北こぶし

 白井暢明のエッセーのページ     トップページへ戻る

 このページでは、私がかつて「北海タイムス」(平成10年に倒産)のエッセー「北こぶし」欄に掲載したエッセーを中心に、二冊の私の著書から抜粋したもの,そして新しいエッセーも紹介します。かつて,毎月「北こぶし」に掲載するために、ごく限られた字数の中で凝集され、完成されたた言葉の世界を創りだす苦労と喜びを愉しんでいましたが、これは私の文章表現力の大きな訓練になりました。北海タイムス社が倒産したため、この「北こぶし」欄も消滅し、エッセーを書く機会も失われました。今になってまた折に触れてエッセーを書き溜めてゆき、このHPを発表の場にしようと考えました。ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
                                                                                                                        

タイトル一覧
  ”動物愛護”とは?−異文化交流の悲(喜)劇(平19
自称”フェミニスト”のジョーク(平19)   宗教曲に寄せて(平18)
「北斗の海」に寄せて(平17)   ブラバンのゾウオロジー(動物学)(平16)
くたばれ!”北国のハンディ”神話(平16)   スローの時代(平成15)
効率優先を超えて(平成14)   レクイエム(平成13)
同時多発テロ(平成13)   音楽と超能力(平成12)
カリスマ指揮者(平成11)   楽器の心理学的考察(平成10)
真夏の夜の夢灯り(平成10)   「絶対音感神話」(平成10)
炭都,栄華の跡(平成10)   道草(平成10)
収縮する世界(平成10)   東京には住めない!(平成10)
長野で躍る北海道(平成10)   北海道の「あの世」(平成10)
経済という名の妖怪(平成10)   コンサートの前と後(平成9)
香りの文化(平成9)   ブラスはプラス?(平成9)
地図の愉しみ(平成9)   いとおしい夏の終り(平成9)
プロースト(乾杯)!(平成9)   ソーラン節変奏曲(平成9)
早すぎる黄金週間(平成9)   歩く動物(平成9)
「学校U」の生徒たち(平成9)   「市民」ってなに?(平成9)
寝正月とテレビ批評(平成9)   それぞれの聖夜(平成8)
日本の中の異国(平成8)   女子団員増加の社会学的考察(平成8)
エンヤの宇宙的音楽(平成8)   ドイツ語は高専の・・・(平成8)
道民禁止用語のススメ(平成8)   森と神々の破壊ーアニミズム世界の喪失(平成8)
ドサンコの空間感覚ー25km離れた隣人(平成8)   ボーイズ・ビー・アンビシャスの美しき誤解(平成8)
コミュニティとしての食文化ー飲酒の社会学(平成8)   「わび」「さび」の美学と北海道ーたかが蛙一匹?(平成4)
弁証法的ラーメン<分化>批判(平成4)   宗教的感性と知性
宗教・芸術・性を結ぶものー「エクスタシー」(平成4)   風土と芸術,「光」と「陰」ー北の自然と絵画(平成4)
「北方」の叙情ー灰色の海とシュトルム,伊藤整(平成4)        「北方」の憂愁とロマンチシズムー北の音楽家たち(平成4)  


         動物愛護とは?―異文化交流の悲(喜)劇(平成19年3月、名寄市立大学教職員組合機関紙「ほくと」26号掲載)

 私にはヴィヴィアーナというドイツ人の友人がいます。彼女はオペラ歌手ですが、大変な“動物愛護”家でもあります。もう10年以上も前のことですが、旭川でのリサイタルのために来日した彼女のために打ち上げパーティをやることになりました。その幹事になった私はなじみの料亭の親父に、今日は特別のお客なので、飛び切り上等の日本料理を用意しておくように頼んでおきました。
 さて、彼女より先に料亭に着いた私は、すでにテーブルに並べられている料理を見て真っ青になりました。あろうことか、“ヒラメの活きづくり”ではありませんか。箸をつけようとすると口を開け、尾ひれを振るわせる“活きの良さ”(欧米的には“残酷さ”)です。
 一瞬、動物愛護家ヴィヴィアーナの驚愕する顔を思い浮かべ、当惑した私は次の瞬間、信じられない行動に出ました。なんと、箸でヒラメを“殺し”にかかったのです。必死の形相でヒラメと格闘する私の眼は血走り、きっと“寄り目”になっていたことでしょう(相手がヒラメだけに)。
 さて、珍妙な格闘の末、やっとヒラメが成仏(?)しておとなしくなってくれた頃に彼女がやってきました。私の隣で美味しそうにヒラメを口に運ぶ彼女の姿を横目で見ながら、私はヒラメが奇跡の“復活”を遂げないことをただひたすら祈るのみでした。レクイエム!
 ところで、この時の私の行動は“動物愛護”といったいどんな関係にあるのでしょうか。



            自称“フェミニスト”のジョーク(平成19年3月、名寄市立大学教職員組合機関紙「ほくと」25号掲載)
 私の前の職場(高専)はまさに“男社会”そのものでした。学生の男女比は8:2、そしてそれよりも凄いのは、教員の男女比55:5です。それに比べてこの職場は学生の男女比は逆転し、特に教員構成はまさに理想的な“男女共同参画社会”のように見えます。
 はっきり言って私はフェミニストです。「単なる女好きなだけ」という友人もいますが、確かに、どちらかといえば男よりは女の方が好きです。でもそういう問題ではありません。
 まじめな話、どんな組織でも男女のバランスが悪いとろくなことになりません。前の職場でそれを痛感しました。日本を「美しい国」にするには、政財官のリーダーにもっと女性を増やすことです。決して「美しい」とは言えない安倍政権では無理でしょう。
 日本にはまだまだ“男中心”感覚から抜け出せない男が多いようです。結婚前は優しかったのに、結婚後は冷たくなったと妻に言われて、「釣った魚にエサをやるバカはいない」などと居直る男もいるようです。でもその時は次のように言い返してやりましょう、「あら、どっちがバカかしら。私なら、飼っているブタにもエサぐらいはあげるわ」と。



     宗教曲に寄せて(平成18年11月18日大雪山麓男声合唱団演奏会プログラム掲載)
 ひとはなぜ美を追い求めるのか。プラトンに倣えば、かつてひとが身近に知っていた美そのもののイデア(原型)へのアナムネーシス(回想)がそうさせるのかもしれない。しかしいま、ひとはみな文明によって創作された俗の世界に生きている。聖なる自然から切り離され、管理され、そして世俗の因習やタブーに呪縛されながら….。俗なる空間に純なる美、美のイデアは存在しない。そこで人は、折にふれ、また周期的に日常(ケ)から非日常(ハレ)の世界へ、俗なる空間から聖なる空間へと跳び出そうとする。それはひと本来の“生の充足感”への渇望、つまりエロス的な営みでもあるのだ。
 芸術、宗教、そして性愛の領域はみなこのエロス的な営みの世界に属している。一見、それらがいかに異質で敵対的なものと映じようとも、これらはみな、その根底ではある共通の糸でつながっているのだ。それこそ、究極の到達目標としてのエクスタシーに他ならない。外なる世界や他者の中に自らが溶け込み、一体化し、そして自らの存在が消滅して無となるその瞬間に、ひとはエクスタシー(忘我、恍惚、法悦、至福)に達する。しかも、この境地に到達する途上で、ひとはなにがしかの苦難と忍耐を経なければならない。苦しみ(緊張)が喜び(開放、快感)を更に高揚させるために。
 キリスト教の礼拝に端を発するアカペラ宗教合唱曲は、まさにエクスタシーを志向する音楽美と宗教的感性の究極の合体であり、あらゆる俗的な装飾や演出の彼方に、合唱美のイデア、聖なる花園を用意している。16世紀バロックから現代、そしてドイツ、フランスからアメリカまで、今宵取り上げる作品を生み出した時空の隔たりは巨大である。しかし、その拡がりをもなお超越して、これら珠玉の作品たちは合唱美の真髄を永遠なるイデアとして継承し、保持し続けているのである。


     「北斗の海」に寄せて  (平成17年11月グリーフェスタ・プログラム掲載)         
 タダタケ(多田武)・ワールド、それはひとたび禁女の園、男声合唱の世界に足を踏み入れた全ての者を魅了してやまない楽園、しかも逃れがたい魔力に満ちた花園である。しばしこの楽園を抜け出して、異世界を彷徨してはみるものの、生まれ育った川に昇り還る鮭のように、人もまた、懐かしくも妖しい花園の香りに誘(いざな)われて、いつしかそこに還ってゆく。そこで男たちは年齢と肩書きの衣を脱ぎ捨て、天真爛漫なわらべと化して永遠の花園に身を委ねる。そう、タダタケこそ、もはや男声合唱を愛する者のアイデンティティそのものなのだ。男心をくすぐる叙情あり、泣かせるハモリあり、そして至るところに散りばめられた甘く切ない多田ブシに、限りなく男たちはシビレる。
 ベーリング海の非情の海鳴りに始まる草野心平の詩は、抽象化された北辺の海をファンタジックに描き出す。ちっぽけな人間の存在や薄っぺらな叙情を拒絶する自然の厳しさと荘厳さをたたえた海。波はよせ、波は返し、うねり、そしてゆらぎ、万古の彼方から海を巡って繰り広げられる時空を超えた永劫の営みは、生と死を超越し、包み込み、世の中の悪や悲しみをも飲み込んでしまう。そして深く、暗い海底は、微塵となって堆積した千尋の重みを支えているのだ。
 多田はこの想像力豊かな詩に、巧みに旋律と和声の衣装をまとわせる事によって、より豊穣なファンタジーの世界を創り上げる。時に激しく、時に切なく、また流麗に、音と時間の起伏が華麗に曲を組み立てて行く。そして終曲に至ると場面が一転する。それまで抽象的な空間をさまよっていた言葉の束が一つの具体的な風景に向けてくっきりと焦点を結ぶ。そこに浮かび上がるのはエリモ岬の風景、心安らぐ故郷の風景への回帰だ。なんと鮮やかな言葉と音のカメラワーク、場面転換であろうか。
 抽象から具象へ、モノトーンの世界から彩色豊かな風景へと開放された者たちの情念が、ここで一気に燃え上がる。男たちの歌声は熱い調べとなって天空に響き、燃え上がる情念は遥かなる空間の彼方へと放出され、風景の中に溶け込んでゆく。セピア色の丘のはずれに立つ純白の灯台、その果てにしぶきを上げる岸壁の茫漠たる風景、そして、その向こうに広がるウルトラメールの深い海へと。


     ブラバンのゾウオロジー(動物学)(平成16年11月旭川高専吹奏楽団第22回定演プロ掲載)
 2004年の暑い夏、北海道は燃え、そして輝いた。駒大苫小牧高の甲子園制覇に日ハム、新庄の大活躍、きわめつけはわが旭山動物園の入場者数日本一である。ところで動物園といえば、わがブラバンの風景もどこか動物園に似ている。といっても、部員たちの顔や体型のことではない。オリ(部室)周辺のあちこちからいつも聞こえる野生の叫び声や音、そしてほのかに漂うバラエティ豊かなニオイ(?)....。中にはここでしか見られない珍獣もいる。勿論、飼育係(指揮者)に従順なのはエサ(成績評価)をやるときだけだ。
 実は、旭山動物園を日本一にした秘策は、動物たちの”見せ方”にある。だからわがブラバンもこれからは”見せ”なくてはならない、そう、素顔の彼らが見せる赤裸々な”生態”を。
 ところで、動物を楽器にたとえるなら、ひょうきん者のペンギンはフルートやクラリネットだろうか。いつも目立つところにいて、なんとなく気取っているところも似ている。でも女子が多いので、旭山のペンギン館のように下から見上げてもらうわけには行かないだろう。いま人気のアザラシはサックス・グループだ。旭山のアザラシは円柱水槽での可憐な立ち泳ぎ姿が人気を呼んでいる。そこでわがサックス嬢たちにもスタンドプレイで客席を歩きまわり、自慢のスタイルで視覚的に観客を魅了してもらおう。マイペースで動きのスローなオランウータンはユーホニウム、チューバ。わりと偏差値が高い彼らは、ちょっぴり気むすかしく、高いところに登って下界を見下ろすのが好きだ。でもあまり油断していると成績まで”綱渡り”になりかねない。
 ライオンやトラはやはりトロンボーン、ホルンだろう。ただし、吼えるのだけは得意だが、その風格たるや百獣の王というよりは、むしろドラ猫に近い。サル山の賑わいはトランペット群、それぞれが個性的で出す音も皆違う。そして、時々胸をドラミングして相手を威嚇するゴリラは勿論パーカッション、たまに派手なパフォーマンスで観客を喜ばせることもあるが、ヒマな時(授業中!)はほとんど寝ているヤツもいる。
 さて、妙なるサウンドに飽きた聴衆の皆さん、今宵はこんな多彩なわがブラバンの動物、いや部員たちの素顔と生態をたっぷりと見てやってください。尚本日に限り、好きなだけエサ(拍手)を与えることを解禁とします。




                       くたばれ!”北国のハンディ”神話  
 暑い夏の終わりとともに、「北国のハンディ」という語がもはや死語となった。駒大苫小牧高校の球児たちは、真の実力に裏打ちされた堂々たる戦いぶりであれよあれよという間に夏の甲子園を制覇して全道民を熱狂させ、同時に、これまで北海道人の口ぐせだったこのモットーをあっさりと葬り去ったのだ。
 メンバーの全員がドサンコであるという彼らの戦いぶりはまさにドサンコの鏡。姑息な術策を弄することなく、真っ向から力で勝負し、何度でも打たれたら打ち返す....、こんなさわやかな高校野球を今まで見たことがあっただろうか。これぞ野球、いやスポーツの原点だ。たとえ瞬間的ではあれ、ドサンコのアイデンティティを頂点にまで燃え上がらせたこの頼もしい若者たちに拍手喝さいを送りたい。
 思えば、これまで北海道の政財官の人々が、いかにこの「北国のハンディ」に寄りかかってきたことか。「北海道は”歴史が浅く”、”ながーい厳寒の冬に閉じ込められ”、”移動効率が悪く、管理しきれない広大な土地に住み”、”日本の中央からはるか遠隔の地にある”のだから、国から厚い保護を受けて当然なのだ」という、まさに居直り的セリフを隠れ蓑にしながら、これまで私たち道民は自立への努力をサボタージュしてきたのではないか。
 でももうこれからは、口が裂けてもこんな情けないセリフを口にしたくはない。ドサンコたちよ、「自分たちには自立できる十分な実力があるのだ!」、「保護などいらない、自由と権利をよこせ!」と胸をはって言おう。
 ところで、北海道の実力を示したのはなにも駒苫球児に限ったことではない。わが旭山動物園は、入場者数で年間10万人を超え、なんと上野動物園を抜いて日本一になった。この快挙こそ、実はわが北海道が中央(国、東京)と勝負する際の戦略がどうあるべきかを教えてくれる格好の教科書なのだ。キーワードはカネでもなく物量でもない。それは体力と気力、そしてなによりも知力(アイディア)である。ドサンコたちよ、逞しいカラダとアタマをフルに駆使して、今や瀕死の状態にあえぐ中央文化、東京神話に最期のトドメを刺そうはないか。




スローの「時代(平成15年11月旭川高専吹奏楽団第21回定演プロ掲載)

 老若男女,洋の東西を問わず,人間は音楽が好きだ。ジャンルによる好みの違いはあるにせよ,音楽そのものが嫌いだという人をほとんど見たことが無い。それほど音楽は人間が作り出した文化の中でも最高の傑作だろう(第二位はお笑い,コメディ)。とはいえ,世代によって音楽に関する嗜好や能力は大きく変わってくる。その最たるものがリズム感である。
 いまどきの若者たちが好む音楽はほとんどが16ビート,それもシンコペーションを多用した複雑なものだ。楽譜にはやたらに16分音符と16分休符が不規則に並んでいる。これにはいかに人生経験豊かなおじさん,おばさんといえどもとてもついてゆけない。彼らの身体の中にはもともと4拍子(ズンタッタッタ)のリズムしかないからだ。3拍子もダメ(日本民族の伝統)。だからワルツもせいぜいズンタッタの“芸者ワルツ”(私が子供の頃はやっていた流行歌)にしかならない。ちなみに,私の経験からして,リズム感のワースト・ワンは“インテリ”の中・高年男性だろう。悲しいかな彼らは頭でリズムを理解しようとする。わが学説によればリズム感の中枢は頭ではなく下半身にある。
 そこで問題だが,今の若者たちは高齢者になってもまだこのままなのだろうか。70―80歳のおじいちゃん,おばあちゃんが手を叩き,腰をくねらせて16ビートに乗っている風景などなかなか想像しにくいし,見たくもない。身体衛生上も良くないだろう。やっぱりスローな音楽(ゆったりと流れる時間)が似合う。なにも自らの“残り少ない時間”を細かく切り刻み,“ゴール”(=エクスタシー=昇天=?)に向かって突進する必要はないのだ。
 ところで,年齢的には十分高齢者の部類に入る私だが,指揮者という手前もあってリズム感にはまだ自信がある。16ビートや複雑なシンコペーション,今はやりの変拍子もOKだ。でも正直言って,最近どうもスローな音楽のほうが快い。やはり歳のせいか?いやいや,これは私の哲学であり,時代の要請である,としておこう。スロー・フード,スロー・ライフ,そしてスロー・ミュージック万歳!





