中東の玄関                 帰国する

中東には「ちょっと怖いところ」というイメージがどうしても付きまといます。
日本も含めて本当に安全なところはまず存在しません。
ですからどんなところでも多少の危険は存在します。
実際に行って街を歩いて感じたことはそれぞれの国によって違います。
さらに歩いたところもその国の首都が主でそれだけでその国を判断する
ことはできませんが、それぞれの印象についてもご紹介いたします。
文中の下線の部分はクリックすればその画像が見られます。
なお、エジプトはアフリカに属しますが文化圏は中東なのでこちらで
ご紹介します。


エジプト(カイロおよびその郊外)

シリア(ダマスカス、ボスラ)

ヨルダン(アンマン、ジェラシュ)

トルコ(アンカラ&おまけ) 















エジプト

エジプトはアフリカですが、文化圏としては中東として考えた方がわかり易いです。
今回の3ヶ国の中では最初に訪れたところです。


カイロ

エジプトの首都。人口は推定1600万超。人と車があふれかえった活気のある街。
緯度は日本の種子島あたりに相当するが、地中海性気候のため気温は高い。
11月だったが、日中は30度まで上がる。ただし日陰は心地よく、朝晩はかなり
涼しい。
街の中心にナイル川が流れている。宿泊したラムセス・ヒルトンの部屋からの眺め
すばらしいものだった。
街の印象はとにかく騒々しいということ。車が多くて運転手のマナーは最低である。
信号無視は当たり前、横断歩道はほとんど無いので適当なところを選んで渡るのだが、
命がけである。人が通るからといって車の方が止まったりスピードを緩めるということが無い。
また、ちょっとした事ですぐにクラクションを鳴らすのでうるさくってしょうがない。
走っている車は相当に古いものがほとんど。昭和30年から40年代物が当たり前に走って
いるが、やはり壊れやすくてよく路上で止まってしまい、修理している光景を見かける。
人々は議論好きなのか、路上でよく大声で言い合っている。
治安については例のルクソールの銃撃事件以来政府はかなり神経質になってテロに対して
対策をとっているためか割合に保たれている印象だ。
少なくとも他のアフリカ諸国に比べれば良いと思われる。
とはいっても日本人をはじめとしてあの事件以来観光客が激減しているという。
職業がら入手した医療事情についてもコメントすれば、カイロにはかなり高度な医療が可能な
病院があり、たいていの病気は治療可能である。
薬の流通も市内の薬局にて先進国のものが購入できる。
ただし、有名な先生にかかるにはかなりのお金を支払う必要があり、入院すれば
これまた検査のたびにはもちろん、掃除のおばさんにまでチップを要求されるという。
このような習慣はエジプトに限ったものではない。
救急車に乗るときにもいわゆる「デポジット」(100エジプトポンド=約3500円程度)を要求される。
外国へ行くと日本の常識が世界の常識でないことがいろいろとわかってくる。
それからエジプトの医師はカイロでは過剰気味のようだ。
病院の給料も安くてほとんどの医師は病院勤務の後アルバイトしている。
自分のプライベートクリニックを持っている人は午前は病院、午後から自分のクリニックで遅くまで
働くというパターンが多い。大学病院の教授クラスでも夜間タクシーの運転手をしている状況である。
食べ物は代表的なエジプト料理として鳩の丸焼き、鶏や羊の焼肉、レンズ豆のスープなどがある。
これらにインドの「ナン」に似た「エイシェ」というパン、「タヒーナ」と呼ばれるゴマのペーストが
付いてくる。「ターメイヤ」というエジプト風コロッケやライスとひき肉をブドウ葉で包んだ料理
も美味であった。
アルコールはイスラム圏というお国柄、期待はできない。
敬虔なイスラム教徒はアルコールを飲まないので、店にアルコールを置いていないところも多い。
ただし、外国人が立ち寄るようなレストランにはたいていアルコールは置いてある。
ワインも国産のものがあるが、お世辞にもうまいものではなかった。ビールはいける。
仕事の後も男同士が集まって飲んでいるのは「シャーイ」と呼ばれる紅茶である。
酒も飲まずに水たばこをくゆらせながら楽しそうに長々と時間をつぶしている。
街頭将棋ならぬ街頭バックギャモンにふける集団も見受けられる。
そんな路地を通りかかれば必ず「やっていかないか」といった仕草で屈託無く手招きされる。
旅の楽しみの一つにカジノがある。エジプトでは公認されている。
ラムセス・ヒルトンのカジノは規模は大きくないが本格的なもので、ルーレットの形式は
「00」が存在するアメリカンスタイルである。
ディーラーのベットストップもボールを回してからしばらく時間があり、十分に読みと駆け引きが
可能であり客に不利は無い。ディーラーの腕も完璧である。
ここでの最大の「お客様」は白い服のアラブの大富豪さまでその掛け金は半端ではない。
その間隙を縫ってうまく賭ければ小額で遊ぶ我々にも勝機が生まれる。
とは言っても本当の大富豪は奥のテーブルを一人で貸し切ってミニマム100$という
とんでもないレート(チップ1枚が100$)で大量のチップを賭けまくっていた。

