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くび地蔵

花松くび地蔵 くび地蔵由来書

所在地:東灘区田中町5-4  (Google Map)

 国道2号線住吉川の「東灘区役所前」交差点を芦屋方面に進む、コープ神戸生活文化センターを通り過ぎた最初の道を左折し道なりに80メーターほど行くと辻角に祠がある、とにかく大きい。
 区役所の説明文がないと、どうしてこんなものがここに祭られているか悩むところ間違いなしである、お化粧がされているようで大切にされている様子、一見の価値あり。



大日霊女神社 (おおひるめじんじゃ)

大日霊女神社 大日霊女神社御由緒  TOPに戻る

所在地:東灘区深江本町3-5  (Google Map)

 深江の里人から「大日ツァン」と親しまれている深江の氏神様がこの神社で、明治維新までは神仏習合のなかで「大日如来」を本尊とする鎮守社であったが、神仏分離令以降は大日霊女尊(天照大神)等が祀られている。神社入り口横に「魚屋道」の石碑がある。



魚屋道 (ととやみち)の石碑

魚屋道の石碑 TOPに戻る

所在地:東灘区深江本町3-5  (Google Map)

 幼児語で魚を「とと」と呼ぶ、魚屋道は「ととやみち」と言う。深江の浜でとれた魚を有馬温泉まで魚屋が毎日運んでいた魚屋道は、灘地方と有馬を最短で結ぶ東六甲最古の山越え(約12㎞、標高880m)ルートである。今も六甲山ハイキングコースのメインルートの一つで健脚のハイカーなら4時間ぐらいでここから有馬まで踏破できる。



森稲荷神社 (もりいなりじんじゃ)

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所在地:東灘区森北町4-7  (Google Map)

 魚屋道の石碑から阪神電車の踏切をわたり山側へ進むと国道2号線の交差点に赤い鳥居が見える、さらに北に進みJR東海道線と阪急神戸線のガード下をくぐり抜けると、森稲荷神社の立派な木製の鳥居に到着する。神社の裏手から急な坂道になり甲南女子大の前を進むと昭内橋の手前に魚屋道のハイキングコースの案内表示がある。



保久良神社(ほくらじんじゃ)・灘の一つ火

保久良神社 保久良神社 灘の一つ火  TOPに戻る

所在地:東灘区本山町北畑  (Google Map)

 六甲・金鳥山の中腹(185m)に鎮座している保久良神社。創立時期は不詳であるが、境内は上代祖神の御霊が鎮座する磐境(いわさか)の古代遺跡地で、石器時代の石斧、青銅器時代の銅戈(どうか、どうほこ)、弥生式土器が多数出土し、西暦紀元前より祭祀されていた霊地とされている。
 JR摂津本山駅から約1.8㎞、九十九折りの急坂を上りきると入り口の鳥居前より神戸の市街地や大阪湾から淡路島まで眼下に一望できる、また神社裏手には梅林があり梅の名所でも知られており、六甲のハイキングコースとしても有名。
 灘の一つ火とは、『当社の位置は(海抜一八五米)後に六甲の翠巒(すいらん)を負い前には茅渟(ちぬ)の海を一望に見渡す最景勝地にして社頭に燈明台ありて毎夜北畑天王講の人々交替して御神火を点じ近海を渡る船舶の航路安全を祈る灘の一つ火として崇拝せられ古来より航海者等の一進路となる』と神社の由緒にあるとおり、今は電気に変わっているがJRの車窓より見ることができる。



第23代横綱大木戸森右衛門生誕地碑
魚崎八幡宮神社 (うおざきはちまんぐうじんじゃ)

大木戸森右衛門生誕地碑 大木戸森右衛門説明書き 魚崎八幡宮神社 TOPに戻る

所在地:東灘区魚崎南町3-19  (Google Map)

 大相撲の力士で兵庫県出身唯一人の横綱が第23代横綱大木戸森右衛門、しかも菟原郡魚崎村五二一番地(現東灘区魚崎南町三丁目)生まれである。『大木戸森右衛門(本名内田光蔵明治9年5月13日生まれ)は、……大正元年12月25日ついに第23代横綱を免許された……』、国道43号線覚浄寺交差点より海側に入ったところの「魚崎八幡宮神社」横の公園の入り口に記念碑がひっそりと建てられている。



倚松庵 (いしょうあん)

倚松庵 倚松庵書斎  TOPに戻る

所在地:東灘区住吉東町1-6  (Google Map)

 『文豪谷崎潤一郎は 天界の恋を遂げた松子と この「倚松庵」に住んだ その妹二人も寄寓する 戦争の暗雲をよそに 船場の旧家の三姉妹は その典雅さを失わない 作家の目は光り かくて名作「細雪」は 人も家もほぼ事実のまま ここを舞台に誕生した』、木造瓦葺き二階建で昭和4年(1929)の建築、現在地より150m南にあったが住吉川右岸線拡張工事(六甲ライナー敷設工事)により平成2年に現在地に移築された、谷崎潤一郎は1936年11月から1943年11月まで居住した。土日は無料開放(10:00~16:00)されている。



本住吉神社 (もとすみよしじんじゃ)・有馬道

本住吉神社 TOPに戻る 有馬道の碑 有馬道の説明

所在地:東灘区住吉宮町7-1  (Google Map)

