ。
やがて、成瀬も着替えて食堂にやって来た。和希が横にいるのを承知で、ぬけぬけと啓太に声をかけてくる。
「やあ、ハニー。昨日は残念だったね」
「あ、成瀬さん。昨日はホントすみませんでしたっ」
「気にしないでいいよ。代わりに……遠藤がお祝いしてくれたからね」
「……不本意ながら、ね」
美味しいディナーは成瀬の奢りだった。だがその後、自分もしっかり美味しく頂かれてしまったのだ。
成瀬は要点こそ言わなかったが、あれはプレゼントの請求だったのだ。それに嵌められた和希は、自分のカラダを差し出してしまったワケで……。
和希は本気で眩暈がした。だが、啓太の目の前で倒れるわけにはいかない。そんな理性だけが和希を支えていた。和希が必死の思いで理性を維持しているのを知らず、啓太と成瀬の会話は続いていた。
「お詫びに今度、ケーキ買ってきますね。七条さんが美味しいお店を教えてくれたんです」
「そうなんだ。楽しみにしておくよ」
「ドイツのお菓子がメインのお店らしいです。……そういえば、昨日のレストランもドイツ料理のお店だったんですよね?」
「うん。今度はハニーも付き合ってよ。……もちろん遠藤も一緒でいいからさ」
「……俺は行きませんっ!」
成瀬の流し目に、和希の中で何かがキレた。食べかけの昼食もトレイもそのまま、食堂を飛び出していた。驚いた啓太に名前を呼ばれた気がしたが、今はもう構っていられない。
顔が熱い。もしかしたら熱があるかもしれない。あれ以上成瀬の傍にいたら、気恥ずかしさから撲りかかっていたかもしれない。
要するに、居たたまれなくなった、ともいう……。
「あああ、あんなヤツ……やっぱり大嫌いだっ!」
年下のクセに、自分の正体を知りもしないクセに。啓太が好きなクセに……俺のことも好きだなんて、とてもじゃないが信用に値しない。
今後は断固として拒否してやる。何があっても、だ。
怒りのネタを思い浮かべながら、和希は廊下を歩きつづけるのだった。
Bad end?
********************************************
◆コメントというか戯言あり。読んでやろうという方は反転して下さい。
成和デート変……じゃなくてデート編です。コピ本バージョンということで全編公開でありますよ。はははは遂にエロ公開……。あ、あんまり激しくなかったかも? 実は、しつこいエロ書いてたら冬コミ落としてしまう〜〜と挫折したのでした……。
そんでもって成瀬お誕生日ネタというオチだったのでした。アホなオチですみません。ええもう和希がプレゼントです。「自虐的な晩餐」というのは、和希が食われてしまうという意味でもあったワケです。タダ飯より高いものはないという教訓ですね!(ちょっと違う)
これをアップするのは2話の後に〜〜と思っていたのですが。まだちょっと時間がかかりそうなので、さきにアップしておきます。続きの「彼と過ごす〜〜」と合わせてお読みくださいませー。
そういや成瀬と和希が食ってますドイツ料理のメニューは、地元にあるレストランのメニューそのまんまです。そこでは酒しか飲んでませんがいいお店です。で、何でドイツ料理なのかは2話で出てきます。多分……。