カイロ郊外

エジプトといえばやはりピラミッドということで金曜日(イスラム暦では休日)に1日観光した。
カイロから車で約1時間半の所に「サッカラ=SAQQARA」がある。
ここのピラミッドは世界最古のジェセル王の階段状ピラミッドである。
サッカラから約40分「ギザ=GIZA」へ到着。
ここにはクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つの有名なピラミッドがある。
エジプトへきた観光客なら必ず立ち寄る所である。
ピラミッドの感想としては車から遠くに初めて見えたときが一番感動したが、なぜか近づくと
確かに大きいのだが感動はそれほどでもなかった。
スフィンクスに至っては歩いていて急に視界に入ってきても想像していたよりも小さくて
何だか拍子抜けしてしまった。ガイドブックなどで見るスフィンクスは撮った角度やカメラの
レンズの錯覚からか、カフラー王のピラミッドにも匹敵するくらい大きく見える。
その為かあまり写真を撮る気になれなかった。 神社の狛犬といったところ。
ただ作られた時代を考えるといずれもとてつもない人工造形であることは理解できる。
ピラミッドはやや距離をおいて眺めるのが良いだろう。
休憩に立ち寄ったメナハウスオベロイというホテルはロケーションが最高でそこのラウンジから
見えるクフ王のピラミッドの光景はすばらしかった。
こんな所でひねもすゆったりとできれば最高でしょう。


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 シリア

2番目に訪問したのがシリアである。
シリアは北にトルコ、西にレバノン、南西にイスラエル、南にヨルダン、東にイラクに囲まれた
面積18.5万平方メートル、人口1300万人の国である。
首都はダマスカス。90%がアラブ人で90%がイスラム教、10%はキリスト教である。
国内には至る所に遺跡が存在し文明の歴史は紀元前3000年までさかのぼる。

ダマスカス

市内から望む西の山は茶色く土が露出していかにも我々がイメージする”中東”を思わせるが、
実際にはこのダマスカスは草原地帯の中にある都市である。
北緯は日本の福岡あたりの緯度に相当する。
市内はカイロと比べると人口が少ないせいか車も少なく、穏やかな印象である。
走っている車も比較的新しいものが多い。(カイロがひどすぎるのか)
人々も穏やかな印象で、街を歩いていても怖いということはない。
実際ここに住んでいる現地スタッフの情報では強盗、すり、ひったくりといった犯罪はまず
ないという。これもイスラムの教えのせいだろうか治安は良い。
おまけ ・・・ダマスカスの夜景
ただし、ここも中東の国であり、まわりに敵対する国が多いことから常にある程度の緊張感は
存在する。特に情報に関する所は厳しく統制されているようだ。
特にこのところシリア北部のクルド人居住区域は紛争の中心地域になっている。
この国ではインターネットのプロバイダーも公認されていない。
街に私服の国家警察がたくさんいるという話であるがもちろん誰がそうであるかはわからない。
電話やFAXもよく盗聴されているようでそういう意味では精神的ストレスが問題になる。
また、娯楽が少ないのもストレスの原因になる。ゴルフやテニスといったスポーツ施設が不充分
(少なくともダマスカス近郊にはない)である。
何でもそろうショッピングセンターあるいはデパートのようなものも充実していないようだ。
シリア人のわれわれ日本人に対する好感度は高いようだ。
日本人はまじめで勤勉でありここシリアでも信頼されている。
金払いが良く、商売もあまり露骨にあくどい事をしないのも好感につながっているのではないか。
 