効率優先を超えて(平成14年1月1日,北海道新聞掲載))
 この5年足らずの間に太平洋を挟んで起こった二つのホロコースト(大虐殺,火事による大災害),つまり,阪神淡路大震災と同時多発テロはともに,人間がこの地上に築き上げた文明とその象徴,大都会が持つ本質的な虚弱さを強烈に私たちの眼に焼き付けた。マンハッタン島に聳え立つ摩天楼も所詮は「バベルの塔」に過ぎなかったのだ。
 近代文明は合理主義と効率性をぎりぎりまで追求した結果として,実は災害や犯罪の側から最も“効率よく”破壊することができる脆弱な文明装置(都市)を創造したのである。”効率”は”密集”を育て,密集は大災害を生む。この密集はまた,人々のこころをも狭い空間(不安)の中に閉じ込めることによって,人々からソウゾウ力(創造力と想像力)までも奪っているのだ。こうした効率とモノ優先の文明はもはや終末に瀕している。
 旭川から車で稚内まで,270キロの旅は,密集文明とは対極的な別世界に抱擁される至福のひと時である。渋滞の無い広々とした舗装道路を快適に飛ばし,のどかな田園地帯を進む。士別,そして名寄を過ぎ,車が美深町を過ぎると,急に周囲の風景が一変し,まるで異文化世界へ入り込んだように心の躍動感をお覚える。それまで平面でやや退屈な空間に慣れた眼に,美瑛の丘のような起伏とうねり,羊や牛が丘の斜面で草を食む牧歌的な光景が新鮮に映る。そこで初めて,旅人は今まで続いていた水田がなくなっていることに気付く。そう,この辺が稲作の北限,ここからな”北海道の風景”が始まるのだ。これはまさに風景と文化の交替のドラマ,自然による華麗な舞台転換のわざである。
 稚内に近づくと,そこには漁業,つまり北海道の原文化である狩猟・採集文化の匂いが漂い始める。道北の空間はかくも多様な文化のパノラマなのだ。その向こうに広がるオホーツク文化圏,日本海・沿海州文化圏の一部をなし,太古から営まれた壮大な文化交流の歴史とロマンの舞台である。これぞ「フロンティア」。フロンティアとは“辺境”であるが,“さいはて”ではない。そこは新たな世界,未知の文化圏へと繋がる接点,入り口なのだ。
 幸いにもここには群集が蠢き,人工物が密集する都会的空間は存在しない。旭川の北側でほぼ東西に線を引くと,そこから北に突き出た部分の面積が,首都圏(東京,横浜,千葉,埼玉)とちょうど同じ広さになる。そこになんと日本の人口の25%,3,300万人が住んでいる首都圏に対して,こちらの住人は22万の人とそれ以上の牛・羊のみ。つまり首都圏に比べて一人当たり150倍の広さの土地を生活圏として享受していることになる。この広さこそがこころの開放と創造性をもたらす。まさに”過疎”も財産の一つなのだ。
 補助金でムダなモノを造り,この比類の無い風景を損なうことは自殺行為となるだろう。21世紀の楽園,北海道が築くべきものは,IT,バイオ,環境(リサイクル,省エネ),食糧,観光などのソフト産業を基幹産業とし,そして自然,芸術,コミュニティ(豊かさの三点セット)に支えられた新時代の“ライフスタイル”である。
 こうして,この”日本離れした”空間と風景,21世紀型ライフスタイルはやがて外からの訪問者を魅了し,黙っていてもヒトと金がこの北の大地に降ってくるに違いない。これぞまさに北の“フロンティア”,“楽園”創造の始まりである。



レクイエム(平成13年11月,旭川高専吹奏楽団第19回定演プロ掲載)
 音楽は平和の使者である。本当に音楽が戦争と無関係であるかどうかはともかく(特に吹奏楽は灰色である),音楽はまるで魔術師のように,国や民族を隔てる強固な壁を一瞬にして消してしまう。五線譜という西欧中世修道士たちの大発明によって,いまや世界中の音楽が世界中の人々の共有財産になった。楽譜さえあればいつでも,どこでも,誰でも演奏や合奏ができる。そして,時間・空間を隔てた人々同士が瞬時に共感し合い,ハッピーになり,一体となることができる。こんな素晴らしいものが他にあるだろうか。いま私がアイリッシュ・ミュージック,つまりケルト音楽にはまっているように,自分とは歴史も文化も全く異なった世界のエスニックな音楽にさえ,私たちは心の底のどこかで郷愁を感じ,感動することができる。これもユングの言う「集合的無意識」,「元型」のゆえだろうか。つまり,悠久の大昔から,全人類の心と感性は一本の糸でつながっているのだ。宗教の違いはしばしば(というより常に)戦争になるが,これまで音楽の違いをめぐって戦争になったという話は聞いたことが無い。
 いま世の中で起こっている悲惨なできごとが示しているように,現実の世界は決して平和でも平等でも自由でもない。貧困と飢餓,戦争の中で多くの人々が,平和の使者である音楽を愉しむどころか飢えに苦しみ,安眠の場すら失っている。コンビニで買い込んだ好きな食品をたらふく食べ,高価な楽器を使って音楽を好きなだけ愉しみ,そして教室という戦場さえも“安眠の場”にしてしまう幸せな学生諸君よ,この世界の厳しい現実を決して忘れることなかれ。そして今夜の聴衆の皆様にも,心を尽くして,しばしの(永遠のではなく)安息(眠り?)を与えたまえ。レクイエム。




同時多発テロ(平成13年10月,「北方ジャーナル」11月号掲載)
 マンハッタン島に聳え立っていた二つの巨大な塔(世界貿易センター)は,まさに物質的繁栄とアメリカを中心とする西欧先進国文明の勝利の象徴であった。しかし,これは“世界”文明の象徴ではなかったことを我々は思い知るべきである。全能なる神への絶対的帰依と人間の謙虚さを尊ぶイスラム世界から見れば,これはまさに,尊大で奇怪で虚飾に満ちた姿をさらすものであり,文字通りの“バベルの塔”(旧約聖書,創世記11章)に見えたことであろう。神の領域をも犯そうとするこうした人間の驕りとそれを支える悪魔の国,アメリカに対して,「我々は神の裁きを代行したのだ」とテロリストたちは言うだろう。
 科学技術を高度に発展させることによって自然を,そして世界を支配したと思い込んだ欧米キリスト教世界(及び彼等の友達と思い込んでいる日本)の人々は,人間が地上に作り上げた文明の本質的なもろさと虚弱さを忘れてしまった。たった十数人の犯罪者の手で,そしてまさに一瞬のうちに,なんとあの阪神大震災を上回る人々の命とともに巨大な文明の象徴が地上から消滅した。この信じがたい映像を前にしてにアメリカ人の心は凍りつき,致命的な傷を負った。近代文明は合理主義と効率性をぎりぎりまで追求した結果として,災害や犯罪の側からも最も“効率よく”破壊することのできる文明装置(都市)を作り上
げたのである。
 今回犠牲になった罪の無い多数の犠牲者の方々に対しては心からの追悼の意を表したい。狂信的テロリストたちによるこの未曾有の犯罪は断じて許されない。本質的に絶対的価値を求める宗教,信抑であっても,それが社会的存在である限り,人権を踏みにじる反社会的行為は許されない。もしビンラーディンが首謀者であるとすれば,彼は世界の法廷で厳しく裁かれるべきである。また大部分のイスラム教徒も含めて,世界の人々の価値観は,こうしたテロリズムが断じて許されないものであり,その根絶が目指されなければならないということであるはずだ。しかし,戦争や武力による解決が唯一の方法ではないどころか,この方法は問題を更に深くするものである。
 ところで,今世界の関心が集まっているのはアメリカの“復讐”攻撃がいつ,どのような形で始まるかということであろう。確かに,いわれなく,しかも無残な形で愛する者の命を奪われた人々の恨みと悲しみ,そして怒りは“復讐”をもってしか癒されないかも知れない。しかし,いかに心理学的な正当性があろうとも,「復讐」は「野蛮」の行為であり,法治国家,国家文明国家を自称する国々が否定してきたものである。従って,いまだに壮大なる復襲劇「忠臣蔵」が愛される国ではあっても,いやしくも法治国家で平和を国是とする日本は間違ってもアメリカの「復讐」に荷担してはならない。このような時にこそ日本が世界に貢献し得る最良の方法は外交的努力と人的・経済的援助である。なぜ,まだ日本を友人と考えている中東アラブ諸国に大量の外交官を送り,テロリズム根絶のための方法について互いに語り合い,合意を得ようとしないのか。このうちこれまで日本がやってきたことは経済援助だけである。おまけに今度は軍事的支援という余計なことまでやろうとしている。アメリカのご機嫌ばかり気にする卑屈な日本外交にはあきれたものだ。
 ところで,長期的視野と危機管理意識がほとんどない珍しい先進国,わが日本にとって,今回の事件はまさに日本全体の生命と安全に関わる深刻な問題を突きつけているというのに,平和ボケしたわが国の政財界もマスコミも全くこの問題を取り上げていない。それは勿論,食料・エネルギーの安全供給,危機管理の問題である。この事件で数日間であったとはいえ,特にアメリカからの日本への食料,物財の輸入が完全にストップした時間があった。この状態がもし数ヶ月,数年続いたらどうなるのだろうか。災害(天変地異)や事件(紛争,戦争)はいつでも起こり得る。エネルギー資源のほとんどを湾岸諸国からの石油輸入に,そして食料の6割以上を輸入に頼っている“油上の楼閣”日本にとって,今回の事態は危機管理上深刻な問題を提起している。一刻も早く,石油依存の構造的体質を変えること,食料自給への対策を講じなければならない。それなのに,将来のこと,根本的治療は先延ばしにして,とにかく対症療法だけを考えることしかない日本の政治は一体何なのか。
 東京に集中した日本中枢の“頭脳”(政官財エリート,マスコミ)は,アメリカ追従・模倣の政治姿勢,目先のことや財布の中身のことしか考えない体質にすっかり汚染され,もはや脳死状態に陥っている。こんな状態で構造改革などできようはずはない。我々は今こそ独自の道を歩みださなければならない。もし日本国にそれが期待できないなら(今回のことでこれが仮定法ではないことがわかったはずだ),北海道は独立して新しい国づくりを始めるほかはない。この北の大地には,少なくとも飢え死にしないだけの食料と,一瞬にして崩壊したり,焼失したりすることのない健全な空間があるのだから。




音楽と超能力(平成12年11月,旭川高専吹奏楽団第18回定演プロ掲載)
 音楽に関わっているとよく不思議なことに突き当たる。例えば、人間はなぜ思った通りの音を出せるのだろうか。一見つまらないことのように見えるが、これが不思議なのである。鼻歌でも口笛でも、まず頭の中にある高さの音を思い浮かべ、そして普通の人ならすぐにその音をほぼ正しく出すことができる(勿論普通でない人もいるが…)。その音の正確な振動数を声帯はどうやって瞬間的にセットできるのか。こんなどうでもいいことを考え込んでいるうちに夜眠れなくなることもある。人間はみんな超能力者なのか?
 これが天才になれば、それこそケタ違いの話になる。音楽の天才といえばなんといってもモーツアルト。この天才は自由に即興演奏をし、自分がさかさまになっても自由にピアノを弾くことができたという。恐らく一度聴いた長い曲をすぐさまピアノで再現することなど朝飯前だったにちがいない。どう考えてもこれは練習量の問題ではなく、この能力は神様が与えたものと考えるしかない。そういえば、音楽は人間を神様に最も近づけてくれるものだ。その証拠にほとんどの宗教が固有の音楽を持ち、宗教儀礼の中で宗教的エクスタシーを生み出す役割を果たしている。
 また、音楽はわれわれの感情を意のままに支配できる魔力を持つ。映画やドラマに音楽はつきものだ。ロミオとジュリエットのような甘く切ない恋、そして悲しい別れの場面にタイムリーに挿入される音楽は人々のハートをかきむしり、涙腺を刺激する。しかもこの魔力は国籍を問わないのだ。これほど国際性に富んだコミュニケーション手段が他にあるだろうか。まさに音楽は大勢の人間の心を一瞬にして自由に操る「魔法の笛」だ。
 さて、一応こんな魔力を操る立場にあるわれらブラバン部員の超能力度は如何?…教室ではその痕跡すら感じられない能力を発揮するチャンスはこのステージ上以外にはない。さあ、部員諸君、会場の聴衆に魔法をかけ、思いきりそのハートをかきむしり、涙腺を刺激しようでないか!




カリスマ指揮者(平成11年11月,旭川高専吹奏楽団第17回定演プロ掲載)
 「カリスマ美容師」の間違いではない。最近変なところで有名になった「カリスマ」だが,もともと「非日常的な力」(お所有者)という意味のれっきとした学術用語である。実は指揮者こそまさにカリスマでなければならない。故カラヤン,アバド,クライバー,オザワ,みんなまるでカリスマが衣装を着たような人たちだ。
 指揮者とは不思議な存在である。練習の時はまさに専制君主。なにしろ微妙な音の強弱,テンポのゆらぎ,そして音色まで思うがままに支配してしまうのだから....。本当のカリスマは身体から放射する魔力で楽団員に催眠術をかけ,身体や表情の微細な動きだけで美しくも豊かでダイナミックな音楽的表情を引き出してしまう。だから練習でやたら怒鳴ったり,オーバー・アクションをするのは,その指揮者が偽カリスマであるか,楽団員がよほどヘタかのどちらかである。自分をカリスマに見せようと,自信たっぷりに微笑して見せても,それはカリ・スマ(つまり,仮りのスマイル,失礼!)にしかならない。
 一方,いざ本番が始まってしまえば,指揮者ほど弱い立場はない。演奏中にどんなひどいことになっても指揮者は一切音を出せないのだ。そのくせ演奏の出来具合の責任は全て指揮者が負うことになる。特にひどい演奏の場合,みじめな思いをするのは通常は最後に礼をする指揮者だけで,楽団員の方は皆「私のせいではない」と涼しい顔をしていることが多い。つまり,指揮者がハレの舞台で天国を味わうか地獄に突き落とされるかは,まさに楽団員の”ハラ一つ”にかかっているのだ。昔から「指揮者殺すに刃物はいらぬ,ちょっとテンポを外すだけ」という格言がある(かどうかは知らない)。この恐怖にいつもさらされているカリスマではない指揮者は,日頃から(教室でも)楽団員にはなるべく”恨まれない”ように気をつけなければならない。
 さて,かれこれ30年以上も合唱や吹奏楽の指揮者をやってきた私であるが,なかなかカリスマにはなれない。その結果,これまでハレの舞台では数々の天国と地獄を味わった。今宵はぜひ天国に........行かせてくださーい,皆さん。




楽器の心理学的考察(平成10年11月,旭川高専吹奏楽団第16回定演プロ掲載)
 楽器にも色々ある。ハデで見るからにかっこいい楽器もあれば,ソロウト目にはなにが面白いのかなと思うようなジミな楽器もある。いったい楽器とそれを演奏している人の性格との間には何か関係があるのだろうか。はたまた学業成績との関係は? これは学問的にも結構興味深い問題である。そこで今回は,楽器選択の心理学的考察をしてみよう。
 ハデ好きで目立ちたがり屋はトランペット,それに対してユーフォニウムを吹く人は控えめで目立たない(円満な)性格だなどとよく言われるが,これは大体当っている。トロンボーンはスライドを動かす動作がカッコいいということで,結構イイカッコしーのちょっぴり太めの男性に人気があるようだ。ホルンの特徴はその演奏の難しさとロマンチックな音色。常に遠くを見ているようで少々現実離れしたところのある人が多い。自己中心的でやや孤独の匂いがする。低音を受け持つチューバ,弦バスなどは縁の下の力持ちで目立たないが,自分がこのバンドを支えているという「自己満足」が命である。
 もともと女性が多い木管パートにはいわゆるまじめ人間が多い。ただし,オーボエとサックスは結構自己主張が強いようだ。吹奏楽の中ではパーカッションは割と地味な存在で,他にやる楽器が無いのでとりあえずと,いう場合もある。しかしポップス系の曲になると俄然その存在感を増す。ただリズム感と知性はほぼ反比例する。結局はその楽器構成と同様,バラバラという感じか。
 ところで,意外と重要な要素は楽器の大きさである。つまり,あまり大きなものを持ち運ぶのが嫌いな怠け者は,打楽器とかチューバのような楽器を好まないという説である。しかしこの法則はうちの学生に関する限り当てはまらないかも....。
 さて,楽器と成績との関係についてだが,前列(木管)から最後列(パーカッション)にゆくに従って落ちてゆく......ような気がしないでもない。つまり,「成績は音の大きさに反比例する」ということか? しかし,まあこれも単なる気のせいということにしておこう。しょせん芸術(右脳)と学力(左脳)とはもともと何の関係もないのだから。
 聴衆の皆さん,音楽に退屈したら,こんなふうに奏者の顔を眺め,色々とあらぬことを想像しながら今宵の演奏を楽しんでみてはいかがでしょうか。