 大阪にある住吉大社の元社と伝えられ日本書紀にもその名が見える古社である、神社の鳥居を正面に見て右側の道が有馬道である、交差点の角に「有馬道 是ヨリ北江 九十丁」と彫られた道標石が建つ。
 神社の近くにJR住吉駅があるが、鉄道が開通した当時は有馬温泉への街道の入り口で、住吉駅から歩いて温泉を目指したという、現在も有馬道は「住吉道」の名でハイキングコースとして残っており住吉川の上流で魚屋道に合流する、今も石畳が残っているところもあり整備されていた道であることがうかがえる。



山田太郎車・二郎車 (灘目の水車)

山田太郎・二郎水車  TOPに戻る

所在地:東灘区住吉山手4-1  (Google Map)

 六甲山地を流れる川は急流であるため江戸時代から水車を使った事業が盛んであった、全盛期の大正時代には住吉川流域の水車場には直径5メータを越える水車が88基もあり、灯油の油絞り、製粉、酒米の精米などで活躍していた。
 住吉から有馬道を北上し市立住吉中学校をすぎたところに山田区民会館があり、灘目の水車が復元されている。 【灘目(なだめ)は灘地方の旧郷名】



深田池公園

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所在地:東灘区御影山手1-5 (Google Map)

 阪急御影駅の北側に、昔灌漑用として作られた池がある、今は深田池公園として春は桜の名所として有名である。周辺は閑静な高級住宅街で風流な石垣の小径が続く。



弓弦羽神社 (ゆづるはじんじゃ)

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所在地:東灘区御影郡家2-9  (Google Map)

 阪急御影駅の南東の一郭に森があり弓弦羽神社がある、森は市民の森第一号に指定され「弓弦羽の森」と命名されている。春には参道のイトザクラ、境内のしだれ桜が見事な花をつける。
 『神社の創建は古い。神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓より凱陣のみぎり、 忍熊王(おしくまのみこ)の反乱に遭い、 この地で自らの弓矢・甲冑を納めて熊野大神を祀って祈願し戦勝された 下って、桓武天皇の御代延暦年間(782~805)に弓弦羽の森を神領地と定め、 嘉祥2年(849)神祠を造営し遷座されたという。 』



香雪美術館

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所在地:東灘区御影郡家2-12  (Google Map)

 弓弦羽神社の東に「山麓りぼんの道」を挟んで隣接する香雪美術館は、朝日新聞創立者の村山龍平の収集品を収蔵展示する施設で、春季と秋季のみ開館している。特別展として収集品以外の展示も開催される。
 美術館の前庭は和風で春にはしだれ桜が咲き誇り、秋には見事な紅葉がみられる。



綱敷天満神社 (つなしきてんまんじんじゃ)

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所在地:東灘区御影町石屋字八色岡一番地 (Google Map)

 御影公会堂より石屋川左岸を上っていきJRの高架をくぐったところ、石屋川の土手と山手幹線に挟まれひっそりと綱敷天満神社がある。
 社伝によると、『茨城国造の天道根命が別雷神を祀るに始まり、聖徳太子が四天王寺建立にあたり御影山より石を求められた際に蒼稲魂神(うかのみたま)を合わせ祀る。』とされ、後に道真公の子孫・菅原善輝がこの地に社を建立し三神を合わせ祀り綱敷天満宮と名付けられた。
 綱敷の由来は、道真公が太宰権師に左遷され太宰府に赴き、この地で休息したとき里人が石の上に綱を巻いて敷物とした故事にちなむもの。神戸須磨区にある綱敷天満神社も同じ縁起が伝わっている。毎年1月8日に綱打祭で行われる「綱打神事」は無病息災を祈願する特殊神事として名高い。



処女塚古墳(おとめづかこふん)

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所在地:東灘区御影塚町2-10 (Google Map)

 処女塚古墳は、国道43号線東明交差点の山側にあり、国の史跡指定を受け今は公園に整備されている。この古墳は東灘区住吉宮町の東求女塚古墳、灘区都通の西求女塚古墳とともに、古く万葉の昔から悲恋物語の舞台としてひとびとにしられている。
 南向きの前方後方墳で、もとの大きさは、全長70m、後方部の幅39m、高さ17m、前方部の幅32m、高さ14mあり、墳丘の斜面には石を葺いていたことがわかっている、古墳を造った年代は、出土した壺形土器などによって4世紀と考えられている。



東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)

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所在地:東灘区住吉宮町 (Google Map)

 東求女塚古墳は阪神電車住吉駅より東へ250mの住宅地の公園にあり、御影塚町の処女塚古墳、灘区都通の西求女塚古墳とともに葦屋の莵名負処女(うなひおとめ)をめぐる悲恋伝説ゆかりの塚として古くから有名である。伝説では、莵名負処女をめぐって争った信田壮士(しのだおとこ)の墓だといわれているが、実際は、このあたりを支配した豪族の墓であろうと考えられる。調査結果から、前方部を北西に向けた全長80mの前方後円墳で、墳丘の斜面には石が葺かれていたとわかっている、古墳の作られた年代は、出土した遺物から、4世紀後半と考えられている。
 処女塚古墳と西求女塚古墳は遺跡公園として整備されているが、東求女塚古墳は明治時代に阪神電車の敷設工事によって崩されてしまい現在は石碑が建てられているのみである。