医療水準は一部の病院においては非常に高く、設備も驚くほどに充実している。
今回訪問したダマスカス市内の「シャーミー病院」などは日本の病院と比較しても劣らない。
もっともこれらの病院は全て私立の病院であり、料金も高額でかかれるのは政府高官や金持ち、
各国の現地駐在員といったところである。

名物! 「アレッポのオリーブ石鹸」


ボスラ


ボスラ(Bosra)はシリア南部ヨルダンの国境近くにある町である。
ここはダマスカスから100kmしか離れていないが独特の文化、生活様式を持つ。
宗教もイスラム教のドルーズ派という一派である。
ローマ帝国時代は州都であり、今でも当時の遺跡がしっかりと残されている。
この土地に入ると町全体が中東の白い雰囲気とは違って黒い感じがする。これはこのあたりが
かつて火山地帯で黒い玄武岩が多いためである。
この遺跡のある町は観光地であるが観光客も少なく、ひっそりと落ち着いている。
「シタデル」と呼ばれる城壁の中に入ると本当に静かな遺跡が広がる。
廃墟といってもそこは2000年の昔の遺跡である。そんなりっぱな遺跡の中に住民は住みついて
いて、我が物顔に生活している。そんなところもシリアらしい素朴さと言って良いだろう。
ここのローマ劇場は石作りの大きなもので現在もコンサートなどに使用している。
我々が行った時にはダマスカスの陸軍軍楽隊がコンサートのリハーサルをやっていた。
シリアの国営放送のTVも来ていて撮影していた。
音響効果は2000年前に作られたとは思えないほどすばらしいものだった。




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トルコ

最後に訪問した国がトルコである。
実は私は94年の12月に観光ツアーで一度訪れているので今回2度目の訪問になる。
今回は訪れる事ができなかったが、やはりトルコといえばイスタンブールのバザールと
カッパドキアでしょうか。
ツアーではいずれも必ず観光ポイントとして入ってることでしょう。
94年にスライドとして残した写真がありますのでここにご紹介いたします。
  94年12月 カッパドキア
もちろんこの他にもパムッカレやイズミルなど見所はたくさんあります。
トルコもシリア同様近隣諸国との関係が非常に悪く、国境付近は常に緊張しています。
特にこのところのクルド人問題で国際的にも注目されています。
シリアと違う所は日本人の観光客が多いという事である。有名な遺跡や前述の観光地
も多く、見所満載であり、日本から直行便も運行している。また、トルコ料理も有名である。
日本人観光客がよく行く所の治安は問題ないというのが今までの通例だったが、先日も
イスタンブールで大規模なデモや暴動が起こっており今後は注意が必要である。
今回訪問したアンカラはトルコの首都である。イスタンブールが文化と経済の都である
のに対してこのアンカラはトルコの中心に位置し、政治の中心地である。
しかし、イスタンブールほど見所はないために一般の観光ツアーではカッパドキアなどへの
足場になっている程度である。
アタチュルク廟とアナトリア文明博物館が見所と言う事になる。
建国の父、アタチュルクがここアンカラへ首都を移して75年という事で町中いたるところに
75の数字が目立つ。→アンカラの写真集
ここは内陸地であるので海の魚類はほとんどお目にかかれない。とは言ってもこのところの
交通網の発達でいくつかの魚料理店も存在する。
トルコの料理といえば「ケバブ料理」が主である。地元の人が主に行くような本格的なケバブ
料理店はアルコールを置いていない。イスラム圏の人たちは酒も飲まずに本当に楽しそうに
食事をする。食事の後もチャイと呼ばれる甘い紅茶でこれまた長々と楽しんでいる。
医療事情はこのあたりの国の中ではかなり進んでいる。イスタンブールやアンカラなどの
都市には私立の立派な病院が存在する。これらの病院のレベルは日本と大差ない。
トルコは少し前まで暖房は各家で石炭などを燃やしてた。そのために冬場は空気が悪かった。
最近、ようやく都市ガスが普及して大気汚染も緩和されたとの事。

以上で中東の報告を終わります。

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