真夏の夜の夢灯り(平成10年8月28日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 去る夏の夜、旭川市の中心にある常磐公園、千鳥が池一帯にロマンチックな幻想世界が出現した。池の周りに、牛乳パックのロウを流し込んで作った千個ものキャンドルが美しく配置され、灯りがともされる。
 辺りが次第に暗くなるにつれ、キャンドルの灯りはますますその輝きを増す。水面に溶け込み、滲む柔らかな灯り...。その中を一列になったカモたちの影が滑るように横切ってゆく。かすかに揺れる灯りの波がカモたちの平和のシルエットをきわだたせる。
 森の木々を隔てた隣の広場から聞こえてくる『烈夏夏祭り』の賑わい...、まさに静と動の祭りの競演だ。静の祭り、『夢灯り』の方に加わった私は、湖畔のベンチに腰を下ろし、しばしこの喩えようのない安らぎと夢幻のひとときを楽しんだ。
 実はこの時、この『夢灯り』の輪の中に、遠く広島市や静内町からの人々も加わっていた。黒田正子さんを中心とするささやかな旭川の市民グループから生まれ育った『夢灯り』は、旭川発の文化としていまや日本中に知られ、各地で様々なイベントや催しに取り入れられている。広島の青年会議所によって受け継がれた『ピースキャンドル』は、あの8月6日、原爆ドームを囲んで点灯され、人々の平和への願いを演出した。
 翌日私がコーディネーターを務めた『夢灯りサミット・フォーラム』では、更に彦根市や盛岡市の仲間たちもテレビ電話で参加し、このささやかな、しかし心温まる文化を守り育ててゆくことを確認しあった。世界中の人々の心に平和の灯がともることを願いながら。




「絶対音感」神話(平成10年7月30日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 近頃『絶対音感』なる妙な本が売れている。どうやらこの本を買っているのは子供への早期音楽教育に熱心な、しかし音楽には全くの素人である親たちらしい。
 一口に『絶対音楽』といっても、同時に聴いた複数の音全ての絶対音高が即座にわかるという高度なものから、特定の音だけはわかるという初歩的なものまで様々なレベルがある。実は、長年合唱指揮をしてきた私にも初歩的なレベルの絶対音感はある。使い慣れた音叉の姿を想像するだけでその音が聴こえてくるのだ。指揮者としては便利この上ない。
 確かに、絶対音感を持っていて便利なことは多いが、しかしそれだけのことだ。実はこの能力は『音楽的な才能』とはほとんど関係がない。また、個々の音の高さをそれこそ1ヘルツ単位で聞き分けるなどといった『超能力』もあまり意味がない。少々専門的な話になるが、ピアノの音自体が『平均律』で調律されていて、和声的には(純正律的には)不純な音から成り立っているからだ。鋭い音感というのは、むしろある音を規準にそれと完全に調和する音程(和音)を聴き分ける感覚、つまり『相対音感』なのである。
 更に、音楽の本質は連続性、つまり個々の独立した音ではなくて旋律やフレーズにある。だから、人を感動させる豊かな『音楽性』とは、むしろこの旋律やフレーズをどう表現するか、つまり相対的な音の関係や音の連続性の捉え方にかかわる才能なのだ。なんでもそうだが、大切なのは点ではなくて線、そして『絶対』ではなくて『相対』的な価値。そもそも『絶対』と名のつくものにろくなものはない。『絶対音感』神話粉砕!




炭都、栄華の跡(平成10年7月1日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 私が少年時代を過ごしたのは全盛期の炭都、夕張である。桜満開の頃、久しぶりに故郷を訪れた私は、なにげなく古い館、『夕張鹿鳴館』(旧鹿ノ谷倶楽部)に立ち寄った。そこには炭都、夕張の『栄華の跡』が、慎ましげに保存され、公開されていたのである。
 中に入ると、、天皇陛下が泊まった豪華な部屋をはじめ、絢爛たる応接間がある。ここは炭塵で顔を真っ黒にして抗内夫たちが働くアナの中とはまるで別世界....、北炭の重役や中央財閥の賓客たちがここで贅をつくしたパーティーを華やかに繰り広げていたのだ。
 明治から昭和にかけて隆盛を誇った石炭産業は、農村文化とは全く異質なバイタリティ溢れる民衆文化を生み出し、北海道文化史に独特の彩りをそえている。しかしこのヤマの文化は、長屋に住む坑内労働者や朝鮮などからの強制労働者と、立派な社宅に住み、学歴も高い『社員』との『二重構造』の上に成り立っていた。つまり、一方では『労働者』たちの刹那的ではあるが強烈なエネルギー、そして他方では『社員』たちの知的で文化的な雰囲気とがミックスされた独特の文化であった。
 まさにこの館は、この二重構造の一方の頂点にあって、ヤマの文化が内蔵していた密かな貴族的悦楽の世界をもかいま見せてくれる。実は、高校生時代の私は毎日この倶楽部のそばを歩いて通学していたのだが、当時の私にはこの建物の意味がわからなかった。こんな身近に、庶民の目から隠された別世界、裏の世界があったとは....。
 帰途、私の脳裏にオーバーラップしていたものは、夕張鹿鳴館の華やかな残像と、廃校になった母校の跡、そして朽ちゆく炭住長屋の風景であった。




道草(平成10年6月2日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 私の友人にクラークさんという人がいる。もちろんれっきとした日本人だ。彼はいつもカウボーイハットをかぶり、時には颯爽と馬上の人となって街の中に現れる。昨年彼は旭川市郊外の農家を買い取り、そこに彼の城『クラーク・ホースガーデン』を作った。
 先日、妻と二人でガーデンを訪れた。早速クラークさんから手ほどきを受けて、乗馬の初体験。馬は不思議だ。まるでコンピューターに操られたロボットのように、指示通り精確に動くではないか。でも、どうやらこのコンピューターから指令を出しているのは馬上の私たちではなく、クラーク先生らしい。
 ものの二十分もたたぬうちに、先生は言う。『さあ、そろそろ外に出ようか。今日はドナウ川コースにしよう』。....一瞬固まる私たち、『無事に帰ってこれるだろうか?』。
 先導の馬について颯爽と草原を行く。ああ、なんという爽快さ....。すっかりその気になった私は手綱のコントロールも忘れ、馬なりに任せる。そのうち馬が勝手に立ち止まって草を喰い始めた。文字通りの『道草』だ。しかし、ここで主人の権威を見せなければ、と手綱を強く引き、先へと馬を進める。美しく青きドナウ、いや牛朱別川をめざして....。
 帰ると美味なるコーヒーを飲みながらの楽しい語らいが待っている。もちろんバックに流れるのはクラークさん自らのピアノ演奏によるカントリーミュージックだ。そして、気分が乗れば、隣の小屋にあるウェスタン風ショットバーへ....。
 まさに、自然ー芸術ーコミュニティの絶妙なアンサンブル。そして『道草』こそ愉しい人生そのもの。東京からの移住者、クラークさんの口癖はこうだ、『北海道は天国さ!』。




収縮する世界(平成10年5月4日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 私がパソコンデスクの前に座ると、途端に世界はギューっと収縮する。私の手の届く範囲内に。そして世界中の情報はいまや私の手の内、いや指の内にある。
 かつては、距離的にも意識的にも、外国ははるか遠い遠い存在であった。しかし、インターネットが発達したいま、ほぼ無限大であった世界の面積が間違いなく半径1メートル以内に縮まったのだ。情報だけなら、金や時間をかけて外国に出かける必要はない。外国旅行をするからといって旅行会社に行く必要もない。ホテルの予約もオペラのチケットの手配もインターネットと電子メールを使えばイスに座ったままで済む。まるで世界を支配下においたような奇妙な満足感にとらわれるのだが....。
 一つのキーワードを打ち込みさえすれば、一瞬のうちにそのキーワードに関係した世界中の著書や論文の一覧が出てくる。ちなみに、私の研究対象である社会学者マックス・ウェーバーの名前を入れて検索をかけてみる。なんと、2秒もたたないうちに、ヒット件数22,715件ときた。世の中にこんな信じがたい《わざ》があるだろうか?
 しかし単なる箱にしか見えないテキは、まるでご主人様を見下しているかのように、平然とこちらに問いかけている、『ご希望の情報の全てを入手しました。ところで、あなたはこれら全部に眼を通すヒマと根気があるんですか?』と。
 膨大な情報が手の内にあるという充実感と、この情報をとても処理しきれない人間の無力感との共存....。小さな世界への征服感と広くて未知なる世界への憧憬とのアンビヴァレンツ(反対感情)....。もうすぐそこに不安とミステリーの二十一世紀が私たちを待っている。

 


東京には住めない!(平成10年3月25日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 出張で訪れた日本の都はうららかな春の装い、すでに咲き始めた桜は春遠い北国からの来訪者の羨望感をそそる。ついでに航空会社に就職が決まって羽田空港の近くに引っ越したばかりの娘の新居を訪れた。
 この周りは典型的な下町。家々はギッシリと軒を接し、窓から手が届く距離に隣家の生活がある。まるでミニチュアの街だ。狭い道路を車と歩行者が器用にすり抜けてゆく。そして通りすがりの住民たちは互いに声をかけ合い、辺り一帯に漂う庶民的な生活の匂い....。
 しかし、私にはなんとも息苦しい。北海道の空間感覚の中で育った私には、この『安全距離』を脅かす慢性的ニアミス状態は、ただそこにいるだけで神経を疲労させるのだ。
 一方、都心部を支配しているのは群衆の中での恐るべき無関心。仕事先のドイツ文化会館のある赤坂界隈には、一見洗練された高級感が漂っている。政治家、高級官僚と企業のお偉方が、わざわざそこで『重要な情報交換』をしなければならない民間施設(高級料亭)が集まっているのだ。それにしてもこの取りすましたよそよそしさはどうだ? これも『うわべだけの経済大国』日本の象徴か。
 『ああ、とても東京には住めないなあ!』と言う私を、空港まで颯爽と車で送ってくれた娘は笑う、半ば同情のまなざしで....。寂しいことに、その眼はすでに東京人のものだ。
 のどかな旭川空港に降り立った私はほっと息をつき、新鮮な空気を吸い込む。そして暖房の効いたバスの中、大都会のストレスから解放された私はいつしか快い眠りにおちた。




  長野で躍る北海道(平成10年2月21日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 いま長野の冬は熱い。日本中の熱い視線が長野に注がれ、そして次々とメダルを獲得して人々を熱狂させているヒーローたち....。清水、岡崎、里谷、船木、原田、斎藤、岡部、みんなかっこいい。テレビで見る彼らの美しくも逞しい勇姿に較べると、日頃バラエティー番組で見慣れたテレビタレントたちの存在感がなんと薄っぺらに見えることか。
 ところで、これまでのところ、このヒーローたちが全員『ドサンコ』であることを日本中の人々がどれほど意識しているだろうか。ウィンタースポーツという性質上、北海道人が活躍するのは当然と言ってしまえばそれまでだが、しかしそれにしても、オリンピックで一つの都道府県の選手だけでこれだけのメダルを独占するというのは尋常のことではない。荻原選手に当てこするわけではないが、本州の選手にも”優勝候補”はいたのだ。
 いま『長野』の主役は間違いなく『北海道』なのである。ドサンコの宝は除雪や雪道歩行で鍛えられた強靭な足腰だけではない。厳しい自然を受容するエートス、そしてプレッシャーに打ち克つ強靭な精神力もまた、このオリンピックで実証されたのだ。
 先日、居酒屋でテレビを見ながらの客の会話、『このショート・トラックっていうの?、これなんかチマチマしてるね。これはドサンコには向かないわ』。前評判の高かった本州の選手たちだが、その結果は『サッパリ』。そして客一同、『ヤッパリ!』。
 決まった!二十一世紀は北海道の時代だ!ドサンコに乾杯!これは少々ノリ過ぎか。でも、我らがヒーローたちの大活躍と数杯の熱カンに酔いしれた末の雄叫びと許してもらおう。




北海道の「あの世」(平成10年2月4日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 拓銀が崩壊し、開発庁も消えようとしている。世紀末の北海道はいかにも『終末』の風情だ。しかし『この世』の終わりは『あの世』の始まりであることを忘れてはならない。
 いまから1世紀前も北海道は大きな転換期を迎えていた。1899年、先住民族アイヌの生活文化の変更を強制する『旧土人保護法』が交付された。1900年にはあの北海道拓殖銀行が設立され、また北辺の守りとしての第七師団が旭川に移転した。更にこの年は農産額が初めて水産額を上回り、その後の北海道の行く末を暗示するまさに画期的な年であった。1902年には、『土功組合法』が公布されて灌漑・造田工事が活発となったが、実はこの造田の資金を調達することこそ拓銀の使命だったのだ。
 これらの史実の中に一つのドラマが隠されている。そのドラマの下地になっているもの、それは北海道の『日本化』というシナリオだ。北海道の文化は狩猟採集文化(水産業)から農耕、それも稲作文化(日本民族の象徴)へと強引に転換、吸収され、先住民族アイヌも含めて『皇国臣民』の中へと組み込まれてゆく。更にちょうどその半世紀後、『北海道開発庁』が設置され、それ以来、北海道はいつも中央からの施し(公共事業、開発予算)を当てにしなければ生きられない存在に成り下がった。つまり『北海道』は死んだ。
 北海道の『この世』の終末は『あの世』へお復活を暗示している。さあ、ドサンコ同志諸君、百年の長い眠りから目覚め、『脱日本化』(中央依存体質からの脱却)とドサンコ文化の再生、そして二十一世紀の新しい国造りに取りかかろうではないか。



経済という名の妖怪(平成10年1月4日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 『経済不況』、『日本沈没』がいまや大ブームである。およそ『ブーム』なるものが嫌いで、おまけに経済には全く素人の私としては、ことさら無関心を決め込んでいる。『不景気は単なる気分の問題』、『日本沈没など今更言うまでもないこと』とそっけない。はっきり言って、幸か不幸か運用法に頭を悩ませるほどの資産を持たない私にとって、銀行や証券会社の一つや二つ倒産したぐらいで何の影響もない。
 景気回復のためには、『消費の拡大』や『株価の上昇』、『土地の流動化』や『設備投資の増加』などが必要だと言われても私にはピンとこない。要するに『金が動く』だけではないか。『土地の流動化』?、そもそも『不動産』である土地を動かそうと考えること自体矛盾している。人々があまり金を使わないのは単に買いたいものが無いから。裏を返せば、とりあえず必要な物は間に合っているということだ。人間、金は無くても最小限の物と環境があれば生きてゆける。単なる紙切れにすぎないものを信用しすぎ、『額に汗する』ことなしにその紙切れをもっと増やそうなどと考えるから間違いが起こるのだ。そんなヒマがあったら、かけがえのない地球環境をどう守るかに頭を使おうよ。
 こんな無茶なことを言う素人を経済の専門家は笑うだろう。しかし、あのバブルの時代に、いずれ破綻することは素人でも(だから?)わかる空虚なマネーゲームに熱中して、不良債権という巨大なゴミの山を築いたのはいったい誰? 経済の専門家、あなたたちではなかったのか? 笑いたいのはこっち(素人)の方だ。
 経済という妖怪に翻ろうされた一年が過ぎ、そして今、更に不透明な新年を迎えている。




コンサートの前と後(平成9年12月、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 豊麗な響きの衣装に全身をすっぽりと包み込まれたかのような陶酔感....。響きの良いホールでの美しい演奏は聴く者を天国へと誘う。先日、旭川大雪クリスタルホールでのベルリン・フィル弦楽ゾリステンのコンサートはまさにこの至福のひと時を与えてくれた。
 北海道で初めて音楽専用に造られたこのホールは、長めの残響時間とその適度な広さから合唱や声楽、特に弦楽アンサンブルに適している。クラシック音楽にとってはホールの響きこそまさに命、身体や楽器の延長なのだ。この最高の環境の中で、しかも世界屈指の名手たちの演奏をこんな安い料金で聴けるなんて....、私と妻は胸躍らせて開演を待った。
 重厚で艶やかな弦の音の束がまるでフル・オーケストラのようにホール一杯に拡がり、そして柔らかな残響の中で溶け合いつつ減衰するその瞬間、その作品が誕生した西欧的空間の優雅な『香気』さえ聴こえるようだ。レスピーギからシェーンベルクまで、全て二十世紀の作品でまとめたプログラミングもまた心憎い。やはり期待に違わぬ名演であった。
 ただ贅沢を言うなら、コンサートの『前』と『後』が無かった。例えば、開演前の緑豊かな庭園での散歩が、そして終演後、共にワイングラスを傾けながら快い美的興奮の余韻を愉しむ空間が....。コンサートホールを設計・建築する際に、この『前』(自然)と『後』(コミュニティ)までをコーディネートできる心のゆとりが日本人には欠けているのか。
 実はこの『自然ー芸術ーコミュニティ』の三点セットこそ、二十一世紀の豊かなライフスタイルを創るための重要なコンセプトになるものと私は考えているのだが....。




香りの文化(平成9年11月5日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 味覚の秋。輸入ワインも安くなり、最近は日本でもちょっとしたワインブームと聞く。ただ食卓に上る料理の方がワインに見合っているかどうかは疑問だが....。もちろん私もワイン党。特にドイツワイン(白)のアウスレーゼ(厳選された完熟ブドウで作られた甘口高級ワイン)クラスを口に含む時、口から鼻へと拡がるあの濃厚なブドウと豊穣な土の香りはたまらない。
 ワインに限らないが西洋の酒と日本の酒との一番の違いは『香り』であろう。日本の酒は一般に香りが無い。だいいち、日本人が焼酎や日本酒を飲むときに、お猪口やグラスに鼻を突っ込まんばかりに香りを嗅ぎ、その香りに陶 酔している光景など見たことはない。
 香水があまり日常化していないように、そもそも日本人は無臭を好み、善し悪しにかかわらず強い匂いが好きではないらしい。例えば、日本料理の味付けの基本もダシであって、西洋料理のように香辛料やハーブではない。
 ヨーロッパに行くとなぜかどの町にも特有の匂いがある。たいていは花の香りだが、いい匂いが町中に漂い、旅人の旅情をかき立ててくれる。匂いの記憶によって鮭が何年も後に生まれた川に還って来るように、臭覚のもつ記憶力というものは信じられないほど強いものである。それだけに、良い香りの記憶と幸福感との間には密接な関係があるのだ。
 最近のハーブやワインのブームは豊かな社会への憧憬とともに、やっと日本にも本格的な『香りの文化』が生まれつつあることを暗示しているのかも知れない。



 
ブラスはプラス?(平成9年11月,旭川高専吹奏楽団第15回定演プロ掲載)
 物事にはなんでも表と裏がある。「ホラを吹く」のとは違って,楽器を吹くのは人様に迷惑をかけないと言う人がいるが,そういう人に限って他人には大変迷惑な音を出しているものだ。そこで今回は,ブラバンをやることの損得についてテツガク的に考察してみたい。
 まず第1に,そもそも管楽器を「吹いたり」,打楽器を「叩いたり」することは日頃たまったストレスの発散になるだろう。しかし思うような音が出ないとか,ヘンな音を出してはいつも指揮者ににらまれたりしているとかえってストレスがたまるという説もある。
 第2に,国費で買った何十万円もする楽器をまるで自分のもののように使うことができる。しかし値段分の音が出ることはまず無いので,まじめな者はそのギャップに自己嫌悪に陥る。それに自分の不注意で「国有財産」を壊したり,無くしたりすると多額の弁償をしなければならない。なにしろ「国」ほどえらくてこわいものはないのだ(地方分権賛成!)。
 第3に,ブラバンをやっていると,コンクール参加などで何度も授業をタダ(?)で休める(特欠)という特権がある。でもそのために,ただでさえついてゆくのがやっとの授業が全くわからなくなり,ついにはドッペル(ダブるのドイツ語版)者も出てくる。これを我々の専門用語で「ドッペラー効果」(?)と言う。
 そして第4に,腕に自信さえあれば,授業中にはどんなに地味な存在でも,ステージの上では一躍スターになってスポットライトと拍手を浴びることができる。これはこたえられない。そして,この快感にはまって,これまで何人の若者が道を誤ったことだろう....。
 さて,差引感情はどうか。そう簡単には答えを出さないのがテツガクの奥深さなのだ。




地図の愉しみ(平成9年10月3日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 私は地図が大好きだ。歴史の本を読む時は勿論、小説を読む時ですら、私は傍らに地図を離さない。国名や地名が出てくるたびに、その位置を地図で確認し、頭の中でイメージをふくらませるためだ。すると書物の中からドラマが動き出し、私はそれに没頭する。
 勿論地図だけを眺めるのもよい。たまには、北極を中心の地図を見たり、日本を北から逆さまに見たりしてみよう。新鮮な発見がある。例えば、日本を、周辺地域もふくめたグローバルな地図で見ると、日本列島は大きく四つの文化圏に接していることが一目でわかる。つまり、オホーツク文化圏、日本海文化圏、東シナ海文化圏、そして太平洋文化圏である。かつて、この四つのルートを通って多様な人種や文化が日本に入ってきたに違いない。
 日本は決して独立した『単一民族』、『単一文化』の国などではない。地図を見ているだけで、このような日本文化の『多層性』が直感的に理解できるのである。
 ところで、以前からとても気になっていることだが、NHKテレビが毎日何度も映し出している天気予報の日本地図は著しくゆがんでいる。日本を南から眺めているために、本当は九州の二倍近くもある北海道がどうみても九州より小さく見えるのだ。事実、この映像を見慣れた子供たちの多くが、北海道は九州より小さいと思い込む。つまりゆがんだ地図は人々の心にゆがんだイメージを作り上げてしまう。これはゆゆしき問題ではないか。
 とにかく、地図は豊かなイメージの源泉、エキサイティングな発見の宝庫。ゆがみのない地図をじっくりと眺めながら、秋の夜長を知的冒険の旅に遊んでみてはいかが。



いとおしい夏の終り(平成9年8月24日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 8月15日が過ぎ、盆も終り、そして気が付くともう、うろこ雲の空に漂う秋の気配....。あの猛暑の日々はほんのひと時の夢だったのか。振り返ってみれば、
今年もまたつかの間の夏であった。長い冬のモノトーンの世界からやっと多色刷りの世界へと解放された喜びを、そして土の香りと草いきれに抱擁される幸福感を近郊の田園散策に追い求めた夏....。
 何度も訪れた美しい美瑛のパッチワークの丘やポピー畑、そこを訪れる人々の群れはこの辺り一帯に華やいだ夏の賑わいを演出する。しかし、年々増える観光バスの群れだけはこの牧歌的風景にはなじまない。『観光化』の陰の部分がここに見えるようだ。
 人は何故にかくも『丘』に魅せられるのか。じゃがいも畑や麦畑が織りなす色とりどりの斜面の重なり、うねり膨らむ空間が、水田という純日本的な平明空間に飽きた人々の感性を惹きつけるのか。
 平地から丘へ、丘から山へ、そして更に深い山奥へという『ふるさと還り』が『故郷喪失』の時代に生きる人々の心の奥底で起こっているのかも知れない。水田に象徴される単調な稲作文化の世界から、奥深い森の神秘とアニミズムに彩られた縄文的世界への精神的回帰、その途上に丘の美への憧憬があるのだろうか。
 こんな哲学的夢想にふけりながら丘を散策するのも楽しいものだ。しかし、このいとおしい北国の夏ももう終り。いまこの時の風景をしっかりと心のキャンバスい焼き付けておこう、憂愁の秋の向こうに忍び寄る純白の冬がその色と記憶を消してしまわぬように。




プロースト(乾杯)!(平成9年7月25日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 私がドイツ語を教えている学生たちと一緒に,帯広の『グリュック王国』を訪れた。彼らにぜひ生きた『ドイツ体験』をさせたいと私がコーディネートした旅である。
 この旅のプレリュード(前奏曲)は,緑豊かな森に囲まれたドイツ風休暇村『フェーリエンドルフ』での一夜である。満天の星の下,ドイツ人音楽家の美男美女カップルを交えての野外バーベキューでは,学生たちのたどたどしいドイツ語もまたロマンチックな『真夏の夜の夢』を奏でる旋律の一部となった。
 翌日曜日,王国での第一楽章は,まずドイツ人陶芸マイスター,トーマスとアルバイト女子大生ダニエラを招いてのドイツ語研修。そして第二楽章がファッハヴェルクホイザー(ドイツ独特の木組みの家)が立ち並ぶ王国内散策である。更に第三楽章,ドレスデン近郊から来たザクセン曲芸学校の少女たちと同席の楽しいドイツ料理の昼食へと続く。
 フィナーレは,ホテルの華麗な大広間でのシュロス・コンサートである。ちょっぴり宮廷貴族気分の私たちは,前夜バーベキューを共にしたあのカップルの演奏に聴き入った。
 まさに『ドイツづくし』のメニューに,ドイツ・ロマンをたっぷりと満喫した週末の旅であった。ただ気になったのは好天の日曜日にしてはちょっと寂しい入国者数である。この王国の強みはなんといってもドイツ人に会えること。だから,ドイツ語を学び,ドイツに関心を持つ人々に本物の『ドイツ体験』を提供する今回のような企画を積極的に売り込むことだ。では,『グリュック王国』の健闘と繁栄を祈って,プロースト(乾杯)!



ソーラン節変奏曲(平成9年6月25日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 北国の初夏を彩る札幌の『よさこいソーラン』は,ほとばしる若さと熱気の清々しい残響を残して終わった。祭りはケ(日常)からハレ(非日常)への劇的な転換に向けての生のエネルギーの爆発であり,ダンスは集団エクスタシーの中での連帯感の高揚を演出する。まさに祭りこそ,コミュニティ(地域共同体)の一員であることの充実感を確かめあう『聖なる』日である。
 この祭りが大成功した最大の理由は,若者の参加を引き出した踊りのオリジナリティーにある。そして,この祭りを支配しているものは『変奏』である。この変奏の中には,古き伝統と新たな創造との絶妙な融合が隠されている。
 クラシック音楽では,一つのモティーフ(動機,主題)をもとに,移調,転調,音形・リズム変化など様々なヴァリエーションを加えながら曲の全体が組み立てられてゆく。
 この祭りもまた,正調ソーラン節をモチーフとして,音楽的に,そして何よりも踊り(振り付け)の中で様々に変奏される。その変奏のプロセスに参加し,共同して自分たちのオリジナルな作品を創造してゆく喜び,それが」この祭りを支えているのだ。
 『よさこい』の故郷は高知。高知といえば明治期に坂本直寛(坂本竜馬の甥)など自由民権論者たちの開拓移住(北見の北光社,浦臼の聖園農場)で,北海道とは特別な関係にある。よさこいとソーラン節との結合はまさに運命的な出会いであった。
 この祭りが,更に限りない変奏のスパイラル(らせん形)を描きながら,世界に向かって広がってゆくことを期待したい。




早すぎる黄金週間(平成9年5月23日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 5月連休が終わった。世間ではこれを『ゴールデン・ウィーク』というが,まだ肌寒く,花も咲かない北海道では『黄金週間』にはほど遠い。いつも思うのだが,『七夕』と同様,北海道だけはこれを一ヶ月遅れにできないものだろうか。
 それぞれの地方に住む人々が,その気候風土に合わせた自らのライフサイクルを決めて悪いはずはない。余暇の過ぎし方まで『中央集権化』されてはたまったものではないのだ。
 とはいえ,せっかくの連休。アウトドアはあきらめて今年は『食と美』をテーマに家族と小樽,岩内を訪れることにした。
 相変わらず観光客で賑わう小樽運河沿いに地ビール館がある。ここは完全なドイツ・スタイルだ。特に日本ではまず飲めないヴァイス・ビーアは最高。このタイプのビールの本場であるバイエルン州,ミュンヘンでの日々を想い起こしながらその味と香りを堪能した。
 翌日訪れた漁港,岩内は美術館の街でもある。まだ新しい木田金次郎美術館では,有島武郎が愛した地元漁師画家の希薄溢れる筆使いと北国特有の色彩美に魅了された。特に1960年ごろに描かれた牧歌的作品群の眼にしみるような緑が私は好きである。
 美しい岩内港の風景を一望する丘の上には荒井記念美術館がある。天才ピカソお真髄を味わうことのできる版画二百数十点に私は圧倒された。庭園,眺望も素晴らしい。
 早すぎる北国のゴールデン・ウィーク,このようにインドアの楽しみ,感性のリフレッシュを求めて旅をしてみるのも一興だろう。




歩く動物(平成9年4月22日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 昨年の暮れ,鏡に映った自分の体型に愕然とした私は,新年からダイエットに取り組む決心をした。高蛋白・低カロリーの食事と毎日夕食後1時間以上の散歩....。8キロ減量した私の身体はスリムになり,嬉しいことに昔のスーツが再び着られるようになった。
 ところで,体型の他に変わったものがもう一つ,私の人生観である。これまでクルマ人間だった私にも,歩き始めてから,自分が住む街の色々な姿が見えてきたのである。
 わが街の大きさを改めて感じ,また意外な所に古くて風格のある建物を発見する一方で,この街には散歩にふさわしい道や空間が乏しいことに気づく。そして何よりも感ずるのは,わが街の土地利用,地域の用途指定の実態がまるでカオス(混沌)であることだ。
 商店と一般住宅が雑然と混ざり合っている。そして公園から続く緑豊かで『閑静な住宅地』の真中に突如ネオンも妖しげなラブホテルが出現する。このアンバランス,『取り合わせの妙』はいったい何なのか? 軍都旭川の名残りか? 街並みは『顔』であり,そこにはその街に住む人々の感性や品性が表れるもの....,私に責任はないが,情けない。
 ともあれ,いまや散歩は私の生活の重要な一部になった。アリストテレスやカントのように,『逍遥』しながら高尚な哲学的思索にふける,とまではゆかないが,結構アイディアも湧いてくる。なによりも直立猿人のように自分の足で『歩くこと』が人間の最も自然な姿であり,歩くことによってこそ人間はその環境世界を正しく認識し,理解できるのだという確信を与えてくれる。人間はまさに『歩く動物』なのである。
 さあ,クルマを捨て,街や野山を自らの足で踏みしめ,『人間』を楽しむ季節の到来だ。




「学校U」の生徒たち(平成9年3月,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 先日,私が指揮者を勤める合唱団とともに,雨竜高等養護学校を訪れた。ここは,あの山田洋次監督の映画『学校U』の舞台として知られている。私たちは十年ほど前からここを訪れて演奏し,学生たちと心暖まる交流を続けている。
 合唱団のメンバーは皆,この学校訪問を心から楽しみにし,そしていつもここから爽やかな感動を持ち帰る。ここにいる生徒たちこそ。私たちの合唱を最も真剣に聴き,そして最も素直に反応してくれる最高の聴衆だ。感動的な演奏には大拍手。そして勿論,若くて美人の団員は一躍アイドルとなる。
 帰りのバスの前では,いつものように校舎から飛び出してきた子どもたちが団員を取り囲む。そして手をつなぎ,肩を組み合って,また一緒に合唱するのである。やはり音楽は素晴らしい。私と一緒に楽しそうに指揮をする子。『今日はとても素晴らしい歌をありがとうございました』とていねいな言葉をかけてくる子。いきなり私の腕をつかみ,『ねえ,また来年も来るの?』と尋ねる子。そしてある子は『僕の家も旭川なんだけど,おじさんたち,旭川に帰れていいなあ』となごりを惜しむ ....。どの子もみな澄んだ目をしている。
 私が職場(高専)で日常接している同年代の生徒たちを思い浮かべながら,『この違いはいったい何なのか』とつい考えてしまう。世間体,テレ,見栄,そして差別意識....,『健常な』人々の世界はなにか寂しい。
 情緒過多が苦手な私も,映画『学校U』にはつい泣かされてしまった。でも,この涙は,人を差別するあらゆる壁を超える力,『人間への愛』に共感できる心の証なのだろう。




「市民」ってなに?(平成9年2月22日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 『市民社会』とか『地球市民』という言葉が最近,日本でもよく聞かれるようになった。ところがこの『市民』ほど日本人になじまない言葉はないのだ。
 教室での教師(私)と学生との会話。教師『キミ,市民ってどういう意味かわかるかい?』。学生A『ええー?,例えばー,旭川市に住んでいる人は旭川市民じゃないですか?』。教師『ふーん(ややあきれ気味),それじゃ,隣の鷹栖町に住んでいる人は何なんだ?』。学生A『えー,やっぱりー,鷹栖....町民でしょ?』。学生B『じゃあ,音威子府出身のオレは村民かい?』(一同爆笑)。優等生C(小声で)『そういう問題じゃないべや』。
 『自立した市民の政党』を自称する『民主党』の人気がさっぱり上がらないのも無理はない。では『市民』とは何か? 私の独断的消去法によれば,たばこの吸殻や空き缶を平気でポイ捨てする人,会合の席ではやたらに名刺を配って歩き,職場の同僚以外に友人のいない『会社人間』,外国のことに一切興味のない人,自分の意見を言わない(もしくはそもそも無い)人,パチンコや飲み屋などの娯楽施設さえあれば,美術館やコンサートホールなどなくてもよいと考える人,こういう人々は『市民』とは言い難い。
 血生臭い『市民革命』を通じて成立した西洋の『市民』は,都市の城壁によって外敵から守られ,彼らの権利と自由な活動が保証されていた。市民相互の連帯感情や市民モラルもここから形成されたのである。豊かなコミュニティづくりや地球環境保護の主役になる真の『市民』を育てる力,それこそ家庭,学校,社会による『教育』にほかならない。




寝正月とテレビ批評(平成9年1月20日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 風邪ぎみでこの正月はまさに『寝正月』。大切なこの時期,身体がダメならせめて知的に充実した時間を過ごそうと決めた。ベッドで昼は読書,夜はテレビを観る。テレビはもちろん教育テレビか衛星放送が中心である。なかでも四日間にわたって放映された『映像の世紀』(教育テレビ)は圧巻,私の頭の中はまさに知的興奮,知的衝撃の連続であった。
 それにしても,最近の民放テレビの『低俗化』傾向はひどい。視聴者の『痴的』興味に媚び,頭の中を空っぽにする番組の連続だ。ちなみにここしばらくの民放テレビは朝からあの『聖輝の離婚』報道一色。いったい,一芸能人の離婚にどんな公的意味があるの? 『離婚の裏に隠された衝撃の真相』ときた。はんくさい!もういい加減にしてほしい。
 私の考えでは,マスコミには『真の市民社会の基礎となる共感や良心を構築するメディア』という一つの重要な社会的使命がある。にもかかわらず,特定の人間を困らせて『笑い』の対象にする番組など『いじめ』を助長するものとして社会的害悪ではないか。
 諸悪の根源は『視聴率』競争にある。視聴率優先と番組の低俗化は明らかに比例している。とすれば日本の視聴者大衆は元来低俗なのだろうか。しかしこの傾向はどうも世界的なものらしい。
 昨年,最近のドイツのテレビ事情について識者の話を聞く機会があった。あの堅物で有名なドイツのテレビ界も最近は多チャンネル化し,視聴率競争と同時に内容の低俗化傾向が強まったと彼は嘆く。テレビという優れたメディアの持つ危険な一面,つまり,人々の低俗な『のぞき趣味』を刺激し,人々を空虚な時間に耽溺させるテレビの『麻薬性』に,皆さん,くれぐれもご用心。




それぞれの聖夜(平成8年12月24日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 街角に流れる『ジングルベル』,そして『きよしこのよる』のメロディ。ふと胸によみがえる少年時代の甘美な思い出。クリスマスの季節がやってきた。
教会ではキリスト降誕を祝う聖歌が厳かに奏され,夜の盛り場では『ジングルベル』や『ホワイト・クリスマス』の喧騒,そして幼稚園や家庭では子どもたちと『赤鼻のトナカイ』や『きよしこのよる』の合唱。クリスマスはまさに音楽の祭りである。
 クリスマスの原意は文字通り『キリストのミサ』,でも何となく異教的なにおいがする。それもそのはず,この祝祭は4世紀頃のカトリック聖職者たちが周囲の異教徒たちの風習を取り入れて創作したものだ。そもそもイエスが12月25日に生まれたなどという記録はどこにもない。
 この時期になったのは,古代北欧人の冬至の祭り(太陽崇拝)や冬至に行われた古代ローマの農神祭などにならったからである。この農神祭などは無礼講や性的開放も含んだ一種のカーニバル(謝肉祭)であった。プレゼントの習慣も古代ローマの遺風だし,あのサンタクロースも小アジアの司教ニコラスの伝承が,アメリカ移住のオランダ人によって伝えられ,変形したものだ。
 つまりクリスマスとは文化のチャンコ鍋であり,カーニバルなのだ。だから,この日に現代の若者たちが少々ハメをはずそうと,飲食街のバカ騒ぎがあろうと『キリスト教徒でもないのに』と眉をひそめる理由はない。良心的オジサン族は黙ってケーキとプレゼントを片手に我が家に帰り,「きよしこのよる」を歌おう。それぞれのメリー・クリスマス!




 
日本の中の異国(平成8年11月16日,北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 いま紅葉の京都にいる。京情緒豊かな祇園の目立たぬ一角に,ルネッサンス様式の華麗な館『長楽館』が建っている。今は喫茶店だが明治末から大正にかけては迎賓館として使われ,内部はルイ王朝趣味の絢爛たる装飾に彩られている。
 朝はこの宮殿で香ばしいコーヒーを一杯。そして昼は大原の里,宝泉院の庭園を前に『わび』の境地に浸りつつ抹茶をいただく。何度訪れても圧倒されるこの古都の香気と風格....。
 人は言う,ここは日本人の心のふるさとだと。でもやっぱり何かが違うのだ。この濃縮され,ミニチュア化された自然,一切のムダを省き極限まで切り詰められた空間感覚,ジワーっと肌にネッパル湿気....。こうしたなんとも言えぬ違和感はドサンコの私にはぬぐいようもない。
 先日旭川であるシンポジウムが催された。そこで講演したフランソワーズ・モレシャンさんは、京都に象徴される伝統的な日本文化の美学を絶賛し、外国の模倣の愚かしさと『素晴らしい日本人アイデンティティ』の復活を訴えた。
 しかし残念ながら、大抵の外国人と同様、彼女もまたわかっていない。日本がそれほどモノカルチャー社会ではないこと、そして北海道が全く独自の気候風土を持つ日本の中の『異国』なのだということを。
 さあ、『わび』と『みやび』の世界へのひと時のまどろみから目覚めて、そろそろ帰るとしよう。サラサラした空気と身の引きしまる寒気が、そして恐らくはモノトーンの雪景色が待っているわが『異国』へ。




女子団員増加の社会学的考察(平成8年11月,旭川高専吹奏楽団第14回定演プロ掲載)
 この2〜3年,わがブラバンに異変が起きている。なにが変わったかといえば,もちろん『高専ギャル』の進出である。とうとう女子団員が半分を占めるまでになった。最前列を占める花の木管セクションからは,最近までかすかに見かけた男の姿もついに消えてしまった。かつての「禁女の園」(?)高専に一体何が起こったのか? ともかく,たとえカン違いであろうと,高専に入ってくる女子が増えることは良いことだ。なにしろ恋愛や結婚も含めて,人生のほとんどはカン違いからできているのだから....。
 さて,わがブラバンに女子が増えたことによって一体何が変わったのかを社会学的に考察してみたい。顧問教官が練習室に顔を見せる回数が増えたというウワサもあるが,これは無視しよう。
 こういうときには五感に聞いてみるとよい。まず「視覚」的に言うと,個々にはともかく全体的な『風景』が良くなったことは間違いない。「嗅覚」的には,部屋の中のあの『男臭さ』が少しは緩和された。「聴覚」的には,キーの高い声,つまり『黄色い声』が増えてやや騒がしいが,しかし明るくて賑やかになったとは言えるだろう。そして,「味覚」,「触覚」だが........,この分野については誤解されると困るのでやめておこう。
 というわけで,なんら社会学的考察になっていないが,問題は今宵の演奏である。聴衆の皆さんに,「聴覚的」,「視覚的」にどれだけ楽しんで頂けるか,指揮者の私としてもあまり責任は持てない。しかしきっと,ステージでは男女団員たちが「縦横無尽」に躍動し,「絶品」の演奏を披露してくれるに違いない。




エンヤの宇宙的音楽(平成8年10月24日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 最近『エンヤ』に凝っている。といっても日本民謡を始めたわけではない。エンヤは世界中で数千万枚のCDアルバムを売ったアイルランドのスーパー・ミュージシャンである。
 彼女のメロディとサウンドは私の魂にしみこんでくるというだけではなく、逆に私の魂と肉体を宇宙の中に溶け込ませてゆくようだ。普段はほとんどクラシックしか聴かない私だが、この『宇宙的な安らぎ』の音楽に魅せられて彼女のアルバムを全部買い込んだ。
 アイルランドといえば、ケルト民族の伝統や文化が受け継がれている唯一の国。ケルト文化には神秘的なアニミズムや輪廻の思想が含まれているという。つまり、生と死を超越するような私の大好きな宇宙観である。世界中の人々がいまこんな宇宙観の中に『安らぎ』を求めているのだろう。ケルトの伝統文化の中で育ったエンヤは、ケルト語の詩やバグパイプなどの民族楽器を用い、聴き手を宇宙的な至福(エクスタシー)の世界へと導く。
 北アイルランド(連合王国の一部)のカトリック教徒とプロテスタントとのあの血生臭いテロ合戦の背後には、長年にわたってアングロ・イギリス人(プロテスタント)に差別され、支配され続けてきたケルト民族(現在はカトリック教徒)の悲劇と恨みがあることを忘れてはならない。しかし、彼女の『宇宙的な安らぎ』の音楽がこうした憎しみや争いを少しでも『浄化』してくれることを期待できないだろうか。そして私たちすべての心にある『汚れ』をも....。




ドイツ語は高専の・・・(平成8年9月9日、北海タイムス「北こぶし」欄掲載)
 『ドイツ語は高専のオアシスである!』。私のドイツ語の授業は毎年いつもこのひとことから始まる。キツネにつつまれたような表情をする学生たち....。『高専生が自慢できるのはただ二つ、長い夏休みと、ドイツ語があることだけ!』と追い打ちをかける私。学生たちから笑いがこぼれる。『英語が嫌いか、または苦手の人は?』と問うと、ほとんどの学生が躊躇なく手を挙げる。『わかった。でも安心しなさい、ドイツ語は英語よりはるかにやさしい。しかもみんなゼロからのスタートだ』。彼らの表情が一瞬明るくなる。
 こんな調子で、私の授業はドイツ讃歌そのものである。絵のように美しいドイツの風景のスライドや、陽気なドイツ人のビールの飲みっぷりを映したビデオが次々に登場する。ウィンブルドンでグラフが優勝した次の日の授業では早速『昨日のグラフはすごかったね。ところで彼女はなに人だったかな?』とわざとらしい質問。『また始まった!』という表情で学生が答える。『ハイ、ドイツ人でーす』。そのうちに、つい私の思うツボにはまって『ドイツへ行ってみたい』などと真面目に考え出す者も出てくるから面白い。
 これまでペーパーテストのための英語教育に痛めつけられてきた学生たちに外国語を学ぶ『楽しさ』をわからせるのは難しい。『ことば』の本質は異なった人間同士の対話であり、相互理解である。だからこそ画国語学習は楽しく、またエキサイティングであるはずなのだ。日本の外国語教育よどこへ行く?




道民禁止用語のススメ(平成8年,『未来を拓く北海道論』(ぎょうせい)、インテルメッツォより)
 少々話は脱線するが、ドサンコ・アイデンティティを喚起するもう一つの方策として、私には「道民禁止用語」のアイディアがある。
 最近、差別用語や放送禁止用語がなにかと話題になっているようである。私もそうだが、なにかものを書くときにはかなり言葉遣いに神経質にならざるを得ない。私の前著『くたばれ!東京神話』の中でも早速ある読者から注意を受けたのは、「近視眼的」という表現であった。現に先天的な近視の方々が大勢いるにもかかわらず、それを否定的な表現として用いるのは差別用語であるというのである。そう言われてみれば確かにそのとおりである。今後はこの語を使用しないことに決めたが、しかし正直な話、その代りにこれをどう表現すればよいのか今悩んでいるところである。
 こうした傾向に反発を感ずる人も多いようである。中には、高名な筒井康隆氏のように、差別用語を使ったと非難されたことに立腹して「断筆宣言」までしたうえに、なお言論人として見を立てている《立派な》文化人もいる。
 実は私も筒井氏と同様、表現力の幅を狭めるこのような《言葉狩り》傾向は本来あまり好きではない。しかし、もし差別用語や放送禁止用語がダメだというのなら、この際、北海道だけでも使用禁止にして欲しい用語が色々とあるので逆に提案してみたい。
 まず第一に「上京」である。地図を見ても通常東京は《下》にあるのだから、北海道人が「上京する」というのはどう考えても納得がいかない。むしろ「下京する」というべきであろう。そもそも東京など、私たち北海道人から見れば、とてもまともな人が住めるような環境ではない。だから、よほどのやむを得ない用事がない限り、私たちがわざわざそこに「上る」必要はさらさらないのである。予算編成の時には仕方がないから、実情を良く知らない東京の省庁(間違っても「中央」省庁と言ってはいけない!)の役人に実情を「教えてやる」ために(陳情のためにではない!)「下京」することにしよう。
 ついでだが、JRにはきつく抗議して「上り線」,「下り線」というのを即刻廃止してもらおう。東京が一番高いところにあるなどと,いったい誰が決めたのか。こんなおかしな表現は外国では見たことがない。例えば札幌から出る電車の方向は「函館方面」,「旭川方面」という区別でなんの問題もないのである。
 それから,北海道では代議士に対して「先生」というあの不快な言い方を即刻やめよう。先生とは私たちになにかを「教えて」くれる人に対してのみ使うことにしたい。私たちは代議士の方々に「一票を投じてあげた」覚えはあっても,彼らからなにかを「教わった」覚えは全くない。とにかくこの卑屈な言い方がなくならない限り,日本の政治が真に民主主義的で成熟したものになることはないだろう。
 そしてできることなら,北海道では,会社の上司に対する役職名称(「課長」,「部長」など)の使用を勤務時間外には禁止したい。その代わりに使用すべき用語はもちろんニ人称(「あなた」など)か若しくは名前(「××さん」)である。
 そう言えば,かつて大学の《先生》たちまで学生からニ人称で呼ばれた《進歩的》な時代もあった。もちろん,1970年代初頭の,あの学園紛争の嵐が吹き荒れた頃のことである。もっとも,全共闘の学生たちから「アンタはいったい何者なのだ?」とか「オマエは体制側の犬だ!」などと吊るし上げられて喜ぶようなマゾ的教授連中はさすがにいなかったようではあるが....。
 ともあれ,どんな立場の違いがあろうと(大統領対小学生でも,また夫婦,親子の間でも),互いに一人称と二人称(英語ならIとyou)で語り合う欧米社会を見ればわかるように,このことは,日本型タテ社会から脱して本当の友愛を基礎としたコミュニティ,成熟した「市民社会」を創造するためには是非必要なことではないか。
 そして最後にやはり「内地」である。正直に言うと,「本州,四国及び九州」という長たらしい表現をたったの一言で代用できるこの語は大変便利である。しかし,この際そうは言っていられないだろう。この語は北海道だけで使用されているわけではないが,とにかくこの言葉は自分たちが「外地」人であることを自ら認める「自己否定」の用語である。これからはもちろん北海道以外の地域が「外地」となる。
 このようにして,一歩づつ「ドサンコ・アイデンティティ」を構築していこうではないか。これが私のささやかな提言である。




森と神々の破壊ーアニミズム世界の喪失(平成8年,『未来を拓く北海道論』(ぎょうせい)、第二章より)
 農耕文化はまず樹木を伐採することによって,「森」という,奥深く三次元的拡がりを持った空間イメージを,平面的な二次元空間イメージへと変えてしまう。更に水稲耕作は,水を張る必要から,斜面をも削って起伏をなくし,水平な平面空間を作り上げることになる。こうして,農耕の生活様式は,人々のイメージ世界から,森の奥深くに住まう妖精や聖霊,神々を追放し,アニミズム的世界観を放遂してしまったのである。
 農耕は人間を定住させ,自然を飼い慣らしてしまう。すでに述べたように,農耕から始まった科学技術文明の発展の歴史は,世界の「脱魔術化」の過程でもある。人々はこれを人類の「進歩」と名付けたが,しかし,その代償としてワイルドな自然との生きた関係,そこから生まれる豊かな創造力と神聖なるものへの畏怖の感情が失われたのである。
 北海道の先住狩猟民族アイヌの自然観は,アニミズム的色彩が強いと言われているが,そこには自然に対する畏怖の念と敬意が感じられる。川でとれた最初の獲物は神に,次の獲物は熊に捧げ,そして三番目のものが自分たちのものであるという彼らの生活感覚は,エゴイスティックな自然観にとらわれてきた近代文明人に大きな警鐘を与えるものであろう。
 私は子どもの頃,炭鉱の町,夕張に住んでいた。その頃は両側から迫る山あいに息苦しさを覚え,学校の高台から遥かに望める空知,石狩平野の開けた空間に限りない羨望の念を感じていたものである。
 しかし,今にして思えば,裏山(といっても,かなりスケールの大きな空間だが)で友だちと暗くなるまで遊び回ったときの記憶の中には,背筋がゾクゾクするようなアバンチュールの楽しさが詰まっている。それはなんと言っても森林と山奥が「神秘的」な空間であり,不思議さや不気味さ,そし時には優しさを一杯に秘めた空間であったからだ。してみると,私は生まれは海(室蘭)だが,結局は山で育った「山人間」なのかも知れない。
 ヨーロッパ,ゲルマン人たちにとって森は限りない憧憬とロマンの対象であった。霧のヴェールにかすんだ森の奥深くからは,妖精たちの奏でる魔法の笛の音が聞こえてくる。まるでウェーバーやワーグナー,そしてリヒャルト・シュトラウスの世界そのままである。そこは彼らにとってメルヘンの舞台なのである。都会に住む現代のドイツ人たちにも,この習性は消えないとみえて,彼らはヒマさえあれば,公園や近郊の森を徘徊するのである。
 もちろん彼らが今訪れる森は,急激な自然破壊の後に再生された二次森林である。しかし,いずれにせよ彼らの心の中にあるこの「森」への強い憧憬を理解することなしには,ドイツ・ロマン派音楽や詩の世界に共感することはできないであろう。
 前田真三氏の美しい写真によって紹介された旭川の郊外,美瑛町の丘陵地帯には,最近日本全国からの観光客が溢れている。そこには森はないが,じゃがいも畑や麦畑が織り成す色とりどりの斜面の重なりがあり,こうした膨らみのある空間への憧憬が彼らを呼び寄せているのである。それはなぜだろうか。
 「故郷喪失」(ハイデッガー)の状況に置かれた現代人の心の奥深いところで,平地から丘へ,丘から山へ,そして更に底深い山奥へという,人類の生活様式の推移とは逆の志向《ふるさと還り》への胎動がいまはじまっているのかも知れない。
 区画で区切られた平面をテリトリーとする農耕民の空間感覚と,獲物や果実を求めて移り歩く狩猟・採集民族の連続的な三次元的空間意識とは,本来全く異なるものではないだろうか。神秘性をたたえた深い三次元空間から起伏のある二次元空間へ,そして真平らな平面空間への空間イメージの変化(退化),このプロセスを逆進させることはもはや不可能であるとしても,これをどう自覚し,再構築していくかが問題である。
 言い換えるなら,私たちの内的な精神と外的自然,この二つの世界の両方に「森」を復活させること,そして神秘的な自然への畏怖の念を復活させること,これが北海道開拓百二十年の歴史を経て,今新たに北海道文化の構築を目指す私たちに問いかけられている根源的問題の一つなのではないだろうか。




ドサンコの空間感覚ー25km離れた隣人(平成8年,『未来を拓く北海道論』ぎょうせい、第二章より)
 私の知人A氏は、高校の教師をしているが、自宅は中頓別町にある。中頓別といえば、旭川の北方訳150km、車でおよそ3時間のところである。さすがに自宅に帰るのは週末だけということだが、そこには広い畑があり、羊なども飼育されている。畑仕事の合間には、哲学を専門とする彼は、今ではもう使われなくなったサイロを改築した宴会の書斎にこもり、窓から田園風景を眺めながら読書や思索に時を過ごすという。この風景には、まるで、窓の外に遠景を配することで画面に奥行きを与え、人間と自然の融合を暗示しようとした、あのレオナルドのモナリザに代表されるルネッサンス絵画の趣がある。
 A氏によれば、<絶対的な静寂>が支配するこの地に住むことによって初めて、彼が研究する中世ドイツの神秘主義哲学者、ニコラウス・クザーヌスのいう「無限」の意味がわかるようになったという。そういえば、私が4年前に訪れたドイツ、モーゼル河畔のベルンカステル=クエスはワインのメッカとして知られた絵のように美しい町であるが、クザーヌスはこの町の生まれである。それにしてもベルンカステルのワインの美味しいこと、まろやかでコクの深いぶどうの香り....。これはまさに絶品である。
 A氏のサイロ型書斎からの風景には残念ながら川はないが、彼の思索にはさぞやモーゼル・ワインが似合うことだろう。とにかく、職場と自宅とが若干(?)遠すぎることを除けば、まさに時代の先端を行く、私の憧れのライフスタイルである。
 もう3年ほど前のことになるが、夏のある日、彼の自宅に招待された。同じ町内会で隣人であるB氏夫妻も来ると言う。車のほとんどいない快適な舗装道路を飛ばし、たっぷり3時間余りの田園ドライブを楽しんだ後に到着したA氏の庭では、すでにB氏のグループも来て車座に座り、ジンギスカンの香ばしい匂いが私を待っていた。
 B氏夫妻はまだ若く、「きれいな空気」を求めて関東地方から北海道に移住してきた。この町で離農した農家の家を買い取り、独自の方法で畑と牛、豚、鶏などの飼育を行っているという。氏の牧場に居候しているという二人の男女の若者たちも関東地方からやってきたらしいが、読書するヒマに恵まれているとみえて物知りでインテリである。
 知的で楽しい会話、そして美味しい羊の肉を存分に味わった後、B氏が「帰りに私の家にも寄っていきませんか」と言うのでそうすることにした。氏の後について車を走らせながら私は少々不安になった。A氏の<隣人>であるはずの彼の家になかなk着かないのである。30分近くも走った末にやっと到着したが、なるほどここはまだ中頓別町である。つまり、A氏宅とその<隣人>で同じ町内会仲間であるB氏の家とはなんと25kmも離れていたというわけである。
 B氏の経営する「トウンペ牧場」で私が眼にした光景もまた印象的なものであった。豚たちは思いきり畑を走り回った末に、掘り返した畑の土にまみれて昼寝の高いびき....。そして放し飼い状態のニワトリたちもたくましく飛び回って、それぞれに広い生活空間を愉しんでいる。ここでは恐らくこの家畜たちもまた、狭い豚小屋や鶏小屋に<監禁>された多くの哀れな仲間たちとは比較にならないほどの、豊かな空間意識と広い<視野>を持っているに違いない。彼らがいったいどんな人生観、いや畜生観(?)を持っているのか、わが北海道の住人、ムツゴロウ氏の通訳で一度じっくり語り合ってみたいものだ。
 ともあれ,25kmも離れて住んでいる人たちが互いに<隣人>と意識し合えるこの空間感覚こそ,伝統的な日本人社会には無かった全く新しいコミュニティの芽になり得るのではないだろうか。人と人とを隔てる大きな距離空間,しかしそこには<大地自然>が介在している。そして「個」として独立した人格どうしが大地自然を媒介としつつ,空間的隔たりを越えて連帯するのである。
 ところで,東京とその周辺の三県(神奈川,埼玉,千葉)を合わせた,半径およそ65kmの円の面積に当る地域(国土の3.6%)に,なんと日本の人口の27%に当る3,200万人が住んでいる。この地域の広さを北海道地図に当てはめると,おおよそ網走と釧路を結ぶ線から東に突き出した道東の部分に相当する。ちなみにこの地域の人口は約63万人,なんと東京圏の50分の1である。この東京圏と道東地方,この二つの世界は同じ日本といっても,まるで<異次元>の生活空間である。そこでの生活感覚や人間観が<根本的に>異なってくるのは当然のことではないか。
 私が見たこの道北の町にあるものは大都会特有の近接空間の中での<よそよそしさ>や<もたれ合い>ではない。狭い空間占有率の中で肌を接しあいながら,互いに無視し合い,無関心を装うことによってしかストレスを逃れ,プライバシーを守る術がないような<無機的>な人間関係でもない。
 それはクールでありながら,しかし,踏みしめた大地を通して互いの体温のぬくもりを感じ合えるホットな関係である。騒音に囲まれた現代人の生活から失われつつある貴重な「内省的空間」(村瀬章『まちづくり変革宣言』)に恵まれ,広い空間を生活の本拠とする自立した個々人が,友情と友愛によって触れ合う有機的な人間関係,これが私のイメージする新しい「コミュニティ」なのである。




「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の美しき誤解(平成8年,『未来を開く北海道論』ぎょうせい,第4章より)
 「開拓者精神」というとすぐに引き合いに出されるのが,あの「ボーイズ・ビー・アンビシャス」という有名な言葉である。なぜかは知らないが,札幌農学校教授,W・J・クラーク博士の言とされるこの言葉は全国的にあまりにも有名になってしまった。しかし実は,これには<美しき>誤解がつきまとっているのである。
 クラークはまぎれもなくピューリタンであり,聖書を通じてキリスト教倫理を人間教育,人格形成の基礎にしようと考えた彼の本領は,札幌農学校の開校式のあいさつで述べられた言葉,「紳士たれ」(Be gentleman !)に集約されているように私は思う。彼はこれをあらゆる校則に代わる人格教育の原理として提示したのである。これはまさに近代西欧的な「市民倫理」であり,その根底にはもちろんキリスト教,特にピューリタニズムの倫理がある。
 更にクラークは,「イエスを信ずる者の契約」や,いかにもピューリタン的,禁欲主義的な「禁酒禁煙の誓約」などを起草し,札幌農学校第1・2期生の多くをキリスト教信仰へと導いた。そして後の内村鑑三らによる独立教会の設立,いわゆる札幌バンドの形成に影響を与えた。こうしたピューリタン的精神は,ともすれば享楽的・退廃的な風潮(官営の遊郭の存在などに象徴される)に陥りがちな北辺の植民地における一つの倫理的アンチテーゼとして,またその後の北海道に一つの倫理性豊かな精神風土が育つ<可能性>を与えたものとして,北海道開拓者精神史の観点からも高く評価されるべきであろう。
 しかしながら奇妙なことに。このピューリタニズムやフロンティア・スピリットに結びつくものとしてより一層有名になっているのが彼の「青年よ大志を抱け」(Boys be ambitious !)という言葉の方である。このような理解は果たして正しいのだろうか。
 クラークが本当にこう言ったとしても,そもそもambitionという語のニュアンスは決して「大志」と訳されるようなものではない。これは本来は「野望」とか「野心」という,むしろネガティヴな意味に使われる言葉である。ambitionの語源はラテン語のammbicioで,ローマの官職応募者が自分を売り込むために人々の間を歩き回ることである。
 ところで伝記などによってクラーク博士自身の生きざまをみる限り,それは実に「世俗」臭に満ちた生涯であると言ってよいだろう。たとえ彼自身が<敬虔な>クリスチャンであったとしても,彼の生涯はまさに本当の意味での「アンビシャス」(野心的)なものであったように見えるのである。
 実はクラークが言った言葉は,正確には「Boys be ambitious like this old man !」であったと伝えられている。つまり,後に「この老人のように」という言葉が入っていたのである。とすれば,彼自身,自分が「野心的」な人間であることを認めていたことになる。
 私は,もしかすると彼がやや皮肉を込めて(つまりこの語のネガティヴな意味をふまえたうえで),あえて「君たちは私のようにもっと野心を持って,自分を売り込み,地位と富と名声を求めよ。そうすることが<結果的に>北海道の発展につながるのだ」と言いたかったのではないかと考えている。しかしこれを聞いた当時の学生たちはこの真意を全く理解しなかった。これが私の仮説である。
 彼が札幌農学校の開学の時の式辞に,「ローフティ アンビション」(高貴なる野心)を持つようにと薦めていること(高久眞一「アンビシャス」への疑問,『北海道とアメリカー札幌学院大学公開講座,北海道文化論』)から見ても,彼がこの語のネガティヴな意味をふまえながら,部分的にはこの語にポジティヴな意味を想定していることがわかるのである。
 いずれにせよ,これからは「青年よ大志を抱け」などという,的外れできれいごとの誤訳はやめるべきだろう。せめて,「青年よ,野心家であれ」と訳してほしいものである。



コミュニティとしての食文化ー飲酒の社会学(平成8年,『未来を開く北海道論』ぎょうせい,エピローグより)
 食欲と「食べること」は本能であってそれ自体に意味はないが,料理や食べ方ということになると,これはもう立派な文化である。食べられたものは喉もとを通り過ぎた瞬間から,単なるエネルギーや栄養の源となってもはや文化的な意味を失ってしまう。だから調理から始まって,食物が下や喉で味わわれ,喉もとを過ぎる直前までのプロセスが「食文化」ということになるであろう。
 チョンガ−生活でいつも一人寂しく食事をしている人には申し訳ないが,食事というのは通常食卓を囲んで行われるものである。つまり,そこにはもう立派なコミュニティが成立しているのである。従って私は「食事」,つまり食卓あるいは酒席での人々の語らいを「コミュニティ」と言うコンセプトで考えることにしたい。特に酒の飲み方は,その国の文化に,そして生活の豊かさに大きな関係を持っているように思うのである。
 ところで,日本と西欧では,酒を飲むことの意味がかなり異なるように見える。西欧市民社会では一般に,酒は会話を楽しむ雰囲気づくりのために飲まれるものであり,サロンにおけるコーヒーとあまり変わらない意味を持っている。それに対して日本では,酒は感情の共有,同族意識の確認,そしてなによりも,酔うこと(忘我)によってストレスを解消することが目的のようなのである。
 結婚式の祝賀会やパーティに出席すると,最初は,酒や料理はおあずけのまま来賓のあいさつが延々と続き,一同神妙な顔をして聴いている。というよりも聴くフリをしているといった方がより正確だろう。頭の中ではきっと全く別のことを考えているに違いないからである。そして待ちくたびれた後の「乾杯」があり,やっと祝宴が始まるとそこはもうカオス,一気に座はくだけて席を立っての酒の注ぎ合いが始まり,長時間待たされた反動もあって一同はすぐに<酔っぱらって>しまう。こうなるともう,誰かがスピーチしても,ステージで歌をうたっても,もう誰も聴いてはいない。なんというこの落差のはげしさ!
 ヨーロッパ風のパーティでは,少し時間的に余裕を持ってやってきた客たちに,パーティの始まる前にすでにシャンパンやワイン入りのグラスが渡され,オードブルをつまみながら会話に花が咲く。パーティが始まると,あちこちでなごやかな会話の輪ができるが,誰かがスピーチを始めると皆耳を傾け,ユーモア溢れる語り口に笑いと拍手が飛び交う。もちろん<酔っ払う>者などまずいない。こういう<場違い>の人は誰もパーティに<招待>されないからである。こうした違いを私は「酒場文化」と「サロン文化」の違いということができるように思う。確かにこのイメージは,やや「上流階級」風かも知れない。しかし,私が知り得た庶民的な人々の集まりも基本的にはこのスタイルであった。
 これは単に文化や習慣の違いといって片づけられる問題ではなくて,日本社会そのものが持っている構造的体質の表れではないだろうか。酒を酌み交わす相手は,西欧では友人であるのに対して,日本では職場の同僚や会社の仕事関係の人が圧倒的に多い。酒席での話題は仕事の話,あるいは上司やそこにいない同僚の悪口,そして酒を飲んだ後のカラオケなど....,このような日本人の酒の飲み方の背景にあるものはやはり仕事中心の日本社会,会社(システム)人間,ストレスの多い会社での人間関係などであろう。「余裕」のない社会,決してまだ質的に「豊かな」コミュニティが存在するとは言えない日本型社会の縮図がそこに見えるのである。




「わび」「さび」の美学と北海道ーたかが蛙一匹?(平成4年,『くたばれ!東京神話』(北海道新聞社),第3章より)
 最近日本の俳句や和歌が外国語に翻訳され,世界の<文学愛好家>に注目されつつあると聞く。しかしそれが本当に理解されているかどうかはかなり疑問である。
 例えば,「古池や蛙飛び込む水の音」という,芭蕉の名句をうまくドイツ語に翻訳し,ドイツ人にその言語的「意味」を理解してもらったとしても(もっとも,そこにいくまでには,「蛙は一匹かそれとも複数か」とか,「<飛び込む>の時制は何か,現在か,未来か,それとも現在完了か」,また場合によっては「その蛙はオスかメスか」などという,日本人なら考えたことも無いような「些細な」問題にはっきりと決着をつけなければならないが),たいていのドイツ人なら更に次のように問うだろう,「意味はよくわかった。でもそれが一体どうしたというのだ?」と。
 この最後の問いこそ決定的なものであり,ここで我々日本人は絶句せざるをえない。この問いは繊細な美的感覚の所有を自認する日本人(いや内地人)の誇りをいたく傷つけると同時に当惑狼狽させるものである。もしこの無礼な問いにしかるべき反撃を加えることができなければ,芭蕉の「蛙」や「蝉」はおろか,小林一茶の「蝿」や「雀」までもが日本文学史上の<名誉ある>地位を失いかねないからである。でも正直なところ,私たち北海道人ならこの問いに思わず吹き出し,そしてなんとも言えない痛快さと共感を感じないだろうか。
 本州人は和風庭園を愛し,苔むした木や岩とチョロチョロと流れる水の音に包まれてなんとも言えない心の安らぎを感ずるらしい。「わび・さび」の世界は,このように,<湿気>が多く,小づくりな(箱庭的)自然と同居している本州人の美意識であり,これとは異なって<乾燥>した,そして厳しく雄大な自然と対峙している北海道人には決して<体感>できない世界なのではないだろうか。
 少々開き直って言えば,私たち北海道人の本音はむしろドイツ人の方に近い。「たかが蛙一匹,古い池に飛び込んだからといって,それが,どうしたというのだ?」,そこにはなんの感興もない。「池」ではなくて「神秘の湖,摩周湖」に,「蛙」ではなくて「人間」(それも和服姿の美しい人妻?)が飛び込んだというのならば,そこに感じ取れるなにかミステリアスなロマンとサスペンス,ささやかな社会的意味とが私たちのイメージと感性を大いに刺激してくれるかも知れないが....。
 私たち北海道人にとって,本当に芭蕉の句は素晴らしいのか?,私たちには少なくともこうした問いを発する権利があるのではないだろうか。いずれにせよ,私たちは自分たちの頭脳と感性とで,北海道の風土と歴史にふさわしい教育を改めて考え直そうではないか。




弁証法的ラーメン<分化>批判(平成4年,『くたばれ!東京神話』(北海道新聞社),第6章より)
 北海道の味覚もまた人々の憧れの的である。ところで「料理」もまた人間の文化であり,そこには大きく分けて(文化の程度に応じた)五つの段階,即ち@素材の新鮮な生の味を生かすもの(生,刺身),A直接火で焼くもの(焼き物料理),B煙でいぶすもの(保存食,燻製),C蒸気で蒸すあるいはふかすもの,D水で煮るもの(鍋物)がある。新鮮な農産物,魚介類の豊富な北海道は,@のレベルで日本一であることは勿論,Aではジンギスカン,Dでは石狩鍋など,日本に誇る味覚がある。ハム・ソーセージなど保存食の分野Bはこれから大いに期待されるところであろう。
 北海道のラーメン(というより<札幌ラーメン>と言った方が通りが良い)もまた北海道の味覚として人気が高い。特に寒い冬の夜,濃厚な味の熱いラーメンはこたえられない。
 ところで,一応グルメを自認している私は,北海道ラーメンの現状に対して大いに不満と危機感を感じている者の一人である。あえて,北海道ラーメンは<堕落>の道を歩んでいると言ってもよい。私が許せないのはいつの間にか(私に断りもなく!)定着してしまったラーメンの「みそ味」,「しょうゆ味」,「塩味」への分化(固定化)である。「みそ味」はそれこそみその味しかせず,たいていは過度に辛い,「しょうゆ味」はやたらに黒くしょっぱい,そして「塩味」は一般に
淡白でコクが無い。どれも私には今ひとつ物足りないのである。何故このように<味>を<分類>してしまわねばならないのか?,これが私の根本的疑問である(ちなみに,そば屋には「みそそば」や「塩そば」など存在しない!)。私は「××ラーメン」ではなく,「ラーメン」が食べたいのだ。
 私が子供の頃,ラーメン屋に行くと,何も言わなくても「ラーメン」が出てきた。それはみそ味でもなく,しょうゆ味でもなく,塩味でもない。その店の主人が色々な調味料をミックスして練り上げた自慢の味であった。あの味はもうどこにも無い!....。
 私に言わせるなら,<味>というものは<総合>芸術でなければならない。味噌でもしょうゆでも塩でも,なんでも使って<総合的>に最高の味を創り出すのが調理人の腕ではないか。それがまさに分化の本質である。しかるに,こうしたラーメン味の<分化>はまさに<文化>を破壊し,安易な<単純化>の道をとることによって様々な緊張を孕んだ諸要素(諸味)の弁証法的<総合>(止揚)を妨げているのである。
 実は,哲学的観点から見ても「分化」主義は「文化」の頽廃,堕落傾向と軌を一にしている。文化発展が行きづまり,衰退し始めた時,どこでもそれは過度の分化,細分化によって本来のエネルギーを分散,減衰させる傾向を示すのである。東京文化全体がまさにその衰退期にある時,ラーメンの世界では逆に,北海道ラーメンがみずから「総合」主義という<王道>を捨てて「分化」主義という<堕落の道>を歩んでいるとは....,これぞまさに私としては見るに忍びない光景である。
 ともあれ,グルメ王国北海道の将来を担うこれからのラーメン屋は,「ラーメン!」という客の注文に対して,決して「なにラーメンですか?」などと言う愚問を発して欲しくはない。客が真に求めているのは「××ラーメン」ではなく,その店が自慢する最高の味の,いわば<究極の>「ラーメン」なのだから....。



宗教的感性と知性(平成4年,『くたばれ!東京神話』(北海道新聞社),エピローグより)
 絢爛たる世紀末文化の爛熟は次第に腐臭を放ち始めつつあるように見える。しかし腐敗はまだ救われる。なぜなら,腐敗物は分解され,再び新たな生命の芽を生い出させるからである。より一層悲劇的でかつグロテスクなものは腐敗を奪われ,永遠の地獄の生へと定められたシシュフォスの悲劇,プラスチックの残骸であろう。
 こうして,「近代西欧合理主義」の一環を成す近代科学技術の発展は,私たちの生活を快適で便利にする半面で,私たちにとってかけがいの無い自然環境と生態系を破壊し,グロテスクな残骸を排出し続けているのである。
 自然破壊という犯罪から人間を救うものは一体なんであろうか。それはもはや技術的知性ではなく,自然えの「畏敬」の念の復活ではないだろうか。
私たちの先人,アイヌの人々のように,北海道の雄大な自然の全ての存在物中に神聖な力を認め,それに敬意を払う心性の復活である。
 自然の脅威と闘いながら生きた原始人は,自然の中に「非日常的」,「超自然的」な力(カリスマ)を認め,それに働きかけ,宥めるための儀式(呪術)の中で自然と一体となり,エクスタシー的結合へと到達した。私たちは文明の堆積の下で永らく眠っていたこのような人間の原初的心性を再び呼び覚ます必要があるのではないだろうか。
 ただしこの一体感は決して日常的なマンネリとしての経験ではない。それは間欠的,周期的な自然との結合であり,あくまでも「非日常的」で「聖なる」時間である。文明はこの聖なる時間を人間から奪ってしまった。それはちょうどハレとケから成る「人生周期」の中で「祭り」が果たしている役割と似ている。自然と人間との「緊張的」関係はこのようにして<止揚>され,<調整>されているのである。
 このような心性はある種の宗教的感受性であると言ってよい。私の考えでは,これは宇宙的存在に対する一つの直感であり,一種のバランス感覚である。その意味でこれはある種の知的感性であり,カントの用語で言えば「悟性」(計算的,論理的思考能力)に対する広い意味での「理性」に当てはまるものかも知れない。
 おおげさに言えば,いま,宇宙的な観点から文明人全てに求められているものこそ,まさにこのようなバランス感覚,感性的・直感的知性ではないだろうか。文化・文明が広い意味での人間の「理性」を「悟性」てきなものへと次第に矮小化してきたのではないか。
 世の中の「主知化」が進み,計算的・打算的能力が過大視されて,学歴社会,偏差値教育の中を<勝ち残って>きた若者たち,いわゆる<秀才>によって作り出される文化など,先が知れている。彼らにはこのような直感的バランス感覚,感性が欠けていると思われるからである。
 



宗教・芸術・性を結ぶものー「エクスタシー」(平成4年,『くたばれ!東京神話』(北海道新聞社),エピローグより)
 「芸術」,つまり美の世界と関わる営みは,その本質からして「倫理」とは全く無関係である。というより,あえて言えば,倫理の側から見れば,「芸術」は「性愛」の領域と同様にかなり<いかがわしい>世界なのである。
 しかし、キリスト教の教会音楽の例に見られるように、「芸術」は「宗教」の領域とはある部分で親近性を有している。私の考えでは、「性愛」、「宗教」、「芸術」、この三つおエロス的文化領域はいずれも一つの共通な究極的目標を持っている。それは「エクスタシー」に他ならない。
 「エクスタシー」は日本語では、「忘我」、「恍惚」などと訳されるが、言語の意味は「外に(ex)立つこと(stasis)」、つまり、「脱自」存在である。人間は、自己が他者あるいは宇宙世界の中に溶解し、完全に一体化したと感ずる時に快感もしくは浄福感を味わう。セックスにおいては勿論のこと、多くの宗教もまた音楽を媒介とした、集団的な宗教的エクスタシー状態を一種の「救済財」として所有している。
 日蓮宗の信者たちは「ドンツク・ドンドンツクツク」と太鼓を打ち鳴らしながら「南無妙法蓮華経」を唱え、次第に集団エクスタシーの状態に入ってゆく。
ラヴェルの名曲「ボレロ」お例に見られるように、単純な反復されるリズムは奇妙に人間を興奮させるのである。ちなみに、法華の太鼓も「ボレロ」も共に3拍子であり、リズムの形態も奇妙なほどよく似ている。これも偶然ではないであろう。
 更に洗練された形ではカトリック教会のミサに奏される音楽がある。教会の天蓋に響きわたるオルガンとコーラスの響きはそれだけで人々の魂を天上の世界へと昇天させ、エクスタシーへと導く。不謹慎な私は、フォーレお「レクイエム(死者のためのミサ曲)」を聴くといつも、そのあまりの天国的美しさに、死者に対する悲しみよりも天上の世界に触れた喜びに<恍惚>としてしまうのである。
 ちなみに私は、通夜の席でお坊さんによって奏される<並行不協和音的三重唱>にさえ、その涅槃寂静の境地に魂を奪われ、妙なる不協和音の美しさにウットリと聞き惚れてしまうこともしばしばである。このひと時の快感は、人の魂を死の悲しみの外部へと連れ出す魔性の刻であると同時に、人間の生の永遠性を予感させることによる死の克服のサインでもある。ともあれ、この罪深い私を神、いや仏は許し給うであろうか。



風土と芸術,「光」と「陰」ー北の自然と絵画(平成4年,『くたばれ!東京神話』(北海道新聞社),第14章より)
芸術と風土 美的創造の世界,つまり芸術は北海道の風土の中でどのような可能性を持っているのであろうか。そのことを考える前に,ここではとりあえず,北海道という空間の枠を超えて,<北方的>な風土と美的・芸術的感受性との一般的関係を模索しつつ,しばしの間,北方世界における美の風景を巡る旅に遊ぶことにしたい。
 ところでそもそも「芸術」とは一体何か,この問に正面から,厳密に答えようとすれば,哲学的考察を要する大問題になるであろう。私はここで哲学的論議をする気はないが,ただ一般的に思い浮かぶのは,まず,「芸術」は人間の<エロス>的生命発現であること,しかしそれはむきだしの,粗野な発現ではなく,それが「人間」の美意識に基づく創作活動であること,である。
 しかし他方,そこにはなんらかの美的「形式」ないし「秩序」が求められること,そして英語の「アート」(art)やドイツ語の「クンスト」(Kunst)という語の原義が示しているように,「自然」そのものに対立する「人工的な」世界であることも付け加えなければならない。
 しかし常識的に見て,次のこともまた否定できない。つまり,「芸術」はなんらかの形で「自然」を「模倣」し,あるいは「対象化」しているということである。とすれば,芸術的創作活動にたずさわる人間にとって,自己の周囲にあって常に慣れ親しんでいる「自然」の姿,風景,気候風土は彼の芸術的インスピレーションの源泉であり,美的イメージの生成に大きな影響力を持つことは疑えないであろう。
 ただし,芸術作品はその本質からして,個々の芸術家のまさに<個性的>な感覚と才能によって生み出された個性的な作品であり,そこでは風土と作品との間の関係を<一般的>に定式化することは許されないだろう。従って私たちはそれぞれの作品の中に,個々の芸術家の魂と身体の中に独特な形で織り込まれている風土の<影>と<痕跡>を認めるに過ぎないのである。

光と陰 芸術家の心象にとって,まず第一に太陽とその光は最も重要な要素であろう。例えば,ヨーロッパの美術史を見ると,陰鬱な天候が支配するアルプス以北と太陽の光に恵まれたアルプス以南とでは,明らかな画風,色調の違いが見られる。ヨーロッパの美術館で,ドイツやオランダの絵画が並ぶ部屋からイタリア,ルネッサンス絵画やフランス印象派絵画の部屋へ移動した時,そのあまりの明るさとまぶしさに思わず目が眩む思いがする。それはまるで暗いトンネルを抜け,明るい昼の世界に入り込んだ時のようである。光の充溢と欠乏,それは人々の光に対する感受性,しかも明暗のみならず色彩感覚の形成,そして更には内的創造世界の形成にも微妙な差異をもたらす。

オランダの巨匠たち いつも雲に覆われた北ヨーロッパの陰鬱な気候風土は,人間を解放的で官能的な充足感よりも,むしろ精神的な深みとロマン的叙情へと向かわせる。低くたれこめた雲,憂愁に満ち,なにか沈鬱な雰囲気を漂わせているオランダの風景画家,ロイスダールの画面はまさにオランダの風景そのものである。しかしその前にしばしたたずんでいると,彼の絵には常にある種の安らぎというグルント・トーン(基調)が支配していることが分かってくる。それは雲間からかすかにこぼれる太陽の光(救い)であり,この間接的な光に照らし出された農民と家畜との牧歌的な安らぎと憩いの表情である。そしてたいていは,画面の天地を結ぶ接点に描かれた教会がか弱い存在である彼らをひそかに祝福している。運河と教会に守られた彼の生地ハーレム(アムステルダムの西18キロ)の街とその周囲を支配している素朴さと優しさに満ちた詩情,それがまさに彼の感性を育てたに違いない。
 巨匠レンブラントの画面の大部分を占めているのは闇であり陰である。ただ一点に光が当てられ,その一点に凝集した光は人間の内面的深みを照らし出す。彼の実に天才的,驚異的な人間および人間性描写能力を支えているものこそこの陰と光の魔術に他ならない。
 やはり光と影の対比が絶妙な色調で描かれたフェルメールの室内画にはまさに光への<慈愛>が満ち溢れている。ただ彼の作品にはロイスダールやレンブラントには無い独特の色彩感があり,それは彼の生地デルフトの色彩感豊かな美しい街並み,そしてあの青白を基調としたデルフト陶器の華麗な世界と決して無縁ではあるまい。
 こうして見ると,これらオランダの巨匠たちの絵画の底に還流しているものは,雲間から差し込む日光の輝かしさ,光への讃歌と憧憬の表現であり,いわば「北方」の陰鬱さの中における光の「顕在化」であると表現してよいであろう。

北国の色彩感ームンク 光の欠乏と光への憧憬はまた,内面的に,独特な色彩的感受性を育てる。ノルウェーのオスロにあるムンク美術館に掲げられた多くのムンクの絵は,あたかも一条の光が彼の心の奥底に深く眠る孤独と死への不安,そして内に秘められた<世紀末>的狂気という心理層のプリズムを通って,様々な色の虹模様を画面に映し出しかのようである。
 そこに充溢する光と色彩のアンサンブルは,北方のクリマ(気候)と感性との融合から産み出された「心象」風景である。そして特に,彼の絵の「緑色」の中に私は,この色に対する,北国の人特有の<感覚>を見る。まさに「緑の魔術師」とも思える彼の画面の中では,緑は希望,平和,喜びのみならず,陰,不安,悲しみ,嫉妬,罪のサインでもある。彼の異常とも思えるほどの緑色に対する鋭い感受性はやはり北国という風土を抜きにしては考えられないであろう。
 この緑色への独特の感覚は,私がミュンヘンの美術館で数多くの作品に接することができたカンディンスキー(モスクワに生まれ,ミュンヘンで活躍した抽象絵画の祖),そして彼と共に「青騎士」(Blaue Reiter)のグループに属するヤヴレンスキー,マルク,マッケなど,更にはロシア生まれの幻想画家シャガール,そしてわが北海道の日本海の漁師として自然の中に生きた画家,木田金次郎の絵画などにも共通して言えるように思われる。
 北国の冬は「白い」世界,白色の圧倒的力に支配される。白雪に覆われた大地,降りしきる純白の雪,視界を真っ白に塗りつぶす吹雪,白い雲に覆われた空。そして春,半年ぶりに溶けた雪の下から顔を覗かせる土の褐色と草の緑は人々の眼にまぶしく,そして限りなく「暖かい」。常緑の世界に住む人々にとっては<平凡で退屈>な色であるかも知れない緑色も,北国では全く異なったイメージに包まれる。まさに<燃えるような>「暖かさ」,そして夢とメルヘンに満ちた「希望」のイメージを持って,更には限りない表現可能性の下地として私たちは「緑」を見るのである。



「北方」の叙情ー灰色の海とシュトルム,伊藤整(平成4年、『くたばれ!東京神話』(北海道新聞社)第14章より)
 「みずうみ」で知られる抒情詩人、シュトルムは「北海」に面した北ドイツの小村フーズムで生まれた。6年前に私が訪れた北海とフーズムの町は彼の詩にうたわれている、そのままの風貌で私を迎えてくれた。
 北海の波は冷たく荒々しく打ち寄せ、そしてその色は暗く、陰鬱な表情を持つ。青々と暖かな海と海水浴のできる浜辺の多い「東の海」(バルト海のことをドイツ語ではそう言う)とは対照的である。そこには人と海の融和はない。何故なら、北海沿岸地方では、ともすれば高波が陸を削り、侵蝕する荒波を避けるためのダイヒ(堤防)が冷たく人と海とを隔てているからである。
 いかにも小じんまりとした、活気の無いこの町の中心広場の一角にシュトルムの生家があった。彼の叙情的感性の中に決定的な刻印を徴しているのがこの海と町の「灰色」である。「灰色」は重苦しさ、寂しさの情趣を漂わせながらも同時に、幻想とロマンの下地、背景ともなる。彼の詩『町』は次のようにうたっている。

    灰色の海岸 灰色の海
    そのそばにある町なのだ。
    霧が重たげに 家々の屋根をおしつけ
    しずけさをぬって 海が
    町のまわりで 単調にざわめくばかり。

    風にそよぐ森はなく 五月になっても
    鳴きしきる鳥ごえもせず
    ただガンばかり するどいさけびをあげ
    秋の夜長を とびすぎてゆき
    岸辺では 風になびく草。

    それでも灰色の町よ、
    心の底から ぼくは君に惹きつけられて
    青春のふしぎなちからはいつもいつも
    ほほえみながら 君の上にある、
    灰色の海辺の町よ。          (藤原 定訳)

 ここにうたわれているように、灰色は単調、もの悲しさ、寂寥のイメージに包まれている。しかしその一方でこの色調は不思議な魅力と創造的活力を秘めているのである。「白」といい「灰色」といい、実は北国特有のこのモノクロ、モノトーンの世界こそ、常にみずみずしく豊かな感性と色彩感覚豊かなイメージを湧き出させる源泉であり、背景なのだ。
 思えば、わが北海道の港町、小樽が生んだ文豪伊藤整の詩集『雪明かりの路』の世界はどことなくシュトルムの世界と似た詩情を漂わせている。

     京都

    返ろう古い京都の寺と 塔と 橋と
    ひとの美しい 私に気付いていない街から
    静かな島々を浮かせる内海から。
    いまはただもう返る心になり。
    九月に入れば空気のつめたい国へ 林檎の実っている
    畑へ
    心おきない村の仲間へ
    ああ汽車に二夜 津軽の海を越えた所に
    なつかしい緑の国がひろがっている。

     月夜を歩く

    泣きやんだあとの様に
    月が白い輪をもった夜更けて
    私は
    ひとり忍路の街を通り抜ける。
    切通しをのぼりきれば
    海の見える さびれた家並みがある。
    海は湾の内に死んで
    灰色の脊を見せ
    家々は寝静まっている。
    そとに夜どおし立っている桐の木の花が
    甘く 鋭く匂っている。
    私は いくつも いくつも
    潮風で白くなった板戸の前をすぎて
    わるいことをするように
    下駄の音をしのばせてそこを通り抜けた。
    ああ 何のための
    遠い夜道だったのだろう。
    いたどりの多い忍路から出る坂路で
    誰も知るまいと
    私は白い月を顔にあびて微笑んでみたのだ。
    
 深い憂愁に彩られたみずみずしい叙情、そしてこの詩集の全体を圧倒的に支配している色は「白」(そしてその対立としての緑)である。白い雪、林檎園の白い花、月の白い光、そして女の白い足袋....。この詩人の「白」色に対するまさに異常な感覚と執着は『若い詩人の肖像』での「白い頬の少女」への愛着からも窺い知ることができる。
 北海道文学者の正統からみると「異分子」(山本健吉)であり、日本の文壇の中では「不思議な、正体の知れぬ人」(中村光夫)と言われた伊東整こそ、その実在の姿において最も<北海道>的である。彼は不思議なバランス感覚を備え、自らを<幽鬼>として意識的に故郷を喪失し、そして北海道、日本、西欧の三極の交点で常にマージナル・マン(辺境人)として生きようとした。こうして生まれた「郷土の匂いと伝統ある風土の味わいの欠如」(中村光夫)によって、むしろ彼は逆説的に自らの内なる北国の風土性を実証したのである。




「北方」の憂愁とロマンチシズムー北の音楽家たち(平成4年『くたばれ!東京神話』(北海道新聞社),第14章より)
ブラームスの憂愁 北ドイツ,ハンブルク生まれのブラームスの音楽は,北方的jな憂愁とロマンチシズムとの融合を示している。彼のロマン性溢れるメロディーは,彼のもう一つの属性である古典的形式と重厚で陰影に富んだ和声という枠組みの中で,内面に向かって燃えさかる。数多くの歌曲の<叙情>や「交響曲第4番」の<情熱>に見るように,いわばロマンチシズムの<禁欲的>燃焼,これこそブラームスの音を集約した表現のように思える。南方的な「旋律」原理(音楽の生命)が北方的な「和声」原理(音楽のラチオ)の中に包摂され,融合している彼の音楽はそれ自体がまさに西欧的和声音楽の原典を示しているかのようである。
 そしてあのワーグナーの官能美とはまさに対照的に,プロテスタント的敬虔から出る,虚飾と華美を排した独特の生真面目さと重苦しさの中には,やはり彼の血の中に流れる北ドイツ的なもの,特に「灰色の海(北海)」と「憂愁」が影を落としているのである。

バッハとプロテスタント的敬虔 このような北ドイツ人のプロテスタント的敬虔を肌で感じたのは,バルト海に面した北ドイツの港町,キール市の南にある小村,プリーツの教会で聴いたバッハのカンタータのコンサートにおいてであった。6年前のある夏の夜,縦に細長い教会堂の座席をぎっしりと埋めた聴衆は,いずれも,何の飾り気もない実直そうな村民たちであった。
 バロック・オーボエ,トランペットの音や,ソリストやコーラスの音が,(かつてのカトリック)教会堂の天蓋に交錯して深い残響の中で溶け合うその時,聴き入る人々の表情には慎ましやかな法悦(エクスタシー)の喜びが溢れ出る。この法悦の中でじっと聴き入る人々の息づかいはまさに敬虔そのものであった。私はこの時初めて「敬虔」という境地を実感したように思った。
 コンサートが終わったあと,一組の実直そうな老夫婦が私を呼び止めてこう言った,「失礼ですが,あなたは日本から来られた方ですね?,もしよろしければ私の家へ招待したいのですが....。私たちはアジアの宗教,特に仏教にとても興味を持っており,日本の宗教の話をぜひ聴きたいのです」。勿論私はその好意溢れる申し出を丁重に断って帰途についたのであるが,あの老夫婦の,一途に魂の深さと安らぎを求めているような澄んだ眼の輝きを忘れることができない。

ウェーバー『魔弾の射手』とドイツ的ロマン やはりキールの南方,リューベックへの途上にある町,オイティーンは作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーの生地である。毎年夏にはこの町でウェーバーの『魔弾の射手』の野外オペラが上演されている。
 7月半ばのある日,私はこの野外オペラを聴きにこの町を訪れた。半日粘ってやっと手に入れた入場券を持って私は会場へ急いだ。勿論,その夜はこの町に泊まるつもりで駅前に宿を確保してからのことである。
 町の中央公園の中にある野外ステージは,このオペラの舞台そのままに,木立に囲まれた森の中にしつらえられていた。しかも,第一幕の昼の場面が終わって,休憩をとっている間に日が沈んであたりはすっかり暗くなり,それから第二幕の夜の場面が始まるという,心憎いばかりの時間演出である。
 木々にこだまし,森の奥深くまで吸い込まれてゆくような艶やかなホルンの音と共に始まったこのオペラは,ドイツ・ロマンチックオペラの真髄を心ゆくまで堪能させてくれた。
 ハンブルクからの超一流のオーケストラ,歌手,合唱団,そして指揮者。それに野外でしかできない大掛かりな工夫を凝らした仕掛け....,眼前に展開する華麗なメルヘンの世界に私は目を奪われ,時の経ちゆくのも忘れていた。ふと周囲を窺うと,びっしりと席を埋め尽くした聴衆(勿論,ほとんどがこの町の人々)の表情には幸福感と陶酔が溢れ,その姿がまた私を一層熱くしたのである。
 このオペラを見ていると,ドイツ人のロマンチシズムの本質が分かるような気がする。それは特に<森>への愛情とロマンチックな想い入れであり,緑,木陰,葉ずれ音,鳥のさえずりが彼らを幻想と陶酔お世界へと誘い,幸福感へと導くのである。
 それにしても,こんな素晴らしい郷土の宝をいつまでも享受し,誇ることのできるこの町の人々はなんと幸せなのだろうか,帰途につく人々の群れの中で,私は,まだ醒めやらぬ感動の余韻とともに言いようのない羨望感に捕らわれていた。

ロシアの風土と音楽 更に北方の国,ロシアや北欧に眼を転ずると,音楽と風土との関わりは尚一層濃厚になるように思われる。ロシアはア・カペルラ(礼拝堂風に,無伴奏)の合唱を基本としたロシア民謡の宝庫である。大地の底から湧き出て,あたりを揺るがすようなバスの輝かしい響きとその上に重なる重厚なハーモニー,それはまさに大地と人声との融合である。
 そこでは,広大なロシアの大地と,小さくか弱い人間との交流の中から生まれる様々な人間の感性,労働の苦しみや喜び,巨大な自然と運命のうねりの中で可憐に燃え上がり,そしてかき消される愛の喜びと別れの悲しみが歌われている。その哀調を帯びた甘美な旋律は理屈抜きに私たちの心を揺さぶるのである。
 一方,そこには更に洗練された純粋音楽の伝統も息づいている。私たちがチャイコフスキーの交響曲第六番『悲愴』や『ピアノ・コンチェルト第一番』を聴く時,そこには西欧の貴族サロン的気品と共に,濃厚なスラブ的憂愁とロマンチシズムの世界が展開されているのを感ずる。
 この甘美な感傷は北国独特のクリスタルのような透明感に彩られている。メランコリー(憂愁)には,二つのカテゴリー,つまり,官能的,退廃的メランコリーと感傷的,美的メランコリーとがあるように思うが,ここに見られるのは明らかに後者,つまり北方的なものであろう。
 甘美でロシア的叙情溢れるロマンチシズムはラフマニノフの『ピアノ・コンチェルト二番』にも聴くことができる。なんとロマンチックで華麗なピアニズムであろうか。私がピアノという楽器の音色に本当の魅力を感ずるようになったのは確かこの曲を聴いてからのことであったように思う。
 1917年のロシア革命に同化しえず,アメリカに亡命したこの天才ピアニスト,作曲家には,更にロシア正教の典礼音楽としてア・カペルラで作曲された合唱曲の傑作『晩祷』がある。この曲にはロシアのア・カペルラ合唱という土着の伝統の上に,ロシア的宗教性と西欧音楽の洗練された美が溶け込んでいる。この曲の精神的深さと美しさはなんとも喩えようが無く,ただひたすら天上の世界を志向するローマ・カトリック的宗教性に対して,天上世界と広大な大地を同時に包み込むような圧倒的な迫力で迫るこの曲の美的世界は明らかに<北方的>な精神の結晶と言えよう。

北欧の風土と音楽への旅=シベリウスとグリーグ ある夏の終り,シベリウスとグリーグの音楽世界と,その舞台となった自然と風景を尋ねて北欧の旅に出た。ストックホルムの港から豪華フェリーで初めて足を踏み入れた森と湖の国,フィンランドの空は青く澄み切って,爽やかな初秋の装いで私を迎えてくれた。北海道とほとんど変わらぬ(広告や看板が一切目に入らぬこと以外は)車窓からの風景は私の心を和ませる。
 ヘルシンキから汽車で二時間,ハメーンリンナの町の中心にささやかなシベリウスの生家がある。受付け嬢が唯1人の見学者,私のためにかけてくれた『フィンランディア』の壮麗な音楽が流れる中,私は心ゆくまで在りし日のシベリウスの空想に遊んだ。生家のすぐ近くにはささやかな森と岸辺に城を備えた静かな湖があり,数人の釣り人が糸をたれ,無言で湖面を見つめている。少年シベリウスが戯れ,ファンタジーの世界に遊んだに違いないその自然は全く作為の無い素朴さと暖かさに包まれているように思われた。
 一方,ヘルシンキの郊外には,彼が愛妻アイノと晩年を過ごした家「アイノラ」がある。のどかな田園地帯の木立に囲まれたその家の裏の墓には,彼の永遠の眠りがあった。
 フィンランドの自然を特徴づけるものは透明で乾燥した空間,この空間にこそシベリウスの重厚な管の和音,直線的に大気を突き抜ける音の響きと造形が適合している。そして彼の音楽世界の背景を成している自然は全く作為の無い,素朴でかつ<神秘的>なものである。
 『交響曲第二番』の壮麗,壮大な高揚感,『交響曲第五番』の神秘的でナゾめいた,しかし暖かい自然の呼吸,そして『バイオリン・コンチェルト』における外的宇宙(自然,オケ)と小宇宙(内面世界,ソロ)との緊張感に満ちた交歓,いずれの場合にも彼の音楽には常にある種の緊張感があり,メロディーが美しく唄われる場合でさえ,そこには完全な緊張からの弛緩と安易な同一化を拒否する神秘的な自然がある。彼の音楽の中に私たち北海道人の魂と感性が最も魅かれるものがあるとすれば,その理由は恐らくこの<神秘的>自然への共感であろう。
 フィンランドが森と湖の国であるとすれば,ノルウェーは山と海とフィヨルドの国である。ノルウェーの自然はフィンランドやスウェーデンの自然に較べてはるかに変化と色彩感に富んでいる。
 オスロからベルゲンへ向かう汽車と船の旅は多彩な自然のパノラマの展開に,まさに息を飲むような,エクサイティングな時間の連続であった。高さを増すにつれて車窓の風景がドラマチックに変化し,千メートル以上の高地に入ると今まで見たこともない,まるで極地の風景が眼に入ってくる。氷河と岩に付着した薄緑色のコケ,ここでは植物はコケに姿を変えてなお生き残っているのだ。昆虫の変態にも似たこの植物の<メタモルフォーゼ>(変容)による生命の神秘に私は異様な感動を覚えた。
 深い峡谷,垂直な断崖を持つ山肌と青々とした海,そして所々に点在するまるで絵のような家と村....。フィヨルドの奥深く,船上の私の眼前に展開するカラフルな海の絵模様に私は更に圧倒された。ノルウェーの自然が奏でるこの無限の色のシンフォニー,これこそ色彩感に溢れた華麗なグリーグの音楽世界(そしてあのムンクの色の世界)に対応するものなのだ。
 グリーグの生地,ベルゲンもまた,華やかさと色彩感に溢れた港町であった。この町にあるグリーグの家はやはり海を見下ろす丘の上にあり,家とは離れている彼の仕事場であった小さな小屋には一台のピアノと,海を望む窓辺に机だけが置かれていた。あらゆる雑念を排して音とイメージの世界に没入していたであろう彼の姿が偲ばれる。彼のイマジネーションの多くもまたこの窓から望める海岸の風景から得られたに違いない。
 その小屋から海岸に降りていった所の岸壁のうえに彼と彼の妻が眠る墓があり,その岸壁に向かって波が優しく打ち寄せていた。どこからか『ペ−ル・ギュント』のあの哀調に満ちたソルヴェーグの歌が聞こえてきそうな,そんな優しさに満ちた昼下がりの海辺であった。
 彼の傑作『ピアノ・コンチェルトイ短調』に見られるように,グリーグの音楽には,シベリウスには無い柔和で豊かな色彩感,印象派的なたゆとう感覚のひらめき,そして一種のメランコリックな安らぎがある。また彼の音楽には『ペール・ギュント』に見られるようなエキゾティシズム,国際性もまた感じられる。しかしこの『ピアノ・コンチェルト』の華麗で感傷的なロマンチシズムはまぎれもなく北欧のものである。シベリウスが本来バイオリニストでその本領を『バイオリン・コンチェルト』で示したの同様に,グリーグは『ピアノ・コンチェルト』で,彼が生来のピアノの詩人であり,達人であることを私たちに実証しているのである。
 ある種の暗く感傷的な叙情と憂愁,そして透明感,これはシベリウスやグリーグのみならず,全ての北方の音楽に共通した特徴である。緊張からわが身を開放して柔和な外的自然の誘惑に身を任せ,一体化しようとする南方的叙情とは異なって,北方的叙情は常に緊張感を保ちながら外面世界との距離化の中で内的叙情を燃焼させようとする。そこに独特の感傷や憂愁が生まれるのであろう。内的感情の世界(愛,喜び,悲嘆)の燃焼を表現するドイツ・ロマン派音楽もまた確かに北方的叙情の一形態には違いないが,北欧の音楽はこの<感情>世界を超えた何かを我々に感じさせる。それは恐らく北方的な外的自然との<緊張>関係とその<影>であるに違いない。


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